村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: マナーのある不幸

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マナーは社会生活に欠かせないものとされますが、最近は「謎マナー」という言葉があって、たとえば、隣の上司のハンコにお辞儀しているように傾けてハンコを押さなければいけないとか、乾杯するときは目上の人よりもグラスを下げないといけないとか、お茶を出されても「どうぞ」と勧められるまで口をつけてはいけないとか、首をかしげるようなマナーが多々あります。
どうして謎マナーが次々と生まれるのでしょうか。

最近、「車の助手席で寝るのはマナー違反か」ということがネットで話題になりました。こうしたことから謎マナーが生まれるのかもしれません。
その議論を伝える記事を引用します。
「なんでだめなの」助手席の人が寝るのはマナー違反?論争が話題 ひろゆきも参戦「高速は寝てて頂けると、、、」
レジャーシーズン真っ只中のきょうこの頃。車で遠出をする人も多いことだろうが、助手席での“乗車マナー”が話題を呼んでいる。

ことの発端は、あるTwitterユーザーが引用した、なつもり氏のWEB漫画『残飯処理係』の一節。助手席で寝てしまった女性に対し、男性が「運転してもらってるんだからさ~助手席で寝るのはダメでしょ」と嫌味を言うシーンだ。

“運転をしてもらっているのに助手席で寝るのはマナー違反である”とする作中の男性について、このユーザーが“やっぱ少なからず居るのか~こういう人”とコメントすると、多くの共感を呼び、7月18日現在1.4万件ものいいねが集まった。また、実際に“助手席で寝てはいけない”と教えられてきたと言う人の体験談も寄せられている。

《元彼に言われた。「助手席座ってるのに。役立たず」って。》
《逆に私は親から「お前が助手席に乗る時は運転手が眠くならないよう絶対に寝るな」と言われてました。なのでそれを今でも守ってます。》
《うちの主人も助手席で寝るな~!っていう人でした》

“助手席で寝るのはマナー違反”という考え方に対する意見の多くは、《助手席で寝るなってのはなんでなのか昔から意味わからんのだけど??なんでそうなる??》と否定的なもの。また、運転手側の目線としては《自分は逆に寝てもらった方が嬉しいですね》《寝れるほど安心してくれてるって解釈だけどなぁ 運転が上手いってことで》と、同乗者が眠れることが上手な運転の証と考える人もいるようだ。

“ひろゆき”こと西村博之氏(46)もこの話題に参加。発端となったツイートを引用し、《家族がスピード出すのが苦手な人なので、寝てる間に加速しまくって遊んでたりするので、高速は寝てて頂けると、、、》と斜め上からの意見を投じていた。

一方で、“助手”としての役割を果たしてほしいという意見も寄せられている。話し相手になることで、運転手の眠気をさましたり道案内をしてほしいというものだ。運転が苦手ながら運転をしなければいけなくなった人も、助手席の人には寝てほしくないという気持ちが強くなるようだ。
(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/255a89576b5f29a5e2c410f8b14efa2b769428c6

私がまず思ったのは、これはマナーの問題なのかということです。
というのは、助手席でどうふるまうべきかということは、運転席の人間と助手席の人間のそれぞれの価値観と人間関係によって決まるので、普遍的な“助手席のマナー”というのはないと思うからです。

同じ車に乗るのは、たいてい家族、友人、恋人、同じ会社の人間といったところです。
家族同士であれば、そこにマナーがあるのはへんですし、かりにマナーがあるとしても、そのマナーは家族以外には使えないはずです。

ごく親しい友人同士なら助手席で寝ても平気です。
しかし、あまり親しくない友人で、「乗せてもらっている」という立場なら、寝るのは遠慮しようかなということはありえます。
運転しているのが会社の上司なら、もっと寝るのは遠慮したほうがよさそうです。

会社の上司に運転してもらっているという状況はめったにないはずですが、会社の上司への過剰な忖度が謎マナーを生み出しているということがあるかもしれません。



ところで、この記事のきっかけになった「なつもり氏のWEB漫画『残飯処理係』の一節」とはどういうものか、見てみました(その漫画はこちら)。

若い女性が彼氏の運転する車の助手席に乗っていて、つい居眠りしてしまいます。
「ハッ」と気づいて、「やばっ、寝てた…最近睡眠時間足りてないから…バレてないよね」と思っていると、彼氏が「寝てたよね?」と言います。
「ご、ごめん。昨日寝るのちょっと遅くなっちゃって」と言うと、彼氏は「運転してもらってるんだからさ~。助手席で寝るのはだめでしょ」と言います。
女性は反論しかけますが、雰囲気が悪くなることを恐れて、言うのをやめます。
連載の一部の、こういう短い漫画です。

この彼氏の言っていることは完全にモラハラです。
「助手席で寝るべきではない」というマナーを自分で勝手につくって、それでモラハラをしているのです。

この男には、睡眠不足の彼女に対する思いやりがまったくありません。
普通は恋人が隣で疲れて眠っていれば、暖かい気持ちで見守るものです。

ですから、こういう思いやりのない男とつきあって、モラハラに気づかない女性にも問題があります。
いや、この女性だけではありません。
引用した記事には、やはりモラハラに気づかない人の声が載っていました。
《元彼に言われた。「助手席座ってるのに。役立たず」って。》
《逆に私は親から「お前が助手席に乗る時は運転手が眠くならないよう絶対に寝るな」と言われてました。なのでそれを今でも守ってます。》
《うちの主人も助手席で寝るな~!っていう人でした》
「寝る」というのはもっとも基本的な生理欲求です。「寝るな」というのは「トイレに行くな」というのに近いものがあります。
親が子どもに「絶対に寝るな」と言うなど、親としての愛情がありません。
こういうモラハラがモラハラとされないので、モラハラが「謎マナー」になっているのではないでしょうか。


マナーは社会生活に必要なものとされ、マナーを守るのはたいせつなこととされます。
そのため、マナーは多いほどよいと思われて、それが謎マナーを生むひとつの理由になっているのではないでしょうか。

しかし、マナーには適正な水準というものがあります。
マナーがあまりに多すぎると、マナーによって自由が奪われ、マナーを守ることに汲々として精神が疲弊します。
これからはマナーをへらすことを考えなければなりません。

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回転寿司チェーンのスシローは、醤油の差し口や湯飲みをなめ回した少年に対して6700万円の損害賠償請求をしました。
“子どものいたずら”に対して常識外れの金額を請求したことを見ても、スシロー(株式会社あきんどスシロー)は倫理観のない企業だということがわかります。

スシローは不祥事のデパートです。
2021年9月、スシローは「新物!濃厚うに包み」などの商品を広告してキャンペーンを行いましたが、9割を越える店舗で広告の商品が品切れとなっても広告を打ち切りませんでした。同年11月には、「冬の味覚!豪華かにづくし」というキャンペーン商品についても、品切れになった店舗があるにもかかわらず広告を続けました。消費者庁から景品表示法違反(おとり広告)に当たるとしてあきんどスシローに再発防止を求める措置命令が出され、同社は謝罪しました。
2022年7月には、生ビール半額イベントを実施前にもかかわらず一部店舗で告知し、その告知を見て生ビールを注文した客に対して正規の料金を請求しました。誤った告知をした店舗は101店舗に及んだということです。さらに、イベント期間中に生ビールが売り切れる店が続出し、客が席につくまでそのことがわからないということもありました。
同年8月には、メバチマグロを使っているとされる商品にキハダマグロが使われていると週刊誌が報道し、同社はそれを認めて謝罪しました。

スシローの不祥事は、単なる不手際ではなく意図的なもので、悪質です。
当然、ネットではスシローは強烈なバッシングに見舞われました。

そうしたところ、今年の1月にペロペロ事件が起こったわけです。
ネットには少年を批判する声とともに、「もうスシローには行きたくない」といった声も多く、スシローの株価も急落しました。
そうするとスシローへの同情も強まり、スシローは少年に損害賠償請求するべきだという声が高まりました。

スシローとしては、これまでネットではバッシングされる一方だったのに、初めて味方する人々が出てきて舞い上がってしまったのかもしれません。
今回の損害賠償請求もその流れでしょう。

スシローの損害賠償請求が報じられたことで再びネットで少年へのバッシングが起きています。
スシローが吹いた犬笛で踊るのは恥ずかしくないのでしょうか。


少年のペロペロ動画が拡散したことでスシローが損害を受けたのは事実です。
しかし、少年の行為は一店舗に迷惑をかけただけです。このような行為は全国でいっぱい行われているはずです。誰かが言っていましたが、少年に罰で皿洗いをさせればすむ程度のことです。

問題は動画を拡散させた人間にあります。少年とその友だちはSNSで仲間と共有して楽しむことが目的でした。
少年側の弁護士が大阪地裁に提出した答弁書によると、動画を拡散させたのは「某有名インフルエンサー」だということです。

拡散の最初のきっかけの人間はいたかもしれませんが、すべてをその人間のせいにするのも違います。拡散というのは多数の人間の共同作業です。
スシローの客離れと株価下落を引き起こしたのは動画を拡散させたすべての人間の責任です。

ただ、そうなるとあまりにも人間の数が多すぎて、責任追及は事実上不可能です。拡散させた人間もそれがわかってやっています。「みんなで拡散させれば怖くない」です。
結局、スシローは訴えやすい相手だけ訴えているわけです。

少年はすでに高校を退学したということですし、家は普通の家庭のようですから、もちろん6700万円を支払えるわけがありません。
もともと17歳の少年に社会的影響力などありませんから、少年が反省しようが反省しまいが世の中は変わりません。
こんな訴訟は弱い者いじめと同じです。

賠償金額が多いと抑止効果があるという意見もありますが、こうした事件を起こす人は思いつきでやっていて、計算などしていませんし、ニュースもあまり見ていないでしょう。
「こんな動画をインターネットにアップすれば騒ぎになるのは当然だ」と言う人もいますが、誰もがインターネットの怖さを知っているわけではありません。SNSを友だちとつながるツールと思っている人も多いでしょう。


この少年に限らずこのところ騒ぎとなる飲食店の迷惑行為は、たとえば共用のガリを直箸で食べたり、使った爪楊枝を元の場所に戻したりといったことで、なんの利益にもならないことをおもしろがってやっているだけです。
「なんの利益にもならないことをおもしろがってやる」というのは、子どものいたずらと同じです。
「いい年をして子どもみたいなことをするな」と言って怒る人が多いでしょうが、おとなになっても子どもみたいなことをする人というのは、子どものころに十分に遊ばせてもらえなかったので、おとなになってから取り戻そうとしているのでしょう。

「子どものころに十分に遊ばせてもらえなかった」というのは、今の時代を理解するための重要なキー概念です。
公園で遊ぶ子どもの声がうるさいとか、保育園の子どもの声がうるさいとかクレームをつける人がいますが、こういう人は子どものころ「うるさい」とか「おとなしくしなさい」とか言われて、十分に遊べなかったのでしょう。
そのため遊んでいる子どもに怒りを向けてしまうのです。
飲食店の迷惑行為に怒る人も同じです。


子どもであれおとなであれ、遊ぶことはたいせつです。遊びは創造性にもつながっています。
スシローの巨額損害賠償請求が悪い前例となって同じような訴訟が相次げば、遊び心も創造性もないつまらない社会になってしまいます。

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回転寿司のスシローで少年が食べ物や湯飲みなどに唾をつける動画に批判が集中すると、似たような動画が次々と“発掘”されました。
はま寿司や吉野家では、共用のガリを客が自分の箸で食べる動画が、「いきなり!ステーキ」ではソースの容器を直接口にくわえて吸う動画が、東京のもんじゃ店「おかめひょっとこ」では、口に含んだ水を鉄板の上に吐き出すという動画がそれぞれ拡散しました。

私は前回の「“客テロ”騒動を分析する」という記事で、迷惑行為をする客よりも、その動画を拡散させて批判する人間のほうがもっと悪いということを書きました。
迷惑行為自体の影響はごく小さいものですが、動画が拡散することで飲食店は大損害をこうむっているので、どちらが悪いかは明白でしょう。
迷惑行為をしているのはただの一般人です。政治家や大企業を非難するなら世の中がよくなるかもしれませんが、ほんの数人の一般人を非難しても世の中はよくなりません。

プロレスラーの木村花さんがネット上の誹謗中傷で自殺するという事件がありましたが、一般人への“ネットリンチ”はそれに近いものがあります。
今後、「個人の小さな行為を大勢で激しく非難する」ということを規制したほうがいいかもしれません。


それにしても、飲食店での迷惑行為への非難があまりにもひどいので、非難する人の心理はどうなっているのかを考えてみました。

ひとつ思ったのは、これは日本社会の子ども嫌い、若者嫌いの表れだということです。
最近の日本人が子ども嫌いなのは否定しようのない事実です。
公共の場で赤ん坊が泣いていると、その母親は周囲から冷たい視線にさらされますし、ベビーカーで電車に乗っても迷惑がられます。
幼稚園や保育園が子どもの声がうるさいということで迷惑施設扱いをされますし、公園が閉鎖されるということもありました。
それから、成人式で若者が奇抜な服装をして暴れると必ずニュースになり(マスコミも狙っています)、当然のように非難されます。
渋谷でハロウィンやワールドカップのときに若者が騒ぐのも非難され、最近はかなり行動が規制されるようになりました。
コンビニの前で若者数人がたむろしているだけで非難されることもあります。

昔はそんなことはありませんでした。
赤ん坊が泣くのは当たり前ですし、若者がバカなことをしてもある程度は大目に見るものでした。
しかし、酒鬼薔薇事件をきっかけにして2000年に少年法が改正され、少年にも成人と同様の罰を与えるべきだという考えがほとんど国民的合意になりました。

飲食店で迷惑行為をするのはほとんどが若い男です(“バイトテロ”もほとんどが若い男でした)。
ですから、迷惑行為をする者を非難すると結果的に若者を非難することになり、世代間の溝を深めます。
“おやじ狩り”という言葉がありますが、これはネット上の“若者狩り”です。


それから、不潔に対する嫌悪感が異常であると感じます。

少年が湯飲みや醤油容器をなめたスシローの店舗では、すべての湯飲みを洗浄し、すべての醤油容器を入れ替えたそうです。動画に映っている場面では、少年は一個の湯飲みと一個の醤油容器をなめただけなのですが。

共用のガリを直箸で食べる動画が拡散した吉野家では、ネット記事によると「2月5日に該当店舗を一時閉店。紅しょうがの廃棄・交換、カウンターに常設している什器・調味料入れを含む備品の消毒・洗浄を実施した」ということです。
一個のガリ容器だけの問題なのですから、一時閉店もすべての備品の消毒・洗浄も過剰反応です。

口に含んだ水を鉄板の上に吐き出す動画が拡散したもんじゃ店「おかめひょっとこ」では、ネット記事によると、店のオーナーが「今回の騒動を受けて、店舗の鉄板をすべて取り替えることに決めました。(中略)これから来店されるお客様に気持ちよく利用して頂くためにも必要な対応だと思っています」と語りました。なお、鉄板は特注品のため数百万円かかるそうです。
鉄板は洗えばすむことですし、加熱すれば消毒もできます。まったく非合理的な対応です。
店のオーナーもそのことはわかっているはずですが、国民感情を考えての判断なのでしょう。

つまり国民感情は極端に清潔を求める方向に行っています。
清潔を求めるのは感染症を防ぐためにも必要なことですが、手をきれいにしようとして何時間も手を洗い続けるとなると、これは潔癖症です。潔癖症は心ないし脳の病気です。
日本人全体が潔癖症になってきているようです。

アレルギーの患者が年々増え続けています。この原因としては、花粉や化学物質などアレルゲンが増えているということもあるようですが、子どものアトピー性皮膚炎についてはいくつか原因がわかっています。
イギリスで一時、幼児にピーナツバターアレルギーが発症するということがありました。調べると、皮膚に塗るベビーオイルにピーナツオイルが含まれていたのです。
国内でも石鹸に小麦のたんぱく質が含まれたものがあり、それが原因で小麦たんぱく質の食品を食べた子どもにアナフィラキシーショックが起きるということがありました。
皮膚にはバリアー機能がありますが、バリアーが破られると細胞に直接異物が侵入します。そうすると免疫システムはその異物に反応してアレルギーが起きるというわけです。
ですから、清潔にしようと体をごしごし洗っていると、アレルギーになりやすいのです。

「NHK特集」は2008年に次のような内容を放送しました。
病の起源  第6集 アレルギー ~2億年目の免疫異変~
花粉症・ぜんそくなどのアレルギー。20世紀後半、先進国で激増。花粉症だけで3800万人もの日本人が患う病となった。急増の原因は花粉・ダニの増加、大気汚染と考えられてきたが、意外な原因があることがわかってきた。
南ドイツで、農家と非農家の子供の家のホコリを集め、「エンドトキシン」と呼ばれる細菌成分の量を調べたところ、それが多い農家の子ほど花粉症とぜんそくを発症していなかった。エンドトキシンは乳幼児期に曝露が少ないと、免疫システムが成熟できず、アレルギー体質になる。農家のエンドトキシンの最大の発生源は家畜の糞。糞に触れることのない清潔な社会がアレルギーを生んだとも言える。
https://www.nhk.or.jp/special/detail/20081123.html
モンゴル人にはほとんどアレルギーがないということですから、それも証拠になるでしょう。

つまり清潔な環境は感染症を防ぐには効果がありますが、アレルギーには逆効果なのです。
無菌状態だと細菌に対する免疫もできませんから、過度に清潔な環境は感染症に対する抵抗力も弱めるかもしれません。

それから、「他人の唾」に対する嫌悪感は本能的なものですが、普通は恋愛状態になるとこの嫌悪感は消えてしまって、キスもセックスもできるようになります。親も赤ん坊の排せつ物にほとんど嫌悪は感じません。だからこそ人類は存続してきたわけです。
しかし、潔癖症の人は恋愛するのが人よりも困難です。
日本の少子化の原因のひとつに、世の中の過度な清潔志向もあるかもしれません。


なんでも清潔であればいいわけではなく、ある程度「不潔」を受け入れることがたいせつです。
それと同様、「バカなことをする若者」もある程度受け入れることがたいせつです。
社会の枠からはみ出たものをバリのように削り取ってきれいにしても、やがてまたはみ出てきますから、どんどん削り取っていくと、社会がどんどんやせ細っていきます。
それは多様性や共生社会とは逆方向です。

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はま寿司で他人が注文した寿司を横取りして食べる動画が拡散したことがきっかけでした。
次に、スシローで少年がレーンを流れている寿司に唾をつけたり、置いてある湯呑みをなめてもとに戻したり、醤油の注ぎ口をなめたりする動画が拡散し、それから、流れている寿司にわさびをつけたり、流れているポテトチップをつまみ食いしたり、うどん店で天かすを共用のスプーンで食べたりする動画が次々と拡散しました。

かつてバイト店員の悪ふざけ動画が拡散し、“バイトテロ”と呼ばれたことがありました。
それにならっていうと、今度は客が悪ふざけをしているので“客テロ”です。


他人が食べ物に触ったり、唾をつけたりする行為を見ると不愉快になるのは、感染症を防ぐための本能的な反応なので、こうした動画を見た人が不愉快になるのは当然です。
しかし、動画に映っている行為は過去のものです。唾がついた寿司や湯飲みや醤油差しなどはすでに片付けられるか洗われるかしていますし、迷惑行為をした人と店の間で話し合いが行われて解決している場合もあります。
ところが、動画が引き起こす本能的感情がひじょうに強いので、人々は現在の問題と思ってしまうようです。
「もう回転寿司に行けない」などと言っている人もいます。

こうした行為が「マナーが悪い」とか「常識に欠ける」と非難されるのは当然です。
しかし、日本には一億二千万人もいるのですから、中にはおかしな人もいます。
動画の迷惑行為をする人の中には、発達障害の人がいる可能性がありますし、ポテトチップをつまみ食いしたのは高齢の女性ですから、認知症かもしれません。
宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』に書かれたように、世の中には知的障害とはされない軽度の知的障害(境界知能)の人もいます。
もちろん知的障害の人もいます。
そうした可能性があるので、動画で迷惑行為をしている人を見て安易に非難するべきではありません。
ところが、やはり本能的感情が強烈なので、そうした判断のできない人が多いようです。

迷惑行為をしているのはたいてい若い人です。バイトテロが騒がれたのは10年近く前のことですから、そのころのことを知らない可能性があります。また、SNSやインターネットの影響力についてもまだよく理解していません。SNSを仲間内で盛り上がるためのツールととらえている可能性があります。
「こんな動画を上げれば騒ぎになるに決まっている。知らなかったではすまされない」などと言う人がいますが、自分が知っているから他人も知っているだろうと思うのは愚かです。

迷惑行為の動画が拡散して店は大きな損害をこうむりました。迷惑行為は過去のことなので、この損害は、動画を発掘して拡散させた人たちのせいです。迷惑行為をした人間は、その場にいた数人に被害を与えただけです。

私はこれを“炎上テロ”と名づけました。
つまり迷惑行為をやった人間がテロをしたのではなく、迷惑行為の動画を発掘・拡散して炎上させた人間がテロをしたのです。

“炎上テロ”は社会に損失を生みます。
回転寿司店は被害を防ぐためにAI搭載監視カメラを設置したり、回転寿司のレーンを改良したりすることを検討しています。実行することになれば、そのコストは客が負担することになります。

2月4日には、とんかつチェーンの「松のや」において少年が箸立ての箸を二十膳ほど両手でつかみ、先端を口の中に含んだあと、箸立てに戻し箸を混ぜるという動画が拡散しました。しかし、松のやによると、問題の動画が撮影されたのは2020年9月で、当時警察に被害届を提出し、すでに解決済みです。しかし、今回の拡散で、個別包装の箸に変更することを検討しているということです。
この例を見れば、迷惑行為をした人の悪は社会の片隅の小さな悪ですが、動画を発掘・拡散して炎上させた人たちの悪は社会を害する巨悪だということがわかります。


ネットで炎上させる人間は「正義の快感」に酔いしれているのでしょう。
スシローで唾をつけた少年は企業から損害賠償請求をされる可能性があり、その金額は最大100億円などといわれ、しかもそれは自己破産してもなくならない「非免責債権」であるといった報道がありました。
こうした報道を見て喜んでいる人がたくさんいました。
こうなると「正義の快感」というより「いじめの快感」です。
学校で子どもが自分より弱い子どもをいじめて喜んでいるのと同じです(いじめっ子にもそれなりの“正義”の理屈があるものです)。

学校ではいじめが増え続けています。
いじめが社会全体に広がってきたようです。

なお、損害賠償金については、唾をつけた少年の負担は少額で十分です。そして、動画を拡散させて騒いだ人も同じぐらいの額を負担するべきです。そうすれば合計して巨額の賠償金になります(現実にこのやり方は困難でしょうが、これが正しい責任の分担です)。


社会にはさまざまな人がいて、中にはおかしな人もいます。
おかしな人をなくすことはできません。
むりしてなくそうとすると、「角を矯めて牛を殺す」という言葉のように社会全体をおかしくします。


今の騒ぎは、本能的感情が暴走して引き起こされています。
本能的感情はもともと生存に必要なものでしたが、今は明らかに社会的損失を生んでいます。
ここは冷静になって、自分の感情はこれでいいのかと考えなければいけません。
これは「認知を認知する」という意味で「メタ認知」といわれます。
「メタ認知」のできる人が真に知性のある人です。

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日本では、子どもを持つ母親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
たとえば赤ちゃん連れで新幹線に乗ることもたいへんなようです。

5か月の子どもを育てている母親が夫の実家に産後初の帰省をするのに新幹線に乗るに際して、その悩みをネットで相談したということが『「赤ちゃん連れの新幹線、ギャン泣きしたらどうしようと不安です」母親の相談に注目集まる』という記事で紹介されました。
母親は車で帰るか新幹線で帰るか考えて、赤ちゃんの負担の少ない新幹線を選んだのですが、赤ちゃんは泣きだすと疲れるまで泣きやまないことも多く、「周りに迷惑をかけてしまうな、とか、うるさいって怒鳴られたらどうしようと不安で」と、経験者にアドバイスを求めました。

すると、「精神的なことを考えたら時間はかかっても車のほうが楽」とか「ピリピリしてる雰囲気があるから、私なら怖くて赤ちゃんを連れて電車移動できない」とか「本当にどうしようもなくなって、途中下車して30分待ったこともある。自由席切符だから出来ることだね」というように、赤ちゃん連れ新幹線乗車に否定的な声が多くありました。
新幹線に乗ることを応援する声もありますが、そういう声にもたいてい「子どもが泣いたり騒いでるのに放置とかあやそうともしない人はどうかと思うけどね」というただし書きがついています。

「泣いたらデッキに連れ出すべきだ」という声もありますが、「デッキは騒音が大きいので、かえって泣く」という反論もあります。

「泣いてる赤ちゃんを放置している母親はけしからん。ちゃんとあやすべきだ」という声が多いのですが、母親があやしたからといって必ずしも泣きやむわけではなく、そこに母親の悩みがあります。


新幹線と赤ちゃんで思い出すのは、6年前の松本人志氏のツイートです。

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これが話題になり、1万件のリツイート、1.9万件の「いいね」がつきました。

松本氏は、子どもに罪はないとする一方で、親に罪を押しつけています。少なくとも「おろおろしろ」と親に重荷を負わせています。
赤ん坊を泣きやます魔法はないので、親は誰もがおろおろしなければならないことになります。

松本氏のような考え方に多く「いいね」がつく世の中では、子ども連れの親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
これも少子化が進む理由でしょう。


なお、「公共の場でみんなに迷惑をかけてはいけない」という理由から、泣く可能性のある赤ん坊を電車に乗せるなという意見もあります。
この意見は「公共」の意味がまったくわかっていません。
私的なパーティとかコンサート会場のような特殊な場所なら「赤ん坊を連れてくるな」ということも言えますが、公共の場はみんなに開かれているので、赤ん坊を排除することはできません。
赤ん坊が泣いたときには、眉をひそめたりしないのが公共の場におけるマナーです。
これは、のろのろ歩く老人や車椅子の人に眉をひそめたりしないのと同じです。
松本氏のような人は、公共の場におけるマナーができていません。


昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言って、人々は泣く子はどうにもならないものとして受け入れてきました。
ところが、現代人は泣く子に勝とうとして、母親に圧力をかけているわけです。

「泣く子」だけではありません。
「騒ぐ子ども」や「遊ぶ子ども」も公共の場から排除され、親は子どもに「おとなしくしなさい」と圧力をかけ、学校では生徒はブラック校則に従わされています。
その結果、日本では年々若者に元気がなくなっています。
これは日本経済停滞の原因にもなっているはずです。

「泣く子」と共存することは日本を元気にする第一歩です。

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1年ほど前、天ぷら屋で天ぷらの衣をはがして食べている客を店主が追い出したということがあり、ネットで客が悪いのか店主が悪いのかという議論が起きました。
その前には、とんかつの衣をはがして食べる食通がいて、とんかつ屋の店主が激怒したという話もありました。

この話が“進化”して、今回は唐揚げ屋で唐揚げの衣をはがして食べる人がいたということがネットで話題になっています。

なぜ? 唐揚げ店で「衣」をはがして食べる女性客に店主も困惑…迷惑客を追い出せるのか
外食業界はコロナ禍で大きな経済的ダメージを受けているが、「唐揚げ店」は比較的好調のようだ。近年の唐揚げブームを追い風に、各地で新規出店が続いている。

様々な唐揚げ店に行って、味の比較を楽しむ人もいるだろう。都内の出版社に勤めるコウヘイ(30代)さんもそんな一人だ。しかし、このほど同僚とランチで行った唐揚げ店で気になることがあったという。

「一緒に行った同僚の女性が唐揚げの衣をはがして食べ始めたんです。唐揚げ店に来てるのに、唐揚げの衣を食べない人がいることに驚きました」

女性に剥がす理由を聞くと、「衣をとった唐揚げの味が好き。鶏肉でタンパク質はとりたいから、定期的に来ている」と悪びれず答えたそうだ。

「『だったら唐揚げ店以外に行けばよかった』と思いましたし、案の定、店主の人もカウンターの向こうで明らかに不愉快な顔をしていたので、追い出されたりしないかとハラハラしました」(コウヘイさん)
(後略)

ここでの問題はふたつあって、ひとつはこれはマナーとしてどうなのかということ、もうひとつは店がこのような客を追い出すことは法的に可能かということです。

この記事は「弁護士ドットコム」のもので、法的なことは弁護士が回答しています。詳しくはリンク先を読めばわかりますが、ルールに従わない客は退店していただきますといった張り紙を店があらかじめしていない限り、客を追い出すことはできないということです。

マナー違反かどうかということですが、衣をはがすにはそれなりの理由があるのですし、誰に迷惑をかけるわけでもないので、マナー違反とは言えないと思います。ましてや批判されることではありません。

天ぷら屋で衣をはがして追い出された客というのは、合コンに参加した女性でした。つまり自分で選んで天ぷら屋に来たわけではないのです。しかたなく衣をはがしていたら追い出されたというのは気の毒です。

揚げ物の衣をはがす理由としては、カロリーをへらすためということがありますし、最近は糖質制限のためということもあります。また、安い揚げ物は古い酸化した油を使っているに違いないので、健康のためということもあるようです。アレルギーやその他の理由もあるかもしれません。
つまりちゃんとした理由があってやっているので、店の人がいやがらせでやっていると思ったとすれば勘違いです。


「見ていて不愉快だ」ということを理由にする人もいますが、そういう人は「揚げ物はそのまま食べるもの」という思い込みが強くて、かつ他者への想像力が欠けています。
単純に言って偏見です。


とくに食事のマナーに関する偏見は強くて、たとえば人の箸の持ち方にクレームをつける人がよくいます。
箸の持ち方は誰でも幼少期に親からしつけられます。そのときのことがトラウマになっているからではないかということを、このブログで『「箸の持ち方にうるさい人」はなにがだめなのか』という記事に書いたことがあります。

ただ、「揚げ物はそのまま食べるべき」というしつけをうけた人はいないでしょうから、これは単なる思い込みです。
考え方を柔軟にし、自分の感情が合理的か否かを判断すれば片付く問題です。

ところが、食に対して柔軟な考え方のできる人は少ないようです。
食は人間にとって根源的なものだからでしょう。
そのため「お袋の味」にこだわって、妻のつくる料理が気にいらないとか、海外旅行にいって現地の料理が口に合わなくて苦労するといったことも起こります。


そういう意味では、性も同様に根源的です。
そのため、性に対する自分の感情が不合理だと頭で理解しても、表層的な理解にとどまってしまい、LGBTに対する差別意識がなかなかなくなりません。

しかし、「食や性に対する偏見はなくなりにくい」ということをあらかじめ知っていれば、対処のしようがあります。
唐揚げの衣をはがして食べている人を見てイラッとしても、それが自分の偏見からくるものかもしれないと思えば、自分の感情が合理的なものか否かを冷静に判断して、その人を非難するようなことはしなくてすみます。
しかし、自分の偏見に気づかないと、マナー違反だ、失礼だ、食べ物を粗末にしているなどと“正義”の怒りをその人に向けてしまいます。

こうした偏見は世の中の平和を乱します。
唐揚げの衣をはがして食べる問題も世界とつながっています。

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食事におけるマナーはたいせつです。
スープを音を立ててすすったり、ナイフやフォークを必要以上にカチャカチャさせたりするのは、周りの人を不快にさせます。

では、箸の持ち方がおかしいというのはどうでしょうか。
音を立てたり唾を飛ばしたりするのと違って、どんな箸の持ち方をしても人の迷惑になることはありません。
箸の持ち方がおかしいと食べにくいということはあるでしょうが、それは本人の問題です。

ところが、世の中には「お箸の持ち方がおかしい」と言ってクレームをつける人がかなりいます。


不登校のYouTuber、“少年革命家ゆたぼん”の父親が、ゆたぼんがお寿司を食べる写真をツイートしたところ、「お箸の持ち方がおかしい」というクレームが殺到したそうです。

ゆたぽん
ゆたぽん2
中村幸也@ゆたぼんのパパ」のツイートより



ゆたぼんさんが批判されているのを見て、ダルビッシュ有選手が「ゆたぼんさんのお箸の持ち方どうこうってあんなん俺からしたら上手く持ててるからな」とツイートして、自分の箸の持ち方の動画を投稿しました。

ダルビッシュ有
https://twitter.com/faridyu/status/1224426899981520896

ダルビッシュ選手は前に箸の持ち方でバッシングされたことがあり、それ以来、この問題にはこだわりがあるようです。ツイッターのプロフィールには「箸が箸であればどんな使われ方をされても愛せ。そして箸を使う人すべてを愛せ」という言葉を書いています。


私が思うに、「機能的で、見た目にも美しい箸の持ち方」というのはあるでしょうし、それを目指すのはいいことです。しかし、我流の持ち方をしたからといって非難される筋合いはありません。
ダルビッシュ選手も、「鉛筆の持ち方が変だからといって叩かれないし、歩き方や走り方が変だからといって叩かれない。なぜお箸の持ち方だけ叩かれるのか」という主旨の主張をしています。

問題は、へんな箸の持ち方をする人にあるのではなく、箸の持ち方が悪いと非難する人のほうにあります。
それは、「発言小町」に投稿された次の悩みを読めばわかるはずです。

箸の持ち方を直してほしい
こぶた  2013年7月31日 21:46
33歳会社員です。
お付き合いしている彼に箸の持ち方を直してほしいのですが
何と言うのがよいでしょうか。
付き合い始めくらいに、直してほしいと一度言ったことがあります。
彼は自分でもおかしな持ち方をしているのは自覚していて、
「上司と一緒の時やきちんとした席では直しているから大丈夫」みたいな言い訳をされました。それ以来は気なりつつ口に出していません。
その前にお付き合いした彼もきちんと箸を持てない人で指摘をすると、誰にも迷惑をかけていないし、誰がそんなルールを決めたんだ?という風に逆切れ気味に言い返されたこともあり、直してほしいけど何と言えば気持ちよく直してくれるのか悩んでいます。
私としては、マナーとして当然と思っており、できないことは恥ずかしく思います。また、それをどうでもいいと思っている人は根本的な所で価値観が合わないかもとすら思います。
皆さんなら、パートナーの箸の持ち方がおかしい時はどうしますか?
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0731/608705.htm

この悩み相談に対して、「別れればよい」という回答が多数です。
こうした回答は無責任です。

稼ぎのない男、暴力をふるう男、自分勝手な男、浮気をする男などとは別れたほうが賢明です。
しかし、「箸の持ち方が悪い男」と別れるのは愚かです。そんなことは欠点のうちに入りません。男選びの基準が間違っています。
箸の持ち方を異常に気にするこの女性に問題があるのは明らかです。

ゆたぼんさんやダルビッシュ選手の箸の持ち方をたたく人は、この女性と同じ精神構造と思われます。

どうしてこのような精神構造になってしまったのか、それもこの女性の次の書き込みから推測できます。

こぶた  2013年8月7日 21:30
私が持ち方を直してほしいと彼に言おうと思ったきっかけは、
お正月には両親に彼を紹介しようと思ったからです。
(遠方で年に一度しか帰省しません。)
私の価値観ができあがったように、当然両親は箸の持ち方を見る人です。
口には出さないでしょうか、内心よく思わないでしょう。
その前に直してほしかったのです。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0731/608705.htm?o=2&g=04&rj=1

基本的に子どもの箸の持ち方は親がしつけます。子どもは当然、箸がうまく使えません。そのときに強引なしつけ方をすると、それが子どものトラウマになります。この女性とか、ゆたぼんやダルビッシュ選手をたたいている人たちは、そうしたトラウマがあるのでしょう。

幼児虐待で逮捕された親はたいてい「しつけのためにやった」と言います。
こういう親は決して特別ではなくて、虐待の程度の軽い親はいっぱいいて、軽いトラウマを受けた子どももいっぱいいて、そうした子どもがおとなになると、ゆたぼんさんやダルビッシュ選手の箸の持ち方をたたくようになります。
こういう人は、自分のしつけのされ方を振り返るといいと思います。

食事のマナーはたいせつです。
箸の持ち方のような細かいことにこだわらず、楽しく食事することが最大のマナーです。

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人間に裏表があるのは当たり前です。
しかし、ネットの世界では裏表の区別もつかない人が多いようです。

ドコモショップの店員から「クソ野郎」とののしられたとして怒っている人がいて、それがきっかけで炎上しています。

「親が支払いしてるクソ野郎」 ドコモ代理店の書類に信じられないメモ書き 受け取った本人に話を聞いた
ドコモショップの書類に残されていた信じられないメモ書きがTwitterで拡散されています。「親が支払いしてるから、お金に無トンチャク」「つまりクソ野郎」と利用客を侮辱したうえで、プランの追加を勧めるよう指示が記されています。
編集部では、メモを受け取ったAさんに取材。あわせてNTTドコモ本社にコメントを求めました。

 以下は編集部がAさんに電話取材した内容です。

「場所は機種変更で訪れた千葉県のドコモショップです。その際、店員からプランの変更を勧められ、ホチキスで綴じられた資料を渡されました」

「やりとりの中で店員がPCを操作し始め、手持無沙汰な時間ができました。それなら変更内容を確認しておこうと資料のページをめくったところ、『クソ野郎』などのメモが書かれていたという経緯です。本来は客に見せない紙が紛れ込んでしまったのだと思います」

「『親が支払いしてる』とありましたが、うちは一家で自営業を営んでおり、父親の名義でまとめて支払うと都合がいいというだけの理由です。顧客情報から勝手に事情を推測して、このような指示を出しているのでしょうか。信じられません」

「メモを発見しすぐに責任者を呼びました。納得できる説明を求めましたが、『すみません』とへらへら謝るばかりで、らちがあきませんでした」

「ドコモ本社に報告したいと申し出ましたが、『コールセンターしかありません』と説明され、直通の電話番号などは教えてもらえませんでした。そのコールセンターも、代理店が用意した番号だったので、ちゃんと本社まで話が通っていたかは分かりません」

「Twitterで話題になってから、ようやく代理店よりお詫びのメールが届きました。何度もなかったかのようにだんまりを決め込んでおいて、事が大きくなって初めて連絡してくるのもおかしな話だと思います」

「インターネット回線もドコモ光の契約を検討していましたが、今回の一件で躊躇(ちゅうちょ)してしまいました」
(後略)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2001/09/news126.html
NTTドコモはこの事実を認めて、「お客様にご不快な思いをさせてしまったことを大変申し訳ないと考えております」と謝罪しています。


要するに客に見せるべきでないメモを見せてしまったことで生じた問題です。
メモを客に見せたのは店のミスです。
「クソ野郎」などと書いたのはよくありませんが、客が見なければどうでもいいことでした。

客の側も、これが純然たる私的なメモなら、目にしても読まないのがマナーですが、自分のことが書かれているのですから、読むのは当然です。
そこに「クソ野郎」などと書かれていれば、腹が立つのも当然です。
で、文句を言いたくなるのも当然ですが、ここが考えどころでした。

自分は本来読むべきでないものを読んだので、それほど堂々と文句を言える立場ではありません。
それに、文句を言って謝罪させたところで、なにか得をするわけではありません。この人はコールセンターに電話して文句を言ったようですが、まったくの時間のむだです。

店の対応が悪い場合、クレームをつけることで店の対応が改善されることが期待でき、少しは世のため人のためになります。
ところが、この場合は店の対応が悪いわけではないので、クレームをつけてもなにも改善しません。

要するにこれは、人のひそひそ話がたまたま耳に入ってきて、自分の悪口を言っていたので、怒って謝罪を要求したというのと同じです。
そこは、聞いて聞かないふりをするのがおとなというものです。



ただ、この人が腹を立てたのはわかります。
問題は、この人に便乗してネットで炎上させた人たちです。
店の人やドコモを攻撃し、店長の名前や写真をネットにさらしたりしています。
これは世のため人のためにならないばかりか、むしろ逆です。
NTTドコモは「全店舗に対して今まで以上に指導徹底し、再発防止に努めてまいります」と表明していますが、店員同士がやり取りするメモまで監視されるようになると、働きにくくなります(監視する手間もむだです)。
この店員は、「この客は親が料金を払っているので、高いプランを勧めてもうまくいくかもしれない」という業務連絡のメモを書くのに、それだけではつまらないので、「クソ野郎」という言葉を入れたわけです。誰にも迷惑をかけずに、つまらない仕事を少しでもおもしろくしようという工夫です。


いわゆる「バイトテロ」も同じ構図です。
若いバイト店員が悪ふざけをして、SNSに動画や写真をアップして仲間内で楽しんでいると、それを拡散して、攻撃する人が出てくるわけです。バイト店員の悪ふざけは個人的な行為ですし、隠れてやっている限り問題はありません(若者が悪ふざけをするのは自然な姿です)。それを拡散させて攻撃するほうに問題があります。

ところが、拡散させて攻撃するほうは圧倒的多数派で、攻撃されるほうは個人です。そうすると、多数派のほうが正義だという世論が形成されます。


人間に裏表があるのは当たり前で、たまたま裏を見て、「表と違う」と怒るのは愚かです。
こういう問題は、多数派に影響されずに、各個人がしっかりとした倫理の軸をもって判断することがたいせつです。

ただ、最近は炎上させる側を「正義マン」とか「道徳警察」という言葉で批判する傾向も出てきました。
私自身は「道徳という棍棒を持ったサル」という言葉を使っています。

麺をずるずると音を立てて食べるのは不快だから、そういう食べ方をヌードルハラスメント、略してヌーハラというのだそうです。
最近、ラーメン好きの外国人がふえてきていますが、外国人には麺をすすって食べるという習慣がなく、日本人の音を立てる食べ方に苦情を言うことがあるそうです。
それに対して「日本の食文化について外国人に文句を言われる筋合いはない。それがいやなら食べにくるな」などと反論が出て、一種の文化摩擦になっています。
 
人がものを食べる音は生理的に不快なので、できる限り音を立てないで食べるというのは世界共通のマナーです。ところが日本では、とくに日本そばについては逆に音を立てて食べるのがマナーとされます。
その類推でラーメンも音を立ててかまわないとされているようです。
 
世界の常識とまったく逆のマナーがどうしてできたのかについて、前に書いたことがありますが、もう一度書くことにします。
 
そもそも細く切った麺が食べられるようになったのは江戸時代のことです。ウィキペディアの「蕎麦」の項目にはこう書かれています。
 
 
蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。蕎麦掻きと区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。
(中略)
蕎麦切りという形態が確立されて以降、江戸時代初期には文献に、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例が見られる。寛永20年(1643年)に書かれた料理書『料理物語』には、饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。17世紀中期以降に、蕎麦は江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着していった。
 
 
「江戸を中心に急速に普及し」と書いてあるところがポイントです。
つまり、江戸にはそば切りがあるが田舎にはない、という一時期があったのです。
 
「すすって食べる」ということは、すぐにはできません。外国人が苦手としているのを見てもわかるように、何度も食べているうちにできるようになります。
 
江戸に住んでいる人間は、いち早くすすって食べることができるようになります。ところが、田舎から出てきた人間はできません。
ですから、そば切りの食べ方を見れば、その人間が田舎者かどうかわかるわけです。
 
当時の江戸はどんどん人が流入して人口が増え続けていました。要するにみんな田舎者なのですが、それだけにわずかの違いを見つけて差別化しようとします。そのとき、そば切りの食べ方はいい材料になりました。
 
そば切りをすすれる人間は、すすれない人間の前で、わざと音を立ててすすって違いを見せつけ、田舎者をバカにしました。
わざと音を立てることは、そば切りはこうして食べたほうがうまいのだと言って正当化しました。
これがそばを食べるときのマナーになり、いまだに続いているのです。
 
なお、江戸前寿司は手で食べたほうがうまいといって、手づかみがマナーとされたのも同じと思われます。
江戸っ子はせっかちですから手づかみで食べ、箸で食べようとする田舎者をバカにしたのでしょう。
 
上方では、そばではなくうどんが食べられましたが、うどんについては、音を立ててすするというマナーはありません。上方では田舎者差別がそれほどではなかったからと思われます。
 
 
もともと食事のマナーは、人に不快感を与えないためにつくられたものですが、文明の進歩とともに行き過ぎてしまって、差別の道具にも使われるようになりました。
高級な西洋料理や日本料理のマナーは、やたらに細かくて複雑で、人に不快感を与えないということを通り越しています。高級な料理を食べつけている人がそうでない人を差別する道具にしたのです。
麺を音を立ててすするというマナーも差別の道具として生まれましたが、江戸時代の一時期に発達した特殊なもので、本来のマナーと真逆ですから、すたれるのは時間の問題と思われます。
 
寿司は手づかみのほうがうまいと言って手づかみで食べる人も最近はあまりいません。
日本そばをわざと音を立ててすする人はまだいますが、それが不快だという声はふえてきています。
 
ヌーハラ論争を外国との文化摩擦ととらえるとおかしなことになります。
本来とは真逆に発達したマナーのおかしさを外国人から指摘されているととらえればいいのです。
 
もっとも、ラーメンや日本そばは庶民の食べ物ですから、高級西洋料理のような厳格なマナーを要求されても困りますが。

人を礼儀知らずとかマナーをわきまえないとかいって非難する人は、その人自身がろくでもない人だというのが私の考えです。
もっとも、こんなことをいうと、ほとんどの人は日常的に人を礼儀知らずとかマナーをわきまえないとかいって非難しているので、総反発を買ってしまいそうです。
そこで、実例を示してみましょう。東京都では保育所不足が深刻で、杉並区の待機児童をかかえた母親らが行政に異議申し立てをしましたが、これについて2月27日付朝日新聞朝刊東京版に「杉並・保育園問題、区議ブログに批判殺到」という記事が載りました。
その区議ブログは次のどちらでも読めます。
 
BLOGOS
一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり
 
田中ゆうたろうブログ
一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり
 
このブログのさわりの部分だけ引用しておきます。
 
私は、今のこの不況を本質的に打破するためにも、女性力を思い切って爆発させることは必要だと考えている。仕事と子育てを真に両立できる社会を創らねばならないと強く願っている。だが、それゆえにこそ、「子育ては本来は家庭で行うもの」という基本中の基本を忘れるべきではないと痛感する。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に「子供を持つなということか」「現状のおかしさに気付いて」などと世を恨むかのような態度は、それこそどこかおかしい、どこか的を外している。「お願いです。私達の子育てをどうか手伝って下さい」、これが待機親に求められる人としてのマナー、エチケットというものではなかろうか。
 
 
この田中裕太郎区議は、仕事と子育ての両立を考えている人のようです。となれば、異議申し立てする母親たちと同じ立場に立ってもいいはずです。
しかし、それはタテマエで、本音のところは男権主義的な考えなのでしょう。そのため、女たちが集団で行政に抗議してくるということががまんならなかったに違いありません。また、田中区議は幼稚園の主事を務める教育畑の人で、そのため人に道徳を説くということも普通のことと思っているのでしょう。
そこで、行政に文句をつけてくる母親たちを「声高に居丈高に」「世を恨むかのような態度」と決めつけ、「人としてのマナー、エチケット」を説いてしまったというわけです。
 
ここでのマナー、エチケットはまさに人を非難・攻撃する道具となっています。
 
ただ、田中区議の誤算は、自分は政治家で、マナー、エチケットを説いた相手が有権者であったことです。政治家対有権者という関係では、有権者のほうが優位です。そのためブログには批判が殺到してしまいました。
 
もしこれが夫と妻の関係であったらどうでしょうか。夫が妻に対して優位に立っているときは、「お前はマナー、エチケットがなっていない」「夫に対する感謝が足りない」などという主張がそのまま通ってしまいます。
 
 
また、電車内でベビーカーを利用することについてマナー論議が起きたことも記憶に新しいところです。
一般乗客にとって、満員電車にベビーカーで乗り込んでこられるのは確かに迷惑なことです。ですから、ベビーカーの利用をやめろという主張があるのは不思議なことではありません。ただ、これはあくまで利己的な主張です。
利己的な主張がいけないというのではありません。むしろみんなが利己的な主張をすると、問題がはっきりと見えてきます。
 
「こんな満員電車にベビーカーで乗ってくるな。どうしても乗りたければ子どもを抱っこしろ」
「いちいちベビーカーを畳んで抱っこするのはたいへんなのよ。それぐらいのスペースは空けなさいよ」
 
こうしてお互いに利己的な主張をぶつけ合って、妥協点を探ればいいわけです。
 
ただ、一般客のほうが多数で、ベビーカー利用者が少数であるという問題があります。そのため多数派有利の結論に導かれがちです。
その結果どうなるかというと、「ベビーカー利用者はマナーを守れ」という主張が通り、「ベビーカー利用者に対して一般客はマナーを守れ」という主張は退けられてしまいます。
これがつまりベビーカーのマナー問題の本質です。
 
田中区議のブログ発言や、電車内ベビーカー問題について考えると、人に対してマナーを説くというのはどういうことかわかるのではないでしょうか。
 
ちなみに私は、人の行為を迷惑に感じたときは、マナーを説いたりせず、「その行為はやめてもらえませんか」とやんわりと頼みます。これは相手の思いやりに期待するやり方です。
一方、マナーを説くというのは、圧力をかけて相手を動かそうとすることですから、相手と衝突する恐れがありますし、少なくとも相手を不愉快にすることは間違いありません。
どちらが世の中をよくするかは明らかではないでしょうか。

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