幼児虐待の原因として「虐待の世代連鎖」があることは最近知られてきました。つまり親から虐待された子どもが親になると自分の子どもに同じことをするということが次々に連鎖していくのです。
しかし、虐待の原因は「虐待の世代連鎖」だけではありません。「虐待の社会連鎖」もあります。
 
「虐待の社会連鎖」というのは私の造語です。
要するに虐待を次の世代にするのではなく、同時代の身近な人間にすることです。
 
たとえば、会社で部長から理不尽な怒られ方をした課長が自分の部下に当たる。その部下は家に帰ると妻に当たる。妻は子どもに当たるというようなことです。
こうした「当たる」という行為は、一見理不尽ですが、実際は広く行われています。プロ野球の監督は、選手が失策をすると、ベンチやロッカーに当たっています。
 
「やられたらやり返せ」という言葉があります。本来は自分をやった相手にやり返せという意味でしょう。しかし、自分がやられたということは、相手は自分より強いはずで、やり返すことはほとんど不可能です。そこで、自分より弱い相手にやり返すわけです。それでもやられた屈辱感や敗北感はある程度解消できます。
 
とはいえ、なにも悪いことをしていない人に対して、自分の不満を解消するために、悪いことをしたと言って非難したり暴力をふるったりするのは、誰が見てもよくないことです。
そのため、このような「当たる」という行為が広く行われていることは隠されてきました。
人間はもう少し理性的で道徳的だと思いたいのでしょう。
しかし、対人関係のストレスが極限までたまった人間は、ところかまわず当たりちらします。それを表現する「八つ当たり」という言葉もあります。
 
ただ、誰にでも当たるわけではなく、あくまで自分よりも弱い者に対してです。
強い人間は当たる相手がいっぱいいますが、弱い人間にはあまりいません。
 
幼児虐待は貧困家庭に多く発生することが知られています。
貧困な人は、貧困自体がストレスであるだけでなく、社会の下層にいるということで、周りの人間に対して劣等感や敗北感を抱きがちです。
それを解消するために当たる相手は自分の子どもしかいないということで、幼児虐待は貧困家庭に多く発生すると思われます。
 
つまり幼児虐待には、「世代連鎖」と「社会連鎖」のふたつの原因があると考えると、その発生が正しくとらえられるのではないでしょうか。
 
 
「虐待の社会連鎖」というのは、自分より弱い者をいじめてうっ憤晴らしをするという行為が広く行われ、最終的にいちばん弱い者にいじめが集中することをいいますが、そうすると、それは幼児虐待のほかに学校のいじめもあります。
 
親は子どもを学校に行かせ、勉強させ、生活態度を細かく注意し、教師は子どもに勉強させ、規則を守らせ、集団行動に従わせます。これらはすべて子どものストレスになりますが、親や教師にやり返すわけにはいかないので、結局子ども同士で解消をはからねばならず、結局いちばん弱い子どもがいじめられることになるのです。
 
ストレス解消のために弱い者いじめをするのは、誰が見てもひどいことです。
ですから、そんなことをするのは幼児虐待をする親とかいじめっ子とかの特殊な人間だということにしておきたいので、私たちは虐待親やいじめっ子を非難することに熱心です。
しかし、実際は「虐待の社会連鎖」は広く存在していて、誰も無縁ではいられません。