hollywood-117589_1920

人種差別問題で揺れるアメリカにおいて、ハリウッドは人種差別反対に熱心だとされています。
ハリウッドの大勢はリベラルで、反共和党、反トランプですし、最近はマイノリティに配慮した映画づくりをしているようです。
そして、9月9日、アカデミー賞の作品賞の新しい選考基準が発表され、そこでもマイノリティに配慮した基準が示されました。

『アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など』

これに対して「ハリウッドはリベラルに乗っ取られた」「ポリコレばかりの映画はつまらない」「アカデミー賞が黒人ばかりになってしまう。逆差別だ」などの声が上がっています。

こんなことを言う人は、これまでのアカデミー賞が白人ばかりのものだったことが見えていないのでしょう。
というか、ハリウッド映画は人種差別、性差別を助長するようなものばかりでした。

ですから、私などは、ハリウッドがマイノリティ尊重だとか言っても、うわべだけではないかと疑ってしまいます。

たとえば、社会における女性の地位向上を反映して、最近はハリウッド映画でも会社や組織で高い地位についている女性がよく登場します。主人公(男性)の上司が女性であるというケースもしばしばです。
ところが、こうしたケースはたいてい、女性上司は冷酷なもうけ主義者だったり陰謀をたくらんでいたりする悪役です。
こうしたケースはあまりにもありふれていて、今、具体的なタイトルが思い浮かびませんが、「あるある」と納得する人が多いのではないでしょうか。

映画会社の偉い人は、女性軽視と見られないために高い地位の女性を登場させなければならなくなったとき、「そうだ、この悪役を女性に演じさせよう」といった感じで、自分の性差別意識をもぐり込ませるのでしょう。

映画の中で高い地位の女性が悪役ばかりだと、女性が高い地位につくのはよくないという風潮が形成されかねません。


今回作成された新基準は、A、B、C、Dと4つあって、そのうちの2つを満たせばいいことになっています。映画の内容に関する基準はAだけで、あとの3つはスタッフにマイノリティを起用するといったものです。

そのAの基準は次のようなものです。

(A)作品のキャスティングやテーマ

 ・主役または重要な助演俳優に、少なくとも1人は、アジア人、ヒスパニック系、黒人・アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、中東出身者、ハワイ先住民含む太平洋諸島出身者など、人種または民族的マイノリティーの俳優を起用しなければならない。

 または

 ・二次的およびマイナーな役の少なくとも30%は、女性、人種/民族的少数派、LGBTQなどの性的マイノリティー、障がい者のうち2つのグループの俳優を起用しなければならない。

 または

 ・作品のストーリーやテーマが、女性、人種/民族的少数派、LGBTQなどの性的マイノリティー、障がいを持つ人などをあらわすものである。


重要な助演俳優にマイノリティを起用するというのは、すでにかなり行われていますから、それほどきびしい基準ではありません。
それに、Aの基準を満たさなくても、B、C、Dのうちの2つを満たせばいいので、かなり甘い基準といえます。

ただ、煩雑な基準ではあります。「ポリコレにはうんざりだ」と言いたい人の気持ちがわからないではありません。


映画で重要なのは主役です。主役が男性か女性か、白人か黒人かで、その映画はまったく変わってきます。
ところが、この新基準は「主役または重要な助演俳優」となっていて、しかも「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにすればいいという抜け道があるので、すべての主役を白人男性にすることが可能です。


2008年制作の「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド監督・主演)という映画があります。ウィキペディアを参考に物語を紹介します。
デトロイトに住むコワルスキー(クリント・イーストウッド)は長年自動車工場で働いて今は引退し、グラン・トリノ(古きよきアメリカ車)を愛車にしていますが、街には日本車があふれ、住人もアジア系が多くなっています。がんこさゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人たちと悪態をつつき合い、国旗を掲げた自宅のポーチで缶ビールを飲んですごしています。今の典型的なトランプ支持者のような設定です。
隣家にモン族(中国やベトナム原住)の姉弟が住んでいますが、差別主義者のコワルスキーは相手にしません。しかし、不良にからまれているのを助けたことから親しくつきあうようになり、最後は凶悪なギャングから姉弟を救い、感謝と敬意を捧げられます。
コワルスキーは最初から最後まで差別主義者のままなのですが、最後は自分が差別している相手から感謝と敬意を捧げられるという、なんとも好都合な展開になっています。

クリント・イーストウッドは、マイノリティに配慮しなくてはいけないというハリウッドの空気を敏感に察知してこの映画をつくったのでしょう。
登場人物の多くは隣家の姉弟、不良、ギャングというアジア系なので、「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにするという基準は楽にクリアしています。
しかし、いくらマイノリティがたくさん登場しても、みんな主人公の引き立て役と敵役です。

「ダイ・ハード」シリーズや「ランボー」シリーズには、中東のテロリストを殺しまくるのがありますが、これもマイノリティが一定数以上登場するという基準に合っていることになります。

エンターテインメントのストーリーの基本は、善人が悪人に苦しめられているところに正義のヒーローが登場して、悪人をやっつけ、善人を救うというものです。
正義のヒーローからすれば、善人は引き立て役、悪人は敵役です。
引き立て役や敵役にマイノリティが多くいても、たいした意味はありません。

正義のヒーローがつねに白人男性であることこそハリウッドは改めるべきです。


「黒人俳優ランキング」で調べると、トップはウィル・スミスであるようです。
ウィル・スミスの主演作はいっぱいありますが、たとえば「メン・イン・ブラック」シリーズは、敵役が人間でなくエイリアンです。「アイ・アム・レジェンド」は、地球最後の男という設定ですし、「アフター・アース」は人間のいない異星で息子とともにサバイバルする物語です。
正義のヒーロー役はあまりやっていないのではないでしょうか。
少なくともブルース・ウィリスやシルベスター・スタローンのように悪人を殺しまくる役はやっていません。

白人俳優は正義のヒーローとして人を殺す役ができるが、黒人俳優に同じ役ができないとすれば、これは白人至上主義にほかなりません。

ハリウッドはリベラルだといっても、所詮は白人富裕層が支配するところです。

「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにするなどという基準はほとんど意味がなく、むしろごまかしです。
ハリウッドが人種差別撤廃に本気なら、「マイノリティが主役の映画を少なくとも30%にする」という基準をつくるべきです。