村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 横やり人生相談

シリーズ「横やり人生相談」です。
彼氏と価値観が合わないとき、彼氏を取り換えるというのは手っ取り早い解決策です。しかし、自分が間違った価値観を持っていると、よりだめな彼氏をつかまえてしまうことになります。
 
これは「ヤフー知恵袋」にあった相談です。
 
 
付き合っている彼氏のことで皆様にご相談があり
 
付き合っている彼氏のことで皆様にご相談があり質問させていただきました。
 付き合って半年、私は27歳で彼は26歳です。
 彼は誠実でお酒やタバコ、ギャンブルなどももちろんしませんし、大事にもしてくれていま す。
 
 しかし、少し気になることがあり、彼に自覚してもらって直して欲しいところがあります。
 TPOがわきまえられないと感じるところが多々感じられます。
 例えば、外食した際に胡座をかく、私の会社の人が割と近くにいるときにも靴を脱いでベンチで胡座をかく。
 私は最初ビックリして、「お行儀悪いよ、小さい時胡座かいたり、立て膝ついたりしたら怒られたでしょう?」
 と伝えたんですが、「楽やから。誰にも迷惑かからへんやん」と言われてしまいました。
 最近は毎回なので「脚!」とか、キツく言ってしまいます。
 
 他にも、彼は営業職なのですがボロボロのクツを履いたり、穴の空いたスーツを着たり、冬場に夏物のスーツを着たりします。
 また、私の職場の人と関わるときも短パンにスリッパで来ます。
 「クツ綺麗な方がかっこいいよ、スリッパは止めて欲しいなー」
 と、伝えても
 「使いふるした方がビンテージ感出る」とか、「スリッパじゃなくてサンダルやし、俺がしてるのが一番かっこいーから」
 と言われて困っています。
 
 私自身も完璧では無いですし、彼もプライドがあるのでしつこく言ったり、強くいうのは控えていますが、
 私自身だけの問題でなく、彼の評判や営業先の信頼性なども関係してくると思うので心配です。
 また、もし結婚したら子供がそういうところを絶対に見て育つので早く直してもらいたいです。
 
 長文になり申し訳ありませんが、いい説得の仕方や伝え方のアイディアがありましたら教えてください。
 
 
彼は誠実でお酒やタバコ、ギャンブルなどもしないし、彼女を大事にしてくれています。営業職についているということなので、職業面も問題ないのでしょう。
問題はなにかというと、服装と行儀です。
 
「外食した際に胡座をかく」というのは、きっと椅子の上のことなのでしょう(畳や床なら胡坐は当たり前ですから)。おしゃれなレストランでこれをするとかなりみっともないですが、ファミリーレストランや居酒屋ではたいして問題にならないような気もします。
 
「靴を脱いでベンチで胡座をかく」というのも、周りの状況がよくわかりませんが、靴を脱ぐという配慮もできていますし、「誰にも迷惑かからへんやん」という言い分が正しいような気がします。
もしかしてこの女性は、胡坐はすべて行儀が悪いと思っているのでしょうか。
 
とにかくこの女性は、彼氏の見かけを気にするのですが、「私の会社の人が割と近くにいるときにも」とか「私の職場の人と関わるときも」とあるように、自分の会社の人の目が気になるようです。かっこいい彼氏を自慢したいのに、彼がラフな服装でくるのが不満なのでしょう。
 
「穴の空いたスーツを着たり、冬場に夏物のスーツを着たり」というのはかなりへんですが、要するに服装に無頓着な人なのでしょう。彼はそうして生きてきたのですから、この女性が「彼の評判や営業先の信頼性など」を心配するのはよけいなお世話というものです(問題があれば彼の上司が注意してくれます)。
 
私が思うに、この彼はなかなかいい性格をしています。
普通の男なら、女性から「脚!」とかキツく言われたら、険悪な雰囲気になりそうなものです。彼はかなり鷹揚な性格なのでしょう。
 
また、彼女の会社の人にも気楽に会っているようです。どんな状況かわかりませんが、短パンにサンダルでくるのですから、休日なのでしょう。ちゃんとあいさつもしているようです(この女性は服装のことだけ気にしているので、そのほかのことはできているはず)
彼女の会社の人に会うなんて面倒くさがる男も多いと思われます。こういう社交性は貴重です。
 
服装と行儀に多少の難はありますが、それぐらいしか難がないとも言えます。
ところが、この女性は服装と行儀ががまんできないので、なんとかしたくて相談しました。
この相談に対する回答は、価値観の違いはどうにもならない、彼を変えるのはむずかしい、気になるなら別れたほうがよい、といったものです。
で、彼女も別れる気になっています。
 
彼女は次は、行儀がよくてちゃんとした服装のできる男、つまり見栄えのする男を選ぶのでしょう。
しかし、そうしたことは幸せな結婚とはあまり関係ありません。性格のいい男を選んで結婚したほうが幸せになれます。

ですから、ここは思考のベクトルをぐるりと転回して、男のことを考えるより、自分の「男を見る目」について考えるべきです(これを「認知について認知する」という意味で「メタ認知」と言います)

私ならこの女性に対して、男にはあまり問題はない、見た目ばかり気にする自分の価値観のほうが問題だとアドバイスします。
男を替えるより自分の価値観を変えたほうが幸せになれます。
 

シリーズ「横やり人生相談」です。今回は道徳的に生きてきたために不幸になってしまったという人からの相談です。安倍内閣は道徳教育を強化する方針ですが、こういう不幸な人をふやしてしまうのではないかと心配です。
 
 
(悩みのるつぼ)試験で不正した大学の友人たち
20141111500
 ■相談者:女性 40代
 
 40代の女性です。難関と言われる大学を、バブル期に卒業しました。試験時には一番後ろの席が取りあいになり、机に解答を書いたり、英語の訳本をひざに置く人がいました。
 
 入試での不正行為は大きな社会問題になっても、学内の試験での出来事は封印されています。カンニングが発覚すれば半年分の単位が没収されたはずですから、彼らの卒業は偽りのものです。
 
 そんなメンバーと最近、再会したら、彼ら彼女らは、公務員や大企業の正社員という立派な肩書を持っていました。
 
 社会に出ると、学力だけでなく、人柄やコミュニケーション能力、さまざまな技能が望まれます。「世渡り力」も能力のうち、といってしまえばそれまでですが、不器用でもけなげに生きている人たちは、浮かばれないのではないでしょうか。
 
 今は就職難で、学生は私たちの時よりきちんと学んでいると思いますが、代返や代筆、試験前にノートを借りにくる連中、いつの時代もありそうです。
 
 そう思うと、往々にして要領のいい人の天国になりがちな大学を、楽しいところとは思えません。私は再会した同級生を今でも許せません。
 
 彼らは決して食肉偽装を指摘できる分際ではありません。自分の胸に手を当てて考えてもらいたいです。おかしいとは思われませんでしょうか。
 
この相談に対する回答者は、評論家の岡田斗司夫氏です。
岡田斗司夫氏は最近、「『いいひと』戦略超情報化社会におけるサバイバル術」(マガジンハウス)や「僕らの新しい道徳」(朝日新聞出版)といった本を出して、道徳についての考えを述べておられますから、この相談に適した回答者と見なされたのでしょう。
 
回答を要約します。
岡田氏は相談者に対して、大学時代のあなたは「純粋」だったといいます。しかし、40代になって軸がブレてきている。ブレずに純粋さを守って生きてください。人生経験を重ねたあなたには「単純な純粋さ」の代わりに「強さ」を手にいれた。それは損得ではなく、自分らしいかどうかで生き方を選ぶ「強さ」だ。
「かつての自分の純粋さを誇り、いまの自分が選んだ生き方を誇ってください」というのが最後の1行です。
 
この要約はわかりにくいかもしれませんが、それは多分にもとの文章がわかりにくいからです。納得いかない方はリンク先へ行って直接読んでください(全文引用は遠慮しています)
 
相談者は、カンニングしなかった自分のことを「不器用でもけなげに生きている」というふうに認識しています。
回答者の岡田氏も、「純粋」という言葉でその生き方を肯定しています。
ということは、カンニングしていた人たちは、要領よく偽りをする、純粋でない人ということになるのでしょう。
 
自分は正しい人間、あいつらは悪い人間、それなのにあいつらは幸せになって、自分は不幸になっている、これは不当で、納得いかない、というのが相談者の主張です。
それに対して回答者は、自分の純粋な生き方を誇ってくださいというのですが、「誇り」なんていう言葉では相談者は納得しないのではないかと思います。
 
私が思うに、自分のことを「不器用でもけなげに生きている」とか「純粋」とか道徳的によい評価をしているのがいけません。なぜなら自分をよく評価していると、自分を変えようという発想には絶対ならないからです。
 
私の考えでは、カンニングをした彼ら彼女らも、カンニングしなかった自分も、基本的に同じ人間です。どちらも利益を追求して生きています。
彼らはカンニングをすることが得だと思ってカンニングしたわけですが、自分はカンニングすると発覚したときの不利益が大きく、カンニングしないほうが得だと思ってカンニングをしなかったのです。
もし彼らのカンニングが発覚して罰を受けていれば、自分の生き方は正しかったと思うでしょう。
 
なぜ自分はカンニングしなかったかというと、たぶん生まれつき臆病なので、安全な生き方を選ぶ人間なのです。それに、そういう人は人の目を盗んでなにかをするという経験がほとんどないので、急にカンニングをしようと思ってもうまくできません。つまりカンニングをしないことが自分にとって合理的な行動なのです。
一方、カンニングをした人間は度胸があって、人の目を盗んでなにかをするという経験もよくあって、試験の監督官の目を盗んでうまくやれる確率も高いのです。ですから、カンニングをすることが彼らにとって合理的なやり方になります。
 
人間はそれぞれ合理的と思われるやり方で利益を追求して生きていて、その点でみな同じです。
 
では、どこで差がついたかというと(同じ大学なので勉強の能力は同じだとして)、やはりコミュニケーション能力や「世渡り能力」でしょう。代返、代筆、ノート借りができるのもひとつの能力です。それに、カンニングをする「度胸」も能力といえなくありません。
 
相談者は勉強していい成績を取ることが自分の利益だと思ってやってきたのですが、これはいわゆる「ガリ勉」です。
「ガリ勉」が幸せになれないのは不思議なことではありません。
 
相談者がもし勉強するだけでなく友だちがいっぱいいて、代返をしてやったり、ノートを貸してやったりするような人間であれば、もっといい人生が送れた可能性があります。
 
相談者は「勉強しなさい」「規則を守りなさい」といわれて、その通りに生きてきたのでしょう。そして、それは道徳的に正しい生き方だと思っています。しかし、幸せになれないので、非道徳的な生き方をした同級生を非難しています。いくら非難しても自分が幸せになれるわけではないのですが。
 
私はこれは道徳教育が人を不幸にする例ではないかと思います。
 
それから、相談者はカンニングをせずに勉強したのですから、カンニングをした人間よりも確実に「学力」は身についているはずです。もし「学力」に価値を見いだすなら、カンニングした人間をうらやんだり非難したりすることはありません。
相談者は「学力」を身につけようと勉強してきたのに、今では「学力」に価値のないことに気づいて、それも不幸の原因になっていると思われます。
 
 
道徳教育、学力重視教育がどんどん強化されていますが、よりどころにできるほどの高い学力を身につけられるのはごく一部の人だけです。
その結果、いわれた通りに規則を守り、勉強してきたのに幸せになれないという相談者のような人が大量に生み出されているのではないかと思われます。
 
相談者は、身近にいる不正をした人間を非難することで自分の不幸をまぎらわそうとしていますが、世の中には、「在日特権」を非難することで自分の不幸をまぎらわそうとする人もいます。
道徳教育、学力重視教育がこうした人をつくりだしていると思います。

シリーズ「横やり人生相談」です。今回は赤ん坊と夫との関係についての妻からの相談です。
たいていの物事は、過去にさかのぼらないとよく理解できません。たとえばひとつの夫婦喧嘩にしても、ずっと過去からのいきさつがあるわけです。イスラム過激派のテロにしても、その原因をさかのぼっていくと少なくともイスラエル建国にまでたどりつくはずです。尖閣諸島や竹島の帰属問題も、歴史的な事実をすべて踏まえていないと判断できません。
しかし、赤ん坊であれば、その過去を問う必要はありませんから、簡単に判断できるはずです。
 
 
子供がなつかないと拗ねる夫   憂鬱母さん 2013317 2:35
 0歳8ヶ月の子供がなつかないと夫が拗ねています。
「俺は一生懸命働いているし、子供に出来るだけの事はしているのに子供がなつかない。」と言います。
一生懸命働いてくれています。しかし、定時の日もたくさんありますし休みもあります。
仕事から帰宅し即テレビを付け趣味の小一時間トレーニング。終わればビール片手にテレビとインターネット。合間に子供を抱っこします。テレビをつけず絵本を読んでやる、オモチャで遊んでやる。15分でも散歩に連れていくなどすれば良いのにと私は思うのですが。しかし夫は「俺は仕事で疲れているからそんな体力ない。」と言います。夫の接し方がまず子供にはもの足りないのだと思うのですが。もちろん母親が絶対一番な時期でもあるので夫がさみしく思う気持ちもわかります。しかし夫の≪ながら関わり≫にも原因があると思いませんか?
子供と父親の関わり。皆さんのご家庭ではいかがですか?
 
 
この相談は掲示板「発言小町」に載ったもので、これに対するレスは、夫の態度を批判するものがほとんどです。ごく少数、妻に対して、夫と子どもといっしょに遊ぶようにすればという助言があります。子どもが悪いという意見はひとつもありません。
 
子どもが悪くないのは当たり前のことです。となると、夫が悪いということになります。子どもになついてほしければ、夫が態度を改めるしかありません。
しかし、この夫は自分が悪いという認識を持つことができません。「俺は一生懸命働いている」などという子どもには関係のないことまで持ち出して、自己正当化をはかろうとしています。かといって子どもが悪いと決めつけることもできず、その結果「拗ねる」という子どもっぽい態度に出ているわけです。
 
そして、妻のほうも夫がよくないに違いないという認識はあるものの、断定するまでにはいたっていません。そのためこの相談を書き込んだわけです。
 
こうした相談が書き込まれるということは、「子どもは悪くない」という認識が世の中で完全に共有されるまでにはいたっていないということでしょう。
 
その理由としては、ひとつには子ども自身が発言できないということがあります。そのため、世の中はおとなの(自分勝手な)言い分ばかりがあふれることになります。
 
その結果、どういうことが起こるかというと、子どもがなつかないということを理由に子どもを虐待する親が出てきます。
これは義理の父親のケースが多いようです。つまり妻の連れ子が自分になつかないということで、それは自分が悪いわけではなく、子どもが悪いと考えて虐待してしまうのです。
もちろん実の父親や母親が虐待するケースもあります。母親の場合、「子どもがかわいくない」ということが虐待の理由になります。
「子どもがかわいくない」のは、自分の認識の問題ではなく、子どもの問題だと考えてしまうのでしょう(客観的に見ると、かわいい赤ちゃんとブサイクな赤ちゃんがいますが、まともな母親なら自分の赤ちゃんは必ずかわいく見えるはずです)
 
ともかく、「子どもがなつかなかったから」ということを理由にした虐待事件がしばしば起こるのは、「子どもは悪くない」という認識が社会に共有されていないからでしょう。
今回の相談のように、実の父親と8カ月の子どもの関係であれば、悪いのは子どもではなく父親であることがはっきりします。
 
子どもが2歳、3歳になって、言葉がわかるようになると、親は「子どもが悪い」という認識を正当化しやすくなります。子どもが親の言いつけを聞かない、食べ物をこぼした、夜泣きする、片付けをしない、だらしない、わがままだなどということが虐待の理由になります。
しかし、子どもが言葉を理解するようになったからといって、親と子どもの関係になにか本質的な変化が生じるということはありません。ただ、親が子どもを虐待する理由を言葉で表現しやすくなるだけです。
 
世の中のさまざまな出来事は、すべて過去につながっているので複雑ですが、赤ん坊に限っては、過去がないので単純です。
「赤ん坊は悪くない」ということが社会の共通認識になれば、それだけで幼児虐待はかなり少なくなるはずです。
 
また、赤ん坊を基準にものごとを考えると、世の中を悪くしているのは誰かということもわかってきます。

シリーズ「横やり人生相談」です。今回は、婚約者の異様な行動に困惑する女性からの相談です。
つきあって親密な関係になると、それまで見えなかったものが見えてきます。これは、礼儀などがはがれ落ちたことで現れるものですから、その人のより真実に近い姿ということになります。
しかし、完全な真実の姿とも限りません。それもまたつくられたものである可能性があるからです。
 
一人でいることを異様に嫌がる彼氏  邦子 20121116 11:58
 彼氏(29歳)私(30歳)で、2年前から結婚を前提に同棲を始めました。
私にはある目標があり、結婚は待ってもらっています。あと半年はかかりそうです。
 
この彼氏なのですが、一人でいることを異様に嫌がります。
普段は仕事ですが、帰宅してから少しでも私の姿が見えないと「邦子どこ?」と探し回ります。
お風呂に入っていてもわざわざ見に来て、私がいるのを確かめます。トイレもノックをして確かめます。
私が仕事で家を空けるのも辛そうです。夕飯の用意や家事云々の問題ではなさそうで、とにかく私の存在が家にいないと安心しないようです。
 
最初は子供のようで可愛いと思っていましたが、私の生活に支障が出るようになってきました。
例えば、私の仕事で2ヶ月海外に行かないといけないことがあったのですが「邦子は僕を家に一人で置いても全然悲しくないんだね」「邦子がよければ行ったら良いけど、僕は辛い」と毎日のように言われ続け、結局このプロジェクトから降りました。
幸い、私の仕事は専門技術が必要な分野なので、かろうじて今も会社に置いてもらえていますが・・・
 
家では常に私の頭皮の臭いを嗅いでいるか、私の足を触ったりにおいだりしています。
この彼氏の癖が本当に嫌で、最初は「やめて!」と私が怒ると、彼氏はキレて口をきいてくれなくなるので、最近は諦めて放っています。私の頭皮と足の臭いを嗅ぐと落ち着くのだそうです。
家にいる時は四六時中、休みの日はそれこそ「常に」のレベルです。
ちなみに、人前に出るとむしろ冷たい態度を取ります。家では正反対です。
 
結婚するために全てを受け入れなければと思ってましたが、最近は不安になってきました。
結婚を待ってもらっている理由である「目標」も危うくなってきました。
 
どうすればもう少し自立してくれるでしょうか。
家計は2:1で彼が多く負担しています。食事家事は私負担です。
 
恋人関係になると、男女を問わず、赤ちゃん言葉になって相手に甘えるというケースは少なくありませんが、そのこと自体は大した問題ではありません。子ども時代に十分に親に甘えられなかったということも想像できますが、恋人関係の中で足りなかったものを補えばいいわけです。それができることが恋人関係や夫婦関係のいいところだとも言えます。
 
この相談の場合も、相手の男性は幼児返りしているように見えます。だから、相談者も「最初は子供のようで可愛いと思っていました」と書いています。
しかし、度がすぎているようです。いや、単に度がすぎているだけではありません。「束縛」という問題が加わっています。
 
「甘える」というのは、子どもが母親にする態度です。「束縛」というのは、上の立場から支配しようとすることですから、両者は異質のことと言えます。
この相談のケースでは、「甘える」よりもむしろ「束縛」のほうが主体だと思われますが、異質のものが混在しているのでややこしいことになっています。
 
この相談は「発言小町」という掲示板からの引用です。
これに対するレスは、そんな気持ちの悪い人とは別れなさいというものが圧倒的です。この男性はストーカーになるタイプですという指摘もあります。
ただ、これを「甘え」と解釈した人からはこんなレスもあります。
 
うちも同棲当初はべたべたひっついたりひっつかれたりしていました。
けど5年くらいたったころから、少しずつ適切な距離が開き始めました。
なのでトピ主さんところも大丈夫だと思うけど…。たぶん…。
 
ともかく、これが人生相談だとすれば、別れなさいというのが回答であることは間違いないでしょう。とくにこの男性は、束縛のあまり女性の海外行きを妨害し、女性の会社での立場を悪くしています。あまりに自己中心的で、女性の幸せを考えていないことは明らかです。
 
ただ、この男性はどうしてこのような不可解な行動をするのかということが気になります。できれば、それを理解した上で対処したいものです。
この相談者(トピ主)はそのあとも書き込みをしていて、そこに有力な手がかりがありました。
 
母親との関係を指摘してくださっている方がいらっしゃいましたが、私の目から見ると、彼と母親との関係は良くもなく悪くもなく普通のものであると思います。
 
ただ気になることが2つあります。
一つは彼の弟です。彼の弟は2つ違いで今年27歳なのですが、私が彼の実家に挨拶に行くと、必ずと言って良いほど母親の後ろをついて回っています。
たまに母親に抱きついたりするので、母親が露骨に嫌がっているのを何度も見かけました。
当初、ふざけあっているのかと微笑ましく見ていたのですが、その回数の多さと母親の露骨な嫌がり方、嫌がられた後の弟の反応(部屋に閉じ籠もります)に疑問を覚えるようになりました。
 
二つ目は、彼と父親との関係です。
彼は私のパソコンやメールアドレス、ネット口座などを管理していますが、全く同じことを彼は自分の父親からされており、それをとても嫌がっています。
彼がお金をおろすとすぐに父親から「何を買った?」と電話がかかってきます。
 
しかしこの2点以外は、まるで絵に描いたような、大変仲の良い一家です。
私のことも非常に大事にしてくれているので感謝しています。
 
これを読むと、かなりわかってきます。弟の行動は婚約者の行動と基本的に同じと思われます。
27歳にもなっているのに、必ずといっていいほど母親のあとをついて回り、たまに抱きついて嫌がられているというのは、かなり異様です。
なぜこのような行動パターンが形成され、持続しているのでしょうか。
 
普通は、そんな大きな息子に抱きつかれると母親は拒絶します。そして、母親から何度か拒絶されたら、もう抱きつくのはやめます。
ですから、この母親は最初のうちは拒絶しないのでしょう。「当初、ふざけあっているのかと微笑ましく見ていた」という記述からもそう判断できます。ところが、ある一線を越えると拒絶するのです。
これは息子にしてみれば、母親に甘えようとしたら、甘えさせてくれそうになるのだが、結局は甘えさせてくれないということになります。蛇の生殺しというか、蒲焼きの匂いだけかがされて蒲焼きは食べさせてくれないみたいなものです。
おそらく息子が小さいときから母親はこうした行動をとっていたのでしょう。そのためこの兄弟は「今度こそ甘えさせてくれるのではないか」という期待を抱いては裏切られるということの繰り返しで、甘え欲求が満たされたことがなかったのでしょう。
そして、弟は今も母親に対して同じ行動をとっているが、兄は婚約者という新しい甘えの対象を見出したというわけです。
 
なぜ母親はこうした行動をするかというと、ひとつには自分も母親に甘えさせてもらえなかったということがあるのでしょう。そして、もうひとつには、夫婦関係がうまくいっていなくて、子どもが自立してしまうと孤独になるので、子どもを自立させないための“戦略”なのでしょう。
そして、父親も子どもを自立させないために「束縛」という単純な“戦略”を採用しているというわけです。
 
夫婦間にふれあいがないと、その代償として親と子のふれあいが密になります。そして、このふれあいはしばしば子どもの自立を阻むことになります。
 
こういうややこしい家庭で育ったために、この婚約者は女性に甘えつつ束縛するという行動をとるものと思われます。
 
もし相談者の女性がひじょうに愛情深い人であれば、このややこしい婚約者を十分に甘えさせ、束縛してきたらやんわりとたしなめるというやり方で、しだいに婚約者をまともにしていくということも可能ですが、この女性はまったくそういう人ではなく、自立していない点では婚約者と同じようなレベルと思われ、そのために婚約者に束縛されてしまっています。
ですから、この女性にアドバイスするとすれば、とにかく別れなさいというしかないでしょう。
 
 
さて、私としては、婚約者や配偶者に不可解なところがあるときは、たいてい実家を見れば理解できるはずだということを教訓にしてこの記事を終わらせるつもりだったのですが、実はこのあと相談者が婚約者と別れようとしたら、婚約者はストーカーと化して、双方の家族まで巻き込んで、まるでホラー小説のような展開になっていきます。むしろこちらのほうが問題が大きいので、収まりが悪くなってしまいました。
相談者はあまりにも自立心がなく、そうすると相談者の家族にも問題があるのかと想像されますが、ただその証拠になるようなことはなにもありません。
 
このあとの展開は、レスを省いた「トピ主のみ」を見てもわかります。

シリーズ「横やり人生相談」です。今回はつきあっている女性と別れるべきかどうか悩む男性からの相談です。といっても、たいした悩みではありませんし、どう答えてもいいようなものです。むしろ問題は、この男性の思考法にあります。
 
 
彼女との交際、続けるか悩んでいます  龍  20121220 18:31
 
 32歳男 会社員、彼女 32歳 実家の会社の事務員
 
皆さんは結婚を考えられない相手と付き合いますか?付き合われていて
結婚したいと気持ちが変わった出来事はありますか?
 
私は彼女と付き合って3ヶ月になります。下記を理由に彼女との将来は考えられないので
別れることを考えています。私は結婚願望があります。苦楽を共にできる伴侶が欲しいため結婚したいと思います。しかし、今の彼女では忍耐力、精神力面で難しいと思います。付き合うだけなら私も好意がありますので問題ありません。
 
先日彼女に別れ話をしました。彼女は好きなだけでは付き合えないの?と聞いてきました。私は年齢も年齢なので好きだけでは難しいと答えました。
今、話し合いは平行線です。本当に別れるべきか悩んでいます。
 
・遅れたり、奢った際、すぐに「ゴメン」や「ごちそうさま」の挨拶が無い。
・お金は、いつもこっち負担。少しも出そうとしない。
・運動を嫌がる。お金を使い簡単に痩せる(エステ)方向に行きたがる。苦労を惜しむ。
・信念、考え、根性が無い
・表向きな処にばかりお金を使う(ネイルサロン、まゆげ)。自己成長、自己啓発の努力はしない。知ろうと言う興味を持たない。好奇心が無い。
・精神不安定?泣きやすい?健康面で不安。
・仕事は親が経営している施工事務所の事務のため、人との関わりが少なく苦労が少ない分人間的成長は乏しい。前職はアパレル関係の仕事をしていたが半年で退社。
 
拙い文章で恐縮ですが助言のほどよろしくお願いいたします。
 
これは「発言小町」という掲示板に載ったものです。この相談に対するレスは、「そんな不満ばかりの相手となぜつきあっているのか。別れて当然」というものがほとんどですが、「彼女に好意があるのはなぜか。よほど外見がいいのか」というものもありますし、「相手の欠点ばかり指摘して、自分は何様だ」というものもあります。
 
別れたければ別れればいいだけの話で、悩みというほどの悩みではありません。
とはいえ、わざわざ相談の書き込みをしたというのは、自分で自分の判断に疑問を感じているのではないかと想像されます。
確かにこの男性の考え方には大いに問題があります。こういう考え方をしていては、いつまでたってもいい相手に巡り会えないのではないかと思われます。そういう意味では深刻な悩みかもしれません。
 
恋愛や結婚でたいせつなのは「相性」です。
相性というのは、性質や性格がお互いにマッチするかということです。性質や性格に善悪はありません。たとえば休日は山や海に出かけたい人と、家の中で本やビデオを見てすごしたい人が結婚するとうまくいきません。こうしたことが相性です。
 
ところが、この男性は彼女の性質や性格を見ているのではなく、もっぱら人格の道徳的評価をしているのです。
そして、道徳的評価をすると、どうしても悪いことばかりが目立つことになります。道徳とはそもそもそういう性質のものだからです。この男性の場合は一から十まで悪い評価を並べているので、そのおかしさが際立っています。
 
「苦労を惜しむ」「信念、考え、根性が無い」という道徳的評価は一方的であり、かつ的外れでもあります。
たとえば「苦労を惜しむ」といいますが、誰でも最小の苦労で最大の効果を得ようとするもので、その意味では誰でも「苦労を惜しむ」ことになります。
また、「信念、考え、根性が無い」といいますが、信念や根性のある女性はつきあいにくい女性である可能性が大です。信念や根性がないように見えるのは、人に対してやさしい女性かもしれません。
 
「お金を使い簡単に痩せる(エステ)方向に行きたがる」「表向きな処にばかりお金を使う(ネイルサロン、まゆげ)」といいますが、これがだめならほんどの女性がだめということになってしまいます。
 
『「ゴメン」や「ごちそうさま」の挨拶が無い』というのも、如才なく心の伴わない挨拶をする女性よりもいいかもしれません。
 
このように道徳的評価をしていると、どんな女性も評価にたえず、誰とも結婚できないことになってしまうのではないかと思われます。
この男性はあまりにも道徳にとらわれすぎています。そして、そういう人間は決まって自分自身については甘い評価しかしません(そもそも道徳とは他人にきびしく自分に甘いものなのです)
 
私はむしろ、この2人が結婚したとき、女性が不幸になるのではないかと思います。男性から「苦労を惜しむ」「信念がない」「努力しない」「好奇心がない」などと毎日のように否定的な評価をされ続ければ、それだけで不幸です。
 
普通の男性は、恋愛中はあまり道徳的な評価をせず、結婚して恋愛感情が冷めてきてから道徳的評価をするようになり、そのため2人の関係が悪化するということが多いのではないかと思われます。したがって、結婚前にこうした認識を持ち出してくれたのは、女性にとってはむしろありがたいことかもしれません。
 
道徳が頭の中に入っているためかえって不幸になるということがよくあります。これはそのひとつの例でしょう。
この男性は道徳のとらわれから脱すれば、幸せな結婚生活が送れるのではないかと思われます。
 
私の考えでは、道徳というのは基本的に人を批判する道具です。ですから、政治家を批判するときとか、職場のライバルを蹴落とすときなどにはきわめて便利に使えます。
しかし、道徳を家庭の中に持ち込むと、一方的に批判したり、互いに批判し合ったりして、家庭の平和がなくなってしまいます。
自分の子どもを道徳的に評価して、子どもにダメ出しばかりして、親も子も不幸になっているケースがいっぱいあります。
 
「家庭に道徳を持ち込むな」ということを実践するだけでたいていの家庭はうまくいくと私は思っています。

シリーズ「横やり人生相談」です。
日本では結婚した夫婦3組のうち1組が離婚するといわれています。おそらく多くの離婚は、小さな行き違いの積み重ねが大きな亀裂となるという過程をたどるものと思われます。ですから、小さな行き違いを甘く見ないで、正しく対応することがたいせつです。
 
今回の人生相談は、結婚前の同棲中の若いカップルのちょっとした行き違いですが、女性のほうはかなり深刻なダメージを受けています。
 
作った食事が手抜きだと言われました  とうふ 2012105 15:52
 トピを開いて頂きありがとうございます。20代女性です。来年結婚を予定に彼氏と同棲しています。
相談したいのはトピの通り、一昨日に彼氏に食事が手抜きだといわれたことが悲しくショックでした。
 
その日の晩御飯は味噌汁・ごはん・ハンバーグ・コールスローサラダでした。品数は少ないですが、ハンバーグはミンチからつくり、味噌汁もダシからとり、サラダはプロセッサーで刻み、ごはんは彼氏の帰ってくる時間に合わせて炊き立てを出しました。
帰ってきた彼がその食事を食べると「手抜きじゃないか」と言いました。そう言われて私は一瞬「・・・え?」となりました。それに加えて「今日は仕事だったの?」と彼氏にイヤミを言われ、一気に気分が悪くなりました。(私は病気で医師の指示もありパート勤めです。)
私は怒りを抑え「手抜きをしたつもりはないよ?どこが手抜きなのかな?」と聞きましたが、彼氏は「いや、手抜きだし」と吐き捨てるように言いました。
 
もう顔も見たくなくなってしまい、部屋に戻りました。そして昨日彼氏は「何を一人で怒っているんだ。」と言うのです。その発言にもブチっとなり、「私はアンタのために作ったご飯を手抜きって言われたから怒ってるの!それを言われて腹が立ったから部屋に戻ったの!人の気持ちを解れよ!」と怒りました。しかし彼は「手抜きだったからそのまま言っただけじゃないか!」と言うだけ。
 
私のキレ方はおかしいですか?これまでも喧嘩はあり乗り越えてきましたが、なんだか今回はどっと疲れてしまいました・・・。
 
先輩方、どうかご助言お願いします。
 
 
これは読売新聞系の掲示板「発言小町」に載ったものです。こうした相談や質問がトピックとして立てられ、それに誰でもがレスをつけられるという形式です。
このトピックには400余りのレスがつきました。私がざっと読んだ感じでは、7割から8割は彼氏のほうを批判するものですが、やはり手抜きではないか、おかずの品数が足りないのではないか、彼氏にとってはボリュームが足りないのではないかという意見もありました。
 
私の感覚でも、家庭の夕食としては物足りないと思います。ハンバーグのつけあわせが何か書いてないので、おそらくコールスローサラダがつけあわせなのでしょう(ハンバーグだけお皿に載っているなら別ですが)
町の洋食屋ならハンバーグのつけあわせはニンジンとポテト、定食屋なら千切りキャベツというところでしょう。ですから、この食事は、定食屋のハンバーグ定食のつけあわせがコールスローサラダになっているだけです。なんで家庭料理が定食屋と同じなんだよという気がしてしまいます。物足りないだけでなく、栄養バランスもよくありません。
 
このトピ主はこのあと自分で次のようなレスをつけています。
 
トピ主です
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私はレスの中で「もう一品増やしてみては?」という意見を取り入れてみようと思い、昨日から毎日作った献立をノートに書くことにしました。今思えば食費を二万円以内に収めようと、食事内容をケチっていたことがあります。(もやし・豆腐・大根葉をよく使う)。彼に不満が募るのは当然ですよね…。
 
私の話を少しさせていただきます。
私の母は全く料理をしない人です。私と父は夕食のお金を渡され、コンビニや定食屋で食べてこいという食生活でした。家庭科の調理実習で、包丁が全く使えずお皿もまともに洗えなかった私を、教師は失敗例として皆のまえで取り上げました。
 
大学進学のため一人暮らしを始め、料理も始めてみました。バカでも分かる料理初心者の本を本屋で必死に探し、火傷や切り傷をしながら独学で勉強しました。だから今回の件で、非常に腹が立ったことを理解して頂けると幸いです。
 
 
こういう事情ですから、彼氏が彼女の料理に不満を持つのも当然といえるでしょう。
 
ただ、問題は彼氏の言い方です。「手抜き」という言い方をして、どう手抜きなのかを言いません。
多くの人はこの言い方に反発を覚えて、彼氏を批判するレスをしたものと思われます。
 
「手抜き」という言葉には、相手の心のあり方を道徳的に非難する意味合いがあります。
私が「手抜き」という言葉で思い出すのは、現在野球解説者の江川卓氏のことです。
 
江川卓氏は高校時代に“怪物”と呼ばれたほどの実力派投手でしたが、プロ入りするときにいわゆる「空白の1日」という手法でドラフト破りをして、むりやり巨人に入団しました。このいきさつから読売以外のマスコミは江川投手に圧倒的な反感を持ち、江川投手のデビュー戦となった阪神戦で、阪神のラインバックに逆転スリーランホームランを打たれたときには記者席から「バンザイ」の声が上がったという話があります。
江川投手は実力のわりにはホームランを打たれる傾向がありました。普通は、力のある投手がホームランを打たれたら、「失投」とか「気のゆるみ」とか言われるところですが、江川投手の場合は決まって「手抜き」と言われました。
「気のゆるみ」よりも「手抜き」のほうが非難の色合いが強くなるからでしょう。
 
ですから、彼氏から「手抜き」と言われた彼女がキレてしまったのもある程度理解できます。
いや、彼女がキレたのもよくないですが、それよりも彼氏の言い方のほうが問題でしょう。
 
「手抜き」と言われても、なにをどう直せばいいのかわかりません。それよりは、「おかずの数が少ない」とか「そんなにケチらずに、もっと食事に金をかけろ」とか言ってくれれば、お互いに話し合っていい方向に持っていくことができます。
 
私が思うに、彼氏は実質ハンバーグしかおかずのない食卓を見て、これは自分がないがしろにされているからだと判断して、腹を立てたのでしょう。そのため「手抜き」という言葉で彼女を非難してしまったのです。しかし、それは彼の誤解で、定食みたいな食事が彼女の家では普通のことでした。
ここに2人の行き違いの根本があります。
まったく別の暮らしをしていた2人がいっしょに暮らすようになると、必然的にこうした行き違いが出てきます。
 
こうした行き違いをなくすひとつの方法は、相手の実家に行ったときに、そこでの暮らしぶりをよく観察することです。そうすると、日ごろ不審に思っていた相手の行動が実家では普通の行動だということがわかったりします。
 
もっとも、それでも行き違いは避けられません。
 
そういうときは、相手を道徳的に非難する言葉を極力使わないことです。
 
私はかねてからの持論として、「家庭に道徳を持ち込むな」と言っています。
道徳は相手を非難・攻撃する道具であって、相手と仲よくしたいときには道徳を持ち込んではいけません。
たとえば、私は自民党の安倍晋三総裁を「反省がない」「ストレスに弱い心ではだめだ」と言って道徳的に非難しましたが、これは安倍総裁に退場してほしいからです。安倍総裁に期待しているならこんな言い方はしません。
 
 
相手を道徳的に非難したくなったときは、自分の心に怒りがあるのです。怒りは愛情の対極です。この原理に気づけば、怒りを抑えて愛情を回復することができます。
このことを理解すれば、離婚という事態も大幅に防止できるものと思います。

久しぶりのシリーズ「横やり人生相談」です。読売新聞の「人生案内」が有料化されてしまったので、ネタが探しにくくなってしまいました。
今回は、ダメ息子に悩む母親の相談です。
 
私はこのブログで政治のことや教育のことや犯罪のことや家族のことを書いていますが、バラバラのことを書いているつもりはなく、私の中では全部つながっています。
中でも根底にあるのは家族の問題です。
たとえば、アメリカの大統領選を見ても、同性婚禁止、中絶禁止など、家族に関わることが大きな争点になっていますし、戦争も夫婦喧嘩も似たようなものです。また、異常性が感じられる犯罪をする者はほとんどの場合、ゆがんだ家庭で育っています。
ですから、「元気があればなんでもできる」ではありませんが、「家族のことがわかればなんでもわかる」ということなのです。
 
中でも親子関係は家族関係の中核になります。
今回の相談は、母親と息子以外のことはいっさい書かれていないという“純粋親子関係”についてのものです。ほかの要素がないだけに、親子関係について考えるのにいい材料になるはずです。
 
〈悩みのるつぼ〉高校生のダメ息子に悩んでます
■相談者:母親 50代
 50代の女性です。親への依存心が強いうえ怒りの沸点が低く、やらなければならないことにも向き合わず、逃げられないとなると怒って感情を爆発させる。そんな甘えの強い高校生の息子に悩んでいます。
 「悪い成績を見るのが嫌だから、模試は受けたくない」「朝勉強しようと思ったけど、寝坊したからテンションが落ちて今日はやる気が起こらない」「集中力が続かないからできない」と、いつもできない理由ばかり並べ、助言や注意をしても「それは~だからできないんだ!」とまたもできない理由を並べ、怒って声を荒らげ始めます。そして、結局逃げてしまいます。
 逃げられないとなると、そのストレスで感情を爆発させ、私に対処せよとばかりに「どうしたらいいの?」と尋ねてきます。相談と言いつつ、最初から怒っているので、下手なことを言うとさらにヒートアップ。その繰り返しで、私を「ひとごとみたいな対応で、助言もしてくれない。子どもがどうなってもいいんだな」と責めます。
 いさめても、弁が立つうえ威圧するので揚げ足を取られ、なぜか私が悪いことになってしまいます。大学に入っても、ダラダラとして単位も取れず……という姿が目に浮かびます。自分に甘く、親への甘えも人一倍の息子をどう自覚させ、どうまともな大人にしていけばよいでしょうか?
朝日新聞デジタル20129221500分 
 
この相談の回答者は評論家の岡田斗司夫さんです。
岡田さんは、息子がダメ人間であることを変えるのはむずかしいといいます。母親が息子と口喧嘩ばかりしていると、息子はダメ人間であるだけでなく、「イヤなダメ人間」になります、ほっといて「ダメだけど好人物」にしたほうが息子も母親も幸せになれますよ、というのが岡田さんのメインの回答です。
それに追加して、「息子の将来」よりも「いまのご自分」を大事にしてください、2人は鏡なんですから、とも書いておられます。
 
この回答に不満があるということはありません。誰が考えても、息子よりは母親のほうに問題があるに違いなく、母親を説得するには岡田さんの回答がベストのように思えます。
ただ、岡田さんは「息子はダメ人間」という母親の言い分をそのまま受け入れていますが、私はそこのところを追究してみたいと思います(私は母親を説得する必要がないので、岡田さんと違って好きなことが書けます)
 
最初にも触れましたが、この相談には母親と息子以外の人間がいっさい出てきません。
もし「夫は『お前は息子にかまいすぎだ。放っておけ』と言って、私と意見が合いません」というような記述があれば、この母親は過干渉の人ではないかという推測ができますし、「2つ上の姉はしっかりしていて、息子と大違いです」というような記述があれば、なぜ姉と弟は違うのかということから、母親の子どもへの接し方に問題があるのではないかというふうに追究していくこともできます。
しかし、この相談はすべてが母親の息子についての主観的評価で、現実との接点がないので、この主観的評価が正しいのか否か判断できません(だから岡田さんもそこはスルーしたのでしょう)
 
しかし、現実との接点がまったくないとは必ずしもいえません。というのは、この息子も赤ん坊だったときがあるわけで、そのときはどうだったかを考えれば見えてくることがあります
 
この息子は赤ん坊のときからダメ人間だったのでしょうか。ほかの赤ん坊よりも母親への依存心が強く、怒りの沸点が低く、やらなければならないことにも向き合わず、オッパイを飲むときもハイハイするときもダラダラしていたのでしょうか。
そんなことはないはずです(もしそうだったら母親もそう書くでしょう)
つまりここに現実との接点というか、認識の土台があるわけです。
「赤ん坊のときはまともだったが、高校生の今はダメ人間である」ということは、成長のどこかの段階でダメ人間になった、あるいは成長の全過程でダメ人間化が進行した、ということになります。
いったいどんな理由でそんなことになるのでしょうか。いちばん考えられるのは、親が育て方を間違ったということです。あるいは親がダメ人間なので、子どもがそれを見習ったということもあります。
 
しかし、この母親にそういう認識はないようです。
「親はまともな人間で、ちゃんと育ててきたのに、子どもはダメ人間になった」ということはひじょうに考えにくいのですが、世の中にはそう考える人もいます。そういう人は、悪い友だちとつきあったからだ、低俗テレビ番組などのメディアのせいだ、世の中の風潮に染まったからだと主張しますが、こうした声はけっこう世の中に存在します。しかし、親の影響力が悪い友だちの影響力に負けるというのは、やはり親に問題があるということになるはずです。
 
もしかして、生まれつきダメ人間がいるのだと主張する人がいるかもしれません。しかし、自分はダメ人間でないのに、自分と自分が選んだ人の遺伝子を受け継いだ子どもがダメ人間であるというのも通常ありえないことです。突然変異を持ち出す人がいるかもしれませんが、もし生まれつきのダメ人間なら、教育によってなんとかしようというのも無意味になります。
 
ともかく、「赤ん坊のときはどうだったのか」ということを原点にして考えると、「親はダメ人間でないのに、子どもはダメ人間である」ということは通常ありえないということがわかるはずです。
 
 
ということは、この相談の場合は、どう考えても母親に問題があるということになります。
母親が「助言や注意」をすると息子は逃げてしまい、「逃げられないとなると、そのストレスで感情を爆発させ」るということですが、そうとう「助言や注意」で追い詰めているに違いありません。
つまり、母親があまりにも息子の問題に首を突っ込むため(過干渉)、息子に当事者意識が芽生えないのだと考えられます(岡田さんはそのへんを洞察して回答しています)
 
では、なぜ母親はそういうことをするのかというと、ダメな息子とかかわることが生きがいになっているからです。息子がダメでなくなり、自立していくと、自分の生きがいがなくなってしまうので、自立を阻むために過干渉をするわけです。
 
なぜダメな息子とかかわることが生きがいになっているかというと、それ以外の人間関係(とくに夫との関係)がほとんどないからであると想像できます。
ここで、相談にほかの人のことがいっさい書かれていないことがつながってきました。
 
夫婦仲がよければ、子どもが自立してもそれほど寂しくありません。しかし、夫婦関係が壊れていると、子どもが自立すると孤独になってしまいます。そのため、夫婦仲の悪い親が子どもの自立を阻むということがよくあります(父親は娘の自立を阻み、母親は息子の自立を阻むというのがよくあるパターンです)
 
ですから、この母親の相談への回答としては、息子さんのことは放っておいて自分の生きがいを見つけてくださいということです(岡田さんの回答とほとんど同じです)
 
 
ところで、「赤ん坊のときはどうだったのか」という発想はいろんなときに役立ちます。
たとえば、「近ごろの若い者はなっていない」と嘆くおとながよくいますが、こういう人には「近ごろの赤ん坊をどう思いますか」と聞いてみるといいでしょう。まともな思考力のある人なら、自分の考えのおかしさに気づくはずです。

シリーズ「横やり人生相談」です。世の中には何度も離婚を繰り返す人がいます。こういう人は、自分に離婚の原因があるのに、そのことに気づいていないのでしょう。最初の離婚のときに、あるいはその前に気づきたいものです。
今回の相談は、離婚をしたことを後悔しつつも、離婚の原因がどこにあるか気づかない人のものです。
 
 
「週末婚」の夫と離婚し後悔2011718  読売新聞)
 20代後半の会社員女性。先日離婚しましたが、そのことを毎日のように後悔しています。
 2歳年下の男性と2年交際し、迷いながらも昨春結婚しました。互いの仕事の都合で、週末だけ会う「週末婚」の形を取りましたが、週に1度会う時はいつもケンカになりました。
 例えば、私が彼の家に行っても、彼は私の荷物を持ってくれない。理由を聞くと「重そうにみえないから」と言われました。「持とうか」と声もかけてくれないことがショックでした。
 お金のことでもよくもめました。結婚前からいつも割り勘で、新婚旅行ですらそうでした。自分の趣味にはお金をかけるのに、おごるのは嫌なようで、週末に私が彼の家に通うための電車賃も出しませんでした。
 「彼に大事にされているなあ」と一度も思うことがなく、結局離婚しました。でもその後、自分の年齢や今後出会いがあるかなど、不安を感じるばかりです。よくよく考えて決めたはずなのに情けないですが、嫌なことばかり考えてしまいます。(兵庫・N子)
 
 
回答者は弁護士の土肥幸代さんです。
土肥さんは、2人の愛は本物ではなかったのでしょう、喧嘩ばかりの結婚生活に見切りをつけたのは正解です、今回の経験は同じ失敗を繰り返さないための貴重な反省材料とすればいいのです、というふうに回答しています。
 
私自身は、果たしてこれは離婚するほどのことかと思います。こんなことは離婚の理由にならないでしょう。確かに同じ失敗を繰り返さないための反省材料とすればいいのですが、どう反省するべきかは回答の中に書いてありません。
 
おそらく誰でも感じるでしょうが、喧嘩の原因がひじょうにつまらないことです。
たとえば、彼が荷物を持ってくれないということですが、彼に「重そうにみえないから」と言われ、相談者はそのことを否定していません。つまり、荷物は重くないようなのです。
相談者は、「持とうか」と声もかけてくれないことがショックだというのですが、そういうのは見せかけのやさしさです。
世の中には、妻が重い荷物を持ってつらい思いをしているのに、まったくそんなことに気づかず、自分だけ先にスタスタ歩いていってしまう夫がいます。こういうのは根本的にやさしさが欠けていますし、もう十分離婚の原因になります。しかし、この相談を読む限りにおいて、彼はそういう人ではありません。むしろ見せかけのやさしさは示さないが、ほんとうのやさしさを持っている人かもしれません。
 
いつも割り勘で、新婚旅行もそうだというのですが、この相談者は会社員として働いていて、共働きなのですから、割り勘であるのは当然でしょう。自分の趣味にお金をかけるのも当たり前のことです。おごってくれないのが不満だということですが、共働きの夫婦で、夫が妻におごるというのもへんでしょう。
夫が高給取りで、自分の給料はうんと少ないのに、夫は割り勘にしてくる。だから不満だというのならわかりますが、給料に差があるとは書いてありません。
週末に通うための電車賃も出さないということですが、確かに毎回妻だけが電車移動しているのなら、それも割り勘にするべきでしょう。
ただ、ちゃんとそのことを主張したのでしょうか。主張したのに出してくれないというのなら不満を持つのもわからないではありませんが、ただ、そういう小さいことを不満に感じるというのは、相談者のほうに問題があるかもしれません。
 
「彼に大事にされているなあ」と一度も思うことがなかったということですが、彼におごってもらったら「大事にされているなあ」と思うのでしょうか。
それは必ずしも大事にされていることにならないと思います。
たとえば、病気になったとき看病してくれたとか、困ったとき助けてくれたとか、そんなことが肝心のことです。
 
また、この相談者は彼のことを大事にしているのでしょうか。夫婦なのですから、自分だけ大事にされることを望んでいてはいけません。彼が困っているときに助ける心の準備があるでしょうか。
 
結局、この相談者は夫婦とは対等の関係であるものだということを理解していないようですし、見せかけのやさしさとほんとうのやさしさの区別もついてないようです。
このままでは見せかけのやさしさを持った男にひっかかってしまうかもしれませんし、ほんとうのやさしさを持った男を見逃し続けるかもしれません。
ですから、離婚を後悔するのは当然です。後悔の感情は正しい感情です。
 
私がこの相談に回答するとすれば、夫婦は対等の関係であることを理解し、見せかけのやさしさよりほんとうのやさしさが大事なことを理解し、彼ともう一度やり直しなさいと言います。

シリーズ「横やり人生相談」です。今回は、どうしてこんなどうでもいいことで悩むのだろうという相談です。もっとも、本人は真剣に悩んでいるようです。そのギャップが妙な味を出しています。
  
折りたたみ傘嫌う夫 許せない2012224  読売新聞)
 50代主婦。同じ50代の夫は酒もたばこもやらず、家族のために身を粉にして働き、私と娘、ペットの犬を愛してくれます。でも、人としてどうしても許せないところがあります。折りたたみ傘が嫌いな点です。
 朝から雨だと、夫は大きい傘を差して出かけます。でも小雨の日や、途中で雨が降り出しそうな日は、折りたたみ傘を持たず、防水仕様の登山帽とダウンコートで出かけるのです。
 使わない理由として、夫は「山歩きをする時は傘を使わないし、折りたたみ傘は使った後に干してたたむのが面倒」と言います。でも、私たちが暮らしているのは山ではありません。夫が周囲から「傘も買えない貧乏な人」と思われるのも嫌だし、私も顔から火が出るほど恥ずかしくなります。
 何とか夫に折りたたみ傘を使ってもらうため、良い方法を教えてください。(東京・S子)
 
 
この相談の回答者はライターの最相葉月さんです。相談が相談だけに、回答の内容も紹介するほどのことではないでしょう。「うちの夫はイギリス紳士だと思うことにしてはいかがでしょうか」というくだりがあることだけ書いておきます。
 
この相談のおかしいところは、第一に、『夫が周囲から「傘も買えない貧乏な人」と思われるのも嫌だし、私も顔から火が出るほど恥ずかしくなります』というところでしょう。いつも傘を差さずに濡れている人がいるからといって、終戦直後でもあるまいし、「傘も買えない貧乏な人」と思う人はいないでしょう。今は100円ショップでも傘を売っています。
そして、もうひとつおかしいのは、折りたたみ傘を持たないことを「人としてどうしてもゆるせないところ」と表現していることです。たかが傘を持たないことをそこまでいうかと驚いてしまいます。
 
問題は、折りたたみ傘を持とうとしない夫ではなく、それを許せない妻のほうにあることは明らかでしょう。
 
では、妻はどうしてこのような妙な考えを持ってしまったのでしょうか。
そのヒントは、「夫は酒もたばこもやらず、家族のために身を粉にして働き、私と娘、ペットの犬を愛してくれます」というところにあります。つまり、この夫はほとんど完璧で、批判するところがないのです。
批判するところがないなら、批判しなければいいのですが、そうはならないのが人間心理のおかしなところです。
 
私は同じような例をもうひとつ見たことがあります。
昔、「新婚さんいらっしゃい」に似た番組があり、カップルが出てきて、相手に対する不満を述べるという番組ですが、そこに、美人で、家事もよくするし、性格もいいという奥さんが出てきました。その夫は、奥さんのつくる味噌汁がいつも具がいっぱいなのが許せないと主張しました。具だくさんの味噌汁は、下品で、田舎くさいというのです。料亭で出るような、具の少ない味噌汁がいいそうです。
具だくさんの味噌汁は栄養があって、塩分も少なくてすみ、家庭料理としてはむしろすばらしいと思いますが、その夫は「田舎」ということをキーワードに、味噌汁やそれをつくる妻をさげすみました。つまりその夫は田舎に対する差別意識を持っていて、それを妻にも押し広げたわけです。
私は、この夫はなぜこんなへんなことですばらしい奥さんを批判するのかと思い、ほかに批判することがないからではないかと思い至りました。つまり批判するためにむりやり批判のタネを捏造しているのです。
 
折りたたみ傘を持たない夫を批判する妻も同じ心理でしょう。
 
では、なぜこうした心理になるのかというと、別にたいした理由ではありません。要するに私たちはつねに人を批判する生活を送っていて、いわば人を批判することが“生活習慣病”になっているのです。とくに家庭内で、夫婦間や親子間で批判するという習慣は、人格の中心的なところに刻み込まれますから、なかなか訂正できません。ですから、家庭内に批判する人がいないと、むりやり批判する理由をつくって批判するというわけです。
 
ちなみに私たちがつねに政治家を批判しているのも、やはり“生活習慣病”なのかもしれません。
 
ここで注意しなければならないのは、折りたたみ傘を持たない夫や、具だくさん味噌汁をつくる妻を批判するのは、批判するほうがおかしいと気づきやすいですが、子どもを「わがまま」だとか「だらしない」だとか「やる気がない」だとか批判する場合は、ほとんどの人がおかしいとは気づかないということです。しかし、親が自分の遺伝子を受け継いだ子どもを批判するというのは根本的に間違っていて、これも“生活習慣病”というべきものなのです。
 
それはともかく、折りたたみ傘を持たない夫を批判する妻が「人としてどうしても許せない」という表現を使ったように、こうしたおかしな批判は道徳の形をとって現れます。
ですから、道徳を総体として批判する視点を持っていれば、人間心理のあり方がより明瞭に見えるようになります。

シリーズ「横やり人生相談」です。人が不幸になる原因のひとつに、正しい自己認識が持てないということがあります。そんなことのために不幸な一生を送るのは実にバカバカしいことですが、人はなかなか自己認識を改めることができません。
今回の人生相談は、正しい自己認識を持っていないということがよくわかる相談なので取り上げました。
 
「40代女性 一人暮らし苦痛」201222  読売新聞)
40代後半の女性。一人暮らしをしています。最近、何のために生きているのかわからなくなってきました。
  2年前に離婚し、息子2人は独立しています。両親も亡くなっており、きょうだいもいません。働いているので生活には困りませんし、何事も一人で決めて一人でする自由も感じています。でも、息子や友人と会うのは1~2か月に1度で、人と全くしゃべらない日もあります。スーパーなどで楽しく買い物をしている家族連れを見かけると落ち込み、涙してしまいます。
  私はお人よしの世話好きで、人に何かをすることで喜びを感じる性格でした。夫や息子、両親のために一生懸命に生きてきたので、一人で生活することに戸惑っているのです。
  東日本大震災の被災者に比べればぜいたくな悩みですが、どうすれば一人でも楽しく生きていけるでしょうか。(奈良・U子)
 
 
この人生相談の回答者は評論家の樋口恵子さんです。
樋口さんは、他人のために働くことが好きという性格を生かしてボランティア活動や趣味の活動をすれば成果が得られますと回答し、さらに、まだ若いのだから中年婚活をしてみてはとアドバイスします。
この相談者の性格が本人の言っている通り「お人よしの世話好きで、人に何かをすることで喜びを感じる性格」であれば、樋口さんの回答でいいのですが、果たして相談者はそういう性格なのでしょうか。
私は相談者の性格は本人が言っているのとは違うのではないかと思いました(もちろん限られた文面から推測するだけなので、その推測が正しいとは断言できませんが)。
 
まず、相談者は離婚しています。離婚の原因は書いてありませんが、相談者にもなにか問題がある可能性はあります。
2人の息子さんがどれくらい離れたところにいるのかわかりませんが、年齢からして結婚から子育てという時期を迎えつつあるわけで、母親なら頼りにされていいはずです。母親がそんなに寂しい思いをするというのも不思議です。
「息子や友人と会うのは1~2か月に1度」と書いているので、身近に友人もいないようです。
働いているのに、職場の人間関係のことがまったく書かれていないのも不思議です。
 
相談者は自分のことを「私はお人よしの世話好きで、人に何かをすることで喜びを感じる性格でした。夫や息子、両親のために一生懸命に生きてきた」と書いています。もしそうなら離婚もないし、息子たちは母親を寂しがらせないように気をつかってくれるでしょうし、周りに友人がいっぱいいるはずです。
ですから私は、相談者の「お人よしの世話好きで、人に何かをすることで喜びを感じる性格」という自己認識は違うのではないかと思ったのです。
実際のところは、「おせっかいで、人がいやがっていても無視して、つねに自分勝手にふるまう性格」なのではないでしょうか。そのために夫や息子や周りの人は辟易して逃げていったと考えれば、つじつまが合います。
とくに気になるのが、「夫や息子、両親のために一生懸命に生きてきた」という表現です。普通は「両親は自分のために一生懸命いろんなことをしてくれたのに、自分は両親になにもしてあげられなかった」という表現になるものです。この人は、自分が人からされたことの認識はなくて、自分が人にしてあげていることの認識だけはあるようです。
もしそういう性格なら、ボランティア活動や趣味の活動をしても友だちはできないでしょう。自分の性格を直すのが先決です。
 
ただ、この相談者の場合、性格を直すのは比較的容易かもしれません。というのは、この相談者は人を非難していないからです。
 
普通、自分勝手な人というのは周りの人を非難するものです。
夫に一生懸命尽くしたのに、夫に裏切られたとか、息子に一生懸命尽くしたのに、息子は恩知らずだとか、周りの人は私がお人よしなのにつけ込んで、私を利用しようとする人ばかりだとか。
たとえば夫の悪いところをいくつも並べられると、それを聞く人は、ほんとに夫が悪い人で、相談者はよい人のように思ってしまいかねません。世の中はこうした自分勝手な人がほとんどなので、誰がよい人間で誰が悪い人間なのか、まったくわけがわからない状態になっています。
 
この相談者は自分のことを「よい人間」だと思っています。そのために自分の性格を直そうという発想が出てきません。
「よい人間」「悪い人間」ということを頭から追い出して、なぜ自分は不幸なのかと考えれば、その原因がわかり、対策もわかるはずです。
 
道徳が人を不幸にしているひとつの例です。

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