村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 戦争・テロ・平和

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戦場の兵士は「英雄」と称えられます。
ゼレンスキー大統領はアゾフスターリ製鉄所に立てこもった兵士たちを「英雄」と呼びましたし、演説の最後を「ウクライナに栄光あれ。英雄たちに栄光あれ」と締めくくったりします。
プーチン大統領も病院に負傷兵を見舞ったとき、「彼らは英雄だ」と言いました。

戦争には「英雄」が必要ですが、人間は「英雄」としては生まれてこないので、人間を「英雄」あるいは「一人前の兵士」に仕立てなければなりません。
そのために利用されるのが「道徳」です。

「国家のために尽くすべし」ということを教えるほかに、勇敢さや自己犠牲が重要な徳目とされ、乱暴、喧嘩っ早さ、命知らずなども「男らしさ」という徳目としてプラス評価されました。
しかし、戦争がどんどん苛酷になってくると、それでは追いつきません。

第一次世界大戦は4年間に800万人以上が戦死するという大規模かつ長期なもので、兵士たちは塹壕の中で激しい砲撃にさらされ、戦友が近くで命を失うのを目撃するという状況に長時間置かれました。そうするうちに、多くの兵士が女性のヒステリー症状そっくりの行為をするようになります。金切り声を上げたり、すすり泣いたり、金縛りのように動けなくなって、無言、無反応になり、記憶を失ったり、感じる力を失ったり。ある推定によれば、英国の傷病兵の40%がこのような“精神崩壊”だったということです。
当初、精神崩壊は身体に原因があるものと考えられました。
イギリスの心理学者であるチャールズ・マイヤーズは砲弾の爆発が脳震盪を起こすのが原因だとして「シェル(砲弾)ショック」と名づけました。この名前はたちまち広がって、今でも戦争神経症のことをシェルショックと言うことがあります。
しかし、実際には爆発の衝撃を受けなかった兵士にもこの症状が見られたので、次第に心理的なものと見なされるようになりました。長時間死の恐怖にさらされるストレスは、男性にヒステリーに酷似した神経症の症状を起こさせるのです。

そうして戦争神経症の存在が認められたのですが、それでもまだ医学界は患者のモラルの問題と見る傾向がありました。正常な兵士は恐怖に屈することなどない、戦争神経症を発症する兵士は軍人としての資質の劣った人間であり、臆病者、さらには詐病者であると見なされたのです。当時の医学文献には「道徳的廃兵」と書かれていました。
ですから、戦争が終わると、モラルのない、役に立たない人間のことなど忘れられていきました。

第二次世界大戦が始まると、戦争神経症が再び注目されました。
今度は医学界は戦争神経症の効果的な治療法を求めて科学的な研究を行い、「精神科的傷病兵の発生は戦闘の苛烈さに正比例し、したがって銃創や弾片創と同じく避けることができない」として、道徳と切り離しました。そして、戦友との絆が治療に有効なことがわかり、早期に部隊に復帰させるという対策がとられました。ただし、それはあくまで短期的な対策でした。

例によって戦争が終わると、戦争神経症のことは忘れられていきました。
そして、ベトナム戦争とともにまた戦争神経症のことが思い出されました。
その中心になったのはベトナム帰還兵でした。彼らは「正しい戦争」という国の主張を否定して反戦運動をする一方、戦争の心的外傷体験を話し合う自助グループをつくり、そこに精神科医を招いて、戦場から離れて時間がたっても心的外傷の後遺症があることを認めさせました。
このような運動には反発もあって、「われわれの父も祖父も戦争に行って、義務を果たし、帰ってきてからもなんとかやっていた。どうして君たちは不平ばかり言うのだ」と批判されました。
ともかく、こうして「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」がアメリカ精神医学会の公式な診断基準になりました。


しかし、今も戦争神経症やPTSDのことは忘れられています。
世の中はつねに「弱い兵士」ではなく「勇敢な兵士」や「英雄」が見たいのです。

ついこの前、アメリカはウクライナに長距離りゅう弾砲を提供しましたが、ゼレンスキー大統領はロシアの多連装ロケット砲に対抗するために多連装ロケット砲も必要だと語りました。
どうやら戦況は双方が大砲とロケット砲を撃ち合う形になっているようです。
これが長期化すると、死傷者だけでなく大量の戦争神経症患者も出現することになります。

マスコミはときどき両軍の死傷者の数を推定値として報道しますが、そこに戦争神経症患者やPTSD患者の数も加算する必要があります。


つけ加えておくと、「人を殺してはいけない」という道徳があるにもかかわらず、道徳は戦争遂行の強力な道具になっていて、そればかりか、科学の妨げにすらなっています。
道徳を正しくとらえることは、平和実現の第一歩です。

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アメリカ国旗である星条旗は、建国のときは星の数が13個しかありませんでした。
州の数がふえるたびに星の数も増え、現在はハワイ州が加わったときの50個となっています。
これまでに26回デザインが変更されたそうです。

デザインの変更が前提とされている国旗はほかにないでしょう。
まるで撃墜王が敵機を撃墜するたびに機体にマークを書き込んでいくみたいです。

こうしたアメリカの膨張主義は、北米大陸に関してはフロンティア・スピリット、開拓者魂などと言われていました。
北米大陸から外に出るようになるとアメリカ帝国主義と言われました。

帝国主義というと、レーニンの『帝国主義論』に書かれているように、国家独占資本主義が経済的利益を求めて植民地獲得をしていくというイメージです。
イギリス帝国主義は確かにそのようなものでした。ですから、イギリスは第二次大戦後、植民地獲得が不可能になると帝国主義国でなくなりました。
ところが、アメリカは戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など数々の戦争をしてきたので、帝国主義国と呼ばれ続けています。ただ、その目的は植民地獲得のためとは思えません。
そこで、軍産複合体の利益のためだなどといわれました。

さらには、宗教的な説明も行われました。アメリカは選ばれた「神の国」なので、世界を導こうとしているのだというわけです。

私はそれに加えて道徳的な説明もできると思ってきました。
つまりアメリカは「正義の国」なので、「悪の国」をやっつける“使命”を持っているというわけです。
ハリウッド映画の主流は、正義のヒーローが悪人をやっつける物語です。
アメリカ人はあれほど正義のヒーローが好きなのですから、アメリカという国が正義のヒーローとしてふるまうのは当然です。

ただ、アメリカだけが特別に正義のヒーローが好きな国になった理由が説明できませんでした。
そうしたところ、図書館でC・チェスタトン著『アメリカ史の真実』という本を見かけました(C・チェスタトンは「ブラウン神父」シリーズで有名な作家のG・K・チェスタトンの弟)。



表紙に「なぜ『情容赦のない国』が生まれたのか」という惹句があり、渡部昇一の「監修者まえがき」に「アメリカには中世がないため騎士道精神がない」という意味のことが書かれていて、興味をひかれて読んでみました。


西欧には古代ギリシャ・ローマの社会を理想とし、中世キリスト教文化を抑圧的なものと見なす考え方があって、「ギリシャ・ローマの昔に返れ」という文化運動が繰り返し行われてきました。14世紀にイタリアに始まったルネサンスはその代表的なものです。

「コロンブスの航海のような冒険は(中略)、ルネサンス精神に充ち溢れていたのである。そしてこのルネサンスこそ、アメリカ文明の起源なのだ」とチェスタトンは書いています。
「そこで再び姿を現したのが、野蛮人には人間の魂が宿らないとする、あの露骨なまでの異教的反感だった」
「ルネサンスによってヨーロッパ人に開放されたこれらの新領地では、ただちにあの制度が再び出現したのだ。(中略)つまり『奴隷制』である」

チェスタトンは書いていませんが、アメリカ人が先住民を殺戮したのも「野蛮人には人間の魂が宿らない」とする考え方のゆえでしょう。

アメリカの公共建築物の様式も古代ギリシャ・ローマ風のものになり、国章が鷲の図柄であるのもローマ帝国と同じです。
つまりアメリカは復活した古代ローマ帝国みたいなものです。

古代ギリシャ・ローマを理想とする考え方はヨーロッパの国々にもありました。しかし、ヨーロッパの国には長い「中世」の歴史があり、そこからなかなか自由になれません。
しかし、アメリカには「中世」がありません。そこがアメリカとヨーロッパの最大の違いです。

『アメリカ史の真実』にはもっといろいろなことが書かれていますが、ここではアメリカ帝国主義の起源を知るのが目的なので、省略します。

渡部昇一は、ヨーロッパには騎士道、日本には武士道があるが、アメリカにはないということに着目し、日露戦争で旅順陥落のあと、乃木大将はステッセル将軍に武士道精神で敬意を持って接したが、マッカーサーは本間雅晴大将や山下奉文大将を処刑したと書いています。これが「情容赦のない国」という表現のもとになったのでしょう。渡部昇一はほんとうは東京裁判の不当性を主張したかったに違いありません。

ヨーロッパの騎士や日本の武士は、限られた土地の中で勝ったり負けたりを繰り返していたので、「勝敗は兵家の常」とか「勝負は時の運」という考え方になります。自分もいつ敗者になるかわからないので、敗者にひどい仕打ちはしません。ハーグ陸戦条約とかジュネーブ条約もその精神から生まれたものでしょう。
しかし、ローマ帝国は野蛮人と戦い、戦うたびに領土を拡大していきました。ですから、敗者への配慮などはありません。
東京裁判とニュルンベルク裁判で敗者を裁いたのも、アメリカ帝国主義の発想です。
アメリカは日本やヨーロッパと原理が違うのですから、「日本は東京裁判で不当に裁かれた」などと泣き言をいってもアメリカにはまったく通用しません。

アメリカとしては敗者などどう扱ってもいいのですが、表向きは道徳的な理由づけをして、ナチズムや日本軍国主義は悪で、アメリカは正義ということで裁きました。
アメリカはその後も、共産主義、イスラム原理主義、テロリスト、テロ支援国家、独裁国家などを悪と見なしてきました。
もはや騎士道も武士道もなく、正義と悪の戦いがあるだけです。


現在、アメリカの軍事費は中国の2.7倍、ロシアの12倍あって、世界中に米軍基地を設けています。
スウェーデンとフィンランドがNATOへの加盟申請をして、今のところトルコが反対していますが、いずれ加盟するでしょう。
スウェーデンとフィンランドが加盟したがるのはわかりますが、NATOが加盟を認めるのはなんのためでしょうか。

東方においては、アメリカは日米豪印のクワッドなる枠組みをつくって、中国を封じ込めようとしています。
クワッドには「抑止力を高める」などという理由づけがされていますが、抑止力が必要なのはアメリカの脅威にさらされている中国や北朝鮮のほうです。


アメリカ帝国主義は、レーニンのいう帝国主義ではなくて、古代ローマ帝国と同じ帝国主義です。
しかし、古代ローマでは地球が丸いという知識はなく、どこまでも領土を拡大していけると考えていたはずです。
アメリカ帝国主義はどこまで勢力を拡大するつもりでしょうか。

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「マクドナルドがある国同士は戦争をしない」という言葉があります。
アメリカのコラムニストが1996年に書いた言葉だそうです。
マクドナルド・チェーンが進出するのは、ある程度資本主義経済が成功して、政治も安定している国なので、そういう国は戦争という愚かな行為はしないはずだということです。
しかし、ロシアにもウクライナにもマクドナルドはあったので、この論理は破綻しました(実際は2008年のロシア・ジョージア戦争のときに破綻していました)。


経済と戦争の関係はどうなっているのでしょうか。
交易の始まりは物々交換です。
山の民は獣の肉は食べ飽きて、海の民は魚を食べ飽きているので、互いに獣の肉と魚を交換すれば双方に利益があります。
交換せずに略奪すればもっと利益がありますが、それは戦争になるので、うまくいくとは限りません。
ただ、「交易か略奪か」ということはつねに天秤にかけて判断していたでしょう。
やがて略奪だけでなく、負かした相手を奴隷にして働かせて利益を得るということも行われるようになり、また、植民地を獲得して利益を得ることも行われるようになりました。
ローマ帝国やモンゴル帝国のような戦争に強い集団は、限りなく戦争をして略奪し、領土を広げ、奴隷を獲得しました。
つまり戦争はつねに利益を求めて行われました。

しかし、産業が高度化すると、奴隷制も植民地支配もあまり利益を生まなくなりました。
第二次世界大戦後は、人権や民族自決権という考え方が広がり、戦争に勝っても領土も植民地も賠償金も得られません。
戦争をするより互いに貿易や投資をしたほうが利益が得られる時代になりました。
そういうことから
「マクドナルドがある国同士は戦争をしない」という言葉も出てきたわけです。
これからも世界経済が成長し、各国の経済的つながりが緊密化するとともに戦争の危機は減少していくものと思われました。

ですから、プーチン大統領の今回の戦争の判断にはほとんどの人が驚きました。
プーチン大統領はどうしてウクライナに攻め込んだのかというと、経済的利益のためではなく、自国の安全保障のためでしょう。
NATOの拡大に脅威を感じていたというのは嘘ではないと思います。

「自国の安全のために他国を侵略する」というのは論理的におかしい気もしますが、「自国の安全」を絶対と思えば、成立しないわけではありません。
たとえば、アメリカがアフガニスタンを侵略したのはアフガン政府が9.11テロを実行したアルカイダをかくまったというのが理由ですし、イラク侵略のときはイラクが大量破壊兵器を持っているというのが理由でした(その情報は捏造でしたが)。

北朝鮮も、貧乏な国なのに核兵器とミサイルの開発に金をかけて攻撃能力をつけているのも、「自国の安全」のためでしょう。
自民党が「敵基地攻撃能力」をつけようとしているのも、
「自国の安全」のためという理屈です。


しかし、「自国の安全のために他国を攻撃・侵略する」というのは、やはり間違っています。
どこが間違っているかというと、「自国の安全」ばかり考えて、「他国の安全」を考えていないところです。
自分の利益しか考えない我利我利亡者は、周りの人間から嫌われて結局利益を失います。
それと同じで、「自国の安全」しか考えない国は、結局「自国の安全」をも失うものです。

もっとも、アメリカのようなスーパーパワーは例外です。やりたい放題が可能です。
アメリカがロシアを追い詰めたという面は否定できません。

トランプ政権はNATO加盟国に対して軍事費をGDP比2%以上にするように要求しました。これはバイデン政権も受け継いでいます。
もともとアメリカの軍事力は突出しているのに、NATO加盟国の軍事力も強化されたら、ロシアは自国の存続が風前の灯と感じても不思議ではありません。

ちなみに世界主要国の軍事費はこうなっています。
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「諸外国の軍事費・対GDP動向をさぐる(2021年公開版)」より

プーチン大統領は核兵器使用の可能性に何度も言及して、世界の顰蹙を買いましたが、NATOとロシアでは圧倒的な軍事力の差があるので、核兵器の威嚇に頼るしかなかったとも言えます。

ともかく、NATOとロシアはもともと著しく軍事力のバランスを欠いている上に、NATOは加盟国をふやし、さらに各国の軍事力も強化しようとしていたのです。
まさに「自国の安全」だけ考えて「ロシアの安全」を考えないという自己中心的な態度でした。
NATOが少しでもロシアの言い分を聞いていれば、また違った結果があったでしょう。


アメリカは日本にも防衛費を
GDP比2%以上にするように要求しています。
日本では中国の軍拡がいかにも脅威であるかのように喧伝されています。
しかし、アメリカの軍事費は中国の軍事費の約3倍です。
米中の適正な軍事力バランスを考えるのが先決です。

ともかく、ここまでのロシア・ウクライナ戦争を見ていると、戦争がなんの利益も生まないことは誰の目にも明らかです(アメリカだけは兵器を売って利益を得ているかもしれません)。
世界経済が成長するとともに戦争の危機は減少するという流れはやはり変わらないと思われます。


ところが、新たに「経済安保」という考え方が出てきました。
一般のマスコミは書きませんが、これもアメリカに要請されたものです。

「選択」4月号の『醜聞続き「経済安全保障」の暗部』という記事の冒頭部分を引用しておきます。

国会では現在、経済安全保障推進法案について議論が進んでいる。岸田文雄首相の肝煎りで今国会の重要法案と言われているが、実は安倍晋三政権時代に動き出した経済安保政策に、大した政策のない岸田首相が乗っかっただけに過ぎない。
そんな経済安保をめぐってはこれまでさまざまな思惑が渦巻いてきた。そもそも経済安保とは、米国が強く唱えてきたことだ。中国企業排除を念頭に、米国のNIST(米国立標準技術研究所)が定める技術安全標準などを強調して米国製品を日本政府に調達させようというもの。米国系コンサル企業が積極的に働きかけてきた。

経済安保推進法案は5月11日に成立しました。

この法律の目的は、中国などを敵性国と見なして、ハイテク分野などで経済の規制を強めようというものです。
その結果、日本経済はアメリカ依存を強めることになります。

アメリカはアフガン戦争とイラク戦争の経験から、戦争をやっても利益が得られないことを知り、軍事力の優位を利用して利益を得る戦略に転換したのかもしれません。

このように考えると、アメリカは世界でいちばんうまく立ち回っている国です。
しかし、膨大な軍事費を支出しているので、世界でいちばん損をしている国という見方もできます。

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5月3日の憲法記念日には、例によって憲法九条についての改憲論議が行われましたが、改憲は当面不可能でしょう。
なぜなら岸田文雄首相にはまったく改憲する気がないからです。
ときどき改憲に意欲があるようなことを言いますが、それは保守派の支持者のためのリップサービスです。

岸田首相のやる気のなさは、施政方針演説や所信表明演説を見ればわかります。
改憲について触れるのは、いちばん最後か、最後の前と決まっていて、それもわずかの行数です。
官邸ホームページから引用しておきます。

第二百五回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説
六 おわりに

 憲法改正についてです。
 憲法改正の手続を定めた国民投票法が改正されました。今後、憲法審査会において、各政党が考え方を示した上で、与野党の枠を超え、建設的な議論を行い、国民的な議論を積極的に深めていただくことを期待します。


第二百七回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説
十 憲法改正

 憲法改正についてです。我々国会議員には、憲法の在り方に、真剣に向き合っていく責務があります。
 まず重要なことは、国会での議論です。与野党の枠を超え、国会において、積極的な議論が行われることを心から期待します。
 並行して、国民理解の更なる深化が大事です。
 大きく時代が変化する中にあって、現行憲法が今の時代にふさわしいものであり続けているかどうか、我々国会議員が、広く国民の議論を喚起していこうではありませんか。


第二百八回国会における岸田内閣総理大臣施政方針演説
九 憲法改正

 先の臨時国会において、憲法審査会が開かれ、国会の場で、憲法改正に向けた議論が行われたことを、歓迎します。
 憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになるものですが、憲法改正に関する国民的議論を喚起していくには、我々国会議員が、国会の内外で、議論を積み重ね、発信していくことが必要です。
 本国会においても、積極的な議論が行われることを心から期待します。

「議論を歓迎する」と言っているだけで、改憲に意欲を示すということはありません。

改憲にきわめて熱心だった安倍晋三元首相が第二次政権の8年間でできなかったのですから、やる気のない岸田首相にできるわけがありません。

それに、安倍政権は2015年に新安保法制を成立させるときに、内閣法制局長官の首をすげ替えてまで「解釈改憲」を行いました。これで改憲する理由がほとんどなくなりました。
安倍氏がほんとうに改憲したいなら、「切れ目のない安全保障体制を築くにはどうしても憲法九条改正が必要だ」という論理で押し通すべきでした。
なぜそうしなかったのかというと、おそらくアメリカから新安保法制の成立をせかされたのでしょう。それに、かりに改憲の発議ができたとしても、国民投票で否決される可能性があるので、アメリカは認めなかったのかもしれません。

「仏つくって魂入れず」と言いますが、改憲の魂は新安保法制のほうに入ってしまったので、今の九条改正論議には魂がありせん。


ともかく、九条改正はとうてい不可能ですが、憲法が「戦力不保持」をうたっているのに戦力である自衛隊が存在しているのはおかしなことです。
なぜこういうことになったかというと、もとはといえばアメリカのせいです。

自衛隊の前身である警察予備隊が結成されたいきさつは、ウィキペディアにこう書かれています。

警察予備隊(けいさつよびたい、英語表記:Japan Police Reserve Corps(J.P.R)又は、National Police Reserve)は、日本において1950年(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置された準軍事組織。1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組された。

要するに占領下にGHQの命令でつくられたのです。
よく「戦後憲法は押しつけられた」と言いますが、実は「自衛隊も押しつけられた」のです。

アメリカは最初、日本を無力化する計画で平和憲法をつくりましたが、朝鮮戦争が起こったことで計画を変更し、日本を再軍備化することにしました。
アメリカの矛盾した方針が、戦後日本における平和憲法と自衛隊という矛盾を生んだわけです。


自衛隊は災害救助活動をすることで少しずつ国民から認知されてきたとはいえ、ずっと日陰者でした。改憲論者は九条改正をすれば自衛隊は日陰者でなくなると思っているかもしれませんが、出自に問題があるので、そうはいかないでしょう。

ロシア・ウクライナ戦争を見て、日本の防衛は大丈夫かという声が上がっていますが、それに対して「日本には自衛隊があるので大丈夫だ」という声は聞いたことがありません。
改憲派やタカ派も自衛隊を信頼していないようです。

アメリカは自衛隊をつくっただけでなく、安保条約、日米地位協定、新安保法制もつくり、日本の防衛政策の根幹を決めています。
憲法九条だけ変えても意味はありません。


防衛予算のあり方もアメリカが決めています。

このところ日本の防衛費はGDPの1%程度です。
ところが、昨年10月12日に自民党が発表した衆院選の選挙公約では、2022年度から防衛力を大幅に強化するとして、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」と記されました。
2021年度当初予算の防衛費は5.1235兆円でしたが、それを倍増させるなど、ありえないことです。
タカ派の高市早苗政調会長が公約の中に自分の趣味を押し通したのかと思えました。

そうしたところ、10月20日の米上院外交委員会の公聴会において次期駐日大使に指名されたラーム・エマニュエル氏は、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」という自民党選挙公約に触れて、「1%から2%にしようとしているのは考え方が変わったからだ」との認識を示し、日本の防衛費の増額は「日本の安全保障や我々の同盟に不可欠だ」と述べました。
また、11月22日の朝日新聞の記事によると、前駐日米大使であるウィリアム・ハガティ上院議員は朝日新聞のインタビューに答えて、「米国はGDP比で3・5%以上を国防費にあて、日本や欧州に米軍を駐留させている。同盟国が防衛予算のGDP比2%増額さえ困難だとすれば、子どもたちの世代に説明がつかない」などと語りました。
つまり前駐日大使も現駐日大使も、防衛費のGDP比2%以上を要求しているのです。
ということは、これはアメリカの要求で、自民党の選挙公約はそれに応えたものだったのです。

もともとGDP比2%以上という数字は、トランプ政権が2020年にNATO加盟国に対して要求したものです。
それがここにきて日本にも向けられてきたということでしょう。


それにしても、防衛費の倍増はいくらなんでもむりです。
自衛隊は人員募集に苦労していて、現在2万人近く定員割れしているのが実情です。自衛隊の規模を拡大するわけにもいきません。
とすると、高価な装備を買うか開発することになります。
最近、自民党が「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えることにしたのも、金の使い道はここぐらいしかないと見きわめたのでしょう。

日本の防衛政策の根幹はアメリカが決めているのです。

憲法九条を改正するか否かなどはどうでもいいことです。

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自民党はこれまで「敵基地攻撃能力」と言っていたのを「反撃能力」と言い換えるそうです。
「反撃」とは広い意味の言葉ですから、なにを言っているのかわかりません。
これは「越境攻撃能力」と言えば意味が明快です。
つまり中距離ミサイルや渡洋爆撃で中国や北朝鮮をたたく能力ということです。
ただ、そんな攻撃力にお金をかけていたら、肝心の防御力が手薄になってしまいます。


ロシア・ウクライナ戦争によって、日本人の戦争観のおかしさが浮き彫りになりました。

橋下徹氏は戦争の初期、「ウクライナは早く降伏したほうがいい」とか「国外退避も選択肢のひとつ」などと主張していました。ほかにもウクライナ降伏論を主張した著名人は何人もいます。

当時、ロシア軍はウクライナ軍よりも圧倒的な戦力があると言われていました。もし確実にウクライナ軍が負けるなら、早期に降伏したほうがいいということもいえますが、確実に負けると決めつけることはできません。
一般的に侵略する側の兵士よりも防衛する側の兵士のほうが士気は高いものですし、防衛する側は民衆と一体となれるという利点もあります。

橋下氏らがウクライナ軍は確実に負けると予測したのは、要するに第二次世界大戦末期の日本と重ね合わせたからでしょう。
あのときの日本と今のウクライナはまったく違いますが、日本人は橋下氏に限らず敗戦の体験がトラウマになっているので、そういう冷静な判断ができません。


「ゴジラ」のような怪獣映画は、怪獣は戦争の象徴として描かれます。
ゴジラが日本に上陸してくると、人々は荷物を背負い、子どもの手を引き、家財を載せたリヤカーを引いたりして逃げまどいますが、これは空襲で街が焼かれて逃げまどったことの再現です。
そして、自衛隊はゴジラに銃弾や砲弾やミサイルを雨あられと浴びせかけますが、ゴジラにはまったく効果がありません。最終的にゴジラを倒したのは「オキシジェン・デストロイヤー」という科学的な新兵器です。

日本の怪獣には通常兵器はまったく効果がありません。最終的に怪獣を倒すのはなにかの新兵器か別の怪獣かウルトラマンのような存在です。
アメリカなどの怪獣映画では、割と簡単に通常兵器で退治されることが多くて、日本人が観ていると拍子抜けします。
ここに日本人とアメリカ人の戦争観の違いが出ていると思います。

ともかく、日本人は敗戦のトラウマがあるので、戦争というと「戦っても勝てない」という負け犬根性がしみついています。
実際はアメリカに勝てなかっただけなのですが、トラウマはそう論理的なものではないので、一人の男にレイプされた女性が男性全般を拒否するようになるのと同じで、日本人は戦争全般を拒否するようになっています。
橋下氏のような降伏論はそこから出てきます。


それから、日本人は侵略戦争と防衛戦争の区別がつけられない傾向があります。

近代日本のやってきた日清、日露、日中、日米の戦争はすべて侵略戦争です(日露は双方が侵略戦争です)。
侵略戦争が悪だというと、日本の戦争はすべて悪ということになります。

そういうことは認めたくない人もいます。
真珠湾攻撃の直後に天皇の名で出された「開戦の詔書」には、「自存自衛ノ為」という言葉があるので、戦後右翼はこれを根拠に「太平洋戦争は自衛戦争だった」と主張しています。
そういう人においては侵略戦争と防衛戦争の区別がつかなくなるのは当然です。

2013年、安倍晋三首相は国会答弁で日本の植民地支配や侵略に関して、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と述べました。
それを受けて橋下徹氏も「侵略の定義が存在しないのは事実」と述べました(実際は1974年、国連第29回総会において、「侵略の定義に関する決議」が日本も賛成して採択され、定義は定まっています)。

ウクライナ戦争が始まってから安倍氏や橋下氏の発言が迷走を続けているのは、ここに根本原因があります。
「ロシアは侵略戦争、ウクライナは防衛戦争」という明快な認識があれば、橋下氏もそう簡単にウクライナに降伏しろとは言わないはずですし、安倍氏もプーチン大統領を批判する言葉を口にしたはずです。
安倍氏はウクライナ戦争以降、「核共有を議論するべきだ」とか「台湾有事は日本有事」とか「敵基地攻撃能力は基地に限定する必要はない。中枢を攻撃することも含むべきだ」とか、おかしな発言を連発しています。

日本は侵略戦争しかしてこなかったのですが、硫黄島と沖縄の戦いは防衛戦争です。防衛戦争では日本軍は善戦しました。日本の領土以外で戦っているときは、無意味な突撃をして自滅する傾向がありました(もっとも、日米戦争は真珠湾攻撃という侵略から始まったので、すべてが侵略戦争だとも見なせますが)。

日本が本土決戦に突き進めば、そこで初めて本格的な防衛戦争をすることになりますが、その前に降伏してしまいました。
ですから、日本人は防衛戦争の経験がほとんどない、世界でも珍しい国民です(アメリカもそうです)。
ロシアなどはナチスドイツに攻め込まれたときからずっと防衛戦争をしていたので、日本人と戦争に対する見方が百八十度違うはずです。


今後、日本が中国やロシアに攻め込まれたら、そのときはまさに「本土決戦」をすることになります。
ところが、日本人は「本土決戦はするべきではない」と思っているので、そこで思考停止してしまいます。
本来なら「中国軍はどのようにして上陸してくるのか。それにどう対処するのか」ということを考えなければなりませんが、誰も考えませんし、誰も議論しません。

では、これまで日本で行われてきた防衛論議はなにかというと、「半島有事や台湾有事にどう対応するか」「シーレーン防衛をどうするか」「イラクに自衛隊を派遣するべきか」など、侵略論ばかりです。
「敵基地攻撃能力」も同じです。

専守防衛に徹するなら、うんと安くつきます。
アフガニスタンのタリバンは、たいした武器もないのに山の多い地形を利用したゲリラ戦をやってアメリカ軍を追い出しました。
日本も国土の75%は山地で、しかも森林が多いので、ゲリラ戦に最適の地形です。
軽トラに携行式ミサイルと迫撃砲などを積んで林道などを移動すれば、空からも発見されません。
主要都市を占領されても、山岳ゲリラをやって敵を消耗させて最終的に勝利するというシナリオもあります。
攻め込んでも最終的な勝利は困難と敵に思わせれば、それが抑止力になります。


日本の防衛費はGDP1%程度で、NATO諸国と比べると少ないといわれますが、島国だから少ないのは当然です。
ところが、自民党は防衛費を倍増させてGDP2%程度にするという目標を立てています。
財政赤字大国の日本にとって冗談としか思えない数字ですが、これはアメリカから要請されたからです。
江戸時代、幕府は各藩に「御手伝普請」といわれる土木工事を命じて、藩の財政力を弱体化させようとしましたが、アメリカも同盟国に「御手伝軍備」を命じて、同盟国の財政力を弱体化させようとしているようです。

普通、予算というのは、必要なものを積み上げて最終的に数字を出しますが、防衛費については、目標の数字が最初にあって、それに合わせて防衛装備などを積み上げます。「越境攻撃能力」もその一環です。


ところで、日本が中国を攻撃する能力を備えたところで、中国の主要な基地を全部たたけるわけがありません。
中途半端な攻撃力があっても意味がないではないかと思えますが、そういうことではありません。
朝日新聞の『自民、首相に「反撃能力」提言 北ミサイル対処→「米軍の一翼」へ』という記事にはこう書かれています。

今回、自民党が出した「反撃能力」は、①仮想敵国は中国②米軍の打撃力の一部を担う③攻撃対象を拡大という3点が特徴だ。
反撃能力を求めた項目では、北朝鮮には触れず、軍事力を増強する中国を名指しして対抗する色合いを強めた。また、米国との役割分担についても言及。「相手領域内への打撃については、これまで米国に依存してきた」と指摘し、「迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」とした。日本も打撃力を保有する必要性につなげている。
提言に関与した政府関係者は、狙いについて「米国の攻撃の一翼を担うこと」と明かす。日米安全保障条約に基づき、敵を攻撃する「矛」の役割は米軍にゆだね、日本は「専守防衛」のもと守りに徹する「盾」の役割を担ってきた。反撃能力はこれを転換し、自衛隊も米軍とともに矛の一部を担うことを意味する。

要するにアメリカの攻撃力の一部を日本が肩代わりするということです。
そうすればアメリカの費用負担がへります。
自民党の言う「反撃能力」とは、日本の税金を使ってアメリカの財政を助けるという話なのでした。

橋下氏、安倍氏、高市早苗自民党政調会長のような右翼のタカ派ほど、敗戦のトラウマが深いので、アメリカにものが言えなくなるようです。

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戦争考古学という分野があります。
発掘された遺跡や人骨、道具などから古代の戦争について研究する学問で、書籍としては松木武彦著『人はなぜ戦うのか――考古学から見た戦争』や佐原真著『戦争の考古学(佐原真の仕事4)』などがあります。

戦争考古学によると、人類が戦争と呼べるような規模の戦いをするようになったのは農耕社会になってからです。
なぜ農耕社会で戦争が行われるようになったかというと、人口が増えて不作のときの飢餓が深刻化したとか、土地争い、水争いが行われるようになったとか、社会が組織化されたとかの理由も挙げられますが、いちばんの理由は食糧の備蓄が増えたことです。
狩猟採集社会では、食糧の備蓄はせいぜい数日分か十数日分だったでしょうが、農耕社会では収穫期には大量の食糧が蓄えられます。一日戦うだけで半年分の労働の成果をごっそりと奪うことができれば、危険を冒しても戦おうという判断があっても不思議ではありません。
そのため外敵に備える環濠集落がつくられるようになります。
そして、武器が進歩し、砦などがつくられ、戦争の規模も大きくなります。
つまり文明と戦争はともに発達してきました。

よく人類が戦争をするのは闘争本能があるからだと言いますが、それは間違いだということになります。
動物行動学者のコンラート・ローレンツも『ソロモンの指輪』において、同じ種の動物同士は争っても殺すところまではいかないと述べています。
つまり同じ種同士ではむしろ殺さない本能があるのです。


戦争は文明の産物だ――ということで私は自分の思想を組み立てていたのですが、そこにスティーブン・ピンカー著『暴力の人類史』という本が2015年に出版されました。
これが戦争考古学の知見とはまったく逆だったので、驚きました。

『暴力の人類史』によると、先史時代から戦争、殺人、レイプなどの暴力は行われていて、古代遺跡から見つかる暴力による死と見なせるものの割合は15%、今も狩猟採集生活をする部族における暴力死の割合は14%だということです。そして、文明が進むとともに暴力死はへってきて、二度の世界大戦があった20世紀でも暴力死は3%です。つまり文明の進歩によって戦争などの暴力は克服されてきたというのです。

日本の戦争考古学は縄文時代や弥生時代を対象にしているので、日本の古代史だけ人類史からかけ離れているのかと思いましたが、そんなことがあるはずありません。
『暴力の人類史』はインチキ本かとも思いましたが、ピンカーは認知心理学者として高く評価され、“知の巨人”とも言われている人です。それに『暴力の人類史』は上下巻で合計1400ページもあり、膨大なデータが盛り込まれています。
私はとりあえず『暴力の人類史』に疑問符をつけたままにしておくことにしました。


そうしたところルトガー・ブレグマン著『希望の歴史』が2021年に出版され、疑問が氷解しました。

ブレグマンは西洋にはふたつの思想潮流があると言います。ひとつはジャン=ジャック・ルソーに代表される、自然状態の人間は互いに助け合って仲良く暮らしていたという性善説です。もうひとつは、トマス・ホッブスに代表される、自然状態の人間は「万人の万人に対する闘争」をしていたという性悪説です。
そして、西洋ではホッブス流の性悪説が優勢だというのです。
実証的な研究も性悪説のバイアスがかかり、マスコミはそうした性悪説的学説をもてはやします。
たとえば古代人は残忍で、互いに殺し合いをしていたという説を学者が発表すると、マスコミはそれに飛びつきますが、古代人は平和に暮らしていたという説を発表すると、マスコミは無視します。
ですから、考古学の研究にもバイアスがかかっているのです。

ブレグマンは『暴力の人類史』におけるデータを具体的に検証し、バイアスがかかっていることや、専門家がピンカーの説を否定していることなどを次々と明らかにしました。
やはり『暴力の人類史』はトンデモ本の類でした。

結論としては、日本の戦争考古学が正しかったのです。
日本人には性悪説のバイアスがなかったのがよかったようです。


狩猟採集社会にはほぼ戦争はなかったのですが、農耕社会では戦争が始まり、文明が進むとともに戦争の規模も拡大してきました。
もちろん武器の進歩ということもありますが、農耕社会の初期段階ではせいぜい穀物しか奪うものがなかったのに、文明が進むと金銀財宝など奪うものの価値が増大したということもあります。

そして、私の考えですが、「奴隷制」の発明も大きかったでしょう。
戦争に勝って奴隷を獲得すると、奴隷が利益を生んでくれます。
古代ギリシャ・ローマでは、市民よりも奴隷の数のほうが上回っていました。

「植民地」の発明も同様です。
植民地を獲得すると大きな利益が得られるので、植民地獲得の戦争が激化しました。

宗教が理由の戦争も一部にありますが、戦争は基本的に土地、財産、奴隷、植民地、賠償金などの利益を得るために行われるものです。

クラウゼヴィッツは『戦争論』において、「戦争は別の手段による政治の継続である」と述べましたが、では、政治の目的はなにかということは述べていません。
人間が利益のために戦争をするということは軍人として認めたくなかったのかもしれません。


戦争に負けると、殺されたり奴隷にされたりするので、誰もが否応なしに戦争に備え、戦争に強くならなければなりません。
そうして人類の歴史は戦争の歴史でもあったわけですが、一方で人間には人間を殺さないという本能があります。
つまり戦争というのは本能に反した行為です。


デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』によると、米陸軍公認の戦史家として従軍していたサミュエル・マーシャル大佐は、太平洋のマキン島の戦いに参加し、日本軍の夜襲を受けて苦戦した米軍を目撃します。マーシャルは翌日に兵士全員を集めて、グループに分け、上官の批判も含めて自由に話すことを求めました。すると、昨晩ほとんどの兵士は一度も発砲していなかったという事実が明らかになります。
マーシャルはその後、太平洋戦線とヨーロッパ戦線で兵士たちのグループ・インタビューを繰り返し、戦場で銃を撃ったことのある兵士は15~25%しかいないと結論づけます。
マーシャルは1946年の著書において「平均的で健全な個人は人を殺すことに抵抗があり、自分の意志で人を殺そうとしない」と述べました。
米軍はこの研究成果を取り入れて、射撃訓練の標的を人型にするなどの対策を行い、兵士の発砲率を上げたとされます。

ところが、マーシャルが亡くなると、いくつかのマスコミが「マーシャルの書籍に虚偽の疑い」とか「兵士へのグループ・インタビューは一度も行われていない」などと攻撃しました。

これについてもブレグマンが『希望の歴史』で反論を述べています。
グループ・インタビューは実際に行われて、マーシャルはライフル銃を撃ったかどうかを兵士たちにたずねていました。
マーシャルの説は性善説なので、攻撃されたのです。

『希望の歴史』は戦場におけるさまざまなデータも挙げています。
第二次世界大戦の退役軍人への聞き取り調査によると、半数以上が敵を一人も殺していないということです。殺された敵の大半は、ごく少数の兵士が何人も殺したことによるものです。
アメリカ空軍でも、敵機撃墜のおよそ40%は、パイロットの1%未満によるものでした。

こうした発見に後押しされて、過去の戦争についても再調査されました。
南北戦争のゲティスバーグの戦いにおいて、のちに戦場から回収された2万7547丁のマスケット銃を調べると、約1万2000丁の銃には複数個の弾が装填され、およそ半分には弾が3個以上装填されていました。中には23発も装填された銃までありました。
要するに兵士は敵に向かって撃ちたくなかったので、装填する動作を繰り返していたのです(先込め式の銃なので装填にかなり時間がかかる)。

敵を銃撃することよりさらにむずかしいのは人を刺し殺すことです。ワーテルローの戦い(1815年)とソンムの戦い(1916年)で負傷した兵士のうち、銃剣による負傷者は1%以下でした。

では、戦争で死んだ多数の兵士はどのようにして死んだのでしょうか。
第二次世界大戦で死んだイギリス人兵士の法医学的な検査による死因はこのようになっていました。

迫撃砲、手榴弾、空爆、砲弾 75%
銃弾、対戦車地雷原 10%
地雷、ブービートラップ(罠)  10%
爆風、圧死 2%
化学攻撃 2%

要するに砲爆撃、地雷のように、死を直接目撃しなくていい方法でほとんどの兵士は殺されているのです。
戦争映画では敵味方が銃撃し合いますが、そういう場面で死ぬ兵士はきわめて少ないことになります。


戦争は本能に反する行為ですが、勝つと大きな利益が得られるので、これまで行われてきました。
しかし、第二次世界大戦後は、戦争によって領土、植民地、賠償金を得ることができなくなりました。
高度産業社会になって戦争による貿易や投資の中断がもたらす不利益も大きくなっています。
そうすると、戦争をする意味がほとんどありません(例外はイスラエルです。戦争に国の存亡がかかっていますし、戦争で領土も広げています)。

イラク戦争のとき、この戦争はアメリカにとってなんの利益があるのかという議論があり、イラクの原油を売れば戦費はまかなえるだろうなどと言われていました。しかし、そんなことはありませんでした。もし原油を売った利益をアメリカが持っていったら、イラク国民は怒ったに決まっています。

アメリカは戦争がもうからない時代になったことを理解していなかったのです。
ウクライナに侵攻したロシアも同じです。
ロシアの思惑通りに戦争に勝利して、かいらい政権を樹立できたとしても、ロシアに利益はないでしょう。

人類は利益のために本能に反する戦争をしてきたということを理解すれば、戦争を克服する道も見えてくるはずです。

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ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアの侵略から始まったので、ロシアが悪いことは明白です。
しかし、無から有が生じないように、無から悪も生じません。
ロシアが悪くなったのにはそれなりの理由があります。

バイデン大統領は3月26日、訪問先のポーランドで演説し、プーチン大統領について「この男が権力の座にとどまり続けてはいけない」と言いました。
これがアメリカはロシアの体制転換を狙っているのではないかと問題になりました。
その後、バイデン大統領自身が「道徳上の憤りを表現しただけで、政策を意味するのではない」と釈明しましたが、発言は取り消しませんでした。

この発言が問題なのは、ロシアとウクライナが停戦交渉をしているさ中の発言だということです。
バイデン大統領はほかにもプーチン大統領のことを「虐殺者」「人殺しの独裁者」「生粋の悪党」とも言っています。
停戦交渉を妨害しようとしているとしか思えません。

バイデン大統領は早い段階でウクライナ戦争に武力介入をしないと言明して、「腰が引けている」などと批判されています。しかし、自分は手を出さない代わりに、火に油を注ぐようなことを言い続けています。


バイデン大統領に限らずアメリカは一貫して「ロシア敵視政策」をとってきました。
冷戦が終わったとき、ロシアは「普通の資本主義国」になりました。ですから、NATOにもEUにも入れていいはずです。
しかし、結局、ロシアはNATOに入りませんでした。
NATO側が門戸を閉ざしたのか、ロシア側に入る意志がなかったのかはむずかしい問題です。どちらも相手に非があったと主張するからです。
しかし、当時のロシアは資本主義も民主主義も未熟で、極貧状態の国でした。西側はどのようにでもロシアを導くことができたはずです。
今日の事態になったのは、西側とりわけアメリカに大きな責任があります。


そもそも冷戦が始まったことについても、オリバー・ストーン監督は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』において、アメリカとソ連は大戦中に深い絆で結ばれていたので対立する必要はなかった、冷戦はアメリカが望んだものだ、と述べています。
大戦直後は、ほぼ戦禍のなかったアメリカは超大国の足場を固める一方、ソ連は甚大な戦争被害を受けていたので、主導権はアメリカの側にありました。


もっとさかのぼって、アメリカにおいて白人が先住民族、いわゆるインディアンを大量虐殺したのは、インディアンが悪かったのか、白人が悪かったのか、どちらでしょうか。

西部劇といってもいろいろありますが、より昔のものでは、インディアンは奇声を上げながら白人を襲ってくるだけの存在として描かれていました。
また、インディアンは白人を捕らえると頭の皮を剥ぐとされていました。
「頭の皮を剥ぐ」というのがインディアンの残忍さの象徴だったわけです。
しかし、そもそも「頭の皮を剥ぐ」というのは、インディアンを殺すと賞金が出たので、その証拠とするために白人が始めたもので、インディアンはそれをまねたのでした。

なお、アメリカ合衆国では白人はインディアンを殺しながら土地を奪っていきましたが、カナダではインディアンの殺戮というのはほとんどありませんでした。


アメリカは犯罪大国でもあります。
先進国では概して犯罪は減少傾向にあるものですが、アメリカは別で、1970年に35万人ほどだった受刑者は、80年には50万人、90年には117万人、2000年には200万人という恐ろしいスピードで増え続け、14年には230万人を突破しました。

なぜこんなことになるのかということを、Netflix製作の「13th -憲法修正第13条-」というドキュメンタリー映画が明快に説明していました。

この映画はYouTubeで無料で公開されています。



映画の内容を簡単に紹介すると、アメリカには“刑務所ビジネス”というものがあるのです(もっと詳しいことは「なぜアメリカは犯罪大国になったのか」に書いています)。
奴隷解放後のアメリカでは、奴隷に代わる労働力が必要でした。金を払って人を雇うのでは利益が出ないので、受刑者の労働力が利用されました。徘徊や放浪といった微罪で黒人を逮捕して刑務所送りにし、受刑者を働かせたのです。実質的な奴隷制の継続です。警官が黒人を見ると職質したり逮捕したりするのは、このとき以来の“伝統”です。
1980年代以降、刑務所や移民収容施設が民営化され、“刑務所ビジネス”のために犯罪が量産されるようになりました。

警官が黒人を殺す事件が起きると、人種差別だとして「Black Lives Matter」のような運動が盛り上がりますが、一方で、「警官に抵抗した黒人が悪い」という声も上がります。
警官が悪いのか、黒人が悪いのか、どちらでしょうか。


アメリカはまた麻薬大国でもあります。
麻薬の消費者がいるので、麻薬を提供する麻薬犯罪組織が生まれます。
メキシコ、コロンビアなどは麻薬犯罪組織が国家を支配するような巨大な存在になっています。
アメリカは麻薬犯罪組織を取り締まるようにメキシコ政府やコロンビア政府に圧力を加えていますが、ある意味では、アメリカが麻薬犯罪組織をつくっているともいえます。
麻薬を消費する者が悪いのか、麻薬を供給する犯罪組織が悪いのか、どちらでしょうか。


二人が争っているとき、双方の言い分を聞いても、どちらが悪いかわからないことがあります。
たとえば関係がこじれてしまった夫婦の場合を考えればわかります。

しかし、親子の場合は容易に判断できます。
親が子どもを叱っている場合、その言い分を聞くと、いろいろ言うでしょう。「この子は親の言うことを聞かない」とか「嘘をついた」とか「物を壊した」とか「食べ物を粗末にした」とか「行儀が悪い」とか。
子どもの言い分は聞くまでもありません。
自分の子どもを悪く言う親が悪いのです。
「悪い子ども」というのはいません。「悪い赤ん坊」がいないのと同じです。

白人が悪いのか、インディアンが悪いのかも同じです。
白人が悪いのか、黒人が悪いのかも同じです。

力のある者、支配的な立場にある者が「悪」を生み出しているのです。


「悪い子ども」はいませんが、親がいつも理不尽な叱り方をしていると、子どもの性格がひねくれて、ほんとうに「悪い人間」になることがあります。
アメリカや西側がロシア敵視政策を続けているうちに、プーチン政権が独裁化したという面があります。

どんな国でも外国の脅威を感じると、体制を強化するために国民を統制しようとし、独裁制に傾斜します。
その典型が北朝鮮です。異様な独裁制国家が三代にわたって続いているのは、朝鮮戦争が休戦状態で、アメリカ軍と韓国軍と対峙するという緊張状態にずっと置かれているからです。
キューバも同じようなもので、かつてCIAの支援を受けた亡命キューバ人の部隊に軍事侵攻されたことがあり、そのあともアメリカによってずっと強力な経済制裁を受けています。その結果、共産党の一党独裁体制がずっと続き、フィデル・カストロから弟のラウル・カストロへと継承されました(今はミゲル・ディアス=カネルが国家元首)。


現在、バイデン大統領は「民主主義国対権威主義国」という図式を描いて中国とロシアを敵視する政策を進めています。
これは中国の習近平体制をますます独裁化させるだけです。

相手を敵視すると、相手もこちらを敵視します。

世界が平和にならない最大の責任はアメリカにあります。

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ウクライナのゼレンスキー大統領が3月23日、日本の国会でオンライン形式で演説をしました。
アメリカ議会での演説では真珠湾攻撃を取り上げたので、日本の国会ではヒロシマ、ナガサキや東京大空襲などに言及するのではないかという予想があり、私自身は、ソ連が日ソ中立条約を破ったことや日本兵捕虜のシベリア抑留などに言及するのではないかと予想しましたが、そういうのはありませんでした。
きわめて穏当な内容でした。
ゼレンスキー大統領にとって日本は「復興資金を出してくれるATM」というところかもしれません。

2014年、クリミア半島をロシアが併合しそうになっているとき、オランダのハーグでウクライナを支援するためカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7か国による会議が行われ、安倍首相は約1500億円の経済支援を表明しました。
NATOとロシアが角突き合わせているとき、NATO以外で唯一日本が参加して金を出すとは、日本外交の愚かさを見せつけられた気分でした。
ですから、ウクライナにとって日本はATMという認識であっておかしくありません。


ゼレンスキー大統領は演説の中で「ウクライナへの残忍な侵略のツナミ」という言葉を使いました。
ほかに「世界のほかの潜在的な侵略者」「地球上のすべての侵略者たち」とも言っています。
「侵略」がキーワードです。

ロシアがやっているのは「侵略戦争」で、ウクライナがやっているのは「防衛戦争」です。
これほどわかりやすいことはありません。ですから、世界からロシア非難とウクライナ支援の声が上がっています。

しかし、国際政治の世界では「侵略」と「防衛」というわかりやすい区分がありません。「集団的自衛権」があるからです。
プーチン大統領は今回の戦争を、ウクライナ東部にある「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」をウクライナの攻撃から守るための集団的自衛権の行使だと主張しています(「ネオナチとの戦い」だとも言っています)。

バイデン大統領はプーチン大統領のことを「侵略者」だけでなく「残忍な独裁者」や「戦争犯罪者」とも呼んで、問題をわかりにくくしています。
「侵略」と「防衛」というわかりやすい区分を使うと、アメリカにとって不都合なことがいっぱいあるからです。
安倍首相も「侵略の定義は定まっていない」と発言したことがあります。日本の戦争を侵略と認めたくなかったからです(安倍氏にロシアの行為は侵略ですかと聞いてみたいものです)。


今のところウクライナ軍は善戦しているようですが、その主な理由は、ウクライナにとっては防衛戦争で、ロシアにとっては侵略戦争だからです。
防衛戦争をする兵士は士気が上がりますが、侵略戦争をする兵士は士気が下がります。
これは動物の本能によって説明できます。

なわばりを持つ動物は、基本的には互いのなわばりを尊重して争わないようにしていますが、ときどき食料や異性を探して、ほかのなわばりに侵入することがあります。
そのとき、なわばり主が侵入者を発見すると、侵入者に猛然と襲いかかります。侵入者は自分のほうが強い場合でも、ほとんど闘わずに逃げ出します。

このときの動物の“心理”のメカニズムを、日高敏隆著『日高敏隆選集Ⅱ 動物にとって社会とはなにか』は次のように説明しています。

「他人の」なわばりに入りこんでいるな、と感じた個体(むしろ、ここは自分のなわばりでないなと感じている個体)は、あえて擬人化すればそのやましさのゆえに、なわばり所有者から攻撃されるとすぐ引きさがってしまう。そこではけっして組んずほぐれつの闘いなどおこらない。だが問題はこれですむほど単純ではない。なわばりの所有者は引きさがっていく侵入者を追いかけてゆく。しかし深追いは動物においても危険である。なぜなら、追跡が進む間に、両者の心理状態が刻々と変化していってしまうからだ。
動物の「闘志」は、なわばりの中心すなわち巣からの距離に反比例する。なわばりの境界近くまで侵入者を追いかけていった所有者には、もはや攻撃のはじめほどの闘志はわいてこない。闘志と同じくらい逃避の衝動が強くなっているのである。
この比例関係は、自分のなわばりに逃げこんだ動物についてもあてはまる。そこでこちらのほうは、自分の巣に近づくにつれて、闘志がみなぎってくるのである。
深追いしすぎて相手のなわばりに侵入した追跡者は、相手ががぜん反攻に転じると急いで後退して自分のなわばりへ逃げこむ。もし相手がそこまで深追いしてくると、事情が逆転する。こうしてしばしば一対の動物は、ふりこのようにふれながら、ついになわばりの境界線でとまることがある。

人間は集団で狩りをするサルで、集団でなわばりを持ちます。そのなわばりが拡大したものが国家です。
ですから、ウクライナのなわばりに侵入したロシア兵はあまり闘志がなく、深く侵入するほど闘志がなくなります。
反対にウクライナ兵は、なわばりを守るために最初から闘志が盛んで、ロシア軍に押し込まれればますます闘志が高まります。

闘志があるのは兵士だけではありません。非戦闘員である国民も同じです。
つまり防衛戦争というのは、兵士と国民が一体となって戦われるものです。


ここが従来の戦争の常識と違うところです。
従来の戦争は戦闘員と非戦闘員が明確に区別されるものでした。制服や徽章などで外見からも区別されなければなりません。
これがはっきりと変わったのがベトナム戦争です。
南ベトナム解放民族戦線は農民と同じ服装でゲリラ戦をしました。
兵士と農民の区別がむずかしいからといって米軍が無差別に攻撃すると、民衆の反発が高まり、国際社会からも非難されます。
結局、ベトナム戦争は泥沼化して、アメリカ軍は敗退しました。

解放戦線と北ベトナムにはソ連や中国の支援もありましたが、世界最強のアメリカ軍が敗れたのは、アメリカがしたのは侵略戦争で、ベトナムがしたのは防衛戦争だったからです。

ベトナムからアメリカ軍が撤退した6年後、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、これも泥沼化し、10年後にソ連は敗退しました。
ソ連がアメリカと同じ失敗を繰り返したのは不思議です。

そして、9.11テロをきっかけに今度はアメリカがアフガニスタンに侵攻し、これは20年にわたって戦いを続けましたが、結局敗退しました。
今度はアメリカがソ連と同じ失敗を繰り返したわけです。

イラク戦争も、実質的にアメリカ軍の敗退です。

アフガニスタンでもイラクでも、武装勢力と民衆の区別が、銃を持っているか否かぐらいでしかつきません。銃を持たない自爆テロ犯の見分けはきわめて困難です。
侵略者の目には民衆すべてが敵に見え、しばしば無差別攻撃をして民衆の反感をさらに高めるということの繰り返しで自滅しました。


ウクライナ戦争においても、ウクライナ軍と民衆は一体化しています。
民衆は火炎瓶をつくって、実際にロシア軍の車両に投げつけている映像もありました。
ゼレンスキー大統領は、市民に銃を取って戦うように呼びかけました。

そして、「民間人が武器を使ってロシア兵を殺害しても罪に問わない」とする法案が可決されたというニュースがありました。

ウクライナのジャーナリストであるIllia Ponomarenko氏は3月10日、「新しい法案は、ウクライナに配備されたロシアの軍人を民間人が殺害することを公式に完全合法化します」というキャプション付きで、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が署名した法案のスクリーンショットを投稿しました。文書の日付は2022年3月3日となっており、Newsweekは法令の発効が「公布の翌日から」となっていると述べています。
法令の内容は、ウクライナに対して武力侵攻を行っている者に対して、ウクライナの民間人や滞在中の外国人が銃器を使用して排除したとしても、その刑事責任を問わないというもの。法令が有効なのは戒厳令が出されている間であり、その間は民間人も銃器の使用が許可されるものの、戒厳令が終了したら当局に銃器を引き渡す必要があるとのこと。
https://gigazine.net/news/20220311-ukraine-bill-legal-kill-russian-soldiers/

このように市民の武装を公然と認めると、今度はロシア軍に市民を攻撃する口実を与えることになります。
とはいえ、ロシア軍が無差別に市民を攻撃すると、やはりロシア軍が非難されるので、ロシア軍は苦しいところです。


ロシア側は、ウクライナは“人間の盾”を使っていると非難しています。

人間の盾というのは、「戦争や紛争において、敵が攻撃目標とする施設の内部や周囲に民間人を配置するなどして、攻撃を牽制すること」と説明されます。
だいたいは捕虜や人質を盾にするというイメージでしょう。
そういうことは行われていないはずです。

しかし、ウクライナ軍は都市を防衛拠点としていて、そこに住民がいます。
その住民は、ロシア軍から見れば人間の盾になります。都市を攻撃すれば住民に被害が出るのは確実だからです。
今のところロシア軍は主要都市を占領していません。
意図せざる人間の盾があるからかもしれません。

ウクライナ側のやり方に対しては、住民のいる都市を防衛拠点にするなという批判もあります。
あらかじめすべての住民を避難させるべきで、それができないならその都市に関して「無防備都市宣言」をするべきだというのです(ハーグ陸戦条約やジュネーブ条約に規定があります)。
つまり戦わずしてその都市を敵に明け渡すわけです。
第二次世界大戦のとき、ドイツ軍の侵攻を受けたフランス政府はパリに関して無防備都市宣言を行い、パリを戦火から守りました。

しかし、都市というのは防衛拠点に最適です。
独ソ戦においてはソ連軍はスターリングラードやレニングラードを防衛拠点にし、ドイツ軍は攻めきれなくて、結局ここが戦局の転換点になりました。
ただし、住民のいる都市での市街戦は悲惨です。

ロシアはウクライナ東南部の港湾都市マリウポリに対して降伏するように勧告しましたが、ウクライナ側は拒否しました。
どうやら徹底抗戦するようです。

そうするとロシア側の判断もむずかしくなります。本格的に攻撃すれば、スターリングラードやレニングラードの悲劇を逆の立場から演じることになり、国際的な非難を浴びます。


ともかく、ウクライナでは軍と市民が一体となって戦っています。
戦闘員と非戦闘員を厳密に区別するべきという戦時国際法は、騎士や傭兵だけが戦争を担った伝統の上に、列強が植民地獲得戦争をするときに現地の武装勢力と民衆の区別がつかなくて困るという必要性から生まれたものです。
国民国家が総力戦をする時代には合わなくなっています。


ロシア軍の総兵力は約90万人、ウクライナ軍は約26万人です。
軍事費については、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、2020年のロシアは約617億ドル(約7兆970億円)で、約59億ドル(約6780億円)のウクライナとは10倍以上の差があります。

それでもロシア軍が苦戦し、ウクライナ軍が善戦しているのは、侵略戦争と防衛戦争の違いからです。

これはある意味、天下分け目の戦いです。
ウクライナが勝利すれば、今後ロシアやアメリカのような侵略戦争をしようという国はまず出てこないでしょうから、世界は平和になります。



近代兵器を使った大規模な戦争も、所詮は動物のなわばり争いが発展したものです。
高度な文明も、人間の動物としての本能を土台として築かれています。
文明と本能の関係については「道徳観のコペルニクス的転回」で論じています。

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2月24日にロシアがウクライナに侵攻してから3週間ほどたちますが、ウクライナ軍はけっこう善戦しているようです。
善戦の理由のひとつに携行式対戦車ミサイルと携行式対空ミサイルの効果が挙げられています。
とくに対戦車ミサイル「ジャベリン」がロシアの戦車や装甲車を多数破壊しているそうです。

歩兵が一人で敵戦車を破壊することができれば、“コストパフォーマンス”は最高です。
こういう有効な兵器が出てくると、戦車の価値も見直されるでしょう。

自衛隊も同じようなものを装備しているのかと思って調べると、「01式軽対戦車誘導弾」という国産品があり、2001年から制式採用されています。
赤外線誘導方式ということですから、ジャベリンと基本的に同じです。


戦車はもともと第一次世界大戦のときにヨーロッパで生まれたもので、ヨーロッパの平原や北アフリカや中東の砂漠ではきわめて有効な兵器です。
しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争ではそれほど活躍しませんでした。
山地やジャングルでは戦車は使えません。

そうすると、日本で戦車は有効なのかということになります。
日本は山地が多く、平地には住宅が建ち並んでいます。
陸自は戦車の演習を富士の裾野や北海道でやっていますが、そういうところでしか使えないのではないでしょうか。
司馬遼太郎は戦時中は戦車兵で、戦争末期には関東にいましたが、上官に「敵が上陸してくると道路には避難民があふれると思いますが、どうすればいいですか」と聞くと、上官は「轢いていけ」と言ったそうです。

ですから、日本には昔から「戦車不要論」があって、必要か不要かでずっと議論が行われてきました。
検索してみると、戦車必要論者は決まって「軍事の専門家で戦車不要論の人はいない」ということを論拠にしています。
しかし、軍事の専門家はたいてい利権まみれの人ですから、説得力はありません。

ウクライナでの携行式対戦車ミサイルの威力を見ると、戦車不要論に拍車がかかります。
戦車を保有する代わりに携行式対戦車ミサイルを大量に保有したほうが効果的で、安上がりです。
日本の地形だと、物陰から容易に敵を狙い撃ちできるので、ウクライナよりもさらに有効でしょう。


日本に敵が上陸してくることを考えているのは、もしかして私ぐらいかもしれません。
中国軍にもロシア軍にもそんな戦力はないからです。
それに、日本に攻めてくる理由もありません。

戦争を始めるにはなんらかの理由が必要です。
ロシアは一方的にウクライナに攻め入ったようですが、ロシアにもそれなりの理由があります。
国際紛争解決が専門の伊勢崎賢治東京外大教授はこのように指摘しています。

今回、ロシアはウクライナからの独立を主張する「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」(ウクライナ東部の武装勢力が14年にウクライナから「独立」を宣言した政権。ロシアは22年2月に国家として承認し、同盟を結んだ)の要請に応じ、ウクライナの攻撃からこれらの政権を守るために武力を行使した、と言っている。つまり侵略ではなく、国連憲章が認めた集団的自衛権の行使だ、という主張です。
https://mainichi.jp/articles/20220304/k00/00m/040/254000c

ウクライナがロシアの同盟国を攻撃しているので、同盟国を守るためにロシアはウクライナに侵攻したという理屈です。
ロシアの主張はまったく自分勝手ですが、ただ、ウクライナにおけるロシア系住民が迫害されてきたのも事実です。ですから、ロシア国民にも今回の戦争を支持する声が一定程度あります。
国と国が陸続きだと、国境線と民族、言語が食い違って、そこに侵略を正当化する理屈が生まれます。

しかし、日本は島国ですから、ロシアにしても中国にしても、日本を侵略することを正当化する理屈はつくりようがありません。
なんの理由もなく侵略すれば、国際的非難を浴びるだけです。

ですから、日本がウクライナのように侵略される可能性はまったくありません。
日本国民もそのことはわかっています。
いや、国民だけでなく自衛隊もわかっているようです。

自衛隊は自分たちが戦争することを想定していないのではないでしょうか。
それは自衛官募集のポスターを見ればわかります。

自衛官募集のポスターというと、昔は制服姿の若い男女が凛々しい表情で空を見つめているといったものでしたが、今はほとんどがかわいいアニメのキャラクターが出てくるポスターになっています。
それは「自衛隊のポスター」で画像検索した結果を見ればわかります。

自衛隊(防衛省)はこうしたアニメキャラのポスターを推奨しているようです。
「自衛官募集」のホームページの「“チホン”のポスター」には、人気のポスターとしてアニメキャラのポスターをいくつも紹介しています。

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こういうポスターを見て自衛官になろうという人が果たして戦力になるのか疑問です。
また、こういうポスターで人を募集しようという自衛隊も本気で戦争を考えているのか疑問です。

日本は島国である上に、外国から侵略される理由もないので、この上なく安全です。
自衛隊もそれに適応しているのでしょう。

私は戦車だけでなく空母いずもも弾道ミサイル防衛システムも必要ないのではないかと思います。
敵が上陸してきたときに撃退するか食い止めるだけの戦力があれば十分です。
それがどの程度の戦力かはウクライナ軍の戦いぶりから判断できます。
現在の自衛隊は海外派遣仕様になっているのです。


日本は2015年に安倍政権が解釈改憲により集団的自衛権行使容認に踏み切りました。
安倍元首相は「台湾有事は日本有事」と発言しているので、日本が中国と台湾の戦争に介入するということがあるかもしれません。
そうなると、外国から侵略される理由ができてしまいます。

他国の戦争に首を突っ込むほど愚かなことはありません。

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戦争に“大本営発表”はつきものです。

ウクライナのゼレンスキー大統領は3月3日の動画において、ロシア兵9000人近くを殺害したと主張しました。
一方、ロシア国防省は2日、ロシア軍で498人の死者が出ていると発表しました。
極端な数字の違いがあるのは、双方が“大本営発表”をしているからです。
中立的な情報を探してみましたが、見当たりません。
ただ、次の記事が参考になるかもしれません。

429対156…侵攻7日目「ロシアの被害がウクライナより多い」
開戦7日目を迎えるウクライナ・ロシア戦争でロシアの被害がはるかに多いという集計結果が出てきた。

民間軍事専門サイトのオリックスによると、2日現在の武器・車両・装備などロシア軍の物的被害は429台と集計された。一方、ウクライナ軍は156台だった。

オリックスはソーシャルメディアなどに出てきた写真を集計してこのような数値を出した。破壊の程度で破壊と損傷に分け、装備を遺棄したか敵が奪い取ったかも区別した。
(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/87d367a0af587e5c61473e028baf254d68e4c7e7

ロシア軍の損害が多いといってもウクライナ軍の3倍ぐらいです。
ゼレンスキー大統領の言うロシア兵9000人殺害は、どう見ても過大です。


ウクライナ非常事態庁は、ロシアの攻撃により民間人2000人以上が死亡したと発表しています。
日本のテレビも、市街地や政府庁舎にミサイルが着弾するシーンや破壊された建物を繰り返し映して、民間の被害を強調しています。
ブリンケン米国務長官も6日、CNNの番組において、ロシア軍がウクライナの民間人を意図的に攻撃しているとの「極めて信頼できる報告」を米国が確認していると述べました。

ところが、国連人権高等弁務官事務所が3月2日に発表したところによると、情報収集が遅れているので実数はこれより多いという但し書きつきですが、ロシアがウクライナに侵攻を開始した2月24日から今月1日までに子ども15人を含む民間人227人が死亡、525人が負傷したということです。
その2日前の国連のグリフィス人道問題担当事務次長・緊急援助調整官の発表では、民間人の死傷者406人、うち死者は106人だったということです。

国連の発表が実態に近いのではないでしょうか。

ウクライナもロシアも“大本営発表”をしていますが、日本のメディアは中立ではなく、ウクライナ側に立って報道しています。
ゼレンスキー大統領を「英雄」のように持ち上げる報道も目立ちます。
戦争が始まるまでウクライナの世論調査で彼の支持率は20%程度だったのですが。


この戦争はロシアのウクライナに対する一方的な侵攻で始まったので、ロシアが悪いことは明らかです。
「ロシア=悪玉」となると、そこから自動的に「ウクライナ=善玉」というふうに考える人がいます。
さらに、冷戦時代の思考を引きずって、最初からアメリカやNATO側に立って考える人もいます。日本のメディアは完全にそうです。

そういうことから、「ウクライナ=善玉、ロシア=悪玉」の報道一色になっています。

これは愚かなやり方です。
戦争当事者の一方に肩入れすると、戦争の火に油を注ぐことになりかねません。



「善悪ではなく戦争反対の立場からロシアを非難しているのだ」という人もいるでしょう。
「戦争反対」の声を上げるのは正しいことです。
しかし、「戦争反対」の声を上げるべきはウクライナ問題だけではありません。

テレビがウクライナの都市にミサイルが着弾して爆発するシーンを映しているのを見ると、私はイラク戦争のときのバクダッドの光景を思い出します。
当時、CNNなどの取材陣がバクダッドのホテルにいて、アメリカの巡航ミサイルや空爆によるすさまじい爆発シーンをテレビは映し出していました。
当時のラムズフェルド国防長官はこれを「衝撃と恐怖作戦」と得意げに名づけていました。

アメリカはイラクにかいらい政権を樹立し、サダム・フセイン大統領をとらえて死刑にしました。
当時の小泉純一郎首相はいち早く「アメリカ支持」を表明しました。そして、のちにイラクのサマワに自衛隊を派遣しました。
日本人にはアメリカに反対する人もいましたが、日本全体としてはアメリカ支持と見なされてもしかたありませんでした。
世界の多くの国もそういう感じでした。

イラク戦争は、国連による根拠なしにアメリカが単独で始めた戦争です。今回のロシアによるウクライナ侵攻と基本的に同じです。
アメリカはイラクが大量破壊兵器を隠し持っているということを理由に戦争を始めましたが、結局大量破壊兵器はありませんでした。アメリカは開戦の理由にするために情報を捏造していたことが明らかになりました。

トランプ前大統領は、中国は新型コロナウイルスで世界に損害を与えたとして巨額の損害賠償を要求すると息巻いていましたが、ウイルスは自然界のものです。
アメリカがイラクに損害を与えたのは人為で、しかも故意ですから、こちらは巨額の損害賠償を要求されて当然です。
しかし、アメリカは損害賠償はもちろん、とくに謝罪もしていません。

アフガニスタン戦争もアメリカが単独で始めて、かいらい政権を樹立したということではイラク戦争と同じです。
NATO諸国の多くはイラクとアフガニスタンに軍を派遣して、アメリカの占領に協力しました。


プーチン大統領はイラク戦争とアフガニスタン戦争と同じことをしただけです。
アメリカが許されているなら自分も許されると考えたのでしょう。
ロシアのメディアはウクライナがひそかに核兵器開発をしているとか、放射性物質を拡散するいわゆる「汚い爆弾」を製造していると主張していますが、開戦理由を捏造するのも真似しているのかもしれません。

それから、プーチン大統領はNATOがどんどん東方に拡大してくるのを見て、自分もサダム・フセインと同じ運命をたどるのではないかという恐怖を感じて、それもウクライナ侵攻の動機になったかもしれません。

今、ロシアを非難している人たちが、アフガン戦争とイラク戦争のときも同じくらいの熱量でアメリカ非難をしていれば、今回のロシアによるウクライナ侵攻はなかったかもしれません。

「ロシアの戦争には反対し、アメリカの戦争には賛成か容認をする」というダブルスタンダードが世界を不安定にし、戦争の原因をつくっているのです。



今後のベストシナリオを想定すると、ウクライナの抵抗で戦争が長引き、ロシアは人的、経済的な痛手をこうむり、国民の反戦、反プーチンの声が高まり、プーチンの側近が離反し、ロシア軍兵士が第一次世界大戦のときのように反乱を起こし、ロシア軍が撤退して戦争が終わるというものです。
こうなれば世界の人たちは戦争が不利益しか生まないということを理解して、今後戦争をしなくなるに違いありません(ほんとうはアメリカがアフガンとイラクで失敗したのを見てそうなるはずでしたが、プーチンだけは理解していなかったのです)。

しかし、今は間違った動きもあります。国際パラリンピック委員会や国際スケート連盟がロシア人選手の出場禁止を決めました。これに対してロシアのパラリンピック選手が「ロシア敵視だ」と反発し、フィギュアスケート金メダリストであるエフゲニー・プルシェンコ氏は「人種差別をやめろ」と主張しました。
悪いのはプーチン氏であってロシア国民ではありません。
こんなやり方ではロシア国民がプーチン氏のもとで結束してしまいます。

ロシア国民に対しては、ともに戦争反対に立ち上がるように呼びかけるのが正しいやり方です。

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