村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 戦争・テロ・平和

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アメリカは8月末にアフガニスタンから米軍を完全撤退させ、イラクでは、完全撤退とはいきませんが、米軍の戦闘任務を年内に終了させる予定です。
アメリカが中東から手を引く理由は簡単です。失うばかりで、得るものがなにもないからです。

米ブラウン大学の「戦争のコストプロジェクト(Costs of War Project)」によると、アメリカがアフガニスタン戦争にかけた費用は総額2兆2600億ドル(約247兆円)であり、また、9.11テロ以降の20年にわたる一連の対テロ戦争の費用は8兆ドル(約880兆円)にのぼるということです(米軍の人的損失については「アフガン戦争の死者を数える意味」に書きました)。

これだけの費用をかけて、なにが得られたでしょうか。
アルカイダやISIL(イスラム国)の勢力をそいだかもしれませんが、そもそもISILはアメリカが対テロ戦争を始めてからイラクの中で生まれたものです。

昔はアメリカが中東に関与するのは石油のためだと言われましたが、現在はアメリカでシェールオイルの開発が進んだので、中東の石油にこだわる必要はほとんどありません。


昔、戦争は勝てばもうかるものでした。
人類は狩猟採集時代にはほとんど戦争をしませんでしたが、農耕時代とともに戦争がよく行われるようになりました。
なぜ農耕社会に戦争が多いかというと、土地所有による土地争いの発生、人口増による飢饉の深刻化、集団の組織化、宗教の影響などが挙げられますが、単純に言って、収穫期に戦争を仕掛ければ数か月分の労働の成果を1日でごっそりと奪うことができるからでしょう。そのため環濠集落がつくられるようになります。
文明が進むにつれて戦争に勝ったときの利益も増大し、領土、財産、奴隷などを獲得することができました。
ローマ帝国、モンゴル帝国のように戦争の強い国は、勝つ限りどこまでも戦争を続けました。
近代の植民地主義の時代も同じです。近代国家が非近代国家と戦争するとほとんど必ず勝つことができました。

勝つともうかるということは、どの国や集団も勝つ機会をねらっているということですから、どの国や集団もつねに防衛戦争に備えていました。


第二次世界大戦後、国連憲章で戦争はほぼ禁止されました。
「ほぼ」というのは、自衛戦争は禁止されていないという説があり、集団的自衛権という概念でさらに自衛戦争の範囲が拡張されたからです。
しかし、戦争で領土や賠償金などを得ることは禁止されましたから、戦争は勝ってももうかるものではなくなりました。
ということは、戦争する最大の理由がなくなったことになります。
そのため、国家対国家の戦争はひじょうに少なくなりました。


アメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争という大きな戦争をしましたが、人的にも金銭的にも大きな損失を出し、得るものはなにもありませんでした。
朝鮮戦争は引き分けでしたが、ベトナム戦争は実質的に敗北で、そのためアメリカ国内は厭戦気分が充満しました。

それを変えたのが湾岸戦争です。
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻し、占領しました。これは明らかに国連憲章に違反する戦争ですが、国連はうまく対応できず、結局アメリカが多国籍軍を組織してクウェートを解放し、さらにイラクに攻め込み、占領はせずに引き上げました。
アメリカはこの戦争に611億ドルを費やしましたが、 約520億ドルは他の諸国より支払われました(日本の負担は130億ドル)。
つまりアメリカにとってはかなり安上がりの戦争で、しかもアメリカが「正義」を掲げて多国籍軍の指揮をしたことでアメリカ国民の自尊心も高揚しました。

これによってベトナム戦争以来の厭戦気分は払拭され、アメリカはアフガン戦争、イラク戦争へと突き進んでいったわけです。

アフガン戦争もイラク戦争も、アメリカは負けたわけではありません。軍事的には勝ったとも言えます。
しかし、損得で言うと、なんの得もなく、大損でした。
アメリカ国内が再び厭戦気分で満たされたのは当然です。


世界はアメリカのやることを見ていて、現代の戦争は勝っても大損だということを改めて認識しました。
そうすると、理性的な判断で戦争を仕掛ける国はないはずです。
戦争があるとすれば、狂気の判断による戦争か、偶発的な戦争だけです。
偶発的な戦争は、双方に理性があれば、戦争を継続すれば損をすることがわかっているので、すぐにやむはずです。

国際連合広報センターの「紛争と暴力の新時代」というページから、最近の戦争とテロの動向に関する部分を引用します。
75年前に国連が創設されてから、紛争と暴力の性質は大きく変わっています。紛争は犠牲者こそ少なくなっているものの、長引く傾向にあり、しかも国家間ではなく、国内の集団間で発生することのほうが多くなっています。
   ※
世界的に見ると、戦死者の絶対数は1946年以来、減少を続けています。しかし同時にまた、紛争や暴力は現在、増加傾向にあり、大半の紛争は政治的民兵や犯罪集団、国際テロ集団など非国家主体の間で生じています。
   ※
現在では、武力紛争よりも犯罪が多くの人の命を奪っています。2017年には、全世界で50万人近くが殺人によって命を失っていますが、これは武力紛争による死者8万9,000人とテロ攻撃による死者1万9,000人を大きく上回る数字です。
   ※
テロは依然として幅広く見られるものの、その影響は近年、衰えてきています。全世界でテロ攻撃よるものと見られる死者の数は、2018年に3年連続で減少し、1万9,000人を下回っています。

国家対国家の戦争がほとんどなくなっていることがわかります。

そうすると各国は軍備を削減し、軍事費を減らしていいはずです。
しかし、英シンクタンク「国際戦略研究所(IISS)」の発表によると、2020年の世界の軍事費は過去最高水準に達しました。
つまり「戦争の危機は減少しているのに軍事費は増大している」という現象が起きているのです。
どうしてでしょうか。

理由はいくつか考えられます。
アメリカに限らずどの国にも軍産複合体があって、軍事費を削減されると困る人たちがいます。
政治家は戦争の危機があるとみずからの権力が強まるので危機をあおろうとする傾向があります。
マスコミもみずからの利益につながるので危機をあおろうとする傾向があります。
そして、人間には「世界はどんどん悪くなっている」と思い込む認知バイアスがあります(『ファクトフルネス』の著者ハンス・ロスリングはこれを「ネガティブ本能」と名づけています)。

ともかく、戦争の危機は減少しているのに、そのことが認識されず、さらに危機感をあおろうとする人がいるので、おかしな現象が起きているのです。


フランス海軍のフリゲート艦シュルクーフは5月に沖縄周辺で自衛隊とともに洋上補給訓練を実施しました。
イギリス海軍の最新鋭空母クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群が極東に派遣され、9月初めに横須賀などに寄港しました。
ドイツ海軍のフリゲート艦バイエルンは自衛隊と共同訓練をするため11月ごろ東京に入港する見通しだそうです。

どうしてヨーロッパの海軍が極東に来るのでしょうか。
表向きは「中国をけん制するため」ですが、要するにどこの国の軍隊も存在価値が問われているので、リストラされないように「仕事するふり」をしているのです。

自衛隊も同じです。
ここ数年、自衛隊は離島奪回訓練をしきりにアピールしています。
「本土防衛」がまったく現実的でなくなって、自衛隊の存在価値が問われているので、これも「仕事するふり」です。
敵基地攻撃論議も同じ意味です。

米インド太平洋軍のデービッドソン司令官は3月9日、米上院軍事委員会の公聴会で「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と証言して、“台湾危機”を盛り上げました。こうした動きも、アメリカの軍事費を削減されないためです。中国が台湾に侵攻したときの利害得失を考えてみれば、まったく現実的でないことがわかります。

防衛省は8月31日、2022年度予算の概算要求で5兆4797億円(21年度当初予算比で2.6%増)を計上しました。要求通りとなれば防衛費は過去最大となります。
自民党総裁選に立候補中の4氏も防衛費増で一致しています。

防衛費はまったくむだではありませんが、戦争の可能性が低くなると、限りなくむだに近づきます。
多額の防衛費は、千年に一度の洪水に備えて堤防をつくるみたいなものです。
あるいは家計が赤字なのに高額な生命保険に加入するみたいなものです。
日本が財政破綻してIMFの管理下に入ると国家主権が制限されます。防衛費のために財政破綻しては本末転倒です。


「世界はどんどん悪くなっている」という認知バイアスを脱して、現実的で冷静な防衛論議をしなければなりません。

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9.11テロから20年がたち、アフガニスタン戦争が終結したこともあって、現在さまざまな論考が行われていますが、あまりにも見方が偏っています。

たとえばタリバン政権が成立したアフガン情勢の報道は、女性キャスターが追放されたとか、デモ隊にタリバン兵が発砲して死者が出たとか、暫定政権の主要閣僚はタリバンの男性ばかりで「包括的」でなく、米政府がテロリスト認定して指名手配した人間も含まれているとか、女子教育が制限されるのではないかとか、否定的なことばかりです。

実際は、肯定的なこともあるはずです。
なによりも内戦が終わり平和になりました(反タリバン武装勢力は北東部パンジシール州で最後の抵抗をしていましたが、ほぼ制圧された模様です)。
自爆テロに巻き込まれたり、米空軍の誤爆にあったりという心配がなくなったことは、アフガン国民にとって大きなプラスです。すべてのマイナスを打ち消して余りあるのではないでしょうか。
また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は8月27日、2021年末までに最大50万人が難民として国を離れる可能性があると発表しましたが、今のところ難民の流出はとくになさそうです。


どうしてマスコミはタリバン政権に否定的なのでしょうか。

私は第一次タリバン政権が成立したころのことをよく覚えています。
アフガン情勢など新聞の国際面にもめったに出ませんが、タリバンという「謎の勢力」が現れ、急速に勢力を伸ばしているという小さな記事が目につきました。
当時、アフガンは1989年にソ連軍が撤退してから各地に軍閥が群雄割拠する内戦状態にありました。1994年ごろからタリバンが現れ、たちまち支配地域を広げ、1996年にカブールを占領して政権を樹立したのです。
タリバンはパキスタンの支援を受けているという説もありました。「タリバン」というのは「神学生」という意味で、戒律を厳格に守り、腐敗したほかの勢力とは一線を画していて、それが民衆の支持を得たといわれていました。
私自身は、日本の戦国時代に織田信長が現れて天下統一したみたいなものかと思っていました。
タリバンは原理主義的で、過激でしたが、戦乱の中ではいちばん過激なものが勝ち抜けるものです(織田信長もそうです)。

ともかく、タリバンが天下統一し、まだ地方には軍閥が残っていましたが、1979年にソ連軍が侵攻してから20年ほど続いた内戦がようやく終結し、アフガンに平和が訪れました。

タリバン政権はイスラム原理主義とされ、国際社会から警戒されました。
バーミヤンの石仏を破壊したときは世界的に非難されましたが、そのときタリバン政権の広報官が「アフガン人がいくら死んでもなんの関心も示さなかった国際社会が、石仏が壊れただけで大騒ぎするのには驚いた」という意味の発言をしたのは、なかなか辛辣な指摘で、記憶に残っています。

タリバン政権が過激なのは内戦が20年も続いたからで、しばらく平和が続けば、だんだんと穏健になっていくだろうと私は思っていました。


ところが、アメリカが2001年にアフガンに侵攻し、平和は破壊されました。
9.11テロの首謀者とされたオサマ・ビンラディンをタリバン政権がかくまったというのが侵攻の理由ですが、そこからまたもや20年も内戦が続いたわけです。

アメリカはタリバン政権を倒して、新たな政権をつくりましたが、これは明らかな「武力による現状変更」ですから、タリバン政権のほうに正統性があります。
アメリカは「民主的」な政権をつくったと言いますが、選挙からタリバンは排除されていましたから、「民主的」とはいえないでしょう。
米軍撤退とほとんど同時にタリバン政権が復活したのは、国民もタリバンを支持していたからです。


タリバンは女性の権利を認めないので、アメリカがタリバン政権を倒したのは正しいし、撤退もするべきでなかったという意見があります。
女性の権利はたいせつですが、権利意識は国によって違うものです。

ヤフーニュースの『「タリバンは残虐なテロリスト」って本当? 現場を知るNGOスタッフの答え』という記事から一部を引用します。

長谷部:まずは、私の体験からお話しますね。2005~2012年に私が支援活動をしていたのは、カブールから東に約150km離れた、ジャララバードを中心とする「ナンガルハル州」というところでした。そこでは、その当時でも成人の女性がひとりで街や村の外を歩くということはなく、家族とともに外出している女性はブルカを着用していました。
 家に招かれた客人は、「ゲストルーム」という離れの一室ですごすことになっていて、家の女性とは一切会うことはありません。例外は長老の許可があったときだけ。そのときだけ、地域の女性と会うことができました。

西牟田:アメリカが統治していた時代でも、地方はそんな感じだったのですね。タリバンが統治していた1998年、私がジャララバードへ行ったときと大差がない。一方、カブールは違っていそうですね。私が行ったときは、地元の女性は全員がブルカを着けていました。仕事が一切できないからか、バスターミナルにブルカ姿の物乞いがかなりいました。

長谷部:私がいたころはカブールに出ると、頭にヘジャブを巻いて顔を出して独りで歩いている女性がたまにいたりして。カブールのような都会と私が活動していた田舎ではずいぶん違うので、めまいがしそうなくらいでした。

西牟田:カブールでアメリカナイズされた人たちや外国人と、それ以外の地方の人とでは文化がまったく違うし、捉え方も違うのですね。

「女性の権利」というような価値観は、外国が力で押しつけるものではありません。
日本も、男尊女卑の自民党が政権の座にありますが、日本国民が解決するべき問題です。

民主主義についても同じです。
アフガンは、一部の都市を除いてほとんどは部族社会です。
「部族社会における民主主義」というのは想像できません。長老の意見に従うのが当然と思っている人たちに一人一票の投票権を与えても意味がなく、長老会議で物事を決めたほうが効率的です。

人権や民主主義が価値あるものなら、いずれ人々はそのことに気づくはずで、力で強要するのは間違いです。


アメリカの愚かな間違いがもたらした結果は重大です。
人的被害だけに関しても、ウィキペディアの「アフガニスタン紛争 (2001年-)」にはこう書かれています。

ブラウン大学の「コスト・オブ・ウォー」プロジェクトによると、2021年4月時点で、アフガニスタンでの死者は17万1,000〜17万4,000人、アフガン民間人が4万7,245人、アフガン軍・警察が6万6,000〜6万9,000人、反対派の戦闘員が少なくとも5万1,000人となっている。


アメリカ側の人的被害はというと、8月19日時点で、米軍の死者数は2452人、イギリス、カナダ、ドイツなどNATO加盟国の死者を含めると3596人になります。
9.11テロの死者数は2977人です。


現在、アフガン戦争と対テロ戦争についての反省点がいろいろ議論されていますが、どれもアメリカ側に立ったものです。
たとえば、9.11テロ後のアフガン戦争とイラク戦争などでの米軍の戦死者は7000人超ですが、自殺者は3万人超になるということで、帰還兵の傷ついた心理に焦点を当てたルポルタージュがいくつも目につきます。これらは戦争の悲惨さを伝えているようです。
しかし、17万人超のアフガン人の死者は無視されています。

マスコミは、アフガン人に17万人超の死者が出たということすらまず報道しません。
米兵の死者数や9.11テロの死者数は報道します。
アフガン人とアメリカ人の命に軽重をつけているのです。
米空軍が民間人の誤爆を繰り返したのも、アフガン人の命を軽く見ているからです。
おそらくはイスラム教徒への差別と人種差別によるものです。

アメリカの侵攻と占領のせいで、アフガンは17万人超の死者を出しただけでなく、国土が荒廃し、経済が停滞しました。
私が思うに、アフガン政府はアメリカ政府に対して損害賠償を請求していいはずです。
トランプ前大統領は、新型コロナウイルスを流出させたとして中国政府に多額の賠償金を求めると息巻いていましたが、ウイルスは自然界のもので、アメリカのアフガン侵攻は意図的行為ですから、こちらのほうが罪が大きいのは明らかです。
実際はアメリカが賠償金を払うことはないでしょうが、アメリカの「戦争責任」を追及する議論は行われるべきです。

それから、戦争が終われば「戦後復興」ということになり、国際社会はアフガンの戦後復興に手を差し伸べなければなりません。
ところが、そういう議論がまったく起きていません。
タリバン政権にけちばかりつけているのは、戦後復興に金を出したくないからでしょうか。


世の中にはさまざまな価値観があって、それが偏見を生みます。
偏見を脱するために、間違った価値観と格闘するのはなかなかたいへんです。
それよりも簡単な手があります。
それは、死者の数(命の数)を数えることです。
死者の数の多いほうが悲惨な目にあっていて、おそらくそこに差別すなわち偏見があります。

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アフガニスタンから米軍が撤退し、タリバン政権が復活する過程を見ていると、報道があまりにもアメリカ寄りなのにあきれます。

報道や論評の中で「民族自決(権)」という言葉を見たことがありません。
2001年に米軍がアフガンに侵攻し、タリバン政権を崩壊させ、カルザイ政権を成立させたのは、明白な民族自決権の侵害です。
したがって、米軍撤退とともにタリバン政権が復活したのは、本来の姿に戻ったことになります。
アメリカが20年にわたって多額の戦費を使い、約2500人の人的損害を出しながら、なにひとつ得るものがなかったのも、民族自決権を侵害した当然の報いです。

もっとも、アメリカがアフガンに侵攻したのは、9.11テロで痛手をこうむって、なにかの報復をしないではいられないという国民感情があるところに、タリバン政権が9.11テロの首謀者とされたオサマ・ビンラディンをかくまったので、タリバン政権が格好の標的になったからです。

世界もテロ被害にあったアメリカに同情していたので、民族自決権の侵害には目をつむったところがあります。
しかし、民族自決権の尊重は国際社会の大原則です。
大原則を破ったため、アメリカ人もアフガニスタン人も大損害をこうむりました。


それから、宗教に関する報道がほぼ皆無なのにも驚きます。
そもそもこれはキリスト教国であるアメリカがイスラム教国であるアフガニスタンを侵略し、支配したという出来事です。
2001年から2014年までアメリカとともにアフガンに駐留した国際治安支援部隊には43か国が参加しましたが、そのうちイスラム教国と見なせるのはトルコとアラブ首長国連邦だけです。
キリスト教とイスラム教の対立は根深いにもかかわらず、宗教対立という観点からの報道や論評を見たことがありません。

アメリカがアフガンに侵攻したとき、十字軍的意識がなかったとはいえないでしょう。
侵攻後、ビンラディンの捜索をまともにやろうとしなかったのは、ビンラディン逮捕は単なる侵攻の名目だったからではないでしょうか(ビンラディンは2011年に米軍特殊部隊が殺害)。
アメリカが2003年にイラクに侵攻したときも、イラクが大量破壊兵器を所有し、アルカイダと連携しているという理由がつけられましたが、どちらもアメリカのでっち上げでした。

つまりアフガン戦争もイラク戦争も、アメリカの侵攻の理由はいい加減です。
ということは、アメリカの侵攻の真の理由は、キリスト教国であるアメリカがイスラム教国を打ち負かし、支配するという十字軍意識によるものではないかということになります。
ただ、これについてはアメリカ人自身も半ば無意識かもしれません。
しかし、アフガン人やイラク人は意識しています。そのためにアフガン統治もイラク統治もうまくいきません。
米軍撤退とともに、あっという間にアフガン政府が崩壊したのも当然です。

しかし、ほとんどのマスメディアは、こうした宗教問題も民族自決権のことも取り上げないので、なぜアフガン政府があっという間に崩壊したのかさっぱりわかりません。


「かいらい政権」という言葉もメディアは使いません。
アメリカに忖度しすぎでしょう。

現在、アフガンから海外逃亡を目指す人が空港に押し寄せて混乱が起きていますが、今のところ混乱は限定的です(南ベトナム政権が崩壊したときはインドシナ三国から144万人の難民が出たとされ、一部はボートピープルになりました)。
かいらい政権が倒れるときはいつも起こることであり、フランスがナチスドイツから解放されたときはナチス協力者がひどい迫害を受けました。


新たなタリバン政権は、女子教育を認めないのではないかと懸念されています。
しかし、多くのイスラム教国ではイスラム法を理由に性差別政策を行っています。
サウジアラビアでは、女性は外出時はアバヤという顔をおおう服を義務づけられ、就労もきわめて制限され、自動車の運転はやっと最近認められてニュースになりました。それに、国王がすべてを支配する絶対君主制の国です。
しかし、サウジアラビアは親米国なので、こうしたことはあまり問題にされず、タリバン政権のことばかり問題にされます。

今後、タリバン政権が女子教育や女性就労の禁止などを行うとすれば、大いに問題ですが、これはアフガン国民が解決するべき問題です。外国が武力でなんとかする問題ではありません(タリバンが過激なイスラム原理主義になったのにもそれなりの理由があり、時間をかければ解決可能です)。



アメリカではアフガン政権崩壊を見て、米軍撤退が性急すぎたのではないかとバイデン政権への批判が起きています。
しかし、これは米軍撤退が早いか遅いかの問題ではなく、米軍が撤退するとすぐに崩壊するような政権しかつくれなかったという問題ですから、バイデン政権を批判しても始まりません。
アメリカ人自身もなにもわかっていないようです。

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またしてもバイトテロ騒動です。

「カレーハウスCoCo壱番屋」の福岡県内の店舗で若い男性店員が愚かな行為をする動画がインスタグラムに投稿され、それが拡散して炎上し、CoCo壱番屋の本社が公式サイトで謝罪するはめになりました。
どういう愚かな行為をしたかというと、ヤフーニュースに載った記事から引用します。
 12日には福岡県内の「カレーハウスCoCo壱番屋」の店舗内の休憩室で、男性店員がまかないのカレーを不衛生に扱う様子をバイト仲間が撮影。それがツイッターに流出し、大騒ぎになっている。

 問題の動画は、店員が黄色の半ズボンの中に左手を突っ込んでいる場面から始まる。まかないのカレーを食べていた撮影者が「何してるんですか?」と声を掛けると、店員は再びズボンの中に手を入れて何かを引っこ抜き、カレーの上に放り投げた。店員は「スパイスを振りかけました」とおどけ、「スパイス、スパイス」と口ずさみながら踊り出す。カメラがアップで捉えたカレーライスの上には、黒い陰毛らしきものがのっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2bcc104760bf65a5e2e786d2f820fd56b38a0fbd

先ほど「バイトテロ」という言葉を使いましたが、「テロ」はおそろしい犯罪です。果たしてこれはおそろしい犯罪でしょうか。

記事に「まかないのカレー」という言葉があるように、お客さんに出すカレーではありません。動画を見ると、食べ残しの皿であるようです。つまりこれから捨てる残飯の上に陰毛を載せたということです。
食べ物の上に陰毛を載せるという行為は、感覚的に不快ですが、実害はありません。残飯を捨てて、手を洗えば、不衛生なこともありません。

無意味で、バカらしいことではありますが、若者にはありがちなことです。


この動画はインスタグラムに、フォロワー以外は見ることができない「鍵付きアカウント」として、しかも24時間で消える「ストーリー」として投稿されました。つまり非公開で、すぐに消えるものでした。仲間内だけで見るつもりだったと思われます。
しかし、フォロワーの中に、これを公開してやろうという人がいたのでしょう。ツイッターに動画がアップされ、拡散し、炎上したわけです。

この動画が拡散することはCoCo壱番屋にとってはイメージダウンです。
そのため、その行為をして最初の動画をアップしたバイト店員が「バイトテロ」として非難されていますが、実はイメージダウンを招いたのは、動画を拡散させた人たちです。

拡散させた人たちは、正義のつもりでバイト店員を攻撃したのかもしれません。しかし、バイト店員は仲間内で悪ふざけをしただけで、放っておけばなんの問題もありませんでした。
バイト店員への攻撃は、人を不幸にしてやろうという悪意に基づくものです。
しかも、その行為はCoCo壱番屋のイメージダウンになります。
CoCo壱番屋のような大企業を困らせることを楽しんでいる可能性がありますし、そうでなくても、CoCo壱番屋に対する配慮がないのは明らかです。

このケースは、非公開のものを最初に公開した人間がいちばん悪く、それを拡散させた人間が次に悪いわけです。
6月15日のフジテレビ系「バイキングMORE」を見ていたら、弁護士も「“鍵垢”での公開のものを一般に公開した人が業務妨害罪に当たる可能性が高い」と指摘していました。
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ところが、MCの坂上忍氏やブラックマヨネーズなどのコメンテーターはこの指摘に納得せず、バイト店員がいちばん悪いと主張していました。
世の中にもそういう認識の人が多いのではないでしょうか。

そうした間違った認識が生まれるのは、「バイトテロ」という言葉も原因です。
この言葉をつくったのは、ネットで拡散させている人たち、つまり悪い人たちです。
悪い人たちがつくった言葉が間違ったものであるのは当然です。

これまで「バイトテロ」と呼ばれる出来事は数々ありましたが、そのほとんどはスルーしておけばなんの問題もないことでした。
最初に騒がれた事件は、ローソンの店舗でアイスクリームなどを入れる冷凍ケースの中で男性が寝そべった写真が拡散したことです。これは不衛生だと非難されましたが、アイスクリームなどは包装されているので、それほどのことはなかったでしょう。
バーガーキングの店舗では、床の上の大量のバンズの上に店員が寝転がっている写真が拡散しましたが、バンズは誤発注のために廃棄する予定のものでした。
ほっともっとの店舗では、冷蔵庫に入った店員の写真が「今日暑くね?」というコメントとともにツイッターに投稿されました。

確かに愚かな行為ではあります。

「バカッター」という言葉があります。ツイッター上でバカな行為をさらす人のことです。これは割と適切なネーミングかと思います。
「バイトテロ」も同じような行為を指す言葉ですが、「バカな行為」と「テロ行為」は根本的に違います。

「バイトテロ」は企業に大きな損害をもたらす場合がありますが、これはバイト店員のせいではなく、拡散させ炎上させた人たちのせいです。
ですから、これは「炎上テロ」と呼ぶのが正解です。

炎上させる人間は、バイト店員を不幸にし、企業に損害を与えることを意図しているので、悪質です。


若者は、悪ふざけなどさまざまな愚かな行為をおもしろがってするものです。
それによって経験値を上げ、そこから創造的な発想が生まれることもあります。

最近の日本は、赤ん坊の泣き声がうるさいとか、公園で子どもの遊ぶ声がうるさいというように、子どもに不寛容な社会になっていますが、若者の愚行を「バイトテロ」と呼んで攻撃するのもその流れです。

CoCo壱番屋のバイト店員は身元が特定され、巨額の損害賠償請求される可能性があるといったネット記事を見かけます。
こうしたことがあると、若者は無難なことしかしなくなります。

元気な若者がいない社会に未来はありません。

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広島、長崎の被爆者の体験談を読むと、瀕死の重傷者から「水を飲ませてくれ」と訴えられたが、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」と言われていたので飲ませなかったという話がよく出てきます。
同様の話は各地の空襲被災者や戦場での兵士の体験談にもあります(ただ、被爆者の体験談にひじょうに多いので、火傷と喉の渇きは関連しているのかもしれません)。

しかし、そうした体験をした人はたいてい、死ぬ間際の人の最後の訴えを聞き入れなかったことをずっと悔やみ続けています。


私はこうした話を読んだり聞いたりするたびに、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」というのを疑問に思ってきました。
というのは、進化論的にありえないと思うからです。

もしけがをした動物が水を飲むと死ぬ確率が高くなるなら、「けがしたときに水を欲する性質」を持った個体は死ぬ確率が高く、その性質は淘汰されて消えていきます。
「けがしたときに水を欲する性質」が広く人類に存在するなら、それは生存に有利な性質だからと推測できます。

たとえば、火傷した人は体温が高くなっているので、水を飲むのは体を冷やすことにもなります。
出血している人は、水を飲んで血液を薄めることで、流出する血液成分を少なくすることができます。
あるいは、出血で体の体積が急に縮小して体のバランスが崩れるので、水を飲むことでバランスを回復するということもあるかもしれません。

水を飲むマイナスも考えられます。
たとえば、胃腸が傷を負っているとき、水を飲むと胃腸が反応して動くので傷が拡大するということはありそうです。
しかし、考えられるマイナスはそれぐらいではないでしょうか。

生死の瀬戸際で強い生理的欲求が起こったら、それは生存に必要なことに違いなく、その欲求を満たすと死んでしまうというのはとうていありえないことに思えます。


私の考えに医学的根拠はありませんが、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」ということにもまったく医学的根拠はありません。
俗説というべきものです。
よくコントで、冬山で遭難したときに「眠るんじゃない。眠ると死ぬぞ」と言うのがありますが、それと同じです。


そうしたところ「KESARI/ケサリ 21人の勇者たち」というインド映画を観ていたら、戦場の負傷者がみな水を欲するということが出てきたのですが、そのとらえ方が日本とまったく違っていたので驚きました。




1897年、インド北部のサラガリ砦で21人のシク教徒の守備兵が1万人のアフガニスタンの部族の軍勢と戦ったという史実に基づく映画で、インドでは大ヒットしたそうです。
ジャンプしながら銃を撃つ過剰なアクションや、一か所だけですが歌と踊りのシーンもあり、お決まりの英雄的な戦いを描いていますが、インド映画らしい勢いがあって、154分が苦にならずに観られました。


砦にパシュトゥン人の料理係がいて、砦が包囲されていざ戦いになるというとき、彼は自分も銃を持って戦いたいと指揮官に申し出ます。
すると指揮官は、お前は銃を持つのではなく敵兵も含めて負傷兵に水を飲ませる役目をしろと言います。
「救助ではなく敵を倒したい」と料理係が言うと、指揮官は「倒れた兵は喉の乾いた人間だ。アナンドプル・サーヒブの戦いでムガルの負傷兵にシクの偉人は水をやった」と言います。「敵に塩を贈る」みたいな話がインドにもあったようです。
そして、「水を飲ませれば敵意が消える」と言うのですが、実際に倒れた敵兵に水を飲ませたとき、敵意が消えたか否かは物語のひとつのポイントです。
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インドでも戦場で倒れた兵は水をほしがるという認識があるようですし、アフガニスタンでも同じ認識がありそうです。
そして、倒れた兵に水を与えることは救助活動と認識されています。

ここは日本とまったく違います。
どう考えても、インドのほうがまともで、日本のほうが異常です。


どうして日本で「重傷者に水を飲ませると死ぬので飲ませてはいけない」という認識が生まれたかというと、おそらく日本軍がその認識を広めたからでしょう。

昔、学校の運動部では「練習中は水を飲んではいけない」というルールがあり、炎天下で水を飲まずに何時間も練習するという無茶が行われていましたが、こうした習慣は、日本軍で少ない補給に耐えるために水飲みを制限する訓練が行われていて、それが学校運動部にも広がってできたのです。

日本軍では喉の渇きをがまんするというのが常態化していたので、負傷者が水をほしがってもがまんさせることにあまり抵抗はなかったでしょう。
さらに、助からない人間に水を飲ませるのはむだなので飲ませるなということにもなったでしょう。
その際、「水を飲ませると死ぬから飲ませるな」という理由づけが行われたということはじゅうぶんに考えられます。
そして、そうした日本軍の考え方が一般社会にも伝わって、原爆投下のとき瀕死の人の訴えを無視するということが行われたのではないでしょうか。

「重傷者に水を飲ませると死ぬ」という医学的根拠のまったくないことが広く信じられた理由としては、こうしたこと以外には考えられません。


救急救命法について調べても、「水を飲ますな」ということは出てきません。
戦時中に信じられていた「重傷者に水を飲ませると死ぬ」というのは、日本軍から広まったデマや迷信のたぐいだと断定してもよさそうです。

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ヨーロッパに発した近代文明は、世界中に人種差別と植民地支配と奴隷制と戦争による悲惨をもたらしましたが、ヨーロッパ自身は植民地支配と奴隷制によって潤いました。
その後、ヨーロッパは植民地支配と奴隷制を放棄しましたが、いまだに反省も謝罪もしていません。植民地支配によって野蛮人を文明化してやったという認識でしょう(日本が韓国や中国と歴史認識でもめるのは、ここに根本原因があります)。


フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を載せたことで2015年にイスラム過激派に本社が襲撃され、12人が殺害されるという悲惨な事件がありました。

そして、今年の10月2日付の「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を再掲載し、議論を呼びました。これについてマクロン大統領は「フランスには冒涜する自由がある」と言って風刺画掲載を擁護しました。

10月16日には、表現の自由を教える題材としてムハンマドの風刺画を生徒に見せて授業をした中学教員サミュエル・パティ氏が、パリ近郊で首を切断されて殺害されるという事件が起きました。犯人はロシア国籍で18歳のチェチェン系難民の男性で、その場で警官に射殺されました。

教員殺害もシャルリー・エブド本社襲撃も絶対に許されないことです。
ムハンマドの風刺画を載せるのは「表現の自由」の範疇ではありますし、パティ氏は生徒にムハンマドの風刺画を見せることを予告して、見ない選択肢も与えたそうです。

18日にはフランス全土でパティ氏殺害に対する抗議デモが行われ、表現の自由とテロ反対を訴えました。
21日にはパティ氏の国葬が行われ、参列したマクロン大統領は「あなたが生徒たちに教えた自由をこれからも守り、政教分離を貫く。風刺画を見せる自由も諦めない」と述べました。


マクロン大統領の認識は根本的に間違っています。

これは「表現の自由」の問題ではありません。
たとえば日本にも一応「表現の自由」はありますが、誰もムハンマドを風刺しません。
シャルリー・エブドがムハンマド風刺画を掲載したのは、「表現の自由」があるからではなく、反イスラム主義の思想があるからです。
ムハンマドを風刺するのは、イスラム教徒を風刺するのとはレベルが違って、イスラムそのものへの冒涜です。

マクロン大統領としては、シャルリー・エブドの編集方針に口を出すことはできませんが、「イスラムを冒涜するのはフランス人の総意ではない」と言って、イスラム教徒の怒りをなだめることもできました。
しかし、マクロン大統領自身に反イスラム感情があるために「フランスには冒涜する自由がある」と言って、火に油を注いでしまったのです。
反イスラム感情は多くのフランス人に共通で、さらにはヨーロッパ人にも共通です。


この問題が「表現の自由」の問題でないことは、次の記事を読めばわかるでしょう。

動画拡散のモスク閉鎖へ 仏、過激派対策を強化 教員殺害テロ
フランス・パリ近郊で中学校教員サミュエル・パティさん(47)が殺害されたテロ事件を受けて、仏政府は21日、イスラム過激派対策の一環として、パリ郊外セーヌサンドニ県にあるモスクを閉鎖させる。モスクの責任者がパティさんを非難する動画をSNSで拡散させたことが理由だとしている。
仏メディアによると、モスク責任者が拡散させたのは、パティさんの中学校に通う生徒の保護者男性(48)が投稿した動画。動画では、パティさんが授業でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を題材にしたことを問題視し、パティさんの辞職を求める運動に加わるよう呼びかけ、連絡先として保護者男性の携帯電話番号を公表していた。

 仏紙パリジャンによると、警官に射殺されたアブドゥラフ・アンゾロフ容疑者(18)は事件前、保護者男性と携帯電話でメッセージをやりとりしたという。検察は21日の会見で、動画と事件には「因果関係」があると指摘し、保護者男性を拘束して調べている。

 治安を担当するダルマナン内相は20日、テレビ番組で「問題は(フランスで)今後テロが起きるかではなくて、いつ起きるかだ」と訴え、治安維持のための規制強化に国民の理解を求めていた。

 ただし、動画では暴力の行使は呼びかけておらず、AFP通信によると、モスク責任者はモスク閉鎖について「政府が強い姿勢を示して国民の動揺をやわらげる必要があるのだろう」と皮肉った。

 また、マクロン大統領は20日、イスラム過激派対策を話し合う会議に出席し、「国民は行動を求めている。(過激派対策の)行動を強化する」と強調。仏政府が今回の事件をあおったと認定する団体を解散させることを明らかにした。

 解散させる団体は、仏政府がイスラム過激派と判断するアブデラキム・セフリウィ氏(61)が代表を務める。セフリウィ氏は、パティさんがムハンマドの風刺画を題材にした授業をした後、パティさんを「悪党」と非難する動画をSNSに投稿し、殺害事件後、仏当局に拘束された。(パリ=疋田多揚)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14666871.html?pn=2

パティ氏への抗議を呼びかける動画をある保護者男性が「表現」したら、その男性は警察に拘束され、動画を拡散した人が責任者を務めるモスクは閉鎖されました。
また、パティ氏を「悪党」と非難する動画を「表現」した人物も警察に拘束され、その人物が代表を務める団体は解散させられます。

「表現の自由」がまったくダブルスタンダードになっています。
「反イスラム主義」が優先されているからです。


フランスでは公立学校や公共行事で宗教上の帰属を明示的に示す標章や服装を禁じる宗教シンボル着用禁止法が2004年に成立しました。
この法律は、公立学校にスカーフをしてくるイスラム教徒の女子生徒がかねてから問題になっていたことから制定されたもので、スカーフ禁止法ともいわれます。
そして、2010年には公立学校に限らず人目につく場所で顔をおおうスカーフや服を禁止するブルカ禁止法が成立しました。
スカーフ禁止法は十字架なども禁止するものでしたが、ブルカ禁止法はイスラム教徒を対象にしたものとしか考えられません。

フランスはファッションの本場で、ファッションショーには奇抜な服装や肌を大きく露出した服装がいっぱい出てくるのに、顔をおおうファッションを禁止するのは理屈に合いません。
イスラム教徒への憎悪が生んだ法律です。

フランス人は自分の反イスラム主義を「表現の自由」や「政教分離」を掲げて正当化しているので悪質です。


日本では、この問題でフランスを批判する人をほとんど見かけません。
日本の知識人はもっぱらヨーロッパの文化を受け売りすることで商売してきたからでしょう。

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戦後間もないころ、おばあさんが無邪気に遊んでいる小さな男の子たちを指差して「この子たちが大きくなったらまた戦争を始めるだろう」と言ったという話があります。
第一次世界大戦が終わってから21年後に第二次世界大戦が始まったのですから、そう思ってもむりはありません。

しかし、今年の8月15日で戦後75年がたち、曲りなりに日本は平和でした。
第二次世界大戦後、戦争の意味が大きく変わったからです。


松木武彦著「人はなぜ戦うのか――考古学から見た戦争」や佐原真著「戦争の考古学(佐原真の仕事4)」といった戦争考古学の本によると、人類が本格的に戦争をするようになったのは農耕社会になってからです。
その理由は、農耕社会では人口が増え不作のときの飢餓が深刻化したとか、土地争い、水争いが増えたとか、集団行動をするようになったとか、いろいろ説明されていますが、最大の理由は、食糧の備蓄量が大幅に増えたことでしょう。
狩猟採集社会では、食糧の備蓄といっても、せいぜい数日分から十数日分くらいです。
しかし、農耕社会では、収穫期には少なくとも半年間の労働の成果が蓄えられています。それを1日の戦争でごっそり奪うことができるなら、多少の危険を冒しても戦争しようという人間が出てきてもおかしくありません。
実際、農耕社会では外敵に備える環濠集落が広くつくられるようになります。
映画「七人の侍」では、収穫期になると野武士が村を襲いにくるのですが、ああいう感じだったのでしょう。

それからずっと戦争は利益のために行われてきました。
勝つと食糧、土地、財宝、女、奴隷を獲得することができます。

戦争するのは本能だと考えている人がいますが、それは間違いです。動物はなわばり争いをしますが、争い自体が不利益を生むので、それほど激しくは争いません。
人間の場合も、戦争をすると自分のほうもある程度損害が出るので、めったに戦争はしません。少ない損害で大きな利益が得られそうなときだけ合理的な判断で戦争をします。

文明が進んで富が蓄積されると、戦争の機会が増えていきます。
戦争の強い集団はどんどん戦争をして、ローマ帝国やらモンゴル帝国やらを築きました。

戦争でもっとも利益が得られたのは、近代国家が強力な軍隊を持って、近代化していない国を次々と植民地化していった植民地主義の時代です。
日本も遅まきながら植民地獲得の戦争をやりました。

このころに戦争はもうかるものだというイメージができて、それをいまだに引きずっているのではないでしょうか。
しかし、第二次世界大戦後は戦争の意味合いがまったく変わりました。

植民地主義の時代が終わり、戦争に勝っても領土や植民地を獲得することはできません。
それに、国連憲章で戦争は禁止されたので、賠償金を取ることもできませんし、国際社会から批判も受けます(実際は1928年に成立したパリ不戦条約から戦争は禁止されています)。

一方で、高度産業社会が実現し、各国の経済関係は緊密になり、そこから上がる利益が大きくなってくると、隣国と戦争するのは大損失になりました。


今ではまともに戦争ができるのはアメリカぐらいですが、やはり戦争には不利益しかありません。
湾岸戦争は、アメリカが多国籍軍を率いて勝利し、精神的満足があったかもしれませんが、アフガン戦争とイラク戦争は損失が巨大で、アメリカ国民もうんざりしています。


中国とインドは長い国境で接して、何度も国境紛争が起こり、戦死者も出ていますが、紛争が大きくなることはありません。
双方が戦争をするのは損だと認識しているからです。


日本に関していうと、今、尖閣諸島が日中間の緊張のもとになっています。
しかし、昔は「満蒙は日本の生命線」といったものですが、今「尖閣は日本の生命線」であるはずがなく、重みがぜんぜん違います。

北朝鮮は、拉致問題を起こすような頭のおかしい国だから、なにをするかわからないと思われていましたが、最近は北朝鮮なりに合理的な行動をしていることがわかってきて、脅威感が薄れてきました。


第二次大戦後の世界がどんどん平和になっていることは、国際連合広報センターの
「紛争と暴力の新時代」というサイトにも示されています。

世界的に見ると、戦死者の絶対数は1946年以来、減少を続けています。しかし同時にまた、紛争や暴力は現在、増加傾向にあり、大半の紛争は政治的民兵や犯罪集団、国際テロ集団など非国家主体の間で生じています。
   ※
現在では、武力紛争よりも犯罪が多くの人の命を奪っています。2017年には、全世界で50万人近くが殺人によって命を失っていますが、これは武力紛争による死者8万9,000人とテロ攻撃による死者1万9,000人を大きく上回る数字です。
   ※
テロは依然として幅広く見られるものの、その影響は近年、衰えてきています。全世界でテロ攻撃よるものと見られる死者の数は、2018年に3年連続で減少し、1万9,000人を下回っています。各国政府が暴力的過激主義を防止し、これに対処するため、テロ対策の取り組みや地域的、国際的な協調とプログラムを強化する中で、テロ攻撃による死者が減っているからです。2017年には、テロ攻撃の5分の1が失敗に終わっていますが、2014年の時点で、この割合は12%強にすぎませんでした。


戦争やテロの死亡者はへっていて、犯罪(殺人)による死亡者のほうがはるかに多いのです。

こうしたことはあまり知られていません。軍事・外交の専門家たちにとって不都合な真実だからです。

外務省の基本認識は、「わが国を取り巻く安全保障環境はいっそうきびしさを増している」というものです。
安倍首相も演説で決まって「わが国を取り巻く安全保障環境はいっそうきびしさを増している」と言うので、国民も耳にタコのはずです。

しかし、「わが国を取り巻く安全保障環境はいっそうおだやかさを増している」というのが正しい認識です。



日本人は第二次世界大戦の体験が強烈なので、いまだにそこにとらわれています。
戦争に負けて悔しいと思う者は、敗戦の象徴である憲法九条を改正して少しでも戦前の日本を取り戻そうと思っていますし、戦争が悲惨だったと思う者は、憲法九条の改正はなんとしても阻止したいと思っています。
どちらも過去にとらわれているので、現在の状況に適応することができません。


安倍首相は今年の全国戦没者追悼式の式辞で「積極的平和主義」という言葉を使いました。
かつては自衛隊を戦闘地域に派遣して、自衛隊に戦闘を経験させようとしていた節があります。
つまり日本を「戦争のできる国」にしようとしてきたようなのです。
しかし、それは実現していません。
世界が平和になってきているのを読み間違っているからです。

憲法九条改正に反対する人たちも、そのモチベーションをもっぱら戦争の悲惨さの記憶に頼っています。
しかし、記憶は風化していくので、こうした運動は若い人に理解されず、先細りが運命づけられています。
これからの平和運動は、経済合理性の追求にシフトしていくのが正しい道です。
戦争の損得を計算し、防衛費を費用対効果で算定するのが、いちばん有効な平和運動です。

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8月6日の広島原爆投下の日に『日本に「大きな責任」求める 駐日大使指名ワインスタイン氏―米上院委』というニュースがあったので、アメリカはまだ原爆投下の責任を日本になすりつけようとしているのかと思いましたが、それは私の勘違いで、次期駐日大使のワインスタイン氏が日本に同盟国としてのより大きな責任を求めると米上院で証言したというニュースでした。

原爆投下の責任でなくても、アメリカが日本に責任を求めることに変わりはなく、米軍駐留経費の負担や兵器の購入などで日本はさらに出費を求められそうです。


アメリカは日本に原爆投下を謝罪することもありませんし、日本がアメリカに謝罪を求めることもありません。
もっとも、日本がアメリカに原爆投下の謝罪を求めると、アメリカは「日本はパールハーバーの謝罪をしろ」と言ってきそうです。
日本も真珠湾攻撃の問題をうやむやにしてきました。


アメリカ人は真珠湾攻撃を「卑怯なだまし討ち」と思っています。
真珠湾攻撃のとき、日本政府の宣戦布告が攻撃開始から1時間遅れました。
もともと宣戦布告ないし最後通牒ののちに開戦するという国際慣習がありましたが、1907年の「開戦に関する条約」の第1条に「締約国は理由を付したる開戦宣言の形式、または条件付開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する、明瞭かつ事前の通告なくして、其の相互間に戦争を開始すべからざることを承認す」とあるので、明白な国際法違反です。

ただ、自衛戦争の場合は宣戦布告の必要はありません。
靖国神社の遊就館には、大東亜戦争は「自存自衛」の戦争だったという展示がされています。
おそらく日本の保守派は自衛戦争だと見なして宣戦布告の遅れを無視してきたのかもしれませんが、「真珠湾攻撃は日本の自衛戦争だった」という理屈が、アメリカに対してもどこに対しても通じるわけがありません。

結局、日本は「卑怯なだまし討ち」をしたのに謝罪しない国ということになっています。

安倍首相は2015年4月29日、日本の総理大臣として初めて米国上下両院の合同会議でスピーチを行いました。
このときなど真珠湾攻撃について謝罪する絶好のチャンスでしたが、「私たちの同盟を希望の同盟と呼びましょう」などと空疎な言葉を述べただけでした。



宣戦布告の遅れの問題は誰でも知っていますが、もうひとつ、先制攻撃の問題はあまり認識されていないのではないでしょうか。

第一次世界大戦の反省から1928年に成立したパリ不戦条約では、戦争は禁止され、違法行為となりました。ただ、自衛戦争は合法であるという抜け道があり、制裁の規定もありませんでした。
日本が上海事変、満州事変と言って、「戦争」の言葉を使わなかったのは、このパリ不戦条約があったからです。
ドイツがポーランドに侵攻したときも、ポーランドが先に攻撃してきたという理由をつけました。
ただ、これに対してイギリス、フランスなどがドイツに宣戦布告したのは、パリ不戦条約からはありえないことで、このときにパリ不戦条約は有名無実化したのかもしれません。
さらにドイツが相互不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、世界は無法状態になりました。

しかし、どんな無法の世界でも基本的な倫理というのは不変です。
それは、「喧嘩は先に手を出したほうが悪い」というものです。

決闘は、どちらが先に手を出してもかまわないというルールですが、たとえば西部劇のヒーローは、自分から先に銃を抜くことはありません。先に手を出すのは悪いという共通認識があるからです。

太平洋戦争は、日本が先に手を出した戦争ですから、日本が悪いに決まっています。パリ不戦条約があるので、法的にも違法です。
侵略か自衛かでいえば、日本が侵略、アメリカは自衛です。

アメリカ人も、宣戦布告の遅れなどは大して問題にしていなくて、先に手を出したことと不意討ちだったことで怒っているのです。

ですから、日本はむしろ宣戦布告の遅れよりも先制攻撃を謝罪しなければなりません。
そうすれば日本は原爆投下や都市無差別爆撃などでアメリカに謝罪を要求することができますし、さかのぼって黒船による砲艦外交で不平等条約を押し付けられたことも問題にできます。



ところで最近、敵基地攻撃能力の議論があって、その中に先制攻撃論もあります。
敵がわが国を攻撃することが明らかなときは敵基地を先制攻撃しようという議論です。
しかし、敵がわが国を攻撃するか否かを事前に察知することは至難の技で、それは真珠湾攻撃を振り返ってもわかります。

海軍航空隊は真珠湾攻撃の場合に備えて、地形のよく似た鹿児島湾を真珠湾に見立てて訓練をしていました。もしアメリカのスパイがそのことを察知すれば、日本にアメリカ攻撃の意志ありと判断したでしょう。
そして、南雲中将率いる機動部隊が出撃したことを察知すれば、攻撃行動に出たと判断して、もし可能ならアメリカ軍が機動部隊に対して先制攻撃をしたかもしれません。
しかし、実際は日本政府もぎりぎりまで日米交渉の妥結を目指していて、妥結すれば機動部隊は途中から引き返すことになっていました。艦隊が真珠湾に向かっているからといって、確実に攻撃するというわけではありません。

日本が敵国に攻撃の意志ありと判断して先制攻撃をしたところ、敵国は攻撃する意志も準備もなかったということが明らかになったとします。その場合、日本は敵国に対して謝罪して、先制攻撃で与えた損害の賠償をするのが筋ですが、そこまで考えているでしょうか(もっとも、アメリカは大量破壊兵器があると言ってイラクを攻撃し、大量破壊兵器がないことが明らかになっても、謝罪も損害賠償もしていませんが)。

ともかく、真珠湾攻撃を思い出せば、先制攻撃論の危うさがわかります。


ところで、なぜ今敵基地攻撃能力が議論されるかというと、イージス・アショアの配備が中止になって、代わりにアメリカからなにか高額な兵器を買わなければならないからです。
もちろんイージス・アショアの代わりになにかを買う義務はないのですが、日本は「卑怯なだまし討ち」をしたことを大目に見てもらっているという負い目があるので、対等な交渉ができません。
そういう意味でも真珠湾攻撃の謝罪をすることは重要です。


もっとも、日本がアメリカに真珠湾攻撃の謝罪をすると、中国や韓国やその他のアジア諸国も日本に謝罪を求めてきて、パンドラの箱を開けたみたいなことになりそうです。
確固とした歴史認識がないとできないことではあります。

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航空自衛隊の「宇宙作戦隊」が5月18日に発足しました。
アメリカの「宇宙軍」が2019年12月に発足したのを受けたものです。

「宇宙作戦隊」という名称は、昭和風でダサいのではないかという声があり、立憲民主党の小西洋之議員からは「作戦部や作戦課という名称は旧日本軍で用いられていた。専守防衛の自衛隊にふさわしくないのではないか」という指摘もあり、河野太郎防衛相も見直す可能性を示唆していました。

河野防衛相は、米国防総省が4月末にUFOとされる映像を公開したのを受けて、記者会見で「自衛隊のパイロットが、万が一遭遇したときの手順をしっかり定めたい」と語りました。かつて政府は「地球外から我が国に飛来した場合の対応について特段の検討を行っていない」とする答弁書を決定していたので、方針転換であるとしてニュースになりました。
おそらく河野防衛相の頭の中に宇宙作戦軍のことがあったので、踏み込んだ発言になったものと思われます。

私も「宇宙作戦隊」に代わる名称を考えました。
そして、思いついたのは「地球防衛軍日本支部」です。
ウルトラマンシリーズにも「地球防衛軍」が出てきます。
「軍」という言葉を使うので、右翼も大喜びでしょう。


人類の宇宙進出は、大航海時代から続いてきたロマンでした。
宇宙に進出すれば異星人と出会うかもしれません。そのときには人類はひとつになっていなければ不都合です。
昔のSFドラマの「スタートレック」や「宇宙家族ロビンソン」でも、国と国の対立などはありえないことです。

しかし、現実の宇宙進出は違いました。
1969年、アポロ11号の2人の宇宙飛行士が月面に降り立ったとき、アメリカ国旗を月面に突き立てたのです(あとで国連旗も立てましたが)。
それを見たとき私の中で、宇宙進出とともに人類がひとつになるという夢がもろくも壊れました。
アメリカは国威発揚のために月への有人宇宙飛行を行ったのです。

南極については南極条約があり、領土主権の凍結と軍事利用の禁止がうたわれ、実現しています。
宇宙についても同じであっていいはずですが、アメリカは人類がひとつになるという夢を打ち壊しました。

現在もその延長上にあります。
アメリカは宇宙の軍事利用を進め、ロシアや中国も対抗しています。
これを当たり前のことと思っている人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。軍事費がかさむばかりです。
宇宙の軍事利用禁止が当たり前のことです。


宇宙作戦隊の発足と同時に隊旗も定められ、河野防衛相から阿式俊英隊長に隊旗が授与されました。
河野防衛相はツイッターで隊旗を披露しています。

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鷲の紋章がデザインされています。
これは航空自衛隊で使われているものと共通です。

これにネットでかなり突っ込みがあったといいます。
宇宙で翼は役に立たないではないかという突っ込みです。
確かに宇宙にふさわしいデザインにするべきでしょう。

私自身は、日本の伝統にない鷲の紋章が使われているのが気になります。
鷲の紋章はもともと古代ローマ帝国の国章であって、ヨーロッパで広く使われ、現在ではドイツ、アメリカ、ロシア、エジプトの国章としても使われています。つまりヨーロッパ文明と不可分です。
そんなものを航空自衛隊が使っているのが理解できません。
航空自衛隊創設のときにアメリカの影響が大きかったのでしょうが、日本の魂を売り渡しているみたいなものです。


トランプ大統領はアメリカ宇宙軍の軍旗のデザインをツイッターで公表しました。

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これはいかにも宇宙軍らしいデザインですが、「スタートレック」の宇宙艦隊の紋章に似ていると言われています。

今までにない宇宙軍をつくるのですから、日本もアメリカみたいにやればよかったと思います。


結局、「宇宙作戦隊(仮称)」はそのまま「宇宙作戦隊」になりました。
「地球防衛軍日本支部」にはもちろんなりません。
実態は「アメリカ宇宙軍日本支部」だからです。

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米軍によるソレイマニ司令官殺害は、どう見ても無法行為です。
アメリカはソレイマニ司令官をテロリストに指定していましたが、勝手に指定して、勝手に殺しただけです。
イラン国会はこの事件を受けて、すべての米軍をテロリストに指定する法案を可決しました。
無法の世界がどんどん拡大しています。

無法の世界といえば、西部劇がそうです。
私の世代は西部劇を見て育ったようなものです。子どものころ、映画はもちろんテレビでもアメリカ製の西部劇のドラマをいっぱいやっていました。

西部劇では、保安官は登場しても重要な役割は果たさず、主人公は自分の力で悪漢(あるいはインディアン)を倒さなければなりません。
法より力――というのが西部劇の基本原理です。

現在のアメリカは法の支配が行われていますが、銃を所持する権利も絶対視されています。法の支配は表面的なもので、一皮めくれば「法より力」の原理が現れます。

トランプ政権は2017年12月、安全保障政策のもっとも基本となる「国家安全保障戦略」を発表しましたが、その「四本柱」は次のようなものです。

I. 国土と国民、米国の生活様式を守る 
II. 米国の繁栄を促進する 
III. 力による平和を維持する 
IV. 米国の影響力を向上する
https://jp.usembassy.gov/ja/national-security-strategy-factsheet-ja/

「法の支配」も「世界」もありません。「アメリカ・ファースト」があるだけです。
「力による平和」は、銃で自分の身を守るという西部劇の原理です。

今のアメリカは法の支配が行き渡り、腰に銃をぶら下げていなくても警察が守ってくれますが、アメリカ人にとってフロンティアは世界に拡大し、アメリカ国外が西部劇の世界になりました。
世界に法の支配を広げるのではなく無法状態を広げるのがアメリカのやり方です。無法の世界では力のある者が得をするからです。

よくアメリカのことを「世界の警察官」にたとえますが、警察官なら法に従います。
今のアメリカをたとえるなら「自警団のボス」か「ギャングのボス」というべきです。

しかし、長い目で見れば今の無法の国際社会は過渡期で、いずれ法の支配が行き渡るに違いありません。

今の日本は「自警団のボス」に従っていますが、いつまでもこの状況は続きませんから、自分の手を汚さないようにしないといけません。


アメリカはソレイマニ司令官を殺害し、イランは米軍基地に弾道ミサイルで報復攻撃をしましたが、今のところアメリカもイランも抑制された対応をしているようです。
これはなぜかというと、「法の支配」はなくても「経済の支配」があるからです。
ソレイマニ司令官殺害の瞬間に株価は下がり、原油価格は上がりました。本格的な戦争になれば双方に大きな経済的損失が生じるのは目に見えています。

平和は「法の支配」でなく「経済の支配」でも達成できるのかもしれません。

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