村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 2ちゃんフジ批判騒動

なんのための批判かという原点を喪失したフジテレビ批判騒動は、結局2ちゃんねるというコップの中の嵐に終わってしまいそうです。しかし、これによっていちばん痛手をこうむったのは保守勢力でしょう。とくに産経新聞は、2ちゃんねるの若者は圧倒的に自分の味方だと思って、それをよりどころにしていたので、ショックが大きかったはずです。
フジテレビをターゲットにするというのは、保守的な人、右翼的な人には思いつけません。イデオロギーとは無縁のひろゆき氏ならではの発想でしょう。やはり2ちゃんねるはひろゆき氏の脳内ワールドなのです。
 
とはいえ、多くの人がフジテレビ批判に参加したのは事実です。なぜ参加したのかというと、それが“祭り”であったからです。祭りには高揚感と連帯感があり、参加すること自体に喜びがあります。どんな神輿を担いでいるかはたいした問題ではありません。
 
2ちゃんねるに積極的に書き込みをしている人は、リアルでは非活動的な人です。私はそれを「引きこもり系の不良」と名づけています。群れをなして盛り場をうろついたり喧嘩したりするのは「行動化する不良」です(なぜ不良かというと、家庭、学校、社会になじめない人たちだからです)
引きこもり系の人でも、というか、引きこもり系の人だからこそ、祭りへの参加欲求は強いものがあります。リアルで祭りに参加するということができないタイプの人だけに、2ちゃんねるでときどき祭りが行われるのはひじょうにありがたいことに違いありません。
 
それから、フジテレビ批判に参加することによって、自分の力を確認したいという気持ちもあるでしょう。つまり、「自分は非力な1人のネットユーザーだが、みんなと力を合わせることによって世の中に影響を与えることができた」という実感がほしいのです。
これも当然の欲求だといえます。とくに日本人の若者は自己評価が低いとされるので、よけい欲求は強いでしょう。
もっとも、世の中に影響を与えるにはいろいろな形があります。今回は、というか2ちゃんねるではつねのことですが、大勢の力によってフジテレビを屈服させようとしました。これは学校におけるイジメと似た構造です。おそらく多くの人は学校でイジメられるかイジメられる恐れを感じてきて、今度はイジメる側に回りたかったのでしょう。しかし、こうしたやり方では世の中によい影響を与えることはできません。
 
ともかく今回の騒動は、2ちゃんねる側はなんの成果も得られないまま敗北しつつあります。
この敗北は最初から予見されていました。今回の祭りを演出した者の戦略的な失敗です。
祭りの参加者はむなしい思いのまま解散していきます。
これは2ちゃんねるにとってもひとつの転機になるかもしれません。

2ちゃんねるにおける“韓流推し”フジテレビ批判は終息に向かったかと思ったら、今度はフジ系列の東海テレビで「汚染されたお米 セシウムさん」というテロップが流れたことや、原爆忌の翌日のドラマで「リトルボーイ」と書かれたTシャツが登場したことや、宮城県南三陸町に行ったボランティアがフジの「27時間テレビ」の会場の設営を手伝わされたことなどが批判されています。
最初は「“韓流推し”だからフジテレビはけしからん」といっていたのが、今度は「○○だからフジテレビはけしからん」といっているわけです。いったい最初の“韓流推し”批判はどこにいったのでしょうか。今はフジテレビならなんでも批判するということになっていて、批判する目的が不明です。
そもそもフジの“韓流推し”批判をしていた人たちは右寄りの人たちのはずで、そういう人がフジ産経グループを批判するというのも筋が通らない話でした。
 
そこで思い出されるのが、2ちゃんねるの実質的創始者であるひろゆきこと西村博之氏が7月27日の「ひろゆき日記」において、外国人株主比率の問題から日本テレビとフジテレビは電波法により免許取り消しの恐れがあると指摘したことです。これは2ちゃんねるの「ニュース速報+」でも取り上げられました。俳優の高岡蒼甫さんがツイッターでフジテレビ批判発言をしたのが7月23日ですから、ひろゆき氏にこの問題をプッシュしようという意図があったと推測するのにむりはないでしょう。
 
なぜひろゆき氏がこの問題をプッシュしようとしたかというと、当然2ちゃんねる内で“祭り”を起こしたかったからでしょう。“祭り”そのものでアクセス数が増えるのはもちろん、社会的な話題になれば新たに2ちゃんねるにアクセスする人も増えるでしょう。
 
ネットユーザーはマスコミ批判をする傾向があります。とくに2ちゃんねるでは、毎日新聞の英文サイトの変態記事批判が大きな“祭り”になったという実績があります。今回はマスコミ批判に加えて嫌韓、反韓もあるのですから、大きな“祭り”にする条件はそろっています。
具体的には、フジテレビに関する批判的な記事を積極的に取り上げ(そういえばサッカーの松田直樹選手の葬式でフジの女子アナが笑顔を見せたという記事もありました)、スレッドの書き込みが1000に達したらすかさず次のスレッドを立ち上げるといったことで(これが間延びすると盛り上がりません)、“祭り”を演出していったのです。
 
私はかつて「ひろゆきの脳内ワールド」というエントリーで、2ちゃんねるはひろゆき氏の独特の価値観で運営されてきたため独特の世界となり、それはひろゆき氏の脳内ワールドにほかならないと指摘しました。
 
今回のフジテレビ批判騒動を見ても、やはり2ちゃんねるはひろゆき氏の脳内ワールドにほかならないといわざるをえません。

このところ2ちゃんねるについて書いているので、その続きです。
2ちゃんねるの特徴として、つねに論争が行われているということが挙げられます。これは、テーマの細分化されたスレッドがあり、スレッドは一覧性があって、アンカーをつけることで誰に対する発言かを明確にできるといった2ちゃんねるの特性からきているものかと思われますが、2ちゃんねるで行われている論争はリアルで行われている論争とは根本的に違います。
リアルでは、「そんなことを言ってるお前はどうなのだ」という反論がつねに可能なので、ある程度の言行一致が求められます。しかし、匿名掲示板では、発言者がどんな人間なのかはまったくわからないので、純粋な論理だけの論争になる傾向があります。論理というのは、もちろん論理学的な論理という意味もありますが、そうした場合は矛盾や間違いを指摘されたほうが負けですから、論争は割と早く決着します。しかし、それ以外に、“道徳の論理”というべきものがあり、これはいくら議論しても決着しないので、2ちゃんねるで行われている論争の大部分はこの“道徳の論理”を用いたものです。
 
政治問題や犯罪に関する論争は、基本的に善悪や正義に関することですから、“道徳の論理”によって行われます。そして、この論争を続けていると、現実離れをした極論に行きついてしまいます。
リアルの論争では、「正義の追求はほどほどにしておいたほうがよい」とか「悪を徹底的に排除しようとしてもうまくいくものではない」といった主張が一定の説得力を持ちます。しかし、これは“生活の知恵”ともいうべき経験則ですから、純粋な論理で行われる論争では力を持ちません。そのため極論に行きついてしまうのです。
 
一例を挙げれば、2008年、女子大生がイタリアのフィレンツェの大聖堂に落書きをしたことが問題となり、議論が暴走した挙句に、落書きをした女子大生が学長に伴われてフィレンツェを訪問し、大聖堂の関係者や市長に謝罪し、泣きながら謝る女子学生を逆に向こうがなだめることになってしまいました。日本人はへんな国民だと思われたに違いありません。
こうした事態になったのは、2ちゃんねるでの議論が女子大生をバッシングする方向に過熱したからではないかと思われます。常識的な判断としては、「落書きはよくないが、それほどのことではない」とか「謝りに行っても落書きが消えるわけでもないし」といったところでしょうか。
 
2ちゃんねるは、原始的な道徳が暴れ回るサファリパークのようなところです。そこには人類が長年かけて学んできた「正義の追求はほどほどにしておいたほうがよい」という抑制装置がありません。
2ちゃんねるを見ていると、私が主張する「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」ということがよくわかるでしょう。

インターネットは世界につながっているといっても、各国のネット事情はさまざまで、とくに日本語という壁に守られた日本のネット事情は特殊なようです。そして、その特殊さのかなりの部分は、2ちゃんねるの存在によっているのではないでしょうか。
今でこそ2ちゃんねるは相対的にその存在感を低下させていますが、一時期は2ちゃんねるがインターネットを代表するような存在……と、ここまで書いて、なんだか気分が変わってしまいました。
今はもう想像以上に2ちゃんねるは存在感を低下させているのではないでしょうか。わざわざ論じてもしょうがないような気分です。2ちゃんねるの嫌韓派がフジテレビ・花王を攻撃した戦いも、嫌韓派の一方的な敗北に終わったようですし。
私もネットでいろいろ論争した経験からいうと、論争というのは始まった時点で勝敗が決まっています。もちろん正しいほうが勝つのです。途中で間違ったことを言って、それにこだわると負けますが、間違ったことはすぐ訂正するか放っておいて、議論を本筋に戻せば、必ず勝てます。
嫌韓派の攻撃は、最初から不当な言いがかりでしたから、フジテレビ・花王はなにもしなければ、自然に勝利が転がり込んでくる理屈です。
 
とはいえ、2ちゃんねるがきわめて特殊な掲示板であることは確かで、この特殊さはどうして形成されたかは、論じる価値があるでしょう。
私が考えるに、2ちゃんねるの特殊さは、2ちゃんねるの実質的創始者で前管理人の、ひろゆきこと西村博之氏の特殊な性格によって形成されました。ですから、2ちゃんねるとは「ひろゆきの脳内ワールド」なのです。
 
2ちゃんねるの初期、名誉棄損やプライバシーの暴露や犯罪予告などの書き込みが社会的な問題となり、掲示板の管理責任が問われました。しかし、これは刑事法の対象外だったようです。それでも、社会的道義的責任は問われますから、普通は社会の圧力に負けるか社会の要請に応えるものです。2ちゃんねる以外の掲示板は、問題のある書き込みをできるだけ削除するようになりました。しかし、2ちゃんねるでは、削除は行われていますが、ひろゆき氏なりの独特の基準によるもので、ほとんど社会の要請に応えるものではありません。たとえば、現時点のウィキペディアの「2ちゃんねる」の項によると、法務省は未成年犯罪者の実名掲載などの削除要請を行っていますが、ひろゆき氏はそれに反論して、要請に応えていないということです。
ですから、2ちゃんねるは一種の無法地帯となったのですが、ひろゆき氏なりの削除は行われているので、まったくの無法というわけではなく、正確には「ひろゆき法」地帯というべきものになっているわけです。
 
では、「ひろゆき法」とはなにかというと、これがよくわかりません。ひろゆき氏は民事でいっぱい訴えられていますが、ことごとく裁判は欠席し、判決は無視しています。ひろゆき氏の財産は差し押さえられない状態になっているので、これでなんの実害もないようです。
普通に社会人として生きている人間は、裁判所の決定を無視するということはなかなかできません。とくにひろゆき氏はそれなりの有名人で、実業家です。
こういうことができる人間は、私の知る限り1種類しかいません。それはヤクザです。ヤクザは法の裏をかいてシノギをしています。
ひろゆき氏は「ネットヤクザ」とでもいうべき存在かもしれません。
なぜ司法当局はこれまでなにも手を打たなかったのか、また政治家はなぜ立法処置を講じなかったのか不思議です(いろいろ推測できますが)
 
ともかく、2ちゃんねるというのはひろゆき氏の独特な基準によって運営されてきたため、その基準に合った人間が集まることになりました。そうして独特な2ちゃんねるの世界が形成されたのです。
 
今、2ちゃんねるをやっている人は、2ちゃんねるを通して世界を知ろうと思っているかもしれません。しかし、それは不可能です。そこはあくまで「ひろゆきの脳内ワールド」ですから。

韓国は戦後ずっと日本の大衆文化の流入を規制してきました。反日という理由のほかに、日本の大衆文化に韓国の大衆文化が圧倒される懸念があったからです。しかし、1998年から段階的に開放が進み、今ではほとんど自由化されたといえるまでになっています。
そして、今度は逆に、日本において韓国の大衆文化を規制しようという人たちが出てきました。なにを考えているのでしょうか。この規制する動きを外国から見たら、日本文化は韓国文化に負けているのかと思われるでしょう。日本にとっては、はなはだしいイメージダウンです。
また、この人たちは韓国や韓国文化を批判しているのではありません(少しは批判しているようですが)。韓国文化を輸入する日本のテレビ局やそのスポンサー企業を主に批判しているのです。いわば日本人同士の争いをつくりだしているわけで、やはり狙いは日本の弱体化なのでしょうか。
 
なんだかイヤミったらしい書き方になってしまいました。2ちゃんねる的なものと接触すると、どうしても性格が悪い人の文章になってしまいます。
 
私は一時2ちゃんねるにはまっていたことがあります。「科学的倫理学」という新しい思想を世の中に広めようとすると、反対者と論争をしなければならないでしょう。論争のスキルを身につけるために、2ちゃんねるに積極的に書き込みをしたのです。
2ちゃんねるといってもいろいろありますが、もっとも論争がおこなわれているのはやはり政治に関わる板です(板というのは2ちゃん用語です)。当時は、共産圏の崩壊に加えて北朝鮮による拉致事件が明らかになり、右翼が左翼を圧倒している時代でしたから、私は左翼で論争に参戦しました(私は右翼でも左翼でも中道でもなく“上”という政治的立場です)。私が論争すると、連戦連勝でした。おかげで自分の思想の正しさが確認でき、論争のスキルも身につきました。
 
そうした経験から思うのですが、2ちゃんねるというはほんとに特殊な世界です。もちろん巨大掲示板ですから多様な人が参加しているのですが、積極的に書き込みする人たちがやはり全体の雰囲気をつくります。そして、積極的に書き込みする人たちは、なにごとにも否定的で、攻撃的です。
私はラーメンが好きなので、近所のラーメン店を知るためにラーメン板をときどき見ますが、ここでもいかにも2ちゃん的な、否定的で攻撃的な書き込みがよく見られます。
 
こうした2ちゃん的なものがどうして形成されたのかとずっと考えてきましたが、いろいろな観点から考えることができます。
今日はとりあえず“不良”という観点から書いてみます。
 
私が思うに、不良には2種類あります。ひとつは行動化する不良です。家庭と学校になじめないため、繁華街をうろつき、仲間を見つけ、先輩後輩の集団を形成し、また異性ともよく交際します。ヤンキーだの暴走族だのといわれるものがその代表です。
もうひとつは、引きこもり系の不良です。家庭と学校になじめないため、自分の部屋に引きこもり、ゲームをしたり、ネットをしたりします。昔はゲームもネットもないため、引きこもり系の不良は少数でしたが、最近は大いに増殖しています。
引きこもり系といっても、ちゃんと会社員やフリーターとして働いている者もいます。しかし、仕事が終わってから同僚と飲んだり遊んだりすることはなく、すぐ帰宅してネットをします。彼らは社会人であるといっても、かろうじて社会人でいるので、いつほんとうの引きこもりになるかわかりません。
 
街宣右翼というのがいます。これは行動化する不良の右翼版です。そして、ネット右翼というのは引きこもり系の不良の右翼版です。数では街宣右翼よりネット右翼が圧倒しています。
 
引きこもり系の不良は2ちゃんねるを好んで集まり、そこで集団を形成したり、抗争したり、お祭りをしたりしています。
これは彼らにとって決してむだなことではありません。人間関係のスキルを学び、引きこもり脱出の一歩になるからです。
ただ、否定的で攻撃的な書き込みは世の中の人をうんざりさせますし、ときに実害が生じたりするので、注意しないといけません。

ノルウェーの連続テロ事件で逮捕されたアンネシュ・ブレイビク容疑者は、自分の精神鑑定を日本人の専門家にしてほしいと望んでいるそうです。サムライ精神のある日本人なら自分のことをわかってくれるという意味なのか、反移民政策をとる日本に共感してのことなのかわかりませんが、日本もへんなところで好かれたものです。
 
確かに日本は、移民、難民をできる限り受け入れないという“隠れ国策”があって、排外主義者にとっては天国のようなところです。いや、逆に日本の排外主義者はすることがなくて暇を持てあましています。そのため彼らは、「韓流推しをするフジテレビ」という間違ったターゲットにアクションを起こしてしまいました。
テレビ局が韓流推しをすることにはなんの問題もありません。排外主義者にとっては問題かもしれませんが、一般国民にはまったく理解できないことです。
ゆすりたかりというのは、なんらかの落ち度があった人間に対して行うから効果があります。なんの落ち度もない人間をゆすろうとしてもなかなかうまくいきません。
フジテレビがターゲットになったのは、フジテレビになにか落ち度があったからではなく、ちょっと心を病んだ俳優さんのツイートがきっかけです。出発点が間違っています。
 
ところで、ここまで書いたことは、2ちゃんねるにアクセスしない人にはまったくなんのことかわからないでしょう。申し訳ありません。もっぱら2ちゃんねる内で起こっていることですが、多少大きなことになっているので、取り上げています。
 
現在、フジテレビとそのスポンサー企業に圧力をかけているのは、ネット内の排外主義者の匿名集団です。もしフジテレビやスポンサー企業が匿名集団の圧力に屈してしまったら、逆に一般社会から批判されることになります。ですから、フジテレビやスポンサー企業は意地でも圧力には屈しないでしょう。
 
この戦いは、フジテレビとスポンサー企業のほうに大義があります。不当な圧力をかける匿名集団の敗北は必至です。
 

それにしても、俳優の高岡蒼甫さんのツイートをきっかけに2ちゃんねる内で盛り上がった韓流推しのフジテレビ批判は、どう考えても勘違いでしょう。おそらく、毎日新聞の英文サイトの変態記事をきっかけにした騒動における成功体験と混同しているのではないかと思われます。
毎日新聞のときは、実際に問題のある記事が配信されていたわけですが、フジテレビが韓流推しをすることにはなんの問題もありません。すばらしい韓流ドラマを放映してくれると喜んでいる人もいるわけですし、韓流ドラマが嫌いな人は別のチャンネルを見ればいいだけです。
もしフジテレビが韓流ドラマの放映をへらしたりしたら、視聴者から文句を言われかねません。
ちなみに私が子どものころは、アメリカ製テレビドラマがあふれ返っていました。今の韓流ドラマの比ではありません。
スポンサー企業への不買運動も呼び掛けられていますし、有名人が同感の意見を述べたりもしていますが、大義名分のない運動はやがて沈静化するものと思われます。
 
もともと嫌韓というのは主に2ちゃんねる内であったもので、リアルで実名で主張する人はほとんどいませんでした。ところが、高岡蒼甫さんという一応有名人が実名で言ったことから、公然と主張しやすくなったものと思われます。
しかし、高岡さんは自分でも精神病院に通っていたと書いているわけで、そういう人の発言に追随してもうまくいくと思えませんし、高岡さんのためにもなりません。
 
2ちゃん内のお祭りは楽しいでしょうが、戦略を間違っては勝利もありません。
 

私は一時「2ちゃんねる」にはまっていたことがあります。そのころ2ちゃんねる内は嫌韓ブーム一色で、一方、世の中は「冬ソナ」をきっかけにした韓流ブームが盛んになっており、その落差に驚きました。その後も韓流ブームはますます盛んで、今では韓流は当たり前のものになり、ブームともいわなくなりました。
最近、私はブログを始めたことで、ネタを探すために2ちゃんねるの「ニュース速報+」板をときどき見ているのですが、今また嫌韓というか反韓流の勢いがすごいことになっています。きっかけは俳優の高岡蒼甫さんがツイートで、フジテレビが韓流ばかりを推進していると批判したことのようです。
しかし、高岡さんの批判に同調するのはどうでしょうか。テレビ局には編成権があり、韓流ドラマばかりを放映したからといって批判されることはありません。視聴者を無視して、何らかの意図を持って韓流ドラマを放映しているというなら問題ですが、韓流ドラマの視聴率がとくに悪いわけでもないようです。
 
私は俳優がテレビ局を批判したことに違和感を覚え、なにか別の原因があるのではないかと考え、「韓流ブーム批判発言の深層」というエントリーを書きました。
 
今、高岡蒼甫さんの「本人ブログ」を読むと、高岡さんのフジテレビ批判の理由がさらにわかってきます。
 
「本人ブログ」7月29日より抜粋
暫くして自分をよく理解してくれていた彼女と結婚する事になるがそれ以前から続くバッシングで完全にマスコミ嫌いになっていた。
 
マスコミなど全員くたばれと心底思っていた。
 
調子に乗り妻も仕事でいない事をいい事に毎晩のように飲み歩いていた。
そしたらパシャりと。自分の不注意でまたマスコミに騒ぎ立てられる生活に戻った。
 
無数のフラッシュを浴び観客の視線が怖くなり気づいたら自分の目の前に最前列の人の足があった。
またもマスコミに今度はクスリのフラッシュバックではないかと疑いをかけられた。
 
 
要するに高岡さんは徹底したマスコミ不信をいだいていたのです。しかし、マスコミ全体を批判するほどの勇気はなかったし、批判しても誰にも相手にされないことはわかっています。そこで、たまたま韓流が目立つフジテレビを愛国者的な立場から槍玉にあげたということではないでしょうか。
 
高岡さんは「精神病院に通い睡眠薬、精神安定剤の服用」をしていたとも書いています。現在は所属事務所を解雇され、奥さんとも連絡がとれない状態です。それでいてブログには「このままじゃこの国はダメになる」とか「日本人の誇りにかけて」とか書いています。
「ダメになるのは自分だろ!」とツッコミを入れたくなります。
 
しかし、今回の高岡さんの発言に賛同し、高岡さんを激励する人も多いようです。しかし、それは高岡さんにとってマイナスになる可能性があります。
もともと禅の言葉で、心理療法である森田療法でよく使われる言葉に「迷いの中の是非は是非とも非なり」というのがあります。ノイローゼ患者がいろいろ是非を言い立てても、心理療法家はそういう言葉を相手にしてはいけないということです。
 
現在、高岡さんの発言に便乗してフジテレビ批判をしている人たちは、フジテレビにとって的外れであるだけでなく、高岡さんが自分自身の問題に向き合うことを妨げているおそれがあります。

俳優の高岡蒼甫さんが韓流ブームやフジテレビを批判し、所属事務所を解雇されたことで話題になっていましたが、本人がブログを開設して、自分自身の状況を説明しました。これを読むと、韓流ブーム・フジテレビ批判という政治的発言と彼自身の状況の落差に驚かされます。
 
 
高岡蒼甫「自殺図った」ブログで衝激告白 「中日スポーツ」2011730 紙面から
ツイッターで韓国ドラマを放送するフジテレビや韓流ブームを批判し、所属事務所との契約を解消した俳優高岡蒼甫(29)が29日、「本人ブログ」を開設。自殺未遂やパニック障害など、衝撃的な過去を激白した。
 「事実に基づく真相」というタイトルで、書き出しから「この際だからはじめて話します。パッチギを撮り終えた暫(しばら)く後に自分は自殺を図った。その後半年間仕事を休む」と告白。事実に反することを報道され「マスコミ嫌い」になり「うつ状態」だったこと、昨年6月の映画の舞台あいさつ中に倒れたのはパニック障害が原因だったことも明かした。
 今年1月に三島由紀夫原作の舞台作品「金閣寺」に出演したことで「何年かぶりに前向きになれた」というが、東日本大震災後の「放射能の事から目を背けさせたり」する報道などに失望し、「日本を引っ張っていってる人間たちに対する抗議」としてツイッターで発言した、と経緯を説明した。
 
 
自殺企図、うつ状態、パニック障害とはまさに“不幸のどん底”です(夫婦関係も気になります)。こんな状況にありながら、政治的社会的発言をする心理とはどんなものでしょうか。
まず考えられるのは、現実逃避ということです。自分自身の状況があまりに悲惨なので、社会問題に逃げたというわけです。
それから、フジテレビや世相という“大きなもの”を批判することで、自分もまた大きな人間になったという錯覚を得たかったのかもしれません。
 
世の中には政治的発言があふれ返っています。ネットの匿名の書き込みから、学者、政治評論家、論説委員まで、どれもが一応は、世のため人のために発言しているのだというスタンスですが、高岡さんの例を見ると、こうした現実逃避や自己肥大化のための発言も多いのではないかと思われます。
 
私が思うに、まともな政治的発言というのは2種類しかありません。
ひとつは、自分が幸せなので、不幸な人をなんとかしてあげたいという動機からの発言です。たとえば、「ホームレスに対して行政はもっと手を差し伸べるべきだ」という発言などがそれです。
もうひとつは、自分が不幸なので、自分の不幸をなんとかしたいという動機からの発言です。たとえば、「自分は正社員になれない低賃金のフリーターだが、企業は正社員の採用をふやせ、賃金を上げろ」という発言などがそれです。
こうした発言は、不幸な人をなんとかしたい、不幸な自分をなんとかしたいという動機が明快で、ごまかしがないだけに、実際に世の中をよくする可能性が大いにあります。
 
問題は、高岡さんのように、自分が不幸なのにそれを棚に上げて、政治的な発言をする場合です。これは動機が不純なだけに、かえって世の中を悪くする可能性があります。
そして、さらに問題なのは、たとえば「大震災の被災者に対して政治や行政はもっとちゃんとやれ」という発言は、いったいどういう動機から発せられているかわからないということです。被災者のためを思っての発言のように見えますが、単に政治や行政を非難することで満足を得たいがための発言なのかもしれません。
 
ネットの掲示板では、その発言者がどういう状況にあるかぜんぜんわかりません。高名な政治評論家も、幸福とは限りません。あまりに感情的な発言は、本人が不幸である可能性を暗示しています。
 
高岡さんの場合は、本人が有名人で、ブログで自分の状況を語ったことで、たまたまどんな状況にあるかわかりました。自分が不幸なので、逆に世のため人のための発言をするという典型的な例です。
政治的発言にはつねにそういう可能性があることを理解しておく必要があります。
 
私自身は、自分が幸福だから、人にも幸福になってもらいたいと思っていろいろな発言をしているので、信じていただいて大丈夫です。

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