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障害者施設で19人が殺害された「やまゆり園事件」の裁判が1月8日から始まりました。
この事件は、植松聖被告が「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている。安楽死させるべきだ」などと語り、その優生思想とも言える考え方に注目が集まっていました。
判決は3月16日が予定され、26回の公判が行われるということです。

裁判でも被害者の名前は公表されていません。
京アニ事件でも被害者の名前はなかなか公表されませんでしたから、最近の傾向ではありますが、やはり障害者への差別があるからでしょう。

そうした中で、殺害された女性(19歳)の母親が被害者の「美帆」という下の名前を公表しました。
公表したのは「裁判の時に『甲さん』『乙さん』と呼ばれるのは嫌だったから」「美帆の名を覚えていてほしい」という思いからだそうです。
母親は美帆さんの4枚の写真とともに手記を公表しました。

【美帆さんの母の手記】
大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。
 本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等(など)のキャラクターが大好きでした。
 音楽も好きでよく「いきものがかり」を聞いていました。特に「じょいふる」が好きでポッキーのCMで流れるとリビングの決まった場所でノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます。
 電車が好きで電車の絵本を持ってきては、指さして「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていたのは、特急スペーシアと京浜東北線でした。
 ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは、「魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」。他のビデオも並べて、順番に見ていました。
 自閉症の人は社会性がないといいますが、娘はきちんと外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。
 外では、大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは「帰らない、家にいる」と帰るのを拒否していました。
 写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。
 「帰らない」と強く態度で表していました。パニックをおこして大変だったけれどうれしい気持ちもありました。2年くらいは続いていましたが、それ以降は自分で寮で生活するということがわかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくようになりました。親としてはさびしい気持ちもありましたが、お姉さんになったなあといつも思っていました。
 月1くらいで会いに行き、コンビニでおやつと飲み物を買い一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどることがわかっていて、食べている間中「歌をうたって」のお願いをされ、よくアンパンマンの「ゆうきりんりん」とちびまる子ちゃんのうた、犬のおまわりさん等、うたっていました。私のうたをBGMにしておやつをおいしそうに食べていました。
 自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると自分の腰あたりでバイバイと手を振ってくれていました。
 泣きもせず、後おいもせず部屋に戻っていく後ろ姿を見ているとずいぶん大人になったなと思っていました。
 美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだなと思っていました。
 人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので職員さんたちに見守られながら生きていくのだなと思っていました。
(後略)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/news_jp_5e156ecbc5b66361cb5c9f65


愛情の感じられる文章です。
美帆さんは、たぶん“生産性”がなく、社会には役に立たない人間でしょう。
植松被告に言わせると、生きる価値のない人間です。
しかし、母親にとっては価値のある人間です。


優生思想の問題は、人間の価値はなにかという問題でもあります。
売り上げの多いセールスマンは、売り上げの少ないセールスマンより価値があり、早く走る陸上選手は遅く走る陸上選手より価値があり、勉強のできる生徒は勉強のできない生徒よりも価値があるというように、人間はさまざまなモノサシで測られます。
美帆さんは、そういう社会で用いられるモノサシで測ると、なにも価値がないということになるかもしれません。
しかし、母親にとっては価値ある存在です。
母親は「愛」というモノサシで測っているからです。

また、配偶者や恋人が余命3カ月と診断され、ベッドから起き上がれなくなったら、植松被告の思想では、価値のない人間なので、さっさと捨てたほうがいいということになるでしょうが、現実にそんな判断はありえません。配偶者や恋人への愛があるからです。

そういう意味では、愛は人間の価値を測る最後のモノサシです。


人間には「人権」という価値があります。これは誰にも等しくあるとされるので、人間の究極の価値と言えます。
しかし、人権は近代になってからできた概念で、抽象的で、理解しにくい面があります。
これは愛と結びつけると理解しやすくなります。
たとえば、ナチス支配下でユダヤ人を助けた人は、「ユダヤ人にも人権があるから」と思って助けたわけではないでしょう。「あの人がかわいそうだ」という愛情、共感、思いやりなどの感情から助けたはずです。

優生思想は人権思想によって否定されますが、人権思想は愛の裏付けがあって初めて力を持ちます。
「仏つくって魂入れず」という言葉にならって言うと、「人権つくって愛を入れず」になってはいけません。


しかし、今の時代、親の愛も平等にあるわけではありません。親から虐待されて死ぬ子どももいます。
やまゆり園で被害にあった人たちも、誰もが美帆さんのように親から愛されていたとは限らないでしょう。

そうすると、植松被告はどうでしょうか。
社会の役に立たない人間は生きている価値がないという思想を身につけたのは、自分が社会のモノサシでばかり測られて、一度も愛のモノサシで測られたことがなかったからではないでしょうか。

植松被告の父親は小学校の教師で、母親は一時ホラーマンガを描いていたという情報はありますが、それ以外のことはなにもわかりません。

美帆さんの母親は姿を見せましたが、植松被告の両親はまったく姿を見せないところに、この事件のいちばんの闇があります。