最近、女性天皇容認論が力を増していますが、この論は肝心のことを無視しています。
それは女性皇族の意志です。
女性天皇というのは、現実には愛子さまが天皇になるということですが、いざ制度改革をしようとしたとき、愛子さまが「私は天皇には絶対なりたくない」と言いだしたら、どうするのでしょうか。それでも制度改革を強行するのでしょうか。
 
女性宮家容認論についても同じことが言えます。眞子さまにしても佳子さまにしても、「私は結婚して一般国民になりたい」と言うかもしれません。
 
女性天皇や女性宮家を容認する人は、女性の権利を尊重する人でもあると思われますが、女性の意志を無視して議論しているのは気になるところです。
 
 
日本国憲法は国民に基本的人権を保証しているのに、皇族には表現の自由も職業選択の自由もありません。「人権のない人」が日本に存在するわけです。
憲法学者の長谷部恭男氏はこれを「身分制の飛び地」と表現しています。
近代憲法というのは、前近代的な身分制を破壊して、すべての人が平等な更地にしたが、一か所だけ天皇制という「身分制の飛び地」が残ったというわけです。
 
これは皇族を特権階級と見なした考え方のように思われます。確かに皇族は豊かな生活をし、人々から尊敬される立場ですが、人権が制限され、公務をする義務があり、最近はメディアやネットで批判されることが多くなっています。今では特権階級というよりも、「人権の制限される不自由な人」という感覚ではないでしょうか。
 
ともかく、日本国民の中に「人権のない人」がいるというのは困った状況です。
これをなんとかするには、ひとつしか方法がありません。それは皇籍離脱の自由を認めることです。
本人がさまざまな制約を受け入れることを承知で皇籍に残れば、それは人権侵害ではありません。
旧皇族など天皇家の血縁者を新たに皇族に入れる場合も、制約を受け入れることを条件にすればいいわけです。
こうすれば皇族は「人権のない人」ではなくなります。
 
天皇についても同じことです。天皇の役割は皇族よりもはるかに重いので、天皇に即位するときは本人の同意を条件にするべきです。同意なしに天皇に即位させることは、「その意に反する苦役に服せられない」という憲法十八条違反になります(今でもすでに本人の同意なしに天皇に即位させることはできないという学説があります)
 
こうすると誰も天皇のなり手がいないという事態が起こるかもしれません。
そうなるかならないかはまさに「国民の総意」によります。
 
 
考えてみれば、なぜ日本国憲法に「身分制の飛び地」が残ったのかというと、戦前の天皇制があまりにも重くて、急に廃止できなくて、妥協の産物として「象徴天皇制」にしたからです。
日本国憲法において象徴天皇制は「帝国憲法の飛び地」なのです。
ですから、民主、平和、人権が世の中に定着してくると、象徴天皇制も廃止の流れになるのは当然です。
 
誰も天皇のなり手がいないという事態になったときは、天皇制廃止の憲法改正をすればいいわけです。
改憲派はやっと夢を果たせます。