「哀れなるものたち」(ヨルゴス・ランティモス監督)を観ました。
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、ゴールデングローブ賞でも複数の受賞を果たし、アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演女優賞を含む11部門にノミネートされるという作品です。R18+指定。
スコットランドの作家アラスター・グレイの小説が原作ですが、物語の骨格がひじょうによくできています。
ビクトリア朝のロンドンで、天才外科医のゴドウィン・バクスター博士は自殺した若い女性の死体に胎児の脳を移植して蘇生させることに成功します。つまり成人女性の体に幼児の心があるという人間をつくりだしたのです。
『フランケンシュタイン』が連想されます。博士の特殊メイクはユニバーサル映画でフランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフそっくりです。博士はゴッドの愛称で呼ばれていて、マッドサイエンティストです。実は博士の父親もマッドサイエンティストで、息子の体を使って数々の人体実験をしていました。
ベラと呼ばれる幼児の心を持った女性は予測しがたい奔放なふるまいをします。ベラの心は急速に成長しますが、性的な欲望の制御ができません。遊び人の弁護士ダンカンに誘惑され、ベラも世界を見たくなって、二人でヨーロッパ各国を旅行します。
美術がひじょうに凝っていて、ビクトリア朝の雰囲気がよく出ていますが、ヨーロッパの都市には飛行船が浮かび、ロープウェイの乗り物が動いています。つまりリアルではなく、ファンタジーの要素がかなり入っています。ダークファンタジーともいわれますし、スチームパンクと評する人もいました。ゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞しています。実際、かなり笑える映画です。ウィキペディアには「SFラブコメ映画」と書かれています。
いろんな観方のできる映画ですが、やはり一本の軸となるのはフェミニズムです。
未熟な女性を男が育てるということでは、バーナード・ショーの『ピグマリオン』が連想されます。
最初は未熟だった女性がやがて性的に成熟して男を振り回すということでは、谷崎潤一郎の『痴人の愛』が似ています。
しかし、このふたつの作品は最後まで男の視点です。
この「哀れなるものたち」は、最初は男の視点でベラが描かれますが、やがてベラの視点で物語が展開するようになります。
ベラは性を通じて自立し、社会主義運動に関わって社会問題にも目覚めます。
このあたりで物語の三分の二ぐらいになります。しかし、ベラの身体になった自殺した女性は誰なのか、なぜ自殺したのか、脳を移植された胎児はどこの子なのかといった疑問がそのままなので、ずっともやもやした気分です。
しかし、ここから疾風怒濤の展開になります。説明するわけにはいきませんが、私は「パラサイト半地下の家族」の後半に似ているなと思いました。格差や差別は、下には下があります。
最後に“究極の差別男”とでもいうべき人間が登場します。偏見で凝り固まっていて、人間らしさがまったくない男です。この男と比べれば、ダンカンなど十分に人間らしく思えます。
こういう男とは戦って勝つしかありません。
ベラはやたら性に解放的です。「性の解放」が人間の解放につながるというメッセージがありそうです。
「クリトリス切除」という話が出てきます。これは「女子割礼」ともいわれ、アフリカを中心に広く行われているということは知っていましたが、私にとってはまるで実感のない話でした。
しかし、この映画の中で出てきたことで、急に実感できました。クリトリス切除は人間性の根源的な部分の剥奪です。
「纏足」も似ています。女性の身体を改変して、男性が支配しやすくするわけです。
マッドサイエンティストが登場する以前から人体改変は行われていました。
この映画は「エログロ」の映画でもあります。
観て感動するには、エログロ耐性が必要かもしれません。
グロテスクなものについての耐性は政治的立場と密接に関係しているという科学的研究があります。
「グロ画像を見た時の脳の反応で政治的傾向が右なのか左なのかがわかる?(米研究)」という記事によると、ウジ虫やバラバラ死体、キッチンの流しのヌメっとした汚れやツブツブが密集したものなどのグロ画像を見たときの反応を脳スキャンすると、右寄りの人のほうが強く反応したということです。右寄りの人と左寄りの人の脳スキャンは、あまりにも違っていたため、わずか1枚のグロ画像に対する脳の反応を見るだけで、95%の確率でその人の政治的傾向を言い当てることができたそうです。
中沢啓治のマンガ『はだしのゲン』は、政治的思想以上にグロい絵の印象が強く、右寄りの人はこの絵で拒絶反応を起こしているに違いありません。
エロについても政治的立場が強く関係しています。
昔から国家権力はわいせつなどのエロを取り締まろうとし、それに抵抗してきたのはつねに左翼でした。
保守派は学校での性教育が過激化しているとして騒ぎ立て、そのために日本の性教育はひどく後退してしまいました。
右寄りの人は当然フェミニズムが嫌いですが、それ以前にエログロという点でこの映画を嫌うでしょう。
しかし、エログロは現実に必ず存在するものですから、それを嫌っていたのでは認知がゆがんでしまいます。
右寄りの人は思想的なことよりもまずエログロ耐性を身につけるべきでしょう。
主演のエマ・ストーンはプロデューサーの一員としてもこの映画に参加していて、それだけ気合が入っているのでしょう。ひじょうにむずかしい役を演じ切りました。
奇妙な設定の、カルト映画になりそうな物語を、メジャーな映画に仕上げて、多くの映画賞を獲得したのに感心します。
ちょっと疑問に思ったのは、「性の解放」といっても、女性は妊娠の可能性があるのでそう簡単にはいかないということです(ベラは娼館で働いたりします)。
今の時代はピルなどの避妊法が開発されて、「性の解放」が可能になりました。
避妊法だけでなく妊娠中絶の権利もたいせつです。
今アメリカで保守派が中絶禁止を強く主張しているのは、女性の自己決定権の問題だからでしょう。
この映画は世界的にヒットしていますが、日本では公開第一週の興行成績は9位でした。
ジェンダーギャップ指数125位の国だからでしょうか。
スコットランドの作家アラスター・グレイの小説が原作ですが、物語の骨格がひじょうによくできています。
ビクトリア朝のロンドンで、天才外科医のゴドウィン・バクスター博士は自殺した若い女性の死体に胎児の脳を移植して蘇生させることに成功します。つまり成人女性の体に幼児の心があるという人間をつくりだしたのです。
『フランケンシュタイン』が連想されます。博士の特殊メイクはユニバーサル映画でフランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフそっくりです。博士はゴッドの愛称で呼ばれていて、マッドサイエンティストです。実は博士の父親もマッドサイエンティストで、息子の体を使って数々の人体実験をしていました。
ベラと呼ばれる幼児の心を持った女性は予測しがたい奔放なふるまいをします。ベラの心は急速に成長しますが、性的な欲望の制御ができません。遊び人の弁護士ダンカンに誘惑され、ベラも世界を見たくなって、二人でヨーロッパ各国を旅行します。
美術がひじょうに凝っていて、ビクトリア朝の雰囲気がよく出ていますが、ヨーロッパの都市には飛行船が浮かび、ロープウェイの乗り物が動いています。つまりリアルではなく、ファンタジーの要素がかなり入っています。ダークファンタジーともいわれますし、スチームパンクと評する人もいました。ゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門で作品賞を受賞しています。実際、かなり笑える映画です。ウィキペディアには「SFラブコメ映画」と書かれています。
いろんな観方のできる映画ですが、やはり一本の軸となるのはフェミニズムです。
未熟な女性を男が育てるということでは、バーナード・ショーの『ピグマリオン』が連想されます。
最初は未熟だった女性がやがて性的に成熟して男を振り回すということでは、谷崎潤一郎の『痴人の愛』が似ています。
しかし、このふたつの作品は最後まで男の視点です。
この「哀れなるものたち」は、最初は男の視点でベラが描かれますが、やがてベラの視点で物語が展開するようになります。
ベラは性を通じて自立し、社会主義運動に関わって社会問題にも目覚めます。
このあたりで物語の三分の二ぐらいになります。しかし、ベラの身体になった自殺した女性は誰なのか、なぜ自殺したのか、脳を移植された胎児はどこの子なのかといった疑問がそのままなので、ずっともやもやした気分です。
しかし、ここから疾風怒濤の展開になります。説明するわけにはいきませんが、私は「パラサイト半地下の家族」の後半に似ているなと思いました。格差や差別は、下には下があります。
最後に“究極の差別男”とでもいうべき人間が登場します。偏見で凝り固まっていて、人間らしさがまったくない男です。この男と比べれば、ダンカンなど十分に人間らしく思えます。
こういう男とは戦って勝つしかありません。
ベラはやたら性に解放的です。「性の解放」が人間の解放につながるというメッセージがありそうです。
「クリトリス切除」という話が出てきます。これは「女子割礼」ともいわれ、アフリカを中心に広く行われているということは知っていましたが、私にとってはまるで実感のない話でした。
しかし、この映画の中で出てきたことで、急に実感できました。クリトリス切除は人間性の根源的な部分の剥奪です。
「纏足」も似ています。女性の身体を改変して、男性が支配しやすくするわけです。
マッドサイエンティストが登場する以前から人体改変は行われていました。
この映画は「エログロ」の映画でもあります。
観て感動するには、エログロ耐性が必要かもしれません。
グロテスクなものについての耐性は政治的立場と密接に関係しているという科学的研究があります。
「グロ画像を見た時の脳の反応で政治的傾向が右なのか左なのかがわかる?(米研究)」という記事によると、ウジ虫やバラバラ死体、キッチンの流しのヌメっとした汚れやツブツブが密集したものなどのグロ画像を見たときの反応を脳スキャンすると、右寄りの人のほうが強く反応したということです。右寄りの人と左寄りの人の脳スキャンは、あまりにも違っていたため、わずか1枚のグロ画像に対する脳の反応を見るだけで、95%の確率でその人の政治的傾向を言い当てることができたそうです。
中沢啓治のマンガ『はだしのゲン』は、政治的思想以上にグロい絵の印象が強く、右寄りの人はこの絵で拒絶反応を起こしているに違いありません。
エロについても政治的立場が強く関係しています。
昔から国家権力はわいせつなどのエロを取り締まろうとし、それに抵抗してきたのはつねに左翼でした。
保守派は学校での性教育が過激化しているとして騒ぎ立て、そのために日本の性教育はひどく後退してしまいました。
右寄りの人は当然フェミニズムが嫌いですが、それ以前にエログロという点でこの映画を嫌うでしょう。
しかし、エログロは現実に必ず存在するものですから、それを嫌っていたのでは認知がゆがんでしまいます。
右寄りの人は思想的なことよりもまずエログロ耐性を身につけるべきでしょう。
主演のエマ・ストーンはプロデューサーの一員としてもこの映画に参加していて、それだけ気合が入っているのでしょう。ひじょうにむずかしい役を演じ切りました。
奇妙な設定の、カルト映画になりそうな物語を、メジャーな映画に仕上げて、多くの映画賞を獲得したのに感心します。
ちょっと疑問に思ったのは、「性の解放」といっても、女性は妊娠の可能性があるのでそう簡単にはいかないということです(ベラは娼館で働いたりします)。
今の時代はピルなどの避妊法が開発されて、「性の解放」が可能になりました。
避妊法だけでなく妊娠中絶の権利もたいせつです。
今アメリカで保守派が中絶禁止を強く主張しているのは、女性の自己決定権の問題だからでしょう。
この映画は世界的にヒットしていますが、日本では公開第一週の興行成績は9位でした。
ジェンダーギャップ指数125位の国だからでしょうか。