村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 戦争・テロ・平和

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Eric PerlinによるPixabayからの画像 

私がムンクの「叫び」を初めて見たのは、中学校の美術の教科書でした。
教科書にいろいろな絵が載っている中で「叫び」は明らかに異色で、狂気を感じさせる絵に衝撃を受けたのを覚えています。
昔は私のような受け止め方が一般的だったでしょう。
しかし、今は「ムンクの叫び人形」のようなものがつくられ、絵の人物がおもしろキャラクターとして扱われて、むしろ笑える絵と見られている面があります。

絵は昔も今も同じですから、見る側の認識が変わってきたのです。
ユニークな絵ですから、メディアで取り上げられることも多く、みんなが見慣れてきたということもあるでしょう。
見慣れたということも含めて、私たちは狂気や異常性を感じさせる絵を普通に受け入れるようになっているのです。


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(ゾンビパレード)geri clevelandによるPixabayからの画像

ゾンビも、もともとはスプラッターホラーと言われるジャンルの映画から出てきたもので、ゾンビが人間の内臓をむさぼり食うシーンなどがあって、一部のマニアに受けていただけで、一般の人には嫌われていました。スプラッターホラーは宮崎勤事件などと結びつけられたこともあります。
ホラーの中でもゾンビものはもっともグロテスクですが、それがどんどん人気になって、「ウォーキング・デッド」というドラマ・シリーズは高視聴率番組となっています。
そして、ハロウィンの仮装の定番にもなりました。
見た目にもっともおぞましいものが、おもしろがられるようになっているのです。


異常で残虐なものを受け入れるようになってきたのは、戦争映画も同じです。
「ビーチレッド戦記」という映画の解説で町山智浩氏が語っていたのですが、ハリウッドにはヘイズ・コードという規制が1968年まであって、人体が破壊されるようなシーンをはっきり撮ることはできなかったそうです。ですから、弾丸が人の体に当たっても血が出ることはなく、穴が空くだけです。
そう言われてみれば、昔の戦争映画では、銃で撃たれてバタバタと人が倒れたり、崖から落下したり、爆発で人の体が派手に吹っ飛んだりするシーンはありますが、血が出たり、手足がもげたりするような残虐シーンはありません。“きれいな死”ばかりです。
「ビーチレッド戦記」はインディペンデント映画なので、そういう規制は無視して、上陸作戦のとき、水にちぎれた足が浮いているとか、隣の兵士の喉にパックリ穴が空いているとか、激しい砲撃の中で腕をなくした兵士が突っ立っているとかの残虐シーンがあり、画期的でした(1967年制作の映画なので、ベトナム反戦の意味があると想像されます)。

スピルバーグ監督の「プライベートライアン」は、「ビーチレッド戦記」の影響を受けたということで、残虐シーンがてんこ盛りです。メル・ギブソン監督の「ハクソーリッジ」は、それに輪をかけた感じです。
これらは血の出る戦争映画ということで、“スプラッター戦争映画”と言えるかもしれません。
それを私たちはエンターテインメント映画として受け入れています。

ホラー映画も、昔はほとんど血が出ませんでした。ドラキュラものも、首筋に牙でかみつくシーンはありますが、ほとんど血は出ません。ヒッチコック監督の「サイコ」も、ナイフを使っての殺人シーンは、カーテン越しのナイフの動きと、床に流れるシャワーの水に血が混じるという形で表現されました(しかもこれはモノクロ映画です)。


また、幼児虐待で子どもが死亡する事件は、今に始まったものでなく昔からありましたが、昔はそういう事件があっても、まったく報道されないか、報道されてもいわゆるベタ記事でしか扱われませんでした。幼児が親から虐待されて死ぬというのはあまりにも悲惨なので、そのような報道はみんなが拒絶していたのです。
今は幼児虐待事件は大きく報道されます。このように変わったのは、私の感覚ではせいぜい十年ぐらい前からです。


このように異常で残虐なものは、昔は多くの人が拒絶していましたが、今は一般の人が普通に受け入れるようになっています。
これはきわめて大きな変化です。
もちろん認識の上での変化ですが、それは現実にも影響を及ぼすはずです。

異常で残虐なことを目にするのに慣れると、自分も同じことをしやすくなるという考え方もありそうですが(スプラッターホラーと猟奇殺人事件が結びつけられたのもそれです)、現実はむしろ逆です。
殺人や強盗のような凶悪犯罪はへり続けています。
へっている理由はいろいろあるでしょうが、ひとつにはナイフで人を刺すと血が流れるとか、刺された人はもがき苦しむといったことが認識されてきたこともあるのではないでしょうか。

戦争も、昔のような大規模なものはなくなってきました。
この理由もいろいろありますが、昔のように戦争が経済的利益に結びつかなくなったことが大きいでしょう。それから、戦場では人が血を流して苦しんで死ぬということが認識されてきたことも影響しているのではないでしょうか。

幼児虐待事件が減少しているとは今のところ言えないようですが、幼児虐待の存在が広く認識されるようになり、対策が進められているので、いずれ事態は改善に向かうはずです。

精神病への偏見も少なくなり、猟奇事件の犯人の心理も、“心の闇”で片づけることなく、解明することに関心が向いています。

人類は宇宙の果てや量子の世界にまで認識を広げています。
それと同様に、異常、残虐、グロテスクといったものにも認識を広めています。
これも人類の大きな進歩です。

台湾の金門島に行きました。

金門島というと、台湾と中国の中間ぐらいの位置にあると思っている人が多いのではないでしょうか。
実際は、中国本土の一部としか思えない位置にあり、中国の厦門市の高層ビル群が肉眼で見えます。金門島

日本が台湾を統治していたときも、金門島は統治していません。ずっと中国の一部であったわけです。

中国大陸の戦いで負けた国民党軍は台湾と金門島に逃げました。
共産党軍は1949年に金門島に上陸し、国民党軍と激戦を繰り広げますが、撃退されます。これを古寧頭戦役と言います。
1958年には共産党軍が本土から島に向けて大規模な砲撃を行い、国民党軍も砲撃で応戦しました。8月23日から10月5日まで行われたので、台湾では八二三砲戦と呼ばれています。
砲戦はそのあとも1979年まで断続的に続きました。
ですから、金門島は中国・台湾対立の最前線です。

金門島にはさまざまな戦跡があるので、私が見た範囲のものを紹介します。


翟山坑道
砲爆撃に耐えられるように地中を掘ってつくられた船着き場です。
入口の前に戦車や高射砲、上陸用舟艇などが陳列されています。
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坑道は「A」の字型をしています。
今は出入口がせき止められているので、水面が鏡のようです。
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ありがたい軍人精神も書かれていました。
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馬山観測所
ここは中国大陸にいちばん近い場所になり、軍の観測所が設けられました。これも完全に地下化されています。
入口からやたら長いトンネルが続きます。
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ここでは中国向けのプロパガンダ放送も行われ、テレサ・テンも放送に協力したということで、等身大の写真がありました。
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観測所からの眺めです。手前に見えるのは中国領の島で、その向こうにぼんやり見えるのが中国本土です。
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獅山砲陣地
地下陣地の砲台です。
ここにも入口前に大砲などが展示されています。
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ここでは1日に4回ほど本物の兵士が大砲を操作して発射の実演をするのが観光名物になっています。
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北山古洋楼
古寧頭戦役の激戦で銃弾の跡の残った建物が今も保存されています。
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慈湖落日観海平台
海岸に設けられた三角堡というトーチカがあります。
周囲に戦車が展示されています。
海岸には敵の上陸を阻止するための障害物が設置されています。

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古寧頭戦史館
絵画と兵器などが展示されていますが、内部は撮影禁止です。

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ここの展示物はたいしたことありませんが、館員に言えば、日本語バージョンの13分の解説ビデオを見せてくれます。これを見れば、金門島における中国と台湾の戦争の概略がわかります(あくまで台湾側の見方ですが)。

なお、ここを含めて金門島内のすべての観光施設は無料です。

第二次大戦が終わってから始まった国共内戦で、国民党軍は連戦連敗で、とうとう海に追い落とされたわけですが、金門島における戦いでは国民党軍が勝利します。これは不思議なことです。
解説ビデオによると、第二次大戦で使って廃棄される予定の米軍戦車を国民党軍は使用したということです。これが大きかったのではないでしょうか。

また、八二三砲戦では、途中から投入された米軍の 203mm榴弾砲の威力がすさまじく、二発撃っただけで共産党軍は核爆弾だと誤解して戦意を喪失し、国民党軍の勝利につながったのだということです。
砲撃を核爆発と間違えることなどあるわけがないと、そのときは思いましたが、あとで調べてみると、当時は米軍が空母を近海に出動させていて、核攻撃の可能性も言われていたということです。兵隊の心理としてそういうこともあったかもしれません。

なお、古寧頭戦役で国民党軍が勝利したのは日本人の力があったからだということを、門田隆将氏が「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」というノンフィクションで書いています。しかし、タクシーの運転手に「戦いに日本人も参加したことを知っているか」と聞いたところ、まったく知らないようでした。


金門島の現在
そうした歴史を振り返ると、金門島は今も最前線の緊張に包まれていそうなものですが、全然違います。
中国本土からフェリーで多くの観光客が金門島を訪れ、本土からパイプラインで水道水が供給されるようになり、中国本土との一体化が進んでいます。
そもそも大砲陣地や観測所が観光地化していることを見ても、緊張感のないのがわかります。

重要な陣地は隠されているのでしょうが、私は金門島に3日間滞在して、獅山砲陣地で大砲発射の実演をした兵士以外に軍服の兵士は見かけませんでしたし、軍用車両も見ませんでした。

現代の戦争は、上陸して島を占領するとか、砲撃戦をするとかではなく、航空戦で決着するのかもしれません。
もっとも、航空戦で勝利したからといって、昔みたいに領土や市場や賠償金が得られるわけでもありません。

そういうことを考えると、最近の自衛隊は離島奪還演習をよくやっていますが、果して意味があるのかと考えてしまいます。


風獅爺(おまけ)
金門島は風が強く、風獅爺という風よけの守護神みたいなものがあちこちに置かれています。
シンガポールのマーライオンや沖縄のシーサーにも似ています。華僑を通して文化の交流があったのでしょう。

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色彩が人間の心理に影響を与えることは知られていて、いろいろなことに応用されていますが、刑務所の部屋をピンク色にすると、囚人の攻撃性が低下し、おとなしくなるという心理学研究が発表されました。

「牢屋の壁をピンクに塗ると囚人の攻撃性が下がる」画期的なはずのアイディアがなぜか物議に

この記事から一部を引用します。

この「沈静のピンク」はスイスの10の刑務所で採用され、4年後には刑務官らによって囚人に特筆すべき暴力性の低減が見られたことが報告されました。Späth博士は同時により早いリラックス効果もあることを指摘しています。

この「沈静のピンク」はスイスを飛び出してドイツの複数の刑務所でも採用されているとのこと。Späth博士は空港のセキュリティエリアや学校、精神病院でも採用すべきだと提案しています。

ただ、スイスの元受刑者は「まるで『小さな女の子の寝室』のような牢屋に入れられるのは極めて屈辱的だった」と語ったということで、受刑者にとっていいことなのかという疑問が記事には書かれています。

私が感じた疑問は、刑務所にいる間は攻撃性が低下しても、刑務所を出たら元に戻るのではないかということです。そうであれば、看守がちょっと楽ができるだけのことで、たいした意味はありません。

ピンク色が人間の攻撃性を低下させるなら、むしろ刑務所以外での活用が本線でしょう。
記事には、空港のセキュリティエリア、学校、精神病院が例として挙げられていますが、方向性が間違っています。
とくに学校と精神病院を並べているところなど、この心理学博士の思想が心配です。
ミシェル・フーコーが刑務所、学校、病院、兵営、工場を一望監視施設として管理主義の観点から論じたことが想起されます。

攻撃性を低下させる必要のある人間は誰かというと、刑務所や学校の中にはいません。いるのはたとえばホワイトハウスです。
ホワイトハウスをピンクハウスにするべきです。建物の外観だけでなく内装もピンク色にします。
ロシアのクレムリンとか中国の国務院とかも同じです。
国家の指導者のいる場所をピンク色にすると、世界がより平和になります。

日本の場合は、国会議事堂内部が暗く古色蒼然とした雰囲気で、しかも絨毯が鬱血を想像させるような赤黒さで、議員の心理にも悪影響があるに違いありません。
内装をピンク色にするだけでなく、ガラス張りの明るい雰囲気で、中庭の緑が眺められるような建物にすれば、日本の政治もよくなるのではないでしょうか。

また、政治家などが使う公用車もたいていは黒塗りですが、これもピンク色にするべきです。

暴力的な映画は年齢制限がかけられて、子どもは見れないようになっていますが、これも方向性が違います。
暴力的な映画は政治家や国家の指導者にこそ見せないようにするべきです。
戦争映画はたいてい、主人公の側の軍隊が敵兵をバタバタと倒して勝利することになっていますが、国の指導者がこんなものを見て勘違いすると危険です。

ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とありますが、ユネスコは教育の機関でもあるので、これは子どもの心に平和のとりでを築くという意味だと理解されています。
しかし、これも方向性が違います。子どもはおとなを手本にして成長するので、おとなを変えずに子どもだけ変えようとしてもうまくいきません。おとなを変えるべきです。


とはいえ、おとなを変えるのもたいへんなことです。
ホワイトハウスをピンクハウスにするのは、ネズミがネコの首に鈴をつけるのに似ています。
しかし、正しい方向性さえ認識していれば、少しずつでも世界をよくしていくことができます。

「平和」と「安全」は別の概念ですが、政治の世界では「安全」や「安全保障」という言葉が「平和」と同じような意味で使われています。
たとえば、防衛省のホームページの「わが国の安全保障」と題された文章の冒頭は、「平和と安全は、国民が安心して生活し、国が発展と繁栄を続けていく上で不可欠です」となっています。
「平和」と「安全」が同列になっています。
 
世界が平和なら自国も安全になります。そのため平和と安全が似た概念と思われるのかもしれません。
 
しかし、世界が戦争をしていても自国が安全だという場合があります。たとえば第二次世界大戦のときのスイスなどがそうです。これは安全保障政策としては成功したことになります。
 
戦争しながら自国が安全だという場合もあります。たとえば日清、日露、日中戦争をしていたときの日本がそうです。これも安全保障政策としては成功していたことになります。日本国民は兵隊以外、空襲にあうまで安全な生活を享受していました。
アメリカはアフガニスタン、イラクで戦争をしているとき、一部にテロはありましたが、自国は基本的に安全でした。
 
つまり安全と戦争は両立しうるのです。
いや、安全の追求が戦争を起こすといったほうがいいかもしれません。
 
昔の日本も、「満蒙は日本の生命線」などと言って海外で戦争をしたわけですし、アメリカはテロや大量破壊兵器からの安全を求めてアフガニスタンやイラクに攻め込んだわけです。
 
現在の日本では、敵基地攻撃能力を持つべきだという意見が一部にあります。もし日本が北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃したら、自国の安全のために他国の安全を侵したことになります。

平和というのは相手とともに享受するものですが、安全というのは、相手の安全を侵して自分だけ安全になるということが可能です。
しかし、そのような利己的な振る舞いは、結局うまくいかないものです。
 
よく「一国平和主義」はだめだと言われますが、「一国平和主義」というのは言葉として矛盾しています。「一国安全主義」ないし「一国安全保障主義」というべきでしょう。
戒めるべきは「一国安全保障主義」です。
 
安倍首相は「積極的平和主義」という言葉を使いますが、これも「積極的安全保障主義」と言うべきでしょう。平和主義とは別物です。
 

終戦記念日が近づき、戦争と平和について考える季節になりました。
 
森友学園の幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせていたように、日本人の中にはまだ軍国主義時代に戻りたいと思っている人たちがいます。
一方に、憲法九条を守ることにこだわっている人たちがいます。
この両者は、角突き合っているうちに角がからまって身動きがとれなくなった二頭の雄鹿のようです。
どちらも過去にこだわっているので、未来志向の平和論が出てきません。
 
政治学では、平和とは「戦争が発生していない状態」という意味です。
これは「ローマの平和」という言葉があるように、「力の支配による平和」という意味でもあります。
 
しかし、私たちが普通に思う平和とは、「みんなが仲良くなって戦争が起こらない状態」のことです。
これは「真の平和」です。
 
世の中には「力の支配による平和」を目指している人と「真の平和」を目指している人がいて、両者の考える「平和」の意味が違うので、それを区別しないと議論が混乱します。
 
 
「力の支配による平和」よりは「真の平和」が好ましいのは当然で、私は「真の平和」はどうすれば実現できるかと考えてきました。
 
古代の戦争を研究する「戦争考古学」という分野があって、それによると戦争が行われるようになったのは農耕が始まってからで、狩猟採集社会では戦争と呼べるほどの争いはなかったということです。ですから、戦争は人類の本能というわけではありません。
このことはこのブログでも書きました。
 
戦争考古学のススメ
 
しかし、文化人類学によると、狩猟採集段階の未開社会ではけっこう部族間の争いがあって、ほとんど戦争と呼べるぐらいです。原始時代とはちょっと違うようです。
 
生物学によると、なわばりを持つ動物はつねになわばり争いをしています。各個体はつねに公平より少し利己的に振る舞うようにできているからです。ただ、なわばり争いはそれほど深刻にはなりません。
 
人間も本能レベルでは公平より少し利己的に振る舞うのは同じです。しかし、その振る舞い方は本能レベルにはとどまらず、どんどん激化していき、戦争をするようになったと考えられます。
 
みんなが仲良くなって争わないという「真の平和」は、限定的な場面では生じることがありますが、外部と交流したり、次の世代が生まれたりすると、崩れてしまいます。
「真の平和」という理想は長続きしないのです。
 
結局のところ、長続きする平和は、「力の支配による平和」ということになります。
昔の村でも、長老の裁定による村八分という秩序維持システムがありました。
今の社会には警察があって、それで個人の利己的な振る舞いを抑えて治安を維持しています。
国際社会もそれと同じはずです。
 
 
われわれは「真の平和」は当面諦めて、「力の支配による平和」を目指すしかありません(「真の平和」は人類がもっと知恵をつけた未来に実現するかもしれません)。
そうすると、アメリカに頼って、アメリカの力で平和を維持してもらおうということになりますが、これはよくありません。
なぜならアメリカもまた利己的に振る舞うからです。
「ローマの平和」といいますが、多くの人はローマ帝国に支配され、奴隷にされていたわけで、それと同じことになります。
 
アメリカであれ中国であれ、覇権国が世界を支配すると、支配される側は不幸です。
 
となると、民主的に運営される機関、つまり国連の力で世界を支配してもらおうという「国連中心主義」が正しいという平凡な結論になります。
 
 
ともかく、今の日本には、
「真の平和」を求める理想主義的な人、
アメリカの覇権を望む人、
国連中心主義の人、
の三種類の人がいると考えると、議論がわかりやすくなります。
 
ただ、アメリカの覇権を望む人は、自分の正体を隠そうとするのでやっかいですが、たいてい国連をバカにしたことを言うので見きわめられます。
 

アメリカがシリアの空軍施設をトマホークで攻撃したのは、アサド政権が化学兵器を使用したというのが理由です。
朝日新聞は化学兵器で被害にあった民間人の様子をやけに詳しく報道していますが、こういう報道を見ると、逆にあやしく思えてきます。アメリカが戦争を始めるときに謀略はつきもので、メディアもあやつられている可能性があるからです。
 
アサド政権が化学兵器を使ったのが事実だとしても、それがそれほどの“悪”かという問題があります。
大量破壊兵器とされるものには、核兵器と生物化学兵器の2種類があります。生物化学兵器は国際条約で禁止されていますが、核兵器は禁止されていません。核兵器禁止条約案が国連に提出されていますが、アメリカや日本が反対していて、採択のめどが立っていません。
 
化学兵器は容易につくれて大量殺人が可能なことから「貧者の核兵器」とも言われます。先進国は自分たちだけ核兵器を持って、途上国が「貧者の核兵器」を持つのは許さないわけです。
アメリカはアサド政権が化学兵器を使ったのはけしからんと言いながら、自分は核兵器を先に使う権利があると主張しています。
 
 
そもそも国際法というのは先進国に有利にできています。
 
残酷な兵器ということで最初に禁止が議論されたのはダムダム弾です。
ダムダム弾というのは、銃弾の先端に鉛を露出させたもので、体内で銃弾が砕けてダメージを大きくする効果があります。インドのダムダム兵工廠でつくられたのでこの名前があるそうです。最初はイギリス軍が植民地の反乱を鎮圧するために使いましたが、すぐに反乱軍も使うようになります。銃弾の先端に刻みを入れるだけでダムダム弾になるからです。

これは不必要な苦痛を与えるということで、1899年に採択されたハーグ陸戦条約で禁止されました。殺傷力の強い兵器はいっぱいあるのに、なぜこんな原始的なものが禁止されたかというと、これもまた“貧者の兵器”であるからです。
イギリスなど先進国の軍隊は機関銃や大砲などがありますが、植民地の反乱軍にはライフル銃ぐらいしかありません。ダムダム弾の禁止は先進国に有利です。
 
私の父親は元海軍士官で、やたら戦史に詳しい人でした。私は父親から「イギリス軍はダムダム弾に苦しめられたので禁止兵器にした」という話を聞いたことがあります。今回、ネットで調べてみると、「不必要な苦痛を与えるので禁止された」という記述があるだけで、先進国と後進国の関係に言及したものは見つかりませんでしたが、ダムダム弾禁止が先進国に有利な規定であることはまぎれもない事実です。
 
なお、ハーグ陸戦条約には、捕虜としての扱いを受けるには、遠くからでもわかりやすい特殊徽章をつけていなければならない(つまり実質軍服を着ていなければならない)という規定があり、必然的にゲリラやレジスタンスなどは除外されます。これも先進国に有利な規定です。
 
日本のメディアなどは、アサド政権が化学兵器を使用したと鬼の首を取ったように騒いでいます。しかし、シリア人権監視団によると、2011年3月から2016年9月までの内戦による死者の数は約30万人になり、今回のアサド政権軍による化学兵器攻撃による死者は100人程度です。
また、アメリカはハイテク兵器を駆使して多数の戦闘員と民間人を殺していて、ドローンを使った攻撃のように、自分は絶対安全地帯にいて敵だけ殺すということも行われています。これは非難されなくて、化学兵器攻撃だけ非難されるのは果たして公平でしょうか。
 
化学兵器使用は国際法違反だと非難されていますが、今の国際法こそがテロや内戦を生む元凶かもしれません。

12月の初め、たまたま通りがかったある駅前広場でイルミネーションの点灯式をやっていて、地元の高校のブラスバンド部が演奏していました。
2人の女子高生が漫才のようなかけ合いで曲紹介をやるのがいかにも今風です。
夜空にちなんだ曲ということで「アクエリアス」が紹介され、その演奏を聴いていると、これは確か反戦歌だったなと思いました。

「アクエリアス」は1960年代のブロードウェイミュージカル「ヘアー」の代表曲です。歌詞に反戦的なものはあまり感じられませんが、「ヘアー」が反戦的なミュージカルですから、反戦歌といっても間違いではないでしょう。
当時、ベトナム戦争は多いときで50万人以上の米兵が送り込まれて、アメリカの若者にとっては大ごとでしたから、さまざまな文化にベトナム戦争の影響がありました。
 
あれから50年がたって、今では単に星座の歌とされても当然です。
しかし、「アクエリアス」を聴いているうちに、これからもまた反戦歌の時代が巡ってくるだろうなと思いました。
アメリカはテロ戦争をしていて、これからトランプ政権によって戦争激化は必至です。
 
 
反戦歌といえば、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が有名です。
ボブ・ディランは今年ノーベル文学賞を受賞しましたが、ノーベル平和賞はコロンビアのサントス大統領が受賞しています。
サントス大統領は、左翼ゲリラのコロンビア革命軍との停戦合意を実現し、50年近く続いた内戦を終わらせた功績が評価されました。
 
サントス大統領は受賞式のスピーチで、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞「どのくらいの人が死んだら、多くの人が死んだと気付くのだろうか。友よ、答えは風に吹かれている」を引用し、「私たちの美しい大地に多くの苦しみと絶望をもたらした戦争はついに終わった」と宣言しました。
つまり、答えは風に吹かれているのではなく、話し合いにあると言ったわけです。
 
戦争を終わらせるのは、敵との話し合いです。今年のノーベル文学賞とノーベル平和賞を選んだノーベル財団の意図も、それを示すことにあったのでしょう。
 
ベトナム戦争においても、アメリカは1969年からキッシンジャー大統領補佐官が北ベトナムと交渉を始め、1973年にパリ和平協定を成立させました。結局、戦争を話し合いで終わらせたのです(キッシンジャー氏はこの功績でノーベル平和賞受賞)
 
アメリカはテロ戦争を15年やって、まったく勝利の展望もないのに、いまだに話し合いをしようとしません。
テロ組織は明確な実体のないものが多いのですが、ISやタリバンはちゃんとした組織があるので、アメリカはその気になればいつでも話し合えます。
アメリカは「テロリストと話し合いをしない」という意味不明の方針を堅持しています。
 
アメリカはオサマ・ビン・ラディンの住居を襲撃したときも、捕らえるのではなく殺害しました。アルカイダやISの幹部も多数が殺害されていますが、捕らえて裁判にかけるという例はありません。
日本やドイツについて東京裁判やニュルンベルク裁判をやったのとは違います。
裁判でテロリストが主張することを恐れているとしか思えません。
 
アメリカが方針を変えて話し合い路線に転じれば、テロ戦争の終結は可能です。
というか、アメリカが軍事力や警察力でテロ戦争に勝利できるとは思えないので、それしか方法がないはずです。
 
話し合いで戦争を終わらせられるというノーベル財団とサントス大統領のメッセージは明快です。
問題はアメリカがそれを聞く耳を持たないため、相変わらず答えは風に吹かれているということです。

米フロリダ州オーランドのナイトクラブで銃乱射事件があり、49人が死亡、50人以上が負傷しました。
射殺されたオマル・マティーン容疑者(29)は、両親がアフガニスタンからの移民ですが、本人はアメリカ生まれなので、ホームグロウン型のテロリストだとされます。
 
「シャルリー・エブド」襲撃事件、パリ同時多発テロ、今年3月のブリュッセル連続テロなどの容疑者もヨーロッパ生まれの若者で、やはりホームグロウン型のテロリストです。
 
ホームグロウン型のテロリストとはなにかについて、たまたまつい先日の朝日新聞に専門家のインタビューが載っていたので、その一部を引用します。
 
 
(インタビュー)過激派のイスラム化 欧州大学院大学教授、オリビエ・ロワさん
 
「彼らは往々にして『謎めいた存在』と思われがちです。しかし、実際には、彼らに関する捜査当局やメディアの情報は多い。それを検証する限り、過激になる前から敬虔(けいけん)なイスラム教徒だった若者は全くいません。布教にいそしんだ人、イスラム団体の慈善活動に従事した人も、皆無に近い。イスラム教徒への差別に抗議の声を上げもしなければ、学校での女生徒のスカーフ着用を巡る議論に関心も持たなかったのです」
 
 「彼らは礼拝もせず、逆に酒や麻薬におぼれ、イスラム教が禁じる食材も平気で口にしていました。例えば、昨年11月のパリ同時多発テロ現場にかかわったとされるサラ・アブデスラム容疑者はその数カ月前、酒場で酔っ払ってどんちゃん騒ぎをしていたことが、映像から確認されています」
 
 「彼らの多くはまた、自動車盗やけんかや麻薬密売といった犯罪に手を染め、刑務所生活を経験しています。つまり、ごく平凡な『荒ぶる若者』に過ぎません」
 
 ――でも、その多くはイスラム教徒の家庭の出身ですよね。
 
 「データによると、こうした若者の6割以上が移民2世です。移民1世や3世はほとんどいない。残りは、キリスト教家庭からの改宗者が多く、全体の約25%に達します。テロが起きたフランスやベルギーに限らず、欧州各国で同様の傾向がみられます」
 
 「フランスを例に取ると、移民1世が信じるイスラム教は、彼らの出身地である北アフリカの農村部に根付いた共同体の文化です。しかし、1世はそれを2世に引き継げない。フランスで育った2世たちは親たちの言語を話せず、仏文化を吸収しているからです」
 
 「親の宗教文化が伝わらないのは、改宗者も同じです。改宗という行為そのものが、引き継ぎを拒否する姿勢なのですから」
 
 ――親子間の断絶ですか。
 
 「今起きている現象は、世代間闘争です。若者たちは、自分たちを理解しない親に反抗し、自分探しの旅に出る。そこで、親のイスラム教文化とは異なるISの世界と出会う。その一員となることによって、荒れた人生をリセットできると考える。彼らが突然、しかも短期間の内にイスラム原理主義にのめり込むのはそのためです」
 
 「彼らが魅せられるのは、ISが振りまく英雄のイメージです。イスラム教社会の代表かのように戦うことで、英雄として殉教できる。そのような考えに染まった彼らは、生きることに関心を持たなくなり、死ぬことばかり考える。自爆を伴うジハード(聖戦)やテロは、このような個人的なニヒリズムに負っています」
 
 
マティーン容疑者は離婚歴があります。イスラム教徒として差別もされているでしょう。警備員として勤務していますが、あまり将来の希望もなさそうです。妻に暴力をふるったという報道があるので、本人も親から虐待されていた可能性が高いと思われます。
彼は同性愛者の集まるクラブを襲撃したわけですが、彼自身がそのクラブの常連で、同性愛者だったという報道もあります。自己嫌悪の現れでしょうか。
人生に希望をなくし、怒りや不満が極限まで高まったとき、イスラム過激思想がちょうどつごうがよかったのでしょう。
 
昔の日本なら、そういう若者は左翼過激思想にはまりました。今は右翼的な排外主義思想や、在日が“特権”をほしいままにして裏で日本を支配しているという妄想にはまるのでしょう。
 
もちろんなんの思想にもはまらない者もいます。たとえば、秋葉原通り魔事件の加藤智大や池田小事件の宅間守です。彼らは自分の人生と世の中に絶望し、親から虐待されて育ったという点で共通しています。
マティーン容疑者は宅間守に似ているのではないでしょうか。ただ、マティーン容疑者はイスラム過激思想で自分を飾ることができました。
 
ですから、イスラム過激思想というのは、ホームグロウン型テロリストにとって表面的なものということになります。
ただ、表面的なものでも、それが犯行に踏み切らせるということがあります。
 
なぜイスラム過激思想が若者にとって力を持ってしまったのかというと、アメリカがテロへの対応を誤ったからです。
.11テロのあと、アメリカはビンラディンらの主張を論破するのではなく、もっぱら軍事力でテロに打ち勝とうとしました。そのため過激派の主張が力を持ってしまったのです。
 
もちろん正面から論争すると、アメリカが論破されてしまうかもしれません。そうならないためには、自身の誤りを正す必要があります。
つまり、テロリストの主張に向き合うことはアメリカのためにもなるのです。
 
今のアメリカは言論でテロリストに負けています。
 
フランスも同じです。テロリストに対して、「シャルリー・エブド」のムハンマドの冒涜みたいなことしかできません。
今回のテロに対しても、パリの市長はこんなことを言っています。
 
 
 パリでは13日、市議会の冒頭に犠牲者らへの黙祷(もくとう)を捧げた。イダルゴ市長は性的少数者が集うナイトクラブが標的になったことを挙げて、「攻撃されたのは『自由』だ」と述べた。
 
 
どんなテロリストも「自由を攻撃する」とは言っていないはずです。
「民主主義への攻撃」とか「文明への挑戦」とかもよく使われる言葉ですが、これもテロリストの主張ではありません。
相手の言い分を聞くという姿勢が最初からないのです。
 
イギリスはIRA(アイルランド共和国軍)と話し合うことでIRAのテロを終わらせました。
テロの解決策は簡単なことです(話し合いをしたのはブレア首相です。サッチャー首相は強硬路線をとってこじらせました)。
ただ、IRAはカトリックで、同じキリスト教です。
 
キリスト教同士は話し合えるがイスラム教とは話し合えない――こういう姿勢がテロをこじらせているのです。

ウクライナやパレスチナやイラクやリビアから戦争のニュースが連日入ってきますが、日本国内からも安倍首相の活躍()によって戦争関係のニュースが次々と発信されています。おかげで戦犯を追悼する法要が毎年大規模に行われていたということを初めて知りました。
 
首相、A級戦犯ら法要に哀悼メッセージ「祖国の礎に」
 安倍晋三首相が4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていたことが朝日新聞の調べで分かった。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、首相は「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と伝えていた。
 
 メッセージを送ったのは高野山真言宗の奥の院(和歌山県高野町)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。元将校らが立ち上げた「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBで作る「近畿偕行会」が共催で毎年春に営んでいる。
 
 追悼碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に1994年に建立。戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人の名前が刻まれている。靖国神社に合祀(ごうし)される東条英機元首相らA級戦犯14人も含む。
 
 守る会によると今年は4月29日に遺族や陸軍士官学校出身者、自衛隊関係者ら約220人が参列。高野山真言宗トップの松長有慶座主がお経を唱えた。地元国会議員にも呼びかけ、自民党の門博文衆院議員(比例近畿)が出席した。
 
 首相のメッセージは司会者が披露。「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」とし、「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」とした。
 
 守る会や関係資料によると、追悼碑建立は終戦後のフィリピンで戦犯容疑者として収容所に抑留され、嫌疑が晴れて復員した元陸軍少尉の発案だった。「冤罪(えんざい)で処刑された例が多い」との思いから、元将校や処刑された軍人の遺族らに寄付金を募って建立。元少尉が真言宗を信奉していたため高野山を選んだという。
 
 94年の開眼法要にはA級戦犯を合祀する靖国神社から大野俊康宮司(当時)が参列。靖国神社によると、その後は宮司は参列せず電報を送っているという。
 
 安倍首相は昨年と04年の年次法要にも主催者側の依頼に応じ、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付。昨年は「私たちにはご英霊を奉り、祖国の礎となられたお気持ちに想いを致す義務がある」「ご英霊に恥じることのない、新しい日本の在り方を定めて参りたい」と伝えていた。
 
 守る会などによると、安倍首相には地元国会議員の事務所を通じてメッセージを依頼した。首相経験者では森喜朗氏が首相退任後に一度衆院議員の肩書で送付してきたが、ほかに例はない。今年は岸田文雄外相にも依頼したが、承諾を得られなかったという。
 
 安倍首相の事務所は取材に「お答えするつもりはない」、自民党総裁室は「党としては関与していない」と答えた。(鈴木拓也、渡辺周)
 
B級、C級戦犯には、上官の命令でやったのに罪を着せられたとか、いい加減な審理で無実なのに有罪にされたとか、気の毒なケースもありますが、この法要を主催した団体や安倍首相は、戦犯裁判そのものを否定しているようです。
 
ということは、アメリカの占領政策に対する否定ということになります。
安倍首相はアメリカと価値観をともにすると再三言明していますが、明らかに矛盾しています。
もっとも、この矛盾は昔からです。安倍首相に限らず親米右翼はみんな同じ矛盾を持っています。
 
こうした矛盾が存在するのは、安倍首相や親米右翼がアメリカという国をよく理解していないからだと思われます。
たとえば、この法要は連合国による裁判を「報復」と位置づけているということですが、この認識は明らかに間違いです。
 
アメリカは真珠湾攻撃を受けたときは報復を誓い、その後の戦争でも報復という意識はあったでしょうが、都市爆撃をし、原爆も落としたので、報復は十分に成し遂げたと思ったはずです。裁判はあくまで「報復」ではなく「正義の裁き」です。
「日本は犯罪国だからアメリカが裁くのは当然」というのがアメリカの論理です。
 
ところが、日本の右翼は戦時国際法にこだわっているので、アメリカの論理が理解できません。
日本の右翼は戦時国際法について誤解しています。
 
19世紀までヨーロッパでは、国と国が対立して外交で決着がつかない場合、決闘のようにして戦争が行われていました。決闘は作法に従って行われますが、それと同じに戦争は戦時国際法に従って行われ、国はそれぞれ交戦権を認め合ってきたわけです。
ところが、第一次世界大戦があまりにも悲惨だったため、ここで根本的にルールが変わります。1928年にパリ不戦条約が締結され(日本も参加)、国際紛争を解決する手段としての戦争は禁止され、交戦権も放棄されました。ただ、侵略された場合に戦う自衛権は認められました。
ですから、このときから「犯罪としての侵略戦争」と「正義の自衛戦争」に分かれたことになります
そして、ハーグ陸戦条約のような戦時国際法もほとんど無効になったと考えられます。
 
そうすると、真珠湾攻撃を仕掛けた日本は「犯罪としての侵略戦争」をやったことになり、正義の名のもとに裁かれるのは当然です。
 
もっとも、罰則などは決まっていないので、日本の右翼は「事後法によって裁かれたのは不当だ」と主張しますが、ナチスドイツや軍国主義日本のような想定外の“巨悪”が出現した場合は、事後法禁止というルールの変更は当然だというのがアメリカなどの考えでしょう(欧米はルールを変えるは当たり前だと考えており、日本はルールが変えられるものだという発想がない)
 
ともかく、アメリカはつねに「正義の戦争」をやっているつもりなのです。
 
今またアメリカは「正義の戦争」宣言をしました。
 
殺害犯に「正義の鉄つい」=イスラム国打倒へ決意-米大統領
 【ワシントン時事】オバマ米大統領は26日、ノースカロライナ州シャーロットで演説し、イラクとシリアで勢力を広げるイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が米国人ジャーナリストを拘束、殺害した事件を受け「正義の鉄ついを下す」と述べ、容疑者を必ず捕らえると宣言した。
 
 大統領は退役軍人会の全国大会で行った演説で、「われわれが長い腕を持ち、忍耐強いことを忘れてはならない」と強調。「米国人に危害を加えた人間を追い詰め、捕らえるために必要なことを行う。国民と国を守るのに必要なら、引き続き直接的行動を取る」と表明した。(2014/08/27-06:57
 
 オバマ大統領が言っているのは、東京裁判の論理と同じです。
安倍首相はオバマ大統領の言っていることについてどう思うのでしょうか。

7月16日深夜、TBS系の「オトナの!」という番組にゲストとして筒井康隆氏と中川翔子さんが出ていましたが(MCはいとうせいこうとユースケサンタマリアの両氏)、そこで筒井氏が戦争について語ったことにインパクトがありました。
YouTubeにアップされていたので、それを見て書き起こしてみます。
 
#052 筒井康隆 中川翔子 後編【オトナの!】
 
いとう このあとのビジョンですよ。
筒井 今この情勢を見てると、戦争が起こりそうなんだよ。次の戦争だけはちょっと見たいねえ。どういうふうにして起こるか。誤解されてもいいんだけどさ。この年になれば怖いものないからね。戦争好きなんだよ、俺。ハハハ。戦争の話が多いんですよ。
中川 多いですね。争いだしますね、人が。
筒井 やっぱりギャグはあるし、ドタバタはあるし、あんなおもしろいものはない。
ユースケ 筒井さんしか言えませんよ。
 
「戦争が見たい」とか「戦争はおもしろい」とか、確かに筒井氏でないとなかなか言えません。
私はこれまで人間には戦争好きの心理があることについていろいろ書いてきましたし、自分自身にもそれがあることを自覚しています。しかし、「次の戦争が見てみたい」とまでは言えませんでした。
 
筒井康隆氏の偉大さについては今さら言うまでもありません。たいていの作家は若くして代表作を書き、あとはその遺産で食っていくのに、筒井氏は若くしてドタバタSFで当代随一の人気作家になり、そういう自分を投げ捨てて次々と新しいことにチャレンジして、小説の可能性を広げてきました。
 
筒井氏は「戦争の話が多いんですよ」と語っています。考えてみれば、確かに筒井氏には戦争を描いた小説がたくさんあります。
 
筒井氏が初めて出版した本は、「東海道戦争」というタイトルの短編集です。この表題作は、関東と関西がなぜか戦争を始めてしまい、サラリーマンである主人公が徴兵されて戦争に駆り出されるという不条理な物語です。
 
小松左京氏のデビュー作は、「地には平和を」という、玉音放送のなかった世界で本土決戦を戦う少年兵を描いた短編です。小松左京氏は1931年生まれ、筒井康隆氏は1934年生まれで、世代的には近いですが、戦争の描き方がまったく違います。小松氏は戦争に思い入れがあり、筒井氏にそれがありません(筒井氏は裕福な家庭の生まれで、それも関係しているかもしれません)
 
筒井氏の最初の長編小説は「48億の妄想」といって、テレビというメディアがすべてを支配するようになった近未来を舞台に、竹島問題や漁業問題で悪化した日韓関係を利用して、テレビ局が擬似イベントとしての戦争を企画するのですが、韓国側は本気になって……という物語です。
このときは“擬似イベント”といっていましたが、今でいう“ヤラセ”ということでしょう。
 
「ベトナム観光公社」という短編は、直木賞候補作にもなったものですが、土星に観光旅行に行けるようになった未来社会で、主人公はベトナム観光に出かけます。そこでは、観光客のための擬似戦争が行われていて……。
 
「ベトナム観光公社」が書かれた1965年は、北爆が始まってベトナム戦争が本格化した年ですが、そのときすでにベトナム戦争を茶化した小説を書いていたわけです。
 
そう、筒井氏の戦争の描き方は一貫して、戦争を茶化し、笑いのめすというものです。
筒井氏にとって戦争とは、人間の愚かさが集約されたものなのでしょう。
ですから、「次の戦争だけはちょっと見たいねえ」という言葉が出てくるのも、筒井氏にとっては自然な発想でしょう。
 
 
ここで、今の集団的自衛権を巡る議論を振り返ると、みんなまじめすぎるのではないかと思います。
 
たとえば、日本人を乗せた米艦を自衛艦が救助するというような、ありえない例え話を持ち出したり、みずから望んで「駆け付け警護」をしたがっているような姿勢とか、アメリカも困り顔をしているのではないかというような状況は、むしろ笑うのが正しいはずです。
 
戦争というのは、真剣に反対する人がいればいるほど、やるほうもやる気をかき立てるものではないかと思います。
どんなことでも、見世物にされ、笑われていると、やる気がなくなります。
 
そういうことを考えると、「次の戦争だけはちょっと見たいねえ」という筒井氏の言葉は、いちばん効果的な反戦の言葉かもしれません。
 

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