凶悪犯罪が起きると、テレビのコメンテーターは口をきわめて犯人を非難します。
ところが、川崎市登戸でスクールバスが襲われ、2人が死亡、17人が負傷した事件は事情が異なります。犯人がその場で自殺して、非難の対象がいなくなってしまったのです。
そこで考え出されたコメントが「死にたいなら一人で死ね」でした。
 
このコメントは誰に向けられているのでしょう。
気分としては自殺した犯人に向けて言いたいのでしょうが、死んだ人間に向かって言っても無意味です。
ですから、これは、これから人を殺して自殺するかもしれない人間に向けたものということになります。
 
人を殺して自殺しようかとまで思い詰めている人間に対して、これはあまりにも冷たい言葉です。自殺や殺人を後押ししかねません。
 
ですから、生活困窮者支援のNPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏が、こうしたコメントは控えるべきだと緊急に発信したのは誠に適切でした。
 
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい
 
もっとも、これに対しては反対の声のほうが大きいようです。
とりわけテレビのコメンテーターはほとんどが反対ないし納得いかないという反応です。
 
たとえば梅沢富美男氏は、「(犯罪者への非難は)控えなくていい。巻き添えになった子がいるんだよ」「被害者の気持ちになってみろ」とコメントしています。
 
被害者や被害者遺族が犯人に激しい怒りや憎しみを感じるのはわかります。
しかし、梅沢富美男氏などのコメンテーターは、自分が被害にあったわけでも肉親を失ったわけでもないのに、激しい怒りのコメントをします。
テレビに合わせた“職業的怒り”です。
 
また、メディアは「なんの罪もない人が犠牲になった」という悲劇性を強調するため、死亡した小山智史さんはミャンマー語担当の外交官で、「ミャンマーが好きなのでやりがいをもって働いていた」とか、死亡した小学校6年生の栗林華子さんはチェロ教室に通っていて、「周囲にお菓子を配るやさしさもあった」といった報道をしています。
こうした報道は犯罪への怒りをあおりますが、やはり犯人はすでに死んでいるため、その怒りが間違った方向に行く可能性があります。
たとえば、犯人の岩崎隆一はひきこもりだったため、ひきこもりをみな危険視する偏見がすでに生まれているようです。
 
 
こうした凶悪な犯罪に触れると、触れた人の心にも凶悪な感情が芽生えます。
その感情が「厳罰にしろ」「死刑にしろ」という声を生み出します。
これは「悪の連鎖」です。
「悪の連鎖」は断ち切らなければなりません。
ところが、メディアは逆に「悪の連鎖」を増幅しています。
 
今回、犯人はすでに自殺し、藤田孝典氏の冷静な指摘があったことで、「怒りをあおるメディア」の異様さが浮き彫りになりました。
ここは冷静になって、犯罪を抑止する具体的方法を考えるべきときです。