村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 戦争・テロ・平和

ウクライナやパレスチナやイラクやリビアから戦争のニュースが連日入ってきますが、日本国内からも安倍首相の活躍()によって戦争関係のニュースが次々と発信されています。おかげで戦犯を追悼する法要が毎年大規模に行われていたということを初めて知りました。
 
首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」
 安倍晋三首相が4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていたことが朝日新聞の調べで分かった。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、首相は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と伝えていた。
 
 メッセージを送ったのは高野山真言宗の奥の院(和歌山県高野町)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。元将校らが立ち上げた「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBで作る「近畿偕行会」が共催で毎年春に営んでいる。
 
 追悼碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に1994年に建立。戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人の名前が刻まれている。靖国神社に合祀(ごうし)される東条英機元首相らA級戦犯14人も含む。
 
 守る会によると今年は4月29日に遺族や陸軍士官学校出身者、自衛隊関係者ら約220人が参列。高野山真言宗トップの松長有慶座主がお経を唱えた。地元国会議員にも呼びかけ、自民党の門博文衆院議員(比例近畿)が出席した。
 
 首相のメッセージは司会者が披露。「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」とし、「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」とした。
 
 守る会や関係資料によると、追悼碑建立は終戦後のフィリピンで戦犯容疑者として収容所に抑留され、嫌疑が晴れて復員した元陸軍少尉の発案だった。「冤罪(えんざい)で処刑された例が多い」との思いから、元将校や処刑された軍人の遺族らに寄付金を募って建立。元少尉が真言宗を信奉していたため高野山を選んだという。
 
 94年の開眼法要にはA級戦犯を合祀する靖国神社から大野俊康宮司(当時)が参列。靖国神社によると、その後は宮司は参列せず電報を送っているという。
 
 安倍首相は昨年と04年の年次法要にも主催者側の依頼に応じ、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付。昨年は「私たちにはご英霊を奉り、祖国の礎となられたお気持ちに想いを致す義務がある」「ご英霊に恥じることのない、新しい日本の在り方を定めて参りたい」と伝えていた。
 
 守る会などによると、安倍首相には地元国会議員の事務所を通じてメッセージを依頼した。首相経験者では森喜朗氏が首相退任後に一度衆院議員の肩書で送付してきたが、ほかに例はない。今年は岸田文雄外相にも依頼したが、承諾を得られなかったという。
 
 安倍首相の事務所は取材に「お答えするつもりはない」、自民党総裁室は「党としては関与していない」と答えた。(鈴木拓也、渡辺周)
 
B級、C級戦犯には、上官の命令でやったのに罪を着せられたとか、いい加減な審理で無実なのに有罪にされたとか、気の毒なケースもありますが、この法要を主催した団体や安倍首相は、戦犯裁判そのものを否定しているようです。
 
ということは、アメリカの占領政策に対する否定ということになります。
安倍首相はアメリカと価値観をともにすると再三言明していますが、明らかに矛盾しています。
もっとも、この矛盾は昔からです。安倍首相に限らず親米右翼はみんな同じ矛盾を持っています。
 
こうした矛盾が存在するのは、安倍首相や親米右翼がアメリカという国をよく理解していないからだと思われます。
たとえば、この法要は連合国による裁判を「報復」と位置づけているということですが、この認識は明らかに間違いです。
 
アメリカは真珠湾攻撃を受けたときは報復を誓い、その後の戦争でも報復という意識はあったでしょうが、都市爆撃をし、原爆も落としたので、報復は十分に成し遂げたと思ったはずです。裁判はあくまで「報復」ではなく「正義の裁き」です。
「日本は犯罪国だからアメリカが裁くのは当然」というのがアメリカの論理です。
 
ところが、日本の右翼は戦時国際法にこだわっているので、アメリカの論理が理解できません。
日本の右翼は戦時国際法について誤解しています。
 
19世紀までヨーロッパでは、国と国が対立して外交で決着がつかない場合、決闘のようにして戦争が行われていました。決闘は作法に従って行われますが、それと同じに戦争は戦時国際法に従って行われ、国はそれぞれ交戦権を認め合ってきたわけです。
ところが、第一次世界大戦があまりにも悲惨だったため、ここで根本的にルールが変わります。1928年にパリ不戦条約が締結され(日本も参加)、国際紛争を解決する手段としての戦争は禁止され、交戦権も放棄されました。ただ、侵略された場合に戦う自衛権は認められました。
ですから、このときから「犯罪としての侵略戦争」と「正義の自衛戦争」に分かれたことになります
そして、ハーグ陸戦条約のような戦時国際法もほとんど無効になったと考えられます。
 
そうすると、真珠湾攻撃を仕掛けた日本は「犯罪としての侵略戦争」をやったことになり、正義の名のもとに裁かれるのは当然です。
 
もっとも、罰則などは決まっていないので、日本の右翼は「事後法によって裁かれたのは不当だ」と主張しますが、ナチスドイツや軍国主義日本のような想定外の“巨悪”が出現した場合は、事後法禁止というルールの変更は当然だというのがアメリカなどの考えでしょう(欧米はルールを変えるは当たり前だと考えており、日本はルールが変えられるものだという発想がない)
 
ともかく、アメリカはつねに「正義の戦争」をやっているつもりなのです。
 
今またアメリカは「正義の戦争」宣言をしました。
 
殺害犯に「正義の鉄つい」=イスラム国打倒へ決意-米大統領
 【ワシントン時事】オバマ米大統領は26日、ノースカロライナ州シャーロットで演説し、イラクとシリアで勢力を広げるイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が米国人ジャーナリストを拘束、殺害した事件を受け「正義の鉄ついを下す」と述べ、容疑者を必ず捕らえると宣言した。
 
 大統領は退役軍人会の全国大会で行った演説で、「われわれが長い腕を持ち、忍耐強いことを忘れてはならない」と強調。「米国人に危害を加えた人間を追い詰め、捕らえるために必要なことを行う。国民と国を守るのに必要なら、引き続き直接的行動を取る」と表明した。(2014/08/27-06:57
 
 オバマ大統領が言っているのは、東京裁判の論理と同じです。
安倍首相はオバマ大統領の言っていることについてどう思うのでしょうか。

7月16日深夜、TBS系の「オトナの!」という番組にゲストとして筒井康隆氏と中川翔子さんが出ていましたが(MCはいとうせいこうとユースケサンタマリアの両氏)、そこで筒井氏が戦争について語ったことにインパクトがありました。
YouTubeにアップされていたので、それを見て書き起こしてみます。
 
#052 筒井康隆 中川翔子 後編【オトナの!】
 
いとう このあとのビジョンですよ。
筒井 今この情勢を見てると、戦争が起こりそうなんだよ。次の戦争だけはちょっと見たいねえ。どういうふうにして起こるか。誤解されてもいいんだけどさ。この年になれば怖いものないからね。戦争好きなんだよ、俺。ハハハ。戦争の話が多いんですよ。
中川 多いですね。争いだしますね、人が。
筒井 やっぱりギャグはあるし、ドタバタはあるし、あんなおもしろいものはない。
ユースケ 筒井さんしか言えませんよ。
 
「戦争が見たい」とか「戦争はおもしろい」とか、確かに筒井氏でないとなかなか言えません。
私はこれまで人間には戦争好きの心理があることについていろいろ書いてきましたし、自分自身にもそれがあることを自覚しています。しかし、「次の戦争が見てみたい」とまでは言えませんでした。
 
筒井康隆氏の偉大さについては今さら言うまでもありません。たいていの作家は若くして代表作を書き、あとはその遺産で食っていくのに、筒井氏は若くしてドタバタSFで当代随一の人気作家になり、そういう自分を投げ捨てて次々と新しいことにチャレンジして、小説の可能性を広げてきました。
 
筒井氏は「戦争の話が多いんですよ」と語っています。考えてみれば、確かに筒井氏には戦争を描いた小説がたくさんあります。
 
筒井氏が初めて出版した本は、「東海道戦争」というタイトルの短編集です。この表題作は、関東と関西がなぜか戦争を始めてしまい、サラリーマンである主人公が徴兵されて戦争に駆り出されるという不条理な物語です。
 
小松左京氏のデビュー作は、「地には平和を」という、玉音放送のなかった世界で本土決戦を戦う少年兵を描いた短編です。小松左京氏は1931年生まれ、筒井康隆氏は1934年生まれで、世代的には近いですが、戦争の描き方がまったく違います。小松氏は戦争に思い入れがあり、筒井氏にそれがありません(筒井氏は裕福な家庭の生まれで、それも関係しているかもしれません)
 
筒井氏の最初の長編小説は「48億の妄想」といって、テレビというメディアがすべてを支配するようになった近未来を舞台に、竹島問題や漁業問題で悪化した日韓関係を利用して、テレビ局が擬似イベントとしての戦争を企画するのですが、韓国側は本気になって……という物語です。
このときは“擬似イベント”といっていましたが、今でいう“ヤラセ”ということでしょう。
 
「ベトナム観光公社」という短編は、直木賞候補作にもなったものですが、土星に観光旅行に行けるようになった未来社会で、主人公はベトナム観光に出かけます。そこでは、観光客のための擬似戦争が行われていて……。
 
「ベトナム観光公社」が書かれた1965年は、北爆が始まってベトナム戦争が本格化した年ですが、そのときすでにベトナム戦争を茶化した小説を書いていたわけです。
 
そう、筒井氏の戦争の描き方は一貫して、戦争を茶化し、笑いのめすというものです。
筒井氏にとって戦争とは、人間の愚かさが集約されたものなのでしょう。
ですから、「次の戦争だけはちょっと見たいねえ」という言葉が出てくるのも、筒井氏にとっては自然な発想でしょう。
 
 
ここで、今の集団的自衛権を巡る議論を振り返ると、みんなまじめすぎるのではないかと思います。
 
たとえば、日本人を乗せた米艦を自衛艦が救助するというような、ありえない例え話を持ち出したり、みずから望んで「駆け付け警護」をしたがっているような姿勢とか、アメリカも困り顔をしているのではないかというような状況は、むしろ笑うのが正しいはずです。
 
戦争というのは、真剣に反対する人がいればいるほど、やるほうもやる気をかき立てるものではないかと思います。
どんなことでも、見世物にされ、笑われていると、やる気がなくなります。
 
そういうことを考えると、「次の戦争だけはちょっと見たいねえ」という筒井氏の言葉は、いちばん効果的な反戦の言葉かもしれません。
 

集団的自衛権行使に賛成する人の中には、軍拡を続ける中国に対抗するためには必要ではないかという人がいます。もちろん一般の人の意見です。政治家や専門家でそんなことをいう人はいません。中国と日本の間でなにかあったら、それは個別的自衛権の問題で、集団的自衛権とは関係ないからです。
 
とはいえ、中国に対抗するために集団的自衛権行使が必要だとする心情にはけっこう広がりがあります。というか、安倍首相以下の政治家にも同じ心情があるのではないでしょうか。
 
これまでの防衛政策は、専守防衛という言葉の通り、守ってばかりでした。
守ってばかりでは、相手に脅威を与えることができません。
集団的自衛権は、自分が攻撃されていなくても、つまり正当防衛でなくても相手を攻撃することができる権利です。
もちろん攻撃できるのは限られた状況だけですが、それでも“攻めの姿勢”を見せることができるとなると、これまでとは大違いです。
 
中国が日本に脅威を感じるかどうかはわかりませんが、少なくとも日本人の中に“攻めの姿勢”を見せたいという心情があることは否めません。
いや、それは日本人に限らない問題です。
 
人間は守るよりも攻めるほうが好きです。これは人間に普遍的にある性質です。しかも、不合理な性質です。
 
たとえば、将棋を覚えたばかりの初心者が将棋を指すと、駒をどんどん前に動かす、つまり攻めの手ばかり指します。そのため守りがおろそかになってしまいます。
将棋には「王の早逃げ八手の得」という格言があります。つまり守りの一手は攻めの八手に値するという意味ですが、これはみんなが攻めの手ばかり指すからこそ成立する格言です。
 
囲碁には「囲碁十訣」という中国古来の十個の格言がありますが、その中にも守りのたいせつさを説くものがいくつもあります。
 
「界に入りては穏やかなるべし」(相手の勢力圏に入ったときは穏やかにいくべきだ)
「彼を攻めるに我を顧みよ」
「彼強ければ自ら保て」
「勢い孤なれば和を取れ」
 
どの格言も似たようなことをいっていますが、これもみんなが攻めにばかり走るので、それを戒めることがだいじになるからです。
 
スポーツでも同じことがあります。
野球は攻めと守りが1回ごとに交代しますが、攻めの回に入るとみんな盛り上がり、守りの回に入ると、みんなやれやれという感じで守りについていきます。
ファインプレーで相手の1点を阻止するのと、ナイスバッティングで1点を取るのと、どちらも価値は同じはずですが、たいていヒーローとしてお立ち台に立つのは1点を取ったバッターです。
 
サッカーでも、一般的なファンはフォワードやミッドフィルダーにばかり注目し、ディフェンダーにはあまり注目しません。人気選手というのはたいてい点を取る選手で、いくらいい守備をしてもディフェンダーで人気選手というのはあまりいません。
 
戦争でも、第二次世界大戦のとき、日本軍は劣勢な状況においても切り込み攻撃や夜襲を繰り返して負けを早めました。
 
つまり人間は誰でも、守りよりも攻めが好きなのです。
しかし、これは認知バイアスの一種で、不合理なものです。
私は『「孫子の兵法」と集団的自衛権論議』という記事で、人間は負ける可能性よも勝つ可能性のほうを過大に評価するという認知バイアスがあると書きましたが、それと同じようなものです。
 
将棋や囲碁では、攻めばかり考えて守りをおろそかにしていると、相手に足元をすくわれて負けてしまいます。そうした経験を何度も繰り返すうちに、守りのたいせつさに気づき、攻めと守りのバランスを取るようになります。
野球では、守備練習に力を入れるチームは強くなります。
サッカーでは、監督は選手の守備力も評価してチームを構成します。
 
とはいえ、守るよりも攻めるのが好きというのは人間の基本的な性質ですから、国民世論が守りよりも攻めのほうに傾くのは不思議ではありません。
そして、経験のあるリーダーが攻めにはやる国民を抑えるというのが普通でしょう。
 
しかし、今の日本では、国民の多くは専守防衛でいいと思っているのに、国のリーダーが“攻め”をやりたくて必死になっているという構図です。
お坊ちゃん首相と軍事プラモオタクの幹事長が国のリーダーになってしまった悲喜劇です。

前回の記事で、長谷川三千子氏の平和主義についての考え方がいかにくだらないものであるかを書きました。
 
長谷川三千子氏の“哲学”は国語辞典レベルだった
 
しかし、人の批判ばかりしていても仕方がないので、今回は自分の考えを述べます。
 
長谷川氏は会見の冒頭で、会場の人たちに「世界平和は重要か」「世界平和の達成はむずかしいか」という質問を投げかけ、会場の人たちの意見をこのように集約します。
 
「誰もが平和は重要だと思っているが、同時に平和の達成は困難だと思っている」
 
ここには明らかに矛盾があります。私は一瞬、長谷川氏はこの矛盾を解き明かしていくのかと思ったのですが、長谷川氏の議論はあらぬ方向に行ってしまいました。
そこで、私が代わりに考えてみます。
 
まず、みんなは平和の重要性を口にしますが、それはほんとうかという問題があります。つまり、ほんとうは戦争が好きなのだが、本音を口にすると批判されるので、口先だけ平和主義を唱えているのではないかということです。
 
たとえば石破茂自民党幹事長は軍事プラモオタクとして有名です。軍事プラモが好きであることと、戦争が好きであることは、きわめて近似性があります。
 
安倍首相や長谷川三千子氏は「積極的平和主義」を唱えていますが、これは要するに「戦争主義」を言い換えているだけかもしれません(「戦争主義」という言葉はあまり一般的ではありませんが、「平和主義」の反対語として使っています)
 
人間には(とくに男には)戦争好きの要素があることは否定できません。長谷川三千子氏がそのことについて考察しないのは不思議です。
 
では、なぜ人間に戦争好きの要素があるのでしょう。
これはギャンブルにたとえるとわかりやすいでしょう。
 
ギャンブルは長く続ければ確実に損をしますし、やりすぎたために身の破滅を招く人も少なくありません。それでもギャンブルにはまる人があとを絶たないのはなぜでしょうか。
 
それは、「自分は勝つ」と思っているからです。
「自分は幸運だ」とか「自分には実力がある」とか、なんの根拠もなく「今度こそ勝つ」とか、その思考形態はさまざまですが、とにかく負けると思ってやっているわけではなく、勝つと思ってやっているのです。
 
冷静に確率などを計算すれば勝てないことがわかりますが、そういう合理的な思考ではありません。つまり「希望的観測」という認知バイアスの一種です。
 
人間はたいてい「自分はやればできる」とか「そのうちうまくいく」とか、根拠なく楽観的な思考をします。だからこそ絶望的な状況になってもめったに自殺をすることもなく、前向きに生きていくことができるのです。
 
戦争についても同じようなことがあります。
「戦争」と一口に言いますが、実際は「勝ち戦」と「負け戦」があります。
そして、戦争で勝つと負けるとでは天国と地獄ほども違います。
勝てば戦利品、領土、奴隷などが手に入ります(昔の話ですが)
人類がこれまで戦争を繰り返してきたのは、双方が「自分は勝つ」という希望的観測を持っていたからです。
 
この希望的観測は具体的には、「相手を見くびる」と「自分を過大評価する」というふたつから成り立っています。
したがって、孫子の兵法は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」といったわけです。
 
ギャンブルに勝つと脳内にドーパミンが放出され、幸福感が生じるとされます。労働の対価としてお金(給料)を得ても、こうしたことにはならないそうです。そのためギャンブルには特別な魅力があり、はまるとなかなか抜け出せません。
戦争も同じようなものではないでしょうか(少なくともアドレナリンが放出され、興奮します)
 
日本がアメリカと戦争をしたのも、今考えると愚かなこととしか思えませんが、当時の日本人は興奮状態にあって(中国戦線では連戦連勝、ヨーロッパではナチスドイツが連戦連勝)、認知バイアスの一種である「バンドワゴン効果」で浮かれていたわけです。そして、戦局が悪化しても冷静さを取り戻せず、「神風が吹く」というような希望的観測にすがり続けました。
 
現在、集団的自衛権を巡って議論が行われていますが、この議論の前提にあるのは「自分は勝つ」という希望的観測です。負ける可能性を誰も言いません。
もちろんアメリカにくっついていけば負けることはないはずですが、局地的には負けることもありますし、勝つにしてもそれなりの損害も出るはずです。
また、勝つということは敵をかなり殺すことですし、負けたほうはおとなしく引き下がるとは限らず、テロによる報復をしてくる可能性があります。
それに、アメリカはアフガン戦争とイラク戦争で勝ちましたが、今は勝ったからといってたいした利益はなく、むしろ損失のほうが大きいくらいで、アメリカ国民も戦争にうんざりしています。
 
ともかく、人類がこれまで戦争を繰り返してきたのは、「敵を知らず、己を知らず」という愚かさのゆえです。この愚かさから脱することが平和への道です。

4月23日、オバマ大統領が国賓として来日し、24日には安倍首相との首脳会談を行ないました。
TPP交渉がまとまらないため、日米共同声明が発表されたのは翌日の25日にずれ込むという異例の事態でした。
 
普通、こうした面倒な交渉は前もって終わらせておき、首脳会談はセレモニーとして盛り上げるものですし、場合によっては首脳会談で決着させるということもありますが、首脳会談が終わっても決着しないというのはよくわかりません。安倍首相とオバマ大統領より、甘利担当大臣とフロマン通商代表のほうが決定力があるというのはおかしな話です(おそらく安倍首相とオバマ大統領は突っ込んだ話し合いができる関係にはないのでしょう)
 
オバマ大統領が「尖閣諸島は日米安保の適用範囲」と言明したことが日本にとっての成果だとされます。
もっとも、オバマ大統領が言っているのは、「尖閣諸島は日本の施政権下の領域」だからということで、尖閣諸島を日本の領土と認めたわけではありません。
同盟国ですら日本の領土と認めてくれないのでは、日本の領有権に関する主張にはぜんぜん説得力がないということです。
安倍首相は日本の子どもに領土教育をするよりも、オバマ大統領に領土教育をするべきです。
 
また、安倍首相は「日本の集団的自衛権にオバマ大統領が歓迎、支持した」と語りました。これも安倍政権にとっては成果なのでしょう。
 
結局、経済よりも軍事に関することで一致した会談だったという格好になりました。これは安倍首相の姿勢のゆえでしょう。オバマ大統領は共同記者会見で中国に配慮した発言をいろいろしています。
 
そもそも安倍首相の軍事や戦争についての考え方が古すぎて、時代に合わなくなっていますし、国益にも反します。
 
たとえば、オバマ大統領の来日に合わせて都内は厳戒態勢になっていました。警視庁は1万6000人を投入して24時間体制で検問を実施したということです。
日本にはいろいろな国の首脳が訪れますが、アメリカ大統領が訪れたときの警戒体制は特別です。このコストだけでもバカになりません。
 
アメリカ大統領が来日したときに厳戒態勢を敷かないといけないのは、アメリカ大統領はもっともテロリストに狙われる存在だからです。
日本がアメリカと軍事的に一体化していくと、日本もテロリストに狙われやすくなります。
 
昔、日本人は野球のナイターを見ながらビールを飲んで、しみじみと「日本は平和だなあ」と思う喜びがありましたが、小泉政権下で自衛隊がイラクのサマワに派遣されたときから、この喜びはなくなってしまいました。日本はテロリストから攻撃対象として名指しされ、またサマワの自衛隊員が危険にさらされていたからです。
 
アメリカが世界一テロリストに狙われる国になったのは、アメリカ自身の親イスラエル・反イスラムの政策が原因です。
安倍首相は「日本と米国は自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、そして戦略的利益を共有するグローバルなパートナーであります」と語りましたが、親イスラエル・反イスラムという価値観まで共有しているということはないはずです。
 
たまたま首脳会談のあった24日、NHKの「クローズアップ現代」で「復活するアルカイダ~テロへ向かう世界の若者たち~」というのが放送されました。イラク西部とシリア北部の一帯をアルカイダ系の組織が支配し、欧米各国の若者を勧誘して中東で戦闘員にしているということで、これらの欧米の若者が帰国してテロをするのではないかという危機感が強まっているという内容です。
 
「テロとの戦い」は非対称的な戦いですから、そこに参入するということは、自衛隊とか国防軍だけで終わらず、一般国民がテロの脅威にさらされるということです。安倍首相はそういうことがわかっているのか疑問です。
 
また、こんな気になるニュースもありました。
 
オバマ氏、ハイテク体感 科学未来館でロボット見学
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来日中のオバマ大統領は24日午後、ケネディ駐日大使らと東京都江東区の日本科学未来館を訪れた。
 
 館内で二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」が自己紹介してお辞儀をすると、大統領もお辞儀を返して笑いを誘った。また、ASIMOが蹴ったボールを足で受け止め、「よくできた。すばらしい」とねぎらった。原発事故のような人が近づけない現場で作業をできるロボットも見学し、開発者から用途や今後の課題の説明を受けた。
 
 経済産業省はこの日、日米ロボット国際会議を開いた。米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が主催する災害対策ロボットコンテストに日本政府も積極的に協力する方針を表明。コンテストに挑戦する企業を国内で広く公募し、資金も補助すると公表した。
 
 経産省と米国防総省は昨年7月、災害復旧ロボットの共同研究に合意。来年開かれる予定のDARPAのコンテストに日本が参画することを決めた。しかし、軍事費を背景にしたコンテストだけに、参加を打診された日本の大手メーカーの拒否感は強く、企業選びが難航していた。
 
 このため、経産省は公募で選ばれた挑戦者に補助金を出すことにし、参加を促した。(杉崎慎弥、大鹿靖明)
 
アメリカは戦争用のロボットをいっぱいつくっていますが、日本はあくまで平和目的のロボットしかつくらないというのが暗黙の国民的合意ですし、日本人の誇りでもありました。わざわざ経産省が補助金まで出して日本人の誇りをなくそうとしていたとはびっくりです。
もし安倍政権がずっと続けば、ASIMOが銃を手にする日がくるかもしれません。

安倍内閣は1217日の閣議で「国家安全保障戦略」を決定しました。
 
安倍首相がここまで“戦争好き”であるとは思いませんでした。国家安全保障会議(日本版NSC)設置、特定秘密保護法可決、集団的自衛権行使容認、海兵隊に近い水陸機動団設置などを次々に打ち出し、一方、外交面では日中首脳会談をせず、中国周辺の国ばかり訪問しているので、中国人が日本は中国との戦争準備をしていると受け取っても不思議ではありません。
 
中国のニュースサイト「環球網」が実施した調査で、「日本はアジア最大の脅威だ」とする専門家の主張に賛同を示した中国人は98%に上ったということです。
 
もちろん多くの日本人は、日本から中国に戦争を仕掛けるということはありえないことだと思っていますが、過去に日本は中国に繰り返し戦争を仕掛け、広大な面積を占領していたこともあったわけですから、その記憶がある限り中国人が心配するのもむりからぬところです。
 
過去の記憶に縛られているのは、安倍首相など日本のタカ派も同じです。
「国家安全保障戦略」には「愛国心」も盛り込まれました。これが戦前の感覚を引きずっていると思います。
 
ただ、マスコミは「国家安全保障戦略」に「愛国心」を盛り込んだことを批判しますが、その批判の仕方があまりにも紋切り型です。
たとえばこんな具合です。
 
 
「朝日新聞」
 今回の国家安全保障戦略(NSS)には、「我が国と郷土を愛する心を養う」という文言が盛り込まれた。NSSはその理由を、「国家安全保障を身近な問題としてとらえ、重要性を認識することが不可欠」と記す。
 
 国の安全保障政策が、個人の心の領域に踏み込むことにつながりかねない内容だけに、NSSに「愛国心」を入れることには、与党内にも慎重論があった。
 
 
「高知新聞」
「愛国心」を養う必要性を盛り込んだことにも違和感を覚える。安保政策への国民の理解を高めるとの理由からだが、あえて心の問題に踏み込まなければならないほど国民が国や郷土を思う気持ちは弱いのか。
 
 
「北海道新聞」
NSSは安全保障を支える社会基盤強化策として「わが国と郷土を愛する心を養う」と記した。
 
 また、国民一人一人が安全保障の重要性を深く認識することが不可欠だとして、高等教育機関でこの問題を教えることや、国民の意識啓発を打ち出した。
 
 首相は国防体制強化には国民の「愛国」意識高揚が欠かせないと考えているのだろう。個人の内心に踏み込み、憲法が保障する「思想および良心の自由」に抵触しかねない。
 
 
どの記事も「個人の心に踏み込む」ということで批判しています。まるで記者は他紙の記事を見て自分の記事を書いているみたいです。こういうものに説得力はありません。
 
これと同じことは「特定秘密保護法」に対する批判記事についても感じました。マスコミは「国民の知る権利が侵害される」ということ繰り返しましたが、私たちは「知る権利があってよかった」と思ったことがほとんどないので、説得力がありません。河野太郎議員が指摘したように、「特別管理秘密」というのが行政によって勝手に設定されているので、もともと私たちの知る権利は侵害されていたのです。そのことをまったく報道しないで、「特定秘密保護法」が出てきたときだけ国民の知る権利を持ち出すのでは、説得力がなくて当然です。
 
今回の「国家安全保障戦略」でも同じことがいえます。すでに教育基本法に愛国心が盛り込まれ、道徳教育の教科化が推進されるなど、国家が「個人の心に踏み込む」ということが行われているのですから、今さら「個人の心に踏み込む」などと批判しても、こちらの心には響きません。
今回の場合は、「今まで『個人の心に踏み込む』のは教育現場だけだったが、これからは一般社会でも行われることになった」とか、「これまで愛国心教育は児童生徒が対象だったが、これからはおとなも対象となった」というのが正確な表現です。
 
それから、見る角度を変えると、「安全保障や軍事の分野にも心の問題が持ち込まれた」ということになります。
これはまさに戦前のやり方です。
 
盧溝橋事件のあった1937年、第一次近衛内閣は「国民精神総動員運動」を始めました。軍事と国民の精神を結びつけることを国策として行ったのです。そして、戦いが劣勢になるにつれて国民精神に求めるものが大きくなり、最後は竹槍訓練にまで行き着きます。
また、軍事と精神を結びつけることは、軍の作戦の劣化も招きます。「大和魂」や「必勝の信念」があれば勝てるということで、無謀な作戦が実行されます。
特攻作戦もこうした精神主義がもたらしたものでしょう。
 
安倍首相ら日本のタカ派は、戦前の日本のあり方に対する反省がないので、また同じことを繰り返してしまいます。
それに、「国民精神総動員運動」というのは総力戦の時代のやり方です。安倍首相らはどういう戦争を想定しているのでしょうか。短期戦の勝敗に国民の愛国心は関係ありません。
現代の戦争は兵器の性能と兵員の技能が決定的に重要なのですから、「国家安全保障戦略」を策定する以上は、精神主義ではなく合理主義に立ってやってもらいたいものです。
 

アメリカがシリア攻撃をするか否かが現在の国際政治の焦点になっています。米ソの綱引きのおかげで安倍首相は9月5日、サンクトペテルブルクのG20の場でプーチン大統領、オバマ大統領と相次いで会談することができました。
ここは国際社会で日本のプレゼンスを高めるための絶好のチャンスです。
というか、国際社会も日本からの発信を望んでいるに違いありません。
 
たとえば、アメリカのマリー・ハーフ副報道官が「一般人に対する無差別の化学兵器の使用は国際法違反」とシリア政府を非難したのに対して、ロイターの記者が「アメリカが核兵器を使用し、広島、長崎で大量の市民を無差別に殺害したことは、あなたの言う同じ国際法への違反だったのか」と質問し、これに対して各方面から賞賛の声が上がったそうです(ハーフ副報道官はとくに答えず)
 
広島、長崎が取り上げられているのですから、日本からなんらかの発信があっていいはずです。
しかし、日本の有力政治家がこれについてなにか言ったという話はありません。
 
とはいえ、誰も発言できないのもわかります。これは戦後日本のタブーみたいなものだからです。
本音では、原爆投下は最大級の戦争犯罪で非人道的行為だと言いたいのですが、それを言うと日米関係にヒビが入ってしまうので言えないわけです。
東京裁判でA級戦犯が裁かれたのも同じです。内心は不満なのですが、アメリカや国際社会に対してそれを言った有力政治家はいません。
反米左翼なら言えますが、親米保守は絶対に言えないわけです。
せっかくオリバー・ストーン監督が来日して、「日本を降伏させるのに原爆投下は必要なかった」と語っても、政治家からの反応は皆無のようです(マスコミの反応も薄いといえます。マスコミも基本的に親米です)
 
ところで、シリア政府軍はほんとうに化学兵器を使用したのかという問題があります。
国際ジャーナリストの田中宇氏は、シリア内戦は今年に入ってから政府軍優位に展開しており、このタイミングで政府軍が化学兵器を使用するとは考えにくい、反政府側の謀略ではないかという説です。
(無実のシリアを空爆する  2013年8月28日   田中 宇)
 
本当のところはわかりませんが、かりにシリア政府軍が化学兵器を使用したとしても、アメリカがシリア空爆をするのが正しいということにはなりません。これについては、潘基文国連事務総長が9月3日の記者会見で、「武力行使は、国連憲章に基づく自衛権の発動か、国連安全保障理事会の承認がある時のみ合法」と明快に述べています。
 
国連安保理決議なしに他国を攻撃するのは国連憲章違反です。そういう意味ではイラク戦争も国連憲章違反でした。
 
アメリカの主張は、化学兵器が使用されたのになにもしないでいると、化学兵器の使用が許されたことになり、今後化学兵器が使われやすくなるというものです。
これは厳罰主義みたいなものです。悪いことをしたのに罰しないでいると、どんどん悪がはびこってしまうという論理です。
子どもが悪いことをしたら罰しなければいけないという論理でもあります。
 
私はそういう論理にはくみしないのですが、世の中には子どもが悪いことをしたら罰しなければならないと考える人がほとんどです。そういう人はアメリカの主張を否定できないでしょう。
 
ちなみに日本が支那事変を始めた当初は、すぐに国民党政府は降伏すると思っていたのですが、そうはならずに泥沼化します。そうなると、国民はなんのために戦争をしているのか疑問を持つようになります。そのときに考え出された理屈が「暴支膺懲」というものでした。つまり、「支那はけしからんから懲らしめる」というものです。
 
アメリカの理屈はすでに昔の日本が使っていたものです。
また、当時の日本軍は中国で化学兵器も使っていました。
ここで日本がなにか発信すれば、それはまさに「経験者は語る」ですから、説得力があるはずです。
安倍首相は戦車に乗って喜んでいる場合ではありません。
 
ところで、アメリカのシリア攻撃があるとすれば、巡航ミサイルに加えてB52やB2ステルス爆撃機を使って行われるようです。
巡航ミサイルで攻撃する場合、アメリカ側の人的損害はいっさいありません。B52やB2を使う場合は、シリアはソ連製の対空ミサイルを持っているということなので、撃墜される可能性がありますが、それでも死亡者は爆撃機の乗組員の数を越えることがありません。
つまりアメリカは自軍の損害はわずかで相手に圧倒的な損害を与えられるわけです。
 
ですから、これは非対称的な戦争です。
というか、戦争とは呼べないような気がします。
おとなが子どもをムチ打つのに近いでしょうか。
 
とにかく、アメリカ軍の損害は極小で大きな戦果を挙げることが約束されているのですが、国際世論はもちろん、アメリカ国内の世論もシリア攻撃には否定的です。
もちろんイラク戦争のときに大量破壊兵器があるといっていたのになかったということが影響しているのでしょう。しかし、それはシリア政府軍が化学兵器を使ったということをちゃんと説得すれば払拭できるはずです。
 
私が思うに、アメリカ人も一方的な攻撃に疑問を持つようになったのでしょう。
将棋の格言にも「うますぎるときは注意せよ」と言います。
一方的に勝利しても、負けたほうは黙っていません。
軍事的に勝てないのなら、それ以外の方法を使います。つまりテロです。
軍事施設を狙うことがむずかしいなら、民間人を狙います。
 
アメリカ人も一方的な軍事的勝利はテロという形で返ってくるということを理解してきたのではないかと私は思います。
 
そういうことを踏まえると、オバマ大統領がシリア攻撃の意向を表明したことについて安倍首相が「大統領の重い決意の表明と受け止めている」と述べたことは、国際世論からもアメリカ人の思いからもかけ離れたもので、対米追随しかない日本の政治家の無様な姿をさらしたものと言わざるをえません。

北朝鮮が2月12日、3度目の核実験をしました。まったく身勝手なふるまいです。
当然、国際社会は北朝鮮を非難しています。しかし、どういう理由で非難しているかというと、「国連安保理決議に違反している」ということなのです。
その決議というのは 安保理決議2087のことで、昨年12月に北朝鮮が強行した「ロケット」(事実上の長距離弾道ミサイル)発射を非難するとともに、核兵器についてこのように主張しています。
 
3.北朝鮮に対し,すべての核兵器及び既存の核計画を,完全な,検証可能な,かつ,不可逆的な方法で放棄すること,関連するすべての活動を直ちに停止すること及び弾道ミサイル技術を使用したいかなる発射,核実験又はいかなる挑発もこれ以上実施しないことを含む,決議第1718号(2006年)及び第1874号(2009年)の義務を直ちにかつ完全に遵守することを要求する。
 
しかし、なぜ北朝鮮が核兵器開発をしてはいけないのかということは書かれていません。それはそうでしょう。アメリカやロシア、インドやパキスタンも核兵器を持っているのに北朝鮮だけ持ってはいけないという理屈はないからです。
 
ということは、国際社会は北朝鮮に対して、「俺たちの決めたことに従わないからけしからん」と言って非難しているわけで、国際社会もまた身勝手であることは北朝鮮と変わりません。
 
国際社会というのは、主権国家がそれぞれに国益を追求することが当然とされる場なので、北朝鮮の行動も理論上は非難できません(自国民が飢えているのに核開発に金をかけるのは許されないという人道上の非難はありえますが)
 
ほんとうに北朝鮮に核開発をさせたくないのなら、EUみたいに国家主権を制限する方向に行かねばなりませんが、そういう議論あまり行われません。
 
また、北朝鮮がこれまで核開発を行ってきたのは、アメリカがそれを許してきたという面もあります。
 
なぜ対北朝鮮より対イランに強気なのか? オバマ米大統領が一般教書演説
オバマ米大統領は12日夜(日本時間13日午前)、議会での一般教書演説を行った。最低賃金の引き上げや地球温暖化対策、インフラ改修、教育支援などのリベラル政策を並べ、社会改革を進める姿勢を示した。だが、演説の中で際立ったのは、核開発を進める北朝鮮とイランに対する姿勢の違いである。
  
オバマ大統領は3度目の核実験を行った北朝鮮について、「昨夜のような挑発は、国の孤立を深めるだけだ。我々は同盟国と協調し、ミサイル防衛を強化し、脅威に対する確固たる対応で世界をリードする」と述べた。しかし、賛同の拍手はなく、議場内は水を打ったように静かだった。
 
かたや、イランについて「核兵器を持たせないために必要なあらゆる措置を取る」と述べたシーンでは、議員らがスタンディング・オベーションの誘い、極めて対照的な光景となった。
(後略)
 
なぜアメリカがイランに対してきびしいかといえば、ひとつにはイスラム国だということがあるでしょう。それに、イランではアメリカ大使館人質事件というのがあり(444日にわたって大使館員らが人質になった)、それに対する恨みもあるかと思われます。
一方、北朝鮮に対しては、身勝手なふるまいはするが、それなりに国益のための合理的な行動だと見ているのでしょう。ですから、北朝鮮に対しては抑止力が効くので、核武装をしても怖くないと思っているに違いありません。
アメリカがほんとうに北朝鮮に不信感を持っていれば、核開発阻止のためにすでに軍事行動を起こしているはずです。
 
では、日本が核武装をするとしたらアメリカはどう出るでしょうか。北朝鮮の核開発に対して日本も対抗するべきだという声がこれから強くなるかもしれません。
 
軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は、アメリカは日本の核武装を絶対許さないと主張しておられますが、私も同じ考えです。
 
核抑止論というのは、相手の国が生き残るために合理的な行動をするということが前提になっています。
しかし、アメリカは日本を合理的な行動をする国とは思わないでしょう。
なにしろ真珠湾攻撃の過去があります。アメリカ人にとってこれは大ショックでしたし、9.11のときもアメリカ人はパールハーバーのことを連想したように、今も忘れていません。いつ不意討ちをしてきてもおかしくない国という認識でしょう。
それから、神風攻撃のこともあります。イスラム過激派の自爆テロもカミカゼの影響を受けたものですが、死を恐れない相手には核抑止論は無効です。
つまりパールハーバーとカミカゼの過去がある日本が核武装をするということは、アメリカにとっては絶対に許すことができないはずです。
 
日本人は、北朝鮮はなにをするかわからない国と思っていますが、実際のところは国家体制の護持を第一にしていろいろな駆け引きを行っています。
日本も過去、「国体護持」をスローガンにしていましたが、実際のところは国体を崩壊させる方向に行動してしまいました。それによる信用の失墜は今も尾を引いているに違いありません。
 
安倍首相は2月14日、オバマ大統領と電話会談を行い、北朝鮮の核実験を受けて、北朝鮮への制裁強化などについて話し合ったということです。一見、日本とアメリカは価値観を共有しているようですが、核保有ということに関しては、日本はアメリカから北朝鮮よりも信用されていない可能性があります。
安倍首相も無意識にそれを理解していて、集団的自衛権の問題などで必死にアメリカに恭順の姿勢を示そうとしているのかもしれません。

「差別的」であるとして連載が中止になった佐野眞一氏の週刊朝日掲載「ハシシタ 奴の本性」第一回はなかなかおもしろい読み物で、佐野氏が9月12日の「日本維新の会」の旗揚げパーティに出席して、会場の人間に取材していると、阪神タイガースの野球帽をかぶり、リュックを背負った老人と出会った話が書かれています。
老人は90歳だということで、名刺には「なんでもかんでも相談所 所長」と書かれ、裏には「家訓 男は珍棒 女は子宮で 勝負する」と書かれています。老人は橋下徹氏の出自について差別的なことをしゃべりまくりますが、そのあとの部分を引用します。
 
ところで、会になぜ参加したんですか。本題の質問に移ると、またまた頓珍漢な答えが返ってきた。
「今の政治家は誰も戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」
橋下も戦争を知りませんよ。そう言おうとしたが、「男は珍棒 女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのはやめた。
いかにも橋下フリークにふさわしい贅六流のファシズムだと思った。
 
この90歳の老人が戦争を望んでいると結論づけるのは必ずしも正しくはないと思いますが、ありえないことではないと思います。
 
若い世代が戦争を望む心理については、フリーライターの赤木智弘氏が「希望は戦争」という言葉で表現しています。赤木氏によると、将来にまったく希望の持てないフリーターや派遣などの若者にとっては、戦争が起こって社会が流動化することがチャンスだというわけです。
 
では、老人が戦争を望む心理はどうなっているのでしょうか。私の父親はもう亡くなりましたが、もし生きていれば95歳です。この父親が戦争関連の本をいっぱい持っていました。戦争物は子どもが読んでもけっこうおもしろいので、そのため私もへんに戦争通になってしまいました。
父親は大学工学部を出て海軍に入り、技術将校として呉や横須賀に勤務し、外地に行ったことはありません。空襲でもそんな危険な目にはあわなかったようです。内地勤務の海軍将校というのはきわめて恵まれた生活だったようで、毎日ビールを飲んでいたと言っていました。また、そのころは女性にもてたということもよく自慢していました(実際、当時の海軍士官は女性の憧れの的だったようです)。戦後は技術者として中小企業に勤務していましたから、もしかして父親が人生でいちばんよい思いをしたのは海軍時代だったのではないかと思われます。
父親は戦争を望んでいるということはなかったと思いますが、戦争の悲惨さを体験していないだけに、戦争に負けたことが納得いかないという心理はあったのでしょう。戦争関連の本をよく読んでいたのもそのためではないかと思います。
 
中曽根康弘大勲位は海軍主計将校でした。乗っている艦が被弾するという経験もしたようですが、主計将校は基本的に戦闘には参加しませんし、業者から接待される立場ですから、技術将校以上に恵まれています。中曽根氏がずっとタカ派政治家であったのは、やはり戦争中にいい思いをしたからではないかと思います。
 
野中広務元自民党幹事長は、戦時中は兵卒でした。内地にいて戦闘経験はないようですが、軍隊で悲惨な思いをしたに違いありません。政治家としてはずっとコワモテでしたが、戦争反対の姿勢は一貫していました。ウィキペディアの「野中広務」の項目によると、しんぶん赤旗のインタビューを受けたことについて、「政治の最大の役割は戦争をしないこと。『戦争反対』であれば、どんなインタビューでも受けますよ」と語ったということです。
 
石原慎太郎前東京都知事は、父親が商船三井の前身の山下汽船に勤務して、関連会社の重役にまで出世し、戦時中に住んでいたのは山下汽船創業者の別邸だったということで、戦時中の食糧難など知らない恵まれた生活だったようです。もし石原氏が平均的日本人のように飢えを経験していたら、タカ派政治家になることはまずなかったでしょう。
 
戦時中、日本人のほとんどは悲惨な目にあいましたが、少数ながらいい目にあっていた人もいて、そういう人の戦争に対する態度は普通の日本人とは異なっています。佐野氏が出会った90歳の老人もその類の人だったのでしょうか。
 
その人が橋下氏に期待するのは正しいといえるかもしれません。橋下氏は週刊朝日と佐野氏との喧嘩のやり方を見てもわかるように、喧嘩上手な人ですから。
 
戦争を経験した世代でも、戦争を希望する人がいます。今の世代で戦争を希望する人はもっと多いでしょう。
 
そもそも男性は女性のようには、自分の子どもが自分の子どもであるという確信が持てません。そのため、自分が死ぬことの虚しさは女性以上で、それから逃れるために、自分の死をなんとか粉飾しようとしてきました。「名誉の戦死」はその最たるものです。
 
「名誉の戦死」を間近に見る時代がやってきたようにも思えますが、「名誉の戦死」というような粉飾がいつまでも通用するはずがありません。
戦争についての認識を深めることが戦争を回避する最良の手段です。

11月6日、ラオスで開かれたアジア欧州会議において野田首相は、「尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがなく、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」と、「尖閣」の固有名詞を挙げて中国に対して反論しました。
それに対して、というわけではないでしょうが、中国の胡錦濤国家主席は8日、中国共産党第18回党大会での政治報告で、中国は新たな段階に向けた積極防衛戦略を実行し、幅広い軍の任務を遂行する能力を高めるべきだと指摘し、海洋資源については「われわれは、海洋資源の開発能力を高め、中国の海洋権益を断固として守り、中国を海洋国家としてつくり上げるべきだ」と述べました。
そしてアメリカではオバマ大統領が再選され、当選が確定した7日のニューヨーク株式市場では金融株とともに防衛関連株が大きく値を下げました。
 
この三つの出来事が指し示すものはなにかというと、日中間軍事衝突の可能性の高まりです。
 
支持率最低の野田政権は、総選挙をやると民主党が惨敗することはわかっています。選挙で負けない方法はなにかと考えると、戦争が起こるか、戦争の危機が高まることです。
戦争に直面すると、国民は本能的に一致団結しようとしますから、政権与党が圧倒的に有利になります。選挙が始まって、いいタイミングで軍事衝突が起こると、民主党勝利の目が出てきます。というか、それ以外に民主党勝利の目はありません。
もちろん野田首相はそのことはわかっています。なにをやってもさえない野田首相ですが、こと尖閣問題になると妙に歯切れがよくなります。自分は尖閣問題を利用するしかないとわかっているからでしょう。
 
ところで、冒頭でアジア欧州会議における野田首相の発言を紹介しましたが、新聞に載っていたのは正確にはこうです。
 
「尖閣諸島が我が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがなく、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない。我が国は戦後、一貫して平和国家の歩みを堅持してきた」
 
つまり、最後の「我が国は戦後、一貫して平和国家の歩みを堅持してきた」という部分は余計だし、つながりも悪いと私が判断して削除したのです。
しかし、よく考えてみると、この部分は重要だったかもしれません。というのは、開戦の論理というのは、「わが国は最後まで平和を求めて努力してきたが、相手国がその努力にまったく応えないために、今回やむなく開戦を決意した」というものに決まっているからです。野田首相が我が国は平和国家であるということをわざわざつけ加えたのは、戦争を意識しているからかもしれません。
 
中国においても、政府が日本に強硬な姿勢を示すことは国民の支持を得るためにも重要です。ただ、軍事衝突を望んでいるとまではいえないかもしれません。
それでも、中国人は軍事衝突に対する心理的抵抗がほとんどないだろうということは知っておく必要があります。
 
中国は1962年にインドとの国境問題で大規模な軍事衝突を経験していますし、1969年3月にはソ連と黒竜江の中州にある島の領有権を巡って大規模な軍事衝突を経験し、同年9月には新疆ウイグル自治区でも軍事衝突が起きました。また、1974年、ベトナム戦争末期に、中国は南ベトナム政府が実効支配していた西沙諸島を攻撃して占領し、支配下に置きましたし、1988年にはベトナムの統治下にあった南沙諸島を攻撃して支配下に置きました。つまり中国は国境問題での軍事衝突は何度も経験していますし、島を攻撃して占領することも経験しているのです(あと、朝鮮戦争や中越戦争やチベット侵攻も経験しています)
ですから、日本人は戦後一度も軍事衝突を経験したことがないので、攻撃を決断する心理的なハードルはかなり高いのですが、中国人はぜんぜん違うのです。
 
もっとも、アメリカの存在があるので、中国も軍事行動には出られないだろうと考える人も多いでしょう。野田政権にしても、アメリカの意志に反した行動はできないはずです。
ここで、オバマ大統領の当選が問題になってきます。
 
オバマ政権は今後、軍事費を大幅に削減していく方針です。アメリカの産軍複合体にとってこれは絶対に許せないことです。
ケネディ大統領が暗殺されたのは、ケネディ大統領がベトナムから撤兵しようとしたためだという説があります。ブッシュ大統領が「イラクの大量破壊兵器保有」という捏造をしてまでイラク戦争をしたのも、産軍複合体の利益のためだと考えられます。
産軍複合体は軍事費を削減されないためになんらかの陰謀を巡らす可能性があります。
 
イスラエルが核兵器開発をやめないイランを軍事攻撃することがあるかもしれませんが、これはすでに織り込み済みです。
しかし、尖閣を巡って日中が軍事衝突すれば、これはまったく新しい事態ですから、オバマ政権も戦略を変更せざるをえません。
というか、産軍複合体にとってはこれ以外に手がないといえます。
ということで、産軍複合体が日本と中国を巻き込んで、偶発を装った日中間の軍事衝突を起こす可能性があると思われます。
 
もちろん、以上述べたことはあくまで可能性です。
しかし、「利害関係」を考えれば十分にあり得ることです。
少なくとも尖閣問題を「愛国心」や「正義」で見ているのはまったく愚かなことといわねばなりません。

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