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朝日新聞の第一面にこんな記事が載るようでは、幼児虐待がなくなる日はまだまだ遠いと思いました。

朝日新聞の「折々のことば」は、短い言葉を紹介する毎日の連載です。多様な言葉を紹介しようとするのはわかりますが、こういう言葉はアウトでしょう。

折々のことば:1845 鷲田清一
2020年6月13日 5時00分

 親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。

 (三砂〈みさご〉ちづる)
     ◇
 親はよくまちがう。よかれと思ってしたことが子どもを傷つけた、痛めつけていたと悔やむことが本当によくある。だから欠点だらけの「私」を許してほしいと祈るような思いでいると、保健学者は言う。子どもから許しを得ることで、自分の親も「まちがいだらけで欠点だらけのただの男と女だった」と許せるようになると。『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』から。https://digital.asahi.com/articles/DA3S14511849.html?_requesturl=articles%2FDA3S14511849.html&pn=4


子どもを傷つけたり痛めつけたりするのは虐待です。
「よかれと思ってした」というのも、虐待する親がよく言う言葉です。

子どもから許してほしければ謝るしかありませんが、この親は「祈るような思いでいる」だけで、謝りはしないようです。
謝りもしないで、子どもから許してもらうこと期待するとは、あまりにも虫のいい考えです。

この子どもにとっては、傷つけられたり痛めつけられたりした上、さらに「許し」を求められるわけです。
子ども自身の救いや癒しはどこにもありません。

ここには「許し」という倫理的なことが書かれているようですが、実際に書かれているのは「虐待の肯定」です。
これでは虐待の連鎖がさらに続いていくことになります。



三砂ちづるというのはどういう人かと思って調べると、2004年出版の「オニババ化する女たち~女性の身体性を取り戻す」という本で物議をかもした人でした。
この本はアンチフェミニズムだということでバッシングを受けましたが、三砂氏本人はアンチフェミニズムという自覚はないようです。
私はこの本は読んでいませんが、今回の「折々のことば」を読む限りでは、親子関係が正しくとらえられていないので、男女関係も正しくとらえていないのかなと想像します。

三砂氏について知るには、次のインタビュー記事が詳しいかと思います。

「018 疫学者・作家 三砂ちづるさん Interview」



ところで、私は「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ」という見出しを見たとき、「親になるとは、許すことを学ぶことなのだ」とまったく逆に誤読してしまいました。
「親になるとは、許すことを学ぶことなのだ」ということなら、私にもすんなりと理解できます。

親は子どもに対して、おとなしく、行儀よく、聞き分けのいい子であることを期待し、そうなるように教育・しつけをしますが、これはすなわち虐待への道です。
しかし、たいていの親は、子どもは自分の思うようにならないことに気づいて、子どものいたずらや行儀悪さや聞き分けのなさを許すようになり、まともな親になります。

三砂氏は、「子どもを許す親になる」というまともなことを言うのではなく、「子どもから許される親になる」という論理のアクロバットを展開しました。
そして、鷲田清一氏はそのアクロバットにだまされて、「折々のことば」に採用してしまったようです。

朝日新聞の第一面に、虐待や暴力を肯定する言葉が載っていて、びっくりしました。