村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 菅義偉政権

2021-09-03
TBS NEWSより

菅義偉首相が総裁選不出馬、つまり首相辞任を表明してから、けっこう菅首相に同情する声があるそうです。それはわからないでもありません。

それにしても、菅首相の言う辞任理由はひどすぎます。
9月3日午後1時すぎ、菅首相は記者の前で「コロナ対策と総裁選の選挙活動は両立できない。コロナ対策に専任をしたい」と辞任の理由を語りました(マスコミは「専念」と報じていますが、菅首相は「専任」と3回も言っています)。

実際は、不人気になったから辞任するのです。
なぜ不人気になったのかについて率直な反省の言葉が必要です。

本人が反省の言葉を述べないので、代わりに私が書きます。
このブログで菅首相をいろいろ批判してきたまとめでもあります。


菅首相がもっとも反省するべきは、コロナ対策の失敗です。
菅首相はつねに感染拡大の深刻さを軽視し、同じ失敗を繰り返しました。
最初はGoToキャンペーンに固執して感染拡大を招きました。
緊急事態宣言を発出するときは「短期集中」とか「今回が最後となるような覚悟で」などと楽観的な見通しを示し、結果的には宣言期間の延長、再延長となるのが常で、国民はうんざりしました。
「決め手はワクチン」という言葉を繰り返しましたが、ワクチンの確保は先進国ではどこよりも遅れました。
最初に「コロナ対策と経済の両立」を目指したのも間違いです。コロナ対策を優先するべきでした。コロナの抑え込みに成功すれば、そのあとは労せずして経済は回っていきます。

実は、政策について批判できるのは、大きなことではこれぐらいです。
ほかはデジタル庁の創設とか、2050年温室効果ガスゼロ宣言とか、広島のいわゆる黒い雨訴訟で上告しないことを決めるとか、評価するべきこともあります。

では、コロナ対策以外に菅首相に大きな問題はないのかというと、そんなことはありません。
政治手法と人格に問題がありました。


「菅首相は原稿の棒読みはやめて、自分の言葉で国民に語りかけるべきだ」とよく言われますが、菅首相が答弁のときにカンペを読むのは官房長官時代からやっていたことです。
官房長官の定例記者会見で、記者は質問を事前通告し、官僚が答えを用意し、菅官房長官はそれを読むだけでした。
たとえば昨年、韓国の民間植物園に、慰安婦像の前で安倍首相らしき人物がひざまずいて頭を下げている「永遠の贖罪」と題された造形物が設置され、7月28日の定例記者会見でTBS記者がこのことについて質問すると、菅官房長官は「国際儀礼上許されない」「日韓関係に決定的な影響を与える」と強い調子で韓国を批判しましたが、このとき手元の原稿を見ながら「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓合意」と正式名称を言いました。つまりこの質問があることはわかっていて、答えも用意されていたのです(このやり方に従わなかったのが東京新聞の望月衣塑子記者です)。

昨年9月の総裁選のとき、自民党の青年局・女性局主催の公開討論会が行われ、菅義偉氏、石破茂氏、岸田文雄氏の三候補が出席しました。
これは「討論会」と銘打っていますが、互いに討論することはなく、会場からの質問に三人がそれぞれ一分以内で答えるという「三人そろっての質疑応答」というものでした。
そして、菅氏は質問に対して、ほとんど下を見ながら答えていました。
つまり質問は事前に知らされ、菅氏は答えの原稿を読んでいたのです。このときからすでに棒読みでした。
石破氏、岸田氏も同じ条件だったはずですが、両氏は前を向いて力強い言葉で語っていました。
石破氏、岸田氏は、国民に力強く語りかける能力をアピールしていたわけですが、菅氏にはそんな気持ちがまったくなかったのです。

菅首相としては、官房長官のときも総裁選のときも棒読みでやってきて、それで通用してきたので、改める気持ちもないのでしょう。
今回の辞任発表という重要な場面でも、「専念」を「専任」と平気で言い間違えています。

菅首相に対して「原稿の棒読みはやめて、自分の言葉で国民に語りかけるべきだ」と言うのは、ずっと飛ばないできたニワトリに対して「飛べ」と言うみたいなものです。


菅首相は名官房長官と言われ、それなりの能力はありました。どういう能力かというと、人事権で脅して官僚を思い通りに動かすなど、権力行使が巧みだったことです。
その能力が生かされたのがワクチン接種の加速化です。
菅首相は5月初め、1日100万回の接種を目標に掲げ、「私自身が先頭に立って加速化を実行に移す」と言明しましたが、ほとんどの人は不可能と思っていました。しかし、菅首相は総務省の地方交付税担当課長に自治体に電話をかけさせるなどの手を使って、目標を達成しました。
しかし、こうしたことは“裏工作”であって、首相本来の仕事ではありません。

菅首相の目玉政策は、携帯料金の値下げですが、これも本来は水面下で携帯会社に働きかけて実現することです。公然と政治公約のようにして語られるのは、自由経済の原則にも法令にも反します。

日本学術会議の新会員6人を任命拒否したことも、人事権で脅して従わせるという菅首相得意の手法ですが、首相が表立ってやったために大ごとになりました。


つまり菅首相は、表に立つ人間ではなく、裏で仕事をするのが向いたタイプです。
もともと首相になるべき人間ではなかったのです。


菅氏が「首相の器」でないことは誰もがわかっていたはずです。
それがどうして首相になったかというと、安倍内閣で官房長官だった菅氏が首相になれば安倍体制がそのまま継続して、安倍前首相を初めとする派閥のボスたちに都合がよかったからです。
そのため総裁選で各派閥が菅支持に回りました。

で、「派閥の締めつけ」なるものが行われたとマスコミは言うのですが、これが私には理解できません。
自民党総裁選の投票は無記名です。
各議員は、派閥のボスの言うことなど無視して、自分の思う通りに投票すればいいはずです。
もしかすると、投票用紙にひそかに印がつけられているか、その可能性があって、自由に投票できないのだろうかと考えたりしました。
実際のところは、国会議員にとっては「派閥の利益は自分の利益」ということなのかもしれません。

もっと不可解なのは、党員による地方票も菅氏が有利だったことです(菅氏89票、石破氏42票、岸田氏10票)。
三候補の公開討論会などを見れば、菅氏が首相に不適格であることは明らかです。
自民党員の見識が疑われます。


なお、菅氏が首相になったのには、国民にも責任があります。
陰険な感じの菅氏はずっと国民に不人気でしたが、改元のときに「令和おじさん」として人気になり、その後、「パンケーキおじさん」「スイーツおじさん」とも呼ばれて、若い女性から「かわいい」と言われているという報道がよくありました。
そのため菅氏も首相への色気を出したに違いありません。
そうした勘違いの挙句に、「こんにちは、ガースーです」という発言もあったのかと思います。


ともかく、首相の器でない人間が首相になったので、国民はたいへんでした。
私も菅首相を批判するときに困りました。
コロナ対策を批判するのは政策的なことなのでいいのですが、菅首相の政治手法は、菅首相の長年の政治家人生の中でつちかわれたもので、人格と結びついています。71歳(首相就任時)にもなって急に変えられません。
先ほど「ニワトリを飛べないといって批判する」という例を使いましたが、本人にできないことを求めるのは、求めるほうが間違っています。
ですから、菅首相を批判していると、どうしても批判の筆が鈍ってくるのです。
菅首相に同情の声があることも理解できます。

自民党の国会議員、地方党員には、今度は少なくともこちらが遠慮なく批判できる人間を選んでほしいものです。

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会公式サイトより

東京オリンピックが終わりました。

閉会式は開会式以上にひどいものでした。
開会式にはドローンの編隊飛行とかピクトグラムのパントマイムとか、少しは見どころがありましたが、閉会式にはなにもありません。
光の細かい粒が川のように流れて五輪マークをつくる場面があって、これはいったいどういう仕掛けだろうかと思ったら、ただのCGによる映像で、会場の人にはなにも見えていないのでした。

「ろくな内容がないので音楽の力に頼ろう」という意図からか、音楽が多用されました。
もっとも音楽の間、ダンスやパフォーマンスが繰り広げられるのですが、これが「にぎやかし」としか思えない無意味なものです(「東京の休日の昼下がりの公園」を再現し、東京観光ができなかった海外選手たちに東京体験の場をつくりだそうという意図だったそうです)。

「東京音頭」の盆踊り、アオイヤマダさんの鎮魂のダンス、大竹しのぶさんと子どもたちによる宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」などもあるのですが、全体が無意味で退屈と、酷評の嵐です。


開会式がだめだった理由については、このブログで「東京五輪開会式はなにがだめか」という記事に書きました。
閉会式がだめなのも同じ理由です。安倍晋三前首相や森喜朗前東京五輪組織委会長が「ニッポンすごい」というナショナリズムの枠をはめていたからです。

閉会式でも国旗掲揚と「君が代」がありました。
開会式で国旗掲揚があったので(夜中に国旗掲揚はおかしいと思うのですが)、閉会式ではその国旗を降ろすのかと思ったら、また掲揚です。
大きな日の丸が日本人メダリストなど6人に運ばれて入場し、自衛官にバトンタッチされ、宝塚歌劇団の「君が代」斉唱とともに掲揚されるのですが、この一連の動作に5分間かかっています。
「君が代」斉唱は無意味ではありませんが、日の丸の入場行進は時間のむだで、こんなものを世界の人に見せようとする思想が間違っています。
日本の右翼の自己満足です。

安倍氏や森氏から制作チームに対して「日本の素晴らしさを表現しろ」という指示があったに違いありません。
そのため、各地の民謡の紹介や盆踊りや宮沢賢治の歌が盛り込まれました。
しかし、民謡というのは、日本人にもあまり人気がないからローカルな存在なので、世界の人が素晴らしいと思うわけがありません。
盆踊りは、踊っている人が楽しいので、人に見せるための踊りではありません。
宮沢賢治の詩は素晴らしいといっても日本語です。宮沢賢治の曲だけでは世界の人にはなにも伝わらないでしょう。

なお、宮沢賢治の歌を使ったことについて、開閉会式のエグゼクティブプロデューサーである日置貴之氏は、宮沢賢治が岩手県出身であることから、「東日本大震災からの復興の思いを込めた」と意図を説明しました。
しかし、それは世界の人に理解されませんし、日本人にもまず理解されません。

電通が編成した制作チームは(日置氏は博報堂出身)、日ごろからスポンサーの要望を受け入れることに長けているので、「国旗掲揚をやってくれ」「日本文化を入れてくれ」「復興も入れてくれ」と要望されると、すぐさまそれを実現したのでしょう。
そのため統一性がなく、意味不明になってしまいました。

ちなみに開会式で大工の棟梁のパフォーマンスと木遣り唄があったのは、週刊文春によると、都知事選で火消し団体の支援を受けた小池百合子都知事の強い要望があったからだということですし、聖火ランナーに長嶋茂雄氏と王貞治氏とともに松井秀喜氏が登場したのは、森氏が同郷(石川県)の松井氏を推したからだといわれています。

本来なら政治家など組織のトップは、才能あるクリエーターを選んだら、その人間が自由に仕事ができるようにささえるのが仕事ですが、今の政治家はやたら口を出すようです。
そのためまともなクリエーターは逃げ出して、政治家の口利きを受け入れるクリエーターばかりが残ります。


安倍氏と森氏は、税金を出す立場なのでスポンサーみたいなものです(安倍氏は今も東京五輪組織委の名誉最高顧問ですし、森氏を名誉最高顧問に復帰させる案があるとの報道が先月ありました)。
開閉会式は、基本的に安倍氏と森氏の望んだものになったはずです。
彼らは「大きな日の丸が会場に掲揚されるのを見て感激した」とか「日本文化を世界に発信できて誇らしかった」という反応を期待したのでしょう。
しかし、私はその手の反応をひとつも目にしませんでした。

これは考えてみれば当然のことで、開閉会式は世界の人が見るので、日本人も世界の人の視点で見たからです。
そうすると、国旗掲揚はただの時間のむだと思えますし、宮沢賢治の歌ではなにも伝わらないこともわかります。
安倍氏と森氏らの偏狭なナショナリズムは国際的イベントと相容れません。


多額の税金をつぎ込んだ開閉会式で、日本は世界に恥をさらしました。
そのために日置氏らの制作チームが批判されています。
確かに日置氏らにも責任はありますが、やはりいちばん責めを負うべきは安倍氏と森氏です。

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首相官邸ホームページより

東京五輪が始まってから、ニュース番組のオリンピック関係は「日本人選手がメダルを獲った」というものばかりです。

日本人選手以外のことはほとんど報道されません。
競泳でいくつも世界新記録が出ているので、「世界新記録が出ました」という報道もあっていいはずですが、私の目には止まりませんでした。

種目のことやプレーの内容も、少なくともニュース番組ではほとんど報道されません。
13歳の西谷椛選手がスケートボードで金メダルを獲ったときはかなり騒がれましたが、「スケートボード女子ストリート」という種目の内容がよくわかりませんし、西谷選手のプレーのどこがすごいのかもよくわかりません。ただ「金メダルを獲った」ということだけで騒いでいます。

アーチェリーやフェンシングのようなマイナースポーツは、メダル獲得を機会にスポーツの内容が紹介されてもいいはずですが、そういうこともありません。

こういう報道を見ていると、オリンピックがほかのスポーツ大会とまったく違うことがわかります。
スポーツの内容はどうでもよくて、日本人選手のメダル獲得にだけ関心があるのです。


なぜそうなるかというと、オリンピックは「国別対抗メダル獲得合戦」だからです。
メダル獲得数のいちばん多い国がその大会の優勝国となり、以下、メダル数に応じて各国の順位が決まります。
そのため、各国の国民は自国のメダル獲得を応援して盛り上がるわけです。ここが普通のスポーツ大会と根本的に違うところです。

もっとも、オリンピックは国別対抗メダル獲得合戦であるという規定などありません。
むしろオリンピック憲章には「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」という規定があります。
しかし、開会式では各国選手団は国旗を先頭に入場行進をし、各種目ごとに表彰式があって、そのつど金メダルには国歌演奏、金銀銅メダルには国旗掲揚が行われ、憲章とは逆に国家間の競争をあおる演出になっています(IOCは建前と実態がまったく違います。建前ではあらゆる差別を否定していますが、実態は白人男性至上主義、ヨーロッパ至上主義です)。

東京五輪組織委員会の公式ウェブサイトには「メダル順位」というページがあって、メダル獲得数の順番に国名が並んでいます。
マスコミもメダル獲得数による各国の順位を必ずといっていいほど報道しています。私が確認した範囲だけでも、ヤフー、読売、朝日、毎日のウェブサイトに各国のメダル順位が示されています。

こうしたことで各国国民のナショナリズムや愛国心が刺激され、それによってオリンピックは世界的大イベントになったわけです。


今のところ日本は好調で、メダル順位も中国、アメリカに次いで3位です。
日本のメダルラッシュで、東京五輪開催に否定的だった国民感情が変わり、菅内閣の支持率も上がるという説があります。
もともと「東京五輪を成功させて、それで内閣支持率を上げ、総選挙に勝利する」というのが菅政権の戦略でした。

しかし、日本人選手が好成績なのは、選手ががんばったからで、菅首相ががんばったからではありません。それで支持率が上がるでしょうか。
ただ、菅首相は日本のリーダーなので、日本人選手団とイメージとして結びつきやすいということはあります。
菅首相もそれをねらっているようです。

菅首相は7月25日、日本人選手で金メダル第1号となる柔道男子60キロ級の高藤直寿選手に官邸から電話し、祝福の言葉を述べました。
しかし、これは「人気取りが見え見えだ」とか「祝福の言葉もカンペを読んでいる」などと評判が悪かったので、それからは電話はやめてツイッターに切り替えたようです。

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東スポWebの『田崎史郎氏 菅首相 “五輪偏重SNS” に「スタッフのミス」「総理がやってるわけじゃない」』という記事によると、五輪開幕以降、1日正午までの時点で、菅首相のツイートは「オリンピック関係」が22回、「感染拡大への注意喚起」が3回となっているそうです。
オリンピックの政治利用の意図が見え見えです。


そもそも「東京五輪の成功で内閣支持率アップ」という考えには根本的な間違いがあります。
というのは、菅首相は東京五輪について「私は主催者ではない」とか「開催はIOCに権限がある」と言っていて、菅首相が開催を決断したわけではなく、“時間切れ開催”だったからです。

「東京五輪の成功で内閣支持率アップ」を目指すなら、菅首相は自分の責任で開催を決定するべきでした。
具体的には「五輪開催によって感染が拡大する可能性がないとはいえないが、五輪開催の意義はそれよりも大きい」と主張して、開催に反対する野党と論戦し、国民を説得するのです。
その時点では、菅首相への批判が強まり、支持率は下がったかもしれません。
しかし、五輪を開催して、日本人選手のメダルラッシュになり、感染はそれほど拡大しなければ、国民は「開催してよかった」と思い、支持率は爆上げしたでしょう。

もちろん日本人選手の成績がふるわなくて、感染が拡大するだけなら、開催を決定した菅首相はきびしく批判されます。
そういうリスクを冒してこそ支持率アップという成果も得られるわけです。


菅首相は五輪開催の責任は負わず、それでいて開催がうまくいったときの恩恵は受けようとしたのです。
なんとも虫のいいことを考えたものです。
菅首相だけでなく、政権全体がそれで動いていたのにはあきれます。
「やってる感」を演出することばかり考えていて、誰もが「責任を取る」ということを忘れてしまったのでしょう。

すでに新型コロナの感染者数が急増して、メダルラッシュによるお祭りムードに水を差しています。
これは天罰でもなんでもなくて、菅首相が感染対策をおろそかにしたせいで、自業自得です。

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西村やすとしオフィシャルサイトより

東京五輪開催目前にして菅政権の迷走ぶりがきわだっています。
東京都はまん延防止等重点措置の継続かと思ったら緊急事態宣言になり、五輪は有観客になるのかと思ったら無観客になり、その挙句に出てきたのが、酒類提供をやめない飲食店に対して「金融機関からも働きかけてもらう」という西村康稔経済再生担当相の発言です。
この発言は大批判されましたが、決して西村大臣の思いつきではありません。むしろ菅政権の重要政策です。

西村大臣は7月8日の記者会見で、酒類提供停止の要請に応じない店舗の情報を金融機関に提供し、金融機関から働きかけてもらうと述べました。
店舗に働きかけるのは行政の仕事です。金融機関にさせる法的根拠がありませんし、金融機関を使って店舗に圧力をかけようという発想は卑劣です(独占禁止法が禁じる「優越的地位の濫用」に当るとも指摘されています)。

この発言が批判されても西村大臣は翌9日午前の記者会見で、「真面目に取り組んでいる事業者との不公平感の解消のためだ」と釈明して、発言は撤回しませんでした。
加藤勝信官房長官も9日午前の記者会見で、西村発言について「金融機関に感染防止策の徹底を呼び掛けていただきたいという趣旨だ」と説明し、発言に問題はないとしていました。

しかし、批判がやまないために、加藤官房長官は9日午後の記者会見で「金融機関などへの働きかけは行わないことにしたと西村担当相から連絡を受けた」と述べて、西村発言は事実上撤回されました。


しかし、西村大臣がやろうとしたのは、金融機関を通じての働きかけだけではありません。
西村大臣は8日の記者会見で、酒類卸業者に対して、酒類提供停止の要請に応じない店舗とは取引を停止するよう要請したと述べました。
つまり酒類提供停止の要請に応じない店舗には、酒類卸業者と金融機関の両方から圧力を加えようとしていたのです。

酒類卸業者への要請は、国税庁からの文書として8日付ですでに出されていて、「酒類販売業者におかれては、飲食店が要請に応じていないことを把握した場合には、当該飲食店との酒類の取引を停止するようお願いします」と書かれています。

2021-07-11
ANNnewsより

酒類卸業者は国税庁の免許が必要な業種ですから、国税庁からの要請は相当な圧力になります。
ただ、これは独禁法違反のような問題はなく、すでに文書化されていたためか、いまだに撤回されていません。

東京都はまん延防止等重点措置から緊急事態宣言に変わりましたが、中身はほとんど変わらず、唯一変わったのが、飲食店の酒類提供が午後7時まで許されていたのが全面禁止になったことです。
ですから、飲食店が禁止の要請に従わず従来通り酒類提供を続ければ、緊急事態宣言の効果はないことになり、感染者の増加も変わらないことになります。
そうするとオリンピック期間中、毎日新規感染者数の増加がニュースになり、オリンピックムードに水を差すことは必定です。

現在、酒類提供は午後7時までという要請を無視して営業を続ける飲食店が増えています。こういう店には緊急事態宣言もあまり効果がないでしょう。緊急事態宣言下でも要請を無視する店は増えてくるかもしれません。
どうして飲食店に酒類提供をやめさせるかということは政府内で議論されたはずです。
そうして出てきたのが、飲食店に卸業者と金融機関のふたつのルートから圧力をかけるという方法です。
裏から手を回すというヤクザみたいな手口で、しかも効果にも疑問がありますが、なんとか飲食店に言うことを聞かせたいという必死さは感じられます。

緊急事態宣言と、飲食店にふたつのルートから圧力をかけるという政策は、一体のものとして実施されました。
当然、菅首相がこの政策を知らないはずありません。
いや、むしろ菅首相の発案ではないかと思われます。
菅首相の得意のやり方だからです。


菅政権は4月ごろからワクチン接種を強力にプッシュし、7月末までに高齢者への接種を完了させるように各自治体に圧力をかけました。
このとき、普通は厚労省が動きそうなものですが、総務省からも働きかけがありました。

群馬県太田市の清水聖義市長のところには総務省の地方交付税課長から電話があり、市長は地方交付税増額の話でもあるのかと期待したら、7月末までにワクチン接種を完了させるようにという話だったということです。市長はこのことを市の広報誌に書いたので、広く知られるところとなりました。

厚労省から言われるより、地方交付税を差配する総務省から言われたほうが、自治体としては重く受け止めざるをえません。
中日新聞の『「7月完了」政権ごり押し 高齢者ワクチン接種、市区町村86%「可能」』という記事によると、これが太田市だけでないことがわかります。
「妙な電話が来ている」。四月二十八日の千葉県内の会合。ワクチン行政を担う厚生労働省ではなく総務省から、首長を指名し、接種完了の前倒しを求めてくることが話題になった。同じ時期、宮城県の自治体職員は「完了が八月以降のところが狙い撃ちされている」と取材に話した。中国地方の県関係者は電話口で「厚労省でなく、うちが動いている意味合いは分かりますね」と言われた。
 関東地方の市長の元にも、総務省の複数の職員から電話が来た。最初、体よく断ると、次には局長から「自治体はわれわれのパートナーだと思っています」と前倒しへの同調を求められた。首長は「まずワクチンを供給して」と、やり返した。

総務省を使って自治体に働きかけるというやり方が、金融機関や酒類卸業者を使って飲食店に働きかけるやり方と同じです。

人の弱みをつく巧妙なやり方ですが、言い換えれば陰湿なやり方です。
こんなことをしていれば、日本全体がモラルのない国になります。


そもそも菅政権の目玉政策であった携帯料金値下げも、総務省が携帯会社に圧力をかけて値下げさせるというものでした。
総務省にも政府にも携帯会社に値下げさせる権限はありません。
携帯料金が不当に高いのであれば、料金表示をわかりやすくするなどして公正な競争を促進する以外に方法はなく、政府が携帯会社に値下げを迫るのは違法行為か、少なくとも不当な圧力です。
こんなやり方をしたのでは、日本の携帯業界は価格決定権が会社ではなく政府にあるということになって、新規参入してくる業者がなくなり、業界の衰退を招きます。

ところが、このやり方がマスコミからも有識者からもほとんど批判されませんでした。
そのため菅首相は勘違いして、やり方をエスカレートさせて、今回の金融機関と酒類卸業者を使って飲食店に不当な圧力をかけるということにいたったのではないかと思われます。


いずれにせよ、飲食店に酒類提供をやめさせることは重要な問題であり、菅首相が関与していないはずはありません。
ところが、菅首相は9日朝、記者から「優越的地位の濫用につながらないか」と問われた際、「西村大臣というのは、そうした主旨での発言というのは絶対にしないと私は思っている」と答えましたが、今のところ菅首相のこの件に関する発言はこれだけです。

西村大臣は各方面からの猛批判にさらされ、辞任、更迭、議員辞職を求める声も上がっています。
しかし、この批判は的外れです。
政治家の失言の場合は、このように個人が批判されますが、今回は政府の政策の問題なので、批判されるのは西村大臣ではなく政府です(西村大臣は記者会見で発表する役回りだっただけです)。
もちろん政府の最終責任は首相にあります。
西村大臣の後ろに隠れている菅首相こそ批判されるべきです。

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安倍晋三インスタグラムより

安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で、東京五輪について「反日的な人たちが今回の開催に強く反対している」と述べて、物議をかもしています。

安倍前首相は、なんでも物事を反対に言う天才です。
IOCの会長や委員たちは「大会が可能になるのは日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているからだ」とか「かりに菅首相が大会中止を求めたとしても、それはあくまで個人的な意見にすぎない」とか「アルマゲドンにでも見舞われない限り、東京五輪は計画通りに開催される」のように、日本人を見下した暴言を吐き続けてきました。
それに反論ひとつせず、従い続けてきた開催賛成派こそ反日的です。


振り返ってみれば、五輪誘致活動のときに「復興五輪」と言ったのも安倍前首相です。

「復興五輪」とはなにかというと、復興庁のサイトを見ると、
「復興しつつある被災地の姿を世界に伝える」
「被災地の魅力を国内外の方々に知っていただく」
「競技開催や聖火リレーなどを身近に感じていただいて被災地の方々を勇気づける」
と書かれていますが、どれも精神論レベルで、具体的に被災地のためになることはありません。
被災地のためを考えるなら、たとえば「五輪の入場料収入の半分を復興費用に回します」などと宣言すればいいのです。そうすれば、被災地のためにも五輪を盛り上げようという機運が高まったでしょう。

「復興五輪」の理念のために、選手村では福島県産食材が提供されることになっていますが、これを韓国や中国のメディアが批判しています。
韓国や中国の批判はともかくとして、福島県産食材を使うことが各国選手団に歓迎されるかというと、そんなことはなく、中には不快に思う人もいるはずです。
これは「おもてなし」の精神にも反します。日本人の自己満足としか思われないでしょう。
安倍前首相は五輪誘致のために被災地を利用しただけです。


安倍前首相は昨年3月、IOCのバッハ会長と電話会談して五輪の1年延期を決めたとき、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として完全な形で東京大会を開催したい」と語りました。
感染症に打ち勝った証を東京五輪に求めるのは根本的な間違いです。証を求めたいなら、PCR検査などに頼るしかありません。広範囲にPCR検査をしてほとんど陰性であれば証となります。

安倍前首相の発想は、「病気が全快した証があれば試合に出場する」というのではなく、「試合に出場すれば病気が全快した証になる」というもので、論理が逆です。
この論理では病気の悪化を招きかねません。

安倍首相の論理は、精神を肉体の上に置く精神主義です。
精神主義でコロナと戦おうというのは間違っていて、実際、安倍前首相はコロナとの戦いに敗れて退陣しました。

安倍前首相は退陣しましたが、その論理は今も菅首相に受け継がれています。
麻生財務相は東京五輪を「呪われたオリンピック」と言いましたが、東京五輪を呪ったのは安倍前首相の精神主義で、その呪いは今も続いています。


菅首相は7月4日にラジオ番組に出演して、「世界全体がコロナ禍という困難に直面しているからこそ、人類の努力や英知を結集して乗り越えられるということを世界に発信したい」と述べました。
安倍前首相の論理と同じです。
五輪を開催して、そのために感染が大きく拡大すれば、日本人の愚かさを世界に発信することになってしまいます。

菅首相は安倍前首相の論理を乗り越えて、合理的に考えないといけません。
本来なら東京五輪を再延期して、「人類がコロナ禍を乗り越えた暁に東京五輪を開催して、人類みんなでスポーツの祭典を楽しみたい」と言いたいところです。
それができないなら、中止にするか、コロナ禍でもむりをして開催するかということになります。菅首相の考えは後者でしょう。

だったら菅首相は「日本は世界に対して五輪開催の責務を果たさなければならない。そのため感染が拡大するかもしれないが、国民には我慢をお願いしたい」と言うべきです。
そうすれば、賛同する国民もいるでしょう。
少なくとも非論理的な不快感がなくなって、すっきりするのは間違いありません。

もっとも、日本の政治はそういう論理的な世界から、はるか遠いところにきてしまったようです。

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西村泰彦宮内庁長官は6月24日の定例記者会見で、天皇陛下が新型コロナウイルス感染状況を大変心配されているとした上で、「国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁を務めるオリンピック、パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察している」と述べ、議論を呼んでいます。

これは天皇陛下の政治への口出しではないかという意見がありますが、「天皇の意向」ではなく、「宮内庁長官の拝察」として発表されたので、「天皇が政府に意見した」とはなりません。
とはいえ、そこに天皇の意向があることは明らかです。


これに対する政府の態度が驚きです。
加藤勝信官房長官は24日、「宮内庁長官自身の考えを述べられたと承知している」と語りました。
菅義偉首相は翌日、「昨日、官房長官からも会見で申し上げているように、長官ご本人の見解を述べたと、このように理解しています」と語りました。
丸川珠代五輪相も「私どもとしては長官ご自身の考えを述べられたものと承知をしております」と口裏を合わせました。

宮内庁長官の「拝察」の背後に天皇陛下の「意向」があることは明らかなのに、3人そろってガン無視です。
天皇陛下に対してあまりにも失礼な態度です。
「長官の拝察が正しいかどうかわかりませんが」と前置きしながら、「天皇陛下が感染拡大を懸念されているのであれば、懸念を払しょくするように努めていきたい」とでも言うのが常識的な反応です。


こうした失礼な態度は、菅首相の性格からきています。
菅首相は官房長官時代、記者会見で記者の質問に対して木を鼻でくくったような答弁を繰り返していました。
首相になれば国民に対して発信しなければならないので、態度が変わるかと思ったら、ほとんど変わりません。
なにごとも説明しないというのが菅首相の態度です。

日本学術会議の6人の新会員を任命拒否した件について、理由をまったく説明しませんでしたが、これは政府に反対した人間を任命拒否したので、説明のしようがないとはいえます。
しかし、緊急事態宣言を解除する基準について質問されても、まったく答えないのはどういうことでしょうか。
感染レベルがどうなれば五輪を中止するのかという国会での質問には、「国民の命と健康を守っていく」という言葉を17回も繰り返しました。
菅首相は感染のメカニズムがよく理解できていないようですが、質問に答えないのは、それだけではなく、相手を不安にさせて、自分の権力行使を最大限に効果的にするという狙いがあると思われます(このことについては「菅首相はなぜいつも説明不足なのか」という記事に書いたことがあります)。

つまり「説明しない」というのが菅首相独特の政治手法で、これが東京五輪開催か否かを政治問題にしました。


ここで東京五輪開催問題と天皇との関係を簡単にまとめてみます。

天皇や皇族は政治的なことには関われません。
2008年、石原慎太郎都知事が皇太子(現在の天皇)に対して招致への協力を求めたものの、宮内庁が「政治的要素が強い」として難色を示し、石原氏が「木っ端役人」と同庁を批判する騒動がありました。
五輪招致活動には賛否があって、政治的でしたが、招致が成功すれば、開催の足を引っ張ろうという人はいないので、天皇陛下は東京オリパラの名誉総裁になりました。

ところが、そこにコロナ禍が襲いました。五輪開催の賛否を問うアンケートでは、「中止・延期」が80%になりました。
菅首相が世論に合わせて中止・延期に動けばなんの問題もありませんでした。
五輪を開催するのなら、中止した場合に経済的損失がいくらぐらいになって、開催した場合に感染拡大はどの程度になるかといったデータを示して国民を説得する必要がありますが、菅首相は説得も説明もしないまま開催に突き進んでいくので、国民の不満は高まりました。
野党など反菅政権の勢力はそれに乗じて菅政権を批判し、菅政権支持の勢力は五輪開催を支持したので、五輪開催は政治問題になりました。
天皇陛下は東京オリパラの名誉総裁として開会式で開会宣言をすると思われますが、政治的対立の一方に加担することになり、これは「国民統合の象徴」としてふさわしくありません(かといって総裁を辞任するのも政治的です)。
天皇陛下はそうとうな危機感を持たれたと思います。

6月22日、菅首相は天皇陛下に対して「内奏」を行いました。
内奏とは、首相が天皇に対して国内外の諸情勢について報告するものです。二人だけで行われるとされていて、内容が明かされることはありません。

内奏において、おそらく天皇陛下は菅首相に対して、この感染状況で五輪を開催しても大丈夫かという質問をされたでしょう。
それに対して菅首相は、記者会見や国会答弁と同じく「国民の命と健康を守っていく」とか「安全安心の大会」という言葉を繰り返したに違いありません(それ以外のことが言えるなら、すでに言っています)。
このとき、天皇陛下はあきれたか、暗澹とした気持ちになったか、ブチギレたかして、二人の間に決定的な亀裂が入ったのでしょう。私はそう「拝察」します。

西村宮内庁長官の「拝察」発言があったのは、内奏の2日後です。
天皇陛下としては、自分は菅首相とは考えが違うということを国民に明らかにしておきたかったのでしょう。
五輪後に感染爆発が起こった場合に責任を負わされてはたまらないという思いもあったかもしれません。

菅首相が「拝察」発言を「長官個人の見解」と見なして、天皇陛下の思いを無視したのも、二人の間に亀裂が入ったからです。


安倍前首相と現在の上皇陛下との間には、憲法観の違いのようなイデオロギー上の対立がありましたが、菅首相と天皇陛下にはそうしたイデオロギー上の対立はなさそうです。
要するに天皇陛下は、菅首相が感染問題を真剣に考えていないことを目の当たりにして、あきれ果てられたのでしょう。

「安全安心」という言葉を繰り返すだけの人間を見れば、誰でもあきれ果てるのは当然です。

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菅義偉首相は6月10日、イギリスで開かれるG7サミットに向けて出発するに際して、「東京大会については感染対策を徹底し、安全安心の大会を実現する。こうしたことを説明をして理解を得たい」と語りました。
G7の首脳宣言に「開催への支持」を盛り込むべく調整が進められているそうです。

よく「スポーツに政治を持ち込むな」と言いますが、菅首相がやろうとしているのは「政治にスポーツを持ち込む」ことです。
東京大会が開催されるか否かは国際政治にとってどうでもいいことです。外国の支持を得て国内政治を有利にしようという菅首相のやり方は、各国にとって迷惑です(それに、菅首相は「東京五輪の開催はIOCに権限がある」「私は主催者ではない」と言いながら支持を求めるのは筋が通りません)。

菅首相がどうしても東京五輪を開催するつもりなら、G7で「日本は、コロナ禍で苦しむ世界の人々にオリンピックを楽しんでもらうために、感染拡大も覚悟の上で東京五輪を開催する」と表明するべきです。
そうすれば、その犠牲的精神が世界から称えられるでしょう。
あるいは、「クレージー」とか「カミカゼ・オリンピック」などと言われて、あきれられるかもしれませんが。


菅首相は9日の党首討論で、東洋の魔女、柔道のアントン・ヘーシンク選手、マラソンのアベベ選手などを挙げて、1964年の東京五輪の思い出を長々と語り、あきれられました。
菅首相としてはスポーツの素晴らしさを訴えたかったのでしょうが、菅首相は「運営」の立場なのですから、「スポーツ」について語っても無意味です。

東京五輪の運営は、最初は「コンパクト五輪」をうたっていたのに予算が膨張したこと、電通やパソナなどが巨額の中抜きをしているらしいこと、国立競技場建設を巡るトラブル、森喜朗前組織委会長の女性差別発言、開閉会式の演出を巡るトラブルなど、最低としか言いようがない事態が連続しています。


そして6月7日、JOCの経理部長である50代男性が東京都品川区の都営浅草線中延駅で電車に飛び込み、死亡しました。警視庁は自殺と見ています。

経理部長の自殺というと、いろいろなことを想像してしまいます。
JOCの竹田恒和前会長は、東京五輪招致を巡る贈賄容疑でフランス当局から捜査されたことで会長を辞任しました。経理部長はこの贈賄事件に関わっていたのでしょうか。あるいはほかに会計の不正があるのでしょうか。

一般のマスコミはこの自殺を小さく扱っただけですが、週刊文春は「JOC経理部長自殺“五輪裏金”と補助金不正」という2ページの記事で報じました。

JOCはこうした報道に神経をとがらせているようで、山下泰裕会長は週刊文春に抗議文を出すことを示唆しました。

実際、メディアに圧力を加えているのかもしれません。
次のような報道もありました。

「JOC幹部自殺のニュース差し替え」にネットで批判の声
6月7日午前9時20分ごろ、JOC(日本オリンピック委員会)の経理部長が東京都品川区の都営浅草線中延駅で電車にはねられた。男性がホームから1人で線路に飛び込む姿を駅員が目撃したという。男性は病院に搬送されたが、約2時間後に死亡が確認された。警視庁は飛び込み自殺と見て調べを進めている。

この件についてネット上など話題になったのが、KBC九州朝日放送「アサデス」の“ニュース差し替え報道”だ。

7日朝の同番組放送時、「東京オリンピック直前一体何があったのでしょうか。JOCの幹部が…」とアナウンサーがコメント中、なんと急遽ニュースが差し替えに。

「失礼しました。続いてのニュース、改めましてお伝えします…」と外国でゾウが車に突進するニュースに変更されたのだ。その後も、JOC経理部長自殺に関するニュースが報道されることはなかったという。

この差し替え報道に対して、「2ちゃんねる」の創設者であるひろゆき氏(44)は自身のTwitterで《JOC経理部長の自殺より、外国のゾウの衝突を優先するニュース番組。すごいね。漫画みたい。》と疑問を投げかけた。

さらにネット上では、《社会の闇をみた》《もはやコレが逆説的に『JOC幹部の自殺がヤバいこと』を証明したようなものだと思います》《公文書改竄を思い出す》《誰に忖度しているのか》……といった批判の声が相次いだ。
(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d270e279ed59d80e8736574702bca3a6213af800

JOCの圧力があったのではないかと、誰もが疑う状況です。

そして、山下会長が妙なことを言いました。

山下泰裕会長を直撃! 死去したJOC経理部長の“裏金”関与を完全否定「全くないです」
 謎は深まるばかりだ。日本オリンピック委員会(JOC)の経理部長男性(52)が電車にはねられて死亡した件で、遺族と面会した山下泰裕会長(64)は自殺ではなく事故死だったことを主張。警察の捜査に不信感を募らせるとともに、男性の死を五輪招致の“裏金”と結び付けた一部報道にも憤慨した。山下会長に真意を直撃した――。

 JOCを揺るがすショッキングな出来事から3日が経過しても、混乱は収まる気配がない。男性は7日午前9時20分ごろ、東京・品川区の都営浅草線中延駅で普通電車にはねられ、搬送先の病院で死亡。当初、男性がホームから線路に飛び込む姿の目撃証言もあり、警察は自殺とみて調べていた。

 しかし、遺族から詳しい話を聞いた山下会長は「ご遺族は警察が自殺と認定していることに納得していない。事故死ではないかと思われている」とした上で「(報道で)飛び込んだって書いていますけど、ちゃんと警察に確認してほしい。頭の側面にしか(車両が)当たっていない。飛び込んだっていうのと全然違う」と疑問を呈した。

 ホームに飛び込んだと証言した目撃者は先頭車両付近にいた駅員だったといい、山下会長は「(男性は)いつも後ろから2両目に乗っていた。一番前とはすごい距離がある。例えば(携帯)電話をしてフラッとして当たったことだってあり得る」と“自殺説”を完全否定した。

 警視庁は「電車事故があったことは事実。普通電車に轢過(れきか)され、原因については捜査中。ここから先の個別の対応はしていない」としているが、山下会長は「奥様も娘さん2人も自殺だと思っていない。ホームまで全部見られて、こういった理由で事故死だと思っている、と。どうしてそう(事故死と)思われているかも我々は聞いています」と話した。
(後略)
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3284148/

山下会長のような社会的地位のある人が警察の見解を否定するというのは、私は初めて見ました。
しかも、山下会長の言い分はへんです。

事故は朝の9時20分ごろなので、酔っぱらってホームから転落したとは考えられません(「都営浅草線中延駅」で画像検索すると、中延駅にホームドアはありません)。
「頭の側面にしか当たっていない」と山下会長は言いますが、自殺する気なら、レールの上でひかれるのを別にすれば、頭から当たりにいくのは当然です。
飛び込む姿の目撃証言もあり、駅の防犯カメラの映像も警察は調べているはずです。
警察が自殺と判断したのなら、そうなのでしょう。疑う理由はありません。

山下会長ほどの立場の人が遺族の情にほだされてはいけません。
それとも、山下会長にはどうしても自殺説を否定したい事情があるのでしょうか。


会計の不正というと、1998年の冬季長野五輪大会で招致委員会の会計帳簿が焼却されたことが思い出されます。
帳簿焼却という露骨な証拠隠滅によって招致活動の不正が隠蔽されてしまいました。

このとき不正隠蔽が成功したために、東京五輪でも同様の不正な招致活動が行われたのではないでしょうか。


ともかく、この時期にJOCの経理部長が自殺し、山下会長が妙な理屈で自殺説を否定すると、裏になにか不正があるのではないかと疑われます。
しかし、警察や検察は五輪のような大きな問題にはどうも無力であるようです(長野県では2000年に田中康夫氏が知事に当選し、調査委員会をつくるなどして不正を追及しました)。
となると、マスコミの出番ですが、今のところ経理部長の自殺の背後を探るような報道をしたのは週刊文春くらいです。
一般のマスコミはJOCの圧力に屈しているのでしょうか。

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首相官邸ホームページより

東京五輪大会は、開催か中止かを決定する最終局面に入ってきました。
そのためささいな言葉が大きな波紋を呼びます。
高橋洋一内閣官房参与はツイッターで「さざ波」「屁みたいな」と発言したために辞任しました。
高橋氏は五輪開催に反対の声が強いことに危機感を持って、つい強い言葉を使ってしまったのでしょう。

高橋氏の言葉や去就はどうでもいいことですが、IOCのバッハ会長となるとそうはいきません。
バッハ会長は5月22日、「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言し、「なぜ日本人が犠牲を払わないといけないのか」という強い反発を招きました。

「犠牲」発言も問題ですが、私は「五輪の夢」という言葉が引っ掛かりました。IOCの会長ともなれば、五輪の意義を大いに語るのかと思ったら、「五輪の夢」という意味不明の言葉だけです。これで日本国民を納得させるのはむりでしょう。

それよりももっと問題だと思うのは、バッハ会長の4月28日の発言です。
「歴史を通して、日本国民は不屈の精神を示してきました。逆境を乗り越えてきた能力が日本国民にあるからこそ、この難しい状況での五輪は可能になります」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/ioc-bach_jp_608b8217e4b0c15313f23aec

この発言は日本人をリスペクトしているようですが、日本人に対して、日本人であることを理由に不利益を押しつけようとしているので、人種・民族差別です。
日本人をリスペクトしているのは、不利益を押しつけるための理由づけです。
菅首相がなにかのことに関して「アメリカ人は陽気で前向きだから、このきびしい状況も乗り越えることができるだろう」と言ったとしたら、アメリカ人を蔑視していると反発を買うでしょう。それと同じです。

ちなみに森喜朗氏が女性蔑視発言で組織委会長を辞任したとき、二階俊博自民党幹事長は「我々は男女平等で、ずっと子どもの頃から一貫して教育を受けてきた。女性だから、男性だからってありません。女性を心から尊敬をしております」と語りました。
女性にもいろいろな人がいて、尊敬できる人ばかりではありません。「女性を心から尊敬をしております」というのは、女性を十把ひとからげにしているので、女性差別です。


そして、IOCの最古参のディック・パウンド委員(79歳)は、週刊文春のインタビューに対して次のように語りました。
――日本の世論調査では今夏の開催に8割が否定的だ。

「昨年3月、延期は一度と日本が述べたのだから、延期の選択肢はテーブル上に存在しない。日本国民の多くが開催に否定的な意見であるのは、残念なこと。ゲームを開催しても追加のリスクはないという科学的な証拠があるのに、なぜ彼らはそれを無視して、科学的なことはどうでもいいと言うのか。『嫌だ』と言っているだけではないのか。開催したらきっと成功を喜ぶことだろう」
   ※   ※   ※
――日本の首相が中止を決めた場合はどうするか。 

「私が知っている限りでは、日本政府は非常に協力的だ。五輪の開催は、日本の当局、日本の公衆衛生当局、そしてオリンピック・ムーブメント(IOCなどの活動)が共有している決定だ。仮に菅首相が『中止』を求めたとしても、それはあくまで個人的な意見に過ぎない。大会は開催される」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6da971d6c93f9884a70bcef4929d1fe06955b34?page=2

このパウンド委員は英紙イブニング・スタンダードに対して、「(東京五輪は)予見できないアルマゲドンでもない限り実施できる」とも語っています。

また、ジョン・コーツ副会長は5月22日、「緊急事態宣言下であってもなくても開催できる」と発言し、緊急事態宣言下で自粛生活をしている日本人の神経を逆なでしました。

これら
IOC側の意見を聞いていると、日本人を見下して、日本人の意志を完全に無視していることがわかります。
菅首相の意志までも無視しています。これは国家主権の無視としか思えません。
国民から反発の声が上がったのは当然です。

ところが、政府関係者や組織委などから反発の声はほとんど上がりません。どうやら日本は
IOCに完全に牛耳られているようです。

菅首相は三度目の緊急事態宣言を発出するに当たっての4月23日の記者会見で「東京五輪の開催はIOCが権限を持っています」「IOCは開催することを決定しています」と語りました。
5月10日の参院予算委員会で蓮舫議員から「主催国の内閣総理大臣が延期や中止をいえる権限はないのか」と聞かれると、菅首相は「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていくのが政府の基本的な考え方だ」と何度も繰り返しました。

首相に権限がないはずがありません。その気になれば、感染対策やテロ対策を理由に入国制限をするなどの方法で簡単に五輪開催をつぶすことができます。
いや、そんなことをしなくても、菅首相が公然と五輪中止を
IOCに要求すれば、IOCが開催を強行できるはずがありません。

日本はアメリカの属国だとよく言われますが、“I
OCの属国でもあったようです。
そのことは次の記事からもよくわかります。

東京五輪 大会関係者大幅削減も“五輪貴族”3000人は削れず「必要不可欠な人材」
 東京五輪・パラリンピック組織委員会は26日、都内で理事会を開催し、残り2カ月を切った大会開幕に向けて、準備状況などを報告した。

 延期前の18万人から7・8万人まで大幅に削減した来日大会関係者についての内訳を公表。ゲストやスタッフ、国際連盟や放送関係者、プレスの削減には成功したものの、オリンピックファミリー3000人、各国オリンピック委員会(NOC)1万4800人、パラリンピックファミリー2000人、各国パラリンピック委員会(NPC)5900人の人数は延期前の数字が維持されていた。

 “五輪貴族”とも呼ばれるIOC委員らの数が減らせなかったことについて、武藤事務総長は「もともとこれらの人達は大会運営のために必要不可欠な人材であることがほとんど。現時点では代えることができない」と、説明した。
https://news.livedoor.com/article/detail/20261353/

さらに週刊文春は、バッハ会長は天皇に会わせろと要求していたという記事を書いています。

「天皇に会わせろ」バッハよ、何様だ IOC委員は小誌に「菅が中止を求めても開催する」【全文公開】

これに対してIOCはGHQかという声が上がっています。
ということは、バッハ会長はマッカーサーです。

アメリカの属国であるのは、安全保障のためという理由づけができなくもありませんが、“IOCの属国”である理由は説明が困難です。
IOCは利権の元締めで、日本の五輪関係者は利権のおこぼれにあずかるという関係なのでしょうか。


自民党は“属国慣れ”しているので、“IOCの属国”としてふるまうのに大して抵抗がないようです。
しかし、東京五輪大会を開催すると、IOCは放映権料でもうかるでしょうが、日本は感染が拡大して人命が失われ、自粛生活が長引いて経済的損失が甚大です。
日本は、第二だか第三だかの敗戦にならないようにしなければなりません。

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丸川珠代五輪相は5月11日の記者会見で、五輪開催の意義について問われ、「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」と述べたところ、「意味不明」「精神論はやめろ」などの批判が殺到しました。
そのため丸川五輪相は14日に「絆」の意味を補足して、「特別な努力をした人たちの輝きが勇気を与えてくれる。と同時に、私たちが勇気を持って一歩進み、社会の活動を進めていく具体的な後押しになるという思いです」と述べましたが、ますます意味不明と批判されました。

「安全安心な大会」などと言っていますが、実際はコロナ下で危険を冒して開催するのですから、それに匹敵する意義が必要です。

五輪招致の時点では「復興五輪」といって、東日本大震災から復興した日本の姿を見せるという意義が示されました。
新型コロナウイルスのために一年延期になった時点では、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」ということが言われました。

現在では、「新型コロナウイルスに打ち勝った証」とは言えないので、「努力したアスリートのために」とか「池江璃花子選手のために」などと各自が勝手なことを言っています。
丸川五輪相が「絆」と言ったのは、「自助・共助・公助、そして絆」が政治信条の菅首相にこびたのでしょうか。


東京五輪は別にして、オリンピックそのものには意義があります。
ただ、時代とともにそれは変遷してきました。

昔はオリンピックの理念というと、「より速く、より高く、より強く」ということが必ず言われたものですが、最近はまったく言われません。今もオリンピック憲章には書かれているのですが。
この言葉の背後にある進歩主義思想が今は評価されないからでしょう。

「オリンピックは参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の言葉も最近はあまり言われません。
勝利至上主義を戒めた言葉と思われますが、最近は勝利至上主義、メダル至上主義が横行しているからでしょう。

アマチュアリズムも昔はオリンピックの重要な理念でしたが、1974年にオリンピック憲章からアマチュア規定が削除されました。
以来、商業主義がしだいに強まり、今ではオリンピックは巨額マネーの動く商業主義のイベントになりました。
日本が開催地に立候補したのも、要は利権のためです。


オリンピックは商業主義のイベントとして大成功しましたが、大成功したのは意義があったからです。
それはどんな意義かというと、案外認識されていないかもしれません。

ビッグなスポーツイベントは世界陸上、世界水泳、サッカーワールドカップ、アジア大会などいくつもありますが、オリンピックがそれらと違うのは、ほとんどすべての種目を網羅する総合スポーツ大会であることです。
そして、世界のほとんどの国が参加します。
そのために、各国の総合スポーツ力が順位づけられます。

国の総合スポーツ力というのは国力の有力なバロメーターです。
国力を見るにはGDPのほうが正確ですが、GDPは無味乾燥な数字です。
スポーツは闘争や競争であり、勝ち負けがあるので、人々は興奮します。
個々の勝ち負けがメダルになり、最終的にメダルの数の多さで国の優劣が決まります。

ですから、オリンピックほどナショナリズムや愛国心の高揚するイベントはほかにありません。
戦争はもっともナショナリズムの高揚するイベントですが、オリンピックはその次ぐらいの位置づけになります。

古代ギリシャでは、戦争をしていても、オリンピックが開催されるときは休戦する習わしでした。
そのために「平和の祭典」と呼ばれますが、古代オリンピックの種目は、短距離走、長距離走のほか、戦車競走、円盤投げ、やり投げ、レスリング、ボクシングなど、戦争に関わるものがほとんどなので、当時の人々は戦争もオリンピックも同じ感覚でやっていたのではないでしょうか。
そういう意味では、「平和の祭典」というより「疑似戦争」といったほうがいいかもしれません。

近代オリンピックも、表彰式には必ず国旗掲揚と国歌演奏を行い、各国のメダル獲得数を明示して、ナショナリズムを高揚させる演出になっています。
ほとんどの人は、自国の選手がメダルを獲得するか否かに関心があって、メダルを獲得すると熱狂しますが、スポーツの中身にはあまり関心がありません。


このように近代オリンピックは「疑似戦争」として各国の国民のナショナリズムを刺激することで商業主義的な成功を収めたわけです。


私は「疑似戦争」という言葉を使いましたが、これは決して悪い意味ではありません。「疑似戦争」では人も死にませんし、家も壊れません。「本物の戦争」とは天と地ほども違います。
ですから、「疑似戦争」を「平和の祭典」と呼んで楽しむのは悪くありません。
ナショナリズムの部分を嫌う人もいますが、多くの人はナショナリズムの高揚感が好きなものです(ナショナリズムは「拡張された利己主義」だからです)。


ともかく、オリンピックは多くの人が興奮できる楽しいお祭りなのですが、今回はコロナとの戦いの真っ最中です。
オリンピックを開催したからといって、コロナとの戦いは休戦になりません。

現在、スポーツ大会は無観客や観客制限で開催されつつありますが、各地のお祭りはほとんどが中止になっています。
コロナ下では、お祭りをやってもお祭り本来の楽しさがないからです。

オリンピックが純然たるスポーツ大会なら、厳密な感染防止対策のもとで開催する意味はありますが、実際のところは、オリンピックの意義は、ナショナリズムの高揚感を味わうお祭りだということにあります。

コロナ下でお祭りを強行開催するということはありえません。

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菅義偉首相は5月7日の記者会見で、11日までの予定だった緊急事態宣言を31日まで延長すると表明しました。
菅首相は「短期集中」という言葉がお気に入りだったようですが、短期だから集中できるというものでもありません。
そもそも感染減少が目的なのですから、1日の新規感染者数何人以下とか病床使用率何%以下という目標を決めて、それを達成すれば解除とするべきなのに、そうした目標や基準はなにもなく、解除の日付けだけ決めるというのが根本的に間違っています。

今回、31日まで延長と決まりましたが、この日付けも無意味です。
したがって、今後の展開は、感染状況を見て各自が判断しなければなりません。


まん延防止等重点措置が4月5日から大阪・兵庫・宮城で始まり、12日から東京・京都・沖縄に拡大され、25日からは非常事態宣言が東京・大阪・京都・兵庫に発令されて現在に至りますが、感染は抑制されるどころか、逆に拡大する傾向が見られます。
連休の反動ということも考えなければいけませんが、新規感染者数は8日が7244人、9日が6492人と、第4波が始まって一番目、二番目に大きい数字となっています。

緊急事態宣言下で感染が拡大するというのは深刻な事態です。
これはイギリス型変異ウイルスのせいでしょう。

イギリスでは、昨年3月に1回目のロックダウンをし、夏ごろにはかなり感染を抑え込んだのですが、9月ごろから急拡大して、11月から再びロックダウンになりました。
ただ、現在は感染は減少し、ロックダウンは段階的に緩和されつつあります。
強力なロックダウンに加えて、ワクチン接種が急速に進んだからです。

日本には強力なロックダウンもありませんし、ワクチン接種も進んでいません。

なお、「テレ朝ニュース」の「抑え込んでいたのに…モンゴルで感染急拡大」という記事によると、モンゴルでもイギリス型変異ウイルスのために感染が急拡大し、インド以上に深刻な状況になっているそうです。

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東アジアには“ファクターX”があって、ヨーロッパみたいに深刻にならないという説がありましたが、モンゴルの状況を見ると、その説は捨て去らなければならないようです。

日本でもイギリス型が大阪から東京へと広がっています。
このままでは、5月31日の宣言解除はもちろん、東京五輪開催も不可能です。

コロナとの戦いは長期戦を覚悟しなければなりません。

そうすると、飲食業界などはますます苦境に陥ります。休業補償金や協力金を税金から出しつづけるのもたいへんです。
なにかいい方法はないでしょうか。



現在、緊急事態宣言下では、飲食店は20時までの時短営業に加え酒類の提供禁止となっています。
酒類提供禁止のために居酒屋などは実質営業不可能ですし、一般の飲食店の経営にも響きます。

私は夕食時にはいくらかの酒を飲むのが習慣なので、レストランなどで夕食をとるときに酒がないと困惑します。
一杯のビールかハイボールかグラスワインがあるだけで、食事の楽しさが断然違います。
割増料金を払えばお酒が飲めるという制度にすれば、いくらまでなら払うかと考えました。
どうせビール一杯だけなので、2割増し、3割増しぐらいは平気ですし、2倍でも払うかもしれません。

かりにレストランで酒類の価格を2倍にして、従来の半分の注文があったとすれば、店の売り上げは同じで、原価が少ない分、利益は増大します。
そして、酔っぱらって大声で話すような人もへりますから、感染防止にもなります。

居酒屋でも同じやり方が可能です。

たとえば東京都は、飲食店に対する時短営業要請も酒類提供禁止もやめて、酒類価格を2倍にするという要請だけします。
そうすれば、客数はへり、酒類の消費もへるので、感染リスクは下がりますが、店の収益はある程度維持できます。
酒類の消費があまりへらなければ、酒類の価格を3倍にすればいいわけです。

つまり、価格メカニズムを利用して入店の人数と酒類の消費を抑制し、感染防止をしつつ、店の収益も維持しようということです。

不当値上げだと怒る客がいるかもしれませんが、酒類提供禁止よりはましです。
それに、払ったお金は苦境にある飲食店のためになるので、払い甲斐もあるはずです。


価格メカニズムを使うことはイベント関係でも可能です。

イベント関係では入場者の制限が行われています。
あるコンサートの入場者を半分にするなら、ファンの数は同じでチケット数はへるのですから、チケット価格は上がって当然です。
これまでは人数制限は一時的なことだと考えられてきたので、料金に手はつけられませんでしたが、これが長期化するなら、チケット代を値上げして収益を確保するのは当然のことです。
チケット価格を従来より高く設定すれば、自然と入場者がへるので人数制限をしたのと同じことになり、それでいて収益はあまりへりません。

それにしても、人を動かすのに価格メカニズムを利用するということに頭が回らない人も多いようです。
緊急事態宣言下、国と東京都は首都圏の鉄道各社に運行本数をへらすように要請しましたが、実際に本数がへると車内が混雑して不満が噴出し、結局通常の本数に戻しました。
電車の本数がへれば人流もへると思ったのでしょうが、まったくバカな考えです。
こういうときこそ価格メカニズムを利用するべきです。
人流をへらしたいなら運賃を高くすればいいのです。そうすれば確実に利用者はへります(定期券を持っている人が多いので、実際にはむずかしいでしょうが)。


価格メカニズムによる行動は合理的なものなので、「短期集中」だの「気のゆるみ」だのといった精神論による不快感がありません。
「コロナ割増料金」という考え方が広く世の中に受け入れられれば、飲食店やイベント関係業者が救われます。

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