村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

カテゴリ: 「明日、ママがいない」問題

日本テレビはドラマ「明日、ママがいない」について、ドラマの内容に抗議していた全国児童養護施設協議会に対して、後半のドラマ内容を改善すると伝えました。改善の内容は2月4日までに文書で回答するということです。
“改善”というのは、毒にも薬にもならない方向に変えるに決まっています。それでは確実に感動がそがれてしまいます。
 
こんなことでドラマが変えられてしまうとすれば、今後ドラマに限らず映画、小説なども自由につくれないということになりかねません。日本テレビの対応は残念ですし、全国児童養護施設協議会に同調して日本テレビを批判している人たちも残念です。
 
親に捨てられたり虐待されたりした子どもたちが、児童養護施設を舞台に、互いに助け合って、幸せになるために奮闘するというドラマが「明日、ママがいない」です。施設の子どもが主人公のドラマを施設のおとなたちがつぶそうとしているのが今回の騒動の本質です。
 
施設がその施設の子どもの味方かというと、そうとは限らないというのが現実です。これは学校がそこの生徒の味方とは限らないのといっしょです。
イジメ事件や体罰事件が起こるたびに、学校(教師)や教育委員会が隠蔽や責任逃れをしてきたことは誰もが知っているはずです。児童養護施設は例外だと思っている人がいれば、それはよほどおめでたい人です。
 
施設の側に立つか、施設の子どもの側に立つか、それによって判断はまったく変わってきます。
そして、マスコミは明らかに施設の側に立っています。
もちろん例外もあります。たまたま今日届いた「選択」1月号の「マスコミ業界ばなし」は、慈恵病院がBPOの放送人権委員会に審査を求めたことについて、フィクションであるドラマが審査に持ち込まれることは異例だと指摘したあと、こう書いています。
 
一方でこんな声もある。「養護施設の職員による児童への虐待や性暴力は枚挙に暇がない。現実はドラマよりも奇なり、だ」(教育関係者)。「施設をタブーにすることで、自分たちへの今後の批判を封じる狙いもみえる」(施設元理事長)。さらには「朝日や毎日は、この件が表現の自由に対する重大な挑戦だという認識がないのか」(新聞OB)との疑問も。人権栄えて国滅ぶ。新聞が、暗い時代へ逆戻りさせようとしている。
 
この文章が問題の構図を的確に捉えています。
ただ、「人権栄えて国滅ぶ」というくだりは違うと思います。逆に人権に対する無知が問題を引き起こしているというべきです。
 
日本も批准している子どもの権利条約は、子どもを「権利の主体」ととらえるもので、「子どもの意見表明権」も規定しています。
ところが、慈恵病院、全国児童養護施設協議会、全国里親会は「子どもの意見表明権」をまったく無視して、自分たちが子どもの代弁者として行動しています。
たとえば全国児童養護施設協議会の次のマスコミ発表は、まったく子どもを無視したものです。
 
「明日ママ」つらい思い15件、日テレ、協議会と面会へ
 児童養護施設を舞台にした日本テレビ系ドラマ「明日、ママがいない」をめぐり、全国児童養護施設協議会は29日、「同級生から(主人公のあだ名で、赤ちゃんポストを意味する)ポストと呼ばれるなど、ドラマのために子どもがつらい思いをした事例が15件ある」と公表した。
 
 協議会は同日、ドラマの内容改善を求める2度目の抗議文を日テレに送付。同局は「30日に番組責任者が直接お目にかかり、誠意を持ってお話をさせていただく」などとコメントを発表した。
 
 協議会は初回放送後の17日から、全国の施設長ら役員67人に対し、ドラマの影響や子どもたちの感想を報告するよう求めている。27日までに109件が寄せられ、このうち施設の女の子が同級生に「ポスト」と何度も呼ばれたケースや、同級生の男子グループから「おまえもどこかにもらわれるんだろ」などとからかわれたケースなど、子どもがつらい思いをした事例が15件あったという。
 
 残り94件は、「気にならない」「あり得ない設定」「面白いけど、ちょっと嫌な気持ちがした」といった感想や、ドラマが原因と明確に判断できないケースなどとしている。
 
 協議会は15件のうちの1件として、第2話の放送後に自傷行為をし、病院で治療を受けた子どもがいることも明かした。同協議会の武藤素明副会長は「子どもは最近、落ち着いていた。職員が視聴を止めなかったのは、大勢の子どもがテレビを見ている中、1人だけ制限するのが難しかったためだ」と話している。
 
 日テレに抗議している熊本市の慈恵病院は29日、170件の賛同や非難の声が病院に寄せられ、誤解にもとづく批判もあったとして、「改めて考えを知っていただきたい」と見解をホームページで公表した。
 
この記事を漫然と読むと、全国児童養護施設協議会が広範囲にアンケート調査を実施したと思うかもしれません。しかし、実際は、役員67人に子どもたちの感想を報告させたものです。つまり、子どもたちの感想そのものが客観的に提示されているわけではありません。こういうところに「子どもの意見表明権」をないがしろにしていることが表れています。
また、児童養護施設は全国に600近くあるということで、67人の役員がカバーできるのはその一部ですし、しかも役員という立場から組織防衛というバイアスがかかっていることは十分に考えられます。
このようないい加減な調査をもとにテレビ局に要望を突きつけるのはまともなこととは思えません。
 
また、協議会はこのようなこともいっています。
 
 協議会は20日に抗議書を送付したが、22日の第2回放送でも子どもをペットと同列に扱い、恐怖心で子どもを支配するなどの表現が多く見られたと指摘。抗議書では「子どもたちを苦しめる事例が報告されている。人権に配慮した番組内容に改善するよう要請する」とし、2月4日までに文書で回答するよう求める。
 
これは「魔王」というあだ名の施設長の言動を指しているものと思われます。
たとえば第2話では、「魔王」が「パチ」という小さな男の子に「お前はかわいいトイプードルだ。ほれ、お手でもしてみろ」といいます。
その「魔王」を「ポスト」(芦田愛菜ちゃん)がにらみつけると、「魔王」は「ポスト」に対して、「なんだ、その目つきは。母犬にでもなったつもりか」といいます。
「魔王」はそうした会話の途中で、持っている杖で床を突いて音を立て、子どもたちを脅したりもします。
 
こうした場面は確かに、「子どもをペットと同列に扱い、恐怖心で子どもを支配するなどの表現」と指摘できるところです。ところが子どもたちは、それに屈することなく、互いに助け合って生きていくわけで、そういう子どもたちの姿を描くのがこのドラマの主眼です。
施設の子どもたちはきびしい現実を生きています。「魔王」という施設長はそのきびしい現実の象徴でもあります。主人公はそうしたきびしさを乗り越えていくからこそドラマになるのです。
 
それに、「魔王」は単純に悪い男ではありません。「パチ」はシャンプーボトルをつねに肌身離さず持っています。それは実の母の匂いがする唯一の思い出の品なのです。しかし、「パチ」は里親候補の家に行ったとき、そこの母親にシャンプーボトルをむりやり捨てられてしまい、傷ついて施設に戻ってきます。しかし、「魔王」はこっそりとゴミ置き場からシャンプーボトルを拾ってきていたのです。
「魔王」はいったいどのような人間なのかということも、連続ドラマのおもしろさになっています。
 
協議会の人たちは「魔王」をただの「恐怖心で子どもを支配する」人間にしか見えないのでしょうか。ドラマを理解する能力もなしにテレビ局に抗議するとは笑止千万です。
 
協議会の人たちは、施設長や職員はみな子どもをたいせつにし、子どもたちはその愛情をいっぱいに受けて、毎日笑顔ですくすくと育っていますというような、社会主義国のプロパガンダみたいなドラマを望んでいるのでしょうか。
 
ともかく、こんないい加減な抗議を受け入れていたらそのうち、トウシューズに画鋲が入っていたという場面は子どもが傷つくのでやめてほしいと、子どもバレエ教室から抗議されて受け入れるハメになるかもしれません。
 
今回、「明日、ママがいない」というドラマを巡って、なぜこんなバカバカしい展開になっているかというと、全国児童養護施設協議会もマスコミも一般の人も、子どもの権利条約でも認められた「権利の主体としての子ども」ということを理解していないからです。
とりわけマスコミは、子どもの人権を尊重するのか、全国児童養護施設協議会の言い分を尊重するのか、判断する力を持たねばなりません。

日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」の第3話が1月29日に放映されましたが、番組提供のスポンサー8社はすべてCMを自粛したということです(番組提供ではないのか、数社のCMは見られました)。最後まで放映されるか危ぶまれますし、あだ名で呼ぶシーンを少なくするなど、ドラマの内容が変更されるという話もあります。
これはまさに表現の自由の侵害であり、知る権利の侵害です。特定秘密保護法に反対した人たちがここで黙っているとすれば、おかしな話です。
 
それにしても、児童養護施設側の手口は悪質というしかありません。
 
「明日ママ」見て女児が自傷行為か
 全国児童養護施設協議会は29日、日本テレビの連続ドラマ「明日、ママがいない」の放送を見た児童が不安を訴えるなど実際に悪影響が出ているとして、新たな抗議書を日テレに送った。
 
 協議会によると、放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けたり、別の児童がクラスメートから「どこかにもらわれるんだろ」とからかわれたりした。
 
 協議会は20日に抗議書を送付したが、22日の第2回放送でも子どもをペットと同列に扱い、恐怖心で子どもを支配するなどの表現が多く見られたと指摘。抗議書では「子どもたちを苦しめる事例が報告されている。人権に配慮した番組内容に改善するよう要請する」とし、2月4日までに文書で回答するよう求める。
 
 
これを読むと、女子児童が自傷行為をしたのはドラマを見たからだといわんばかりですが、施設の人間がほんとうにそんな決めつけをしていたら、その人間は児童の心理がわかっていないといわざるをえません。
 
そもそも児童養護施設がそこにいる児童の代弁者や代理人のようにふるまうことが根本的に間違っています。
これは老人ホームがそこにいる老人の代弁者や代理人になれるかを考えてみればわかるでしょう。
 
老人ホームでは、しばしば高齢者虐待が発覚して問題になります。虐待はしないまでも、十分なサービスや介護がなされていない施設はいっぱいあります。
有料老人ホームの場合は、入所者やその家族はさまざまな施設を見比べて、いいと判断したところに入所するわけですが、それでもサービスが悪いとか、職員の態度が悪いとか、虐待があるなどの問題が出てきます。
児童養護施設の場合は、実質的に子どもは選べないわけですから、もっと問題があっておかしくありません。発覚しない虐待はいっぱいあるはずです(普通の家庭にもあるわけですから)
 
そういうことを考えれば、児童養護施設は子どもの代弁をする資格がないどころか、むしろ子どもと利益相反関係にあるとさえいえるでしょう。
つまり、児童養護施設にとって都合のよい子どもは、虐待や手抜きのケアでも文句をいわない子どもです。
子どもが主体性を持って意見を表明するようになると施設は困るでしょう。
 
そういうことを考えると、児童養護施設協議会が「明日、ママがいない」の番組つぶしを狙うのは、ある意味合理的な行動でもあります。
というのは、「明日、ママがいない」は、子どもが主人公で、子ども目線から子どもやおとなを描くドラマだからです。
 
子ども目線からおとなを見るとどうなるでしょう。当然、「よいおとな」と「悪いおとな」がいます。そして、「よい施設」と「悪い施設」も見えるでしょう(このドラマにはひとつの施設しか出てきませんが、施設の子が見ると比べることができます)
 
今回の第3話には、「魔王」というあだ名の三上博史扮する施設長が子どもに対して「出ていけ!」とどなります。児童養護施設協議会はそんなことはありえないというのかもしれませんが、絶対にないとはいえません。いや、感情に任せて「出ていけ!」とどなってしまうのは、むしろ十分にありそうなことです。
理想的な施設しかドラマに登場させてはいけないとなれば、まともなドラマはつくれません。
 
日本では精神病院の出てくるドラマや映画はめったにありません。外国では、「カッコーの巣の上で」みたいな社会派映画だけでなく、精神病院を舞台にしたB級ホラーもいっぱいあります。
このままでは日本では児童養護施設を舞台にしたドラマや映画はつくれないということになってしまいます。
 
ともかく、施設と子どもは利益相反関係にあるということを認識しないと、この「明日、ママがいない」というドラマを巡る問題を正しく理解することができません。
ほんとうは施設の子どもの意見がどんどん出てくるといいのですが、今の世の中はそういうふうになっていません。
ただ、施設出身者の意見は出てくるので、こうした記事もあります。
 
『明日、ママがいない』 施設出身者から劇中の子供に共感も
 ドラマ『明日、ママがいない』(日本テレビ系)は児童養護施設を舞台に、子供目線で描かれているが、初回放送時から存続が危ぶまれるほどの賛否が巻き起こっている。
 
 熊本市の慈恵病院の蓮田太二院長は「養護施設の子供や職員への誤解、偏見を与え、人権侵害だ」と厳しく批判した。
 
 児童養護施設の出身者に取材すると、実際の施設とはほとんど異なる設定だとの声が多数上がる一方で、施設出身者たちの間では劇中の子供たちの目線には共感できるという意見は少なくない。
 
<実際と違うところがあるけれど、里親のことをママと呼べないのは、本当のことです。他にもお金持ちのところへひきとってもらいたいのも本当です>
 
<ドラマに出てくる子役達の演技を見て共感できる部分があって昔の自分と重なって見えました。本当に感動しました>
 
 同ドラマのホームページには施設出身者という視聴者からこんな書き込みが寄せられているが、その点に関して、名古屋市内の児童養護施設に勤務した経験を持ち、現在は、教員や施設職員、地域ボランティアと連携し、障がい児や児童養護施設・里親・ファミリーホームなどの支援を行うNPO法人「こどもサポートネットあいち」の理事長・長谷川眞人さんは言う。
 
「施設で育った子供たちの感想は、私と違ってドラマに出てくる子供たちに賛同していました。自分たちも入所した当時、施設の職員に気を使ったり、顔色をうかがったりしたことがあるから、理解できるそうです」
 
 施設出身者や里子など社会的養護の当事者が、互いに支え合い、当事者の声を発信する『日向ぼっこ』の代表理事を務める渡井隆行さんも、施設での生活をこう振り返った。
 
「施設での生活は慣れない間は怖かったですよ。何も理解できないまま“ここで暮らすんだよ”と言われるままに連れて行かれましたから。ドラマでの“新人”真希と同じで、DVの環境の中で育ってきたあの子は、その環境が当たり前で、お母さんが好きだから帰りたいと思って、まさに同じ気持ちでした。
 
 あとドラマでも描かれていましたが、子供ってすごい大人を見ていて、職員のことも品定めしてるんですよ。この人は信用できるのかって。例えば、短大卒の20才の人が職員で入ってきたら、“子育て経験も一人暮らしの経験もないのに、何をぼくたちに教えてくれるのかな?”って。親と離れて暮らしてきたぼくたちは今も昔も生きるのに必死なんですよ」
 
※女性セブン201426日号
 
 
日本テレビは全国児童養護施設協議会がこのように強硬に番組つぶしに出てくるのは誤算だったでしょうが、理不尽な圧力に屈せずに筋を貫いてほしいと思います。

日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」が施設の子どもへの偏見や差別を生むとして抗議の声が上がり、放送を中止するべきか否かが議論になっています。
 
このドラマは脚本監修が野島伸司、脚本が松田沙也です。私が野島伸司という名前で思い出すのは「家なき子」です。大ヒットドラマだったので、私は数回見たことがありますが、そのとき、現代にこんなことはありえないと思いました。安達祐実さん演じる小学生の主人公は、公園だか空き地だかに置かれた土管の中で寝泊りをしているのですが、戦前や終戦直後ならありえても、今の時代なら福祉の網に引っかかるはずです。
今回は児童養護施設を舞台にしたドラマだというので、また福祉制度について時代錯誤の設定になっているのではないかと想像しました。
 
しかし、ドラマを見ないことにはなにもいえません。そうしたところ、火曜日深夜に第1話の再放送があったので録画し、水曜日に放映された第2話と続けて見ることができました。
というわけで、このドラマが放送中止しなければならないほど問題があるのかどうか、自分なりに判断したことを書いてみます。
 
ことの発端は、熊本市の慈恵病院が開いた記者会見でした。
 
 
ドラマ「赤ちゃんポスト」でBPOに申し立て
122 2149
 
日本テレビ系列で放送されているドラマの中で、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられていた子どもを「ポスト」と呼ぶなどの内容が、児童養護施設で暮らす子どもたちを傷つけるおそれがあるとして、熊本市の病院がBPO=放送倫理・番組向上機構に、こうした表現をやめるよう求める審議の申し立てを行いました。
 
日本テレビ系列で放送されている「明日、ママがいない」というドラマでは、主人公の女の子が、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられていたことを理由に、「ポスト」というあだ名で呼ばれています。
熊本市で「赤ちゃんポスト」を運用する慈恵病院は、こうした内容やドラマでの施設の職員の対応が、児童養護施設の子どもや職員などを傷つけるおそれがあるとして、BPO=放送倫理・番組向上機構の放送人権委員会に、こうした表現をやめるよう求める審議の申し立てを行いました。
慈恵病院の蓮田健産婦人科部長は記者会見し、「ドラマの内容はフィクションであったとしても子どもを傷つける可能性があり、改めてほしい」と述べました。
一方、日本テレビは、「当社としてコメントする段階ではないと考えております」とするコメントを出しました。
 
 
第1話の前半に、グループホーム「コガモの家」というのが出てきます。ここが物語の舞台ですが、昔風の孤児院のイメージというのでしょうか。モグリというか、無認可の施設の雰囲気が漂っています。
 
しかし、ウィキペディアの「児童養護施設」の項目を見ると、こういう記述がありました。
 
グループホーム(地域小規模児童養護施設)
2000年から制度化されたもので、原則として定員6名である。本体の児童養護施設とは別の場所に、既存の住宅等を活用して行う。大舎制の施設では得ることの出来ない生活技術を身につけることができ、また家庭的な雰囲気における生活体験や地域社会との密接な関わりなど豊かな生活体験を営むことができる。2009年度は全国で190箇所(1施設で複数設置を含む)
 
ですから、グループホーム「コガモの家」の設定はそんなにおかしくないようです。
 
ただ、施設長(三上博史)が杖をついて足を引きずって歩く不気味な雰囲気の男で、いきなり子どもの頭をバシッとたたいたり、「お前たちはペットショップの犬と同じだ」などと暴言を吐いたりします。また、子どもに水の入ったバケツを持って立たせるという体罰もします。このあたりが施設関係者の神経を逆なでしたものと思われます。
 
しかし、こういうことはあってはいけないことですが、現実にあることは十分に考えられます。かつて船橋市の児童養護施設「恩寵園」でひどい虐待が行われ、社会問題になったことがあります。立派な施設ばかりとは限りません。
 
「ポスト」というあだ名の子が芦田愛菜ちゃんです。天才的な演技で、びっくりします。
私は「ポスト」というあだ名をつけられてイジメられる役回りかと想像していたら、ぜんぜん違いました。芦田愛菜ちゃんは赤ちゃんポストに捨てられていた子ですが、そのとき1枚の紙切れが入っていて、そこに名前が書いてありました。しかし、愛菜ちゃんは「私は名前を捨てた。親からもらった名前はもういらない」といいます。
つまり「ポスト」というあだ名は、人につけられたものではなく、みずから名乗っているか、少なくとも自分で受け入れているのです。
 
それに、愛菜ちゃんは孤児たちのリーダー的存在ですし、きわめてタフです。つまり、まったくイジメられる存在ではありません。
 
愛菜ちゃんは新しく施設に入ってきた子に、こんな印象的なセリフをいいます。
「1月18日、あんたがママに捨てられた日だ。違う。今日、あんたが親を捨てた日にするんだ」
 
芦田愛菜ちゃんという人気子役が赤ちゃんポストに捨てられた子どもを演じるというのは、むしろ赤ちゃんポストへの偏見をなくすのに大きな力となると思います。
 
私の見るところ、このドラマは少しリアリティが欠けますが、孤児のことを子ども目線で描いている点で高く評価できます。
 
ところが、子どもを子ども目線で描くということが、多くの大人の神経を逆なでします。
 
 
【明日、ママがいない】全国の児童養護施設と里親会が日テレに抗議「人間は犬ではない」
日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」の内容が「子供の人権侵害だ」として、全国児童養護施設協議会が121日、脚本の変更などを求めて、121日に都内で会見を開いた。前日に日本テレビに抗議文を提出したという。同協議会には、国内の約600の児童養護施設が加盟している。
 
同会の藤野興一会長は「子供の人権を守る砦としたいと思っているときに、真っ向から水をかけるドラマ」と話して放送内容の修正を求めた。同じく抗議した全国里親会・星野崇会長も同席し「人間は犬ではありません」と訴えた。「明日、ママがいない」については熊本市の慈恵病院が16日に放送中止を求めている。ニコニコ生放送によると、2人の会見での発言要旨は以下の通り。
 
■自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!
(全国児童養護施設協議会・藤野興一会長)
児童擁護施設の子供たちは今、虐待を受けていたり、さまざまな事情を抱えています。「本当によくぞ、ここまでたどり着いたなあ」という3万人の子供たちが生活しております。そういう中で、このドラマがいかにフィクションであるとはいえ「お前らペットだ」とか「犬だってお手くらいするわな、泣いてみい」とか、物扱いをされている強烈な場面がある。施設長や職員が、暴力や暴言で子供たちの恐怖心を煽るシーンがあります。僕の施設の子供たちも、高校生は見ていたみたいで、腹が立つと言っていました。女の子は「見るのがしんどい」と言ってました。
 
大人はともかく当事者の子供は、本当にこたえますよ。「自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!」という思いをしております。私たちはドラマの舞台と思われる地域小規模児童養護施設……。これは定員を6名として、地域でより家庭に近い生活をするということで、一生懸命、そういうものを増やそうとしております。
 
確かに施設は、制度的にも立ち後れて、取り残されています。非常にしんどい状況にあります。そんな中で、子供たちも職員も必死で生きている。非常に大きな影響力がある芦田愛菜さんを主演とするドラマに対して、マスコミ関係の皆さんに是非、本当の施設の姿を知っていただいきたい。
 
今、まさに政府がやっと四十数年ぶりに動こうとしているときです。そのときに、この舞台となっている小規模児童擁護施設。これを「子供の人権を守る砦」としたいと思っているときに、真っ向から水をかけるドラマだと思っています。正しい姿を。マスコミの方々には特に子ども達への理解を賜って、子供たちの正しい姿を伝えていただき、マスコミの社会的正義を貫いていただきたいと思っております。
 
■「里親として表を歩けなくなりそうだ」という声もある
(全国里親会・星野崇会長)
「明日、ママがいない」については里親仲間でも話題になっています。今の日本の児童福祉制度が、里親ももちろん一生懸命努力しているところなんですね。いろいろな問題点があります。場合によっては法改正なども求める活動をしておりますが、このドラマはそういう私たちの努力に水を差すものと考えざるを得ません。
 
人間は犬ではありません。小動物と一緒くたにするということを、子供に教えちゃいけないんですね。ところが、このドラマは率先して、それを行っている。私ははっきり言って、主演した芦田愛菜ちゃんが、かわいそうですね。彼女は9歳半にして、こういう思想を植え付けられてしまっているんですね。これがどんどん広まってしまうと、メディアそのものが人間の尊厳を無視するようになる。激しい憤りを感じております。
 
差別的な発言があまりにも多すぎる。「これでもか」「これでもか」と出てきますが、今でさえ施設の職員や里親は周りの偏見に耐えて生きているわけですね。しばしば、それがトラブルになることもありますが、今回のドラマが放送されたことで差別的な発言が一層広がるんじゃないかと懸念しています。
 
子供にとっては大問題です。すでに子供も大人も傷ついております。放映によって、「こういうのをやってくれ」という里親仲間にはあります。しかし、「やめてくれ」という声が多い。「里親として表を歩けなくなりそうだ」という声まであります。小さい子供がドラマを見た場合には、恐ろしい結果になる場合はある。要保護児童たちは親元から離れたということで、相当大きな傷がついているんですね。そうした傷を思い出して、フラッシュバックを起こす可能性が十分にあるんです。そこまで日本テレビはちゃんと十分に準備しているんでしょうね?ということを言いたいです。
 
基本的には放映中止にしていただきたいんですが、放映中止にするといろいろ問題も起きるかもしれません。少なくとも言葉の使い方に関しては、差別的な発言や暴言をやめてほしい。もう一度、脚本家も交えて検討し直してほしいと思います。
 
過去に実際にあだ名が元で子供が自殺をはかった事例がありますので、それと同じようなことが起きる恐れがあります。「それが起こってからでは遅いんですよ」と日本テレビには言いたいです。
 
 
こうした施設側や里親側の声を、私はまったく評価することができません。
施設の子どもの声も紹介されていますが、これは結局おとなのフィルターを通したものです。
「自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!」「それ(自殺)が起こってからでは遅いんですよ」という言い方も脅迫めいています。
 
この人たちは、子どもが傷つくのが心配だといいながら、実際のところは自分たちの世間的イメージが傷つくことを心配しているのではないかと疑われます。この人たちの言葉と比べると、三上博史の施設長の言葉のほうが心地よいぐらいです。
第2話を見ると、この施設長はそんなに悪い人ではないようです。となると、彼はわざと偽悪的な言葉を吐いているのかもしれません。そして、その偽悪的な言葉は、世の中の偽善に亀裂を生じさせ、真実を見させる役割を果たしています。
そうしたこともこのドラマに対する反発を生み出しているのかもしれません。
 
施設の人たちは確かに一生懸命やっているでしょう。しかし、それはあくまで主観です。よくやっているか否かは施設の子どもが評価することです。
 
昔の孤児院は、親と死別した子どもが多かったのですが、今の施設は、親から虐待されたり、家庭が崩壊したりした子がほとんどです。あらかじめ傷ついた子どもを世話する職員はたいへんです。血のつながった親でさえ子どもを愛せないケースがふえているのに、血のつながっていない、ひねくれた子を十分に愛することのできる職員がどれだけいるでしょう。
 
つまり施設側の対応が不十分なことはわかりきっています。別にそれを非難するつもりはありません。
しかし、どのように不十分であるかということを明らかにすることは、改善するための第一歩です。
施設側は一生懸命やっているなどというきれいごとで実態を隠蔽してはいけません。
 
今まで、児童養護施設の内実を知る人はどれくらいいたでしょうか。
そういう意味では、「明日、ママがいない」は、ドラマとしておもしろいかどうかは別にして、日本の福祉の水準を向上させるのに役立つことは間違いありません。
 

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