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(外出自粛中の猫)

緊急事態宣言を受けて、休業要請する範囲について国と都が合意しましたが、その内容がきわめて不可解です。

たとえば百貨店です。
当初、東京都は百貨店にも休業要請する方針と伝えられていましたが、国と都の合意では百貨店は除外されました。
すでにいくつかの百貨店は全面休業を決めていましたが、合意成立によりデパ地下の食料品売場だけ営業再開するところがありました。
百貨店はどこも閑古鳥が鳴いていて、客よりも店員のほうが多いのではないかと思えるぐらいですが、デパ地下の食料品売場は人気で、いつも人がいっぱいです。いちばん感染リスクの高いところを営業するわけです。デパ地下で売られているのは高級品ばかりで、生活必需品ともいえません。

どういうことかと思ったら、朝日新聞の『「なんて勝手」国が百貨店を非難 デパ地下休業で板挟み』という記事にこんなことが書かれていました。

 宣言が出る前の6日夜に公表された東京都の対応案で、要請範囲に百貨店が含まれていたこともあり、百貨店大手は7日に早々と当面の臨時休業を相次ぎ発表した。食料品フロアを含めて全面的に休むところも出た。
 これに、政府側がすぐさま反応した。「なんて勝手なことをしてくれるんだ」。宣言が出た7日夜、大手4社のトップが東京・霞が関の経済産業省の庁舎に呼ばれ、宣言前に当面の休業を決めたことをそう非難された。関係者によると、経産省がこだわっていたのは食料品を売る「デパ地下」だ。

 緊急事態宣言では、各知事が使用制限を要請できる施設に百貨店も含まれている。ただ、食品や医薬品といった生活必需品は除外されており、政府は「『デパ地下』は営業を続けてほしい」(経産省幹部)との立場だった。都心にはタワーマンションに住んでいる人も多くなり、「都心回帰が進み、デパ地下をスーパーのかわりに使う人も多い」(同)との理由からだ。 
https://digital.asahi.com/articles/ASN4B64C6N4BULFA033.html?pn=9

「デパ地下をスーパーのかわりに使う人」とはまさに“上級国民”です。
安倍政権は感染防止よりも上級国民への配慮を優先させていたのです。


居酒屋についても、都は休業要請の対象にしようとしましたが、国は居酒屋の定義があいまいなどとして難色を示し、結局、居酒屋に限らずすべての飲食店は朝5時から夜8時までの営業、アルコールの提供は夜7時までということで合意しました。
まさに足して二で割るという典型的な妥協案です。

飲食店は人と人が接触しやすい場なので、全面的に休業にするか、営業するなら席と席の間隔を開けるとか、店舗の広さに合わせて人数を制限するといった対策が考えられます。
営業時間やアルコール提供の規制は、ウイルスにはまったく関係ないので、意味不明です。

夜8時までというのは、「夜遊びはやめましょう」ということでしょう。
これは「感染防止」ではなくて「道徳」です。


今回の休業要請先リストを見ていると、「遊び」を標的にしていることが見てとれます。
普通の喫茶店は営業できるのに(夜8時まで)、マンガ喫茶とネットカフェは休業要請の対象です。
普通の喫茶店では客同士がしゃべることがありますが、マンガ喫茶やネットカフェでは、客は静かにマンガやネットを見ているだけですから、規制は逆であってもいいはずです。なぜマンガ喫茶やネットカフェが規制の対象になったかというと、マンガやネットという「遊び」があるからとしか考えられません。

ゲームセンターも休業要請されますが、ダンスをしたり太鼓をたたいたりするゲームさえ休止すれば、たいていのゲームは指先だけでやりますから、たいして感染リスクがあるとは思えません。パチンコも同じです。要するに「遊び」だから規制されるのでしょう。

キャバレー、ナイトクラブ、バーも休業要請の対象です。
安倍首相は11日、新型コロナウイルス感染症対策本部で、「夜の繁華街の接客を伴う飲食店の利用自粛」を全国に広げることを表明しましたが、「夜の繁華街」というのもウイルスと関係のないことで、要するに「夜遊び」だからいけないのでしょう。


全国的に青少年健全育成条例というのがあって、夜遊びする青少年はこの条例を根拠に補導されますが、今回の休業要請はそれに似ています。
おとなの夜遊びを取り締まろうというのです。

前から政府の専門家会議が「若者は感染しても気づかないまま動き回って感染を広げている可能性がある」と言って、若者に対して行動を抑制するように求めていましたが、動き回れば感染を広げるのは中高年も同じです。
専門家会議も「感染防止」の中に「青少年健全化」を紛れ込ませています。


要するに政府も専門家も「健康」と「健全」の区別がついていないのです。
そのため「夜遊び」や「若者」を取り締まるほうに行って、肝心の「人と人の接触をへらす」という目的が見えにくくなっています。