幼児虐待をする親というのは、たいてい「しつけのためにやった」と言って自分を正当化し、めったに反省しません。
一方、まったく虐待をしない親もいます。
この違いは、親自身が過去に虐待されていたという“虐待の連鎖”で説明されますが、それだけではありません。
“悪”についての認識の違いもあります。
 
次の記事が“悪”について考えさせてくれます。
 
 

悪いことをしたら、叩いてでも分からせた方がいい?「叩くしつけ」に賛否両論の声

子どもが悪いことをした時に、親が叱るのは当然の義務です。しかしその叱り方に頭を抱える人は少なくなく、先日も主婦の「“叩くしつけ”って必要ですか?」という投稿が注目の的に。一体世の育児経験者たちは、彼女の質問に対してどのような見解を出したのでしょうか。
 
■ 育児には“叩くしつけ”も必要…?
 
相談者は、1歳の娘を育てる30代の専業主婦。最近彼女の娘はおもちゃを無闇に放り投げるそうで、先日義実家を訪れた際もおもちゃを投げまくっていました。そこで相談者は、「人に当たったら痛いでしょ?」「おもちゃが『痛い!』って言ってるよ。大事にしてあげようね」と子どもに注意。するとその一部始終を見ていた義母から、「そんなしつけでは効果がない」「時には叩くことも必要」と指摘されてしまったそうです。
 
とはいえ、幼い我が子を叩くのに抵抗を感じる相談者。「悪いことをしたら、叩いてでも分からせた方がいいのでしょうか」とネット上に悩みを打ち明けたところ、「叩くべきではない」「義母の言い分は分かるかも」といった賛否両論の意見が飛び交いました。
 
まず義母の育児法に異論を唱える人からは、「1歳でしょ? 普通は叩かない。物を投げるのも元気な証拠」「叩く育児は“自分より力のない者を叩いてもいい”と教えているだけ」「物を投げるのも成長のうち。色々な経験を経て物事を理解していくので、今は何の注意もいらないと思う」などの意見が続出していました。
 
「私も1歳の娘を叩いたことがあります」と語る女性からは、「今度は娘の方がお友達や私を叩くようになってしまった」というコメントが。
 
一方、中には義母の育児論を“良し”とする声もありました。「1歳の子どもに口で注意しても理解できない。お姑さんの子育て法は正しいと思う」「毎回叩くのはダメだけど、お姑さんの言う通り“時には”叩くことも必要」と“叩くしつけ”に賛同する人も少なくありません。
 
■ 育児経験者たちのリアルな本音
 
“叩くしつけ”については、人によって様々な見解がある模様。子ども支援専門の国際NGOである公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、2017年に国内2万人に対し、しつけに関する意識・実態調査を実施。
 
調査によると、約6割の回答者が“叩くしつけ”に肯定的であることが明らかになっています。
 
同調査では、“叩くしつけは必要”と考える理由についてもアンケートを実施。すると上位には、「口で言うだけでは、子どもが理解しないから」「その場ですぐに問題行動をやめさせるため」「痛みを伴う方が子どもも理解すると思うから」といった回答が並びました。ちなみに“しつけの一環として子どもを叩いたことがある親”は、7割以上を占めているそうです。
 
あなたは、育児に“叩くしつけ”は必要だと思いますか?
 
/藤江由美
 
 
ここにはふたつの対立点があります。
ひとつは、しつけをするときにたたいてよいのか悪いのか、つまり体罰はいいのか悪いのかという問題です。
しかし、体罰がだめなのはわかりきった話です。体罰は子どもの脳を萎縮・変形させることが科学的に明らかになっており、厚生労働省は「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンを展開しています。アンケートでは約6割が体罰に肯定的だということですが、このアンケートは2017年のもので、今やるとかなり違うはずです。
 
この記事にはもうひとつ対立点があります。
それは、1歳の娘がおもちゃを投げるのは悪いことか否かという問題です。
相談者である母親は「悪いこと」と認識しています。
一方、ネット上の意見には「物を投げるのも元気な証拠」とか「物を投げるのも成長のうち。色々な経験を経て物事を理解していく」と、「悪いこと」とは認識していないものがあります。
 
しかし、記事はこの対立点は深く掘り下げません。体罰是か非かの対立点がメインで、こちらはサブの扱いになっています。記事の冒頭に「子どもが悪いことをした時に、親が叱るのは当然の義務です」と書かれているように、この記事のライターが「子どもは悪いことをするもの」と認識しているからでしょう。
 
しかし、私の考えでは、この対立点こそ重要です。
1歳のわが子の中に悪が芽生える――この母親はそう考えているのですが、これは悪魔の認識です。
子どもがある程度成長すれば、友だちの影響で悪いことをするようになったとか、テレビやゲームの影響で悪いことをするようになったとかと考えることも可能です。しかし、1歳の子どもはほぼ完全に親の影響下にあるはずです。しかも、自分と自分が選んだ配偶者の遺伝子を受け継いでいます。その子どもの中から悪が芽生え、自分はその悪を刈り取る立場にあるというのは、論理的に成立しません。
 
いや、子どもの「自由意志」から悪が芽生えるのだという考え方があるかもしれません。
しかし、「自由意志」は科学的にはほぼ否定されていますし、かりにあったとしても、外部からはコントロールできないはずで、「子どもをしつける」ということと矛盾します。
 
子どもが物を投げるのは発達の一過程で、そうすることで運動能力が高まります。子どもに「物を壊してやろう」とか「人を痛い目にあわせてやろう」という気持ちがあるはずありません。普通の親なら「物を投げられるようになった」と喜ぶところです。「将来は大谷翔平選手みたいになるのではないか」と思う親バカがいるかもしれません。
 
ところが、自己中心的な親はそれを「迷惑行為」さらには「悪」ととらえて、やめさせようとします。この母親は、実際には当たってもたいして痛くないのに「人に当たったら痛いでしょ?」と大げさに言い、さらには「おもちゃが『痛い!』って言ってるよ」と嘘を言っています。
 
子どもが「悪」だと、自分のしつけは「正義」だということになります。
これが幼児虐待をする親の論理です。
「しつけのためにやった」という言葉には、こういう論理があります。
 
自分と自分の選んだ配偶者の遺伝子を受け継ぎ、自分の影響下にある子どもの中に悪が芽生えたとしたら、それは自分の悪が受け継がれたと考えるのが論理的な思考というものです。
幼児虐待は論理的思考の欠如がもたらすものでもあります。