野田市の小学4年生の栗原心愛さんがアンケートに「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています」などと書きながら父親に虐待され亡くなった事件があまりにも悲惨なので、父親の栗原勇一郎容疑者を非難するだけでは足りず、ほかにも“悪者探し”が行われています。
学校や市教委、児童相談所の対応が批判されていますが、警察は父親だけでなく母親の栗原なぎさ容疑者も傷害の容疑で逮捕しました。父親の暴行を止めなかったことで共犯関係が成立すると判断したということです。
なぎさ容疑者は勇一郎容疑者からDVを受けていました。“悪者探し”が迷走したようです。
 
どうせ“悪者探し”をするなら、いちばん悪いやつを探さないといけません。
いちばん悪いやつは、自民党です。

 
民法には親の「懲戒権」なる規定があります。
 
民法第822
親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
 
「懲戒」とはどのようなことか、「特定非営利活動法人子どもすこやかサポートネット」のサイトではこのように説明しています。
 
民法は、懲戒方法を具体的に定めていません。しかし、最も詳細な民法注釈書である新版注釈民法(25)は、その方法を次のように示しています。
「懲戒のためには、
 しかる・なぐる・ひねる・しばる・押入れに入れる・蔵に入れる・
 禁食せしめるなど適宣の手段を用いてよいであろう(以下、省略)」
 
つまり民法が虐待を容認しているのです。
 
この法律は明治時代にできたもので、廃止しなかった国会の責任は大きいと言えます。
放置してきたわけではありません。この条文は2011年に改正されています。
その前の条文はこのようなものでした。
 
平成23年改正前の条文
親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。
 
「懲戒場」が存在しなくなったので、それに関する部分は削除されました。
このときに「懲戒権」そのものをなくすべきでした。そうしなかったということは、「懲戒権」を認めたということです。
この改正は民主党政権のときでしたから、自民党というより国会全体の責任です。
 

しかし、「尊属殺人罪」に関しては自民党の責任です。
親殺しを特別に重罪とする刑法の尊属殺人罪の規定は、1973年の最高裁判決により違憲とされました。違憲とされた法律はただちに削除か改正するのが国会の務めですが、実際に削除されたのは22年後の1995年でした。1995年というのは刑法の条文を文語体から口語体に改めるという刑法大改正が行われたときで、そういうことがなければさらに放置されていたかもしれません。
 
自民党は尊属殺人罪の廃止は日本人の家族観に悪影響があるとしてずっと反対でした。
ここに自民党の思想のキモがあります。
 
尊属は卑属と対になった言葉で、「親は尊く、子は卑しい」というとんでもない思想です。
儒教からきた言葉かと思っていましたが、検索しても儒教とのつながりは見つからず、もっぱら相続などに関する法律用語としてヒットします。
ウィキペディアの「尊属殺」の項には「日本の尊属殺重罰規定については、フランス刑法に由来するという説と、中国の律令からの伝統にならって儒教的道徳観に基づいて制定されたとする説とがある」とあり、どうやら尊属と卑属という言葉は明治時代に刑法をつくった人間がつくった言葉であるようです。
 
これは天皇制国家と結びついていると思われます。
戦前の日本では、日本国民は「天皇陛下の赤子」でした。とすれば、「親は尊く、子は卑しい」のは当然です。
教育勅語には「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ」とあります。 兄弟、夫婦、朋友は相互の関係を言っていますが、親子については、「父母ニ孝ニ」つまり「子どもは親孝行せよ」といっているだけで、「親は子を愛せよ」というのはありません。
 
「男尊女卑」という言葉にならっていえば、「親尊子卑」というのが戦前の日本の基本精神です。
教育勅語をありがたがり、憲法改正で戦前の日本へ回帰しようという自民党は、今も「親尊子卑」のままです。
 
自民党の「日本国憲法改正草案第二十四条」には「家族は、互いに助け合わなければならない」とあります。
小さな子どもがどうやって親を助けることができるのでしょう。子どもにまったく配慮のない規定です。
親を助けない子どもは親に「懲戒」されてもしかたがないということにもなりかねません。
 
国連の子どもの権利委員会は2月7日、日本で子どもへの虐待などの暴力が高い頻度で報告されていることに懸念を示し、日本政府に対策強化を求める勧告を公表しました。
日本で幼児虐待の対策が遅れている最大の原因は、自民党の「親尊子卑」の思想です。