村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 日記

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菅義偉首相は「人間・菅義偉を育ててくれたのは、ふるさと秋田だと思っています」と言い、「ふるさと秋田」を繰り返し強調しています。
しかし、菅首相は高卒後秋田を離れ、横浜市議会議員になり、衆院選には神奈川二区から出馬し、現在までそこを地盤としています。
「ふるさと秋田」とは縁が切れてしまったようです。

ふるさとがだいじなら、ふるさとの家族もだいじなはずですが、菅首相は自分の家族のことをほとんど語りません。
これも不可解なことです。

菅首相は自分の生い立ちについて、秋田の貧しい農家の生まれだの、集団就職で上京しただのと言っていますが、実際のところ、生家はけっこう裕福な農家であったようですし、集団就職もあやしそうです。自分の苦労を“盛ってる”のではないかと疑われています。
集団就職か否かは大した問題ではありませんが、家族関係は重要です。人間形成に直結するからです。

そうしたところ、週刊朝日が菅首相の生い立ちについての記事を書いて、それが東京新聞のコラムに一部が紹介されました。

菅首相の生い立ち

このコラムから一部を引用します。
その生い立ちについて詳しく書いたのは「週刊朝日」9月25日号「菅首相の知られざる過去」。菅氏の亡き父親への十一年前のインタビューの再現だ。ずけずけと物を言う父親だったようで、息子の状況の経緯をこう話す。
「アレは全然勉強しなかったの。『バカか』と言ったの。北海道大を受けて弁護士か政治家になりたがっていたけれど、全然勉強しないから入れるわけないの」
この父親も死後、自分の発言がこんなふうに紹介されるとは思わなかったろう。菅氏の旧友たちは、大学受験に失敗した彼が、この父親から「お前はもう駄目だ」「農家を継げ」などと言われたことが、上京のきっかけだったのではと証言している。
この話を菅氏本人にぶつけると、こう語ったという。「東京に出ればいいことがあるかなと思って出てきたが、思い出したくない青春」。

父親が語った「全然勉強しなかった」「バカか」という言葉を使って菅首相批判をする人がいるようですが、これは夫婦喧嘩の一方の言い分を信じるのと同じで、間違っています。

父親の言葉を真に受けて「何が叩き上げの苦労人だ?怠け者の道楽息子やないか」とツイートした人に対して、人気ブロガーの斗比主閲子氏もこう反論しています。
私が記事を読んだ感想は、このTweetを書いている人とは正反対です。

というのも、父親が息子を「アレ」とか「バカ」とか呼んだ上に、大学受験に失敗したことで「お前はもう駄目だ」「農家を継げ」などと言っていたとしたら、時代もあるのは理解しつつも、この父親は相当毒親っぽい印象を受けるからです。
斗比主氏は「毒親っぽい印象」と遠慮した表現にしていますが、私は「毒親」と断定してしまいます。

菅首相が毒親から離れて都会に出てきたのは当然です。
そして、総理大臣にまで上り詰めたのですから、大したものです。

ここで日本国民はこういう事実に直面するわけです。

総理大臣の父親は毒親だった。

そんな個人的なことはどうでもいいと言う人がいるかもしれませんが、毒親は連鎖するので無視できません。
もちろん「自分の親は毒親だった」という認識を持てば、連鎖から逃れられます。

ですから問題は、菅首相は父親をどう思っているかということです。


菅首相は自分の家族についてほとんど語っていないのですが、「東洋経済ONLINE」の『第99代首相「菅義偉」を読み解く本人の言葉18選』という記事に、こんなことが書かれていました。

⑥ 「父親はどんな人」という質問に(14年2月取材)
 菅:戦前に南満洲鉄道に勤め、戦争に負けて帰ってきてからは、ボーッとしていたみたいです。いろいろなことをやろうとして、イチゴの栽培で米作りよりも収入を多くした。人はよかったが、だめなところも見てきた。親父より私のほうがはるかに緻密だと思う。

父親はイチゴ農家として成功し、いちご生産出荷組合の組合長や町会議員も務め、死後は旭日単光章を受章したということです。
ですから、菅首相としては「父親は社会人としては立派だったが、父親としてはだめだった」と言うところです。
ところが、逆に「人はよかった」と言っています。
「だめなところも見てきた」とも言っていますが、なにがだめかというと、自分の緻密さと比較しているので、ルーズとかいい加減とかだらしないとかいうことでしょう。
毒親という認識はないようです。


それから気になるのは、母親はどんな人だったかということです。
平均的な日本人は「父親は頑固なわからず屋だったが、お袋はやさしかった」という認識で、お袋への思いとふるさとへの思いが重なるものですが、私の知る範囲では菅首相は母親のことをなにも語っていません。
ウィキペディアにも母親は元教師と書かれているだけです。
菅首相にはお姉さんも二人いるのですが、お姉さんについてもなにも語っていないようです。

菅首相は家族への思いがなにもないのではないでしょうか。
そのため「ふるさと秋田」とは言っても、具体的なものがなにもなく、ふるさとへの思いが感じられないのです。

菅首相は国家観がほとんどない変わった政治家です。
父親を心の中で拒否しているので、そのため国家観がないのではないでしょうか(父親と国家は権力という点で似た存在です)。


菅首相が毒親を毒親と認識していないとすれば、それは自民党の価値観とも関わってきます。

最高裁は1973年に尊属殺人を特別に重罪にする規定を違憲だと判決しましたが、自民党が多数を占める国会は尊属殺規定を廃止または改変する義務があるのを無視して放置し続け、1995年の刑法大改正の際にやっと廃止されました。
「親が上、子は下」とするのが自民党の価値観です。その価値観に基づいて道徳教育が推進されてきました。

もし菅首相が自分の父親を否定するようなことを言ったら、自民党の価値観に反しますし、菅首相が非難されます。そのため菅首相はそういう認識を持つことを自分に禁じているかもしれません。

毒親を毒親と認識するか否かは政治的な問題でもあります。


毒親を毒親と認識しないと、自分に毒が回ってしまいます。
菅首相の政治には、規制改革やタテ割り打破など攻撃的なものはありますが、人に対するやさしさや温かさが感じられないと思うのですが、どうでしょうか。

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安倍首相が8年間で成し遂げた最大の功績は、憲法九条改正を完全に不可能にしたことでしょう。
菅政権は安倍政治の継承をうたい、改憲についても言及していますが、安倍政権にできなかったことができるとは思えません。

9月19日、安倍前首相は靖国神社を参拝しました。
首相を辞めてから参拝したということは、首相在任中に参拝することはできなかったということです。それはこれらからも同じでしょう。

これから日本の政治は、改憲論議や靖国参拝問題などにむだな時間を費やさなくてよさそうです。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げていましたが、別な形でそれが実現しました。


では、今後なにが政治の争点になっていくかというと、やはり格差問題でしょう。
格差問題は、トマ・ピケティが『21世紀の資本』で指摘したように、世界的に拡大し続けていて、日本も例外ではありません。

自民党は金持ち優遇、格差容認の政党です。
自民党は2010年に新綱領を制定したときから、「格差や貧困は本人が努力しないせいである」という理屈を用意していました。

平成22年(2010年) 綱領

新綱領はそんな長い文章ではありませんが、その中に「努力」という言葉が6回も出てきます。
その部分を抜き出してみます。

我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。
   *
我が党は過去、現在、未来の真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち、「新しい日本」を目指して、新しい自民党として、国民とともに安心感のある政治を通じ、現在と未来を安心できるものとしたい。
   *
日本の主権は自らの努力により護る。
   *
努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府

「努力する者が報われる社会」を自民党は目指しています。
その社会は「努力しない者は報われない社会」でもあります。
そのような社会をつくるには、「努力する者」と「努力しない者」を識別しなければなりませんが、それは不可能です。
なぜなら、「努力」には客観的な基準がないからです。

福祉の窓口で「努力する者」と「努力しない者」、「働き者」と「怠け者」を識別しようとすると、担当者の恣意的な判断になり、現場が混乱するだけです。

「努力する者」と「努力しない者」、「働き者」と「怠け者」という考え方は一般社会には存在しますが、学問の世界や行政など公の世界ではありえません。

ちなみに経済学は「経済人」ないし「合理的経済人」という人間観をもとにしていて、「働き者」と「怠け者」がいるというような人間観は採用していません。

「よい人」と「悪い人」にも客観的な基準がないので、「悪い人」だからといって逮捕・投獄されるようになったらたいへんです。
そうならないように膨大な刑法の体系をつくって、それを客観的な基準にしています。
自民党も「努力」を重視したいなら、「努力」の客観的な基準をつくるべきです。


もちろん自民党にそういう考えはありません。
自民党は「努力」を経済学や法学の問題ではなく、道徳の問題としてとらえているのです。
自民党は昔から道徳教育を推進し、今では道徳の教科化に成功しました。
子どもだけでなくおとなに対しても「人間は努力するべきだ」という道徳を教えているつもりなのでしょう。

もっとも、全国民に対して教えようということではありません。
「真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち」とあるように、自民党は富裕層の側に立っているのです。

これは前回書いた「『共助の衰退』という現実を前にして」いう記事で引用した自民党ホームページにも同じ意味のことが書かれています。
自民党は、タックス・ペイヤー(納税者)重視の政党です。
わが党は、汗を流して懸命に働き納税義務を果たしている人々が納得できる政治を行います。『自助・共助・公助』の考えを基本に、“がんばる人が報われる政治”を実現します。
https://www.jimin.jp/news/policy/130412.html
高額納税者(富裕層)が納得できる政治をすると宣言しています。
自民党は国民政党ではなく階級政党になったのです。
富裕層が納得できるように、「努力しない者」への公助をできる限り削減するというわけです。


菅義偉首相は自分の政治理念として「自助・共助・公助、そして絆」を掲げていますが、これは、新綱領制定に寄せて書かれた谷垣貞一総裁(当時)の次の一文からパクったのかもしれません。
この綱領の精神は、時代の流れの中でも普遍的な価値を持つものであるとともに、自助・自立を基本としながら、困っている人がいればお互いに助け合う共助の精神を大切にし、さらには国が力強く支える公助があるという、私の考える「絆」の政治、「おおらかな保守主義」と通ずるものでもあります。
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/aboutus/kouryou.pdf

抽象的な発想が苦手の菅首相は、自民党の綱領を読み込んで自分の政治理念としたのでしょう。


なお、先ほど経済学は「経済人」ないし「合理的経済人」という人間観をもとにしていると言いましたが、そうではない経済学者もいます。それは竹中平蔵氏です。
竹中氏はかつて若い人に対して、「みなさんには貧しくなる自由がある」「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と語ったことがあります。
竹中氏が富裕層の立場から貧困層を切り捨てていることがよくわかります(このことは「竹中平蔵教授のトンデモ発言」という記事に書きました)。

自民党の綱領に竹中氏の思想が反映されているということは十分に考えられます。


菅新政権が誕生し、野党が合同して新しい立憲民主党も生まれました。
自民党が富裕層を代表する政党なら、対立軸もおのずと見えてきます。

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9月16日、菅新内閣が発足しました。
安倍首相が辞任表明をしたのは8月28日です。その時点で、菅義偉氏が首相になると予想していた人がどれだけいたでしょうか。

自民党総裁選が菅候補の圧勝だったのは、派閥力学だけでは説明できません。地方票もかなり菅候補に流れました。
国民の人気も、それまでは石破茂候補がトップでしたが、あっという間に菅候補が上回りました。
共同通信社が8、9両日に実施した世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」と尋ねたところ、菅義偉官房長官が50・2%でトップ。石破茂元幹事長が30・9%、岸田文雄政調会長が8・0%となりました。

これはやはり安倍首相が菅氏を後継指名したからでしょう。
安倍人気が菅人気にシフトしたのです。

今、私は「安倍首相が後継指名した」と書きましたが、安倍首相は公では後継指名はしていません。
そのためマスコミも「安倍首相が後継指名した」とは書きません。
代わりに「二階幹事長の手腕で菅支持の流れをつくった」とか「五派閥の結束で菅氏が当選した」などと書いています。
しかし、二階幹事長が手腕を発揮したのも、五派閥が結束したのも、すべて安倍首相の意向を受けたものに決まっています。


これまで安倍首相と菅官房長官は一心同体で政権運営に当たってきました。
今回、裏の顔だった菅官房長官が表の顔になり、安倍首相は裏に回りました。
菅政権はいわば二人羽織りで、菅氏が顔で、安倍首相が裏から手を動かすという分担です。

国民もそのことをわかっています。菅氏個人を支持する国民がそんなにいるとは思えません。裏に安倍首相がいるから菅氏を支持しているのです。


8年間という史上最長の政権は、国民の意識を大きく変えたようです。
国民は安倍首相を“個人崇拝”するようになったのです。

個人崇拝においては、政策はどうでもいいことです。
安倍応援団はみな反中国ですが、安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めても安倍支持に変化はありませんでした。

石破氏は正統な保守で、安倍首相以上のタカ派です。しかし、安倍応援団は石破氏が反安倍の態度をとってきたというだけで、「後ろから鉄砲を撃った」と言って石破氏を非難しました。
そして、国民もけっこうそれに同調して、石破氏の人気は低下しました。


国家指導者の個人崇拝は今や世界的傾向です。
どこの国と言うまでもなく、世界の主要国のほとんどがそうです。

昔は、国家指導者のあり方というのは、新聞記事を通してしか知ることができませんでした。
それが今やテレビとインターネットを通して、国民は指導者を身近に感じることができます。
そうすると、国民は指導者に対して家族のような親しみを感じます。
国家指導者個人と国民一人一人が対峙すると、圧倒的な力の差があります。
人間がこのような力の差を体験するのは、子どもが親に対峙したときだけです。
ですから、国民は指導者を身近に感じると、自分の親(とくに父親)を想起し、イメージを重ね合わせます。

親子関係が社会関係に反映されることはパターナリズムと呼ばれます。
ウィキペディアにはこう説明されています。
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。

日本語では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。同じ語源をもつ英語の「ペイトロナイズ(patronize )」では「子供扱いをする・子供だまし(転じて「見下す・馬鹿にする」とも)」という意味になる。

温情主義と父権主義ではずいぶん意味が違いますが、それは実際の父親がさまざまだからです。強権的な父親もいましすし、温情のある父親もいます。

パターナリズムは上から見た言葉ですが、国民一人一人の心理に注目すると、社会の権力関係に親子関係が投影されることになります。
早い話が、テレビで安倍首相の顔をいつも見ていると、無意識のうちに自分の父親の顔が重なってきて、父親に対する愛憎が安倍首相に向けられるというようなことです。
愛憎といっても、愛が向けられるか、憎しみが向けられるかでぜんぜん違ってきます。
そういうことから安倍応援団と反安倍派に分かれるということも言えます。

少しでも心理学をかじったことのある人なら、親に対する感情が他人や社会にも向けられるということは理解できるでしょう。
こういうことは政治心理学としてもっと研究されていいはずです。


この心理をもっとも巧みに利用したのがヒトラーです。
ヒトラーは激しい調子の演説で父親のような強さを示し、一方で、笑顔で子どもの頭をなでたり赤ん坊を抱き上げたりするパフォーマンスでやさしい父親を演じました。

レーガン大統領は包容力のある父親像を演じて人気になりました。
トランプ大統領は、暴力と暴言の父親像を演じています。
アメリカの家庭にDVが蔓延している反映でしょうか。

安倍首相は野党を攻撃したり、スキャンダルを強引に封印したりすることで強い父親像を演じたのかなと思います。


国民が国家指導者を父親のように見なすと、指導者は超法規的存在になります。
誰も自分の家族が犯罪をしても警察に売ろうとしないのと同じことです。

トランプ大統領は山ほど嘘をつき、公私混同をし、疑惑の行為も山ほどしていますが、支持者はまったく気にしません。
安倍首相も、モリカケ問題、桜を見る会問題などで追及され、公文書改ざん、記録廃棄などが明白になっても、支持者は気にしません。

知識人はこういう事態を理解できていないようです。
知識人は「法の支配」を適用すべきだと思っているのですが、支持者は家族関係に「法の支配」を持ち込むべきでないと思っているのです。

今後は国民のこうした「政治心理」に光を当てていく必要があります。



ところで、菅首相の就任記者会見を見ました。


言葉に力がなく、権力者らしいところがまったくありません。
むしろ弱々しく見えて、心配になるほどです。
もっとも、これまで裏では権力をふるってきたわけです。

裏の顔が表の顔になって、今後どうなるのか、見ていきたいと思います。

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人種差別問題で揺れるアメリカにおいて、ハリウッドは人種差別反対に熱心だとされています。
ハリウッドの大勢はリベラルで、反共和党、反トランプですし、最近はマイノリティに配慮した映画づくりをしているようです。
そして、9月9日、アカデミー賞の作品賞の新しい選考基準が発表され、そこでもマイノリティに配慮した基準が示されました。

『アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など』

これに対して「ハリウッドはリベラルに乗っ取られた」「ポリコレばかりの映画はつまらない」「アカデミー賞が黒人ばかりになってしまう。逆差別だ」などの声が上がっています。

こんなことを言う人は、これまでのアカデミー賞が白人ばかりのものだったことが見えていないのでしょう。
というか、ハリウッド映画は人種差別、性差別を助長するようなものばかりでした。

ですから、私などは、ハリウッドがマイノリティ尊重だとか言っても、うわべだけではないかと疑ってしまいます。

たとえば、社会における女性の地位向上を反映して、最近はハリウッド映画でも会社や組織で高い地位についている女性がよく登場します。主人公(男性)の上司が女性であるというケースもしばしばです。
ところが、こうしたケースはたいてい、女性上司は冷酷なもうけ主義者だったり陰謀をたくらんでいたりする悪役です。
こうしたケースはあまりにもありふれていて、今、具体的なタイトルが思い浮かびませんが、「あるある」と納得する人が多いのではないでしょうか。

映画会社の偉い人は、女性軽視と見られないために高い地位の女性を登場させなければならなくなったとき、「そうだ、この悪役を女性に演じさせよう」といった感じで、自分の性差別意識をもぐり込ませるのでしょう。

映画の中で高い地位の女性が悪役ばかりだと、女性が高い地位につくのはよくないという風潮が形成されかねません。


今回作成された新基準は、A、B、C、Dと4つあって、そのうちの2つを満たせばいいことになっています。映画の内容に関する基準はAだけで、あとの3つはスタッフにマイノリティを起用するといったものです。

そのAの基準は次のようなものです。

(A)作品のキャスティングやテーマ

 ・主役または重要な助演俳優に、少なくとも1人は、アジア人、ヒスパニック系、黒人・アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、中東出身者、ハワイ先住民含む太平洋諸島出身者など、人種または民族的マイノリティーの俳優を起用しなければならない。

 または

 ・二次的およびマイナーな役の少なくとも30%は、女性、人種/民族的少数派、LGBTQなどの性的マイノリティー、障がい者のうち2つのグループの俳優を起用しなければならない。

 または

 ・作品のストーリーやテーマが、女性、人種/民族的少数派、LGBTQなどの性的マイノリティー、障がいを持つ人などをあらわすものである。


重要な助演俳優にマイノリティを起用するというのは、すでにかなり行われていますから、それほどきびしい基準ではありません。
それに、Aの基準を満たさなくても、B、C、Dのうちの2つを満たせばいいので、かなり甘い基準といえます。

ただ、煩雑な基準ではあります。「ポリコレにはうんざりだ」と言いたい人の気持ちがわからないではありません。


映画で重要なのは主役です。主役が男性か女性か、白人か黒人かで、その映画はまったく変わってきます。
ところが、この新基準は「主役または重要な助演俳優」となっていて、しかも「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにすればいいという抜け道があるので、すべての主役を白人男性にすることが可能です。


2008年制作の「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド監督・主演)という映画があります。ウィキペディアを参考に物語を紹介します。
デトロイトに住むコワルスキー(クリント・イーストウッド)は長年自動車工場で働いて今は引退し、グラン・トリノ(古きよきアメリカ車)を愛車にしていますが、街には日本車があふれ、住人もアジア系が多くなっています。がんこさゆえに息子たちにも嫌われ、限られた友人たちと悪態をつつき合い、国旗を掲げた自宅のポーチで缶ビールを飲んですごしています。今の典型的なトランプ支持者のような設定です。
隣家にモン族(中国やベトナム原住)の姉弟が住んでいますが、差別主義者のコワルスキーは相手にしません。しかし、不良にからまれているのを助けたことから親しくつきあうようになり、最後は凶悪なギャングから姉弟を救い、感謝と敬意を捧げられます。
コワルスキーは最初から最後まで差別主義者のままなのですが、最後は自分が差別している相手から感謝と敬意を捧げられるという、なんとも好都合な展開になっています。

クリント・イーストウッドは、マイノリティに配慮しなくてはいけないというハリウッドの空気を敏感に察知してこの映画をつくったのでしょう。
登場人物の多くは隣家の姉弟、不良、ギャングというアジア系なので、「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにするという基準は楽にクリアしています。
しかし、いくらマイノリティがたくさん登場しても、みんな主人公の引き立て役と敵役です。

「ダイ・ハード」シリーズや「ランボー」シリーズには、中東のテロリストを殺しまくるのがありますが、これもマイノリティが一定数以上登場するという基準に合っていることになります。

エンターテインメントのストーリーの基本は、善人が悪人に苦しめられているところに正義のヒーローが登場して、悪人をやっつけ、善人を救うというものです。
正義のヒーローからすれば、善人は引き立て役、悪人は敵役です。
引き立て役や敵役にマイノリティが多くいても、たいした意味はありません。

正義のヒーローがつねに白人男性であることこそハリウッドは改めるべきです。


「黒人俳優ランキング」で調べると、トップはウィル・スミスであるようです。
ウィル・スミスの主演作はいっぱいありますが、たとえば「メン・イン・ブラック」シリーズは、敵役が人間でなくエイリアンです。「アイ・アム・レジェンド」は、地球最後の男という設定ですし、「アフター・アース」は人間のいない異星で息子とともにサバイバルする物語です。
正義のヒーロー役はあまりやっていないのではないでしょうか。
少なくともブルース・ウィリスやシルベスター・スタローンのように悪人を殺しまくる役はやっていません。

白人俳優は正義のヒーローとして人を殺す役ができるが、黒人俳優に同じ役ができないとすれば、これは白人至上主義にほかなりません。

ハリウッドはリベラルだといっても、所詮は白人富裕層が支配するところです。

「マイナーな役の少なくとも30%」をマイノリティにするなどという基準はほとんど意味がなく、むしろごまかしです。
ハリウッドが人種差別撤廃に本気なら、「マイノリティが主役の映画を少なくとも30%にする」という基準をつくるべきです。

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菅義偉官房長官の記者会見は、記者の質問は事前通告されていて、菅長官はカンペを読むだけです。
しかし、首相になると、国会質問で野党はあの手この手で攻め立ててきますから、臨機応変の答弁能力が必要です。
自民党総裁選に立候補してから、菅氏の答弁能力について早くも各方面から疑問の声が上がっています。

9月8日、「news23」(TBS系)に自民党総裁選に立候補した岸田文雄、菅義偉、石破茂の三氏が出席し、討論会が行われましたが、改憲問題について質問された菅氏は、「自衛隊の立ち位置というのが、憲法のなかで否定をされている」「憲法改正のなかで、自衛隊の位置づけというものを盛り込むべきだ」と言いました。

私はたまたまこの場面を見ていて、「自衛隊は憲法で否定されている」というのはあまりにもお粗末な失言だなと思っていたら、翌日の記者会見で菅氏は「発言は言葉足らずだった」と釈明し、「憲法に違反するものではないというのが政府の正式な見解だ」と訂正しました。

民間の改憲派は「自衛隊は憲法違反だから改憲を」と主張できますが、政府は自衛隊合憲論ですから、政府関係者はそんなことは言えません。安倍首相も「憲法学者の多数が違憲だと言っている」などと苦心した言い回しをしてきました。

菅氏がこんなお粗末な失言をするのは、憲法九条改正によほど興味がないし、やる気もないからだろうと私は思いました。


9月9日には自民党の青年局・女性局主催の、三候補が出席しての公開討論会が行われました。
これは「討論会」と銘打っていますが、三人が互いに議論することはなく、会場からの質問に三人がそれぞれ一分以内で答えるという「三人そろっての質疑応答」というべきものでした。

質問は「代表質問」と「自由質問」に分けられ、「自由質問」は各地方の青年局・女性局の人が現地からリモートでするというものでした。
「自由質問」と言うぐらいですから、質問者が自由にするものかと思ったら、そうではなくて、やはり事前通告されていました。
なぜそれがわかったかというと、菅氏が答えながら下を見て、なにかを読んでいたからです。
ほかの二人はちゃんと前を見て答えていましたから、菅氏も同様にしていたら、次善通告があったとは気づかなかったでしょう(三人ともちょうど一分で答えをまとめていたので、その点から気づくこともできますが)。

それにしても、堂々とカンペを読まれたのでは、「自由質問」としている主催者の面目が丸つぶれです。

石破氏と岸田氏がカンペを読まずに答えられるのは、自分でカンペを書いたので、質問者が質問している間に数字や固有名詞だけ確認しておけば、あとは全部頭に入っているからでしょう。
ということは、菅氏は自分で書かずにスタッフに書いてもらっているのかもしれません。

そのせいかもしれませんが、菅氏は質問されたこととまったく違うことを答えるという場面がありました。
これは「ハフィントンポスト」の『「日本の好きなところを教えて」岸田文雄、石破茂、菅義偉の3氏の答えは?(自民党総裁選)』という記事に書かれているので、そこから引用します。

京都府連の学生部長から「日本の好きなところについて教えてください」という質問がありました。
それに対して、岸田氏は「外務大臣として国の外から日本を見てきたが、みんなで助け合う国民性は世界に誇りうるものである」ということを述べました。
石破氏は「皇室というありがたい存在は日本にしかない」と言ったあと、「歴史、地域、家族をたいせつにするところ、とりわけふるさとをたいせつにするところが日本の素晴らしいところだ」と述べました。

そして、菅氏が語ったのは次の通りです。
なんといっても私は、秋田で生まれて高校まで育ちました。まさに、人間・菅義偉を育ててくれたのは、ふるさと秋田だと思っています。
そして、横浜で政治家の人生をスタートしました。政治家として私を育ててくれたのは、この横浜であります。
私はまさにこの、世代を大切にしたい、また地方を大切にしたい、そういう思うの中で地方を原点とした政治を今行っております。

「日本の好きなところについて教えてください」という質問の答えになっていません。

なぜこんなことになったのかと考えると、おそらくカンペがなかったのでしょう。「日本の好きなところについて教えてください」という素朴な質問には、本人が思った通りに答えればいいので、スタッフもカンペを用意しなかったのだと思われます。

で、この質問に対して、岸田氏は自分の外務大臣の経験から語り始め、石破氏は最初に「私は保守主義って、イデオロギーだと思っていないんですね。それはある意味、感性だと思う」とかましてから、皇室のことを言いました。それぞれ個性の出た話でした。

菅氏はそれに対抗しなければと思ったのでしょう。自分の唯一のアピールポイントである、秋田から上京してきた話をしました。
そうすると、「日本の好きなところ」として、田舎の自然の美しさとか、田舎の人の人情とかを挙げるのが普通です。
しかし、菅氏はなにを質問されたかを忘れてしまって、「秋田から出てきたのが私の政治家としての原点だ」といういつもの話をしたのです。

話している途中で質問を忘れるというお粗末ですが、カンペがないとこんなことになります。


菅氏だけしょっちゅう下を見ながら話しているのはYouTubeで確かめられます。


(「日本の好きなところは」という質問は38分ごろから)


総理大臣は記者会見や国会などで国民に向かって語りかけることもだいじな仕事です。
菅氏は大丈夫でしょうか。

菅ブログ
すが義偉オフィシャルブログより

次期総理大臣として本命視される菅義偉官房長官は、これまでの言動を見ていると、これといった政治理念のない人のようでした。
しかし、菅氏は総裁選出馬表明の記者会見とそのあとのテレビ出演で、何度も「自助・共助・公助の国づくりをしていきたい」と語りました。
「自助・共助・公助」というのが菅氏の政治理念のようです。

菅氏は9月5日、自身の公式ブログで総裁選の政策発表を行い、その見出しも「自助・共助・公助、そして絆 〜地方から活力あふれる日本に!〜」となっています。

「自助・共助・公助」というのはよくできたキャッチフレーズだと思ったら、防災対策の基本理念にある言葉でした。
それを丸パクリしたようです(防災の基本理念をつくるのに菅氏がアイデアを出したという可能性もないではありませんが)。

「自助・共助・公助」というのは、災害時にはこの三つがうまく機能することがたいせつだということです。とりわけ大規模災害時には、行政の「公助」が迅速には対応できないので、みずから行動する「自助」と、地域で助け合う「共助」がたいせつになります。


菅氏は災害時の理念を平時の理念に転用しています。
「絆」という言葉も、東日本大震災のときによく言われたものです。

菅氏は災害時と平時の区別がつかないのかというと、そんなはずはありません。
要するに国民は災害時のつもりで、できる限り「公助」を当てにせず「自助」と「共助」でなんとかしろと言いたいのでしょう。
為政者としてはなんとも虫のいい考えです。


菅氏を擁護する人もいるでしょう。
「自助」も「共助」もたいせつなことだから、菅氏が主張するのは当然だという具合です。

しかし、たいせつなことは国民もわきまえています。政治家に言われる筋合いはありません。
政治家の役割は、「公助」の部分です。政策として掲げるのは「公助」をどうするかということで十分です。


「自助がたいせつ」というのは要するに道徳です。
政治家が国民に道徳を説くのは自民党の伝統です。

菅氏は秋田県の農家に生まれ、高卒で集団就職で上京してきたと自身の経歴を語りましたが、新潟県出身の田中角栄首相を連想した人も多いでしょう。
田中角栄首相は首相になるとすぐ、「五つの大切、十の反省」なる道徳を国民に提示しました。
これは「人間を大切にしよう」「 自然を大切にしょう」とか「 友達と仲良くしただろうか」「 お年よりに親切だったろうか」といった、当たり前すぎるというか、あまりにくだらないものだったので、国民の総スカンを食い、たちまち葬り去られてしまいました。

田中首相は教育勅語を真似したのでしょう。
自民党はずっと教育勅語の復活を目指してきました。

西洋社会では、道徳はキリスト教と結びついていました。
明治政府はそれを真似て、天皇と結びついた教育勅語をつくりました。
現人神の権威で国民に道徳を説いたわけです。
そのため、道徳と宗教が結びつくのは普通のことですが、日本では道徳と国家が結びつくという奇妙な伝統ができました。

戦後、教育勅語は失効しましたが、自民党は為政者が国民に道徳を説いた時代が忘れられず、教育勅語の復活と道徳教育の復活を目指してきて、道徳教育の教科化までこぎつけました。

菅氏もこうした自民党の伝統にのっとっているのでしょう。
しかし、民主国家の政治家のあり方ではありません。

ですから、菅氏が「自助・共助・公助」や「絆」を説くのを見て、「立派なことを言っている」などと反応するのは愚かです。
「国民をバカにするな」とか「何様のつもりだ」というのが正しい反応です。

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権力者が権力の座を下りると、それまで隠されていた真実が次々と明るみに出て、かつての権力者は罪人となる――というのはよくあることですし、韓国の政治などは完全にそのパターンです。
安倍首相もそうなるだろうと漠然と思っていたら、どうやら様子が違います。

共同通信社が全国緊急電話世論調査を実施したのですが、「今月29、30両日の調査によると、内閣支持率は56.9%。1週間前の22、23両日の調査より20.9ポイント増加した」ということです。

首相退任が決まった内閣の支持率を調査するというのも妙なものですが、20ポイント超も上昇したのにはびっくりです。
病気を理由にした辞任に国民の同情が集まったのでしょうか。

田崎史郎氏はテレビコメンテーター界における安倍応援団の筆頭格です。こういう人は「安倍とともに去りぬ」になるのかと思ったら、このところテレビに出ずっぱりです。
ということは、安倍首相中心の支配構造は変わらないとテレビ局は認識しているのでしょう。


今後のことで安倍首相にとって困るのは、石破茂元幹事長が総裁選で勝利することです。
石破氏はこれまで安倍首相に迫害されてきましたから、安倍首相は石破氏に復讐され、それこそ罪人にされてしまうかもしれません。
しかし、今のところ明らかに菅義偉官房長官が有利な情勢になっています。
党員投票をやらない方向なのも、“石破つぶし”のためです。
ここまでは安倍首相が辞任を決めたときからのシナリオでしょう。

つまり安倍首相はキングメーカーになって、院政を敷くということになりそうです。


安倍首相は辞任の作戦が巧妙でした。
“難病”のイメージを徹底的に利用しました。
「病気で辞めるのならしかたがない」というだけでなく、「難病で辞めるのはかわいそう」というところまで持っていきました。

実際のところは、国会議員は辞めないのですから、病気であることもあやしいものです。
安倍首相はトランプ大統領やプーチン大統領と電話会談をしたりして、首相の仕事もちゃんとやっています。


安倍首相の「難病利用」によっていちばん迷惑をこうむっているのは、潰瘍性大腸炎の患者でしょう。
潰瘍性大腸炎になると治らない、仕事ができないというイメージになってしまいました。
それから、慶応大学病院にとっても迷惑です。処方した薬が効果を上げているのに首相を辞任されて、「慶応大学病院には治せなかった」というイメージになってしまいました。
実際のところは、潰瘍性大腸炎の治療法は進歩して、深刻化するケースは少なくなっているということです。

そもそも安倍首相は潰瘍性大腸炎を理由に第一次政権を投げ出し、その後、2012年の総裁選に出馬したときは、体調を不安視する周囲に対して、アサコールという特効薬が効いたとして「今はまったく問題がなくなった」と主張していました。
結局、また潰瘍性大腸炎を理由にして辞任するとは、どういう神経をしているのでしょうか。


安倍首相の場合、6月の定期健診で「再発の兆候」が認められ、8月に「再発が確認」されたということです。
なぜこの時期に再発したかというと、政権運営が行き詰まったストレスからでしょう。
ですから、今回の辞任は「政権投げ出し」だといえます。

しかし、よく考えると、「逃げの投げ出し」ではなく「攻めの投げ出し」であったようです。

普通、選挙は議員にとって大仕事ですから、衆院の解散は議員任期が残り少なくなってから行われるとしたものです。しかし、安倍首相はつねに野党の選挙準備が整わないうちに早めに解散総選挙を仕掛け、勝利してきました。
安倍首相は今回もその勝利の方程式に従い、「早めの辞任」を仕掛けたのでしょう。
ということは、菅総理大臣が誕生すると、早期に解散総選挙があるということが考えられます。
“安倍院政”なら当然そうなります。

いや、もっと長期的な戦略があるのかもしれません。
安倍首相は65歳、菅官房長官は71歳です。
自民党の総裁は3期までと決まっていますが、いったん辞めたあと再任を禁止する規定はないので、菅総裁のあと、また安倍氏が総裁になり、第三次安倍政権を発足させるということも可能です。

「難病利用の辞任」はあってはならず、安倍首相の潰瘍性大腸炎の症状はどの程度のものなのか明らかにされるべきです。

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辞任記者会見の安倍首相(官邸ホームページより)

安倍首相は8月28日、記者会見で辞意を表明しました。
第一次安倍政権のときに続いて二度目の唐突な「政権投げ出し」です。

潰瘍性大腸炎はストレスも症状悪化の原因です。
安倍首相は会見で「一議員として仕事をしていきたい」と言って、議員辞職は否定しました。
首相は務まらないが、議員としては務まるということです。
ということは、体の問題ではなく、「首相の重責」に耐えられないという心の問題ですから、「政権投げ出し」というしかありません。

ところが、マスコミは「政権投げ出し」という批判はほとんどしていません。
安倍首相のイメージ戦略に乗せられたようです。


安倍首相はこのところ「病気」というイメージを強く打ち出ししていました。

甘利明議員は、テレビ番組で安倍首相の「疲労蓄積」を心配し、「責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」と語り、麻生太郎財務相は「147日間休まず働いたら、普通だったら体調としては、おかしくなるんじゃないの」と語り、働きすぎが原因で体調を崩しているというイメージを広げました。
そして、8月17日、24日と続けて慶応大学病院に行ったときも、あらかじめマスコミに伝えました。そのためマスコミはずっと病院前に張り付いて、診察時間が「7時間半」と「4時間」だったと報じ、また病院に車で出入りする映像もニュース番組で流れました。
こうして「首相病気」のイメージを国民に植え付けたのです。

しかし、これはあくまでイメージです。
記者会見の言葉を聞いていると、辞任するほどの症状とは思えません。
首相官邸ホームページの「令和2年8月28日 安倍内閣総理大臣記者会見」から書き起こしてみます。
この8年近くの間、しっかりと持病をコントロールしながら、なんら支障なく、総理大臣の仕事に毎日、日々全力投球することができました。
しかし、本年6月の定期健診で再発の兆候が見られると指摘を受けました。その後も薬を使いながら全力で職務に当たってまいりましたが、先月中ごろから体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況となりました。そして、8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認されました。
今後の治療として、現在の薬に加えまして、さらに新しい薬の投与を行うことといたしました。今週初めの再検診においては、投薬の効果があるということが確認されたものの、この投薬はある程度継続的な処方が必要であり、予断は許しません。
政治においては、もっともだいじなことは結果を出すことである。私は政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療をかかえ、体力が万全でないということの中、たいせつな政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民のみなさまの負託に自信をもって応えられる状態でなくなる以上、なくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。
総理大臣の職を辞することといたします。

投薬の効果が確認されたのに辞任するのは不可解です。

質疑応答において記者も「治療を続けながら執務を続行するという選択肢はなかったのか」と質問していますが、安倍首相は「間違いなくよくなっていく保証はない」「コロナ禍の中において政治的空白を出さないようにするにはこのタイミングで辞任するしかないと判断した」と答えています。

さらに、次期首相が決まるまで首相の座にあることに関して、「もちろんこの任にある限りですね、コロナ対策、責任をもって全力をあげていきたい。幸いにも新しい薬が効いてますので、しっかりと努めていきたいとそう思っております」と言っています。
つまりしばらく首相を続けていけるというのです。

では、なぜ今辞めたのかというと、
①改憲が不可能になって、この先やりたいことがなくなった。
②やり続けても経済も外交も改善の見込みがない。
ということからではないかと思われます。

やはり「投げ出し」です。
前回は追い詰められてギリギリで投げ出したのですが、今回は早めに投げ出したわけです。

いや、「早め」というのは間違いです。
ほんとうはもっと早く投げ出しているべきでした。
たとえば対ロシアの北方領土返還交渉について、今では二島返還すら不可能な状況になっています。これは外交の大失策として首相のクビが飛んで当然です。
ところが、マスコミの追及が甘いので、平気な顔で首相を続けてきました。
モリカケや桜を見る会でも安倍首相は辞任して当然でした。

本来は死んでいるはずの体を集中治療室に入れてさまざまな延命措置を施してきたものの、本人が長すぎる延命に嫌気が差して、今回安楽死ならぬ“安楽辞任”を選択したというところです。

もちろん“安楽辞任”などということはあってはならず、今後、安倍首相の外交や経済政策をきびしく検証し、モリカケ、桜を見る会の疑惑を徹底追及するべきです。

スクリーンショット (28)
8月24日の安倍首相

安倍首相は8月17日、24日と続けて都内の慶応大学病院を受診し、健康不安が取りざたされています。

安倍首相本人は「体調管理に万全を期して、これからまた仕事を頑張りたい」と語りましたし、菅官房長官は「毎日お目にかかっているが、変わりはないと思う」と、健康不安説を否定しています。
しかし、政治家というのは病気であっても否定するのが当たり前なので、こういう言葉は信用できません。
病院での滞在時間は、17日が7時間半、24日が約4時間とかなりの長時間で、これでなにもないとは考えられません。


ただ、首相サイドはわざと健康不安説をあおっているという説もあります。

自民党の甘利明議員は16日のフジテレビの番組で、首相の疲労蓄積を心配して「ちょっと休んでもらいたい。責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」と語りました。
麻生太郎財務相は17日夜、「147日間休まず働いたら、普通だったら体調としては、おかしくなるんじゃないの」「休む必要があるということは申し上げた。ちゃんと自分で健康管理するのも、仕事の一つだ」と語りました。
つまり安倍首相が7時間の診察を受けた前後に、安倍首相の側近が「安倍首相の疲労蓄積」をアピールしているのです。

なぜそんなことをするかというと、安倍首相は国会も開かず、記者会見もしないでいるのを批判されているので、「疲労蓄積」を理由に批判をかわそうとしているというわけです。
確かに安倍首相が147日間休んでいないということは話題になって、安倍応援団は「安倍首相はこんなに国民のために働いている」と声を上げています。


とはいえ、政治家が「疲労蓄積」をアピールするのはやはり不可解です。
私は「疲労蓄積」をアピールする別の理由を考えました。

安倍首相は前の政権で突然に辞任を表明して、「政権を投げ出した」とさんざん批判されました。
今回また突然に辞任表明をすれば、前回以上に批判されるのが目に見えています。
そこで、あらかじめ「疲労蓄積」によって体調が悪化していることを周知させておき、それから辞任表明をしようという作戦ではないかと考えられます。

ということは、実際に体調はかなり悪くて、近く辞任することが視野に入っていることになります。
辞任するときのために今は「国民のために休みなしに働いて疲労が蓄積し、持病の潰瘍性大腸炎が悪化した」という物語をつくっているところです。


安倍首相の体調が悪いことは顔色を見てもわかります。

安倍首相は24日、病院から官邸に戻ると、記者団の前でコメントしました。
この日は安倍首相の連続在職日数が佐藤栄作首相を抜いて歴代最長の2799日となった記念日だからです。
この日は午前10時前に病院に入り、記者団の前に現れたのは午後2時前ですから、そんな疲れるはずはないのですが、顔色はさえません。



在職日数が歴代最長となったことについては、「すべてはこれまでの国政選挙において力強い支持をいただいた国民のみなさまのおかげでございます。心から御礼申し上げたいと思います。また、たいへんきびしいときにあっても、いたらない私をささえていただいたすべてのみなさまに感謝申し上げたいと思います」と語りました。
この言葉だけ聞くと、まるで辞任のときの言葉のようです。
今後のことについては「これからまた仕事を頑張りたい」と言っただけで、具体的な目標はなにも語りませんでした。


安倍首相が辞任するとすれば、総裁選なしに誰かが暫定的な首相に就くことになります。
常識的には麻生財務相か菅官房長官でしょう。
菅官房長官は18日にBS日テレ「深層NEWS」、21日にテレビ朝日「報道ステーション」と立て続けに生出演し、存在感をアピールしています。

どう考えても、安倍首相の辞任は近いと思われます。

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連日の猛暑日で、熱中症で亡くなる方が増えています。
室内にいてエアコンがあれば、亡くなるようなことはなさそうですが、そう簡単ではありません。

朝日新聞の「熱中症の死者や搬送相次ぐ 多くが高齢者、屋内でも危険」という記事には「8月の23区内での熱中症による死者は、都監察医務院のまとめでは、17日午前時点で53人。(中略)53人中50人が屋内で見つかり、43人はエアコンがないか、あっても発見時に作動していなかったという」と書かれています。

エアコンはあるのに使わなくて亡くなってしまう人がけっこういるのです。
年寄りは感覚が鈍っているので、危険なほど気温が高くなっているのに気づかないということもあるでしょうが、暑いのをがまんしてエアコンを使わないという人もいます。

「冷房は体に悪い」という考え方が昔からありました。
「冷房は嫌い」という人もいます。

しかし、こうした考えの人も本音は「電気代がもったいない」ということではないでしょうか。

昔は「扇風機をつけっ放しで寝ると死ぬ」などという都市伝説みたいなものがありましたが、これも電気代を節約したいためにつくられた嘘ではないかと思われます。

年金暮らしの年寄りなどぎりぎりの節約生活をしている人は、電気代もできる限り節約しようとして、暑いのもがまんします。
こういう人は「お金がない」というのが恥ずかしいので、「冷房は嫌い」などと言ったりします。

「わずかの電気代より自分の命のほうがたいせつだろう」と言うのは部外者の言い分です。
ほんとうにお金のない人は、お金が命みたいなものです。

ですから、ぎりぎりの生活をしている人に「暑い日はむりをせずにエアコンをつけましょう」と言ってもほとんど効果がありません。


エアコンの電気代がいくらかかるのか調べてみました。
気温と部屋の大きさとエアコンの性能によって違ってきますが、だいたい1時間21円ぐらいのようです。
1日10時間エアコンを使うとすると、月6000円ぐらいです。
これはバカになりません。
エアコンをつけずに死んでしまう人がいるのも不思議ではありません。


お金が惜しくて死んでしまう人なら、その命を救うのは簡単です。
お金を上げればいいのです。

新型コロナ対策で1人10万円の特別給付金を配ったので、お金を配ることのハードルはかなり下がっています。
1人ないし夫婦の年寄り世帯で、年金以外に収入がないという世帯に、エアコン分の電気代を給付すれば、電気代がもったいなくて死ぬことは防げます。

いや、現金を給付すると、ほかのことに使って、やはりエアコンはがまんする人がいるでしょう。
国が直接電力会社に支払うという形にすればどうかと考えましたが、これも結局は同じことです。

いちばんいいと思えるのは、7月分と8月分の電気代を全額国が負担することです。
そうすれば遠慮なくエアコンを使うことができます(エアコンのない世帯へのエアコン設置補助もやるべきです)。
国はよけいな支払いをすることになりますが、年寄りの貧困世帯の救済だと思えばいいのです。


エアコンを使わずに熱中症で死亡する悲劇をなくすにはいい方法だと思うのですが、年寄りに払う金があるなら若い世代のために使うべきだという声も出てきそうです。
いや、基本的にみんなそう考えているので、年寄りの熱中症を防ぐためにお金を使うということは誰も言わないのかもしれません。

しかし、若い世代のこともたいせつですが、目先の命を救うこともたいせつなので、こういう方法も考えてみていいのではないでしょうか。

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