このところ性暴力事件に関するトンデモ判決が相次いだことを受けて、東京、大阪、福岡の3都市で5月11日、性暴力被害の実態を訴える「フラワーデモ」が行われ、さらに13日には性暴力被害者の団体「Spring」が刑法の見直しや裁判官の研修を行うよう法務省と最高裁判所に要望書を提出しました。
これらのニュースのキーワードは「性暴力」です。
しかし、この言葉では問題の核心を外しています。
 
トンデモ判決でもっとも騒がれたのは、名古屋地方裁判所岡崎支部が出した無罪判決です。
NHKニュースから引用します。
 
 
今回のケースでは、父親が当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われました。
裁判では、娘が同意していたかどうかや、娘が抵抗できない状態につけこんだかどうかが争われました。
 
ことし3月26日の判決で、名古屋地方裁判所岡崎支部の鵜飼祐充裁判長は娘が同意していなかったと認めました。
また、娘が中学2年生の頃から父親が性行為を繰り返し、拒んだら暴力を振るうなど立場を利用して性的虐待を続けていたことも認め「娘は抵抗する意思を奪われ、専門学校の学費の返済を求められていた負い目から精神的にも支配されていた」と指摘しました。
 
一方で、刑法の要件に基づいて「相手が抵抗できない状態につけこんだかどうか」を検討した結果、「娘と父親が強い支配による従属関係にあったとは言い難く、娘が、一時、弟らに相談して性的暴行を受けないような対策もしていたことなどから、心理的に著しく抵抗できない状態だったとは認められない」として無罪を言い渡しました。
 
 
父親は娘が中学2年生のころから暴力をふるって性行為をしていたのですから、どこをどうやっても無罪判決が出るわけありません。
ただ、検察が19歳以前のことについて起訴しなかったのは不可解です(18歳未満だと、監護者の影響力に乗じて性交等を行った場合、暴行脅迫がなくても罪になります)。検察も本気で罪を問う気はなかったのかもしれません。
 
この件を「性暴力」と表現すると、問題がぼけてしまいます。
性暴力というと、成人の男女におけるレイプというイメージだからです。
 
この件は、なによりも「近親相姦」です。
近親相姦は人類にとって最大級のタブーです。
法律上は近親相姦罪というのはありませんし、成人同士なら「被害者なき犯罪」だから許されるという考え方もありますが、親子間の近親相姦には強いタブー意識があって、誰もが許せないと思うはずです。
 
それから、この件は「性的虐待」です。
親が自分の子どもを虐待する「幼児虐待」は、あまりに悲惨なので誰もが目をそむけたくなります。
幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトに分類されますが、中でも性的虐待はもっとも認識しにくいとされます。
つまり「幼児虐待」に「近親相姦」がドッキングしたものが「性的虐待」ですから、認識しにくいのは当然です。
 
認識しにくいため、昔は「性的虐待」のことを「いたずら」と言っていました。言葉でごまかしていたのです。
「性暴力」という言葉も、それに近いものがあります。
子どもへの「性的虐待」という言葉を使うべきです。
 
 
ところで、千葉県野田市の小学4年生の栗原心愛さんが親から虐待を受けて1月に死亡した事件で、父親から性的虐待を受けていた疑いがあったことが14日になって初めて報道されました。この事件は心愛さんがノートに「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと書いていたことで世間の同情を集め、すさまじい量の報道がされましたが、それでも性的虐待のことは今まで隠されていたのです。性的虐待がいかに認識しにくいかがわかります。
 
 
性暴力被害者の団体は刑法の見直しを行うよう要望していますが、これも的外れな気がします。
そもそも性犯罪に関する刑法は2017年7月に改正施行されています。
これは法律の問題ではなく、裁判官の人格(パーソナリティ)の問題です(それと検察官の人格も)
裁判官の人格が変わらなければ、いくら刑法を変えても無意味です。
 
では、どうすればいいかというと、裁判官への個人攻撃、人格攻撃をすればいいのです。
 
普通、個人攻撃、人格攻撃はよくないこととされ、問題解決につながらないとされますが、裁判官の場合は別です。
裁判官は権威に守られて、これまでいくらトンデモ判決を出しても裁判官個人が批判されることはまったくといっていいほどありませんでした。そのため世の中とずれた価値観を持った裁判官が放置されてきたのです。
 
それに、裁判官は憲法第七十六条3「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるので、法律が変わっても対応しない頭の固い裁判官は、世論の批判で変えていくしかありません。
 
個人攻撃、人格攻撃というと、弱い者いじめのイメージがありますが、裁判官は強者であり権威です。
裁判官への個人攻撃、人格攻撃は、誰でもできるわかりやすい世直しです。