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9月16日、菅新内閣が発足しました。
安倍首相が辞任表明をしたのは8月28日です。その時点で、菅義偉氏が首相になると予想していた人がどれだけいたでしょうか。

自民党総裁選が菅候補の圧勝だったのは、派閥力学だけでは説明できません。地方票もかなり菅候補に流れました。
国民の人気も、それまでは石破茂候補がトップでしたが、あっという間に菅候補が上回りました。
共同通信社が8、9両日に実施した世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」と尋ねたところ、菅義偉官房長官が50・2%でトップ。石破茂元幹事長が30・9%、岸田文雄政調会長が8・0%となりました。

これはやはり安倍首相が菅氏を後継指名したからでしょう。
安倍人気が菅人気にシフトしたのです。

今、私は「安倍首相が後継指名した」と書きましたが、安倍首相は公では後継指名はしていません。
そのためマスコミも「安倍首相が後継指名した」とは書きません。
代わりに「二階幹事長の手腕で菅支持の流れをつくった」とか「五派閥の結束で菅氏が当選した」などと書いています。
しかし、二階幹事長が手腕を発揮したのも、五派閥が結束したのも、すべて安倍首相の意向を受けたものに決まっています。


これまで安倍首相と菅官房長官は一心同体で政権運営に当たってきました。
今回、裏の顔だった菅官房長官が表の顔になり、安倍首相は裏に回りました。
菅政権はいわば二人羽織りで、菅氏が顔で、安倍首相が裏から手を動かすという分担です。

国民もそのことをわかっています。菅氏個人を支持する国民がそんなにいるとは思えません。裏に安倍首相がいるから菅氏を支持しているのです。


8年間という史上最長の政権は、国民の意識を大きく変えたようです。
国民は安倍首相を“個人崇拝”するようになったのです。

個人崇拝においては、政策はどうでもいいことです。
安倍応援団はみな反中国ですが、安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めても安倍支持に変化はありませんでした。

石破氏は正統な保守で、安倍首相以上のタカ派です。しかし、安倍応援団は石破氏が反安倍の態度をとってきたというだけで、「後ろから鉄砲を撃った」と言って石破氏を非難しました。
そして、国民もけっこうそれに同調して、石破氏の人気は低下しました。


国家指導者の個人崇拝は今や世界的傾向です。
どこの国と言うまでもなく、世界の主要国のほとんどがそうです。

昔は、国家指導者のあり方というのは、新聞記事を通してしか知ることができませんでした。
それが今やテレビとインターネットを通して、国民は指導者を身近に感じることができます。
そうすると、国民は指導者に対して家族のような親しみを感じます。
国家指導者個人と国民一人一人が対峙すると、圧倒的な力の差があります。
人間がこのような力の差を体験するのは、子どもが親に対峙したときだけです。
ですから、国民は指導者を身近に感じると、自分の親(とくに父親)を想起し、イメージを重ね合わせます。

親子関係が社会関係に反映されることはパターナリズムと呼ばれます。
ウィキペディアにはこう説明されています。
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。

日本語では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。同じ語源をもつ英語の「ペイトロナイズ(patronize )」では「子供扱いをする・子供だまし(転じて「見下す・馬鹿にする」とも)」という意味になる。

温情主義と父権主義ではずいぶん意味が違いますが、それは実際の父親がさまざまだからです。強権的な父親もいましすし、温情のある父親もいます。

パターナリズムは上から見た言葉ですが、国民一人一人の心理に注目すると、社会の権力関係に親子関係が投影されることになります。
早い話が、テレビで安倍首相の顔をいつも見ていると、無意識のうちに自分の父親の顔が重なってきて、父親に対する愛憎が安倍首相に向けられるというようなことです。
愛憎といっても、愛が向けられるか、憎しみが向けられるかでぜんぜん違ってきます。
そういうことから安倍応援団と反安倍派に分かれるということも言えます。

少しでも心理学をかじったことのある人なら、親に対する感情が他人や社会にも向けられるということは理解できるでしょう。
こういうことは政治心理学としてもっと研究されていいはずです。


この心理をもっとも巧みに利用したのがヒトラーです。
ヒトラーは激しい調子の演説で父親のような強さを示し、一方で、笑顔で子どもの頭をなでたり赤ん坊を抱き上げたりするパフォーマンスでやさしい父親を演じました。

レーガン大統領は包容力のある父親像を演じて人気になりました。
トランプ大統領は、暴力と暴言の父親像を演じています。
アメリカの家庭にDVが蔓延している反映でしょうか。

安倍首相は野党を攻撃したり、スキャンダルを強引に封印したりすることで強い父親像を演じたのかなと思います。


国民が国家指導者を父親のように見なすと、指導者は超法規的存在になります。
誰も自分の家族が犯罪をしても警察に売ろうとしないのと同じことです。

トランプ大統領は山ほど嘘をつき、公私混同をし、疑惑の行為も山ほどしていますが、支持者はまったく気にしません。
安倍首相も、モリカケ問題、桜を見る会問題などで追及され、公文書改ざん、記録廃棄などが明白になっても、支持者は気にしません。

知識人はこういう事態を理解できていないようです。
知識人は「法の支配」を適用すべきだと思っているのですが、支持者は家族関係に「法の支配」を持ち込むべきでないと思っているのです。

今後は国民のこうした「政治心理」に光を当てていく必要があります。



ところで、菅首相の就任記者会見を見ました。


言葉に力がなく、権力者らしいところがまったくありません。
むしろ弱々しく見えて、心配になるほどです。
もっとも、これまで裏では権力をふるってきたわけです。

裏の顔が表の顔になって、今後どうなるのか、見ていきたいと思います。