村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 右翼思想を解体する

菅長官
首相官邸HPより

菅義偉官房長官が総裁選出馬表明をしたのは、自民党内の派閥のほとんどが菅長官支持で固まったあとでした。
すべてが水面下で決まる、いかにも自民党らしい展開です。

菅長官は出馬表明の記者会見で「安倍路線の継承」を言明しました。
ということは、首相の顔が変わるだけで、なにも変わらないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。この8年間で「安倍路線」そのものが変化しているからです。


安倍路線を簡単にまとめると、経済はアベノミクス、外交は対米従属、内政は保守イデオロギーです。
この中でいちばん大きく変化したのは内政の保守イデオロギーの部分です。

安倍首相は表向き憲法改正を最大の目標にしていましたが、ついに果たせませんでした。長期安定政権においてもできなかったのですから、改憲は不可能という決論が出たと見ていいでしょう。

靖国参拝も重要な目標で、安倍首相は第一次安倍政権のときに靖国参拝ができなかったことを「痛恨の極み」として、第二次政権では靖国参拝を公約として掲げていました。そして、2013年12月26日に電撃的に参拝しましたが、内外から大きな反発が起きて、それ以降は一度も参拝していません。

慰安婦問題についても、安倍首相は「強制連行はなかった」と主張して韓国への謝罪を拒否していましたが、2015年の日韓合意で「おわびと反省の気持ち」を表明しました。

安倍首相が肩入れした森友学園は、子どもが教育勅語を暗唱し、軍服のような制服を着て整列行進するという軍国時代のような小学校をつくるはずでしたが、スキャンダルとともに幼稚園での軍国的教育が明るみに出て、国民の反発を買い、軍国教育の復活もとうてい不可能になりました。

つまり日本会議に代表される保守派が目標としてきたことは、ことごとく失敗に終わったのです。
もちろん国民の支持がないからでもあります。
安倍政権を評価する国民も、もっぱらアベノミクスと対米従属の部分を評価しています。

つまり保守イデオロギーは「安倍とともに去りぬ」です。


ですから、菅政権が受け継ぐのは、アベノミクスと対米従属だけということになります。
菅氏自身も、ウィキペディアを見ると日本会議国会議員懇談会や神道政治連盟国会議員懇談会などに参加していますが、保守イデオロギーを表に出すような発言は聞いたことがありません(韓国に対してはやたらきびしいことを言いますが)。

出馬表明の記者会見でも、菅氏がとくに強調したのは、洪水対策のためのダムの水量調節のことと、携帯料金の値下げのことでした。
自分の過去の業績として挙げたのも、ふるさと納税の成立、外国人観光客の誘致、農産品の輸出促進です(本人は言いませんでしたが「Go Toトラベル」前倒しもあります)。
つまり菅氏に関心があるのは内政であり、とくに地方のことです。
安倍首相の「美しい国」や「新しい国」のような国家ビジョンはありません。

劣化コピーという言葉がありますが、菅政権は安倍政権から保守イデオロギー色を抜いた“脱色コピー”です。


そうすると、これは国民の望む政権のようですが、そうはなりません。
安倍政権の大罪に「権力の私物化」がありますが、菅官房長官はその部分を中心になって担ってきたからです。
たとえば安倍首相は自分の保守イデオロギーから森友学園に不正に肩入れし、不正が明るみに出ると主に菅長官が隠ぺい工作をするという役割分担になっていました。
菅長官はまた、テレビ局に圧力をかけるのも平気ですし、記者会見のときに気に入らない記者を選別したりもします。

権力は、暴走しないように法令に従って行使するものと定められていますが、菅氏は法令の枠いっぱいに使ったり、恣意的に解釈したりして、権力を乱用したり私物化したりします。
このように超法規的にふるまう権力者は、いかにも権力者らしい権力者としてかえって国民の人気を博します。
世界の権力者の大勢はそうなっています。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平主席、イギリスのジョンソン首相、ブラジルのボルソナロ大統領などがそうです。

安倍首相もその一人といえます。政策が評価されたというより、国会でヤジを飛ばすようなわがままなふるまいが支持されたのでしょう。

日本維新の会の松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事、橋下徹氏らを見ていると、なにか思想や目標があるわけではなく、権力者としてふるまうことが最大の目的であるように思えますし、そうした姿勢をけっこう支持する人たちがいます。


超法規的なふるまいをする権力者、わがままな権力者が国民に支持されるという現実を、今の知識人は受け止められないでしょう。

DV男が妻や子どもを支配している家庭で育った人間は、わがままにふるまう権力者を見ると父親のような親しみを感じます。
少し前までアンケート調査で体罰に反対より賛成のほうが多かったことを見てもわかるように、日本でもたいていの家庭で暴力はありますし、暴力とまではいかなくても、親は子どもに対してわがままにふるまっているので、権力者がわがままにふるまうことへの支持は広く存在します。
トランプ大統領は典型的なDV男のイメージなので、熱狂的に支持する人が多くいます。


左右対立というイデオロギーは無意味になって、今では権力への態度で政治的立場が分かれます。
DV男や強権的な権力者に依存するか、対等で民主的な関係を求めるかという違いが政治的対立の主軸になるのです。


今後、菅政権が発足すると、菅首相の強権的なふるまいゆえに支持する国民が出てくるでしょう。
政権批判と同時に、そういう国民も批判しなければいけません。

植松聖
移送中の植松聖被告

植松聖被告が障害者19人を殺害したやまゆり園事件の裁判員裁判が進行中です。
マスコミは植松被告の言い分を「身勝手な主張」と切り捨てていますが、そう単純なものではありません。植松被告は「国のため、社会のため」ということを主張しているからです。

1月24日の公判では、こんなことを述べていました。

弁護人から「意思疎通が出来ない方にも親や兄弟がいる。家族のことを、どう考える?」と聞かれると、植松被告は「子どもが重度障害を持っていても、守りたい気持ちは分かるが、受け入れることは出来ない」と主張。その上で「自分のお金と時間で面倒を見ることが出来ないから。お金を国から支給されているからです。お金と時間がかかる以上は、愛して守ってはいけないと思います」と声を大にした。

植松被告は、弁護人から「安楽死で世の中はどうなる?」と聞かれると「生き生きと暮らすじゃなく、働ける社会になると思います」と主張。働くことが重要かと聞かれると「そうです。仕事をしないから動けなくなってしまう。ボケてしまうんだと思います」と答えた。若い人で仕事をしていない人もいるが? と聞かれると「働けない人を守るから、働けない人が生まれると思う。支給されたお金で生活するのは間違っていると思う。日本は借金だらけ。(障がい者を殺せば)借金を減らすことは出来ると思います」などと主張。国が障がい者に支給する手当が、国の財政を圧迫しているという趣旨の持論を展開し、自己正当化した。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202001240000212.html

自分が犯罪者になっても国の財政を救おうとは、まさに“滅私奉公”で、愛国者の鑑です。

2月5日の公判では、植松被告は障害者を殺したのは「社会の役に立つと思ったから」と主張しました。

「やまゆり園」植松被告「趣味は大麻です」繰り返す
45人が殺傷された「津久井やまゆり園」事件の裁判員裁判第10回公判が5日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれ、遺族らが元職員の植松聖被告(30)に対する被告人質問を行った。

姉(当時60)を殺害された男性が「なぜ殺さなければならなかったのか」と尋ねると、植松被告は「社会の役に立つと思ったから」と答えた。植松被告は「ご遺族の方とこうして話すのは心苦しい」と述べ、謝罪も口にしたが、「重度障害者を育てるのは間違い」と言い切り、「趣味は大麻です」と2回繰り返した。

長男一矢さん(46)が重傷を負った尾野剛志さん(76)が「家族は悩みながら、小さな喜びを感じて生活している。あなたはそれを奪った」と謝罪の言葉を求めると、ひときわ大きな声で「誠に申し訳ありませんでした」と答えた。尾野さんが「今、幸せですか」と問うと、「幸せではありません。いや、どうだろう」と首元に触れた。

被害者参加制度に基づくこの日の質問は、被害者からの直接の問いかけに植松被告がどう答えるか注目されていた。尾野さんは生い立ちから探るために、。初公判で指をかんだ意味に関する質問も制止されたという。質問を終えて法廷を出た尾野さんは「残念です」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-02050870-nksports-soci

植松被告は「国のため、社会のため」という大義名分を押し出して、殺人を正当化しています。

人の命よりも国家を上位に置くのは、よくある考え方です。特攻隊でなくても、若者が兵隊になって戦争に行くこと自体、命より上に国家を置いていることになります。
「障害者は殺していい」というところに着目すると、植松被告の考え方は優生思想になりますが、「国のため」というところに着目すると、ナショナリズムや右翼思想になります。
植松被告は2016年2月、衆院議長公邸を訪れて「障害者が安楽死できる世界を」という手紙を渡しました。自分のやろうとすることは「国のため」なので、理解してもらえると思ったようです。


右翼政治家の石原慎太郎氏も植松被告と同じような考えの持ち主です。
石原氏が都知事になった1999年、重度障害者が治療を受けている病院を視察したとき問題発言をし、さらにやまゆり園事件にも言及しました。

 重度障害者たちが治療を受けている病院を視察した石原氏は、会見にて「ああいう人ってのは、人格があるのかね」と語ったのだ。その後も「絶対よくならない、自分が誰だかわからない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障害で、ああいう状況になって」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと発言した。
 ちなみに昨年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が死亡し、20人が重傷を負った殺傷事件ついても石原氏は言及しており、「文學界」(文藝春秋/16年10月号)の対談で「あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と心境を吐露してみせた。
https://biz-journal.jp/2017/03/post_18396.html

優生思想とナショナリズム、右翼思想は表裏一体であることがわかります。

ネトウヨが跋扈するような右翼的な世相と、人権を軽視する風潮がこの事件を生んだともいえます。


ところで、植松被告がこうした犯行に及んだのは、親から人としての愛を受けられなかったからだというのが私の考えです。
『「やまゆり園」植松被告「趣味は大麻です」繰り返す』という記事で、被害者側は『被告と両親に関する質問を用意したが、「事件と関係ない」と弁護側に止められた』ということです。
弁護側に止められたということは、裁判長もそれを認めたのでしょう。
日本の司法はいつまで親子関係をブラックボックスに入れておくのでしょうか。

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首相官邸ホームページより

11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなりました。
101歳でしたから、大往生というべきですが、晩年はかなり屈折した思いがあったはずです。

中曽根氏が政界を引退したのも不本意なものでした。
1996年に小選挙区比例代表並立制が導入された際、中曽根氏は小選挙区から比例区に回りました。小選挙区なら場合によっては党の公認がなくても自力で当選することが可能ですが、比例区では党の決定に従うしかありません。中曽根氏は比例区に回ることに強く抵抗しましたが、最終的に自民党は中曽根氏には党の定年制を適用せず、比例北関東ブロックでの終身1位の保証をすることで説得しました。
ところが、2003年の総選挙で小泉首相は党の約束を破って中曽根氏に引退を勧告しました。そのとき、党の決定を中曽根氏に伝える役回りを演じたのが安倍晋三幹事長です。
中曽根氏としては約束を破られ、むりやり引退させられたのですから、そうとうな恨みを残したでしょう。


安倍首相の政治思想は中曽根氏とほとんど同じです。
改憲が悲願である中曽根氏は、自分の目の黒いうちに安倍首相が改憲を成し遂げてくれると期待していましたが、安倍首相が中曽根氏逝去について出した談話には、改憲のカの字もありません。

内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)

安倍首相は長期安定政権を築いておきながら改憲ができず、中曽根氏の期待を裏切ったのですから、一言あっていいはずです。


安倍首相は中曽根氏のやったことをずっと真似てきました。
中曽根首相は1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しましたが、中国や韓国などの反発にあって、それ以降は参拝していません。
安倍首相は2013年12月26日に公私の別を言明せずに参拝しましたが、やはり中国と韓国、それにアメリカの反発にあって、それ以降は参拝していません。

中曽根首相はレーガン大統領といわゆるロン・ヤス関係を築き、アメリカ大統領と対等のつきあいをするところを国民にアピールしました。
安倍首相はトランプ大統領といっしょにゴルフをし、「日米は完全に一致しました」を口ぐせのように言っていますが、その親密さは形だけです。
レーガン大統領が中曽根首相をほんとうに信頼していたのかどうかわかりませんが、少なくともレーガン大統領は日本に対してきびしい要求をすることはありませんでした。しかし、トランプ大統領は日本に対してなんの遠慮もありません。
安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」と呼びますが、プーチン大統領は安倍首相を「シンゾー」と呼ぶことはありません。安倍首相が中曽根首相の真似をしているだけです。

安倍首相のやっていることは、中曽根首相がしてきたことの劣化コピーというしかありません。
改憲についても同じです。

中曽根氏は「憲法改正の歌」というのを作詞しています。この歌は1956年に日本コロンビアから発売されました。
その歌詞の1番と5番を紹介します。

「憲法改正の歌」
1 嗚呼戦に打ち破れ
  敵の軍隊進駐す
  平和民主の名の下に
  占領憲法強制し
  祖国の解体を計りたり
  時は終戦六ヶ月

5 この憲法のある限り
  無条件権降伏続くなり
  マック憲法守れとは
  マ元帥の下僕なり
  祖国の運命拓く者
  興国の意気に挙らばや
https://ameblo.jp/hosyu9/entry-10849714430.html

要するに「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いを歌っています。
占領軍を追い出すのではなく、もっぱら憲法改正に傾注するところが不可解ですが、戦後の右翼の出発点はここにあります。

中曽根氏の中には、日米関係を対等なものにしたいという思いがまだあったかもしれません。
しかし、安倍首相の中には“対等のふり”をするということしかありません。
「敗戦の屈辱を晴らしたい」という改憲の根本精神が失われているのです。
いや、「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いがアメリカではなく中国や韓国に向けられて、外交の混乱を招いています。

中曽根氏は、アメリカの要請に応えるために“解釈改憲”をして新安保法制を成立させた安倍首相を見て、どう思っていたでしょうか。


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安倍首相と韓国の文在寅大統領は11月4日、訪問先のタイで約11分間の話し合いをしました。
このことは、「窮地の文大統領が日本にすり寄ってきたが、安倍首相は冷たく対応した」という感じでニュース解説がされています。
その解説を聞いて、「韓国より日本が上だ」と思って喜んでいる人がいるのでしょう。
そういう人は国益のことを考えないといけません。

財務省の貿易統計(8月速報値)によると、韓国への輸出総額は4226億円で、前年同月比9.4%減。中でも食料品は40.6%の大幅減となりました。
観光についても、日本政府観光局(JNTO)によると、8月に日本を訪れた韓国からの旅行客は30万8700人で、前年同月と比べて48%のマイナスとなりました。

とりわけ韓国人観光客の減少は、一部の地域にとって大打撃となっています。
そのひとつが対馬です。

日韓関係悪化、観光地には死活問題 週末の夜もひっそり
■「30年の努力が蒸発」
 週末の夜にもかかわらず、フロントに灯がともらないホテルや旅館があり、観光客がそぞろ歩いた通りもひっそりしています。10月半ばでの閉店を告げる貼り紙をし、シャッターを下ろした店もありました。
 長崎県対馬市南部の厳原(いづはら)地区。日本が韓国への輸出規制強化を打ち出した7月以降、韓国人観光客は急減しました。2社が運航していた厳原―釜山間の定期船が8月から運休し、拍車をかけました。
 厳原で旅館を経営する熊本裕臣さん(68)は「8月からずっと宿泊客はゼロ」と言います。3年ほど前から韓国の旅行会社と全館貸し切りの契約をし、観光バス1台分約40人を毎日のように泊めてきました。食事だけの客も受け入れ、昼食・夕食を100人分ずつ提供してきました。その売り上げが一気になくなり、従業員6人と話し合い、解雇せざるを得なくなりました。
 対馬は、釜山から最も近い場所で約50キロ。市によると、昨年は約41万人が釜山から来島、今年1~6月も22万人と前年比1割増でした。ところが、7月は前年比4割減の約1万9800人、8月は同8割減の約7600人、9月は同9割減の約3千人までに減りました。韓国人客の島内消費額は昨年1年間で91億円と試算されますが、7~9月で計約16億円の損失があったとみられます。

 市北部の比田勝地区は釜山から高速船で約1時間10分。5社が連日1~2便ずつを定期運航していましたが、今は1日2便に。「民間主導で30年かけ、やっとここまで来たのが政治によって一瞬で蒸発した」。山田幸弘さん(56)は悔しさをにじませます。
 1989年に設立され、山田さんの父も関わった第三セクター「対馬国際ライン」は、比田勝―釜山航路を切り開きました。試行錯誤を経て、海運会社を次々に呼び込みました。韓国人客の増加に対応し、食堂や観光バスへと事業を拡大。今年は夏に向けてレンタカーを70台から100台に増やしたところでした。

 90年に4万6千人だった島民が3万人まで落ち込む中、働く場を求めて島を出る若者に就職や起業を勧められる――。そんな未来を描けるようになった矢先のことでした。
 県や市は国内旅行客の拡大をめざし、東京や大阪でのPR活動や宿泊費の割引キャンペーンを打ち出しました。しかし、釜山と比べて時間も交通費もかかる本土からどれだけの客が見込めるのか、という声も根強くあります。対馬が韓国人客の人気を集めたのは「近くて安く行ける外国」という側面があったからとみる山田さんは「やはり韓国人客に戻ってもらうしか、対馬には考えられない」と話していました。(佐々木亮)
https://www.asahi.com/amp/articles/ASMBZ46FRMBZUPQJ005.html

対馬というと、十数年前に韓国人観光客が増え始めたころ、韓国人が対馬の土地を買い占めていることが一部のメディアで騒がれました。主に産経新聞や週刊誌ですが、エッセイストの故・勝谷誠彦氏がテレビでレポートをしていたのが記憶に残っています。
自衛隊施設の隣の土地が買われているとか、日本の実効支配がゆらぐとか、韓国人が対馬で我が物顔でふるまっているといった報道で危機感をあおっていました。

しかし、外国人が日本の土地を買っても持って帰れるわけではなく、確実に日本にお金が入ってくるのですから、これは歓迎するべきことです。

ちなみに、同じころに中国人が日本の水源地の土地を買いあさっているということもけっこうメディアを賑わしていました。
しかし、これも考えてみればわかることですが、水源地を買っても水を中国に持っていけるわけではありません。
結局、中国人が水源地を買っているという事例はほぼゼロで、フェイクニュースでした。
なぜこんなフェイクニュースが広まったかというと、関東大震災のときに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマと同じで、水は命に直結しているため、危機感があおられるからでしょう。


対馬の土地が韓国人に買われたということはある程度あったので、フェイクニュースではありませんが、なんの不都合もありません。
かりに不都合があっても、いつでも条例をつくるなどして規制や立ち入り調査ができます。

要するに昔から嫌韓あおりをする人たちはいたということです。


いや、今でも同じことが行われています。
自民党参院議員の青山繁晴氏が今年の9月に、「これが一体、わが国の長崎県対馬の光景だろうか」という文章を書いていました。そこから一部だけ引用します。

何だか分からない写真、あるいは何でもない写真にみえるかも知れませんが、実は、充分に衝撃写真です。
 これは自衛隊の防衛施設を取り囲むように韓国資本が買収したらしい土地の一角です。
 元は帝国海軍の光輝ある出撃基地の一部です。

 ここに韓国サイドが「リゾート施設」と称するものを建設しています。それです。
 これが、リゾート施設??
 こうした施設は、前述した防衛庁長官の視察、つまり四半世紀近く前からすでにありました。
 そのときも今も、奇妙な無人、リゾートとは思いにくい施設の姿と雰囲気、こうした不可思議な気配ばかりでした。
 そして昔も今も、自衛隊にせよ市役所にせよ市議会にせよ、あまり実態が掴めていないことも変わっていないと感じました。
「衝撃写真」なるものは、誰でも入れる土地に建っているバラック風の木造小屋です。四半世紀近く前からあるなら、放っておいていいでしょう。しかし、青山議員の目には「不可思議な気配ばかり」と映るようです。

それよりも問題に思うのは、青山議員は今年の9月に対馬に視察に行ったのに、韓国人観光客減少のことに一言も触れていないことです。
対馬の人たちの生活は目に入らないのでしょうか。

嫌韓あおりは一部の人たちのビジネスになっているのかもしれませんが、嫌韓は国益を損ねるだけです。

スクリーンショット (8)

10月22日、「即位礼正殿の儀」が行われ、新天皇が即位を宣言されました。

テレビのニュースで見ていたら、安倍首相が万歳三唱をしましたが、その万歳の手の動きがちょっと気になりました。
手の平を前に向けるのではなく、内側に向けたからです。
そうすると、ツイッターなどで「あれが正しい万歳三唱の作法だ」という説が拡散しました。安倍首相は正しい作法にのっとったというわけです。

しかし、これについては「BuzzFeed News」が『正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?』という詳しい記事を書きました。ある公務員のグループが遊びで「万歳三唱令」という公文書を模した偽文書をつくり、それが1990年代に保守派を中心に広まっていったというのです。
保守派はフェイクニュースを好むというデータがありますが、これも一例です。
安倍首相もフェイクニュースを真に受けたのでしょうか。

ただ、「BuzzFeed News」の記事に東條英機首相の万歳の写真が載っていて、東條首相も手の平を内側にしています。
もしかすると安倍首相は東條首相をまねたのかもしれません。
東条首相の万歳


保守派は頭の中が戦前のままなので困ります。
天皇についてはいまだに「天皇は神聖にして侵すべからず」という考え方です。
といっても、自分が「天皇は神聖だ」と思っているわけではありません。「天皇は神聖だ」という考え方を広めて天皇を利用しようと思っているのです。

自民党の中の保守派議員は即位の日に合わせて次の提言をしました。

「旧宮家の皇籍復帰」「婿・養子」案を想定 自民有志“特例法”提言
自民党保守系の有志議員らは23日、安定的な皇位継承に向けて、男系の伝統を維持するため、旧宮家の皇籍復帰を可能とする特例法の制定が望ましいという提言をまとめた。

自民党・青山繁晴参院議員「男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である」

提言では、旧宮家の男子が、本人の同意を前提として、「皇籍に復帰する」案と、「皇族の養子や、女性皇族の婿養子に入る」案を想定し、いずれも特例法で可能としている。

「女系天皇」の容認や「女性宮家」の創設は、日本の伝統や皇室の終焉(しゅうえん)につながると指摘している。

提言は、安倍首相に手渡される予定。
https://www.fnn.jp/posts/00426049CX/201910231219_CX_CX

男女平等の世の中では、「男性天皇」も「女性天皇」もあって当然です。
9月末に行われたNHKの世論調査でも『女性が天皇になるのを認めることについて賛否を尋ねたところ、「賛成」と答えた人が74%と、「反対」の12%を大きく上回り、特に18歳から29歳の若い世代で「賛成」が90%に上りました』ということです。

この提言をまとめた保守系議員は、男系による皇位継承が日本の伝統だと言いますが、昔は「男尊女卑」だからそうだったというだけです。
男女平等の世の中になれば、天皇制も男女平等になるのが当然です。

今どき「男尊女卑」を叫んでも誰も相手にしてくれません。
しかし、「神聖」という旗があれば別です。男女平等は俗世界のことで、神聖な天皇の世界は「男尊女卑」であるべきだと主張されると、論理的な反論ができません。


似たことが行われているが大相撲の世界です。
相撲は神事と結びついていたこともあって、「土俵は神聖である」という考え方が今もあって、土俵に女性が上がることは許されません。土俵だけではなく、相撲協会の理事も全員男性で、今でも「男尊女卑」の世界です。
相撲界が暴力、八百長、内紛などの問題をなかなか解決できないのも、「神聖」を盾に改革を阻んでいるからでしょう。

大相撲の世界が「男尊女卑」でも、一般社会にはあまり関係ありません。
しかし、天皇は「日本国の象徴」ですから、皇室が「男尊女卑」であると、一般社会もそれにならうべきだということになりかねません。
それが保守派の狙いです。


明治憲法では天皇は「神聖にして侵すべからず」でしたが、戦後憲法では天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となりました。
神聖天皇から象徴天皇へと変化したわけです。

しかし、神聖天皇は戦前までそうだったのでわかりますが、象徴天皇というのはよくわかりません。
象徴天皇の意味をいちばん深く考えてこられたのは上皇陛下です。
天皇の地位は「日本国民の総意に基く」とあります。「総意」とはなにかと考えて、流動的な世論に合わせるのではなく、恵まれない人に寄り添い、平和を願うことが象徴天皇の役割だと結論されたのでしょう。新天皇もそれを受け継いでおられると思います。


神聖天皇対象徴天皇というのが、今の政治の争点のひとつです。
神聖天皇派は、政教分離を無視し、大嘗祭にも国費を出して大々的に行い、天皇の神聖性を高めようとします(これには秋篠宮殿下も苦言を呈しました)。
また、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」において、天皇陛下の写真が燃えるシーンのある作品に対して執拗に抗議する人たちがいましたが、これも「天皇陛下の写真を燃やす」ということをタブー化して、天皇の神聖性を高める狙いです。

そして、即位礼に関してもそうしたことがありました。
22日は朝から雨でしたが、即位礼が始まる13時ごろに雨は上がり、晴れ間も見えるようになりました。
するとツイッターに「儀式が始まったとたんに雨がやんで虹がかかった」「天皇のパワーがすごい」「日本は間違いなく神の国」などの声があふれました。
一般の人が言うだけではなく、NHK中継で解説役を務めた京都産業大学准教授・久禮旦雄氏までが、昭和天皇も「晴れ男」だったとして「エンペラーウェザー」と言われた、などと発言し、「エンペラーウエザー」という言葉が検索トレンドランキング入りしました。

「雨男」だの「晴れ女」だのという言葉は日常的に使われ、新海誠監督のアニメ「天気の子」の発想のもとにもなっていますが、まじめに信じる人はまずいません。
しかし、神聖天皇派はこんな機会も利用しようとします。「リテラ」の記事によると、作家の百田尚樹氏はツイッターに「これほど美しい虹が偶然に起こるはずもない。天が新天皇の即位を寿ぎ、日本を祝福しているのだ」と投稿し、TBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」ではコメンテーターの竹田恒泰氏が「上皇陛下も天皇陛下も晴れ男」などと発言したそうです。
天皇に天気を変える力があるのなら、なぜ台風や大雨による災害が起こるのかということになり、ばかばかしいというしかありません。


憲法改正というと、九条のことが真っ先に思い浮かびますが、改憲派がほんとうに変えたいのは、一条の「天皇の地位と主権在民」のほうかもしれません。
もっとも、今では象徴天皇が国民の間にすっかり定着して、その改憲はまったく不可能です。

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「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」を巡る騒動が終わったところに、日本赤十字社が献血のキャンペーンに巨乳のアニメキャラを使ったのはセクハラだという騒動が起きました(献血キャンペーン騒動についてはこちらを参照)。
このふたつの騒動を見て思ったのは、「表現の自由」の裏には「見ない自由」があるのだなということです。


1993年、筒井康隆氏の短編小説「無人警察」が高校の国語教科書に収録されることになったところ、てんかんの記述が差別的であるとして日本てんかん協会が抗議し、それに対して筒井氏が断筆宣言をするということがありました。筒井氏の作品に関しては、差別問題のほかに政治的、宗教的な点でもつねに批判や抗議にさらされてきましたが、このときに限って断筆宣言に至ったのは、作品が教科書に収録されたからです。
筒井氏の作品が雑誌や本に載っている限り、読みたくない読者はスルーすることができます。つまり「見ない自由」があります。しかし、教科書に載ると、生徒に「見ない自由」はありません。そのため日本てんかん協会も強く抗議したのでしょう。

企業や団体の行うキャンペーンは、より多くの人の目に触れるように行うので、「見ない自由」が侵害されます。そのため日本赤十字社の巨乳キャラを使った献血キャンペーンは批判されました。
ただ、批判されたのはあくまで日本赤十字社のキャンペーンで、巨乳キャラの原作マンガが批判されたわけではありません。

似たようなケースとして、ホラー映画のテレビCMもあります。ホラー映画を嫌う人は多くいますが、そういう人は「見ない自由」を行使するので、問題はありません。ただ、ホラー映画のテレビCMが流されると、否応なしに目に入ってしまい、「見ない自由」が侵害されます。かつてはテレビの視聴者から批判が出たこともありました。そのため最近は、ホラー映画のテレビCMにはあまりショッキングなシーンを使わないように配慮しているようです。

そういうことを考えると、「表現の自由」の裏には「見ない自由」が必要なことがわかります。
「見ない自由」がないと、「表現の自由」が危うくなります。
逆に言えば、「見ない自由」があるときに「表現の自由」を侵害することは許されません。


そうすると、「表現の不自由展」に抗議した人たちはなんだったのかということになります。
展覧会に関しては、誰にでも「見ない自由」があります。
少女像は日本人の誇りを傷つけるとか、昭和天皇の写真を燃やすのはけしからんとかいう人は、「見ない自由」を行使して展覧会に行かなければいいだけの話です。

それなのに彼らは威力業務妨害の電凸攻撃をし、テロ予告の脅迫までして展示中止を要求しました。
これは「表現の自由」の侵害であり、「見る権利」の侵害です。作品を創作した人も作品を見たい人たちも傷つけました。
自分たちの思想に反するものを排除し、表現や言論を統制しようとしているとしか思えません。

そもそもほとんどの人は、作品を鑑賞もせずに、断片的な伝聞だけで、「作品を見て傷ついた」などと騒いでいたのです。

今の日本国民には基本的に「見ない自由」があるということを念頭に置けば、「表現の自由」に関する議論の混乱はなくなるはずです。

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「あいちトリエンナーレ2019」が10月14日に閉幕しました。入場者数は65万人以上で、あいちトリエンナーレ史上最高だったということです。
一時は「表現の不自由展・その後」が展示中止になり、どうなることかと思われましたが、津田大介芸術監督は、「一度マイナスになったが、プラスマイナスゼロをめざし、プラスで終われた」と語りました。

私が今回のことで思ったのは、ノイジーマイノリティに世の中を動かされることの危険性です。
昭和初期、日本が軍国主義に走ったのは、軍部や右翼のテロが頻発し、反戦や反軍部の言論が抑え込まれたからです。
今回は、ネトウヨなどの電凸攻撃が一時的に思想表現を抑え込んでしまいました。
これがかつてのテロのように世論を支配することになるとたいへんです。

しかし、展示中止の間に冷静な議論が行われ、流れが変わったと思います。
少女像を「反日だ」とするのは一方的な決めつけですし、かりにそれが正しいとしても、展示中止を求めるのは「表現の自由」の否定であることは明らかです。
また、「こんなものはアートではない」という声も、アートか否かを決める資格もないのに言っているだけだということがわってきました。

あと、「公金を使っての反日は許されない」という声もありましたが、公金を出す人間が自分の思想で公金を左右してはいけません。それは「公金の私物化」です。

その「公金の私物化」をしたのが宮田亮平文化庁長官です。宮田長官が「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付を決めました。
不交付の理由は、「補助金を申請した愛知県が、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することがなかった」「審査段階においても、文化庁から問い合わせを受けるまでそれらの事実を申告しなかった」ことです。
ほんとうは思想的な理由で不交付にしたのに、手続き上の理由にするという姑息な手を使いました。

宮田長官は官僚出身ではなく、もともと金属工芸の芸術家で、東京芸術大学学長も務めていました。
安倍首相や荻生田文科相の意を汲んでの決定かと思われますが、どんな理由にせよ決定した責任は重大です。
「あいちトリエンナーレ」の津田芸術監督は、ずいぶんひどい個人攻撃をされました。
宮田長官がほとんど批判されていないのは、いわゆるリベラルの甘いところです。


そして、「表現の不自由展・その後」展示に反対する理由として最後に残ったのが、「天皇の写真を燃やすのはけしからん」というものでした。
その急先鋒が竹田恒泰氏です。

「表現の不自由展」は税金を使った“日本ヘイト” 「昭和天皇の写真が焼かれる動画に国民は傷付いた」竹田恒泰氏が緊急寄稿
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」でいったん中止になった企画展「表現の不自由展・その後」が、6日にも再公開される。最大の焦点は、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏みつけるような映像作品などに、税金を投入して公の場で公開することだ。明治天皇の玄孫(やしゃご)で、作家の竹田恒泰(つねやす)氏が、緊急寄稿した。
 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が再開されることになった。
 日本はいつから「ヘイト」を芸術と称して、許容する国になってしまったのか。「狂気の沙汰」という他ない。
 同展をめぐっては、慰安婦像(=慰安婦とされる少女像)に関する批判が目立ったが、私は昭和天皇のご真影(=お写真)が焼かれて、踏み付けられる動画の展示を問題視している。
 まず、昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか、察するに余りある。
 皇族に限らず、誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない。多くの国民がこの動画で深く傷付いた。
 まして、昭和天皇は、日本国憲法で「日本国」「日本国民統合」の象徴と規定される天皇であらせられた。天皇への侮辱は国家への侮辱であり、国旗を焼くパフォーマンスと同じ要素を持つ。
 従って、この動画は「日本ヘイト」以外の何物でもない。
 あまつさえ、この動画は民間施設ではなく、公共の施設で展示されたのである。税金の使い方として「不適切」だと指摘されて、当然である。
 企画展は「表現の自由」(憲法第21条)について一石を投じる意図があったようだが、ならばなぜ、「反日」の偏った思想から作られた表現ばかりを展示したのか。
 行き過ぎた保守思想の表現も併せて展示すれば、問題提起にもなり得た。
 「表現の不自由」とは単なる看板に過ぎず、実体はただの「反日展」に成り下がっている。これでは、「表現の自由」を振りかざし、税金を使って「日本ヘイト」をしたに等しい。
 また、愛知県の大村秀章知事が「表現の自由は何よりも保障されるべきだ」と発言したことも問題だ。
 では、大村知事に聞きたい。「ヘイト」も保障されるべきなのか?
 憲法が明記するように、「自由」とて「公共の福祉」に反せば制限を受ける(憲法第12条)。知事はそれもご存じではないのか?
 トリエンナーレの芸術監督の津田大介氏は関係者に謝罪したが、この動画で傷付いた人に対する謝罪の言葉は、私には聞こえてこない。
 津田氏は被害者のような振る舞いをしているが、加害者であることも指摘しておきたい。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191005/dom1910050004-n2.html

「昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか」と書いていますが、たぶんごらんになっていないはずです。
展覧会というのは、見にいきたい人だけが行くものだからです。
「誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない」と言いますが、傷付きそうな人は見にいかなければいいだけの話です。

かりに上皇陛下や天皇陛下がごらんになったとしても、どんな感想を持たれるかは誰にもわかりません。
ところが、竹田氏は「深く傷付くに違いない」と一方的に決めつけています。これはたいへん失礼な行為です。
そして、その決めつけた「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を自分の政治的主張に利用しています。

私の個人的な考えを言えば、上皇陛下や天皇陛下が展覧会の中止を望まれるようなことはなく、むしろ竹田氏が「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を利用して展覧会中止を主張していることを不愉快に思っておられるに違いありません。

竹田氏は自分を天皇陛下の親戚だと言いますが、あくまで一般人であり、皇族ではありません。
一般人が自分の政治的主張のために皇族の名前を勝手に利用することが許されるでしょうか。


それから、竹田氏は「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使っていますが、これは単に「憎悪」という意味なのか、「ヘイトスピーチ」の「ヘイト」の意味なのか、まぎらわしくなっています。

ウィキペディアは「ヘイトスピーチ」をこう定義しています。

ヘイトスピーチ(英: hate speech、憎悪表現)は、人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。

自分の憎悪を表現するだけでは「ヘイトスピーチ」になりません。
相手の「自分から主体的に変えることが困難な事柄」を理由に攻撃することが「ヘイトスピーチ」です。
自分の側の「憎悪」ではなく、相手の側の「属性」によってヘイトスピーチか否かが決定されます。
たとえば「あいつは嘘つきだ」と言って罵詈雑言を浴びせ、盛大に憎悪を表現しても、それは「ヘイトスピーチ」にはなりません。しかし、「韓国人は嘘つきだ」と言って攻撃すれば、それは「ヘイトスピーチ」です。

竹田氏はYouTubeの自分のチャンネルがヘイトスピーチを理由に閉鎖されたことがあるので、ヘイトスピーチの定義には詳しいはずです。
「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使って、「ヘイトスピーチ」とまぎらわしくさせるのは、言論人のすることではありません。


自分の政治的主張に天皇制を利用するのは、戦前の右翼や軍部がやってきたことです。
竹田氏のこの記事は、もとは産経新聞のサイトに載り、さらにヤフーニュースにも載ったものです。
こういう記事を配信するほうの見識も問われます。

10月22日は新天皇の「即位礼正殿の儀の行われる日」で、改めて天皇制が注目されるでしょうが、竹田氏のように天皇制を政治的に利用する動きがあれば、徹底糾弾しなければなりません。

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なにかとお騒がせの百田尚樹氏が、またもやらかしました。
正確には、やらかしたのは新潮社ですが、百田氏でなければ新潮社もこんなことはしないので、同じことです。

「リテラ」の記事から引用します。

始まりは10月4日夕方、新潮社のPR用ツイッターアカウントがこんな投稿をしたことだった。

〈百田尚樹の最新小説『夏の騎士』を
ほめちぎる読書感想文を募集!
このアカウントをフォローの上
#夏の騎士ヨイショ感想文 をつけて
感想をツイートして下さい。
※ネタバレは禁止
百田先生を気持ちよくさせた
20名の方に、ネットで使える
1万円分の図書カードを贈呈!
期間:10月25日23:59まで〉

 同時に、金色に塗られたドヤ顔の百田氏が上半身裸で図書カードと『夏の騎士』を持つキャンペーン画像もアップ。そこにも、「読書がすんだらヨイショせよ」「ヨイショ感想文求む」「百田尚樹の最新小説『夏の騎士』をほめちぎる読書感想文をツイートすると、図書カードが当たるビッグチャンス!」といった文言が並んでいた。

 ようするに、百田尚樹の小説をほめた人に賞品をあげるという、ツイッターを利用したプロモーション企画だ。
https://lite-ra.com/2019/10/post-5012.html
百田尚樹



新潮社はヨイショ感想文の見本も示していました。
例 1/4:王道は純粋なヨイショ
「国語の教科書にのせるべきだ」
読了後、最初に心に浮かんだ気持ちだ。
この作品は人生に必要なすべてを
おしみなく読者に与えてくれる。
知らぬ間に涙が頬をつたっていた。
「そうか。この本と出会うために、
僕は生まれてきたんだ。」〉

これが炎上して、すぐにキャンペーンは中止となりました。
嘘の読書感想文を書かせるということに、多くの人は抵抗感があるのでしょう。
それに、嘘の感想文を販売促進に利用するのではないかという疑念もあります。一応「ヨイショ感想文」とうたっても、勘違いする人も出てきます。

新潮社としては、最初から「ヨイショ感想文」といっているので、シャレの利いた企画としておもしろがってもらえると思ったのでしょう。
大喜利感覚で、ヨイショのうまさを競うというのはありそうです。
しかし、このケースでは、「夏の騎士」という本があって、リアルの世界とつながっているので、大喜利とは根本的に違います。
一般の人に嘘を書かせるのはモラルハザードにつながります。



私が気になったのは、百田氏はこの企画をどう思っていたのかということです。
もちろん百田氏はキャンペーンのすべてを理解して、金ピカ写真にも協力していました。

「お世辞とわかっていても、ほめられるとうれしい」とよく言います。
しかし、その言葉は、ほめられて喜んでいるときに、照れ隠しの意味で言うことが多いのではないでしょうか。
普通は「お世辞」といっても、そこにいくらかの真実はあります。
まるっきりのお世辞、見え透いたお世辞だと、ぜんぜんうれしくありませんし、むしろ不愉快になるものです。

この企画が実現していれば、百田氏のもとにはたくさんのヨイショ感想文か、選ばれた20のヨイショ感想文が届いたでしょう。それらはすべて1万円の図書カード目当てに書かれたものです。
普通はそんなものを読んでもうれしくありません。真実が書かれていると思うからこそ、ほめられてうれしいのです。
逆にこういう企画があると、真実のほめる感想文があっても、まぎれてわからなくなってしまいます。

しかし、百田氏はうれしいのでしょう。
少なくとも新潮社はそう判断してこの企画を始めたわけです。

嘘とわかっていてもヨイショされるとうれしいということは、嘘と真実の区分けに鈍感だということでもあります。
そう考えると、百田氏の書いたものもわかってきます。

百田氏は2014年に、やしきたかじん氏のことを描いた「殉愛」を出版しました。これは「純愛ノンフィクション」をうたっていましたが、内容に多数の虚偽があるために「ノンフィクションといえるのか」という声が上がり、たかじん氏の長女とたかじん氏の元マネージャーから訴訟を起こされ、どちらも百田氏に損害賠償金の支払いを命じる判決が下っています。
これなど百田氏がフィクションとノンフィクションの区別に鈍感である証拠でしょう。

百田氏が昨年出版した「日本国紀」は、「日本通史の決定版」「壮大なる叙事詩」とうたわれましたが、参考文献が十分に示されていないとか、ウィキペディアからのコピペがあるとかの批判があり、「歴史書といえるのか」と言われました。
この本は日本をヨイショしたもので、百田氏としては日本をヨイショするのだから嘘でもいいという感覚なのでしょう。


こうした体質は百田氏だけのものではありません。
それは「日本国紀」がベストセラーになったことを見てもわかります。
嘘でもヨイショされるとうれしいという人がかなりいるのです。

今年1月、「米国のフェイスブックユーザーについて、フェイクニュースをシェアする傾向が高いのは若年層よりも65歳以上、リベラル派よりも保守派のユーザーだとする米大の調査論文が米科学誌サイエンス・アドバンシズに掲載された」というニュースがありました。

「65歳以上と保守派はフェイクニュースをシェアしがち、米大研究」

保守派がフェイクニュースを好むということは、歴史修正主義がもっぱら保守派によって担われてきたことを見てもわかります。
嘘でも自国がヨイショされるとうれしい――ということでしょう。

こういう人は噓を好む――というと言いすぎです。
噓か真実かよりも、自分が気持ちいいか悪いかを優先し、結果的に噓を選んでしまうわけです。

新潮社と百田氏が巻き起こした今回の炎上騒動から学ぶべき教訓は、世の中には嘘でもいいから気持ちよくなりたいという人がいて、そういう人は世の中に嘘を広げるということです。

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源五郎さんによる写真ACからの写真 

「表現の不自由展・その後」に寄せられた抗議は、慰安婦像に対するものと天皇の写真を燃やしたとされるものに集中しました。

「天皇の写真は神聖である」という国家神道の立場から、天皇の写真を燃やすことに抗議する人がいるのは、理屈としては理解できます。もちろんそんな宗教的な主張を押しつけることは許されませんが。

では、慰安婦像の展示に抗議する人はどういう理屈なのでしょうか。

ある種の暴力描写や性描写は“有害”なので公開を制限するべきだという考え方がありますが、そういう類ではないでしょう。抗議する人たちも「慰安婦像は見る人に有害だ」という主張はしていないと思います。

そもそも慰安婦像が問題になったのは、2011年12月、ソウル市の日本大使館前に、慰安婦問題で日本政府に謝罪と賠償を求めるデモの1000回目を記念してブロンズの慰安婦像が設置されたことがきっかけです。
ウィキペディアには、『ボン大学のラインハルト・ツェルナー教授も「像自体は平和的に見えるが、基本的に日本を道徳的に非難する物」であると述べている』と書かれていて、これが妥当な評価でしょう。
人間は非難されると、かりに自分が悪い場合でも、自己防衛のために反発するものです。
そのため多くの日本人が反発しました。

その時点では、「慰安婦像」への反発ではなく、日本大使館前に像を設置するという「韓国側の行為」への反発でした。

そして、2015年に日韓合意が結ばれ、安倍首相は元慰安婦に対して「心からおわびと反省の気持ちを表明」し、慰安婦問題は終結しました。
もっとも、日韓ともに不満は残りました。
日本大使館前の慰安婦像もそのままでした。

ここが分岐点だったと思います。
安倍首相が「おわびと反省の気持ちを表明」しているのですから、日本の大使館員たちは慰安婦像の前を通るときに、一礼するなり手を合わせるなり、ときに花を供えるなりすればよかったのです。その姿は韓国民の気持ちを動かし、慰安婦像は日韓友好の象徴にもなったでしょう。

実際は逆の方向に行きます。
日本側は韓国側に対して大使館前の慰安婦像を「適切に解決されるよう努力する」ことを要求し続けました。
これは理屈としてはおかしなことです。慰安婦問題が片付けば、慰安婦像は日本にとっても不愉快な存在ではなくなるからです。
そして、プサンの日本総領事館前に新たに慰安婦像が設置されたことをきっかけに、日本は大使を召還するなどの強硬措置をとりました(このいきさつについては「日韓炎上の黒幕は誰か」に書きました)。
こうして「慰安婦像」問題が始まったのです。

「慰安婦像」問題は日本にとって圧倒的に不利です。
日本がいくら反対しても、韓国側は慰安婦像をどこにでも設置することができるからです。現に韓国に多数あるだけでなく、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツなどにも設置されています。
それに、慰安婦像は正しくは「平和の少女像」といい、作者が「少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴である」と語っているように、いかにも清純そうな少女の姿です。そういう像の設置に反対する日本は、誰が見ても変な国だということになります。
日本が慰安婦像に反対することは、反日的韓国人の思うつぼです。

日本としては「慰安婦像」問題を早く終わらせなければなりません。
その方法は簡単です。
安倍首相が元慰安婦に対して「心からおわびと反省の気持ちを表明」したのですから、日本人は慰安婦像に頭を下げて、「おわびと反省の気持ち」を示せばいいのです。

もっとも、私は像などに頭を下げるのは宗教的ないし呪術的行為と思うので、したくはありません。
今、慰安婦像に反対している人は慰安婦像を呪物と見なしているわけですから、考え方を転換すれば、頭を下げることに抵抗はないはずです。
安倍支持者は率先して慰安婦像に頭を下げて、日韓友好に貢献するべきです。

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「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったのは、テロ予告の脅迫などがあった以上やむをえないかと思いますが、今後同じようなことがある場合に備えて、理論武装をしておくにしくはありません。

芸術祭の事務所や愛知県庁に寄せられた抗議のメールや電話は、半数が慰安婦像に関するもので、4割が天皇の写真に関するものだったそうです。
慰安婦像については前回の「いまだに慰安婦像にこだわる愚」という記事で書いたので、今回は天皇写真について書きます。


「表現の不自由展」の内容は、次の記事が紹介していました。

「表現の不自由展」は、どんな内容だったのか? 昭和天皇モチーフ作品の前には人だかりも《現地詳細ルポ》


大浦信行氏の「遠近を抱えて」という作品があって、昭和天皇の写真がコラージュされています。これが富山県立近代美術館に展示されたとき、抗議によって公開中止となり、美術館は作品を売却、図録を全部焼却するという事件がありました。その後、大浦氏は映像作品の中で「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用い、「表現の不自由展」のために制作された映像作品には「作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され」ているということで、それが今回問題になりました。

私はその映像作品を見ていないのでなんとも言えませんが、「表現の不自由展」に抗議した人もほとんどは見ていないはずです。「天皇の写真が燃やされる」という情報だけネットで見ているのです。小説でも映画でも自分が鑑賞せずに批判するというのは、してはいけないことです。

慰安婦像に抗議する人も、ニュース番組などで慰安婦像を見ているだけでしょう。一度本物を自分の目で見ることには価値があります。

ともかく、「天皇の写真が燃やされる」ということに抗議する人はどういう論理なのでしょう。
どこかの未開人は写真を撮られると魂を抜かれると信じているという話がありますが、同じ論理で写真には魂が宿っていると信じているのでしょうか。


帝国憲法では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」でしたし、ご真影も同様に神聖とされていました。ですから、「天皇の写真は神聖である」という理屈が成り立ちます。

しかし、日本国憲法では、天皇は「象徴」であり、「神聖」という言葉はありません。昭和天皇は人間宣言をして、現人神でなくなりました。
しかし、天皇家は神道の儀式を行い、世襲制という特別な地位もあります。
つまり現在の日本においては、天皇は神聖とは言えないが、神聖でないとも言えないというグレーゾーンの存在です。

天皇が神聖であるとも神聖でないとも言えないグレーゾーンの存在であることが、天皇制を巡る議論をむずかしくしています。

保守派は「天皇は神聖である」と言いたいのですが、はっきり言うと反発を招くので、言えません。
リベラルも「天皇はただの人間である」と言うと反発されるので、なかなか言えません。


そういう状況で「天皇の写真を燃やす」作品が問題になりました。
抗議する側は、「天皇の写真は神聖である」と考えています。しかし、そう口に出すと反発されるので、理由を言わずにひたすら「けしからん」と主張します。
ですから、「天皇の写真を燃やすのはなぜいけないのですか」と聞けばいいのです。そうすると彼らは答えに窮するはずです。
「天皇の写真を燃やすと傷つく人がいる」と言うかもしれませんが、作品を見るのは美術展に行く人だけですから、傷つく人はいません。


「天皇の写真は神聖である」という考え方は呪術的思考です。
「慰安婦像はけしからん」というのも呪術的思考です。
最近の日本の右翼は、天皇の写真、慰安婦像、徴用工像、旭日旗などの“呪物”にばかりこだわっています。

こうした呪術的思考を打ち破るのは合理主義精神です。
その具体的な手段のひとつは、「国益追求」を掲げることです。
本来「国益追求」というのは右翼の専売特許なのですが、今は逆です。

たとえば「れいわ新選組」の山本太郎代表は、最近の日韓関係について、「 日本から韓国への輸出総額は6兆円(2.8兆円の貿易黒字)ですよ。この6兆円がなくなってもいいと思うなら、好きなことを言ってください」「ホワイト国除外をすることによって、日韓の間柄における輸出入に大きな障害が出来たことは間違いない。『それによって得られるものは何なのか』と言ったら私はマイナスの部分しか見えない」と言って、安倍政権のやり方を批判しました。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4893.html

相手が呪術的思考だとわかれば、おのずと対処の方法もわかってきます。

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