村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

カテゴリ: 右翼思想を解体する

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名古屋市長で日本保守党共同代表である河村たかし氏は4月22日、「なごや平和の日」に関して「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と語り、各方面から批判を浴びました。
自民党市議団からも批判され、擁護や賛同の声はほとんどありませんでした。
しかし、河村氏は発言を撤回せず、4月30日の記者会見で「道徳的」の意味は「感謝される対象、徳がある」などと説明し、「祖国のために死んでいったことは一つの道徳的行為だった」と改めて語りました。

圧倒的に批判されても河村氏が発言を撤回しないのはどうしてでしょうか。
それは「道徳的」という言葉を使ったからです。
「道徳的」ないし「道徳」という言葉を使った人は決して反省しません。


杉田水脈議員は衆院本会議場で「男女平等は、絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したことがあります。
男女平等を否定する発言にはさすがに批判一色でした。
しかし、杉田議員は発言の撤回も謝罪もしませんでした。衆院本会議場の発言はそのままになっています。
「道徳」という言葉を使ったからです。

広島市の松井一実市長が職員への講話で教育勅語の一部を引用し、新規採用職員の研修用資料にも教育勅語の一部が引用されていることが批判されてきました。
教育勅語については戦後の国会で排除・失効が決議されており、平和都市広島にふさわしくないということなどが主な批判の理由ですが、松井市長は今年3月の記者会見でも「新年度以降もちゃんと説明しながら使いたい」と語り、批判には取り合わない態度です。
松井市長は「道徳」という言葉は使わなかったかもしれませんが、教育勅語が道徳そのものです。

戦後、政治家が教育勅語を肯定する発言をすると、そのたびに批判されますが、それでもこの手の発言は繰り返されてきました。
教育勅語が道徳なので、反省しないのです。

政治の世界ばかりではありません。
最近のネットニュースにあったのですが、大阪のアメリカ村にあるたこ焼き店「しばいたろか!!」はレジのところに《タメ口での注文は料金を1.5倍にさせていただきます。スタッフは奴隷でもなければ友達でもありません》と書かれた紙を張り出していて、これがXに投稿されると炎上しました。
たこ焼き店の社長は取材に対して「決してお客様に対して喧嘩を売ってるわけではありません。ただ、人として普通のことを言ってるだけなんです」と、やはり反省の態度は示しませんでした。自分の行為は道徳的だと思っているからでしょう。


こうしたことは海外でも見られます。
国連は、世界各地の武力紛争がもたらす子どもへの影響を調査し、子どもの権利を著しく侵害した国をリストにして公表していますが、このたび新たにイスラエルをリストに加えたと6月7日に発表しました。
これにイスラエルは猛反発し、ネタニヤフ首相は声明で「国連は殺人者であるハマスを支持しみずからを歴史のブラックリストに加えた。イスラエル軍は世界で最も道徳的な軍隊だ」と述べました。
「道徳的」という言葉を使ったので、イスラエルは絶対反省しないでしょう。


「道徳」を持ち出すと、誰もが思考停止になってしまいます。
これは批判する側も同じです。批判するほうも思考停止して決め手を欠くので、批判される側はぜんぜんこたえません。

そもそも道徳とはなにかということがよくわかっていないのです。
国語辞典では「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体」などと説明されていますが、これではなんのことかわかりません。

道徳はわけがわからないものなので、当然役にも立ちません。そのことを河村たかし名古屋市長の「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」という言葉を例に示してみます。

戦争に行って祖国のために命を捨てるというのは、国家にとっては道徳的行為かもしれませんが、親にとっては「親に先立つ不孝」というきわめて不道徳な行為です。河村市長は実は親不孝という不道徳な行為を勧めていることになります。
それに、「戦争に行く=命を捨てる」というのはおかしな発想で、太平洋戦争でボロ負けした日本特有のものでしょう。
戦争に行く本来の目的は、自分たちが生き延びるために敵を殺すことです。敵兵を殺すのは果たして道徳的行為でしょうか。

つまり道徳には普遍性がないので、見る角度によっては真逆になってしまいます。
教育勅語は「汝臣民」に向けたものなので、あくまで「日本国民の生き方」であって、決して「普遍的な人間の生き方」を示したものではありません。
教育勅語には「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」(文部省現代語訳)とあります。河村市長も「一身を捧げて」という言葉を受けて「祖国のために命を捨てる」と言ったのでしょう。
しかし、これを外国から見れば「偏狭なナショナリスト」や「狂信的なテロリスト」育成の教えとしか思えません(実際、自爆攻撃につながりました)。

「人のものを盗んではいけない」というのは普遍的な教えのように見えます。しかし、盗まれるものをなにも持たない貧乏人にも大金持ちにも等しく適用されるので、実は金持ちに有利な教えです。
「人に迷惑をかけてはいけない」というのもよくいわれますが、これは身体障害者や病人の存在を無視した考え方です。身体障害者や病人が人に迷惑をかけるといけないみたいです。また、自分が人に助けを求めることもしにくくなります。
日本では「人に迷惑をかけてはいけない」というのは道徳の筆頭に上げられますが、外国ではほとんどいわれることがないそうです。日本人に助け合いの心が少ないことの表れかもしれません。


道徳には根拠もありません。そのため、宗教と結びつく形で存在しています。
欧米では道徳はキリスト教と結びついていて、日曜学校で教えられるのが道徳です。
日本でも教育勅語は現人神である天皇と結びついています。
道徳は宗教の中に閉じ込めておくか、倫理学者の難解な本の中に閉じ込めておくのが賢明です。
道徳を世の中に持ち出すとろくなことになりません。


ところが、保守派はやたらと道徳を公の場に持ち出します。
アメリカの保守派が主張する中絶禁止や同性婚禁止は要するにキリスト教道徳です。
日本でも、保守派が主張する夫婦別姓反対は「家族は同じ姓のもとにまとまるべき」という道徳です。
日本のジェンダーギャップ指数が低位なのも保守派の道徳のせいです。

こういう道徳はみな時代遅れです。
というか、そもそも道徳は時代遅れなものです。
芥川龍之介は『侏儒の言葉』において「道徳は常に古着である」といっています。
さらに「我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない」ともいっています。

芥川龍之介はちゃんと道徳を否定しています。
しかし、今の世の中は、河村市長の発言や水田議員の発言や教育勅語などを表面的に批判するだけで、道徳そのものを批判しないので、中途半端です。そのために保守派の持ち出す道徳で世の中の進歩が妨げられています。

道徳そのものを批判する視点を持っていたのはマルクス主義です。
マルクス主義では、生産関係である下部構造が上部構造を規定するとされ、道徳も上部構造であるイデオロギーのひとつです。ですから、道徳は資本家階級が労働者階級を支配するのに都合よくつくられているとされます。
しかし、どんなに過激なマルクス主義者でも「人を殺してはいけない」とか「人に親切にするべきだ」とかの道徳までは否定しないでしょう。その意味では中途半端です。

フェミニズムは「男尊女卑」や「良妻賢母」などの男女関係の道徳を否定しましたが、道徳全般を否定しているわけではないので、やはり中途半端です。


道徳全般を否定する新たな視点が必要です。
道徳、善悪、価値観などをすべて否定すると、つまり「道徳メガネ」や「価値観メガネ」を外すと、現実がありのままに見えるようになります。
私はそういう視点からこの文章を書きました。

道徳全般を否定する視点を身につけるには別ブログの「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。

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保守とリベラルの対立は世界的に大きな問題になっていますが、教育や子育てに関しても保守とリベラルは対立しています。
たとえばブラック校則を問題にするのはもっぱらリベラルで、保守派はまったく無関心です。
保守派は管理教育賛成で、リベラルは管理教育反対です。
昔、体罰賛成か反対かで世論が割れていたころ、保守派はほとんどが体罰賛成でした。戸塚ヨットスクールが問題になったとき、戸塚ヨットスクール支援者として名を連ねたのは保守派ばかりでした。
性教育に反対しているのはもっぱら保守派です。
家庭で虐待された少女を救う活動をしているColaboをバッシングしたのは保守派で、Colaboを支援したのはリベラルでした。

子育てや教育については科学的な研究が進んでいます。
ですから、保守とリベラルの対立についても科学が結論を出す日も近いでしょう。
すでに「しつけ」については科学的な結論が出ています。


これまで社会は親に対して、子どもをしつけるようにと強く要請してきました。
たとえばレストランなどで子どもが騒いでいると、「親が子どもを静かにさせるべきだ」ということと同時に「親が子どもをちゃんとしつけるべきだ」という声が上がります。
子どもをしつけることは親の義務とされているのです。

親が子どもを虐待して死亡させるような事件が起こると、逮捕された親は決まって「しつけのためにやった」と言います。
それに対してコメンテーターなどがなにか言うのを聞いたことがありません。
「しつけ」はよいこととされているので、言いようがないのです。
あえて言うとすれば、「しつけをするのはいいが、やりすぎはよくない」ということでしょうか。しかし、これでは「しつけは殺さない程度にやりなさい」と言っているみたいです。
「あれはしつけではない」と言うのはありそうです。しかし、そう言うと、「では、ほんとうのしつけはどこが違うのか」というふうに話が発展して、これに答えるのは困難です。


「しつけ」というのはもともと武士階級で子どもに礼儀作法などを教えることをいいました。
「躾」というのは日本でつくられた漢字です。この漢字をもとにして「躾というのは身を美しくすることだ」ということもよくいわれます。
「身を美しくする」ということは、逆にいえば心を美しくすることではないわけで、うわべだけということです。

子どもが騒がずに静かにしていれば「しつけができている」とされます。
しかし、子どもが騒いだり動き回ったりするのは自然なことで、発達に必要なことです。子どもをむりに静かにさせると、心身の発達に悪影響があります。
つまりしつけというのは、子どもの発達を無視して、うわべだけおとなの都合のいいようにすることです。

よく公共の場で子どもが騒いではいけないといわれますが、公共の場には子どもも老人も身体障害者もいる権利があり、肩身の狭い思いをする必要はありません。公共の場で子どもに騒ぐなと要求するおとなは、共生社会も子どもの発達も理解しない、ただのわがままなおとなです。子どものいない静かな環境はプライベートの場で求めるべきで、公共の場で求めるべきではありません。


ともかく、親は社会の要請に応えて子どもをしつけようとしますが、子どもの発達に反したことをしようとしているのですからうまくいきません。うまくいかないと親は子どもを叱ります。
そのため、親の子育ての悩み相談でよく見かけるのは「子どもが言うことを聞かない」という悩みと「毎日子どもを叱ってばかりいる。こんなに子どもを叱っていいのだろうか」という悩みです。

「子どもをしつけるべき」という社会の要請が親子関係を破壊していることがよくわかります。


「子どもをしつけるべき」という考え方のもとには、しつけしないと子どもは悪い人間になってしまうという認識があります。つまり「子ども性悪説」です。
性善説と性悪説とどちらが正しいかについて定説がないために、私たちは都合よく性善説と性悪説を使い分けているという話を前にしましたが、子どもに関しては性悪説を使っているわけです。
「子ども性悪説」ということは「おとな性善説」かということになりますが、誰もそんな論理的なことは考えません。その場限りで自分(おとな)にとって都合よく考えているだけです。

「子ども性悪説」は少なくとも西洋近代には一般的でした。
イマヌエル・カントは『教育学講義』において「人間は教育によってはじめて人間となることができる」と書いています。
ということは、人間は教育されないと人間にならないということです。では、なにになるのかというと、カントはおそらく「動物」と言いたいのでしょう。それは、「訓練、あるいは訓育は動物性を人間性に変えて行くものです」とか「人間は訓練されねばなりません。訓練とは、個人の場合にしろ社会人の場合にしろ、動物性が人間性に害を与えることを防ぐように努力することをいいます」と述べていることからもわかります。つまり人間は生まれたときは動物であり、教育によって人間になっていくというのです。
この場合の人間と動物の関係は、進化論以前なので、人間は神に似せてつくられた特別な存在であるというキリスト教的な考え方です。つまり理性的な存在であるおとなが動物的な存在である子どもを導いて人間にしていくのが教育だということです。

ジョン・ロックは自由主義や人権思想の基礎をつくったとされますが、『教育に関する考察』において子どもを動物にたとえています。
彼は、しつけは小さいときからするのがたいせつであるといい、小さいときに甘やかした子どもが大きくなってから束縛しようとしてもうまくいかないとして、こう書いています。


今や一人前になり、以前よりは力も強く、頭も働くようになって、なぜ、今突然に、彼は束縛を受け、拘束されねばならぬのでしょうか。七歳、十四歳、二十歳になって、いままで両親が甘やかして、大幅に許されていた特権を、なぜ彼は失わねばならぬのでしょうか。同じことを犬や、馬やあるいは他の動物にやってみて、その動物が若い間に習った、悪い、手に負えぬ癖が、引き締めたからといって、容易に改められるかご覧なさい。


ジグムント・フロイトの患者にシュレーバーという者がいましたが、その父親は何冊もの本を書いた高名な教育学者でした。シュレーバーの父親は子どもの教育はできるだけ早く、生後五か月には始めなければならないと主張していました。言葉もわからない子どもにどう教育するかというと、たとえば泣きわめいている赤ん坊をよく観察し、窮屈だとか痛い思いをしているわけではなく、病気でもないとなったら、泣きわめいているのは「わがままの最初の現れ」であることがはっきりするといいます。


「こうなったらもはやはじめのようにじっと待っていたりしてはならないので、なんらかの積極的な行動に出る必要がある。速やかに子どもの気を別のものに向けさせたり、厳しく言ってきかせたり、身振りで脅したり、ベッドを叩いたりして……、そういうことでは効き目がない場合には――もちろんそれほど強いことはできないにしても、赤ん坊が泣くのをやめるかもしくは眠り込むまで繰り返し、休むことなく、身体に感ずる形で警告を発し続けるのがよい……」(アリス・ミラー著『魂の殺人』より引用)


これはどう見ても幼児虐待の勧めです。フロイトの時代に神経症患者の研究が進んだのにはこうした背景があったからかもしれません。
ともかく、赤ん坊に「わがまま」があるという考えは「子ども性悪説」そのものです。

なお、中世には「教育」というのは金持ちが家庭教師を雇ってすることで、庶民には無縁のことでした。
「子ども」という概念もなく、子どもは「小さなおとな」と見なされていたとされます。
近代になって庶民も教育やしつけをするようになって、ロックやカントの教育論が出てきたのです。

日本でも江戸時代にしつけをしていたのは武士階級だけです。
幕末から明治の初めに欧米から日本にきた人たちはみな、日本では子どもがたいせつにされていることに驚きました。
しかし、明治政府は富国強兵のために欧米式のしつけを日本に広めました(たとえば国定教科書に乃木希典大将の幼年時代のエピソードを掲載したことなどです。詳しくはこちら)。

西洋式のしつけは、子どもを動物のように調教するというもので、体罰を使うのは当たり前です。
もっとも、日本では子どもを動物と見なすような考え方はないので、しつけをする親はつねに葛藤していたと思われます。

このような時代の流れによって、「しつけのためにやった」と言う幼児虐待の加害者が出現するようになったのです。


しかし、「科学」がこうした子育てのあり方を変えました。
その具体的な始まりは1946年出版のベンジャミン・スポック著『スポック博士の育児書』だったでしょう。この本は世界的ベストセラーになって、1997年版の「編集後記」によると、39か国に翻訳され、世界で4000万部発行されたということです。聖書の次に売れた本という説もあります。

この本の基本的な姿勢を示す部分を引用します。

過去五十年のあいだ、教育者、精神分析学者、小児精神科医、児童心理学者、小児科医などが、いろいろとこどもの心理について研究してきました。その結果が、新聞や雑誌に発表されるたびに、世の親たちは熱心にそれを読んだものです。こうして私たちは、だんだんにいろいろなことを学んできました。

たとえば、こどもは、親の愛情を、なによりも必要とするということ、また、けっこう自分から、大人のように責任をもって、ものごとをしようと努力するものだということ、よく問題をおこす子は、罰が足りないのではなくて、愛情が足りないのが原因だということ、また、年齢に応じた教材を、理解のある先生に教えられさえすれば、すすんで勉強するものだということ、自分の兄弟姉妹に対して、多少やきもちをやいたり、たまには親に腹をたてたりするのも、ごく自然な感情であって、これをいちいちとがめだてする必要はどこにもないということ、生命の真実を知ろうと、こどもなりに興味を持ち、性への関心が出てくるのは、ごく自然なことだということ、闘争心とか、性への興味を、あまり強くおさえつけると、こどもをノイローゼにしてしまうこともあるということ、親がしらずしらずにやっていることも、こどもにとっては、親がそうしようと思ってやっていることとおなじように大きい影響を与えるものだということ、こどもは、めいめい独立した人間だから、そのように扱ってやらなければならないということ、などです。

こういった考え方は、今でこそ、もうあたり前のことになっていますが、発表された当時は、驚くべきことだったのです。というのは、それまで何百年ものあいだ、みんなが考えていたこととは、まるで正反対だったからで、そのために、こどもの本性はどういうものか、とかこどもにはどんなことをしてやらなければならないか、ということで、頭の切りかえができず、とまどってしまった親もたくさんありました。

これは「子ども性悪説」の否定であり、子どもをおとなと同じ人間と見ています。
日本では小児科医で児童心理学者の平井信義(1919年―2006年)が「しつけ無用論」と「叱らない教育」を提唱し、中でも『「心の基地」はおかあさん』という本は140万部のベストセラーになりました。

このような科学的な子育て論によって大きく変わったのが「抱きぐせ」についての考え方です。
昔は、赤ん坊が泣いたからといってすぐ抱きあげると抱きぐせがつくのでよくないとされていました(もっと昔は親子は川の字で寝て、母親や上の子がずっと赤ん坊をおぶっていたので、そんな考え方はありませんでした)。
赤ん坊の要求にすぐ応えると、赤ん坊はどんどん要求をエスカレートさせると考えられていたのです。赤ん坊を敵対的な交渉相手と見なして、駆け引きをしているようなものです。
騒ぐ子どもを静かにさせろというおとなも、そうしないと子どもはどんどんわがままになると考えているのでしょう。実際は、子どもが騒ぐのは今だけで、少し成長すれば騒がなくなります。
今は百八十度考え方が変わって、赤ん坊が泣けばすぐ抱くのがよいとされます。そうすることで赤ん坊は「基本的信頼感」を身につけることができるというのです。基本的信頼感があると、赤ん坊はよく探索行動をし、好奇心を発揮して、次第に親から自立していきます。
基本的信頼感がないと、赤ん坊はいつまでも親に依存し、自立が遅れることになります。

基本的信頼感のもとには、幸せホルモンとも呼ばれるオキシトシンの分泌があります。赤ん坊は授乳のときや母親と見つめ合うときや触れ合うときにオキシトシンの分泌が盛んになります。
こうしたことから、泣くとすぐ抱くと抱きぐせがつくのでよくないという説は“科学的”に否定されたといえます。
今ではこの“抱きぐせ”説を言うのは、子育てに口出しする祖父母の世代くらいではないでしょうか。


科学的に否定されたといえば、体罰肯定論もそうです。
厚生労働省は2017年から「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンを行っていて、そこにおいて「厳しい体罰により、前頭前野(社会生活に極めて重要な脳部位)の容積が19.1%減少」「言葉の暴力により、聴覚野(声や音を知覚する脳部位)が変形」といった科学的研究を示し、「体罰・暴言は子どもの脳の発達に深刻な影響を及ぼします」と明言しています。
これによって少なくとも社会の表面から体罰肯定論はなくなりました。

ここでは体罰とともに暴言も挙がっていますから、当然子どもをきびしく叱ることも脳にダメージを与えます。
「叱らない教育」への転換が求められます。


しつけ、体罰、叱責は子育てから排除されなければなりません。
そうすると家族のあり方も変わります。
保守派は家父長制、つまり父親が威厳をもって家族を支配するという家族を理想としていますが、父親の威厳はしつけ、体罰、叱責と不可分です。
父親が妻や子どもと対等の人間になれば保守思想は崩壊するといっても過言ではありません。


なお、「子どもを愛すること」と「子どもを甘やかすこと」の違いとか、子どもが悪いことをしたときに叱らなくていいのかといった疑問については「道徳観のコペルニクス的転回」を読んでください。

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川口駅東口駅前

「川口市クルド人問題」というのがあります。
埼玉県川口市という狭いエリアで、少数のクルド人に関する問題ですが、ヘイトスピーチをしたい人たちが騒いでいます。

きっかけは昨年7月、川口市でクルド人同士の喧嘩があり、クルド人約100人が市立医療センター周辺に集まり、機動隊が出動する騒ぎがあったことです。このときにトルコ国籍の男2人が暴行と公務執行妨害の疑いで逮捕されました。
この事件では計7人が殺人未遂の疑いで逮捕されましたが、全員が不起訴処分となりました。

これ以降、とくに産経新聞が熱心に川口市のクルド人問題を取り上げました。
産経新聞のつくった出来事のリストがあります。

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産経新聞としては、こんなにいろいろなことが起こっているのに、ほかのメディアがほとんど取り上げないのはけしからんと言いたいのでしょう。
しかし、よく見ると、事件らしい事件といえるのは次のことぐらいです。

・大型商業施設で煙幕を出す花火を投げつけた中学生を逮捕。
・ジャーナリストを「殺す」などと脅したクルド人を逮捕(のち不起訴処分)。
・デモの際、日本クルド文化協会関係者が「日本人死ね」とも聞こえかねない発言をしたと指摘され、同協会が釈明、謝罪。
・コンビニ駐車場で女子中学生に性的暴行をしたとしてクルド人を逮捕。

病院周辺で100人が集まって騒いだというのは大きな事件ですが、川口市のクルド人はグループに分かれて対立しているということが背景にあったようです。

「殺す」などと脅されたのはフリージャーナリストの石井孝明氏です。石井氏は川口市クルド問題に取り組んでいたようですが、差別的な投稿で名誉を傷つけられたとしてクルド人などから慰謝料500万円を求めて訴えられています。


もともと川口市は外国人居住者の多い街で、外国人の多さでは東京都新宿区と1位、2位を争ってきました。
川口市のホームページによると、川口市の外国人住民は約4万人で、市人口の約6.7%だということです。
中でも芝園団地という巨大団地は、住民約4500人のうち半分以上が外国人で、その大半が中国人です。
外国人とのトラブルが起こっているのではないかという懸念からか、テレビのニュース番組が何度か取材していましたが、たいしたトラブルはなかったので、そのうちマスコミから無視されるようになりました。
西川口駅周辺は中国人経営の中華料理店が多く、チャイナタウンと呼ばれているというのが少し話題になったぐらいです。

川口市の隣の蕨市にも外国人が多く、市の人口の約10%が外国人です。
川口市と蕨市にクルド人が約3000人住んでいるとされますが、数としては少ないので、メディアが注目しないのは当然です。

クルド人といっても、ほとんどはトルコ国籍で、トルコのパスポートを持っていますから、「トルコ人」と見なすのが普通です。わざわざ「クルド人」とするところになにかの意図があります。


クルド人というのはトルコ、イラク北部、イラン北西部、シリア北東部などに住む民族で、国を持たない最大の民族といわれます。
トルコにおいては、差別されたクルド人が独立運動を起こし、クルド労働者党はトルコ政府からテロ組織認定をされています。
そのため、トルコから日本にきたクルド人の多くは難民申請をしていますが、認められたのは一人だけです。

したがって、クルド人についてはふたつの見方があると思われます。
テロリストのように危険な人間という見方と、中国でいえばウイグル族のように政府から人権侵害されている気の毒な人たちという見方です。
クルド人にヘイトスピーチをしている人間は、クルド人はテロリストかテロリストに準じる人間と見ているのかもしれません。

クルド人は国を持たない民族なので、どうしても差別されがちです。
しかし、日本人はそもそもクルド人とほとんど縁がなく、クルド人に対する差別意識もありませんでした。
なぜ急にクルド人に対するヘイトスピーチが行われるようになったのでしょうか。


今、ヨーロッパでは極右政党が勢力を伸ばしています。6月初めに行われる欧州議会では、現在127議席の極右勢力が184議席になるという予測があります。
極右が支持される主な理由は、移民排斥の主張が共感を呼んでいるからです。
アメリカでも、トランプ氏の移民排斥の主張にバイデン大統領も引きずられています。

日本の右翼保守勢力も、欧米にならって移民排斥を訴えて支持を伸ばしたいところです。
ところが、なかなかうまくいきません。
国民の反移民感情が高まるのは移民による犯罪が目立つからです。
ところが、日本では外国人の数は増えているのに、外国人の犯罪は減少しています。

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つまり日本では外国人との共生がうまくいっているのです。

問題は欧米のほうにありそうです。
欧米で移民との共生がうまくいかないのは、白人至上主義者が移民を差別してるからです。外国人を労働力として入れるものの、仕事は低賃金の汚れ仕事で、住む場所も劣悪な環境に固まって住むことを余儀なくされます。差別されているので犯罪も起きます。

日本人は白人みたいな人種差別意識がないので、うまくいっているのです。

ちなみに欧米の経済の専門家に日本経済復活の処方箋を求めると、ほぼ例外なく日本は移民を入れるべきだとアドバイスします。彼らはローマ帝国が奴隷労働で発展したことが頭にしみついているのです。


移民(外国人)との共生がうまくいっている日本で、移民排斥の主張は共感を呼びません。
ただ、あえて主張するならベトナム人を対象にすればいいかもしれません。
「外国人摘発、ベトナムが最多3400人…9年前の3倍・来日後の生活苦要因」という記事から一部を引用します。
 警察庁によると、昨年の来日外国人の摘発は1万4662件で、前年比1231件減少。摘発人数も同1129人減だった。国籍別ではベトナムが最多の3432人で、次いで中国が2006人だった。
 9年前の2013年は、来日外国人全体の摘発人数が9884人で、うちベトナム人は1118人だった。全体の摘発人数が減る中、ベトナム人の摘発は約3倍に増えていた。

外国人犯罪がへる中で、ベトナム人の犯罪だけが増えているのですから、ヘイトスピーチの対象としてはこれしかありません。
しかし、たとえば産経新聞がベトナム人排斥のキャンペーンをすれば、ベトナム人労働者に頼っている日本企業から反発が起きますし、なによりもベトナム政府やベトナム国民からも反発が起きます。

その点、クルド人を排斥の対象にすれば、トルコ政府は文句を言わないでしょう。
それに、せいぜい3000人と数が少ないので、あまり影響もありません。
そこで産経新聞や保守派は「クルド人差別」をあおるキャンペーンを展開しているというわけです。

ともかく、日本人は意外と外国人との共生をうまくやっているということは認識しておく必要があります。

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岸田内閣の支持率が急落しています。
「増税」「減税」「還元」「給付」などの言葉をもてあそび、さらにさまざまな不祥事が連続したことが理由とされていますが、それよりももっと大きな理由があります。
それは、安倍晋三元首相が亡くなったことです。

安倍氏が亡くなったのは昨年7月のことなので、今の支持率急落とは関係ないと思われるかもしれませんが、人の死というのは受け入れるのに時間がかかるものです。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉もあります。
偉大な軍師である諸葛孔明は死んでからも敵を恐れさせたという中国の故事成句です。
安倍氏も政界における存在感がひじょうに大きかったので、「死せる安倍」がしばらく政治家を走らせていました。
しかし、1年もたつとさすがに誰もがその死を受け入れ、安倍氏の呪縛から解き放たれました。
その結果が内閣支持率に表れてきたというわけです。


安倍氏が首相を辞めてから、私がなによりも恐れていたのは安倍氏の再々登板です。.自分で政権を投げ出して復活するというのを一度やっていますから、二度目があってもおかしくありません。
私はこのブログで岸田政権批判もしましたが、岸田政権批判は安倍氏復活につながるかもしれないと思うと、つい筆が鈍りました。
野党やマスコミも同じだったのではないでしょうか。

しかし、安倍氏が亡くなると、安倍氏の復活がないのはもちろん、安倍氏の後ろ盾がない菅義偉氏の復活もないでしょうし、一部で安倍氏の後継と目されている高市早苗氏も力を失いました。
つまり安倍的なものの復活はなくなったのです。
そうすると、遠慮会釈なく岸田政権批判ができます。
このところのマスコミの論調を見ていると、岸田政権が崩壊してもかまわないというところまで振り切っているように思えます。


一方、これまでは分厚い安倍支持層が岸田政権をささえてきました。
しかし、安倍氏が亡くなってから、安倍支持層は解体しつつあります。
中心人物を失っただけではありません。中心になる保守思想がありません。

昔は憲法改正が保守派の悲願でした。しかし、解釈改憲で新安保法制を成立させ、空母も保有し、敵基地攻撃能力も持つことになると、憲法改正の意味がありません。
靖国神社参拝も、安倍氏は第二次政権の最初の年に一度参拝しましたが、アメリカから「失望」を表明されると、二度と行っていません。
慰安婦問題についても、2015年の日韓合意で安倍氏は「おわびと反省」を表明して、問題を終わらせました(今あるのは「慰安婦像」問題です)。

考えてみれば、保守派の重要な思想はみな安倍氏がつぶしてしまいました。
安倍氏のカリスマ性がそのことを覆い隠していましたが、安倍氏が亡くなって1年もたつと隠しようがなく、保守派の思想が空っぽであることがあらわになりました。

それを象徴するのがいわゆる百田新党、日本保守党の結成です。
百田尚樹氏は自民党がLGBT法案を成立させたのを見てブチ切れ、新党結成を宣言しました。
新党結成のきっかけがLGBT法案成立だったというのが意外です。日本の保守派はもともとLGBTに寛容なものです。LGBTを排除するのはキリスト教右派の思想です。
これまで保守派は統一教会の「韓国はアダム国、日本はエバ国」などというとんでもない思想に侵食されていたわけですが、今後はキリスト教右派の思想を取り込んで生き延びようとしているのでしょうか。

もし百田新党が力を持てば、自民党の力をそぐことになります。つまり保守分裂です。
目標をなくした組織が仲間割れして衰退していくのはよくあることです。


ともかく、今は岸田政権は保守派とともに急速に沈没しているところです。
支持率回復には保守路線からリベラル路線への転換が考えられますが、手遅れかもしれません。

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LGBT法案が6月9日、衆院内閣委員会で可決され、今国会で成立する見通しとなりました。

この法案はもともと2016年に超党派の議員連盟がまとめたもので、自民党保守派の反対でずっと棚ざらしにされていましたが、急に成立を目指すことになりました。
自民党は保守派に配慮した修正案をまとめましたが、その中に「不当な差別はあってはならない」という言葉があると知って、あきれました。
こんな言葉を使う人間がつくった法律は信用できません。
維新の会と国民民主党も独自の修正案をまとめ、最終的に与党の修正案と一本化されました。衆院内閣委で可決されたのはこの一本化された修正案です。

この修正案は、「不当な差別はあってはならない」という言葉はそのままです。
「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」という言葉が加えられました。
「全ての国民が安心」は「全米が泣いた」と同じくらいありえないことです。差別をなくそうとすれば差別主義者は安心していられません。

言葉を「性自認」か「性同一性」にするかという問題がありましたが、これは「ジェンダーアイデンティティー」という言葉で決着しました。
日本の法律になじみのない英語が入りました。

しかし、この法律に英語が入るのは不思議ではありません。

4月23日、LGBTQの権利擁護を訴える国内最大級のイベント「東京レインボープライド」のパレードが約1万人の参加者(主催者発表)で行われましたが、アメリカのラーム・エマニュエル駐日大使も参加し、「ジェンダーや性的指向に関係なく愛する人と共にいるという選択は、誰もが尊重すべきことです」などとスピーチしました。
アメリカの大使が日本でデモに参加したことに驚きました。

普通、アメリカの日本政府への圧力は水面下で行われるものですが、これは人権問題であるためか目に見える形で行われています。
自民党が急に法案の成立を目指すことになったのもアメリカの圧力のせいでしょう。

自公と維新国民が修正案を国会に提出し、立憲民主党、共産党、社民党は原案を国会に提出するという状況下でこんな記事がありました。

エマニュエル米駐日大使、LGBT法案巡り自公の「修正案」に「賛辞」
米国のエマニュエル駐日大使が18日、自身のツイッターを更新し、自民、公明両党が同日国会に提出したLGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案について、「岸田文雄首相をはじめ、自民ならびに公明幹部のリーダーシップと、差別の撤廃と平等の推進に向けた行動に賛辞を贈りたい」と評価した。


両党が提出した法案は、2年前に超党派の議員連盟がまとめた法案を一部修正したものだ。これに対し、立憲民主党は自公の「修正案」を「改悪」と批判し、18日に議連の「原案」を対案として国会に提出した。


エマニュエル氏は理解増進法案を巡り、ツイッターでLGBT法制定を促す発信をしてきたことから、「内政干渉」との反発も出ていた。


立民はエマニュエル氏のこうした言動をとらえ、17日に泉健太代表と西村智奈美代表代行が東京都内の米大使館で同氏に面会。立民が議連の原案を国会に提出する方針を伝えていた。


立民は修正案への批判を強めているだけに、幹部は「エマニュエル氏が自公の修正案に対して、どういう発信をするのか注目だ」と関心を寄せていたが、エマニュエル氏は「賛辞」を表明した。
https://www.sankei.com/article/20230518-QTVQ7GVLEVKCHIMLWXAP2BF3YQ/
国会でふたつの案が対立しているとき、立憲民主党の代表と代表代行がわざわざエマニュエル大使に会いにいくということは、アメリカ大使と日本の国会の力関係を暗示しています。
泉代表は大使を説得すれば自民党の態度も変わると思ったのでしょうが、残念ながら大使は翌日に与党案支持を表明しました。

法案が衆院内閣委員会で可決された日には、大使はすかさずこうツイートしました。


ラーム・エマニュエル駐日米国大使
@USAmbJapan
今日の衆議院内閣委員会における「LGBT理解増進法案」の可決は、日本にとって新しい幕開けとなりました。岸田首相のリーダーシップに感謝いたします。LGBTの権利に関して、日本は主導的な役割を担っているのです。日本国民と政治の担い手が、平等とインクルージョンを支持し一致団結しているという、まさに特別な瞬間です。委員会のこの決議は、改革のゴールではなくスタートです。日本国民は自らの声をしっかりと届けることができました。心よりお祝い申し上げます。
午後2:59 · 2023年6月9日

大使のこのような態度は、LGBT法案に反対する保守派から「内政干渉だ」という猛反発を招いています。

なお成立見込みの修正案は、自民党保守派に配慮したものであるため、これまでLGBT法案に期待していた人たちから「後退だ」と批判されています。
一方、保守派の人たちはわずかの修正など評価せず、LGBT法案そのものに反対で、自民党やエマニュエル大使を批判しています。

ネトウヨジャーナリストの有本香氏は「自民党は、女性や子供の安全を脅かし、アイデンティティーを混乱させ、果ては皇室の皇統をゆがめ、破壊しかねない法案に前のめりで突き進んだ」と批判し、百田尚樹氏などは「LGBT法案が成立したら、私は保守政党を立ち上げます」「自民党はもはや保守政党ではありません」とまで言いっています。



日本の保守派はつねにアメリカ従属なのに、ここまでアメリカの意向に逆らうのは珍しいなと思っていたら、それは私の勘違いでした。
エマニュエル大使はバイデン大統領に任命された民主党系の人間です。
アメリカでは2021年2月、LGBTQ+の人々を差別から守るための「平等法」が下院で可決されましたが、上院では共和党の反対が強くてまだ可決されていません。
つまりLGBTQ+の「平等法」はアメリカの民主党と共和党の対立点で、次の大統領選の大きな争点になるといわれています。
エマニュエル大使は米民主党の価値観を日本に持ち込んでいるわけです。

ですから、LGBT法案に反対する日本の保守派はアメリカ共和党の価値観に立っています。
「LGBT法案を成立させても次の大統領選で共和党が勝てば無意味だ」などと主張しています。
自民党では、岸田首相ら政権の中枢はバイデン政権との関係を重視し、保守派議員は共和党との関係を重視して、自民党内で米民主党対米共和党の代理戦争が行われているわけです。
自民党執行部は党議拘束をかけてLGBT法案成立に向けて突っ走り、保守派議員は党議拘束を外すように主張しています。

島田洋一福島県立大学名誉教授は、アメリカにおける民主党対共和党の対立を紹介して日本の保守派の議論をリードしていますが、自民党の世耕弘成参院幹事長が党議拘束は外す必要がないと主張したことについてこんなツイートをしました。


島田洋一(Shimada Yoichi)

@ProfShimada

米民主党と日本の野党はほぼ同レベルだが、米共和党と自民党では大差がある。

共和党では左翼と強く闘う姿勢がないとリーダーになれない。安倍首相亡き後の自民党幹部は皆、左翼に迎合しつつ浅くブレーキを踏む程度。

ブレーキとアクセルの区別すら付かない者も多い。残念ながら世耕氏もアウト


島田氏は米共和党を理想として、それに及ばない自民党を批判しています。
コミンテルンがソ連共産党を理想として日本共産党を批判したみたいなものです。
しかし、島田氏は売国などと批判されることはなく、その主張はむしろ保守派から歓迎されています。

米共和党はキリスト教福音派などの宗教右派の思想をバックボーンとしています。
日本の保守派は天皇制や国家神道をバックボーンとしていそうですが、実は違います。
彼らは天皇制の権威を利用しているだけで、天皇陛下夫妻も上皇陛下夫妻も尊敬していません。


そもそも日本の伝統文化はLGBTに寛容です。
『日本書紀』で日本武尊は熊襲退治のときに女装して敵をあざむきます。日本最高の英雄は女装者だったのです。
平安後期の『とりかへばや物語』は、関白左大臣には二人の子どもがいましたが、男の子は女性的な性格で、女の子は男性的な性格で、関白左大臣は「とりかへばや(取り替えたいなあ)」と嘆いて、男の子を「姫君」として、女の子を「若君」として育てます。そして、二人はそれぞれ波乱万丈の人生を送り、最後に二人は人に気づかれないようにそれぞれの立場を入れ替えるという物語です。
日本ではこういう物語が愛されてきたのですから、LGBT法案にむきになって反対している人たちは日本とは別の文化に染まっているのでしょう。

LGBT法案に反対している人は同性婚にも反対して、家族制度が壊れるなどと主張しています。
しかし、キリスト教圏では同性愛は罪とされ、嫌悪されてきましたが、日本では衆道、男色は認められてきました。同性愛嫌悪がほとんどないのですから、同性婚に反対する理由もありません。
国民の意識も、今年5月のJNNの世論調査で同性婚を法的に認めることに「賛成」は63%、「反対」は24%でしたし、2月の朝日新聞の調査では「認めるべきだ」は72%、「認めるべきでない」は18%でした。
同性婚に必死で反対している人たちは日本人らしくありません。
アメリカの宗教右派の人たちに似ています。

2020年の大統領選挙でトランプ氏がバイデン氏に敗れたとき、日本でもネトウヨはこぞって「選挙は盗まれた」と騒ぎ、右翼雑誌も「選挙は盗まれた」という記事を書き立てました。
トランプ氏に踊らされる愚かな人たちと思って見ていましたが、日本の保守派はもともと米共和党右派なのだと思えば、そうした行動に出るのは当然です。

米共和党は不思議な組織です。党首も綱領も存在せず、全国委員会、州委員会、郡委員会などはありますが、地方ごとに自由に活動して、上部組織の指示に従わないと処罰されるということはありません。入党や離党もまったく自由で、党活動の義務もありません(米民主党も基本的に同じ)。

日本に「米共和党日本委員会」という名前の組織はないでしょうが、もともとあってもなくてもいいような組織です。
日本の保守派のほとんどが米共和党右派の思想に染まっているのですから、日本に「米共和党日本支部」があると見なすとわかりやすくなります。


統一教会と米共和党右派は思想的にほとんど同じです。
統一教会が日本の政界に深く食い込んでいるのに驚かされましたが、日本の政界に深く食い込んでいるのは米共和党右派も同じでした。

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「弱きを助け、強きをくじく」という言葉があります。
正義のヒーローのキャッチフレーズとして昔はよく使われていましたが、最近はあまり耳にしません。
国語辞典には「弱い者を救い、横暴な者をこらしめる。任侠の気風をいう」とあり、任侠に由来する言葉なので、使いにくいのでしょうか。

「強きをくじく」と言っておきながら正義のヒーローがいちばん強いわけで、そこに矛盾があります。任侠という特殊な立場だから成立する言葉かもしれません。

「弱きを助け、強きをくじく」という言葉を批判する立場もあります。
モラロジー道徳教育財団の「道徳の授業:親切・思いやり」というページにこう書かれています。
「弱きを助け、強きをくじく」というと、一見カッコよく、道徳的に聞こえますが、弱者をすべて善人、強者をすべて悪人と見るのも、はなはだあわてた結論でしょう。

 また、弱い者を偏愛することになり、そのため、やたらと強い者を憎み、これに刃向かう気風をつくってしまうという一面があります。

 同情や親切は大切な道徳ですが、深い理性と真に人を愛する心が伴ってこそ、質のよい価値ある道徳といえましょう。

モラロジー道徳教育財団というのは、ウィキペディアによると『廣池千九郎が1926年に説いた「道徳科学」(moral+-logy)を基に始まった修養・道徳団体。教育再生、道徳教育による「日本人の心の再生」を主張し、その出発点を家庭に置く』となっていますが、私の印象としてはひじょうに宗教に近い感じがしますし、道徳教育を重視する点で自民党とも近い感じがします。

強者をすべて悪人、弱者をすべて善人と見なすことに疑問を呈していますが、これはモラロジーが強者の側に立っているからでしょう。


弱者がすべて善人であるかどうかわかりませんが、強者がすべて悪人であるというのはかなり正しいかもしれません。
それを肯定する言葉があります。

それは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉です。

19世紀末のイギリスの歴史家で政治家のジョン・アクトンが述べた言葉ですが、アクトンはフランス革命の歴史や自由主義を研究した人なので、単なる思いつきの言葉ではありません。

この言葉の正しさは、現実を見てみればわかります。
長い歴史において、善政を敷いた権力者はいないではありませんが、ごく少数です。しかも、その善政の期間は短いものです。
政権が長期化すると、どんな権力者も独裁者と化していきます。独裁者が民衆のための政治をするわけがありません。
最近の政治を見ても、ウラジミール・プーチン、習近平、安倍晋三と、長期政権は独裁化していきます。

企業経営者も同じです。
最初は優秀な経営者でも、長期化するといつしか周りをイエスマンで固め、ワンマン経営者といわれ、独善的な経営をするようになります。

例外がないとはいえませんが、「権力は腐敗する」というのはかなりの程度真実です。

「権力は人を酔わせる。酒に酔った者はいつかさめるが、権力に酔った者は、さめることを知らない」という言葉もあります。
これはアメリカの政治家のジェームズ・バーンズの言葉です。

ともかく、権力は腐敗し、横暴になり、弱者をいじめるので、「弱きを助け、強きをくじく」という原理で行動すれば、ほとんどの場合間違いありません。

決して名言だけを根拠にして主張しているわけではありません。
ちゃんと“科学的”な根拠もあります。
次の実験は、金持ちと貧しい人についてのものですが、現代社会で金を持っていることは権力を持っていることと同じようなものでしょう。
お金持ちほど人をだます傾向あり、米研究
2012年2月29日 14:49 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 北米 米国 ]

【2月29日 AFP】社会的地位の高いお金持ちはそれ以外の人々よりも、交通ルールを守らず、子供のキャンディーを横取りし、金銭的利益のためにうそをつく傾向があるとする研究結果が、27日の米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された。

 米カリフォルニア大学バークレー校(University of California at Berkeley)とカナダ・トロント大(University of Toronto)の心理学者チームは、米国で行った人間行動に関する7つの実験を分析した。

 ある実験では、メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz)やBMW、トヨタ(Toyota)のプリウス(Prius)などの高級車のドライバーは、カムリ(Camry)やカローラ(Corolla)などの大衆車のドライバーに比べて、交差点での交通ルールを守らない傾向があることが分かった。高級車ドライバーはまた、大衆車ドライバーよりも、道路を横断しようとする歩行者を優先しない傾向があった。

 サイコロを使った別の実験では、サイの目が大きいと50ドル(約4000円)の賞金をもらえるというゲームを行ったところ、社会経済的な地位が高いと自己申告した人では、実際の目よりも大きい数を言う頻度が高かった。「50ドルなど大した金ではない階級の人々がうそをつく頻度は(低所得者層の)3倍だった」と、論文の主執筆者であるカリフォルニア大バークレー校のポール・ピフ(Paul Piff)氏は言う。

 また、自分を雇用者と仮定し、近く廃止する部署であると知りながらもその部署を希望する求職者と面談するという設定では、高い地位の人ほど事実を隠す傾向があった。

 別の実験では、キャンディーが詰まったポットを「近くの研究所の子供たち用」だと言って渡し、「好きならいくつかとっても構わない」と言い添えた場合、お金持ちほど多くのキャンディーをとる傾向があった。平均して、お金持ちがとったキャンディーの量は(お金持ちではない人の)2倍だった。富裕層の施しの量が貧しい人よりも少ない傾向があることを見出しつつあるピフ氏も、お金持ちが子供のお菓子を横取りするというこの事実には驚きを禁じ得ないと言う。

 さらに、自分の社会的地位が高いと思い込ませる実験では、社会的地位が他の人より高いという認識が、貪欲さを増し、例えば、実際より多くのおつりをもらっても黙ってとっておくなど、倫理的な行動規範も薄れる可能性があることも明らかになった。

■富と自立が他人への感受性弱める

 以上の実験結果は「上流階級の個人の間で文化的に共有されているいくつかの規範」を浮き彫りにした、と、論文は述べる。

 例えば、富裕層は貧しい人よりも自立し、財産も多いため、「他人が自分をどう思うか」が貧しい人よりも気にならないかもしれないという。

 ピフ氏によれば、お金を持っている人ほど、貪欲さを肯定的にとらえ、ピンチの時には家族や友人を頼らない傾向がある。こうした「気高さ」が自身を社会から切り離した存在にしているという。「日常生活の極めて異なるレベルでの特権が自立性を生み、自分の行為が他人の幸福へ及ぼす影響への感受性を弱めると同時に自己の利益を最優先させる結果を生んでいる」(ピフ氏)

 だが、論文は、慈善活動を行っている億万長者、ビル・ゲイツ(Bill Gates)氏やウォーレン・バフェット(Warren Buffett)氏などの例外が存在することも指摘する。また、貧困と凶悪犯罪の関連性を示した以前の研究は、貧しい人が必ずしもお金持ちより倫理観が高いわけではないことを示している。

 ただし論文は、「私利私欲は社会のエリート層のより根本的な動機であり、富の蓄積と地位の向上に関連したもっと欲しいという欲求は不正行為を助長しかねない」と指摘する。

 なお、実験はそれぞれ100~200人の米国人を対象に行われたが、「結果は米国外の社会にも当てはまるだろう」とピフ氏は言う。これらのパターンは、特に、格差の大きい社会で顕著に表れることが予想されるという。(c)AFP/Kerry Sheridan
https://www.afpbb.com/articles/-/2861397
要するに金持ちほど悪いことをするという内容です。

私はこれを読んだとき、正直者がバカを見る世の中だから、悪い人間が金持ちになったのではないかと思いました。
しかし、人を押しのけて生きていくような人間が出世することもありますが、周りから信頼される人間が出世する場合もあります。
この論文は、金持ちになったから人の目を気にしなくなり、悪いことをするのではないかと見なしています。
出世して金と権力を手にした人間は、次第に傲慢になり、平気で利己的なふるまいをするようになるということです。
これは「権力は腐敗する」ということに合致します。


前回の「『人間は利己的である』ということ」という記事で、人間は基本的に利己的であるということを述べました。今回の記事はその続編になります。
人間は誰もが利己的ですが、周りに人間がいるのでそんなに利己的なふるまいはできません。弱い立場の者はなおさらです。
しかし、権力を手にすると、利己的なふるまいができるようになり、どんどんエスカレートしていきます。

ですから世の中は、権力者や金持ちや地位の高い者などの強者は利己的にふるまって不当に利益を得て、弱者は不当に利益を奪われています。
しかも、強者は社会制度を自分たちに有利なようにつくっています。
民主主義によって弱者の意志も社会制度に反映されることになっていますが、上が下を支配する力は網の目のように社会に張り巡らされているのに対して、下から上への声を吸い上げる民主主義のパイプは細くて目詰まりしているので、まったく不十分です。

これが世の中の基本の仕組みですから、世直しの原理は「弱きを助け、強きをくじく」ということになるわけです。


つけ加えると、保守派や右翼やネトウヨの原理は「強きを助け、弱きをくじく」です。
したがって、リベラルと保守派の対立というのは、「弱きを助け、強きをくじく」と「強きを助け、弱きをくじく」の対立ととらえることができます。

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(タイの昆虫スナックの屋台)

このところコオロギ食が話題です。
もともと栄養価が高く環境への負荷も少ないことから国連食糧農業機関(FAO)も推奨していましたが、河野太郎デジタル大臣がコオロギを食べるパフォーマンスの映像が拡散したことで急に注目されました。

無印良品が徳島大学と連携して「コオロギチョコ」や「コオロギせんべい」を開発して販売しています。
無印良品の「コオロギが地球を救う」というサイトには、「香ばしいエビのような味がする」「野生のコオロギでなく衛生的な環境で飼育したコオロギを使っている」などと説明されています。

世界では昆虫食はそれほど珍しいものではありませんし、日本でもイナゴやハチの子が食べられていました。
とはいえ、「コオロギを食べるなんて気持ち悪い」と思う人も多いでしょう。
「自分は食べたくない」と思うのは自由です。

しかし、「コオロギ食に反対」という人がかなりいます。
コオロギ食反対は、コオロギを食べたいという人の権利を侵害しています。いったいどういう理屈でしょうか。

ツイッター上でコオロギ食反対を主張する人は、ネトウヨとかなりの程度重なり合っています。
つまりほとんどのネトウヨはコオロギ食反対です。
典型的なのは、ネトウヨジャーナリストの有本香氏が「コオロギ食べない連合」を立ち上げたことです。この話題はツイッターでトレンド入りしました。

なぜネトウヨはコオロギ食に反対するのでしょうか。
一応もっともらしい理由は挙げられています。
たとえば「たんぱく源確保なら昆虫食より日本の畜産業再生が先だ」というものです。
しかし、昆虫食を推進することで畜産業再生が遅れるわけではなく、昆虫食に反対する理由にはなりません。
「昆虫食よりフードロス解決が先だ」というのもありますが、やはり昆虫食推進とフードロス解決を同時進行させればいいだけのことです。それに、廃棄食品を飼料にしてコオロギを育てることができるので、コオロギ食はフードロス解決に貢献するという説があります。


コオロギ食に反対するまともな理由はありません。
実は陰謀論による反対がほとんどです。
反コロナワクチンの陰謀論の代表的なものは、「この世界を陰で支配しているディープステートは人口削減のために有害なワクチンを打たせている」というものですが、それと同じ陰謀論が昆虫食にもあります。
「昆虫食には発がん性、病原菌、寄生虫、アレルゲンがあり、人口削減の陰謀が行われている」というものです。

希望の党から選挙に出たことがあり、さまざまな問題発言を連発している橋本琴絵氏は『聖書にはイナゴ以外の虫は食べては駄目だと書いてあったのですが、2017年から聖書の記載内容が変更されて「イナゴとコオロギ以外は食べてはならない」に書き換えられたので闇が深い。これ冗談ではないですよ』とツイートし、これが拡散しました。
聖書の書き換えができるとなると、そうとう力のある闇組織ということになり、典型的な陰謀論ですが、もちろんそんなことはありません(こちらにファクトチェックあり)。

「支配層は日本人に昆虫を食わせて、自分たちは高級な牛肉を食べ、高級なワインを飲んでいる」とか、さらには「世界の支配層は爬虫類人間で、虫を食糧にするのは爬虫類の発想だ」などというものまであります。

アメリカでも日本でも、右翼や保守派は陰謀論にはまる傾向があります。
とはいえ、右翼や保守派が昆虫食に反対しなければならない理由はないはずです。なぜ反対するのでしょうか。

こう考えたとき、あることを思い出しました。
それは、「グロ画像を見た時の脳の反応で政治的傾向が右なのか左なのかがわかる?(米研究)」という記事です。
私はこの記事にはひじょうに重要なことが書かれていると思い、全文を引用して「右翼思考の謎が解けた!」という記事を書きました。

リンク先を読むのがめんどうな人もいるでしょうから、研究内容を簡単に紹介しておきます。

米バージニア工科大学の研究チームは、83人の男性と女性を対象に、不快な画像、心地よい画像、そのどちらでもないニュートラルな画像を取り混ぜて見せて、MRI脳スキャンを行いました。心地よい画像というのは赤ちゃんや美しい風景などで、不快な画像というのはいわゆるグロ画像のことで、ウジ虫やバラバラ死体、キッチンの流しのヌメっとした汚れやツブツブが密集したものなどです。
次に「銃規制」「同性結婚」「移民問題」などを含む政治理念に関するアンケートに答えてもらうと、右寄り(保守)と左寄り(革新)では、嫌悪の認知、感情の制御、注意力、そして記憶力に関する脳活動が大きく異なっていました。
総じて右寄りの人の脳の方がグロ画像に対して強く反応し、特に保守的な傾向にある人は嫌な画像に強い拒絶反応を示しました。右寄りの人と左寄りの人の脳スキャンは、あまりにも違っていたため、基本的にわずか1枚のグロ画像に対する脳の反応を見るだけで、95%の確率でその人の政治的傾向を当てることができたそうです。

例に挙がっているグロ画像は、要するに生理的な不快感を催すものです。生理的不快感というのは誰でも同じようなものと思えますが、実は個人差が大きかったというわけです。

この研究は「グロ画像」を対象にしたものですが、おそらくは「グロい現実」についても同じことがいえるでしょう。つまり右寄りの人は「グロい現実」に強い不快感を覚えるので、拒否し、抹殺しようとするのです。
こう考えれば、右翼、保守派、ネトウヨの思考法がわかります。

たとえばマンガ「はだしのゲン」について、左翼はこのマンガを強く支持し、右翼は強く拒否します。もちろん内容が左翼的だということもありますが、絵と内容のグロさが決定的要因ではないでしょうか。
アウシュビッツなど強制収容所の悲惨さによく言及するのも左翼です。
カンボジアのポル・ポト政権の大量虐殺はきわめて悲惨で、骸骨の山などの写真もあるので、右翼は反共プロパガンダにこれらの写真を利用すればいいはずですが、ほとんど行われていません。自分もグロい写真は見たくないからでしょう。

右翼、保守派がグロいものに拒否反応を示すとすれば、コオロギ食に拒否反応を示すのも当然です。
その拒否反応がきわめて強いので、自分が拒否しているだけではすまず、世の中からコオロギ食を抹殺したくなるものと思われます。

コロナワクチンについても、注射針が体に刺さるのは不快ですし、薬液が体内で抗体を生成するのを想像するのも不快です。かといって、ワクチンを拒否する合理的、科学的な理由がありません。そこで不合理な陰謀論に飛びつくというわけです。

反コオロギ食の人や反ワクチンの人が陰謀論にはまるのは、そういうことで説明できます。


さらにいうと、同性愛傾向のまったくない人は、同性同士がセックスする場面を想像すると不快になるでしょう。
しかし、自分が不快だからといって人の幸せをじゃまするわけにいきません。普通の人はそう考えて、同性婚に賛成します。
ところが、不快感がきわめて強い人は、同性婚が公認されて、身近に同性婚カップルが存在すると思うだけで自分の幸せが脅かされると感じます。
右翼、保守派が同性婚に反対するのはそういう理由があるからでしょう。


グロい現実に強い不快を感じるという性質は、おそらく生まれつきのものでしょう。
そういう性質の人は多様性を嫌います。多様性にはグロいものも含まれるからです。そうしておのずと外国人排斥思想やLGBTQ排斥思想を身につけて、右翼になっていくのかと思われます。

右翼、保守派、ネトウヨは心のキャパシティの小さい人だと思えば、その思考や行動の原理が見えてきます。
心の狭さは生まれ持った性質なので、批判しても直りません。心のケアをして社会に取り込んでいくというインクルーシブ社会を目指すのが正しい方向です。
しかし、自分を正当化して、陰謀論を信じたり非科学的、非合理的な主張をしたりするのは認知のゆがみですから、そこは批判していかなければなりません。

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自民党と統一教会は、昔は反共主義でつながっていましたが、今は家族観でつながっています。

では、自民党の家族観はどういうものかというと、少なくとも自民党保守派においては、要するに家父長制を理想とする家族観です。
家父長制というのは、家長が権力を持って家族を統率する制度とされますが、家庭内に身分制があると考えるとわかりやすいでしょう。夫が妻より上で、男の子が女の子より上で、同じ男の子でも年長者が上というように、まるで軍隊のように上下関係が定められた家族です。
ですから、父親は家の中でふんぞり返って、妻には一方的に命令し、子どもにはげんこつを食らわして、わがままのし放題でした。
実際、昔は今よりもDVが横行していました。

自民党の男たちは今でもそういう家父長制がいいと思っているのですが、「家父長制」という言葉は使わずに、「昔は家族の深い絆があった」というふうに言います。
しかし、だんだんと説得力がなくなってきました。

そこで登場したのが、科学的な装いで家父長制を正当化しようという「親学(おやがく)」です。


親学を創始したのは高橋史朗麗澤大学客員教授です。2001年に「親学会」を発足させました。
高橋氏は、オックスフォード大学のジェフェリー・トーマス学長が「学校でも大学でも教えていないのは、親になる方法だ」と発言したことに触発されたと言っています。
もっとも私は、トマス・ゴードン著『親業』という本に触発されたのではないかと疑っています。
この本が日本で1980年に出版されたときは、「親業(おやぎょう)」という言葉にひじょうなインパクトがありました。
「親業」というのは、子育てに悩む親のためのトレーニング法で、傾聴と受容というカウンセリングの技法を学ぶことで子どもとよいコミュニケーションをとれるようにしようというものです。
親業は親学とは真逆のものなので、混同してはいけません。

2006年には親学推進協会が設立され、2009年には一般財団法人として登記されます。講演会や研修会を通しての親学の普及、親学アドバイザーという資格の認定などの活動を行ってきました。

ところが、改めて親学推進協会のホームページを見ると、協会の解散が告知されていました。今年解散したということです。
告知には「当協会は、一般財団法人に関する法律に定めるところの財団法人維持の為の諸条件を満たすことが叶わず、解散手続きに入らざるを得なくなりました。これは理事会の力不足が招いたことと深く反省しております」とあります。
調べると、「2期連続で純資産の額が300万円未満となった一般財団法人は解散」という法的規定があるので、それが解散事由のようです。
講演活動などの収入のほかに協賛企業からの寄付などもあるはずなので、不可解なことではあります。
ただ、今後のことについては『一般財団法人としては解散を致しますが、新たにNPO法人を設立し、「親学」を推進する予定です』とあります。


親学関連本はいろいろありますが、おそらくもっとも重要なのは2004年出版の『親学のすすめ』(親学会編・高橋史朗監修)と思われるので、この本に基づいて親学について論じたいと思います。

この本は7人の筆者が分担執筆していますが、「まえがき」と最後の第8章、第9章は高橋氏が執筆していて、高橋氏がまとめ役であることがわかります。
高橋氏以外の執筆者の書くことは、子どもの発達の科学的研究についてや、子育てについてのアドバイスなどで、そこにはそんなにおかしなことは書かれていませんし、むしろ共感できることが多々ありました。
おそらくほかの親学関連本にもそうした評価すべき部分はあると思われます。
しかし、親学は高橋氏が中心になって推進する政治運動、社会運動なので、その中にいるとその色がついて見られるでしょう。まともな専門家、学者は親学に関わることを考え直したほうがいいと思われます。

では、高橋氏の思想はどういうものかというと、第8章の冒頭はこうなっています。
現在、「家庭教育はいかにあるべきか」という社会的なコンセンサスが失われており、家庭での教育力が著しく低下しています。
私は家庭教育の話をするときに、「しっかり抱いて、下に降ろして、歩かせろ」と必ず話すのですが、三十代以下の学校の先生も親も、その言葉自体を知らないのが現状です。
日本人には日本人独特の「文化の遺伝子」があり、それが綿々と受け継がれているはずです。その「文化の遺伝子」が現在はうまく継承されておらず、スウィッチ・オフの状態になっていることが子供たちの心の荒廃、アイデンティティーの危機の根因であり、家庭の教育力の低下、家族の機能不全の要因になっているのではないかと思っています。

現在は家庭の教育力が低下している――というのはよく言われることですが、根拠がなく、「昔はよかった」と同じです。
それから、日本人独特の文化について述べていますが、幼児の発達に国や民族の違いはありません。正しい子育ては万国共通のはずです。現にアメリカの『スポック博士の育児書』は日本でもベストセラーになりました。
高橋氏は保守思想の持ち主なので、日本独自の文化にこだわって、むりやり子育てにも持ち込もうとしているのです。

ともかく、高橋氏は自分の思想の正当性を主張したいがために、平気で論理をねじ曲げます。

「桃から生まれた桃子」(神奈川県・市町村女性行政連絡会発行)という話があるそうです。桃太郎の話を男女逆転させて、おじいさんは川へ洗濯に、おばあさんは山へ柴刈りに、という話です。もとの話を知っている子どもたちにこの話をして、感想を求めたところ、「おじいさんはずるい」と書いた子がいたそうです。その子どもになぜずるいと思うのかと聞くと、柴刈りは楽な仕事で、おじいさんはおばあさんに今までたいへんな洗濯ばかりやらせていたからだと答えたそうです。
高橋氏はこのことから「洗濯はいやな仕事で、柴刈りは楽な仕事だと思わせてしまう教育が存在するということが分かります」と書いています。
こうしたジェンダーフリーの教育はけしからんというのが高橋氏の主張です。

しかし、この部分をよく読むと、「おじいさんはずるい」と書いた子は一人だけのようです。
たった一人、ちょっと変わった感想を書いた子がいただけで、それを根拠にジェンダーフリー教育をすべて否定するという論法になっています。

高橋氏は性教育についても同じ論法を使用します。
例えば国立市の小学校一年生の三クラスでは、児童に両性具有の性器について教えましたが、子供は混乱しました。まず基礎を教えて、例外を教えるのが順序のはずですが、一年生がいきなり両性具有と聞いたら、なんのことであるのか分からないはずです。
(中略)いきなり特殊な例を教えるのはなぜかというと、男でもない女でもない人間がいるということを刷り込もうというねらいがあるわけです。男でもない女でもない存在を知らせることによって、男と女という固定的な役割分担意識を解消していこうというねらいです。急進的性教育とジェンダーフリー教育の目的はこの点で一致しているのです。
両性具有の性器について教えたり、性交人形で性交指導をすることが、どのような影響を与えるかを十分に検討することなく、いわば見切り発車してしまっているのです。子供に悪影響が出た場合にいったい誰が責任を取るつもりなのでしょうか。
実際、いくつかの県で小学校六年生の女の子が「性交ごっこ」で妊娠するという事件も起きています。四年生で妊娠したという例もあるのです。性交教育の授業が実践されて、妊娠という事態が起きてしまったのです。

児童に両性具有の性器について教えたといいますが、これも「国立市の小学校一年生の三クラス」だけのことです。
小学生が妊娠したのも数例のようです。それらの例と性教育との因果関係がわかっているのでしょうか。おそらくわかっていないはずです。今は性の情報があふれているので、そちらとの因果関係が否定できません。

高橋氏は自分の主張を押し通すために論理をねじ曲げますが、それだけではありません。「脳科学」を利用します。
高橋氏は「私の問題意識のポイントの一つは、『脳科学』から『親学』をどのようにとらえていくかということです」と書いています。
ところが、脳科学界の定説や最近の趨勢から親学を論じるのではなくて、脳科学者の説の都合のいい部分だけを利用します。

たとえばこんな具合です。

澤口俊之教授は、五百万年のヒト進化の歴史から「父親の役割」を研究すると、家庭の安定化を図り、子供に社会的規範を植え付けることであったと述べています。脳科学によって明らかにされた父親と母親の役割を否定するジェンダーフリーの主張はまったく根拠のないものです。

澤口俊之教授は「ホンマでっか!?TV」によく出演している脳科学者ですが、最近は教育についての本をよく書いていて、『発達障害を予防する子どもの育て方』という本は「発達障害は予防できるのか」と物議をかもしました。
この短い文章からはどうやって「父親の役割」を研究したのかわかりませんが、いずれにしても、一人の脳科学者の説を科学的真実と見なすという論法を使っています。

ほかにも「脳トレ」シリーズで有名な川島隆太教授や、『ゲーム脳の恐怖』という著書のある森昭雄教授の説などが引用されますが、自説の箔づけに使っているという感じです。

しかも、微妙に意味を変えています。とくに「母親」という言葉には注意が必要です。

「脳科学と教育研究」ワーキンググループの小泉英明氏((株)日立製作所)は、平成十四年七月十一日に開催された自民党文部科学専任部会において、「フランスとの共同研究では、胎児が母親のおなかの中で、言葉の学習を始めたり、生後五日以内の新生児も言葉を認識することが分かっている。教育は幼いころから始めることが重要である」と指摘しています。
   ※
ユニセフ(国連児童基金)の二〇〇一年『世界子供白書』には、次のように明記されています。
(中略)
母親が手のひらで隠していた顔を突然のぞかせたとき、強い期待をもって見つめていた赤ちゃんが喜びの声をあげるのを見たことがあるだろうか。この簡単に見える動作が繰り返されるとき、発達中の子どもの脳のなかの数千の細胞が数秒のうちにそれに反応して、大いに劇的に何かが起こる。脳細胞の一部が「興奮」し、細胞同士をつなぐ接合部が強化され、新たな接合が生まれる。
   ※
脳科学の専門家で、日本大学の森昭雄教授の『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)によれば、赤ちゃんの脳発達は母親の接し方によって非常に大きく左右され、三歳ごろまでにニューロン(神経細胞)の樹の枝のように伸びている樹状突起がさまざまなニューロンと連絡するようになり、脳内の神経細胞と神経細胞の接点(シナプス)がこの時期の母親からの刺激によって次から次へと形成されて、脳全体が急激に増殖し、八歳ごろまでに九〇%の成長を遂げるといいます。
胎児と母親の関係は変えるわけにはいきませんが、「いないいないばあ」をするのは母親でも父親でもいいはずですし、赤ちゃんの脳発達も母親と接するのでなければならないということはないはずです。

ところが、高橋氏はこれらのことから「つまり、脳科学の最新の研究成果から『三歳児神話』は決して根拠のない『神話』ではなく、母親による家庭保育の重要性は多くの科学的研究によって証明されているのです」と書きます。
「母親による家庭保育の重要性」と書くと、「父親による家庭保育」は重要でないということになるでしょう。
高橋氏の主張では、父親が母親に代わって子どもの世話をすると、脳の発達が遅れることになりそうです。

家父長制のもとでは、父親と母親の役割や立場は明確に区別されていたので、父性と母性の違いも明確でした。しかし、男女平等になり、父親の育児参加が行われるようになると、父性と母性の区別は無意味になりました。
しかし、高橋氏は家父長制の立場なので、どうしても父性と母性を区別しなければならず、むりやり脳科学に根拠を求めたのです。

家父長制では親と子も上下関係になります。子どもは一方的に親に従うだけです。
そうした考えも高橋氏は書いています。

私は家庭教育、例えば三歳児まではやはり親のしつけが絶対に必要だと思います。つまりそれは他律です。子供の興味関心に従ってしつけをするわけではありません。とりわけ三歳ぐらいまではいわば強制です。この他律や強制ということから家庭教育がスタートして、だんだん自律に導いていくのが教育です。

馬脚を現すとはこのことでしょうか。この考え方はそのまま幼児虐待につながります。
親学は子どもをたいせつにするものでもなんでもなく、おとなが勝手な主張を並べ立てるだけのものだったのです。
親学の運動に参加している人の多くは子どものためという気持ちがあるでしょうが、親学の内実はそうではないということを知らねばなりません。

親学といえば、「発達障害は予防できる」という主張で炎上したことがあります。脳科学を都合よく利用してきた報いです。

一方で、高橋氏は宗教も利用しています。
「神さまが男と女を創ったということは、『男』であること、『女』であることを含み込んだ個性に意味があるからなのです」などと書いています。
また、人間は膨大な数の遺伝子の調和によって生きており、その背後には人知を超えた「サムシング・グレート」があるとも言っています。「サムシング・グレート」というのは、アメリカの保守派が神の代わりに持ち出す「インテリジェント・デザイン」みたいなものです。

自民党の保守派、アメリカの保守派、統一教会、親学――みな家父長制、宗教、非科学でつながっています。

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ジャーナリストの伊藤詩織氏が杉田水脈総務政務官を名誉毀損で訴えた裁判の控訴審で、東京高裁は杉田氏に55万円の支払いを命じる判決を下し、伊藤氏の逆転勝訴となりました。
ツイッター上で伊藤氏を誹謗中傷する投稿に杉田氏が「いいね」を25回にわたって押していたことが名誉棄損に当たるかどうかが争点でした。
この判決については、「いいね」だけで名誉棄損になるのかという声とともに、安倍元首相が亡くなると裁判所も忖度をやめるのかという声が上がっていました。

ともかく、杉田氏は伊藤氏に対して同じ女性でありながらセカンドレイプみたいなことをしていたわけです。
杉田氏はこれだけではなく、女性とは思えない発言を再三しています。

2020年9月、杉田氏は自民党の会合で、女性への暴力や性犯罪に関して「女性はいくらでも嘘をつけますから」と発言しました。
自身が女性なのですから、なんともおかしな発言です。

2014年には衆院本会議での質問で「男女平等は、絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したこともあります。
男女平等を否定するとは、男尊女卑思想なのでしょう。

女性の発言としてはありえないものですが、こうした発言を歓迎する男は少なくありません。
とりわけ自民党は父権主義的、家父長的な政党ですから、党内の出世に有利に働くはずです。
現に杉田氏は、最初は日本維新の会の衆議院議員だったのですが、落選したあと安倍元首相の引きで自民党に入り、岸田内閣においては総務政務官に就任しました。

高市早苗経済安全保障担当大臣は、夫婦別姓反対、女性天皇反対を表明し、やはり自民党の父権主義的、家父長的価値観に合わせています。
そのおかげかどうか、高市氏は政調会長を二度、内閣府特命担当大臣、総務大臣などを歴任してきました。

自民党の女性議員の一見不合理な主張は、自民党内の力学を考えると、合理的なものと見なせます。


タレントのフィフィさんはツイッターなどで典型的な保守派の主張を発信していますが、夫婦別姓については賛成であるようで、男と女の問題については常識的な人なのかと思っていました。
しかし、次のツイートは妙に女性にきびしいようです。

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愚痴を言う主婦にきびしいことを言っていますが、この場合の主婦は専業主婦のことです。
この前に次のツイートがあって、それでわかります。

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最初に「専業主婦の労働を時給にすると1,500円」というツイートにかみついて、それに対して専業主婦叩きではないかと批判されて、その反論をしたという流れです。
いずれにしても「愚痴を言う専業主婦」を攻撃しています。

フィフィさんはタレント及び保守派文化人としてやりがいのある仕事をしています。
愚痴を言う専業主婦なんか相手にする必要はないし、むしろ同情してもいいくらいです。
保守思想は「男は仕事、女は家事」という家族をたいせつにするので、専業主婦叩きは保守思想とも矛盾します。
フィフィさんの頭の中はどうなっているのでしょうか。


ウィキペディアによると、フィフィさんは2001年に日本人男性と結婚し、2005年に男児を出産したということです。
つまり自分は主婦業と仕事の両方をやってきたのに、主婦業だけの女性が愚痴を言うのはけしからんということでしょう。
これは感情としては理解できます。自分が苦労してきたのだから、他人や次の世代も同じ苦労をするのは当然だという理屈です。
姑の「嫁いびり」がこの心理です。
学校の運動部で不合理な練習のやり方がずっと継承されていくのも同じです。

しかし、心理としてありがちだとしても、「自分が苦労したから他人や次の世代も同じ苦労をするべきだ」という考え方では世の中が進歩しません。明らかに間違った考えです。
とりわけ世の中に向かって発信してはいけません。


フィフィさんはどうして間違った発信をしたのでしょうか。

フィフィさんは腹を立てる相手を間違えたのです。
フィフィさんは「家事も育児も独りでやって、さらに外で働いている私」とか「私はワンオペで家事育児と仕事をしている“主婦”」と書いています。
つまり夫は家事育児をまったく手伝っていないのです。
夫婦共働きで夫が家事育児をまったくしないというのは、どう考えても不当です。フィフィさんは夫に不当な扱いをされてきたのです。
フィフィさんは夫に怒りを爆発させて当然です。

ところが、「私の役目としてやっているので」と書いているので、フィフィさんは不当とは思っていないわけです。
しかし、不当な扱いに対する怒りは蓄積されてきました。
その行き場のない怒りが「愚痴を言う専業主婦」に向かったのです。
攻撃されたほうはいい迷惑です。


なぜフィフィさんは「ワンオペの家事育児」を「私の役目としてやっている」と思うのかといえば、フィフィさんの拠りどころである保守思想がそういうものだからです。
「男は仕事、女は家事」という家庭が保守派の理想です。フィフィさんは外で働いているので理想から外れました。その償いをするためにも必死で「女は家事」という役目を果たしてきたのでしょう。
しかし、心の底では納得していませんでした。


フィフィさんは自分の心の底にある怒りを自覚して、ワンオペで家事育児をやってきたことに対する不満を夫に対して主張するべきです。
そうして新しい夫婦関係、家族関係を追求することで、また新しい言論活動が展開できます。
それはフェミニズムと言われることになるでしょうが。

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統一教会の活動の特徴のひとつは「正体を隠す」ことです。

自分は信者だと言わないし、所属する団体名も言わないで相手に接近し、セミナーに誘ったり集会に呼んだりして人間関係をつくってから、信者に勧誘します(こうしたやり方は「信教の自由」を侵害しているという判例もあります)。
いったん信者になると、マインドコントロールされてなかなか抜けられなくなり、多額の献金をしたり、詐欺的な活動に従事させられたりします。

統一教会が政治家に接近するときも「正体を隠す」ということをしているようです。
統一教会の人間がボランティアとして選挙運動の手伝いをしたいといって政治家の事務所に出入りし、さらには政治家の秘書になるという手口です。
もっとも、政治家事務所の人間が統一教会の人間を見抜けないわけがなく、「選挙活動に統一教会の人間が関わっていたかどうかわからない」などと言う政治家は信用できません。


それからもうひとつ、「教義を隠す」ということもあります。

統一教会は韓国人の文鮮明が創始したものなので、その教義はまったく韓国本位のものです。
教義によれば、韓国はアダム国で、日本はエバ国です。韓国がアダム国である理由は、神に選ばれた民族の国であり、メシア(文鮮明)の生まれた国であるからで、日本がエバ国である理由は、韓国を植民地にして人々を苦しめたからです。日本はまた、サタンの国でもあります。日本は罪をつぐなうために韓国と世界の統一教会に対してすべてを捧げなければならないとされます。
文鮮明は「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分にひれ伏させること」などとも発言しています。

あからさまな反日教義です。布教のときにこれが隠されたのは当然です。
ただ、マスコミが報道してこなかったのは不思議です。霊感商法や合同結婚式がワイドショーで騒がれたときも、こうしたことは報道されませんでした。

ですから、反日教義のことを知らない政治家もいるでしょう。
そういう政治家が「統一教会が今も被害者を生むようなことをしているとは知らなかったので、統一教会と関係を持つのが悪いこととは思わなかった」と言い訳するのはわからないでもありません。

問題は、安倍晋三元首相や萩生田光一政調会長のように統一教会と深く関わってきた政治家が反日教義のことを知っていたのかどうかです。
反日教義を知りながら統一教会とつきあっていたとすれば、売国政治家と言われてもしかたありません。

ただ、いつ知ったのかという問題はあります。
最初は知らないでつきあって、ズブズブの関係になってから知って、そのときにはもう抜けられなくなっていた――とすれば、多少同情できなくもありません。


ところが、統一教会の反日教義は決して隠されていたわけではありませんでした。
1978年に共産党議員が国会で取り上げていました。

安倍元首相が賛意を示した旧統一教会の「仰天教義」保守系支持者らはなぜダンマリ?
「私たちの友好団体が主催する行事に安倍元首相がメッセージなどを送られたことはございます。(統一教会教祖の)ハン・ハクチャ総裁が主導されている世界平和運動に対して、賛意を表明してくださっていた」

 安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、11日に都内で会見を開いた「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)・日本教会会長の田中富広氏。殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41)の母親が教会員だと明らかにした上で、安倍元首相と旧統一教会の間につながりがあったことも認めた。

 安倍氏が教祖に「賛意」まで表明していた統一教会の教義とは一体、どういうものなのか。

 1978年6月1日の衆院地方行政委員会で、共産党議員が教義である「原理講論」や関連書籍など読み上げている。内容はこうだ。

「韓国語の原本によりますと(略)こういうことが書いてあるのです。有史以来、全世界にわたって発達してきた宗教と科学、即ち、精神文明と物質文明とは韓国を中心として、みな一つの真理のもとに吸収融合され、神が望まれる理想世界のものとして結実しなければならないのである(略)人類の父母となられたイエスが韓国に再臨されることが事実であるならば、その方は間違いなく韓国語を使われるであろうから、韓国語はまさに祖国語となるであろう。したがってすべての民族はこの祖国語を使用せざるをえなくなるであろう。こう言っているのです」
「男性韓国が、真理の国ということができるとすれば、女性日本は産業の国といえるのではなかろうか。深遠な真理をもって語りかけてくる男性に、女性は何をもって返答をするであろうか。婚姻の約束が成った後は、仲人を立て、調度品を将来の夫のもとに納める習いがあるではないか。日本は、二十年間の驚異的な産業の発展を有している。この産業・経済を男性韓国へ結納として収める歴史的必然性がある」
(後略)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308325

このように国会でも議論されていたのですから、安倍元首相らが知らないはずはありません。
ということは、自民党と統一教会は祖父の岸信介の代からズブズブの関係で、安倍元首相らはそれを引き継いだのでしょう。


では、統一教会を日本に呼び込んだ岸信介は、そのときから統一教会の教義を知っていたのでしょうか。
統一教会が日本で宗教法人として認定されたのが1964年で、国際勝共連合が設立されたのが1968年です。
岸信介は統一教会の反共主義を利用したのだと言われます。
日本の右翼勢力は、神道系はありますが、キリスト教系はほとんどなく、統一教会は未開地に広がることができました。
それに既成右翼は過激なので、大衆運動ができません。左翼に対抗できる大衆運動ができるのは勝共連合だけでした。
ちなみに新安保法制が国会で議論されているころ、左派系の学生団体SEALDsが注目されましたが、それに対抗して結成されたUNITEは勝共連合の学生がつくったものです。

岸信介は統一教会を日本に引き入れる以上、公安からも情報を得ていたでしょうから、反日教義についても知っていた可能性があります。

既成右翼は自民党の言う通りには動いてくれませんが、統一教会や勝共連合は自民党の言う通りに動いてくれて、選挙運動もしてくれます。自民党にとってこれほどありがたい存在はありません。
そして、統一教会としては行き過ぎた布教活動や霊感商法などをしても警察は見逃してくれるという利益を得ました。
お互いに利益のある関係が築けて、そこにおいては反日教義のことなどどうでもいいことになりました。


その結果、日本の政界の真ん中に反日教義を持つ韓国系のカルト教団が居座ってしまったのです。

政界だけではありません。右翼論壇の中にも統一教会や勝共連合は重きをなしました。
そのため、統一教会の反日教義が明らかになった今でも、右翼論壇やネトウヨから統一教会を批判する声はまったく上がりません。


ここでもう一度、岸信介の時代に戻ると、「反共」という大義名分はあったにしても、反日教義を持つ外国の宗教団体と手を結ぶというのは、右翼や愛国者としてはもちろん、日本の政治家としてあってはならないことでした。
その結果、霊感商法や合同結婚式や高額献金の問題が起こりました。これらはみな反日教義が具現化して、日本人が韓国人に収奪されたものです。
そして、反日教義を持つ宗教団体とつながっていたことを理由に安倍元首相が日本人に銃撃されました。

やはり外国勢力は日本の政界から排除しなければなりません。

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