村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 躾か虐待か

今井メロ著「泣いて、病んで、でも笑って」という本があります。今井メロさんというのはスノーボード選手としてトリノオリンピックに出た人ですが、昔は成田夢露という名前で兄の成田童夢さんとともに人気のあった人というと思い出す人が多いのではないでしょうか。この本はいわゆるタレント本ですが、私は縁あって読んでしまいました。そして、読むといろいろ考えさせられることがありました。
 
決してお勧めの本ということではありません。タレント本ですから、本人が書いたものではないでしょうし、内容が薄いのですぐ読めてしまいます。今井メロさんが元美人アスリートだからこそ本になったというところです。
しかし、そのおかげで私たちはめったに目にすることのない事実を目にすることができるということもあるわけです。
 
今井メロさんは1987年生まれで、上に兄が2人いて、長兄が成田童夢、次兄は一般人です。メロさんが5歳のときに両親が離婚し、メロさんと童夢さんは父親のもとで育ち、次兄はのちに母親に引き取られ、父親は再婚して弟が生まれます。複雑な家庭環境です。
メロさんは幼いころの記憶がほとんどないといいます。ようやく記憶が始まるのは小学校に入ってからです。
父親はファッションカメラマンですが、メロさんは父親からモーグルを教わります。5歳のときには滑っていて、6歳のときにモーグルマスターズの競技会、一般女子の部に出場し、成人女性を抑えて優勝します。といっても、本人には記憶がないそうです。
6歳のときにモーグルからスノーボードに転向します。父親がスノーボードを勧めたのです。父親はトランポリンを使う独自の練習法を考え出します。これは今でこそポピュラーな練習法となっていますが、当時はまだ誰もやっていなかったそうです。トランポリンのある自宅屋上にはカメラが設置され、父親はリビングで練習の様子をチェックしていて、少しでも手を抜くと屋上にやってきて、叱責の声が飛ぶということで、メロさんはいつもその恐怖におびえていました。
父親は徹底したスパルタ指導者で、メロさんは練習漬けの生活を送り、友だちと遊ぶ時間もなく、友だちは一人もいませんでした。メロさんは父親のことを「パパ」と呼んでいましたが、あるときから父親は「オレは先生や」といい、練習以外の家の中でも「先生」と呼ぶようになります。
 
メロさんは15歳のころからプチ家出を繰り返すようになり、近所に子どもの「駆け込み寺」みたいな家があったので、その家に行って「お父さんにぶたれて怖いんです。助けてください」と訴えます。それがきっかけになり、メロさんは自分の意思で児童保護施設に入ります。そこでは「やっと解放された~」という気持ちになったそうです。
その後、精神科病棟に入院し、また家に帰り、そして母の家に行き、姓を成田から今井に変えます。
 
メロさんはワールドカップで2度優勝し、トリノオリンピック代表に選ばれると金メダルへの期待が高まります。派手な壮行会はテレビ中継され、そこでメロさんはまるで芸能人のようにラップを歌います。そうしたことの反動もあって、オリンピックで惨敗すると、世の中からバッシングを受けることになります。
 
それからメロさんの人生は惨憺たるものになります。一時的に引きこもったあと、キャバクラ、ラウンジという水商売勤めをし、ホストクラブ通いをし、さらにはデリヘルという風俗嬢にもなって、それが週刊誌に報じられます。リストカット、拒食症と過食症、恋愛依存症、妊娠中絶、二度の結婚と離婚、整形手術、レイプといったことも本の中で告白されます。
 
こうしたことの直接の原因はオリンピックで惨敗して世の中からバッシングされたことですが、やはり根底には家庭環境の問題があったでしょう。早い話が、親から十分に愛されなかったのです。
この本を読むと、たとえばリストカット、拒食症と過食症、恋愛依存症といったことも、根本の原因は愛情不足なのだろうと思えます。
 
また、メロさんは17歳のときに高校生らしい3人組からレイプされます。これはもちろんレイプするほうが悪いのですが、この女ならレイプしても訴え出ないだろうと見られていたという可能性もあります。学校でイジメられる子どもにも共通した問題があるのではないでしょうか。
 
親から十分に愛されないと自尊感情や自己評価が低くなってしまいます。風俗嬢というのは社会的に低く見られる職業ですが、自己評価の低い人は抵抗なく入っていってしまいます。
 
整形手術にも自己評価の低さということがあるのではないでしょうか。メロさんの場合、練習で鼻を骨折したための手術もあったのですが、子どものころから容姿コンプレックスがあったということです。
 
普通、このように自己評価の低い人は自分の本を出すことはできません。精神科医やカウンセラーの本に、リストカットする患者などの症例として出てくるくらいです。メロさんは美人で人気あるアスリートだったために自分の人生を本に書くことができました。
こういう例としては、ほかに飯島愛さんの例があります。飯島愛さんも家庭環境の問題から家出を繰り返してAV嬢になるという過去があり、タレントとして人気が出たために自分の体験を「プラトニック・セックス」という本にすることができました。ネットで調べると、この本は今もリストカットをする女性などにとってバイブルとなっているということです。
 
メロさんはアスリートとしては挫折した人ですが、世の中には、一流スポーツ選手として成功している人の中にも、メロさんと同じような問題を抱えている人がいるのではないかと想像されます。
幼いころから父親のスパルタ指導を受けていたというスポーツ選手は、ゴルフ界や野球界やその他にもいっぱいいます。きびしい指導は愛情ゆえだという説明が通っていますが、ほんとうにそうでしょうか。少なくとも自分の人生を自分で決められなかったということは、ずっとあとを引くと私は思っています。
 
たとえば大相撲の若貴兄弟は、父親が親方でもあるという環境で育ち、力士としては大成功しましたが、そういう育ち方をしたことがのちにさまざまな問題を生んだと思います。
 
もっとも、同じ大相撲でも武双山関は、父親がアマチュア相撲の強豪で、子どものころから父親のきびしい指導を受けて相撲版「巨人の星」と呼ばれるぐらいでしたが、中学生か高校生のころに一度相撲をやめ、しばらくして考え直して自分から父親に頼んでまた相撲の指導を受けるようになったということです。このときに武双山関にとって相撲は「自分が選んだ道」になったのでしょう。
 
武双山関のようなことがないまま親の決めた道を歩んでいる人は、かりにその道で成功しても、自分の人生を自分で決めなかったという不幸はずっとついて回ります。
もちろん成功しないとまったく悲惨です。世の中には人目にはふれませんが、そういう悲惨な人生の人がいっぱいいると想像されます。
 
スポーツ界だけでなく、芸能界にもステージママやステージパパがいっぱいいますし、医者の世界にも、「いやいやながら医者にされ」というモリエールの戯曲のタイトルみたいな人がいっぱいいます。
親だからといって子どもの人生を決める権利はないということが常識になってほしいものです。

山口県光市の母子殺人事件で死刑が確定した大月(旧姓福田)孝行死刑囚(31)の弁護団が1029日、再審請求をしました。殺害や強姦する意図はなかったとして、心理学者による供述や精神状態の鑑定書などを新証拠として提出するということです。
 
この事件は、死刑制度についての象徴的な事件になりました。大月死刑囚は犯行当時18歳ですから、通常は死刑にならないところですが、被害者遺族の本村洋氏が死刑を強く希望し、マスコミと世論が後押しし、一審と二審は無期懲役でしたが、差し戻し審を経て最高裁が死刑を確定させました。この過程で死刑賛成の世論が強化されたと思います。
それだけに死刑反対派の弁護士で形成される弁護団も意地になって、今回の再審請求をしたのかもしれません。
 
大月死刑囚については、一審判決が出たあと知人に書いた手紙というのがあり、検察は被告人に反省が見られない証拠として裁判所に提出しました。ウィキペディアの「光市母子殺害事件」の項目から引用します。
 
・終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
・無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
・犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか
 
 
これを読む限り、相当なワルのようです。しかし、これはそこらへんにいる不良が書きそうなことです。大月死刑囚のような異常で残虐な事件を起こした人間の書くことにしては違和感があるなと私は思っていました。
 
最近、「殺人者はいかに誕生したか」(長谷川博一著)という本を読んだら、そのときの疑問が氷解しました。本書の「第四章 光市母子殺害事件 元少年」から一部を引用します。
 
これまでの彼の残した発言や記述には、まるで別人のものではないかと思わせるような「大人性」と「幼児性」が混在しています。精神機能のある側面は発達し、他は幼児の状態のままなのかもしれません。あるいはコンディションが大きく変わるためかもしれません。私への電報は理知的な大人の文言です。新供述の「復活の儀式」や「ドラえもん」は幼児に特有の魔術的思考そのものです。さらに、これらとは次元を異にする迎合性が顕著です。
彼のこの複雑な性格を理解しない限り、「かりそめの真意」は接する人の数だけ生まれるでしょう。そして各人がそれを「本物の真意」と信じ込んでしまうでしょう。少しでも誘導的なやりとりがあれば(言外の意程度であっても)、犯行ストーリーは変遷していくでしょう。残念ながら、誰にも犯行動機をとらえることはできないということです。
 
つまり大月死刑囚はつねに相手に迎合してしまう性格だということです。ですから、知人に出した手紙は、その知人が不良っぽい人なので、その人に合わせて書いたものなのでしょう。その手紙の文面を見ただけで大月死刑囚を判断してはいけないのです。
 
ところで、著者の長谷川博一氏は東海学院大学教授の臨床心理士で、東ちづるさんや柳美里さんのカウンセリングをしたことで有名かもしれませんが、池田小事件の宅間守死刑囚に面会したときは世間からかなりのバッシングを受けたそうです。
長谷川氏は大月死刑囚と多くの手紙のやりとりはしていますが、面会は一回だけです。長谷川氏は中立的な立場なので、弁護団から面会を止められたということで、弁護団にはかなり批判的です。
長谷川氏は、凶悪な犯罪者は100%幼児期に虐待を受けており、それが犯罪の大きな原因であるという考えの方です。
 
「殺人者はいかに誕生したか」から、大月死刑囚に関するところを引用してみます。
 
さて、光市事件の元少年は、どのような過去を背負っていたのでしょうか。弁護団の犯行ストーリーは保留しておくとして、家裁の調査などで明らかになっている生育史を整理することにします。
物心つく頃から、会社員である父親は母親に激しい暴力をふるっていました。彼は自然と弱い側、つまり母親をかばうようになり、そのため彼にも暴力の矛先が向けられました。小学校に上がると、理由なく殴られるようになりました。海でボートに乗っているとき、父親にわざと転覆させられ、這い上がろうとする彼をさらに突き落とすということが起きます。三、四年生のときには、風呂場で足を持って逆さ吊りにされ、浴槽に上半身を入れられ溺れそうになったことが何度かあります。
(中略)
小学校高学年頃から母親のうつ症状は悪化し、薬と酒の量が増え、自殺未遂を繰り返します。彼が自殺を止めたこともあり、彼にとって母親は「守られたい」けど「守りたい」存在でもあったのです。このように錯綜する相容れない感情をいだく対象が母親であり、ひどく歪んだ共生関係に陥っていたのです。
中学一年(1993)の九月二十二日、母親は自宅ガレージで首を吊って自殺しました。母親の遺体と、その横で黙って立っている父親の姿を彼は覚えています。「父親が殺したんじゃないか」との連想を打ち消すことができません。その後、彼自身が自殺を考えましたが、次第に「母の代わりを探す」という気持ちが取って代わります。何度か家出をしますが、自宅の押し入れに隠れていたこともありました。そこは生前の母親が暮らしていた部屋の押し入れで、「母親の面影や匂いを抱いてそこにいた」と語っています。
母親の死後三カ月で、父親はフィリピン女性と知り合い、その女性に夢中になりました。そして1996(被告人の高校一年時)に正式に結婚し、異母弟が誕生します。彼は義母に甘える義弟に嫉妬を覚えました。しかし、そんな義母も、実母と同様、父親から暴力を受け、暴力の被害者という点では同じ立場に置かれたのでした。
1999年四月に就職しますが、一週間ほど出勤しただけで、義母には隠して無断欠勤します。四月十四日、仕事の合間のふりをして家に戻って義母に昼食を食べさせてもらったあと、甘えたくなって義母に抱きつきました。「仕事に戻りなさい」と言われ、甘え欲求が高じた状態のままで家を出、同じ団地内を個別訪問する「排水検査」に歩き回ったのでした。
これが、まったく面識のなかった本村さんの家を訪れるまでの経緯です。
 
この事件において、殺された母親と子どもがかわいそうなことは言うまでもありませんし、妻子を奪われた本村洋氏も同じです。
それと比較するべきことではありませんが、犯人の大月死刑囚もまたとてもかわいそうな人です。なにしろ物心ついたときから家庭には暴力が吹き荒れていたのです。まるで地獄に生まれ落ちたようなものですが、彼はそういう認識はなかったでしょう。地獄以外の世界を知らないからです。
彼が人間としてまともでないからといって批判するとすれば、それは批判するほうが間違っているのではないでしょうか。
 
本村洋氏や母子のことは、マスコミはそのまま報道しますが、犯人がどんな人生を送ってきたかはほとんど報道されません。検察が公開した手紙は大きく報道されましたが、これは人間の全体像を示す情報ではありません。
 
死刑については賛成の人も反対の人もいるでしょうが、量刑を決めるときは、犯罪者がどんな人間であるかをよく知らなければなりません。そのことを知らないまま、というか知らされないまま死刑賛成の世論がつくられているように思います。
 
もっとも、裁判官は被告の生育歴を知っているわけです。それでいて死刑判決を出せる裁判官というのは、私にとっては不気味な存在です。
 
しかし、光市事件のときはなかった裁判員裁判制度が今はあります。幼児虐待の悲惨さを直視できる裁判員が死刑制度を変えていく可能性はあると思っています。
 

春の叙勲を伝えるニュースの中に、紫綬褒章受賞者として萩尾望都さんの名前がありました。少女マンガ家も叙勲される時代になり、またその年齢になったということで、ちょっとした感慨がありました。
 
私が若いころは、断言してもいいのですが、男が少女マンガを読むということはまったくありませんでした。当時、男性にとって少女マンガというのはまったくの異文化で、主人公の大きな瞳に星が光る絵柄が合いませんし、ストーリー運びの“文法”みたいなものも理解できないからです。しかし、1975年ごろだったと思うのですが、「SFマガジン」に萩尾望都さんのマンガを絶賛するエッセイが載っていたので、ためしに萩尾さんの「ポーの一族」を読んでみました。萩尾さんの絵はそんなに少女マンガっぽくなく、男にも抵抗感がないので、読めました。もちろん「ポーの一族」は大傑作ですから、感動しました。
 
私は萩尾さんを読むことで少女マンガを読むコツみたいなものが身につき、それからどんどん少女マンガを読むようになりました。当時は少年マンガや青年マンガ以上に少女マンガを読んでいました。
少女マンガは繊細で、内面的です。社会人になって間もないころの私には、現実に傷ついた心を癒す効果があったのでしょう。
 
私がよく読んだのは、萩尾さんのほかは樹村みのり、ささやななえ、山岸涼子、竹宮恵子といったところです。当時、よく行く喫茶店に「別冊少女コミック」が置いてあって、それを手がかりに読んでいったということもあります。
そして、私がよく読んでいたマンガ家はみな昭和24年生まれで、「花の24年組」といわれている人たちでした。「花の24年組」だから読んだわけではありません。自分なりに選んでいった結果がそうなったのです。それだけ「花の24年組」には才能ある人がそろっていたということでしょう。
 
「花の24年組」や個々のマンガ家についてはすでにいろいろ論じられていて、今さら私がつけ加えられることはそんなにありませんが、ひとつ、このことは誰も指摘していないのではないかと思われることがあるので、ここで書いておきます。
 
樹村みのりに「悪い子」(1981年刊行)という短編集があり、私は久しぶりに樹村みのりの新刊が出たと思って買い求めましたが、その表題作の「悪い子」(「プチコミック」19808月号掲載)を読んで驚きました。幼児虐待、つまり親にいじめられる子ども、あるいは親に愛されない子どもがテーマとなっていたからです。
親から「悪い子」と言われている子どもが描かれ、子どもが子どもを屋上から突き落とすという(たぶん当時現実にあったのと近い)事件との関連が示唆され、最後に、その「悪い子」を観察していた主人公は「この子供はわたしだ」と思います。つまり幼児虐待と犯罪の関連性を指摘し、また幼児虐待を自分自身の心理的問題ととらえ、さらには「悪」とはなにかについての答えも示唆しているのです(子どもを「悪い子」と認識するおとなの側に真の「悪」があります)
 
当時、私も手探りでまったく同じことを考えていたので、私とはまったく別の人生を歩んでいる樹木みのりさんが同じ考えに到達していたということに驚いたのです。
ちなみに心理学から幼児虐待の問題を正面から扱った画期的な本である「魂の殺人」(アリス・ミラー著)が出版されたのは1983年ですから、その3年ほど前です。
今でこそ幼児虐待を扱う本はいっぱいありますが、当時はほかにほとんどありませんから、樹村みのりさんも発表するには勇気がいったのではないでしょうか。
 
ちなみに昔は、子ども向きの「まま子いじめ」の物語が山ほどありました。ただ、この物語の読者は、自分は愛情のある実の親に育てられてよかったと思いながら読むわけです(とはいえ、心のどこかにまま母にいじめられる子どもと自分を重ね合わせる部分もあったと思いますが)
しかし、「まま子いじめ」の物語はいつのまにか消えてしまいました。おそらく親がそうした本を子どもに与えたがらなかったからでしょう。
そうした中、樹村みのりさんの「悪い子」は画期的でした。幼児虐待の物語をおとなである自分自身の問題として復活させたからです。
 
「花の24年組」はおそらく相互に影響し合っていたでしょう。とくにささやななえさんは樹村みのりさんと親密な交際があり、そのこともあってか幼児虐待の原作つきドキュメンタリー「凍りついた瞳」「続・凍りついた瞳」を書き、評判となりました。
萩尾望都さんの母と娘の問題を描く「イグアナの娘」はテレビドラマ化もされました。
山岸涼子さんはもともと家族関係の問題を物語性豊かなホラー短編にしていました。
 
今、小説でもドラマでも映画でも、幼児虐待を扱うことは普通になりました。たとえば小説では田口ランディ、天童荒太、湊かなえなどがいますし、異常な犯罪者が登場する映画では決まってその犯罪者の生い立ちが描かれます。
 
団塊の世代というのは、若い世代にはうっとうしい存在かもしれませんが、いろいろ画期的なことをしてきたのも事実です。たとえば、自分で作詞作曲をして歌を歌うというのは団塊の世代から始まったことです。それまで作曲というのは音楽大学で専門の教育を受けた人しかしてはいけないものと思われていたのです。
おとながマンガを読むことも、男が少女マンガを読むことも、団塊の世代から始まったことです。
 
そして、幼児虐待を自分自身の問題としてとらえることも「花の24年組」が始めました。
しかし、そのことはあまり評価されているとは思えないので、ここで指摘しておくことにしました。
 
現在、幼児虐待事件はよくニュースになります。しかし、ニュースに接するほとんどの人は、虐待する親を非難するだけで、自分自身の問題としてとらえることができません。
幼児虐待を自分自身の問題としてとらえることができるか否かで、世界の見方はまったく変わってきます。

「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てる」という話があります。もちろん現実のことではありません。この話は中国の故事で、獅子というのも想像上の生物です。しかし、私が子どものころは、ライオンが実際にそうしているかのように語られていました。あきれたものです。
ネットで調べてみると、逆にライオンが谷に落ちた子を救助する写真があったので、紹介しておきます。
 
「獅子は千尋の谷に落ちた子供を救助することが判明」
 
「麦は踏まれて強くなる」という話もあります。これは必ずしも間違いではありません。実際に「麦踏み」ということが行われています。麦は背が高くなると耐寒力が低下し、また倒れやすくなるということで行うらしいのですが、全国的に行われているわけではなく、外国ではほとんど行われていないようです。もちろん、農作物全般を見渡しても、芽が出たときに踏みつけるというは、たぶん麦だけです。
「麦は踏まれて強くなる」というのは、子どもをきびしくしつけるのはよいことだという意味でいわれるわけですが、そういう特殊なものを子育ての教訓にするのは疑問です。むしろ農業や園芸から得られる教訓は、幼い芽はたいせつに保護して育てるべきだということでしょう。
 
「鉄は熱いうちに鍛えろ」ということも、やはり子どもはきびしくしつけるべきだという意味でいわれます。しかし、鉄と人間にどんな共通点があるのでしょうか。「ダイヤモンドは長く寝かせるほど大きく育つ」ということわざに従ってもいいのではないでしょうか(この“ことわざ”は私が今つくったものです)
 
「ゾウは子どもを蹴ってしつける」(中村幸昭著)という本があります。この本のタイトルはどこかへんではないでしょうか。
「足蹴にする」という言葉があるように、人間において蹴るというのは悪いイメージです。しかし、四つ足の動物というのは、手がないわけですから、蹴るのはあたりまえのことです。
ただ、考えてみると、ゾウは長い鼻を手のように使うことができます。そのために悪いイメージの「蹴る」という表現を使ってもおかしくはないということでしょうか。
「ゾウは子どもを蹴ってしつける」というタイトルを見ると、ゾウが子どもをきびしくしつける様子などを描いた本だと想像されるでしょう。しかし、この本はそんな内容ではありません。ゾウだけでなくさまざまな動物の子育てを紹介したもので、それももっぱら親が子どもをいかにたいせつに、愛情を持って育てるかを描いた本です。つまり本のタイトルと内容が違うのです。
私も出版業界には多少詳しいので想像できるのですが、タイトルのよし悪しは本の売り上げを大きく左右するので、出版社はタイトルづけに必死になります。出版社は考え抜いた挙句、世間の人々に受けそうなタイトルにして、そのため本の内容とも違うし、著者の考えとも違うタイトルになってしまったのではないでしょうか。
 
 
子どもをきびしくしつけるのは人間だけです。
人間は自分の行為が自然に反していることを薄々感じています。しつけを正当化する理屈はいっぱいありますが、所詮は人間(おとな)が考えだした理屈です。そのため、なんとかして自然界にしつけの根拠を見出そうとして、現実でない話を現実だとしたり(獅子の子育て)、特殊な事例を持ち出したり(麦踏み)、人間となんの関係もないことを持ち出したりし(鉄の鍛錬)、さらには内容とタイトルの違う本を出版したりしているわけです。
 
人間がきびしいしつけをすることにはそれなりの理由がありますが、しつけという行為は、その時点ではするほうもされるほうも不幸です。子どもをしつけるのが楽しいという母親はいないはずです。
最近は家族の絆を第一とする価値観が広がっています。となると、しつけも見直す必要があるはずです。

子どもの嫌いな野菜といえば、今はピーマンが第一位で、第二位がセロリというところでしょうか。しかし、少し前まではニンジンと相場が決まっていました。そして、ニンジン嫌いの子どもは親からむりやりニンジンを食べさせられたものです。これは実は乃木希典将軍のせいでもあります。
 
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で、乃木将軍は愚将として描かれました。乃木が旅順要塞や二百三高地を攻めあぐねていたとき、児玉源太郎総参謀長が現地にきて乃木に代わって指揮をとると、たちまち二百三高地を攻め落としたというふうに描かれます。これはもちろん司馬遼太郎の原作がそうなっているのです。
 
司馬は「坂の上の雲」を書いたあと、乃木についてはまだ書きたいことがあったらしく、乃木の人物像だけを描いた「殉死」という小説を書きます。
「殉死」において司馬は乃木をひと言で「スタイリスト」と評します。つまり、人からどう見られているかだけを意識して生きている人間だということです。もちろん中身がないという意味でもあります。明治天皇崩御のときに殉死したのも、そうするのがカッコよかったからでしょう。
しかし、司馬は乃木がなぜそういう人間になったかまでは書いていません。ここがいちばん肝心のところなのですが。
 
人間が人格を形成するとき、いちばん重要なのは幼児期です。幼児期に人間としての基本的な部分が出来上がります。これは当たり前のことですが、司馬はなぜかそこをスルーします。
 
乃木希典の幼児期はかなり特異です。
Yahoo! JAPAN 知恵袋「人参づくしの食事を作った母は?」より引用します。
 
乃木大将が生まれたのは、あのペリー艦隊が日本にやってくる数年前、嘉永2年(1849)11月11日、江戸麻布日ヶ窪の長州藩の屋敷で生まれた。父は長州藩士の乃木十郎希次、母は常陸土浦藩士の長谷川金太夫の長女寿子で、生まれると「無人」と名づけられました。二人の男の子を亡くした両親が「今度こそは元気に育ってほしい」という願いを込めて、「無人」と命名したわけです。
 
 しかし、幼いときの無人は、両親の期待に反して、近所の子供達から「無人は泣き人」とからかわれるほど、体の弱い、泣き虫な子で、ガキ大将にいじめられた時は、妹のキネに助けてもらうような弱虫でした。「これではとても武士の家を継ぐことはできない」と考えた両親の厳しいしつけを受けました。
 
 悪いことやいくじのないことをしたら、びしびしと容赦なくしかる毎日でした。父は、無人を体の丈夫な立派な武士に育てることが一番の夢でした。このため、無人の着るものは、いつも木綿の粗末な服ばかりで、冬の寒い日でも足袋を履かせてもらえませんでした。少しでも寒がっていようものなら「そんな事で立派な武士になれるか」と父親の恐ろしい声が飛んできて、あたまからザブーンと冷たい水をかけられます。そして、雪の降る中をはだしのままで、荒っぽい剣道の寒稽古が何時間も続きます。夕食が終わると、いつもの赤穂四十七士の義士物語が始まります。無人を赤穂の義士のような人間にしたかったからです。無人も義士物語を聞くのが楽しみでした。
 
 こうした希次の厳しい育て方を、母寿子もまた武家の娘らしく、無人荷は甘い顔一つしないで、いつも夫の希次と一緒になって無人をきたえ、育てたのでした。無人が人参を嫌いだといえば、寿子は毎日人参のおかずを出して、無人は何でも食べられるようになりました。
 
 
次はウィキペディア「乃木希典」の項からの引用です。
 
父・希次は、こうした無人を極めて厳しく養育した。例えば、「寒い」と不平を口にした7歳の無人に対し、「よし。寒いなら、暖かくなるようにしてやる。」と述べ、無人を井戸端に連れて行き、冷水を浴びせたという。この挿話は、昭和初期の日本における国定教科書にも記載されていた。
 
なお、詳しい時期は不明だが左目を負傷し、これを失明した。一説にはある夏の日の朝、母の壽子が蚊帳を畳むため寝ている無人を起こそうとしたが、ぐずぐずして起きなかったので、「何をしている」と言い、畳みかけた蚊帳で無人の肩をぶった際、蚊帳の釣手の輪が左目にぶつかってしまったことが原因であるという。しかし乃木は、左目失明の原因を明らかにしたがらなかった。失明の経緯を明らかにすれば母の過失を明らかにすることになり、母も気にするだろうから他言したくない、と述べたという。
 
 
ここに描かれているのは、どう見ても幼児虐待です。
乃木希典は虚弱で、繊細な子なのですが、両親はそれを強い子にしようとむりやりの教育を行ったわけです。普通は父親がきびしくても、母親がやさしいものですが、乃木家では両親ともにきびしかったのです。そうした教育の結果、一応立派な軍人になりましたが、それは見かけだけです。中身はぜんぜん違うのです。司馬遼太郎はそれを「スタイリスト」と評したのでしょう。
乃木には文才がありました。本来は文士になるべき人間だったかもしれません。戦争の真っ最中に漢詩を詠んでいます。そんな時間があれば作戦を考えろと突っ込みたくなるところです。
 
ウィキペディアにあるように、寒いときに7歳の子に冷水を浴びせたという話が国定教科書に載っていたわけです。国を挙げて幼児虐待を奨励していたのです。
母親が好き嫌いをなくすために嫌いなものを3度3度の食事に出し続けたというのも国定教科書に載っていました。ニンジンとは書いてなかったのですが、乃木少年の嫌いなものがニンジンであったことは国民だれでもが知っていました。
そのため、どの家庭でも、子どもがニンジンが嫌いだというと、親はむりやりニンジンを食べさせなければならないと考え、ニンジンをめぐるバトルが繰り広げられました。ホウレン草や魚が嫌いな場合は、それほどのバトルにならなかったはずです。
 
ほんとうは軍人になるべきではなかったのに間違った教育によって軍人になってしまった乃木は、結局軍人としての無能のためにたくさんの部下をむだに戦死させました。
愚かな教育は、本人だけでなく周りも不幸にするという例です。

【追記】
同じテーマをもう少し実証的に書いた記事があるのでお知らせします。
「国定教科書『乃木大将の幼年時代』の真実」


アメリカで男性判事が16歳娘をベルトで打つという、一見変態心をくすぐるニュースがありました。アメリカではけっこう話題になっているようです。といっても、変態ニュースとしてではありません。これはもしかして世の中の流れを変えるかもしれない事件です。
 
 
男性判事、泣き叫ぶ16歳娘をベルトで打つ 米、動画投稿で警察捜査
 2011.11.4 08:00 [米国]
 
米テキサス州の男性判事(51)が娘をベルトで繰り返し打ちつけるビデオが動画投稿サイト「ユーチューブ」に掲載され、地元警察は3日までに虐待に当たるかなどについて捜査を始めた。
  米メディアが大きく報道、ビデオは既に250万回近く再生されるなど大きな反響を呼んでいる。判事は一時休職を命じられた。
  ビデオには、判事が2004年に「パソコンにゲームをダウンロードした」罰として、当時16歳だった娘の脚などを20回近くベルトで打ち、娘が「やめて」と泣き叫ぶ様子が写っている。娘が前もってビデオカメラを設置して隠し撮りし、父親は「司法界で働くには不適格」とのメッセージを付けたビデオを今年10月に投稿した。
  判事は地元テレビに「盗みをはたらいた娘へのしつけで、悪いことはしていない」と反論している。(共同)
 
 
Youtubeはこちら。アカウントを要求されます。
 
こちらはアメリカのニュース動画。
 
 
このニュースで注目するべきなのは、もちろんひとつは判事が主人公だということですが、もうひとつは、家庭内の過去の事件は普通は証言に頼るしかないのに、この場合は動画という証拠があることです。
 
幼児虐待はもちろんアメリカでも大きな問題ですが、アメリカは訴訟社会ですから、虐待の問題が法廷に持ち込まれることがあります。とくに1990年代、子ども時代に親に虐待されたとして自分の親を訴える訴訟が続出しました。それに対して、虐待されたという記憶はセラピストによってねつ造されたものだという反論が行われ、結局この反論が勝利して、自分が虐待されたという問題を法廷に持ち込むことはなくなってしまったようです。
なにしろ昔のことで、しかも家庭内のことですから、虐待があったという証拠がありません。証拠がなくては、結局親に都合のよい判決になってしまうわけです。
 
しかし、今回の事件は違います。ビデオテープという動かぬ証拠があるのです。
アメリカでは白人警官が黒人に暴行を加えるという事件がしばしば大きな問題になりますが、大きな問題になるのは、ほとんどつねに証拠のビデオテープがある場合です。白人警官が黒人に暴行を働くという事件はおそらく相当数あるに違いありませんが、証拠がないと、白人警官に都合のよいことになってしまいます。
 
今回の事件は多くの人に教訓を与えたに違いありません。
今、親から虐待されている子は、将来訴訟をするために隠し撮りをしておけばよいのです。
小さい子どもではむりですが、10歳ぐらいになれば可能でしょう。とくに有効なのは、親から性的虐待を受けている場合です。これは周りの人間に訴えるということがなかなかできません。しかし、成人してからなら訴えることができますし、性的虐待の場合はとくに巨額の賠償金と慰謝料が期待できます。
 
法廷で幼児虐待が裁かれ、親が敗訴するということが頻発すると、世の中の認識が変わり、幼児虐待が減少することが期待できます。
幼児虐待は人類にとって最大の問題といっても過言ではありません。幼児虐待がなくなれば、戦争やテロや犯罪などほとんどの問題がなくなると私は考えています。
 
ところで、この事件について、娘が悪いことをしたのだから父親が体罰をしたのは正当だと考える人もいるかもしれません。そういう人は、自分も子ども時代に体罰を受けたトラウマを持っている人です。自分の過去を振り返り、トラウマから脱却するようにしてください。

東京都杉並区で3歳の女の子が死亡した事件がちょっとした話題になっています。容疑者である43歳の女性が声優という職業だったことと、この女性が死亡した女の子の里親だったことが関心を呼んだのでしょう。これまで実の親や義理の親が子どもを虐待死させるという事件はよくありましたが、里親が里子を殺すというのは珍しいことです(今はまだ容疑の段階ですが)
この事件に関連して「試し行動」についての新聞記事がありました。「試し行動」というのは、おそらくまだ知らない人が多いのではないかと思われますが、人間性の根幹にかかわることで、誰もが知っておくべき重要なことです。
 
里親が里子を預かったとき、愛情さえあればうまくいくかというと、そうではありません。里子はたいてい「試し行動」をするからです。
里子は新しい親をすぐには信用しません。果たして信用できるかどうかを試す行動が「試し行動」です。具体的には、親が困るようなことをします。逆らったり、大声を出したり、暴れたり、物を壊したり、やり方はさまざまです。新しい親がそれらを全部許して受け入れると、里子は新しい親を信用し、信頼関係が築かれます。
里子は実の親やその他の人に虐待されていた場合もあって、その場合は「試し行動」もより激しくなります。
 
里親になる人は研修でこのことを必ず教えられます。この知識がないと、里子の「試し行動」に触れたとき、親に対して悪意を持っているのではないか、「悪い子」を里子にしたのではないかと思ってしまいかねません。
 
「試し行動」は里子にだけ見られることかというと、そうではありません。実の親子関係でもあります。
たとえば、このカウンセラーのホームページにも書いてあります。

「子供の試しに応えよう」
 
完璧な親はいませんから、子どもは親の愛を確かめようと「試し行動」をすることがあるわけです。
「よい親」であれば、子どもが親を困らすようなことをしても、許して受け入れますから、すぐに「試し行動」はなくなります。
しかし、「悪い親」であれば、子どもを「悪い子」と見なし、矯正しようとして叱ったり罰したりするので、子どもはさらに「試し行動」をエスカレートさせます。そうして負のスパイラルになって、不幸の坂道を地獄まで転がり落ちていく親子も多いことと思われます。
 
また、「試し行動」は恋愛関係でも見られることがあります。わざと相手を困らせるようなことをして、相手の愛を確かめるのです。これをやったために関係が壊れてしまうことも当然あって、やった本人は後悔しますが、いわば本能レベルの行動なので、やめようとしてもやめられるものではありません。ですから、「試し行動」を受け止める側の態度がたいせつになってきます。
多くの恋愛は、むしろ相互に「試し行動」をし合うようなものかもしれません。
 
「試し行動」を知ると知らないとで人生は大きく変わってきます。



≪追記≫
「試し行動」について専門家が語るインタビューが朝日新聞に載っていたので、紹介しています。

専門家が語る「試し行動」

私はSFから世界全体をとらえる発想を学び、ホラーから人の心の奥底を見ることを学びました。このどちらが欠けても、私は「科学的倫理学」に想到できなかったでしょう。
 
人の心の奥深いところはなかなかわからないものです。フロイトは「無意識」があるといい、最近は「心の闇」という言葉がよく使われます。しかし、自分で自分の心の中を掘り下げていくことはできます。私はその作業をねばり強く続けているうちに、あるとき「ここが底だな」というところに到達しました。もうそれ以上掘り下げることのできない硬い岩盤のようなところがあるのです。
心の隅々までわかったわけではありませんが、底に到達したことで、私はそこを立脚点にしてものを考えることができるようになりました。これはものを考える上で圧倒的に有利です。世の中には私などより頭がよくて知識の豊富な人が山ほどいますが、確かな立脚点を持っている人はいないのではないでしょうか。
 
たとえば、私は「虐待の連鎖」について考えました。幼児虐待をする親は自分も子ども時代に虐待されていたことが多く、これを「虐待の連鎖」あるいは「虐待の世代連鎖」といいます。この「虐待の連鎖」をどんどんさかのぼっていけば、「人類最初の虐待親」にたどり着くはずです。もちろん「虐待の連鎖」は実際にはそんな正確に続くものではなく、あくまで思考実験として考えたのです。
「人類最初の虐待親」はいかにして誕生したのか。これはパズル感覚で考えても楽しいでしょう。こういう発想はSFから学んだものです。幼児虐待について研究している人はなかなかこういう発想は持てないかもしれません。
 
これを考えるためには、人間以外の動物に幼児虐待に当たるものがあるのかどうかを調べないといけません。哺乳類においては、ライオンの子殺しのようなことがありますし、育児放棄もありますし、生まれたばかりの自分の子どもを食べてしまうこともありますが、人間の幼児虐待はそれらとは異質なものだと私は考えました。
 
そして、幼児虐待をする親は、「しつけのためにやった」とよく言います。行儀が悪い、わるさをした、言いつけを聞かないなど、子どもが「悪」だと考えています。しかし、実際は虐待する親のほうが「悪」なのです。
自分が「悪」だから、相手が「悪」に見える――ここにすべての秘密を解く鍵があります。
これを徹底的に考えていくと、善と悪についての認識のコペルニクス的転回が起き、「科学的倫理学」に到達することができます。
 
私はいち早く「科学的倫理学」に到達しました。後続の人たちを待っている状態です。
「人類最初の虐待親」はいかにして誕生したかというパズルを解いてください。

2010年度の幼児虐待相談は前年度より約1万2000件増加し、20年連続で増加したそうです。これは相談件数ですから、実際の虐待件数が増加しているかはわかりませんが、幼児虐待というものが広く世の中に認知されてきたのは間違いないでしょう。
 
幼児虐待を初めて明るみに出したのはフロイトです。フロイトは女性ヒステリー患者の治療の経験から、幼児期に性的虐待を受けたトラウマが成人後のヒステリー発症の原因になるという説を発表しました。これはフロイトの偉大な功績ですが、実はフロイトはあとになってこの説をみずから捨ててしまい、代わりにエディプス・コンプレックスを中心とする複雑怪奇な説をつくり上げるのです。
 
アメリカでは1980年代末から、幼児期に親から虐待されたとして親を訴える訴訟が急増しました。それに対して、親から虐待された記憶はセラピストによってねつ造されたものだとして、逆に親が子どもとセラピストを訴える訴訟も増え、結果として、虐待の記憶はねつ造だと主張する勢力が優勢となり、親を訴えるということはほとんどなくなったようです。
 
つまり、心理学的問題としては、幼児虐待があったとする説はなかったという説に負けるという流れがこれまではありました。
 
日本では(もちろん日本だけではありませんが)、幼児虐待が社会的に認知されつつあります。しかし、これはあくまで犯罪事件として認知されているようです。虐待する親を非難し、刑事事件として処理して終わりという扱いです。
虐待された子どもがおとなになったときに心理的問題をかかえますが、それについての認識はほとんどありません。身近な人にわかってもらおうとしても、わかってくれる人はほとんどいませんし、逆に「それは親の愛情だ」とか「いつまでも親のせいにしていてはいけない」などと否定されてしまいます。これは心理カウンセラーにおいても同じことです。幼児虐待のトラウマを扱えるカウンセラーはまだまだ少ないのが実情です。
 
今、世の中の対立軸は、たとえば右翼対左翼、フェミニズム対反フェミニズム、高福祉対低福祉、原発推進対反原発などいろいろありますが、いちばん重要な対立軸は、幼児虐待の心理的問題を認識できるか否かではないかと私は思っています。というのは、これによって身近な人間との人間関係から政治についての考え方まですべて変わってくるからです。
たとえば、石原慎太郎都知事はかつてスパルタ教育論を唱え、戸塚ヨットスクールを支援していました。こういう人は親から虐待されてトラウマを負った人の気持ちは決して理解できないでしょう。そして、そのことと彼がタカ派であることはもちろん密接に関係しています。
 
今、エディプス・コンプレックスなんてことを言うとバカにされてしまいます。フロイトの学説の見直しは必至です。
アメリカで親を訴えるというのは戦略的に間違っていて、そのため反撃にあってしまいました。なぜなら、虐待の連鎖ということを考えると、親もまた虐待の被害者であった可能性が大きく、訴えるよりむしろ連帯すべき相手であったからです。
 
幼児虐待がもたらす心理的問題は社会全般に広がっていて、これを認識できない人は社会問題も認識できないと言っても過言ではありません。
 
では、幼児虐待がもたらす心理的問題を理解するにはどうすればいいのでしょうか。それは、自分は親からどの程度愛されていたのか、もしかして虐待されていたのではないかということを考えればいいのです。
これは簡単なことのようで、けっこう困難なことではありますが。

作家の柳美里さんは2010年出版の「ファミリー・シークレット」で自分自身の幼児虐待と被虐待の体験を告白しましたが、芸能界では東ちずるさんが2002年に「“私”はなぜカウンセリングを受けたのか―『いい人、やめた!』母と娘の挑戦」で自分自身の被虐待の体験を告白しています。この2人ともに心理学者の長谷川博一氏がからんでいます。自身の被虐待体験に向き合うには、カウンセラーの助けが大きいということでしょう。
しかし、この2人に先だって、自力で被虐待体験を告白した芸能人がいます。それは飯島愛さんです。
飯島さんは2000年に「プラトニック・セックス」を出版し、子ども時代に両親から虐待され、中学時代から家出を繰り返した体験を告白しました。有名人で自分が親から虐待されたことを告白したのは飯島さんが最初ではないでしょうか(内田春菊さんは1993年の「ファザーファッカー」で性的虐待の体験を書いていますが、これは小説ですし、義理の父親との関係です)
 
「プラトニック・セックス」はミリオンセラーになり、社会現象になりました。しかし、共感したのは若い女性が多く、有識者からはあまり評価されませんでした。タレント本であり、しかもゴーストライターが書いたものだということも評価されない理由だったでしょう。
 
しかし、私の考えでは、そういうこととは別に、この本には致命的な問題があります。それは、本の前半部では自分を死ぬほど殴っていた父親と、本の最後の場面では、なごやかにビールを酌み交わすのです。つまり親と和解してハッピーエンドになっているのです。
これはいくらなんでもありえないだろう、というのが私の感想です。
文庫版解説の作家の大岡玲さんも、この幸せな大団円では「文学になりかけの胎児」である、つまり真の文学にはならないと苦言を呈しています。
おそらくは出版社や所属事務所の意向でこうした結末になったのでしょう。確かに2000年当時ではこうした結末でないと受け入れられないという人も多かったかもしれません。
しかし、これは飯島さん自身の思いとはかけ離れた結末だったはずです。
 
では、飯島さんの思う通りの結末とはどんなものでしょうか。
これがひじょうにむずかしい。これからも親を恨んで生きていくというのは、ある意味自然な結末ですが(AV嬢のインタビューを集めた本で、「親に復讐するためAV嬢になった」といっている人がいました)、それでは飯島さんも含めて誰も納得しないでしょう。
いちばんいいのは、飯島さんを虐待した両親も子ども時代に親から虐待を受けていたかわいそうな子どもだった、そのことを知って飯島さんは両親を許す気になる、というものです。もし長谷川博一氏がかかわっていたら、そういう結末になったはずです。
しかし、飯島さんが自力でそういう認識に到達できるはずはなく、おそらく飯島さんも結末がつけられなかったので、出版社や事務所があのような結末にしたのだと思います。
 
しかし、飯島さんはあの結末では納得がいかなかった。一世一代の告白をして、そのことによってなにかが変わるかもしれなかったのに、告白そのものが骨抜きにされてしまったのですから。
結局、飯島さんは自分を見失ってしまいました。ほんとは親との関係はなにも変わっていないし、まだ親の愛に飢えているのに、周りの人は飯島さんは親の愛を取り戻して幸せになったと思っているからです。
 
飯島さんの死は自殺ではないようですが、多くの人は限りなく自殺に近いものと受け止めているのではないでしょうか。
飯島さんをそういうところに追いやったのは、被虐待体験の告白を正面から受け止めようとしなかった出版社や事務所(それに世の中)だというのが私の考えです。
 
もっとも、世の中の価値観と違う告白が受け入れられないのはよくあることです。
たとえば、三島由紀夫は「仮面の告白」で自分が同性愛者であることを告白しましたが、当時の価値観では受け入れられず、かといって作品の文学的価値があまりにも高いために否定もできず、あくまでフィクションだということで受け入れられました。三島由紀夫はほんとうの自分を世の中に受け入れてもらえなくて、結局自殺することになってしまいました。
また、歌手の佐良直美さんはレズビアン体験を告白したために、芸能界から引退を余儀なくされました。
 
飯島愛さんはあまりにも先駆者でありすぎたのかもしれません。

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