村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 日記

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宮内庁ホームページより

眞子さまの婚約者である小室圭氏とその母親に対する異様なバッシングを見ていると、背後になにかの陰謀があるのではないかと思えます。

小室氏親子に対するバッシングのきっかけは、母親の元婚約者と母親の間に金銭トラブルがあると週刊誌が報道したことです。
元婚約者は婚約期間中に母親に約400万円の援助を行い、自分から一方的に理由も述べずに婚約解消をしたあと、自分の懐事情が苦しくなるとお金を返してほしいと言い出しました。もちろん借用書はありません。
女に振られると、つきあっていた期間のプレゼントの品物やデート代を返せと言う男がいるそうですが、それに似ています。いや、振られた腹いせに言うのはまだわからないではありませんが、元婚約者は自分から振っておいて金を返せと言っているのです。
あきれた言い分です。
いずれにしても、当事者には複雑な感情のもつれがあるでしょうから、外部の人間が口出しするべきではありません。
それに、これはあくまで母親の問題ですから、小室圭氏の結婚とは関係ありません。


ところが、マスコミは元婚約者サイドに立って母親と小室氏を猛烈に攻撃しました。
それによって結婚に対する否定的な世論が形成され、宮内庁は結婚を2年延期すると発表しました。

こういういきさつを見ていると、宮内庁がマスコミを操作して結婚つぶしをしたのかと思えます。
なんのためかというと、「女性宮家」創設のためと想像されました。
女性皇族が結婚して皇籍離脱すると、どんどん皇族の数がへっていき、天皇制の存続があやぶまれるので、女性宮家を創設しようという動きが当時ありました。その場合、女性皇族の結婚相手は元皇族とかそうとうの家柄の男性でなければならないということで、“普通”の家柄の男性である小室氏はふさわしくないことになります。
女性皇族の「婚姻の自由」を無視したとんでもない計画です。そのためか最近は言われなくなりました。


そして、小室氏親子への攻撃が今度は秋篠宮家へと向かいました。
佳子さまが国際基督教大学卒業に際して発表した文書で、眞子さまの結婚に関して「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と当たり前のことを書いただけなのに、「個人の意思を優先するのはワガママだ」とか「秋篠宮家の教育方針が問題」などと批判されました。
さらに、悠仁さまを学習院でなく幼稚園からお茶の水女子大付属に通わせ、中学もお茶の水女子大付属に進ませたことも批判されました。このころ、悠仁さまの教室の机にナイフが置かれるという事件もありました。

そうしたところ、「週刊文春」2019年4月11日号の記事によると、安倍首相は秋篠宮さまが大嘗祭について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べられたことに不快感を示し、その意をくんだ官邸スタッフが秋篠宮バッシング情報を週刊誌に流しているということです。

「週刊文春」の記事が正しいかどうかわかりませんが、秋篠宮家への異様なバッシングを見ていると、なにか裏があるのだろうと考えざるをえません。
私は、マスコミには意外に反天皇制主義者がいて、結婚問題を機会に皇室の権威を落としてやろうとたくらんでいるのかなどとも考えました。


今年4月、小室氏は金銭問題について説明する28枚の文書を公表しました。
するとマスコミの反応は、「長すぎる」の大合唱でした。
しかし、もし文書が4、5枚だったら、今度は「短すぎる」と言って批判したでしょう。
「ていねいに説明します」と言ってなにも説明しない政治家が多い中、実際にていねいに説明したのは立派です。
それから、「内容が一方的だ」という批判も多くありました。
しかし、事実が一方的なら内容が一方的になるのは当然です。
マスコミは内容を批判することができないので、「一方的だ」ということしか言えなかったのです。

もともと借金ではないので、マスコミが反論できないのは当然です。
小室氏が結婚したあと、母親はマスコミを相手に名誉棄損の裁判をすれば、多額の賠償金が取れるのではないでしょうか。


それから、小室氏が髪型をポニーテールにしていることもマスコミに批判されました。
人がどんな髪型をしようと自由です。批判するマスコミがバカをさらしただけです(ブラック校則の弊害がこんな形で出ます)。

とにかく、この結婚問題に関してはマスコミがあまりにもバカで、しかもそれがまかり通っているので、あきれるしかありません。



宮内庁は10月1日に、眞子さまと小室氏が10月26日に正式に結婚されると発表し、同時に眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の状態にあることも公表しました。会見に同席した医師は「自分自身と家族、結婚相手と家族に対する、誹謗中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」と説明しました。

これでさすがに小室氏親子や秋篠宮家に対するバッシングはやむだろうと思ったら、ぜんぜんそんなことはなく、むしろ激しさを増したのではないかと思えるぐらいです。

ここまで小室氏親子や秋篠宮家をバッシングする人が多いとなると、これは陰謀論では片づけられません。
そこで考え直してみました。


この結婚に反対する人が多いのは、皇室は日本最高の家柄なのに対して、小室家はごく普通の家柄で、「究極の格差婚」だからです。
したがって、皇室を高く評価する人ほど、小室家が下に見えて、結婚に強く反対したと思われます。
しかし、「家柄が違う」と言って結婚に反対するわけにいかないので、むりやり借金問題を捏造して、反対の理由にしたのです。

一方を持ち上げれば、もう一方が相対的に下がるのは、当然の理屈です。
ですから、天皇制は差別につながると主張する人もいます。

そのことはわかっていましたが、もうひとつの問題について認識が足りませんでした。
もうひとつの問題というのは、持ち上げられた皇室も差別されるということです。


帝国憲法では、天皇は「神聖」でした。
ですから、天皇や皇族は人間的な感情を持っていなくて当然です。
戦後になっても古い感覚の人は、皇族は神に近い人なので、人間的な感情を持っていると思っていないようです。
ですから、眞子さまが複雑性PTSDになったと発表されても、信じられません。「複雑性PTSDは嘘だ」と言っている人もいます。
小室氏がマスコミからバッシングされれば眞子さまも心を痛めるということも理解できません。
ですから、平気で小室氏親子や秋篠宮家をバッシングできるのです。

雅子さまも2004年に適応障害であると公表されましたが、世の中は正面から受け止めませんでした。逆に「スキーをしたりディズニーランドに行ったりできるのに、なぜ公務はできないのか」という批判が起きました。
雅子さま(現皇后陛下)の適応障害は放置されたままです

「皇族も普通の人間である」ということが認識されていないのです。
これもまた差別です。
「下への差別」でなく、「上への差別」です。

そうすると、小室氏親子へのバッシングは「下への差別」で、秋篠宮家へのバッシングは「上への差別」だとなって、わかりやすくなります。

この結婚を巡る騒動の根底にはやはり天皇制の問題があります。

2021-09-03
TBS NEWSより

菅義偉首相が総裁選不出馬、つまり首相辞任を表明してから、けっこう菅首相に同情する声があるそうです。それはわからないでもありません。

それにしても、菅首相の言う辞任理由はひどすぎます。
9月3日午後1時すぎ、菅首相は記者の前で「コロナ対策と総裁選の選挙活動は両立できない。コロナ対策に専任をしたい」と辞任の理由を語りました(マスコミは「専念」と報じていますが、菅首相は「専任」と3回も言っています)。

実際は、不人気になったから辞任するのです。
なぜ不人気になったのかについて率直な反省の言葉が必要です。

本人が反省の言葉を述べないので、代わりに私が書きます。
このブログで菅首相をいろいろ批判してきたまとめでもあります。


菅首相がもっとも反省するべきは、コロナ対策の失敗です。
菅首相はつねに感染拡大の深刻さを軽視し、同じ失敗を繰り返しました。
最初はGoToキャンペーンに固執して感染拡大を招きました。
緊急事態宣言を発出するときは「短期集中」とか「今回が最後となるような覚悟で」などと楽観的な見通しを示し、結果的には宣言期間の延長、再延長となるのが常で、国民はうんざりしました。
「決め手はワクチン」という言葉を繰り返しましたが、ワクチンの確保は先進国ではどこよりも遅れました。
最初に「コロナ対策と経済の両立」を目指したのも間違いです。コロナ対策を優先するべきでした。コロナの抑え込みに成功すれば、そのあとは労せずして経済は回っていきます。

実は、政策について批判できるのは、大きなことではこれぐらいです。
ほかはデジタル庁の創設とか、2050年温室効果ガスゼロ宣言とか、広島のいわゆる黒い雨訴訟で上告しないことを決めるとか、評価するべきこともあります。

では、コロナ対策以外に菅首相に大きな問題はないのかというと、そんなことはありません。
政治手法と人格に問題がありました。


「菅首相は原稿の棒読みはやめて、自分の言葉で国民に語りかけるべきだ」とよく言われますが、菅首相が答弁のときにカンペを読むのは官房長官時代からやっていたことです。
官房長官の定例記者会見で、記者は質問を事前通告し、官僚が答えを用意し、菅官房長官はそれを読むだけでした。
たとえば昨年、韓国の民間植物園に、慰安婦像の前で安倍首相らしき人物がひざまずいて頭を下げている「永遠の贖罪」と題された造形物が設置され、7月28日の定例記者会見でTBS記者がこのことについて質問すると、菅官房長官は「国際儀礼上許されない」「日韓関係に決定的な影響を与える」と強い調子で韓国を批判しましたが、このとき手元の原稿を見ながら「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓合意」と正式名称を言いました。つまりこの質問があることはわかっていて、答えも用意されていたのです(このやり方に従わなかったのが東京新聞の望月衣塑子記者です)。

昨年9月の総裁選のとき、自民党の青年局・女性局主催の公開討論会が行われ、菅義偉氏、石破茂氏、岸田文雄氏の三候補が出席しました。
これは「討論会」と銘打っていますが、互いに討論することはなく、会場からの質問に三人がそれぞれ一分以内で答えるという「三人そろっての質疑応答」というものでした。
そして、菅氏は質問に対して、ほとんど下を見ながら答えていました。
つまり質問は事前に知らされ、菅氏は答えの原稿を読んでいたのです。このときからすでに棒読みでした。
石破氏、岸田氏も同じ条件だったはずですが、両氏は前を向いて力強い言葉で語っていました。
石破氏、岸田氏は、国民に力強く語りかける能力をアピールしていたわけですが、菅氏にはそんな気持ちがまったくなかったのです。

菅首相としては、官房長官のときも総裁選のときも棒読みでやってきて、それで通用してきたので、改める気持ちもないのでしょう。
今回の辞任発表という重要な場面でも、「専念」を「専任」と平気で言い間違えています。

菅首相に対して「原稿の棒読みはやめて、自分の言葉で国民に語りかけるべきだ」と言うのは、ずっと飛ばないできたニワトリに対して「飛べ」と言うみたいなものです。


菅首相は名官房長官と言われ、それなりの能力はありました。どういう能力かというと、人事権で脅して官僚を思い通りに動かすなど、権力行使が巧みだったことです。
その能力が生かされたのがワクチン接種の加速化です。
菅首相は5月初め、1日100万回の接種を目標に掲げ、「私自身が先頭に立って加速化を実行に移す」と言明しましたが、ほとんどの人は不可能と思っていました。しかし、菅首相は総務省の地方交付税担当課長に自治体に電話をかけさせるなどの手を使って、目標を達成しました。
しかし、こうしたことは“裏工作”であって、首相本来の仕事ではありません。

菅首相の目玉政策は、携帯料金の値下げですが、これも本来は水面下で携帯会社に働きかけて実現することです。公然と政治公約のようにして語られるのは、自由経済の原則にも法令にも反します。

日本学術会議の新会員6人を任命拒否したことも、人事権で脅して従わせるという菅首相得意の手法ですが、首相が表立ってやったために大ごとになりました。


つまり菅首相は、表に立つ人間ではなく、裏で仕事をするのが向いたタイプです。
もともと首相になるべき人間ではなかったのです。


菅氏が「首相の器」でないことは誰もがわかっていたはずです。
それがどうして首相になったかというと、安倍内閣で官房長官だった菅氏が首相になれば安倍体制がそのまま継続して、安倍前首相を初めとする派閥のボスたちに都合がよかったからです。
そのため総裁選で各派閥が菅支持に回りました。

で、「派閥の締めつけ」なるものが行われたとマスコミは言うのですが、これが私には理解できません。
自民党総裁選の投票は無記名です。
各議員は、派閥のボスの言うことなど無視して、自分の思う通りに投票すればいいはずです。
もしかすると、投票用紙にひそかに印がつけられているか、その可能性があって、自由に投票できないのだろうかと考えたりしました。
実際のところは、国会議員にとっては「派閥の利益は自分の利益」ということなのかもしれません。

もっと不可解なのは、党員による地方票も菅氏が有利だったことです(菅氏89票、石破氏42票、岸田氏10票)。
三候補の公開討論会などを見れば、菅氏が首相に不適格であることは明らかです。
自民党員の見識が疑われます。


なお、菅氏が首相になったのには、国民にも責任があります。
陰険な感じの菅氏はずっと国民に不人気でしたが、改元のときに「令和おじさん」として人気になり、その後、「パンケーキおじさん」「スイーツおじさん」とも呼ばれて、若い女性から「かわいい」と言われているという報道がよくありました。
そのため菅氏も首相への色気を出したに違いありません。
そうした勘違いの挙句に、「こんにちは、ガースーです」という発言もあったのかと思います。


ともかく、首相の器でない人間が首相になったので、国民はたいへんでした。
私も菅首相を批判するときに困りました。
コロナ対策を批判するのは政策的なことなのでいいのですが、菅首相の政治手法は、菅首相の長年の政治家人生の中でつちかわれたもので、人格と結びついています。71歳(首相就任時)にもなって急に変えられません。
先ほど「ニワトリを飛べないといって批判する」という例を使いましたが、本人にできないことを求めるのは、求めるほうが間違っています。
ですから、菅首相を批判していると、どうしても批判の筆が鈍ってくるのです。
菅首相に同情の声があることも理解できます。

自民党の国会議員、地方党員には、今度は少なくともこちらが遠慮なく批判できる人間を選んでほしいものです。

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会公式サイトより


東京パラリンピック大会開会式のテーマが「WE HAVE WINGS(私たちには翼がある)」だと知ったときは、いやな予感しかしませんでした。

翼あるいは空を飛ぶことをテーマにした曲は「翼をください」「この空を飛べたら」「翼の折れたエンジェル」など名曲ぞろいですが、どれも人間が空を飛べない哀しみを歌っています。
ところが、パラは「翼がある」です。大丈夫でしょうか。

パラリンピックの開会式はわりと好評でした。オリンピックの開会式と閉会式があまりにも悪評だったので、その反動もあったでしょう。関係者が「外野からの注文が少なかった」と言っていて、統一感があったこともプラスだったようです。


パラ開会式の中心にひとつの「物語」があります。
スタジアムのフィールドをパラ・エアポートという飛行場に見立て、各国選手団もそこに降り立つという設定です。
パラ・エアポートにはさまざまな飛行機が離着陸していますが、そこに「片翼の小さな飛行機」が登場します。NHKのナレーションによると、「翼がひとつしかありません。いつか空を飛ぶことを夢見ています」ということです。
片翼しかついていない車椅子に乗っているのは、公募で選ばれた13歳の和合由衣さんで、先天性の上肢下肢の機能障害があるということです。

少女の周りにはさまざまな個性ある飛行機が個性ある飛び方をしています。目の見えない飛行機は、テクノロジーと心の目で方向を定めて飛んでいるそうです。
「片翼の小さな飛行機にも飛びたい気持ちはあるものの、なかなか一歩を踏み出すことができません」というナレーションがあります。

少女はパラ・エアポートの外に出ます。そうすると、デコトラがやってきます。
「彼女は悩みを打ち明けます。トラックは悩みを笑い飛ばしました。彼女にぜひ紹介したい仲間がいるみたいですよ」というナレーションで、デコトラの中から布袋寅泰氏の率いるロックバンドが出てきて、演奏を始めます。バンドのメンバーは障害があって、障害があるなりの演奏の仕方をします。
それと同時にやはり障害のあるダンサーが出てきて、踊ります。
この演奏とダンスがたいへんすばらしく、「多様性」をよく表現しています。
感動したという人が多いのもうなずけます。

「物語」になっているのも成功しています。見ている人は結末はどうなるのだろうという興味で引き込まれます。

私もどういう結末かと考えました。
翼が片方しかなくては飛べません。腕のいい職人が“義翼”をつくってくれるのかもしれません。あるいは翼を半分切って、両翼にするという手もありそうです。誰か補助者が翼のない側をささえてくれていっしょに飛ぶのかもしれません。
あるいは、飛ぶことを諦めて、飛べない自分を受け入れるという結末もあるでしょう。

で、物語はどうなったかというと、仲間から勇気をもらった少女はパラ・エアポートに戻ってきて、仲間が照らしてくれる夜の滑走路で、仲間の手拍子に勇気づけられて走り出し、そして空を飛びます。

いったいどういう原理で空を飛んだのかわかりません。
ビデオを見返しましたが、やはりわかりません。
推理小説を読んで、読み終えても犯人がわからないみたいな気分です。

世の人々はあまり気にしていなくて、「勇気をもらって飛んだ」みたいな解釈で納得している人が多くいました。


調べてみると、東京オリパラ組織委の公式サイトの「パラリンピック開会式・閉会式」のページに説明が書いてありました。

パラリンピック開会式のテーマである「WE HAVE WINGS」に込めた思い。 人間は誰もが、自分の「翼」を持っていて、勇気を出してその「翼」を広げることで、思わぬ場所に到達できる。 その「翼」をテーマにした物語が始まります。 主人公は、「片翼の小さな飛行機」。 少女は、空を飛ぶことを夢見ています。ただ、翼が片方しかないということで、 空を飛ぶことをあきらめています。彼女は、自分にも本当は「翼」があることに気づいていません。

少女には最初から「翼」があったのです。
ただ、物理的(フィジカル)な翼ではなく、「心の翼」ということでしょう。
ということは、これは「精神力で身体の障害を克服できる」という精神主義の物語です。

ファンタジーの中だから奇跡が起こってもいいではないかという意見があるかもしれませんが、現実離れしたファンタジーにもメッセージがあって、それがわれわれの心に届いて感動が生まれます。
このファンタジーのメッセージはやはり「勇気で障害は克服できる」というものです。

パラリンピック大会という場で、障害者のミュージシャンやダンサーが多数出てきて、主人公の少女も障害者であるという状況で、「勇気で障害は克服できる」というとんでもないメッセージが発せられたのです。


障害者がみずからの努力で障害を克服してくれれば、周りの人間にとってこれほどありがたいことはないので、こういう物語は歓迎され、「感動ポルノ」と呼ばれます。
感動ポルノとは、「身体障害者が物事に取り組み奮闘する姿が健常者に感動をもたらすコンテンツとして消費されていることを批判的にとらえた言葉」と説明されます。

これは「片翼の小さな飛行機」の物語だけでなく、<東京2020パラリンピック競技大会開会式コンセプト>と題された次の文章にも感じられます。

WE HAVE WINGS

人生は追い風ばかりではありません。

前に進もうと思っても、なかなか進めない。

視界不良で、状況を掴めない。

ついにはその場で立ち止まり、うずくまる。

誰しもが、そんな逆風を何度となく経験します。

しかし、パラリンピックに出場するアスリートたちは知っています。

風がどの方向に吹いていようと、それを人生の力に変えられることを。

勇気を出して「翼」を広げることで、思わぬ場所に到達できるということを。

いよいよパラリンピックが始まります。

アスリートたちのパフォーマンスは、あなたにも「翼」があることを気づかせてくれるでしょう。

パラ・アスリートの活躍を「感動ポルノ」として消費することを宣言したような文章です。
パラリンピック大会運営の中心的な人たちがこうした考えなのでしょう。

障害は精神力では克服できません。
パラリンピック大会が間違ったメッセージを発するのは多くの障害者にとって迷惑です。
「片翼でも空を飛べるんだから、あなたも努力すればできる」と言われかねないからです。

「翼がある」はやはり根本的に間違っています。


ところで、「片翼の小さな飛行機」の物語は、飛べないで悩んでいた少女が、みんなの協力で“義翼”をつけてもらって、空を飛ぶ喜びを味わうという結末でよかったのではないでしょうか。
そのほうが感動的です。

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コロナ禍が長引くとともに、若者を攻撃して不満のはけ口にする風潮が強まっています。

7月28日、小池百合子都知事は取材陣に対して、「ワクチンを受けた高齢の人たちの感染はぐっと下がっていて、逆にワクチンを受けておらず重症や中等症になる若い世代が増えている」と状況を説明したあと、「ワクチンを若い人にも打ってほしい。若い人たちの行動がカギを握っているので、ぜひ、ご協力いただきたい」と若者に呼びかけました。

しかし、実際はワクチンの絶対数が不足して、打ちたくても打てないのが実情です。それに、高齢者から先に打ち出したので、ワクチンを打った若者が少ないのは当たり前です。
小池都知事の言い分だけ聞いていると、まるでワクチンを打たない若者が悪いみたいです。

小池都知事は感染拡大で都民に行動自粛を呼びかけるとき、必ず同時に不満のはけ口になる攻撃対象を示してきました。
昨年4月の最初の緊急事態宣言のときはパチンコ店でした。パチンコ店が感染拡大を招いているという根拠もないのにパチンコ店だけを問題にし、営業自粛要請に従わないパチンコ店の店名を公表するなどしました(これは東京都だけではありませんでしたが)。
その次は風俗店です。ホストクラブ、歌舞伎町、さらには「夜の街」というよくわからないものまでも攻撃の対象にしました。

最近はもっぱら若者です。
「若者は動き回って感染を広げる」という理屈で、とくに若者に対して強く行動自粛を呼びかけ、若者の路上飲みや公園飲みを非難しました。
そして、感染者の中で若者の比率が高まっていることが問題であるかのように再三述べるので、やはり若者が悪いようなイメージになりました(高齢者優先でワクチン接種をしてきたので若者の感染率が高まるのは当然です)。

「若者が感染を広げている」ということは、小池都知事だけでなく、政府関係者からもよく言われます。
パチンコ店、風俗店は社会的に低く見られ、政治力もないので、不満のはけ口にするにはもってこいです。若者も同じような存在なのでしょう。

そして、とうとう小池知事はワクチンを拒否する若者を非難するようなことを言ったわけです。


若者にワクチン拒否の傾向があることは事実です。
FNNプライムオンラインの「なぜ若者はワクチン接種に消極的なのか? 接種に不安を抱える若者たちのホンネ」(7月19日)という記事によると、『ワクチン未接種の若者3600人を対象に番組でアンケートを行ったところ、「受ける」人が49%、「受けない」人が19%、「迷っている」人が32%という結果になった』ということです。
これはネット調査ですから、少し偏りがあるかもしれませんが、ほかの調査でも若者はワクチン接種に消極的です。
これは当然のことで、若者は感染しても重症化することは少なく、逆にワクチン接種による副反応は強く出るからです。

年齢による副反応の違いはかなりのものです。

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『コロナワクチン副反応の出やすさに『3つの特徴』…1回目より2回目・男性より女性か・高齢者より若い人』より


これを見ると、高齢者と比べて若者にワクチン拒否の傾向が強いのは当たり前のことと思えます。

若者はネットを使って高齢者より幅広く情報収集をしています。
新聞やテレビは、副反応がこれほど多く生じて、それもけっこう苦しい思いをする人が多いということをほとんど報道しません。私も有名人のSNSやブログでの発信で副反応がかなり苦しいものだということを最近知りました。
それに、ワクチン接種後に死亡した事例が7月30日までに919例報告されていますが、一応接種と死亡の因果関係はないとされているので、マスコミはあまり取り上げません。ただ、ネットでは議論されています。
そうしたことも若者がワクチン拒否に傾く理由でしょう。

若者にワクチン拒否の傾向があるのは、合理的な判断によるものと思われます。


ところが、小池都知事のような人は、若者はデマに踊らされていると見ているようです。
しかし、ワクチン接種は自分の命と健康に直結する問題ですから、誰でも真剣に考えます。
「ワクチン拒否の若者はデマに踊らされている」という認識は、若者をバカにしたものです。

たとえば橋下徹氏もそういう認識なので、自分の子どもの説得もできません。
橋下徹氏 娘の〝ワクチン拒否〟嘆く「お父さん、50年後保障できるの?って…」
元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏が31日放送の読売テレビ「今田耕司のネタバレMTG」に出演。若者の間で出回っているコロナワクチンのデマについて語った。

 橋下氏は「僕はいろんな番組で最初は『社会防衛のためにはワクチンは絶対強制が必要だ』と。日本では強制はできないので、『半ば強制は必要でしょう』と言ってたんですけど」と前置きし「うちの子供はワクチン拒否ですから」と苦笑い。

 一生懸命説明し、その時点よりは子どもの理解も進んだというが「やっぱりネットの中の情報、うちの娘もそうなんですけど、『子宮に影響がある』っていうのが…。特に医療従事者を語る人がそれを言ってたりとか。『お父さんそれは50年後、絶対大丈夫っていうことを保障できるの?』って(言われた)。俺、ワクチンの専門家じゃないしな…。それがすごい今浸透してるんでね」と悩ましげだった。

 その直後に首相官邸のツイッターがデマを打ち消すつぶやきを投稿したというが、橋下氏は「デマと言われる情報はもっと詳しく書いてあるんですよ、この(ツイッターの)4行だけでそりゃ子供たち信用しませんよ」と指摘した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e952f5f44d34a71531ad365ea6faf555d344622e

橋下氏の娘さんは自分の妊娠出産のことを真剣に考えていますが、橋下氏は「社会防衛」のことを考えているので、話が合うわけがありません。

娘さんの心配は一概に否定できるものではありません。
厚生労働省のホームページは、ワクチン接種と不妊の関係について次のように書いています。

Q.ワクチンを接種することで不妊になるというのは本当ですか。
A.ワクチンが原因で不妊になるという科学的な根拠はありません。ワクチン接種により流産率は上がっておらず、妊娠しにくくなるという根拠も確認されていません。
新型コロナワクチンも含め、これまでに日本で使用されたどのワクチンも、不妊の原因になるという科学的な根拠は報告されていません(※1、※2、※3)。排卵と妊娠は、脳や卵巣で作られるホルモンによってコントロールされていますが、新型コロナワクチンには、排卵や妊娠に直接作用するホルモンは含まれていません(※4、※5)。また、卵巣や子宮に影響を与えることが知られている化学物質も含まれていません。動物実験においても、ファイザー社のワクチン、武田/モデルナ社のワクチン共に、接種したラットが問題なく妊娠・出産したことが確認されており、生まれた仔にも異常は無かったことが報告されています(※4、※5、※6)。

米国でワクチン接種後に妊娠した827人の女性の経過を調べた研究では、ワクチンを接種した人の流産率が自然に発生する流産率を上回ることはなく、ワクチンが妊娠に与える好ましくない影響は確認されませんでした(※2)。また、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの臨床試験では、ワクチン接種後に妊娠した人がいることも報告されており(ファイザー社:ワクチン接種群12人、プラセボ接種群11人、モデルナ社:ワクチン接種群6人、プラセボ接種群で7人)、ワクチン接種により妊娠しにくくなるという根拠は確認されていません(※4、※5)。
(攻略)
https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0086.html

ワクチン接種が妊娠に悪影響を与えるという証拠はないということですが、ワクチン接種が妊娠になんの影響も与えないという証拠もありません。827人の女性に好ましくない影響があったことは確認されていないといいますが、データが少ないですし、出産後の子どもの発達に悪影響が出たことが今後確認されるかもしれません。

副反応、接種後の死亡例、将来の悪影響などを考えてワクチン拒否をする若者がいても、一概には否定できません。
否定しようとする小池都知事や橋下氏のほうにむりがあります。


そもそも今はワクチン不足で、多くの人が打ちたくても打てない状況にあります。
そんな中で、若者のワクチン拒否がことさら問題になるのは、若者を攻撃して不満のはけ口にしようとする人がいるからだとしか思えません。

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西村やすとしオフィシャルサイトより

東京五輪開催目前にして菅政権の迷走ぶりがきわだっています。
東京都はまん延防止等重点措置の継続かと思ったら緊急事態宣言になり、五輪は有観客になるのかと思ったら無観客になり、その挙句に出てきたのが、酒類提供をやめない飲食店に対して「金融機関からも働きかけてもらう」という西村康稔経済再生担当相の発言です。
この発言は大批判されましたが、決して西村大臣の思いつきではありません。むしろ菅政権の重要政策です。

西村大臣は7月8日の記者会見で、酒類提供停止の要請に応じない店舗の情報を金融機関に提供し、金融機関から働きかけてもらうと述べました。
店舗に働きかけるのは行政の仕事です。金融機関にさせる法的根拠がありませんし、金融機関を使って店舗に圧力をかけようという発想は卑劣です(独占禁止法が禁じる「優越的地位の濫用」に当るとも指摘されています)。

この発言が批判されても西村大臣は翌9日午前の記者会見で、「真面目に取り組んでいる事業者との不公平感の解消のためだ」と釈明して、発言は撤回しませんでした。
加藤勝信官房長官も9日午前の記者会見で、西村発言について「金融機関に感染防止策の徹底を呼び掛けていただきたいという趣旨だ」と説明し、発言に問題はないとしていました。

しかし、批判がやまないために、加藤官房長官は9日午後の記者会見で「金融機関などへの働きかけは行わないことにしたと西村担当相から連絡を受けた」と述べて、西村発言は事実上撤回されました。


しかし、西村大臣がやろうとしたのは、金融機関を通じての働きかけだけではありません。
西村大臣は8日の記者会見で、酒類卸業者に対して、酒類提供停止の要請に応じない店舗とは取引を停止するよう要請したと述べました。
つまり酒類提供停止の要請に応じない店舗には、酒類卸業者と金融機関の両方から圧力を加えようとしていたのです。

酒類卸業者への要請は、国税庁からの文書として8日付ですでに出されていて、「酒類販売業者におかれては、飲食店が要請に応じていないことを把握した場合には、当該飲食店との酒類の取引を停止するようお願いします」と書かれています。

2021-07-11
ANNnewsより

酒類卸業者は国税庁の免許が必要な業種ですから、国税庁からの要請は相当な圧力になります。
ただ、これは独禁法違反のような問題はなく、すでに文書化されていたためか、いまだに撤回されていません。

東京都はまん延防止等重点措置から緊急事態宣言に変わりましたが、中身はほとんど変わらず、唯一変わったのが、飲食店の酒類提供が午後7時まで許されていたのが全面禁止になったことです。
ですから、飲食店が禁止の要請に従わず従来通り酒類提供を続ければ、緊急事態宣言の効果はないことになり、感染者の増加も変わらないことになります。
そうするとオリンピック期間中、毎日新規感染者数の増加がニュースになり、オリンピックムードに水を差すことは必定です。

現在、酒類提供は午後7時までという要請を無視して営業を続ける飲食店が増えています。こういう店には緊急事態宣言もあまり効果がないでしょう。緊急事態宣言下でも要請を無視する店は増えてくるかもしれません。
どうして飲食店に酒類提供をやめさせるかということは政府内で議論されたはずです。
そうして出てきたのが、飲食店に卸業者と金融機関のふたつのルートから圧力をかけるという方法です。
裏から手を回すというヤクザみたいな手口で、しかも効果にも疑問がありますが、なんとか飲食店に言うことを聞かせたいという必死さは感じられます。

緊急事態宣言と、飲食店にふたつのルートから圧力をかけるという政策は、一体のものとして実施されました。
当然、菅首相がこの政策を知らないはずありません。
いや、むしろ菅首相の発案ではないかと思われます。
菅首相の得意のやり方だからです。


菅政権は4月ごろからワクチン接種を強力にプッシュし、7月末までに高齢者への接種を完了させるように各自治体に圧力をかけました。
このとき、普通は厚労省が動きそうなものですが、総務省からも働きかけがありました。

群馬県太田市の清水聖義市長のところには総務省の地方交付税課長から電話があり、市長は地方交付税増額の話でもあるのかと期待したら、7月末までにワクチン接種を完了させるようにという話だったということです。市長はこのことを市の広報誌に書いたので、広く知られるところとなりました。

厚労省から言われるより、地方交付税を差配する総務省から言われたほうが、自治体としては重く受け止めざるをえません。
中日新聞の『「7月完了」政権ごり押し 高齢者ワクチン接種、市区町村86%「可能」』という記事によると、これが太田市だけでないことがわかります。
「妙な電話が来ている」。四月二十八日の千葉県内の会合。ワクチン行政を担う厚生労働省ではなく総務省から、首長を指名し、接種完了の前倒しを求めてくることが話題になった。同じ時期、宮城県の自治体職員は「完了が八月以降のところが狙い撃ちされている」と取材に話した。中国地方の県関係者は電話口で「厚労省でなく、うちが動いている意味合いは分かりますね」と言われた。
 関東地方の市長の元にも、総務省の複数の職員から電話が来た。最初、体よく断ると、次には局長から「自治体はわれわれのパートナーだと思っています」と前倒しへの同調を求められた。首長は「まずワクチンを供給して」と、やり返した。

総務省を使って自治体に働きかけるというやり方が、金融機関や酒類卸業者を使って飲食店に働きかけるやり方と同じです。

人の弱みをつく巧妙なやり方ですが、言い換えれば陰湿なやり方です。
こんなことをしていれば、日本全体がモラルのない国になります。


そもそも菅政権の目玉政策であった携帯料金値下げも、総務省が携帯会社に圧力をかけて値下げさせるというものでした。
総務省にも政府にも携帯会社に値下げさせる権限はありません。
携帯料金が不当に高いのであれば、料金表示をわかりやすくするなどして公正な競争を促進する以外に方法はなく、政府が携帯会社に値下げを迫るのは違法行為か、少なくとも不当な圧力です。
こんなやり方をしたのでは、日本の携帯業界は価格決定権が会社ではなく政府にあるということになって、新規参入してくる業者がなくなり、業界の衰退を招きます。

ところが、このやり方がマスコミからも有識者からもほとんど批判されませんでした。
そのため菅首相は勘違いして、やり方をエスカレートさせて、今回の金融機関と酒類卸業者を使って飲食店に不当な圧力をかけるということにいたったのではないかと思われます。


いずれにせよ、飲食店に酒類提供をやめさせることは重要な問題であり、菅首相が関与していないはずはありません。
ところが、菅首相は9日朝、記者から「優越的地位の濫用につながらないか」と問われた際、「西村大臣というのは、そうした主旨での発言というのは絶対にしないと私は思っている」と答えましたが、今のところ菅首相のこの件に関する発言はこれだけです。

西村大臣は各方面からの猛批判にさらされ、辞任、更迭、議員辞職を求める声も上がっています。
しかし、この批判は的外れです。
政治家の失言の場合は、このように個人が批判されますが、今回は政府の政策の問題なので、批判されるのは西村大臣ではなく政府です(西村大臣は記者会見で発表する役回りだっただけです)。
もちろん政府の最終責任は首相にあります。
西村大臣の後ろに隠れている菅首相こそ批判されるべきです。

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白血病で長期療養していた競泳の池江璃花子選手が東京五輪代表選手に内定し、“奇跡の復活”としてもてはやされています。

池江選手は2019年2月、白血病と診断され、造血幹細胞移植を受けるなどの闘病生活を送りました。
そして、2020年8月、東京都特別水泳大会に出場して選手活動を再開しましたが、体が細くなって、前よりかなり筋肉が落ちているのが見た目にもわかりました。
しかし、4月4日、日本選手権の女子100メートルバタフライで優勝し、400メートルメドレーリレーの東京五輪代表入りを決め、さらに8日には女子100メートル自由形でも優勝し、400メートルリレーでも代表入りを決めました。
“奇跡の復活”と言われたのは当然です。

とくに4日の池江選手の涙のインタビューに心を動かされた人が多かったようです。


そして、そうした感動を利用しようという人もいます。
池江選手の復活劇を東京五輪開催に結びつけて、「東京五輪を中止しろと言っている人は池江選手の前でも言えるのか」と主張しているのです。
こうして五輪開催反対の声を封じようというのです。

池江選手は、東京五輪が中止になったら、せっかく手に入れた五輪の切符が無意味になって、がっかりするでしょう。
しかし、五輪大会は誰か個人のために開催するものではありません。
「中止になるはずだったのを池江選手のために開催した」ということになると、池江選手にたいへんな責任がかかってきます。

どんな感染対策をしても、開催すれば開催しないよりも確実に新型コロナ感染者が増えます。そうすると、感染者が増えたのは池江選手のせいだとして批判する人も出てくるでしょう。
いずれにせよ、五輪開催という重大事を個人と結びつけてはいけません。


それから、池江選手の努力や精神力に感動したという人がいるのですが、こういう人にも困ったものです。
私は池江選手の復活をすごいと思いましたが、なにをすごいと思ったかというと「体の回復」です。

白血病は大病ですから、治ったといっても、体が百パーセントもとに戻ることはないか、戻ってもかなり時間がかかるのではないかと思っていました。
今はまだ百パーセントもとに戻ったかどうかわかりませんが、それに近いところまで戻ったわけで、そのことがなによりの驚きです。
これは医学のおかげで、それに加えて池江選手の身体能力がもともと高かったからです。

それから、衰えていた体をもとに戻すのに適切なトレーニングが行われたに違いなく、そのことにも感心しました。
もちろんそれは本人とコーチの力によるのですが、これも努力や精神力ではなく技術の問題です。

つまり池江選手の“奇跡の復活”は、本人の生まれ持った身体能力と医学と科学的トレーニングのおかけで、努力や精神力のおかげではありません。
ここは重要なところです。

身体の問題を精神で解決できるというのは「精神主義」です。
日本では軍国主義の時代に精神主義が広がり、いまだに残っています。

スポーツの世界では、優れた能力を持ったアスリートが病気や体の故障で無念の思いで競技の世界を去っていくということが山ほどあり、精神主義の無意味なことがわかります。


ところが、世の中には精神主義がはびこっているので、ものごとを身体の問題ではなく精神の問題ととらえがちです。
池江選手自身もインタビューで「努力は必ず報われるんだなと思いました」と語ったために、ややこしいことになりました(もちろん努力しても必ず報われるとは限りません)。

マスコミは、この復活劇を感動話にするために、よりいっそう池江選手の精神面に注目します。
そのため、白血病はどんな病気で、どのように治癒するのかとか、体力の回復のためにどんなトレーニングをしたのかといった価値のある情報がまったく伝わってきません。


精神主義と似ていますが、道徳の問題としてとらえる人もいます。
「東スポ」によると、5日朝のフジテレビ系ワイドショー「めざまし8」でコメンテーターの橋下徹氏は、この話をぜひ道徳の教科書に載せてほしいと主張したそうです。
 ショッキングな白血病告白から2年2か月、これほど早い五輪代表復帰と、直後の涙のインタビューは日本中、いや世界中を感動の渦に叩き込んだ。

 この大偉業にコメンテーターの橋下氏も興奮。「ぜひ道徳の教科書に、絶対に載せてほしい! このストーリーは子供たちに伝えたいし、家庭内の食事中にもこの話をしてほしい」と熱弁した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/553ac35d88a1482693ee958ba63cee5b9e1d29a6

私の考えでは、もしこの話を教科書に載せるなら、道徳ではなく保健体育の教科書です。
白血病の知識と、リハビリテーションやトレーニングの方法を学ぶ材料になります。
道徳の教科書に載せたら、子どもたちは白血病は努力で克服できるのかと誤解しかねません。


自民党は道徳教育を強化しているので、ほんとうにそんな道徳の教科書ができるかもしれないなと思っていたら、現実はその先を行っていました。

朝日新聞が「福島で被災の雑種が災害救助犬に 挑戦11回、葛藤の末」という記事で、「じゃがいも」という犬が災害救助犬になったという話が小学校の教科書に載ったと書いています。
この記事の冒頭だけ引用します。

 福島第一原発事故で全村避難した福島県飯舘村の住民から引き取られ、災害救助犬になった雑種犬がいる。認定試験に何度落ちても挑戦し、11回目でようやく合格した。頑張るその姿は、小学校の道徳の教科書に採用された。救助犬としての期間は残りわずかだが、いつでも出動できるように訓練を重ねる。

試験に10回落ち、11回目で合格したことを記事は「頑張る」と表現していますが、犬がみずから試験を受けたわけではなく、犬の世話をしているNPO法人「日本動物介護センター」の人が受けさせたわけです。
この話から子どもに「諦めない心」を学ばせようというのはむりがあります。
そんなことより災害救助のノウハウを教えたほうがよほど有益です。


災害救助犬をつくるには、素質のある犬を選び、適切な訓練をしなければなりません。犬の「頑張り」は関係ありません。
池江選手の復活も、本人の身体能力と医学の力と適切なトレーニングがあってこそです。それがなければ、いくら池江選手ががんばってもどうにもなりません。

精神主義的な感動話ばかりの報道はいい加減にしてほしいものです。

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テレビ朝日ホームページより

テレビ朝日「報道ステーション」の番組宣伝CMが女性蔑視であるとして炎上しました。
愚かな政治家が愚かな発言をするのと違って、テレビ局の報道番組に関することですから、問題は深刻です。

テレビ朝日はCM動画を削除して謝罪しましたが、今のところそのCM動画はYouTubeで見られるはずです。



動画が見られなくなるかもしれないので、あるサイトから内容を文章化したものを引用しておきます。

テロップ「これは報道ステーションのCMです」

(場面)女性の自室らしい。そこへ女性が帰宅した。24~5歳くらいの女性が画面にフレームインして喋りだす。動画のオンラインで友達と話をしているのだ。女性は極めてリラックスしていて、話している相手が恋人だと思う人がいても良いくらいのイメージで撮ること。女性は全編通して溢れる笑顔である。

女性「ただいまー。なんか、リモートに慣れちゃったらさ。久々に会社行ったらなんか変な感じしちゃった」「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?」「あっ9時54分。ちょっとニュース見ていい?」

テロップ「こいつ、報ステ見てるな」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a07c8b849df6f038e1b9f763ab9ea77df5708985

いちばん炎上したのは「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的に掲げているのが時代遅れ」という部分です。
ジェンダー平等は国連「2030アジェンダ」に明記されていて、時代遅れどころか2030年までの実現を目指す国際目標です。しかも日本はジェンダー平等については後進国ですから、目標達成ははるか未来です。

それから、最後に「こいつ」という言葉が出てきて、男が女性を上から視線で見ていることがわかります。
女性蔑視CMだとして炎上したのは当然です。


ただ、こんな女性蔑視CMでも擁護する人がいました。
「消費税高くなったよね」という言葉があるので、これは未来社会のことだから、ジェンダー平等のスローガンが時代遅れになっているのだというのです。

「消費税高くなったよね」という言葉に、私も「あれ? いつのことだろう」と思いました。
ただ、未来のことだとは断定できません。未来と過去の両方の場合があります。

それに、もうひとつ別の可能性もあります。
4月1日から小売店で消費税込み価格の表示が義務づけられているので、現在、小売店で税抜きだった価格表示が税込みに変わりつつあります。それを見て、消費税が上がったと勘違いしているのかもしれません。
つまりこの女性はおバカなのです。
男性目線のCMですから、「美人で、明るくて、おバカ」という男にとって都合のよいキャラに設定されている可能性があります。



このCMに対する批判は、もっぱら女性蔑視、女性差別だからけしからんという観点からですが、私は別の観点から批判したいと思います。

今、ジェンダー平等を叫んでいる政治家の多くは野党議員で、女性差別だと批判される政治家の多くは自民党議員です。
この若い女性は、会社の同僚や化粧品など身近なことにばかり関心があるようですが、突然「ジェンダー平等を叫ぶ政治家は時代遅れ」と政治家に対して強烈なパンチを見舞います。
笑顔を浮かべながらのパンチですから、より効果的です。
蓮舫議員や福島瑞穂議員はさぞかしアタマにきたでしょう。

そのあと「消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね」と言うのですが、それに対する感想や意見はありません。
普通なら「消費税上げたのに国の借金がへらないっておかしくない?」などと言うところです。
この若い女性は終始笑顔なので、増税も国の借金も笑顔で受け入れているようです(「消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね」と言うときは笑顔は消えるのですが、すぐまた笑顔になります)。

この女性は、野党議員には的外れなパンチを放ち、財政赤字増大という政権が生み出した重大問題はスルーするのです。
これが報道ステーションのCMだということは、報道ステーションは政権寄りの番組だと宣言しているようなものです。

テレ朝の上層部も、テレビ局は「政治的に公平」であるべきだということは理解しているはずですが、それでも政治的偏向を露呈するとは、骨の髄まで偏向しているのでしょう。


今、テレビ局は、視聴率調査が世帯視聴率から個人視聴率に変化していることもあって、若い女性の視聴者を増やしたいようです。このCMもその狙いでつくられたのでしょう。
若い女性の視聴者を増やしたいなら、報道ステーションのスタッフに若い女性を増やして、「報道ステーションには多くの女性スタッフがいて、女性向けの情報発信を行っています」というCMをすればいいのです。
しかし、テレビ局は既得権益にあぐらをかいているので、そういう自己変革はできず、小手先の対応をするので、このようなおかしなCMができてしまうのです。

既得権益にあぐらをかいている点では、テレビ局も自民党も同じ穴のムジナです。



テレ朝はCM動画を削除するときに声明文を発表しましたが、そこには「ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたものでしたが、その意図をきちんとお伝えすることができませんでした」とあり、伝え方が悪かっただけで、意図は正しかったという態度です。
テレビ局のかかえる問題はかなり根が深いといえます。

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セクハラやレイプ被害を告発する「#MeToo」運動が世界的に行われ、日本ではハイヒール強制に反対する「#KuToo」運動があり、そして、最近韓国では学生時代のいじめを告発する「#暴Too」運動が大きな社会問題になっています。

最初のきっかけは、CMなどにも出演する女子バレーボールのスター選手、イ・ジェヨンとダヨン姉妹が過去に壮絶ないじめをしていた事実が発覚したことです。2人は謝罪しましたが、代表選手の資格を剥奪されました。
それから、過去のいじめを告発するということが芸能界でも次々と起きて、ドラマやバラエティ番組がいくつも放送できなくなる事態になっています(詳しいことはこちらの記事で)。

日本では「いじめ」ですが、韓国では「学校暴力」と呼ばれて、法律で定義され、日本よりも犯罪という意識が強いようです。

しかし、小中高校時代のことを告発されても、被害者本人と級友の証言以外に証拠はないはずで、実際、告発された人物はたいていいじめの事実を否定するので、事態はこじれます。
ただ、有名人が告発されると、それだけで大きなイメージダウンになります。


日本でも似たことがありました。
週刊文春によると、眞子さまの婚約者である小室圭さんが中高時代に同級生の女性をいじめて、そのため女性は高校1年で退学し、2年ほど引きこもり生活をし、「人生を狂わされた」と言っているということです。
これなどまったく信ぴょう性がありません。マスコミはずっと小室圭さん批判をしてきて、この報道もその一環です。捏造したものではないかという疑念があります。

それに、学校時代にいじめられたという人はいっぱいいます。そういう人がみんな告発をするようになって、告発された人がなんらかの対応をしなければならないとなると、世の中は大きな難題を背負い込むことになります。
そんなことを考えさせられる文春の報道でした。


それから、私が思い出したのは、1980年代から90年代にかけてアメリカで、幼児期に親から虐待されたとして成人した子どもが損害賠償を求めて親を訴えるケースが頻発したことです。
これに対して、訴えられた親を支援する財団が設立され、心理学者が動員され、幼児虐待の記憶はセラピストによって捏造されたものだという反論がなされ、その結果、訴訟のほとんどは親側の勝利で終わりました(この経緯はウィキペディアの「虚偽記憶」の項目で読めます)。

幼児虐待は家庭という密室で行われ、少なくとも10年、20年も前のことなので決定的な証拠はほとんどなく、そうすると幼児虐待を隠ぺいする方向、つまり親に有利な方向になってしまいます。


韓国の「#暴Too」運動は、これらとはまったく異質です。

「#MeToo」運動が告発するセクハラやレイプは、男と女という強者と弱者の関係で起き、「#KuToo」運動が告発するハイヒール強制は、会社と女性社員という強者と弱者の関係で起き、幼児虐待はもちろん親と子という強者と弱者の関係で起きます。
ですから、こうした運動は社会改革の運動でもあります。

ところが、学校でのいじめは、基本的に同級生という対等の関係で起きます。
もちろん強い者が弱い者をいじめるのですが、強い弱いといってもわずかな差です。ときには立場が入れ替わることもあります。
いじめた者を裁いたところで、社会も変わりませんし、学校も変わりません。
それに、証拠がないので裁判に持ち込んでも勝てることはまずありません。
そうすると、有名人に対する個人攻撃、人格攻撃になるだけです。


さらに、根本的なことを言うと、「#暴Too」運動は告発する相手が違います。

「自由の裏に責任」とよく言われますが、子どもは義務教育や校則や教師の指導に縛られているので、自由がなく、責任の主体にはなりません。
学校でいじめが起きたとき、責任が問われるのは教師と学校です。
日本でいじめで子どもが自殺したとき、自殺した子どもの親が損害賠償請求の訴訟を起こすことがありますが、訴訟の相手はいじめた子どもではなく、たいていはいじめた子どもの親と、管理責任のある学校と教育委員会です。

いじめ防止基本法には、「児童等は、いじめを行ってはならない」とありますが、いじめを行った児童の責任を問う規定はなく、国、地方公共団体、学校設置者、学校及び教職員、保護者の責務の規定があるだけです。
ですから、いじめた子どもが成人になったとしても、その責任を問うことはできないでしょう。
責任を問うなら、当時の学校、教師、教育委員会、そしていじめっ子の保護者です。


韓国でも、自由のない子どもの責任を問うことができないのは同じはずです。
いじめられた人がいじめた相手を憎んで、告発したくなる気持ちはわかりますが、社会やマスコミは冷静に責任の所在を判断して対処する必要があります。
そうすれば「#暴Too」運動も沈静化するでしょう。

いじめっ子の責任を問うよりも学校の管理責任を問うほうがよほど建設的です。

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ユニバーサル ミュージック「うっせぇわ」特設ページより

子どもの間で「うっせえ」という言葉が流行し、眉をひそめる親がふえているそうです。
Adoという18歳の女子高生の歌う「うっせぇわ」という歌がヒットして、その中の「うっせえ、うっせえ、うっせぇわ」というフレーズを子どもがよく口にするというわけです。

昔、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ」という替え歌を歌ったら、子どもたちがことあるごとに「カラスの勝手でしょ」と言うようになって親を困らせ、「8時だョ!全員集合」が「ワースト番組」としてやり玉に上がったことが思い出されます(「ワースト番組」というのはのちの「子どもに見せたくない番組」です)。
また、小島よしお氏の「そんなの関係ねえ!」というギャグが流行したときも、子どもが「そんなの関係ねえ!」とよく言うので、問題になりました。そのため小島よしお氏は、悪い言葉づかいと言われないように「そんなの関係ない!」と言うようにしたそうです。

「子どもに悪影響がある」と言ってテレビ番組や歌などを批判する人は昔からいますが、こういう人こそ世の中に悪影響を与えています。
子どもは好きな番組を見て、好きな歌を聞き、気に入った言葉を口にしているだけです。それをいけないと言うのは、子どもの人格の否定です。
こういう人はさらにテレビ番組を変えようとして、テレビ局にクレームをつけます。これは独裁国がメディアを操作して国民を支配しようとするのと同じやり方です。

「うっせえ」「カラスの勝手でしょ」「そんなの関係ねえ」はみな同じような言葉で、親が「勉強しなさい」「きちんとしなさい」「早くしなさい」などとうるさく言ってくるときに言い返す言葉です。
親は子どもに「うっせえ」と言われたら、歌のせいにするのではなく、自分がうるさいのではないかと反省するべきです。


そういうことで、「子どもに悪影響がある」と言って歌を批判するのは、昔からよくあることで、くだらないなと思っていましたが、「うっせぇわ」という歌をよく聞いてみると、いろいろなことを考えさせられました。



歌詞の全文は次のサイトで読めます。

Ado うっせぇわ 歌詞 - 歌ネット - UTA-NET


Adoはニコニコ動画などに歌を投稿するうちに歌唱力が評判になり、2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした18歳の女子高生だということです。

「うっせぇわ」の作詞作曲はsyudouという人で、年齢不詳の男性アーチスト、音楽プロデューサーです。大卒後、会社勤めをし、2020年に会社を辞めて音楽専業になったということです。
歌手が18歳の女子高生だということが注目されますが、歌詞に「経済の動向も通勤時チェック/純情な精神で入社しワーク」とか「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい/皆がつまみ易いように串外しなさい」とあるように、これはサラリーマンの歌です。
ただ、Adoの個性に合わせて提供された楽曲だということはあるでしょう。


歌詞の最初のほうに「ちっちゃな頃から優等生」とあるので、これはチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」の「ちっちゃな頃から悪ガキで」を踏まえたものだと指摘されています。

ふたつの歌詞を比べてみました。
「ギザギザハートの子守唄」
ちっちゃな頃から悪ガキで
15で不良と呼ばれたよ
ナイフみたいにとがっては
触わるものみな傷つけた
「うっせぇわ」
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

「ナイフ」という言葉も共通しているので、「うっせぇわ」が「ギザギザハートの子守唄」を意識していることは明らかです。
しかし、「不良」と「優等生」ですから、そこは真逆です。


ちっちゃな頃から優等生で、今はちゃんと就職して、経済の動向を通勤時にチェックするような生活をしていれば、十分に満足のいく人生ではないかと思われます。
ところが、この男(たぶん男)にはものすごい不満がたまっていて、周りに罵詈雑言をまき散らします。

「クソだりぃな」
「くせぇ口塞げや限界です」
「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」
「もう見飽きたわ二番煎じの言い換えのパロディ」
「丸々と肉付いたその顔面にバツ」
「嗚呼つまらねぇ何回聞かせるんだそのメモリー」

そして、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」が激しく繰り返されます。


なぜこんなに不満がたまっているのかというと、優等生の人生を歩んできたからでしょう。

先ほど冒頭部分の4行を引用しましたが、そのあとの3行も続けてみます。
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
「エイデイ」というのはエブリデイ、つまり日常という意味のようです。

ちっちゃな頃から優等生なら遊び足りないのは当然です。
遊びだけではありません。

「ギザギザハートの子守唄」にはこんな歌詞があります。
恋したあの娘と2人して
街を出ようと決めたのさ
駅のホームでつかまって
力まかせになぐられた
   *
仲間がバイクで死んだのさ
とってもいい奴だったのに
ガードレールに花そえて
青春アバヨと泣いたのさ
この不良は恋をして、喧嘩もして、バイクで暴走して、いい仲間もいました。
まさに「青春」をしていたわけです。

親や教師の望むように生きてきた優等生に「青春」はありません。
優等生は「うっせえ」と言いたいときもがまんするので、不満がどんどんたまっていきます(つまり子どもが「うっせえ」と言うのをやめさせようという親は子どもの心に不満をためています)。
その代わり高学歴を身につけて、高収入と高い社会的地位を得られれば引き合うかもしれませんが、そういう人は少数です。
そして、就職してしまえば「青春」を取り戻すことはできません。

「うっせぇわ」という歌は、優等生の“遅すぎた反抗”の歌です。


「ギザギザハートの子守唄」は1983年の歌です。
当時の若者は不良の歌に共感しましたが、今の若者は優等生の歌に共感するのでしょうか。

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東京五輪組織委員会の森喜朗会長の辞任が取り沙汰されているとき、「組織委の会長は五輪の顔としてふさわしい人物でないといけない」ということが言われました。
組織委の会長は、大会の開会式と閉会式でスピーチをし、IOCの役員らともつきあうので、そういう「五輪の顔」の役割があるということのようです。

結局、橋本聖子五輪担当相が後任会長に選ばれましたが、橋本会長は「五輪の顔」としてふさわしいのでしょうか。

橋本会長は国際的な有名人とまではいえなくても、冬季五輪4回、夏季五輪3回の出場経験があり、国会議員と五輪担当相になったという経歴を聞けば、誰でも「へえ」という反応をするでしょう。
しかし、「強制キス」疑惑も海外でかなり報道されているようなので、「顔」としての役割だけ考えるなら、ふさわしいかどうか微妙です。

では、森氏は「五輪の顔」としてふさわしかったのでしょうか。

森氏は一年間首相を務めましたが、世界でそのことを知っている人はほとんどいないでしょう。
しかも、首相だったときは内閣支持率ヒトケタという最低記録を出す不人気ぶりでした。
高校、大学でラグビーをやっていましたが、選手としての実績はありません。
森氏が開会式と閉会式でスピーチをすると、世界中の人が「なんでこの人が?」と思うでしょう。
IOCの役員らとつきあう上でも、森氏には知性も教養も語学力もありません。
性差別発言がなかったとしても、これほど「五輪の顔」に不向きな人はいないと言っていいぐらいです。


ところが、森氏でなければ「五輪の顔」は務まらないと主張する人がけっこういました。
そもそも「組織委の会長は五輪の顔としてふさわしい人物でないといけない」というのは、森会長を辞任させるなという意味で言われていました。
彼らは森氏は「五輪の顔」に最適だと考えているのです。
「五輪の顔」についての認識がまるで違います。

これはどういうことかと考えているうちに答えがわかりました。
森氏の「厚顔」が「五輪の顔」にふさわしいということなのです。
「厚顔」はすなわち「厚顔無恥」でもあります。単に「面の皮が厚い」といってもかまいませんし、「鉄面皮」という言葉でも同じです。

森氏は数々の失言をして批判されても、謝罪らしい謝罪もせず、平然としています。
首相時代、支持率ヒトケタになれば、普通の人なら自分から辞めるでしょうが、森氏は周りの“森おろし”によってようやく辞任しました。
今回も、女性差別発言をいくら批判されても、本人はまったく反省していないようです。
「厚顔」そのものです。

トランプ前大統領も似たところがあります(体型も似ています)。
トランプ氏も、山ほど嘘をついて、嘘を指摘されても平然としています。そうすると、嘘が嘘でないように思えてきます。
こうした「厚顔」は一種の才能かもしれません。

「厚顔」であることがどうして「五輪の顔」に向いているのかというと、日本人の欧米コンプレックスが関わってきます。


オリンピックは単なるスポーツ大会ではありません。オリンピズムという思想に基づいています。
オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」にこう書かれています。
1.オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2.オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。

これは古代ギリシャに発するヨーロッパ文化の精華を示したものです。
オリンピックはヨーロッパ文化と切っても切り離せません。

ところが、日本人は欧米コンプレックスがあるので、このようなヨーロッパ文化にうまく向き合うことができません。
IOCの役員も高尚なヨーロッパ文化を身につけた人ばかりに違いないと、コンプレックスがある日本人は考えてしまうので、ついつい卑屈になります。

その点、森氏は「厚顔」なので、自分に知性や教養がないことなどまったく気にしません。
IOCの役員に対しても対等な顔をしてふるまいそうです。
それゆえ「五輪の顔」は森氏でなければと考える人がいたのでしょう。
すべては日本人の欧米コンプレックスがなせるわざです。

しかし、会議の長いのが嫌いで、密室談合が得意な森氏にIOCとまともな交渉ができたでしょうか。
森氏を評価する人はいますが、IOCとの分担金交渉を日本有利にまとめたというような具体的な功績を挙げる人はいません。

安倍前首相も森氏と同じような役割を演じていた面があります。
安倍前首相はトランプ大統領やプーチン大統領など欧米の指導者と親しげな関係を演出し、「外交の安倍」などと言われていましたが、外交の成果といえるものはほとんどありません。
親しくもないのに親しげな態度ができるという「厚顔」だけの外交だったわけですが、欧米コンプレックスの強い日本人には支持されました。


オリンピズムといってもそれほど素晴らしいものではありません。
たとえばかつてアマチュアリズムはオリンピズムの重要な柱でした。
そのためにプロとアマを区別しなければならず、さまざまなトラブルがありましたが、方針転換してプロの参加を認めればなんの問題もなく、今ではアマチュアリズムにこだわっていた昔がバカみたいです。
オリンピズムというのは単なる美辞麗句で、今ではオリンピックは商業主義そのものです。


ヨーロッパ文化には優れた面もありますが、古代ギリシャ・ローマは市民よりも奴隷の数が多かったといわれる奴隷制社会で、差別主義もその文化には刻まれています。
具体的にはヨーロッパ文化至上主義があります。これは中華思想のヨーロッパ版です。

オリンピック大会の運営にはヨーロッパ文化至上主義がいまだに残っています。

たとえば開会式の入場行進は、毎回ギリシャ選手団が先頭です。
近代オリンピック大会の最初のうちは、参加国はヨーロッパばかりなので、それでよかったかもしれませんが、今ではオリンピック大会は完全に世界規模になりました。
世界規模の大会でギリシャが先頭だと、古代ギリシャに発するヨーロッパ文化は特別だという意味になります。
日本はヨーロッパ文化至上主義に反対し、各国を平等に扱うように要求するべきです。
また、聖火の採火式もギリシャのオリンピア遺跡で行われますが、東京大会ならば、富士山頂とか高天原で行うようにするべきです。


ともかく、オリンピックはヨーロッパ文化と深く結びついており、欧米コンプレックスの日本人はIOCとつきあうときにどうしても気後れを感じてしまいます。
だからといって、森氏の「厚顔」に頼るのは、みっともないことこの上ありません。

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