首相官邸ホームページより
11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなりました。
101歳でしたから、大往生というべきですが、晩年はかなり屈折した思いがあったはずです。
中曽根氏が政界を引退したのも不本意なものでした。
1996年に小選挙区比例代表並立制が導入された際、中曽根氏は小選挙区から比例区に回りました。小選挙区なら場合によっては党の公認がなくても自力で当選することが可能ですが、比例区では党の決定に従うしかありません。中曽根氏は比例区に回ることに強く抵抗しましたが、最終的に自民党は中曽根氏には党の定年制を適用せず、比例北関東ブロックでの終身1位の保証をすることで説得しました。
ところが、2003年の総選挙で小泉首相は党の約束を破って中曽根氏に引退を勧告しました。そのとき、党の決定を中曽根氏に伝える役回りを演じたのが安倍晋三幹事長です。
中曽根氏としては約束を破られ、むりやり引退させられたのですから、そうとうな恨みを残したでしょう。
安倍首相の政治思想は中曽根氏とほとんど同じです。
改憲が悲願である中曽根氏は、自分の目の黒いうちに安倍首相が改憲を成し遂げてくれると期待していましたが、安倍首相が中曽根氏逝去について出した談話には、改憲のカの字もありません。
内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)
安倍首相は長期安定政権を築いておきながら改憲ができず、中曽根氏の期待を裏切ったのですから、一言あっていいはずです。
安倍首相は中曽根氏のやったことをずっと真似てきました。
中曽根首相は1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しましたが、中国や韓国などの反発にあって、それ以降は参拝していません。
安倍首相は2013年12月26日に公私の別を言明せずに参拝しましたが、やはり中国と韓国、それにアメリカの反発にあって、それ以降は参拝していません。
中曽根首相はレーガン大統領といわゆるロン・ヤス関係を築き、アメリカ大統領と対等のつきあいをするところを国民にアピールしました。
安倍首相はトランプ大統領といっしょにゴルフをし、「日米は完全に一致しました」を口ぐせのように言っていますが、その親密さは形だけです。
レーガン大統領が中曽根首相をほんとうに信頼していたのかどうかわかりませんが、少なくともレーガン大統領は日本に対してきびしい要求をすることはありませんでした。しかし、トランプ大統領は日本に対してなんの遠慮もありません。
安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」と呼びますが、プーチン大統領は安倍首相を「シンゾー」と呼ぶことはありません。安倍首相が中曽根首相の真似をしているだけです。
安倍首相のやっていることは、中曽根首相がしてきたことの劣化コピーというしかありません。
改憲についても同じです。
中曽根氏は「憲法改正の歌」というのを作詞しています。この歌は1956年に日本コロンビアから発売されました。
その歌詞の1番と5番を紹介します。
安倍首相は長期安定政権を築いておきながら改憲ができず、中曽根氏の期待を裏切ったのですから、一言あっていいはずです。
安倍首相は中曽根氏のやったことをずっと真似てきました。
中曽根首相は1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しましたが、中国や韓国などの反発にあって、それ以降は参拝していません。
安倍首相は2013年12月26日に公私の別を言明せずに参拝しましたが、やはり中国と韓国、それにアメリカの反発にあって、それ以降は参拝していません。
中曽根首相はレーガン大統領といわゆるロン・ヤス関係を築き、アメリカ大統領と対等のつきあいをするところを国民にアピールしました。
安倍首相はトランプ大統領といっしょにゴルフをし、「日米は完全に一致しました」を口ぐせのように言っていますが、その親密さは形だけです。
レーガン大統領が中曽根首相をほんとうに信頼していたのかどうかわかりませんが、少なくともレーガン大統領は日本に対してきびしい要求をすることはありませんでした。しかし、トランプ大統領は日本に対してなんの遠慮もありません。
安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」と呼びますが、プーチン大統領は安倍首相を「シンゾー」と呼ぶことはありません。安倍首相が中曽根首相の真似をしているだけです。
安倍首相のやっていることは、中曽根首相がしてきたことの劣化コピーというしかありません。
改憲についても同じです。
中曽根氏は「憲法改正の歌」というのを作詞しています。この歌は1956年に日本コロンビアから発売されました。
その歌詞の1番と5番を紹介します。
「憲法改正の歌」1 嗚呼戦に打ち破れ敵の軍隊進駐す平和民主の名の下に占領憲法強制し祖国の解体を計りたり時は終戦六ヶ月5 この憲法のある限り無条件権降伏続くなりマック憲法守れとはマ元帥の下僕なり祖国の運命拓く者興国の意気に挙らばやhttps://ameblo.jp/hosyu9/entry-10849714430.html
要するに「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いを歌っています。
占領軍を追い出すのではなく、もっぱら憲法改正に傾注するところが不可解ですが、戦後の右翼の出発点はここにあります。
中曽根氏の中には、日米関係を対等なものにしたいという思いがまだあったかもしれません。
しかし、安倍首相の中には“対等のふり”をするということしかありません。
「敗戦の屈辱を晴らしたい」という改憲の根本精神が失われているのです。
いや、「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いがアメリカではなく中国や韓国に向けられて、外交の混乱を招いています。
中曽根氏は、アメリカの要請に応えるために“解釈改憲”をして新安保法制を成立させた安倍首相を見て、どう思っていたでしょうか。
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