新学期が始まりました。
学校では1年か2年ごとにクラス替えがあり、せっかく友だちができても引き離されてしまいます。子どもにとっては酷な制度です。
なぜこんな制度があるのかというと、地元の友だちとの絆を薄くして、将来地元を離れて就職しやすくするためです。
と同時に、会社に入って知らない人ばかりに囲まれても対応できるようにするためです。
 
クラス替えと同時に担任も変わります。
担任の良し悪しは大問題です。体罰をする教師とか、えこひいきする教師とか、教え方のへたな教師とかもいて、教師のせいで勉強嫌いになったり不登校になったりすることもあります。しかし、子どもや親は担任を選べませんし、拒否権もありません。
子どもが担任を選べないというのも、将来会社に入ったら上司を選べないことに慣れさせるためです。
 
日本の学校教育は、戦前は「富国強兵」のためのものでした。
戦後は「強兵」が取れて「富国」のためのものになりました。
子どもが将来よい労働力になれば国が豊かになりますし、今のおとな世代も潤います。
よい労働力とは、もちろん仕事をする能力が高いことですが、それを別にすれば、どんな職場にも適応して、転勤もいとわず、どんな上司にも仕える人間です。
要するに今の学校教育は、汎用性の高い労働力、使い勝手のいい人間をつくる制度になっているのです。
 
しかし、これはもはや時代遅れでしょう。
汎用性の高い労働力ができる仕事というのは、たいていAIや外国人労働者でもできる仕事です。
 
 
そもそも子どもを汎用性の高い労働力にすることは、子どもの幸せのためではありません。
給料は少なくても友だちがたくさんいる地元で生きていく幸せというのがあります。
クラス替えに子どもの希望を反映させるようにすれば、子どもは友だちとの絆が深くなり、学校生活も楽しくなります。いじめもほとんどなくなるはずです。
こんな簡単ないじめ対策をなぜやらないのか不思議です。
 
もちろん高い学力をつけることは子どもの幸せに直結します。
今はそのために子どもにむりやり勉強させようとしています。
しかし、それは誤った対応です。優秀な教師さえいれば子どもの学力は自然と向上します。
 
では、どうして優秀な教師をつくるかというと、子どもに選ばせるようにすればいいのです。
小学校では担任を選ぶことになりますが、中学高校では生徒が好きな教師の授業を選択できるようにすればいいのです。
予備校や学習塾では子どもや親が教師や塾を選んでいます。その中からきわめて教えるのがうまい予備校教師などが生まれています。
江戸時代の寺子屋も親や子どもが選ぶシステムですが、世界的に見ても高い教育水準になっていました。
 
子どもが教師を選ぶと、教師同士の競争が起きて、つまり市場原理によって、教師のレベルが向上します。体罰教師もいなくなりますし、子どもが教師にいじめを訴えても聞いてもらえないということもなくなるはずです。
 
子どもが教師を選ぶというシステムはすぐにはむずかしいかもしれませんが、子どもが教師を評価するというシステムならすぐにでも導入できます。
 
なお、能力別クラス編成がよく議論されますが、子どもが選別されるのは傷つきますが、子どもが自分に合ったクラスを選ぶ形にすれば問題ないわけです。
 
 
ところで、子どもにまったく選択権のない今の教育システムは、将来軍隊に入ったときに適応できるようにするという、いまだに「強兵」を引きずったものと見ることができます。
今は就職先も自分で選ばなければならないのですから、教育システムも変わらなければなりません。
 
今の学校システムは欧米から入ってきたものですが、欧米では、おとなと子どもは画然と区別され、子どもはおとなが規律を教えなければならない存在とされていました。
日本はもともと子どもをたいせつにする文化があって、おとなと子どももそれほど区別されません。そこからマンガ、アニメ、カワイイなどの文化が生まれました。
ですから、教育改革も日本が世界の先頭を行っていいはずです。
 
日本が活力を取り戻すには、子どもの主体性を尊重する教育改革しかありません。