村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 岸田文雄政権

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自民党若手議員らの会合で下着のような露出の多い衣装のセクシーなダンスショーが行われ、少なくとも5人のダンサーがステージやテーブルの周辺で踊って、参加者はダンサーに口移しでチップを渡したり、ダンサーの衣装にチップを挟み込んでお尻に触ったりしていたということです。

昨年11月に和歌山県で自民党青年局近畿ブロック会議が行われ、党の国会議員や地方議員、党関係者など約50人が参加し、その後の懇親会で行われたダンスショーです。
費用は党本部と和歌山県連が負担したということで、当然そこには公費が含まれています。
政治とカネが大きな問題になっているときに、こうしたバカなことが行われたというのに驚きます。

私がこれで思い出したのは、1998年に日本青年会議所の幹部ら33人が旭川駅前のホテル地下の居酒屋で懇談会を催し、そこにコンパニオンを呼んで“女体盛り”を行ったことです。
写真週刊誌「FLASH」によると「なかにはコンパニオンに刺身を股や乳首にくっつけてから食べる会議所会員もいた」ということです。
しかもそのコンパニオンは16歳だったので、ほかの件で補導されたときに青年会議所の“女体盛り”が発覚しました。
青年会議所というのは、実態は経営者の二代目、三代目の集まりです。カネと暇のあるボンボンが、やることがなくてバカなことをしたというところです。
自民党青年局にも政治家の二代目、三代目が多いのでしょう。カネと暇のあるボンボンのやることはいっしょです。
「自分たちは上級国民だから、一般国民と違うことをするのは当然だ」みたいな感覚もあるのでしょう。

そのあとの弁明にもあきれました。
自民党県連青年局長の川畑哲哉県議は、女性ダンサーを招いた理由について「多様性の重要性を問題提起しようと思った」などと弁解しましたが、「多様性」を理由にしたことに批判が殺到し、川畑県議は県連青年局長を辞任すると表明しました(その後さらに離党も表明)。
 自民党青年局長の藤原崇衆院議員と青年局長代理の中曽根康隆衆院議員も辞任を表明しましたが、ただ党の役職を辞任するだけのことです。
自民党の梶山幹事長代行は「事実関係については今、確認をしている最中であります。費用については、公費は出ていないということだけは確認をできております」と語りましたが、どうやって公費と公費以外の区別をつけたのでしょうか。批判をかわすために言っているとしか思えません。
みんなでセクシーダンスを楽しむということがいかにおかしいかということを誰もわかっていないようです。

友人とストリップショーを観にいくのは、勝手にやればいいことです。しかし、党費でストリップショーみたいなものを開催してはいけませんし、それを楽しむ人間もどうかしています。
つまり公私の区別がついていないのです。
裏金の問題も同じです。公私の区別がないから、平気で裏金がつくれます。

安倍政権のときに「政権の私物化」と言って批判しましたが、自民党は「政治の私物化」をずっとやっていたわけです。
それも党の上層部だけでなく、若手議員にも地方議員にも広がっているようです(ダンスショーを企画したのは川畑哲哉和歌山県議)。
自民党は裏金問題などで堕落ぶりがひどいので、若手議員はなぜ改革の声を上げないのかという意見がありますが、若手議員の実態がこれではどうにもなりません。
自民党の女性議員はどうかというと、つまらない不祥事が話題になるばかりで、改革の力などありそうにありません。
つまり自民党は組織全体が腐っているというべきです。


岸田首相は岸田派の解散を表明しましたが、自民党のほかの派閥は解散したりしなかったりです。
かりにすべての派閥が解散したところで、自民党という枠内で仕切りがなくなっただけで、人間は変わりません(それに、どうせまた群れます)。
自民党を改革し、政治を改革しようとすれば、今の議員を入れ替えなければなりません。

今の制度だと現職議員が選挙に強く、地盤を継いだ二世、三世も強いので、古い感覚の議員ばかりになります。
新しい議員や新しい政党がどんどん登場する制度にしなければなりません。
かつて日本新党ができたときブームが起きて、政権交代につながりました。
最近でも、れいわ新選組、参政党、元NHK党などは、勢力は小さくても話題性があります。

具体的にどうすればいいかというと、被選挙権を18歳以上にし、立候補の供託金を大幅に引き下げ、公職選挙法を改正して選挙運動の規制をほとんどなくすことです。そうすれば多くの新党や新人候補が出てきて、今のくだらない議員の多くは落選することになります。
たいして手間も費用もかかりませんから、簡単にできることです。

ただ問題は、それを決めるのは現職議員だということです。自分たちが落選する可能性の高い制度を採用するはすがありません。
選挙区の議員定数を少し増減するだけでも、議席を失いそうな議員が強硬に反対するので、なかなかまとまらないぐらいです。

ネズミたちが話し合ってネコの首に鈴をつけることにしたが、いざやろうとすると不可能なことに気づくという寓話がありますが、ネコに自分で鈴をつけさせることはもっと不可能です。
自民党議員に根本的な政治改革をさせることはそれと同じようなものです(野党議員もたいして変わらないでしょう)。

どんな政治改革論議も、自民党が受け入れなければ実行できないので、最初から論議に枠がはまっています。
これでは国民の関心も盛り上がりません。

検察が自民党の政治資金パーティの問題を追及したものの腰砕けになりました。
そうすると自民党は怖いものがありません。しばらくごまかし続けていればやがて国民の関心も薄れると見ています。
このまま政治が変わらなければ、日本に救いはありません。


ネコに自分で鈴をつけさせることが不可能であれば、ほかに手段はないのかというと、そんなことはありません。
政治資金の問題ならなんとかなりそうです。

1995年に政党助成金制度がつくられましたが、付則で政党への企業・団体献金のあり方について5年後に「見直しを行うものとする」とされました。
しかし、見直しは行われず、政党への企業・団体献金はそのまま行われています。
政治家個人への企業・団体献金は禁止されましたが、政治家個人が代表を務める政治団体への献金は認められています。また、政治資金パーティも認められています。
つまり政治家は政党助成金と企業・団体献金の両方を手にしているのです。

しかも、そこに与野党格差があります。
経団連の献金はほとんどが自民党に行きますし、多くの企業も野党よりは与党に献金します。

その金はどう使われるかというと、ほとんど選挙運動に使われます。
よく「政治活動には金がかかる」と言いますが、あれは嘘で、「政治活動」ではなく「選挙運動」に金をかけているのです。
選挙区に秘書を張りつけておいて、支持者へのあいさつ回りをさせ、後援会の世話をします。
つまり現職議員は毎日選挙運動をしているのです。
これでは新人候補は勝てません(選挙運動ができる公示期間は2週間前後です)。

政党助成金制度を設けた以上、企業・団体献金は禁止するべきなのです(共産党は政党助成金制度も廃止するべきと主張しています)。
しかし、自民党がそんなことをするわけがありません。
世論の圧力で改革をしても、どうせ抜け道をつくるに決まっています。

制度が変えられないなら、献金する者が献金をやめればいいのです。
「企業献金は政党を堕落させるのでよくない」と主張して、経団連に自民党への献金をやめるように圧力を加えます。
経団連が政治をよくしたいなら、強い野党をつくるためにむしろ野党に対して献金するべきなのです。
自民党への献金は経団連の利益のためであり、いわば「公然賄賂」です。そういう献金が自民党を堕落させるのは当然です。

中小企業が自民党に献金するのは、なにかの目的があってというより、なにかのときに不利益にならないようにという「みかじめ料」感覚ですから、やめるのも簡単です。
ただ、自分だけやめるのは不利益になりそうですから、「みんなでやめれば怖くない」にすればいいのです。


実際のところ、自民党がここまで堕落したのは、献金したりパーティ券を買ったりしてきた企業の責任も大です。
企業献金がなくなれば、自民党議員も国民に向き合うようになりますし、選挙での優位も減少して新人候補が当選しやすくなります。
「企業献金は悪」ということを常識にしたいものです。

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学校教育の現場で、素手でトイレ掃除をする運動があることは知っていましたが、なんとそれが国会の中でも行われていました。
しかも、大物国会議員まで参加していたのです。

立憲民主・太栄志議員、国会内トイレ清掃も… 素手で便器触る写真に「汚い」「握手やめて」有権者ら不快感
立憲民主党の太(ふとり)栄志衆議院議員が14日、自身のX(旧ツイッター)に、野田佳彦元首相と一緒に国会内のトイレを清掃する写真を公開した。しかし、素手で便器に触っていることに「汚い」「握手はやめてくださいね」など不快感を示す声が殺到している。

 太議員は「『国会掃除に学ぶ会』の設立総会に参加。総会の後には、野田佳彦元内閣総理大臣や参加者の皆さんと国会内のトイレを清掃しました。改めて掃除の意義と深さを学ぶ機会になり、これからも実践していきます」と投稿した。写真にはゴム手袋などを着けず、素手で便器に手をかけてスポンジで便器の側面をこすっている様子が写っている。

 しかし、これが不衛生だと指摘する声が殺到。「汚い、普通にゴム手すりゃ良いだけなのに」「えっ、そのスポンジ上に置くの?やめてー」「素手でトイレ掃除をするのは不衛生で不合理なだけで、そこに『意義と深さ』などありません」などの声が寄せられている。

 また、自民党の裏金問題で国政が揺れている中、パフォーマンスのような行為にあきれた反応もある。「トイレ掃除は家でして、国会では議員の仕事をしてください。意味がありません」「政権支持率17%でもまったく政権交代の気配が感じられない理由がよくわかりました」「今、国民がやってほしい事は国の政治を綺麗にする事でしょう」など、炎上状態となっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/4beee4bf2e3b9d6465face601516708866321098

「掃除に学ぶ会」というのは、認定NPO法人「日本を美しくする会」の組織です。
「日本を美しくする会」の理念は「掃除を通して心の荒みをなくし、世の中を良くすること」というもので、『特に人の嫌がるトイレをきれいに磨くと、心もきれいになります。トイレ掃除は「自分を磨くための」一番の近道で確実な方法です』とホームページに書かれています。
教師による「便教会」という組織もあって、それが学校でトイレ掃除をやっています。
子どもだけにやらせているのではなく、教師もやっているということで、そこはまだましです。

いずれにしても、「トイレをきれいにすると心もきれいになる」ということにはなんの根拠もありません。
逆に、顔を便器に突っ込むようにして素手で掃除すると、その不快感があとを引くに違いありません。どうせトイレ掃除をするなら効率的に短時間でやりたいものです。
スポンジやタワシを使うとはいえ、素手で掃除するのは衛生上も問題です。ノロウイルスなどは主に排せつ物を介して感染します。

「日本を美しくする会」のホームページには「特定の組織や団体に属しません」と書かれていますが、『東日本大震災の避難所で配られたおにぎりを、何のためらいもなく、まずお年寄りや子どもたちに渡す姿。そこには、日本人の日本人たる美徳がありました。自分よりまず、「人様のためにできる幸せ」という精神を、 私たち日本人は代々受け継いできました』などという文章を見ると、日本会議に連なる組織と同じ感じがします。


そういった組織と立憲民主党の国会議員がつながっているというのが意外でしたが、さらに意外なのは野田佳彦議員まで加わっていたことです。
野田議員といえば現実主義的な人というイメージでしたから、精神主義の権化のようなトイレ掃除の運動とは結びつきませんでした。

ほかに「日本を美しくする会」とつながっている政治家はいないかとネットで調べてみると、門川大作京都市長がいました。京都市では小中学生に「素手でトイレ掃除」をやらせているそうです。
門川市長が初当選した2008年の市長選では自民党・民主党・公明党・社民党の支持を受けていました。
門川市長は任期満了に伴い引退して、来年2月投票の選挙には後継候補として松井孝治氏が立候補する予定です。松井氏はもともと民主党の参議院議員で、鳩山内閣のときに官房副長官をしていました。この松井氏も12月9日に素手でトイレ掃除をしている写真をXに投稿しました。

もしかすると立憲民主党と「日本を美しくする会」は近いのかと思っていると、なんと泉健太代表も昨年11月に「国会掃除に学ぶ会」の活動に参加したということがわかりました。「日本を美しくする会」のウェブマガジンのページに参加者の名前と写真が載っています。

国会掃除に学ぶ会
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https://www.souji.jp/webmagazine/2023/06/09/%e7%89%b9%e3%80%80%e9%9b%86-6/

党の代表が参加しているとなると、立憲民主党は「日本を美しくする会」の思想を肯定していると思われてもしかたありません。


町中の汚い公衆トイレをきれいにしようという活動があれば、誰もが称賛するでしょうが、「日本を美しくする会」はそういうことはしません。「心をきれいにする」ことが目的で、あくまでトイレをきれいにすることは手段です。
国会のトイレは決して汚くはないでしょう。それを掃除するのはパフォーマンスと見られてもしかたありません。

日本会議には宗教団体が多く参加していますが、「日本を美しくする会」は宗教団体とはいえません。人間の道徳的向上を目的とした団体で、戦前は「教化団体」や「道徳団体」と呼ばれていたものです。
宗教団体やカルトでないならいいかというと、そんなことはありません。むしろ宗教以上に危険かもしれません。

特定の宗教を国民に押しつけることはできません。さすがに国民も反対します。
しかし、道徳を押しつけることはどうでしょうか。
すでに日本人は自民党の道徳教育によって道徳を上から教えられることに慣れています。
「日本人の心をきれいにする」と言われたとき、きちんと反論できる人はどれだけいるでしょう。
学校で「素手でトイレ掃除」をやっているところがあり、国会議員も「素手でトイレ掃除」をやっているのですから、いずれ日本人全員で「素手でトイレ掃除」をやることになっても不思議ではありません。

宗教や道徳と親和性が高いのが自民党の特徴です。
野党はそこで差別化をはからねばならないのに、泉代表はなにもわかっていません。
心をきれいにすることより現実のトイレをきれいにすることが政治の役割です。

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岸田文雄首相は11月16日、サンフランシスコにおいてバイデン大統領と会談したあと、「来年早期の国賓待遇の公式訪問の招待を受けた」と語りました。
アメリカから国賓待遇の招待を受けるというのは、岸田外交の大きな成果とされるはずですが、今のところそういう反応はありません。
ヤフーコメントには「年内退陣が噂される中、バイデンに泣きついて年明けの訪米に招待して貰ったんでしょう」などと書かれています。

これまで岸田首相は「聞く力」をアメリカに対して大いに発揮してきました。
その最たるものは、防衛費をGDP比1%から2%へ増額したことです。
予算というのは1割、2割増やすのもたいへんなのに、あっさり倍増したのには驚きました。

岸田政権はウクライナ支援にも巨額の支出をしています。
今年2月の時点で岸田首相は「55億ドル(7370億円)の追加財政支援をすると表明した」と日経新聞は書いています。

日本の防衛費増額やウクライナ支援はアメリカにとってありがたいことですから、バイデン大統領が岸田首相を国賓待遇で招待したのも当然です。

このようにひたすらアメリカに追従する外交を日本国民も支持してきました。
岸田首相も長年外務大臣を務めたことからそれがわかっていて、自信を持ってやってきたのでしょう。
ところが、最近は国民の意識が変わってきました。


要するにこれまでの日本外交は「経済大国の外交」でした。
たとえば日本の首相がアジア・アフリカの国を訪問すると、必ず経済援助の約束をします。豊かな国が貧しい国に援助するのは当然です。しかし、日本がどんどん貧しくなってくると、国民の不満が高まってきました。こんな“バラマキ外交”をするのではなく、国内のことに金を使うべきだという声が強まりました。

防衛費増額もウクライナ援助も要するに「経済大国の外交」です。今の日本にそんなことをする余裕はありません。

アメリカはNATO諸国にも軍事費GDP比2%を要求していて、ドイツも2%に引き上げることを約束しました。
しかし、日本とドイツなどの国では財政赤字のレベルが違います。

債務残高の国際比較(対GDP比)
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財政赤字国の日本は他国並みの負担を要求されても断って当然です。ところが、日本は断らなかったのですから、これはバイデン大統領にとっては大きな成果です。
「日本は長期にわたり軍事費を増やしてこなかったが、私は日本の指導者に、広島(G7広島サミット)を含めて3回会い、彼を説得した」と語って、その成果を自慢しました。


岸田首相はバイデン大統領に屈しましたが、防衛費GDP比1%を2%にするのはたいへんです。
これまで防衛費と文教科学振興費はだいたい同額でしたから、文教科学振興費をゼロにして、それをそのまま防衛費に回す計算です。
もちろんそんなことはできませんから、文教科学振興費のほかに福祉や公共事業費などを少しずつ削り、増税し、国債を増発するということになり、今その議論をしているわけです。


岸田首相は所信表明演説で「経済、経済、経済」と言いましたが、日本は乏しい金をアメリカに貢いでいるので、少しも経済はよくなりません。
日本は敵基地攻撃能力として400発のトマホークを3500億円で購入して配備する予定ですが、本来ならアメリカが自費で購入するところを日本が代わりに購入するのですから、アメリカにとっては笑いがとまりません。


このところ岸田内閣支持率が急落しているのは、防衛費倍増のツケが回ってきたからです。
岸田首相は国民の税金を使ってみずからの国賓待遇を買ったようなものです。

今後日本は、分相応の「財政赤字国の外交」をしていくしかありません。

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岸田内閣の支持率が急落しています。
「増税」「減税」「還元」「給付」などの言葉をもてあそび、さらにさまざまな不祥事が連続したことが理由とされていますが、それよりももっと大きな理由があります。
それは、安倍晋三元首相が亡くなったことです。

安倍氏が亡くなったのは昨年7月のことなので、今の支持率急落とは関係ないと思われるかもしれませんが、人の死というのは受け入れるのに時間がかかるものです。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉もあります。
偉大な軍師である諸葛孔明は死んでからも敵を恐れさせたという中国の故事成句です。
安倍氏も政界における存在感がひじょうに大きかったので、「死せる安倍」がしばらく政治家を走らせていました。
しかし、1年もたつとさすがに誰もがその死を受け入れ、安倍氏の呪縛から解き放たれました。
その結果が内閣支持率に表れてきたというわけです。


安倍氏が首相を辞めてから、私がなによりも恐れていたのは安倍氏の再々登板です。.自分で政権を投げ出して復活するというのを一度やっていますから、二度目があってもおかしくありません。
私はこのブログで岸田政権批判もしましたが、岸田政権批判は安倍氏復活につながるかもしれないと思うと、つい筆が鈍りました。
野党やマスコミも同じだったのではないでしょうか。

しかし、安倍氏が亡くなると、安倍氏の復活がないのはもちろん、安倍氏の後ろ盾がない菅義偉氏の復活もないでしょうし、一部で安倍氏の後継と目されている高市早苗氏も力を失いました。
つまり安倍的なものの復活はなくなったのです。
そうすると、遠慮会釈なく岸田政権批判ができます。
このところのマスコミの論調を見ていると、岸田政権が崩壊してもかまわないというところまで振り切っているように思えます。


一方、これまでは分厚い安倍支持層が岸田政権をささえてきました。
しかし、安倍氏が亡くなってから、安倍支持層は解体しつつあります。
中心人物を失っただけではありません。中心になる保守思想がありません。

昔は憲法改正が保守派の悲願でした。しかし、解釈改憲で新安保法制を成立させ、空母も保有し、敵基地攻撃能力も持つことになると、憲法改正の意味がありません。
靖国神社参拝も、安倍氏は第二次政権の最初の年に一度参拝しましたが、アメリカから「失望」を表明されると、二度と行っていません。
慰安婦問題についても、2015年の日韓合意で安倍氏は「おわびと反省」を表明して、問題を終わらせました(今あるのは「慰安婦像」問題です)。

考えてみれば、保守派の重要な思想はみな安倍氏がつぶしてしまいました。
安倍氏のカリスマ性がそのことを覆い隠していましたが、安倍氏が亡くなって1年もたつと隠しようがなく、保守派の思想が空っぽであることがあらわになりました。

それを象徴するのがいわゆる百田新党、日本保守党の結成です。
百田尚樹氏は自民党がLGBT法案を成立させたのを見てブチ切れ、新党結成を宣言しました。
新党結成のきっかけがLGBT法案成立だったというのが意外です。日本の保守派はもともとLGBTに寛容なものです。LGBTを排除するのはキリスト教右派の思想です。
これまで保守派は統一教会の「韓国はアダム国、日本はエバ国」などというとんでもない思想に侵食されていたわけですが、今後はキリスト教右派の思想を取り込んで生き延びようとしているのでしょうか。

もし百田新党が力を持てば、自民党の力をそぐことになります。つまり保守分裂です。
目標をなくした組織が仲間割れして衰退していくのはよくあることです。


ともかく、今は岸田政権は保守派とともに急速に沈没しているところです。
支持率回復には保守路線からリベラル路線への転換が考えられますが、手遅れかもしれません。

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ハマスが10月7日にイスラエルを攻撃したことについて、松野官房長官は12日、「残虐な無差別攻撃である点を踏まえ、本事案を『テロ攻撃』と呼称することとした」と語りました。
ということは、これまで日本政府は「テロ」という言葉を使っていなかったのです。

岸田首相は8日にXに次の文章を投稿しました。
岸田文雄 @kishida230 10月8日
多くの方々が誘拐されたと報じられており、これを強く非難するとともに、早期解放を強く求めます。
また、ガザ地区においても多数の死傷者が出ていることを深刻に憂慮しており、全ての当事者に最大限の自制を求めます。
ハマスの行動を非難する一方で、イスラエルによるガザ空爆を憂慮して、バランスをとっています。

ところが、バイデン大統領は違います。
東京新聞の記事はこう伝えています。
【ワシントン=吉田通夫】バイデン米大統領は10日に演説し、イスラム組織ハマスの攻撃を「悪の所業」と断じ、イスラエルは「悪質な攻撃に対応する権利と責務がある」と一定の報復措置を容認した。
 また中東情勢のさらなる混乱を防ぐため、最新鋭の原子力空母ジェラルド・フォードを配置して抑止力を強化したと説明し「テロの憎悪と暴力に反対する」と強調した。空母打撃群は10日、東地中海に到着した。
(後略)

バイデン大統領はイスラエルの報復を支持し、空母打撃群を派遣することでイスラエルに加勢しようとしています。
つまり多数のパレスチナ人を殺すことを容認ないし奨励しているのです。

もちろんパレスチナ人を一方的に殺すことはできず、イスラエル軍にも損害は出ますし、長期的には報復が報復を呼び、パレスチナ問題はさらに泥沼化します。
いや、他国を巻き込んで戦火が拡大する恐れもあります。

世界には心情的にイスラエルを支持する人とパレスチナを支持する人がいて、国家指導者も同じですが、こういうときはその心情を抑えて、戦いをやめるように呼びかけるべきです。
岸田首相が「全ての当事者に最大限の自制を求めます」と呼びかけたのは適切な対応でした。
ところが、バイデン大統領は戦争をけしかけるようなことをしているのです。

岸田首相はバイデン大統領をいさめるべきです。
それが平和日本の外交です。

ところが、岸田首相はバイデン大統領を説得する気持ちがないばかりか、逆に迎合しようとしています。
ハマスの行為を「テロ攻撃」と呼称変更したのは、バイデン大統領がハマスの行為を「悪の所業」「テロ」と呼んだのに合わせたからに違いありません。
イスラエルの軍事行動を容認する準備です。
いつものこととはいえ対米追従外交は情けない限りです。


トランプ前大統領は今回の出来事についてどういう認識なのでしょうか。
「トランプ氏、ネタニヤフ氏を痛烈批判 ハマスによる攻撃巡る諜報の落ち度で」という記事にはこう書かれています。

ワシントン(CNN) 米国のトランプ前大統領は13日までに、イスラエルのネタニヤフ首相を厳しく批判した。パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスの攻撃に対し、同首相が不意を突かれたとの見解を示した。一方でレバノンの武装組織ヒズボラを「非常に賢い」と称賛した。
(中略)
自身が大統領ならハマスによる攻撃は起きていなかったとも示唆。支持者らに対し、「大統領選で不正がなければ、誰だろうとイスラエルに侵入するなど考えもしなかっただろう」と語った。

ヒズボラを「非常に賢い」と称賛したのは、プーチン大統領や金正恩委員長と友だちになるトランプ氏らしいところです。
ネタニヤフ首相を批判したのは、ネタニヤフ首相はトランプ氏と親しくしていたのに、大統領選でバイデン氏の勝利を認めたので、それからトランプ氏は敵意を抱くようになったからだと解説されています。
要するにトランプ氏はすべてを自己中心に考えているということです。
それでも「平和志向」というものが感じられなくはありません。

バイデン大統領に「平和志向」は感じられません。
ウクライナに対しても、まったく戦争を止めようとせず、軍事援助ばかりしています。戦争をけしかけているも同然です。


従来、イスラエル対アラブの戦争について国際世論はイスラエル寄りでした。西欧が世界の支配勢力だったからです。
しかし、最近は世界の勢力図が変化しています。
昔はアラブ世界の情報を伝えるメディアはアルジャジーラぐらいしかありませんでしたが、今ではガザ地区からの情報発信はイスラエルからの情報発信と同じくらいあります。

それに加えてウクライナ戦争の影響もあります。
ロシアがウクライナに攻め込んだのは「侵略」であり「力による現状変更」であるとして批判されているときに、イスラエル軍がパレスチナ自治政府の支配地域に攻め込めば、まったく同じ批判が起こるに違いありません。
日本政府がイスラエルの軍事行動を容認するような態度を示せば、日本も批判されることになります。

日本は対米追従外交を脱却するチャンスです。

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5月19日、G7首脳は広島平和記念資料館を訪問しました。
平和記念資料館の原爆の悲惨さを伝える展示は、見た人に強烈な印象を与えるので、世界の首脳たちに広島訪問を義務化すれば世界は平和になるのではないかという意見もあるぐらいです。
G7首脳は展示を見てどう思ったのでしょうか。
ぜひとも知りたいところですが、そうした発表はまったくありません。
日本政府が“言論統制”を敷いているのでしょうか。

ただ、各首脳は平和記念資料館で記帳をして、それは外務省が公開していますが、読んでみると、官僚の作文としか思えない抽象的な内容です。

「G7首脳による平和記念資料館訪問(記帳内容)」

平和記念資料館で展示を見たのにその感想がまったく発信されないのは、平和記念資料館に対する侮辱です(その後、バイデン大統領とマクロン大統領の感想は少し伝えられました)。
実際のところは、バイデン大統領への忖度なのでしょう。

アメリカは広島への原爆投下で約14万人を殺戮し、無差別都市爆撃という国際法違反の上に、非人道的大量破壊兵器の使用という二重の罪を犯しました。
広島の原爆の悲惨さについて語れば、おのずと「アメリカの罪」が浮き彫りになり、バイデン大統領の立場がなくなります。


G7の国はすべてウクライナへの軍事支援を行っています(日本は殺傷兵器除く)。
ウクライナのゼレンスキー大統領が途中からG7に合流したので、G7はまるで「ウクライナ軍事支援会議」になりました。
実際、共同声明ではウクライナのために「ゆるぎない支援を必要な限り行う」と表明されました。
バイデン大統領は21日、約500億円相当の弾薬や装備品の支援とともにF16戦闘機の供与を容認すると発表しました。
休戦の提案などはありません。
戦争の火に油を注ぐだけです。
これもまた平和都市広島への侮辱です。

今回のG7を広島で開催すると決めたのは岸田首相ですが、広島で開催した意味がまったくなく、逆に平和都市広島のイメージダウンでした。



どうしてG7でウクライナ戦争を終わらせるという議論がなかったのでしょうか。

ウクライナ戦争が始まったとき、人々はこの戦争をどうとらえるか悩みましたが、次第に方向性が固まってきました。
実は、その方向性が間違っていたのです。
その間違いをリードしたのはバイデン大統領です。

意外なことにトランプ元大統領が正しいことを言っています。
トランプ氏は5月11日の対話集会において、ウクライナ戦争について問われ「私が大統領なら1日で戦争を終わらせるだろう」と述べました。
「1日」というのは大げさですが、アメリカの大統領が本気になればすぐに戦争を終わらせられるのは確かです。
たとえばアメリカやNATO諸国が武器弾薬の供給を止めれば、ウクライナ軍はたちまち砲弾を撃ち尽くして戦争継続ができなくなります。

トランプ元大統領はまた、プーチン大統領を戦争犯罪人と考えるかどうかと問われて、「彼を戦争犯罪人ということにすれば、現状を止めるための取引が非常に難しくなるだろう」「彼が戦争犯罪人となれば、人々は彼を捕まえ、処刑しようとする。その場合、彼は格段に激しく戦うだろう。そうしたことは後日話し合う問題だ」と答えました。

私はトランプ氏をまったく支持しませんが、この点についてはトランプ氏は正しいことを言っていると思います。

バイデン大統領はトランプ氏とはまったく違います。
バイデン大統領は昨年3月16日、記者から「プーチンを戦争犯罪人と呼ぶ用意はありますか」と聞かれ、一度は「いいや」と答えたものの、「私が言うかどうかの質問ですか?」と聞き返し、その上で「ああ、彼は戦争犯罪人だと思う」と述べました。
さらに昨年4月4日、バイデン大統領はロシア軍が撤退したあとのブチャで民間人の遺体が多数見つかったのを受け、プーチン大統領を「彼は戦争犯罪人だ」とはっきりと述べました。
昨年10月10日には、ロシアによるウクライナ全土へのミサイル攻撃を受けて声明を出し、その中で「プーチンとロシアの残虐行為と戦争犯罪の責任を追及し、侵略の代償を払わせる」と述べました。
そして今年の3月17日、国際刑事裁判所はプーチン大統領に対して戦争犯罪の疑いで逮捕状を発行しました。

今ではプーチン大統領は戦争犯罪人であるという認識が(少なくとも西側では)広まっています。


ロシアがウクライナに侵攻したときは、「ウクライナも悪い」とか「NATOも悪い」という議論がありましたが、やがてこれはロシアの「侵略」だということが共通認識となりました。
もちろん「侵略は悪い」ということになります。
そして、ロシアは「悪」で、プーチン大統領は「悪人」ということになりました。

ロシアが「悪」だとなると、ハリウッド映画的な「勧善懲悪」の原理が発動します。
G7などは「正義」のウクライナを支援して「悪」のロシアをこらしめようとしているわけです。

犯罪者や悪人と交渉や取引をするべきでないというのが世の中の常識です。
アメリカは9.11テロのあと、「テロリストとは交渉しない」という姿勢で対テロ戦争に突き進みました。
したがって今、アメリカなどはロシアと交渉する気がまったくありません。

岸田首相は5月21日の記者会見で「1日も早くロシアによるウクライナ侵略を終わらせる。そのために、厳しい対露制裁と強力なウクライナ支援を継続する。今回のサミットでは、G7はこの点について固い結束を確認いたしました」と語りました。
ロシアを屈服させるまで戦い続けるということです。


昔は戦争の帰結がある程度見えてくると、講和をして早めに戦争を終わらせたものです。
しかし、アメリカは違います。第二次大戦のとき、日本ともドイツとも講和しようとせず、徹底的に無力化するまで戦い続けました。
アメリカは今でも「正義の戦争」を信じているようですが、世界が従う必要はありません。

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岸田政権は「異次元の少子化対策」を打ち出し、統一地方選でもほとんどの候補が少子化対策、子育て支援を訴えていました。
少子化対策は今や最大の政治課題であるようです。

しかし、地球の人口は増え続けていて、そのために食糧不足、資源不足、環境問題が懸念されています。
それに、日本は人口密度世界ランキング27位で、山が多い地形を考慮するとかなりの人口過密国です。
先進国ほど少子化が進むという傾向もあります。
少人数でパイを分け合えば、一人当たりの取り分が増えます(たとえば一人っ子同士が結婚すると、ふたつの家の財産を受け継げます)。
そういうことを考えると、むりして少子化対策をしなくてもいいように思えます。

ただ、少子化が進むと国家の財政と年金制度が危機に瀕します。
日本政府が少子化対策に力を入れているのは、ひとえに財政と年金のためです。

つまり「カネ」の問題を解決するために「命」を利用しようとしているのです。
このことは国民誰もが感じていて、そのため少子化対策はあまり盛り上がらず、政府だけがカラ回りしている印象です。


「女性を人口目標の道具にしない 国連人口基金、出生率の考え方を提言」という記事によると、国連人口基金(UNFPA)は4月19日、「世界人口白書」を発表し、そこにおいて各国政府が実施している出生率の上昇や低下を目的とした政策は効果が出ないことが多く、女性の権利を損なう可能性があると指摘しました。
「女性の体を人口目標の道具にすべきではない」「出産時期や子どもの数は女性が自由に選ぶべきだ」という言葉は日本政府の耳に痛いでしょう。

安倍政権は「女性活躍」や「女性が輝く社会」を掲げて女性の労働力を活用してきましたが、岸田政権は女性の“出産力”まで活用しようとしているわけです。

ちなみに自民党では、第一次安倍政権のときに柳沢伯夫厚生労働相が「女性は産む機械」という発言をし、2018年には杉田水脈議員が月刊誌への寄稿で「(同性カップルは)子供をつくらない、つまり『生産性』がない」と述べたこともありました。


子どものいる人生と子どものいない人生ではまったく違うので、子どもをつくるかつくらないかは重大な決断です。
「異次元の少子化対策」には子ども1人月額1万円支給といった政策がありますが、こうしたことで子どもをつくることを決断する夫婦はあまりいないのではないでしょうか。
それに、少子化の原因は婚姻率が低下したことだという説があります。
内閣府ホームページの「第2章 なぜ少子化が進行しているのか」にも、少子化の原因として「未婚化の進展」「晩婚化の進展」「夫婦の出生力の低下」が挙げられています(「夫婦の出生力の低下」は「晩婚化の進展」ともつながっています)。
そうすると、少子化対策よりも未婚化・晩婚化対策をしたほうが有効だということになります。

いずれにしても、結婚、出産という人生の重大事を国家の財政危機解決に利用しようという発想が根本的に間違っています。



子どもを生まない夫婦が増えるのは、生んでも、その子が将来幸せになるかわからないということもあります。
去年1年間に自殺した小中高校生の数は512人で、過去最高を記録しました。若者の死因のトップが自殺であるという国はG7で日本だけです。
ユニセフが2020年に発表した「子どもの幸福度」調査によると、日本の子どもの「身体的健康」は38か国中で1位でしたが、「精神的幸福度」は37位と下から2番目でした。
つまり日本の若者は世界的に見てきわめて不幸です。
そして、その対策はなにも行われていません。
もし「異次元の少子化対策」が成功したら、不幸な若者が増えることになります。

4月1日、「こども家庭庁」が発足しました。
「こども」がひらがな表記であることに気づかない人も多いのではないでしょうか。普通は「子ども」と書くものだからです。
子どもが読みやすいようにひらがなにしたのなら、「こどもかてい庁」と全部ひらがなにするはずです。
「こども」だけひらがなにしたのは、「こども」と「家庭」に格差をつけようとしたからではないかと疑ってしまいます。

こども家庭庁は「こどもまんなか社会の実現」をキャッチフレーズにしています。
「こどもまんなか」というのもよくわからない言葉です。

自民党の政治家はよく「子どもは国の宝」と言います。
菅義偉首相が2021年4月に「子ども庁」(このときはこういう名称だった)の創設を表明したときに、「子どもは国の宝で、ここにもっと力を入れるべきだ」と語りました。
岸田首相も今年の3月17日の記者会見で「子供は国の宝です」(表記は官邸ホームページによる)と語っています。

こども家庭庁は「子どもは国の宝」をキャッチフレーズにしてもよさそうですが、もしそうすると、「子どもは国のものではない」とか「子どもは物ではない」といった反発があるでしょう。

岸田首相は3月17日の記者会見では「こどもファースト社会の実現」という言葉を二度も使っていました。
「子どもファースト」はわかりやすい表現です。
しかし、「子どもファースト」といえば誰でも「レディファースト」を連想します。
昔は「レディファースト」という言葉がよく使われました。「欧米の男性はエレベーターに乗るときは必ずレディファーストで女性を先に乗せるが、日本の男性は……」というぐあいです。
しかし、欧米でも性差別は深刻です。エレベーターに女性を先に乗せるなどというのはまやかしです。そのことがわかってきて、最近は「レディファースト」という言葉は使われなくなりました。

「子どもファースト」という言葉も同じことです。
「おとなが子どもをたいせつにする」というのは、おとなが主体で、子どもは客体です。
これではおとなが好き勝手にできます。

「こどもまんなか」も同じことです。あくまでおとなが主体です。

では、どんなキャッチフレーズがいいのかというと、これしかないというものがあります。
それは、
「おとな子ども平等社会の実現」
です。

今の世の中、「おとな子ども平等」をいう人はまずいないと思いますが、戦前には「男女平等」ということもまずいわれませんでした。

アメリカ独立宣言には「すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている」とあり、これをもって「天賦人権」とか「普遍的人権」といいます。
しかし、実際には先住民にも黒人奴隷にも人権はありませんでした。
さらに、選挙権がないという点では女性と子どもにも人権はありませんでした。
つまりアメリカ独立宣言は、実質的に「白人成人男性の支配宣言」であったわけです。
それから長い年月がたって、女性や先住民や黒人に選挙権が与えられてきました。
しかし、子どもにはまだ選挙権が与えられていません。

話は飛ぶようですが、岸田首相に爆弾を投げた木村隆二容疑者は、参議院の被選挙権が30歳以上と決められているのは憲法違反だとして裁判所に訴えていました。同様の訴訟は全国規模で行われています。
問題になっているのは被選挙権の年齢制限ですが、では、選挙権が18歳以上というのは正当かというと、なんの根拠もありません。おとなが適当に決めています。
最終的には選挙に関するすべての年齢制限は撤廃されるべきです。
そうなってこそ普遍的人権が実現したことになります。

ですから、「男女平等」と同様に「おとな子ども平等」もいずれ当たり前になるはずです。

もっとも、自民党にそのことを理解しろといってもむりです。
自民党は家父長制の家族を理想とする政党なので、家父長である男性が女子どもを支配するものと考えているからです。


国家の財政赤字は、経済成長によって税収を増やすことで解消できれば理想です。
しかし、日本はせいぜいGDP年1%程度しか成長しない国になりました。
となると、増税と歳出削減によって赤字をへらすか赤字を増やさないようにするしかありません。
しかし、増税と歳出削減は苦しいことです。
そこで、出生率を上げて、労働力人口を増やすことで税収を増やそうと考えたわけです。
しかし、この少子化対策は前からやっていて、少しも効果がないばかりか、さらに少子化が進行しています。

普通ならここで「少子化対策で税収増」という青い鳥を追うのは諦めて、増税と歳出削減に取り組むところです。
しかし、増税と歳出削減は苦しいので、さらに「異次元の少子化対策」へ突き進んでいるわけです。
おそらく自民党は戦時中の「産めよ増やせよ」という感覚のままで、女性の体と子どもの命を利用することになんの抵抗もないのでしょう。

女子どもを蔑視する自民党の少子化対策に効果がないのは当然です。
では、まともな少子化対策なら効果があるかというと、そうともいえません。せいぜい少子化の速度を少し遅らせる程度でしょう。
つまり今は少子化を前提として対策を考えるべきときです。


なお、「子どもを持ちたいのに持てない夫婦」や「結婚したいのにできない独身者」を救済する政策は必要です。
これは財政や年金とは関係なく、国民の福祉のために行うことです。

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3月29日、30日に120カ国・地域が参加したオンライン形式の第2回「民主主義サミット」が行われました。
これはバイデン大統領の「価値観外交」に基づいて行われるもので、中国、ロシア、イランなどは招待されていません。
アメリカは価値観によって世界を分断しようとしています。

岸田文雄首相は昨年5月、バイデン大統領が来日したときの共同記者会見で「米国は日本にとって自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値を共有する、我が国にとって唯一の同盟国です」と語りました。
同様のことは繰り返し言っています。

一国のリーダーは「他国と価値観を共有する」などと安易に言ってはいけません。
国の価値観は変化するからです。
アメリカは分断が深まって、保守派とリベラル、トランプ前大統領とバイデン大統領では価値観がぜんぜん違います。
岸田首相はどちらの価値観を共有しているつもりなのでしょうか。


そもそも岸田首相はアメリカの価値観を誤解しています。
たとえば「法の支配」です。
アメリカ国内で法の支配が行われているのは事実ですが、国際政治の世界では法の支配はほとんど行われていません。
たとえば国際刑事裁判所(ICC)は今年3月17日にプーチン大統領に対して逮捕状を発行しましたが、あまり意味のない行為だとされます。
というのは、アメリカもロシアも中国もICCに加盟していなくて、ICCにあまり力はないからです。
アメリカが法の支配を重視するなら、率先してICCに加盟し、他国に対して加盟するよう要請するはずです。

アメリカがICCに加盟しないのは、アメリカ兵の戦闘中の行為がICCによって戦争犯罪として裁かれるのを避けるためだといわれます。
さらにアメリカは自国民をICCに引き渡さないようにする二国間免責協定の締結をICC加盟国に要請しています。この協定は双務的なものではなく、米軍兵士、政府関係者ならびにすべての米国籍保有者を保護する目的で同協定の締約国にICCへの引渡しを拒否するよう求める片務的なものです(「解説(上) 二国間免責協定(BIA)に関する公式Q&A」による)
つまりアメリカは自国だけ法の裁きを受けないようにしようとしているのです。
具体的な事例としては、ICCがアフガニスタン戦争に従事した米兵らへの戦争犯罪捜査を承認したとき、その対抗措置として、ICC当局者への査証発給禁止などの措置がとられたことがあります。

つまりアメリカは自国だけ例外にしろと主張しているわけで、これは法の支配の破壊です。
このようなアメリカの利己的なふるまいが各国の利己的なふるまいを呼び、戦争やテロにつながっていきます。

日本はもちろん加盟国です。
岸田首相は「アメリカと価値観を共有する」と言うのではなく、「アメリカにICC加盟を強く求める」と言わねばなりません。


アメリカが尊重するのは、法の支配ではなく力の支配です。

アメリカは、その軍事費が世界の軍事費の約4割を占める圧倒的な軍事大国です。
世界が平和になってしまえば、せっかくの軍事力の優位が生かせません。
そのためアメリカは世界につねに戦争ないしは戦争の危機が絶えないようにしています。

かつては自由主義陣営対共産主義陣営の対立が戦争の危機を生んでいました。
共産主義陣営が崩壊すると、イスラム原理主義が新たな敵となり、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争が行われました。
そして、最近は民主主義陣営対権威主義陣営の対立が演出されています。
「民主主義サミット」はその一手段です。

ウクライナ戦争はアメリカが引き起こしたものだとはいえませんが、ウクライナ戦争によりアメリカの同盟国はアメリカへの依存を強め、日本もドイツも防衛費をGDP比2%にすると決めたので、結果的にアメリカの利益になっています。


力の信奉はアメリカの国是みたいなものです。
独立戦争、先住民との戦い、黒人奴隷の使役の中で形成されたものと思われます。

アメリカの歴史は銃でつくられたようなものですから、銃犯罪が深刻化しても銃規制がなかなかできないのも当然です。
2021年にはアメリカ国内での銃による死亡者数は約4万8000人でした。
ちなみに日本では殺人事件の死亡者数が年間300人程度です。
日本とアメリカの価値観はぜんぜん違います。

ハリウッド映画の定番は、正義のヒーローが悪人をやっつける物語です。
これもアメリカの力の信奉の表れです。
こうした物語は「勧善懲悪」といわれます。「懲悪」は「悪をこらしめる」ということです。
昔の映画では、悪人をこらしめて、最後に悪人が改心するという物語もありましたが、最近はすっかり見かけません。
今は正義のヒーローが悪人を全部殺してしまいます。そのための派手な銃撃と爆発シーンが盛り沢山です。
アメリカ国民の意識も変わってきているようです。
アメリカはウクライナ戦争をどう終わらせるつもりでしょうか。


ともかく、アメリカは「法の支配」を無視しています。
さらにいうと、「民主主義」も無視しています。

バイデン大統領は「民主主義陣営対権威主義陣営」ということをいいますが、民主主義国は非民主主義国を敵視しません。敵視する理由がありません。
アメリカは世界を分断する理由に「民主主義」を利用しているだけです。

アメリカが民主主義を尊重するなら、国連の運営を民主化しなければなりません。
五大国の拒否権などというおかしなものは廃止して、国連総会の多数決による議決を絶対化し、強力な国連軍が議決を執行するようにします。
こうすれば「法の支配」と「民主主義」が同時に実現し、世界は平和になります。

世界を平和にするのは簡単です。
アメリカの価値観がそれに合わないだけです。

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岸田文雄首相はウクライナを電撃訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した際に「必勝しゃもじ」をプレゼントしました。
必勝しゃもじというのは広島の特産品で、大きな木製のしゃもじに「必勝」の文字が書かれていて、日清戦争、日露戦争当時に軍人が必勝祈願のために厳島神社に奉納したのが始まりだそうです。
これには「スポーツの試合や選挙のときならともかく、戦争のときに贈るべきではない」という批判がありました。
確かに岸田首相の戦争観が気になる出来事ではあります。


日本の首相としてウクライナに行くなら、停戦や休戦の提案を持っていくべきだと思うのですが、岸田首相にそうした外交力があるはずありません。
それにしても、「必勝」を訴えたのでは逆に戦争をあおることになります。
しかも、武器弾薬を提供しない日本の立場にも反します。

それに、必勝しゃもじは神道という宗教とつながっているので、キリスト教国のリーダーに贈るのはどうなのかなと思えます。
そうしたところ、ゼレンスキー大統領がテレグラムに岸田首相との会談について投稿して、その中に「岸田総理から、一枚の木の板を託された。日本古来の呪術の板のようなもので、そこには必ず勝つと書かれている。(中略)会談とウクライナへの強い支援に感謝します」という文章がありました。

「呪術の板」といわれれば、確かにその通りです。
極東の島国では今でも呪術を使っていると思われたかもしれません(「呪術の板」についての文章は捏造されたものでした。根拠はこちら。あえて消さずにそのままにしておきます)。

自民党は政教分離をまじめに考えてこなかったので、靖国神社や日本会議や統一教会が政治の世界に入り込んでいました。
岸田首相がゼレンスキー大統領に神道色のある物を贈ったのも、自民党の宗教に対するルーズさの表れでしょう。

なお、松野博一官房長官によると、岸田首相は必勝しゃもじとともに「折り鶴をモチーフにしたランプ」もゼレンスキー大統領に贈ったそうです。このランプは広島の焼き物「宮島御砂焼(おすなやき)」でできたものです。
折り鶴はもちろん平和の象徴ということですが、これも「呪物」と思われたかもしれません。焼き物のランプはいかにも魔法のランプみたいです。
それにしても、平和の象徴と「必勝」の文字を同時に贈るのは矛盾しています。


そもそもいったいなんのために岸田首相はウクライナに行ったのかというと、よくいわれるのは「G7の国の首脳でウクライナに行っていないのは岸田首相だけだから」というものです。
同調圧力に弱い日本人らしい発想です。
しかし、G7は日本以外は北米と西欧の国ばかりです。ウクライナともっとも縁の薄いアジアの国が行かなくても不思議ではありません。というか、ウクライナ市民も日本の首相が来たというので驚いていたようです。
行ってなにもしないわけにいかないので、岸田首相は600億円超の援助を申し出ました。
行かなければよかったのにというしかありません。


岸田首相は日本がG7の一員であることと、とくに今年5月の広島サミットで議長国を務めることを重く見ているようです。
しかし、G7というのは、米国、英国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7か国にEUが加わったものです。
中国、インド、ブラジルなどが加わっていないので、決して世界の大国の集まりというわけではありません。
要するにアメリカと価値観を共有する国の集まりということです。
国連の外にこのような組織をつくることは世界を分断することになります。

ロシアは一時期G7に加わって、G8といわれていた時代がありました。
しかし、2014年にロシアがクリミア併合をしたことでロシアは排除されました。
もしこのときにロシアを排除していなければ、今回のウクライナ戦争はなかったかもしれません。


岸田首相は核兵器廃絶が信念だそうです。
今年5月のG7サミットの開催地を広島にしたのも、世界に非核の訴えをするためだとされます。
岸田首相は3月19日、地元後援会の会合で「ロシアによる核兵器による威嚇や使用の懸念など、危機的な状況にある中、核軍縮・不拡散の議論においても、被爆地 広島でサミットを開く意味を世界の皆さんとともにかみしめなければならない」と語りました。

確かに非核の訴えをするのに広島は最適の場所です。
なぜ非核の訴えをするかというと、核兵器があまりにも非人道的だからです。
つまり5月のサミットでは、岸田首相はロシアの核による威嚇を牽制しつつ、核兵器の非人道性を訴えるはずです。
となると、広島、長崎に原爆を落としたアメリカを非難することにならざるをえません。
岸田首相がどんなに言葉を選んでも、広島の地で非核の訴えをすれば、誰もがアメリカの原爆投下を思います(サミット参加の首脳は平和祈念館を見学するという話もあります)。

日米の信頼関係を重視する岸田首相が広島で非核の訴えをするのは、明らかに矛盾しています。


必勝しゃもじに続いて「サミットまんじゅう」も話題となりました。
『岸田首相の後援会が配った「サミットまんじゅう」 ロゴ使用ルールを逸脱? 外務省は「基準に合致」強弁』という記事を要約して紹介します。

3月23日の参院予算委員会で立憲民主党の田名部匡代議員が、3月19日に広島市内で行われた岸田首相の政治資金パーティでサミットのロゴ入りのまんじゅうとロゴ入りのペンが参加者に配られたことを取り上げました。
サミットのロゴを使うには著作権を持つ外務省に使用承認申請書を提出する必要があり、承認条件のひとつに「特定の政治、思想、宗教等の活動を目的とした使用はしない」というのがあります。ペンには「岸田文雄後援会」の文字とサミットのロゴが並んで入っていますし、政治資金パーティで配るのは明らかに政治利用です。
しかし、サミット事務局長の北川克郎大臣官房審議官は「開催地広島でサミットの機運を高めることは不可欠」「機運醸成に認められるロゴの使用申請は基準に合致する」と首相をかばい、岸田首相は「さまざまな指摘を受けないように、今後とも慎重に取り扱いを行うことは大事かと思います」と答弁しました。


ウクライナ戦争やサミットという世界的な問題に、必ず岸田首相の地元広島が出てきます。
ゼレンスキー大統領に必勝しゃもじを贈ったのは、ゼレンスキー大統領のためというより、地元広島の特産品を国内にアピールするためでしょう。
つまり岸田首相においては「世界より地元」なのです。

なぜそんなことになるかというと、岸田首相は外交安保の問題を自分の頭で考えていないからです。
考えているのはアメリカです。岸田首相はそれに従っているだけです。
岸田首相は、安倍首相もできなかった防衛費GDP比2%と敵基地攻撃能力保有を簡単に決めました。アメリカに要求されたから従ったのです。
岸田首相は安倍政権時代に長く外相を務めていましたから、そのときにアメリカに従うのが無難だということを学んだのでしょう。

3月20日はイラク戦争開始から20年です。
れいわ新選組の山本太郎参議院議員は3月2日の参議院予算委員会で、岸田文雄首相にイラク戦争の是非について質問しました。「イラク戦争から20年、いまだに開戦支持の過ちを認めない日本政府」という記事から引用します。
山本議員は、米国の世界戦略や自衛隊の米軍との一体化を問う質疑の流れの中で、「アメリカが間違った方向に行った場合は、(日本は)行動を別にすることできますよね?」と岸田首相に質問した。

 岸田首相が「当然のことながら、日本は日本の国益を考え、憲法や、国内法、国際法、こうした法の支配にもとづいて外交安全保障を考えていく、これが当然の方策であると考えます」と答弁したのに対し、山本議員は「イラク戦争はどうだったと思われます? イラク戦争は間違いでしたか? 正しい戦争でしたか? 教えてください、総理」とたたみかけた。

 とたんに岸田首相は歯切れが悪くなり、こう答弁した。

「あのー、我が国としてイラク戦争の、えー、評価をする立場にはないと考えています。わが国として、自らの国益を守る。もちろん大事でありますが、それとあわせて 先ほど申し上げました、法の支配、国際法や国内法、こうしたものをしっかりと守る中で、国民の命や暮らしを守っていく。これが日本政府の基本的な考え方であります」

日本政府はアメリカのイラク戦争の是非を評価する立場にはないそうです。
そうだとすれば、今後アメリカが中国と戦争するときにもその是非を評価する立場になく、アメリカの要求のままに行動するのでしょう。

岸田首相は安保政策については自分で判断しないので、お気楽なものです。
ウクライナ訪問のときもサミットのときも、国内政治と地元のことだけ考えていればいいので、そのため必勝しゃもじやサミットまんじゅうが出てきます。

これは岸田首相だけの問題ではありません。
日本はアメリカ依存をどんどん深めているので、今や日本の安全保障政策はアメリカが決めているようなものです。
それを「緊密な同盟関係」などといって正当化しています。

しかし、こうした関係では、日本国民の税金がアメリカのために使われることが否定できません。
防衛費GDP比2%と敵基地攻撃能力も、日本のためというよりほとんどアメリカのためです。

自衛隊員の命もアメリカのために使っていいか考えないといけません。

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3月16日、岸田文雄首相と韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は都内で日韓首脳会談を行い、友好関係をさら発展させていくことで合意しました。
徴用工問題もどうやら決着しました。
どういう形で決着したのでしょうか。

韓国の最高裁は日本企業にかつての徴用工に対して賠償金を支払うように命じましたが、日本としては払いたくないので、こじれました。
また、韓国政府や韓国世論は徴用工問題で日本に対して謝罪を求めていました。

尹錫悦大統領は3月6日にこの問題の解決策を提案しました。
岸田首相は同じ日に記者会見し、「今回の韓国政府の措置は、日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価しております」「歴史認識につきましては、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場、これを全体として引き継いでいる。これが政府の立場であります」と語りました。
バイデン大統領も同じ日に声明を発表し、「米国の最も緊密な同盟国である日韓両国の協力とパートナーシップの画期的な新章を示した」と歓迎し、ブリンケン国務長官も「記念すべき成果を称賛するよう国際社会に呼び掛ける」と歓迎する声明を発表しました。
ということは、この解決策は日本、韓国、アメリカで話し合われていたわけで、この発表の時点で合意が成立していたものと思われます。

この解決策は、日本企業が払う賠償金を韓国政府傘下の財団が肩代わりするというものです。
発表の時点では、その財団に日本企業も拠出するのではないかという話がありました。これでは日本企業が賠償金を支払ったのとたいして変わりません。
結局、日韓首脳会談後の発表によると、両国の経済団体が未来志向の日韓協力・交流のための「日韓未来パートナーシップ基金」を創立することになりました。
つまり日本企業はカネを出すのですが、別のところに出す形となったわけです。

日本の謝罪の問題は複雑です。
1998年、小渕恵三首相と金大中大統領は日韓共同宣言を発表し、その中に「小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」というくだりがありました。
尹大統領は共同宣言にある「反省とお詫び」を日本政府が継承することを求めました。
そして、岸田首相もその日に「日韓共同宣言を含め(中略)、これを全体として引き継いでいる。これが政府の立場であります」と言って、それを受け入れたわけです。

ところが、日韓首脳会談後の発表文には「反省とおわび」の言葉はありませんでした。
その代わり「旧朝鮮半島出身労働者問題に関し、率直な意見交換を行い、岸田総理大臣から、6日に日本政府が発表した立場に沿って発言しました」という文言がありました。
「6日に日本政府が発表した立場」というのは「日韓共同宣言を引き継いでいるのが日本政府の立場」のことです。日韓共同宣言には「反省とお詫び」という言葉が入っているので、日本政府は理屈の上では「反省とお詫び」を表明したことになります。
まるで“一人伝言ゲーム”みたいです。


韓国では、首脳会談後の発表に「反省とお詫び」の言葉がなかったのはけしからんという声があり、賠償金を求めた原告には韓国の財団のカネは受け取らないと表明する人がいるなど、否定的な声が多いようですが、その声はそれほど強くないという印象です。
日本国内では、これまで嫌韓を唱えてきたネトウヨの戸惑いが目立ちます。日本企業がカネを出すのか出さないのかよくわからず、「反省とお詫び」を表明したのかしてないのかよくわからないという仕組みが効いているようです。

ただ、日本企業がカネを出すのは間違いないので、韓国は「名を捨てて実を取った」といえるかもしれません。
日本は「反省とお詫び」の表明を巧みにごまかしたので、「名を取って実を捨てた」ということになります。

それにしても、徴用工問題がここまでこじれたのはどうしてでしょうか。
それは、日韓ともにあまりにも視野が狭く、二国間関係しか見ていなかったからです。


東アジアにおいて、日本と韓国はともにアメリカの同盟国として、対北朝鮮、対中国で連携しなければならない立場です。
それなのに70年以上も昔の徴用工問題で日韓が喧嘩しているのですから、東アジア情勢が見えてないというしかありません。
とくにアメリカにとっては困ったことです。
ですから今回の解決策は、アメリカが主導したものと考えられます。アメリカに強く言われると、日韓ともに断れません。
兄弟喧嘩をしている子どもを母親がむりやり仲直りさせたみたいなものです。

同じことは慰安婦問題のときもありました。
慰安婦問題で日韓関係がこじれきっていたため、2015年にオバマ政権がむりやり日韓合意にもっていきました。
日韓合意には「おわびと反省」という言葉が入っていましたが、当時の安倍首相はどうしてもその言葉を言いたくなかったため、岸田外相に朗読させて、自分は表に出てきませんでした。
母親がむりやり子どもに謝らせようとしたため、子どもはふてくされてしまったという格好です。

徴用工問題でまったく同じことを繰り返すとは、日韓ともに成長がありません。


東アジア情勢だけでなく、グローバルな視点も欠けています。
日韓関係がこじれている根本原因は、日本が朝鮮半島を植民地支配したことを清算できていないことです。
しかし、植民地支配の清算ができていないのは日韓関係だけではありません。

欧米列強は世界に植民地を広げましたが、今に至るもお詫びも反省もしていません。
植民地支配における非人道的行為について謝罪した国はありますが、植民地支配そのものについて謝罪した国はひとつもありません。

日本も戦後しばらくは、中国やアジアの国に対して戦争により苦痛や迷惑を与えたことについては謝罪してきましたが、植民地支配については謝罪しませんでした。
しかし、1993年、細川護熙首相は所信表明演説において「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」と言い、「植民地支配」について初めて謝罪しました。
村山富市首相も「植民地支配」について謝罪しました。
1995年のいわゆる「戦後50年衆院決議」においても「世界の近代史における数々の植民地支配や侵略行為に想いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」との言葉があります。
そうした流れを引き継いで1998年の日韓共同宣言の「反省とお詫び」があるわけです。

他国を植民地支配した国は多くありますが、日本は唯一それを謝罪した国です。
そこには日本の特殊な立場もあります。
欧米の植民地主義は、根底に人種差別があります。それに、欧米の文化は当時、ほかの地域よりも格段に進んでいたのも事実です。
日本の場合、日本人、中国人、朝鮮人に人種的な違いはありませんし(そもそも人種という概念に意味はないという説もあります)、文化水準もそれほど変わりません。日本がいち早く近代化しただけです。
つまり日本は自分とほとんど変わらない国を植民地支配したわけで、その罪が見えやすかったといえます。


ともかく、日本は植民地支配を謝罪した唯一の国で、これは世界においてきわめて有利なポジションです。
というのは、かつて植民地支配された国は謝罪しない欧米に対して不満を持っているからです。

「グローバルサウス」という言葉があります。
広い意味ではアフリカ、中東、アジア、ラテンアメリカにおける途上国、新興国の総称ですが、狭い意味では、「北」の先進国によって「南」は不当に苦しめられてきたという認識を持った国の集合のことです。
ロシアによるウクライナ侵攻は明らかな侵略行為ですから、グローバルサウスの国もロシアを批判していますが、一方で、NATOなどが主導するロシア批判やロシア制裁を冷ややかな目で見ているのも事実です。


ついでにいえば、欧米は近代奴隷制についても謝罪していません。
アメリカなどはリンカーンの奴隷解放を偉業のように見なしていますが、奴隷解放は当たり前のことで、それまでの奴隷制がひどかっただけのことです。白人は奴隷労働で富を築いたのに、黒人奴隷はなんの補償もなく放り出され、選挙権も与えられませんでした(一部の地域では与えられたが、すぐに剥奪された)。黒人は無教育な貧困層となり、白人は黒人を愚かで犯罪的だとして自分の差別意識を正当化しました。過去を正しく清算しないといつまでも引きずるという例です。


植民地支配や奴隷制に対する欧米の謝罪も反省もしない態度が今の世界の混乱の原因となっています。
今後、グローバルサウスの力が強くなっていけば、欧米に対する倫理的、道義的な責任を問う声が強まるでしょう。
そのとき、朝鮮に対する植民地支配について「反省とお詫び」をした日本は世界をリードする立場になれます。

もっとも、安倍首相は慰安婦問題の日韓合意のときに自分の口から「反省とお詫び」を言いませんでしたし、その後も口に出すことはありませんでした。
岸田首相も今回、巧妙な手口で「反省とお詫び」を口にしませんでした。
こういう中途半端なことをすると、日本は「日本は植民地支配を謝罪した」と世界に向かって胸を張って言うことができません。
また、どうせカネを出すなら、徴用工に対する賠償金として支払ったほうが効果的でした。

岸田首相は世界に向かって日本をアピールする絶好の機会を逸してしまいました。

韓国に謝罪したくない人はグローバルな視点を欠いています。

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