村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:その他インターネット

自分がブログを書いていると、ほかのブロガーも気になるものですが、中でもいちばん気になるのがイケダハヤト氏です。
イケダハヤト氏が「なぜ僕は『炎上』を恐れないのか」(光文社新書)という本を出したので読んでみました。
 
イケダハヤト氏はとにかくよく「炎上」する人のようです。
たとえば最近では、201310月、記録的な勢力を持つ台風が東京に上陸しようとしていたとき、こんなときに会社が従業員に出社を求めるのはよくないという記事を書きました。
 
10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ
 
この記事が炎上したそうです。
主張していることはまっとうだと思います。ただ、個人よりも企業優先の風土がある日本ではあまりない発想です。それに、「ブラック企業」という決めつけに反発した人も多いでしょう(私にとっては、これぐらい刺激的なタイトルをつけたほうがいいのかと勉強になりましたが)
 
私がイケダハヤト氏のブログに注目するようになったのは、「BLOGOS」に載った次の記事がきっかけです。
 
たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?
 
挨拶はたいせつだというのが社会常識ですから、これも炎上したことでしょう。現時点で142のコメントが寄せられていますが、ざっとその9割が批判的な意見です(常識に反する意見を言うときはつい身構えてしまうものですが、「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」と軽いタイトルになっているのが逆に刺激的で、これも勉強になります)
 
なぜ挨拶ができなくていいかという論理構成は私と若干違うのですが、それでも基本的には私と同じ考えです。
 
イケダハヤト氏は2013年の夏ごろ、コンビニの従業員がアイスクリームの冷凍ケースの中に入った写真をウェブ上にアップして炎上した出来事をきっかけに同様の出来事が連続したとき、この程度の「バカ」はみんな若いころにやってきたはずで、それを見つけて騒ぐほうがよりバカだという主張をしました。私も同じ考えですが、これもかなり少数派の意見です。
 
イケダハヤト氏はどうしてこうした考えを持つようになったのかに興味があって、「なぜ僕は『炎上』を恐れないのか」を読んでみたわけです。
 
イケダハヤト氏は1986年、神奈川県の生まれで、今年28歳です。
子どものころはこんな様子でした。
 
特に小学生の頃は、自分の容姿にも、能力にも、体力にも自信を持つことができなかったため、人一倍シャイで、臆病で、人前で何かをすることを常に恐れていました。
新しい友だちを作るのも苦手で、クラス替えのたびに憂うつな気分になったことを覚えています。特に、女子と話すことは、19歳のときにいまの妻と出会うまで、苦手であり続けました(不思議なほど気が合う妻と出会えたのは、本当に運がよかったです)
 
要するにイジメられやすいタイプでしょう。しかし、彼はゲームに人一倍のめり込み、「クラスで一番ゲームに詳しい人間」というポジションを獲得します。そして、中学に入学したときに父親に入学祝いとしてパソコンを買ってもらい、すぐに自分のホームページを開設し、サイト運営に習熟します。暗記が得意という能力を生かして受験勉強もがんばり(受験の戦略と勉強のやり方についてかなりのページがさかれています)、早稲田大学政経学部に現役合格します。
そして、大企業に就職するのですが、ここはイケダハヤト氏には合わなかったようです。
 
ぼくがその空気に気づき、「あ、ヤバイかも」と感じ始めたのは、入社後1カ月間の新人研修を終え、部署に配属された初日という至極早い段階でした。
配属後、部長からまず伝えられたことは、「君の仕事は電話を取ることからだ。3コール以内に電話を取るのを目標にしなさい」という命令でした。
ぼくは電話が嫌いです。対面ですら人と話すことが苦手なのに、顔が見えない相手と回線経由でリアルタイムに話すなんて、激しくハイレベルです。メールでいいじゃないですか。ぼく、声も低いですし、ぼそぼそ話しますし……。
「何を大げさな」と思われるかもしれませんが、ぼくは、ほんっとに、電話が苦手なんです。かといって、さすがに「いや、自分苦手なんで無理です」と断ることができるような空気は、「会社」というコミュニティには、一切存在していませんでした。
電話が鳴るたびに心臓がドキッと飛び跳ね、心拍数MAXで受話器を取り、上司に取り次ごうとしたのはいいけれど、内線の回し方がわからずそのまま電話を切ってしまい、電話相手に迷惑を掛ける……。ほとんどトラウマ的な思い出です。いまも電話は嫌いなので、みなさん、ぼくによほどのことがないかぎりは電話しないでください。
 
イケダハヤト氏は会社の飲み会も苦手で、「会社員不適合者」でした。そうしたサラリーマン生活で癒しを与えてくれたものが、中学生以来の趣味である「ブログの執筆」だったのです。
イケダハヤト氏は会社でウェブマーケティングを担当していて、自分のブログでウェブマーケティングについて書くと好評を博したといいますから、会社員としてもある程度優秀だったのでしょう。
しかし、業界の先輩たちからは「イケダハヤトはマーケティングという単語を使うな」とか「何の経験もないのに偉そうに広告を語るな」と批判され、業界人の集まる飲み会に引っ張り出されて、一方的に攻撃を受けて帰ってくるということもあったそうです。
 
つまり、ウェブでは評価されるが、リアルでは攻撃されるということで、結局イケダハヤト氏はウェブのほうに力を入れ、今では会社員をやめて「一流ブロガー」の地位を確立したというわけです。
本書のサブタイトルは「年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術」となっています。
 
本書は一応、ウェブで成功するためのハウツー本という体裁にもなっていて、イケダハヤト氏は成功のための三つの条件を挙げています。
 
1、ひとつのことに「情熱」を持つ
2、それに圧倒的な時間をかける
3、効率性を追求する
 
しかし、これを心がければ誰でも成功できるというものではありません。イケダハヤト氏が成功したのは、明らかに人よりも優れた能力を持っていたからです。クラスでいちばんゲームに詳しい人間になったものそうですし、早稲田大学政経学部に入ったのもそうです。むしろ本書を読んで感じるのは、ウェブで成功するための才能を持って生まれた人間がいるのだなあということです。
 
私は本書を読むことで、イケダハヤト氏が独自の思想を形成した理由がわかりました。
イケダハヤト氏は「会社員不適合者」でしたから、企業の論理に批判的です。そのため、『「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ』ということが言えるわけです。
また、企業はタテ社会ですから、それに対する反発から、「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」ということも言えるわけです。
 
ということは、イケダハヤト氏の思想はもっぱら個人的体験に基づいていて、普遍的な原理に結びついていないということになります。それも炎上しやすいひとつの理由でしょう。
 
たとえばイケダハヤト氏は「炎上を恐れるな」と言いますが、ヘイトスピーチをする人が炎上を恐れなくなると困ります。
ヘイトスピーチをする人は「日本を裏で支配する在日と戦う自分」を正義だと思っています。イケダハヤト氏は「台風の中で社員を出社させるブラック企業を批判する自分」を正義だと思っています。この両者の違いを明確にしていないので、「炎上を恐れるな」という主張そのものに説得力がありません。
 
イケダハヤト氏は“コミュ障”気味の性格で、学校では一歩間違うとイジメられっ子になっていたかもしれませんし、企業社会にもなじめませんでしたが、幸い能力に恵まれていたためにネットの世界に居所を見つけることができました。
もちろんこうした勝ち組は少数派です。
おバカなバイト店員を見つけて炎上させているような人は、ネットにおける負け組でしょう(極端な例では、「ネオむぎ茶」のハンドルネームを持っていた西鉄バスジャック事件の犯人である少年、秋葉原通り魔事件の犯人である加藤智大、最近では逮捕されるときに「ヤフーチャット万歳!」と叫んだ柏市通り魔事件の容疑者である竹井聖寿などもネットに居所を見つけようとして失敗した人たちでしょう)。
イケダハヤト氏のような勝ち組は、負け組が束になってきても怖くないのは当然です。
 
ネット社会の力学についてもいろいろと考えさせられる本でした。

最近、週刊誌が嫌韓記事を載せるのが目につきます。これまで嫌韓の論調はネット内であふれていましたが、週刊誌にも伝染した格好です。
「週刊新潮」と「週刊文春」の最近の号で嫌韓記事がトップ記事になっているものを挙げると、こんな具合です。
 
「週刊新潮」
20131219日号 反日「韓国」の常識と非常識 弟は覚醒剤で5回摘発! 妹は詐欺で有罪! 身内に犯罪者「朴槿恵(パククネ)」大統領孤独の夜
 
2013125日号 大新聞が報じない「韓国」の馬脚 「朴槿恵(パククネ)」大統領を反日に染め上げた父の捏造教育
 
20131128日号 「朴槿恵(パククネ)」大統領の父は「米軍慰安婦」管理者だった!
 
「週刊文春」
20131219日号 日本人は知らない 韓国マスコミが突いた朴槿恵大統領の「急所」
 
2013125日号 「中韓同盟」10の虚妄
 
20131121日号 韓国の「急所」を突く!
 
これだけ嫌韓記事が続くということは、読者の反応や売上げもいいということなのでしょうか。
 
急に嫌韓記事がふえたのは、朴槿恵大統領がかたくなな反日姿勢を取っているということが直接の理由かと思いますが、今の日本にとって韓国あるいは日韓関係はそれほど重要なこととは思えません。
 
そもそも日韓にはイデオロギーというか思想的な対立はありません。竹島問題や慰安婦問題はありますが、中国や北朝鮮の存在を考えると、日韓関係は強化したほうが得策であるのは明らかです。
ですから、ネットで嫌韓を叫んでいる連中はバカというしかありません。
 
とはいえ、嫌韓を叫ぶ連中にも嫌韓を叫ぶ理由があるわけです。
私の考えでは、学校の中でイジメるかイジメられるかという関係を生きてきた人間が、自分にもイジメることができる存在として韓国を“発見”したのが嫌韓の始まりです。
それ以前は、北朝鮮がそういう対象としてありましたが、拉致問題が風化するとともに韓国がとって替わったわけです。
 
だいたいネットで熱心に書き込みをするような人間は、リアルではイジメられやすいタイプです(リアルでイジメられたのでネット書き込みに熱心になるという理屈もありますが)
そして、自己評価の低い人間も、自分より下の人間を見つけてイジメるという傾向があります(自己評価の高い人間は自分より上の人間を見つけて憧れ、目標にします)
つまり、自己評価が低くて、リアルでイジメられてきたような人間がネットで嫌韓を叫んでいるというのがこれまででした。
 
しかし、週刊誌まで嫌韓に走るとなると、日本人全体のメンタリティが変わってきたのではないかということになります。
つまり日本人全体に、イジメられた被害者意識と低い自己評価を持った人間がふえてきたのではないかと想像されます。
 
そういえば、「やられたらやり返す。二倍返しだ!」というドラマがはやりましたが、これなどイジメられた人にとりわけ受けそうです。
 
日本と韓国は旧宗主国と旧植民地の関係です。先輩と後輩、教師と生徒みたいなものです。
高度成長期とバブル期は、日本にとって最大の外交問題は日米経済摩擦で、韓国のことなど眼中にありませんでした。
今でも、韓流ドラマや家電などを別にすれば、あらゆる面で日本のほうが韓国よりも上です。
 
嫌韓記事を読んで喜んでいる日本人は、たとえていえば、旧植民地を批判する記事を読んで優越感にひたるイギリス人とか、メキシコの内情を書いた記事を読んで喜んでいるアメリカ人みたいなものです。
後輩をバカにする先輩、生徒をバカにする教師といってもいいでしょう。
 
週刊誌の嫌韓記事を読んで喜んでいる日本人は、自分自身の姿を客観的に見直してみるべきです。

日本のネット言論には独特の傾向がありますが、これはほとんど2ちゃんねるの傾向からきているのではないかと私は考えています。
そして、2ちゃんねるの傾向は、ほとんどが2ちゃんねるの創始者で元管理人のひろゆきこと西村博之氏の思想傾向からきているのではないかと私は考えています。
ですから、2ちゃんねるとは「ひろゆきの脳内ワールド」だということを前に書いたことがあります。
では、西村氏の思想傾向とはどのようなものかというと、従来の右翼左翼というような単純な概念ではとらえられず、よくわからないというのが実情です。ただ、2ちゃんねるの傾向イコール西村氏の傾向と見なしておいて間違いはないはずです。
 
そして、その証拠となるようなことが西村氏から発信されました。西村氏からアグネス・チャンさんへの公開質問状です。
 
 
アグネス・チャンさんへの公開質問状
 こんにちは。西村と申します。
 
アグネスさんが、下記のページに書いていることに、どうしても理解出来ないことがあり、お答え頂きたく、公開質問状という形で書かせて頂きました。
 
 
「今一番大事なのは、子供達の為に私たちもできることを考える事です。」
 
と仰られていますが、アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。
 
一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。
 
 
子供のためを思えば、100%をユニセフ本部に送っているユニセフ親善大使の黒柳徹子さんを薦めるべきではないでしょうか?
 
 
さて、私からの質問は、1点です。
・募金額の100%をユニセフ本部に送っている黒柳徹子さんの振込先口座を紹介しないのはなぜですか?
以上となります。
 
ご多忙だと思いますので、ご回答を頂けなくても構いませんが、子供のためを思えば、子供により多くのお金が送られる手段を、影響力のあるアグネスさんに御紹介頂けると信じております。
 
よろしくお願いします。
 
 
この公開質問状については、すでにいろいろな批判が出ています。
まず、日本ユニセフ協会という団体(公益財団法人)と黒柳徹子さんという個人を同列に並べるのはおかしいのではないかということです。
また、黒柳徹子さんはユニセフ本部に任命された親善大使ですが、アグネス・チャンさんは日本ユニセフ協会大使です。それぞれの募金口座が別であるのは当たり前です。
それに、アグネス・チャンさんが黒柳徹子さんの口座を募金先として紹介するには、アグネス・チャンさんが黒柳徹子さんを完全に信頼していなければなりませんが、2人の関係についてなにも知らないはずの西村氏が口を出すことではありません。
 
また、日本ユニセフ協会は国連からの財政支援を受けず募金と政府の拠出金によってまかなわれているので、募金から活動資金に回る分があって当然です。19%という額が妥当なのかどうかわかりませんが、かりにすべての募金が黒柳徹子さんに集中すれば、日本ユニセフ協会の活動資金が足りなくなってしまいます。
 
もちろん日本ユニセフ協会が完全にまっとうな団体であるかどうかわかりません。日本赤十字社についてもいろいろな噂があります。だいたい権力とか権威というのは腐敗するもので、ユニセフも十分に権威です。
 
もし日本ユニセフ協会に問題があるなら、ユニセフ本部にも問題のある可能性があります。国連の現地職員が援助物資と引き換えに難民の少女に性的虐待を行っていたとか、国連平和維持軍の兵士が現地の女性をレイプしたとかいうニュースもありました。西村氏が日本ユニセフ協会に募金することが問題だと思うなら、黒柳さん経由で100%ユニセフ本部に募金することも問題と思わなければいけないはずです。
 
このように西村氏はまったくよけいなところに首を突っ込み、論理的にも破綻しています。
 
では、なぜ西村氏はよけいなところに首を突っ込んだかというと、標的が「アグネス・チャンさんの募金活動」であったからでしょう。つまりこれを批判することは「偽善」をあばく「正義の行為」のように見えるのです。
 
もちろんアグネス・チャンさんの行為が「偽善」だといっているわけではありません。すべての慈善行為は「偽善」に見えるものです。
 
2ちゃんねるでは、子どもが難病になって手術に膨大な費用がかかるので親が子どものために募金を求めるといったケースについて、この親は金持ちなのに募金を求めるのはけしからんというスレが立てられて“祭り”になることがよくあります。2ちゃんねらーは募金だの慈善だのが嫌いなのです。
そして、それは西村氏と同じだということが今回の公開質問状でわかりました。
 
西村氏が2ちゃんねるを創始して長年運営しているうちに、西村氏と同じような人間が集まってきて、2ちゃんねるの独特の傾向が生まれたのです。
 
偽善を批判することは、偽善をなくして真の善を目指す行為のように見えますが、実は偽善をなくして真の悪を目指す行為であるかもしれません。
どちらであるかは、偽善を批判する人の日ごろの行動を見ればわかります。
 
西村氏は多くの民事訴訟で敗訴し、多額の賠償金を支払うよう裁判所から命令されていますが、まったく払っていません。
そうした人間がユニセフの募金がよりうまくいくようにと願って公開質問状を出したとは思えません。
となると、公開質問状はアグネス・チャンさん個人に対する攻撃ではないかと思われます。
巨悪を攻撃するのではなく弱い者を攻撃するというのも2ちゃんねるのひとつの特徴です。
 
そもそも裁判所の命令に従わないような人間が公的な発言をすることも問題です。
わが身のことは棚に上げて他人を攻撃するというのも2ちゃんねるのひとつの特徴です。
 
やっぱり2ちゃんねるは「ひろゆきの脳内ワールド」なのだなということを改めて思います。

ネット内の世論は一般社会の世論よりバカになるのはなぜかということをこのところ考えています。
 
ネットにおける「集合バカ」の代表的なものにネット右翼がありますが、私は前からネット右翼という名称に疑問を持っていました。右翼思想とは違う気がしていたからです。
そうしたところ、「ネットのバカ」(中川淳一郎著)という本の中に、ネット内の「“愛国者”たちは基本的に『韓国・中国を極端に嫌う人』と言い換えることができる」という記述があり、納得がいきました。
やはり彼らは右翼ではなく、単なる「嫌韓・嫌中の書き込みをする人」なのです(数としては嫌韓のほうが圧倒的に多い)
 
もちろん嫌韓・嫌中と右翼思想は別です。
そもそも好き嫌いは思想ではありません。ピーマン嫌いが思想でないのと同じです。
 
中国は共産党一党支配の国ですから、嫌中は反共思想すなわち右翼思想からきているようにも見えます。しかし、ベトナムは同じく共産党一党支配の国ですが、私は嫌越(嫌ベトナム)の書き込みはまったくといっていいほど見たことがありません。
また、北朝鮮は社会主義の国で、日本は拉致問題を解決するためにも韓国と連携して北朝鮮に対峙する必要がありますから、嫌韓の人はむしろ北朝鮮への利敵行為をしていることになります。
ですから、嫌韓嫌中の人は右翼思想とはまったく関係ないといってもいいでしょう。
 
ネットにおける嫌韓は、2002年の日韓共同開催のFIFAワールドカップにおいて、韓国人観客が日本代表にブーイングを浴びせるなどしたことがきっかけで起こったとされていますが、もとはといえば、日韓併合以来の韓国人・朝鮮人への差別意識からきていることは明らかです。
私は1950年生まれですが、私の子どものころというと、朝鮮人と精神病者への差別が二大差別で、毎日のようにそれこそヘイトスピーチをしていました。ですから、最近まで「チョーセン」という言葉から差別的響きが抜けませんでした。
もっとも、そうした差別を口にしていたのは小学校低学年まででした。高学年になると、多少は分別がついてきたのか、世の中の空気が変わってきたのか、そんな露骨に差別的発言をすることはなくなったと思います。
それでも日本人一般に、韓国人・朝鮮人に対する差別意識が根強く存在しているのは間違いありません。
 
しかし、そうした昔からの差別感情なら年配者のほうに強くあるはずです。最近のネットにおける嫌韓感情は若い人中心ですから、理屈に合いません。
「冬のソナタ」がNHKのBSで初めて放送されたのが2003年4月ですから、ネットで若い人が嫌韓に走る一方で、中年女性が韓流ブームに走り始めたわけです。
 
嫌韓に走る若い人は、結局のところ、教育の失敗の産物です。
 
「『集合バカ』の研究」という記事で書いたことですが、もう一度繰り返しておきます。
家庭や学校に適応できない子どもは、盛り場などで仲間とつるみ、不良になります。これが「行動化する不良」です。もう一方で、家庭や学校に適応できないために引きこもりになる子どもがいます。学校に行き、就職はしても、引きこもり一歩手前という者もいます。これを私は「引きこもり系の不良」と呼んでいます。
「引きこもり系の不良」は「非リア充」でもあります。こうした人たちがネットでヘイトスピーチをするのです。
 
「引きこもり系の不良」や「非リア充」は当然、国際社会で活躍するタイプではありません。異文化に適応するというたくましさがありません。海外旅行をしてもその国からなにも学ぶことができず、「海外に行って日本のよさがわかった」などといったりします。
 
そのように外国の異文化を受け入れることができない者でもなんとか受け入れられる国があります。それが韓国であり、中国です。
 
私はこれまでかなり海外旅行をしてきましたが、最初のうちはヨーロッパ、オーストラリア、カナダなど欧米系の国ばかり行っていました。初めてアジアの国に行ったのはベトナムで、その次が韓国でした。
韓国に行ったときの最初の印象は、日本とあまりにも似ているということでした。町並みは、看板がハングルであることを別にすれば、ほとんど日本と同じです。山など自然の風景も似ています。人の顔も服装も似ています。
それから中国に行きましたが、中国も日本に似ています。
世界の中でいちばん日本に似た国が韓国で、その次が中国だと思います(台湾と北朝鮮も近いかもしれません)
 
「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」(黄文雄著)という本があります。私は読んだことがありませんが、タイトルだけでもおかしいと思います。国際性がまったくなく、日本と中国と韓国しか眼中にないようです。しかし、ネット右翼はこうした本が好きなのでしょう。
 
アメリカはキリスト教の価値観を中心とした国で、しかも多様性があるので、日本人にとってひじょうに理解しにくい国です。東南アジアの国も日本とはかなり違います。その点、韓国と中国はきわめて理解しやすい国です。というか、多くのネット右翼にとって唯一理解できる国が韓国なのでしょう。
 
理解できるといっても、好きにならずに嫌いになるところに、「引きこもり系の不良」の心の弱さが現れています。韓流スターを追いかけるおばさんのたくましさがありません。
 
嫌韓というのは、ただ隣人が嫌いというだけのことですが、嫌韓の人は自分を愛国者や右翼と思って正当化しています。
そのためネットの書き込みも声高で、さらにはフジテレビや花王にデモをかけたりします。
 
それにしても、フジテレビにデモをかけるのは意味不明です。フジテレビが韓流番組を多く流しても、それは経営判断のうちですし、日本の国益を損なうことでもありません。
要するにネット右翼は、フジテレビや花王は世間の評判を気にするから、自分たちのデモがいちばん効果的な相手だと思ったのでしょう。つまり勝てる相手を探して喧嘩をしたというわけです(勝てませんでしたが)
 
こうした発想は、学校でのイジメるかイジメられるかという体験からきているのでしょう。つまり「イジメる側になりたい」ということです。「学校からイジメをなくしたい」ということではないのです。
 
いわゆるネット右翼、すなわち嫌韓嫌中の人を観察していると、日本の教育がいかにダメかがわかります。

「集合知」という言葉がありますが、ネット内の議論を見ていると「集合バカ」という言葉のほうがぴったりくることが多いようです。
どうしてネットにはバカが多いのかということが知りたくて、「ネットのバカ」(中川淳一郎著)という本を読んでみましたが、ここにはいろいろなバカのことは書かれていますが、なぜそのようにバカになるのかという分析は書かれていません。どうやら著者は、ネットのバカはリアルのバカと同じというふうにとらえているようです。
そこで、私なりにネットのバカを分析してみたいと思います。
 
私の見るところ、リアルよりもネットのほうがよりバカ度がアップしています。
たとえば、橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」発言のとき、一般社会の世論は圧倒的に批判的で、日本維新の会も明らかにそれが原因で票をへらしましたが、ネット内では橋下発言を擁護する意見がかなりありました。
麻生太郎財務相の「ナチスの手口に学べ」発言のときも、本人はすでに発言を撤回して謝罪しているのに、麻生財務相の“真意”を勝手に想像して擁護する意見がかなりありました。
 
こうした傾向は、「集団極性化」という概念で説明できるということを前に書いたことがあります。
「集団極性化」というのは、同じ傾向の人が集団になって議論すると、より極端な結論に導かれやすいということをいう心理学用語です。
 
インターネットは世界に通じているとはいいながら、大多数の日本人は日本語のサイトばかり見ていますから、国内のインターネット上の議論というのは、もっぱら日本人同士がやっているわけです。そのため、他国のことよりも自国の利益追求の方向にどんどん傾き、さらにはタカ派的主張に傾いていきます(私はこれを「愛国バイアス」と呼んでいます)。こうしてネット内には右翼的主張がはびこることになります。
 
慰安婦問題も、ネット右翼が完全に議論を間違った方向に持っていっています。橋下市長はそれを真に受けて、国際的に恥をかいてしまいました。
 
 
では、最近騒がれている、コンビニや外食チェーンでバイトがおバカな写真をアップして炎上するという事件はどう説明できるでしょうか。
 
この事件については、私はおバカ写真をアップするバイトはそれほど問題と思いません。若者は昔からこうしたおバカをやっていたものですし、おバカをすることによって経験値を上げるというプラス効果もあります。
問題はむしろ、それを炎上させるほうにあります。こちらのほうこそ真のおバカです。
たぶん一般社会の人たちは、これらのバイトをそれほど非難しないと思います。
 
ステーキハウスのブロンコビリー足立梅島店は、バイト店員が冷蔵庫に入る写真をアップしたことによって閉店が決まり、本社はバイト店員に対して損害賠償請求を検討しているという報道がありました。しかし、バイト店員が冷蔵庫に入ったことは、そのあとを雑巾で拭いておけばすむ話です。もし閉店の決定がやむをえないものだとすれば、損害賠償請求は、ネットで騒いで炎上させた者たちに対してするほうが筋が通っています(現実には不可能でしょうが)
 
ネットには、このようにくだらないことで騒ぐ人たちがたくさんいます。
たとえば、イタリア・フィレンツェの大聖堂に女子短大生が落書きをしたために大バッシングが起き、短大生がイタリアまで謝罪しに行って涙を流すということがありましたが、実際のところは、この大聖堂には落書きがいっぱいあり、謝罪されたイタリア側が驚いてしまいました。
また、若い女性タレントがテレビで万引きしたことを告白し、何度も万引きしたためにその店がつぶれてしまったといったために、その女性タレントが大バッシングを受けてタレント活動休止に追い込まれるということもありました。
 
個人がネット上で大バッシングされるということの最初は、イラクで日本人3人が人質になった事件だったかもしれません。これは政治問題がからんでくるので少し事情が違いますが、バッシングされる基本的な構造は同じだと思います。
 
このようなバッシングや炎上事件に共通しているのは、バッシングされるほうは“リア充”だということです。
おバカ写真をアップするバイトは、とにかくバイトをしているということで社会的に活動していますし、さらに、おバカ写真を喜んで見てくれるに違いない友だちがいます。これだけでリア充だといってもいいでしょう。
イタリア旅行をしたり、イラクにボランティアに行ったりするのも、それだけでリア充といってもいいでしょう。タレント活動をしているのももちろんそうです。
 
これに対して、ネットで非難の書き込みをしている人たちは、圧倒的確率で“非リア充”だといってもいいでしょう。
そもそも現実社会に生きがいがある人は、ネットにそれほど熱心に書き込みをしません。リアルで満たされないものをネットで得ようとする人たちが熱心に書き込みをするのです。そういう人たちは数はそれほど多くなくても、書き込みの頻度が高いのでネット内の論調を左右する力を持っています。
 
そうした非リア充にとって、リア充はリア充だというだけで攻撃対象になります。そのためバイト炎上事件が多発するのです。
 
つまりこれは、リア充に対する非リア充の反撃というふうに理解できます。
 
 
それから、これは不良同士の抗争というふうにとらえることもできます。
 
家庭や学校に適応できない子どもは、盛り場などで仲間とつるみ、不良になります。これを私は「行動化する不良」と呼んでいます。暴走族などもそうです。
 
一方、家庭や学校に適応できないため、不登校になり、引きこもりになる子どもがいます。これを私は「引きこもり系の不良」と呼んでいます。
実際には引きこもりにならず、学校に行き、就職していても、社会に適応するのに精一杯で、一歩間違うと引きこもってしまいそうな人間もやはり「引きこもり系の不良」です。
 
こうした「引きこもり系の不良」はネットで熱心に書き込みをし、しょっちゅう互いにののしり合っています。これは「行動化する不良」がよく喧嘩するのと同じです。
 
「行動化する不良」と「引きこもり系の不良」はテリトリーが違うので通常は接点がありません。しかし、ネット上におバカな写真をアップしたりすると、それが接点となって「引きこもり系の不良」が「行動化する不良」を一方的に攻撃することになります。
 
これまで「行動化する不良」は認識されてきましたが、「引きこもり系の不良」はほとんど認識されてきませんでした。そのため不良といえば「行動化する不良」のことでした。
しかし、ネットが普及するとともに「引きこもり系の不良」の存在がだんだんと認識されてきました。一部には「ネット右翼」という名前がつけられましたが、おバカ写真をアップするバイトを攻撃するのは右翼と関係ありませんから、これはやはり「引きこもり系の不良」というべきでしょう。
 
非リア充や「引きこもり系の不良」が攻撃的な書き込みをし、しかもその数が多いために、ネットは「集合知」よりも「集合バカ」が目立つ場になったのだと思います。

ローソンのアイスクリーム冷蔵ケースに男性が入って寝そべるという写真がフェイスブックに掲載され、炎上するという出来事がありました。その後、バーガーキングの店員がバンズの上に寝そべるとか、ほっともっとの店員が冷蔵庫の中に入るとか、丸源ラーメンの店員が冷凍食材を口にくわえるとか、類似のケースが次々に起きています。
 
まったく愚かなことです。
愚かなというのは、ネットで炎上させるほうです。「ウェブはバカと暇人のもの」という書名を地でいっています。
写真をアップするほうは、基本的には普通の若者です。名前をさらされて、職場で処分されたりして、気の毒なことです。
 
「そんな写真をアップしたら炎上するに決まってるだろう。バカじゃないか」という声があります。ツイッターのことを「バカ発見器」といったりもします。しかし、それをバカだと思うのは、ある程度ネットの経験があり、炎上のメカニズムがわかっている人です。ネットの初心者ならわからなくて当たり前です。経験者が寄ってたかって初心者をバカにするのは、ネットの世界だけの現象です。
 
むしろ私は、炎上する側の若者を積極的に評価してもいいぐらいに思っています。
 
そうしたところ、有名ブロガーのHayato Ikedaさんが炎上する側を擁護するような記事を書きました。しかし、Hayato Ikedaさんの言い分は、おバカな店員は安い給料なんだからしかたがない、という論理です。これは私の考えとは違います。
 
Hayato Ikedaさんの記事はこちらで読めます(ローソンの寝そべり写真なども見られます)
 
おバカな従業員は「安さ」の代償
 
私の論理は、おバカな店員は若いんだからしかたがない、というものです。
若者はバカなことをするのが自然な姿です。むしろバカなことをしない品行方正な若者はよくありません。
 
ちなみに炎上したケースは、実害がないものがほとんどです。
バーガーキングでバンズの上に寝そべったケースは、発注ミスのために大量に余ったバンズで、廃棄するものだったそうです。もしそれがほんとうなら、なんの問題もありません。
冷凍食材を口にするのは、衛生上の問題がないではありませんが(虫歯菌など)、ほとんどないといっていいでしょう。ただ、写真を見た人はそうとう不快になりますが、あくまで気分の問題です。
冷蔵庫に入るのも、衛生上の問題があるとはいいますが、ほとんどありません。普段腕や頭を突っ込んだりしているのですから、それと大して変わらないはずです。
 
アイスクリームの冷蔵ケースに寝そべるのは問題がちょっと複雑です。
衛生上の問題は、アイスクリームは容器に入っていますから、ほとんどないはずです。ただ、容器が変形したり、ガリガリ君が割れたりすることがあるでしょうが、それは客に売らないようにすればいいわけです。
そうすると店に損害を与えることになりますが、これをやったのは店のオーナーの息子だという話があります。そうだとすれば、これも問題ないことになります。
 
要するに実害はほとんどないので、やっているほうも罪の意識がなく、ただおもしろがってやっているはずです。
 
そう、「おもしろがる」というのがこの種の出来事のキーワードだと思います。
おもしろがるからフェイスブックやツイッターに写真をアップして、炎上してしまうわけです。
 
「おもしろがる能力」というのは、若さの属性です。年を取ると、「おもしろがる能力」がどんどんなくなっていきます。
 
おそらく「おもしろがる能力」がいちばん盛んなのは幼稚園とか小学校の年齢でしょう。これは「好奇心」と並んで、人を発達させる原動力です。
子どもが積み木を積んだり、落書きしたり、鬼ごっこしたりするのは、「おもしろがる能力」があるからです。
 
20代の若者にも「おもしろがる能力」は十分にあって、彼らはいろんなことをやって、笑ったり盛り上がったりするわけで、そうして経験を積んでいきます。
 
おもしろがる能力の少なくなったおとなは、なんであんなバカなことをするのだといって若者を批判します。
あと、若者でもおもしろがることを禁じられて育ってきた者も彼らを批判します。
 
「バカをする」というのはある意味、常識の枠を壊す創造的な行為です。ここから新しいものが生み出されるのです。
 
私は京都の出身ですが、京都には大学が多く、学生もたくさんいます。そして、京都の人は昔から、学生がバカをやったりハメを外したりすることに寛容です(最近は変わってきているかもしれませんが)
これは大学が京都にとってはたいせつな“産業”であるということもあるかと思いますが、こうした風土と、京大が多くのノーベル賞受賞者を出したこととは無関係でないはずです。
 
私は、ローソンのアイスクリーム冷蔵ケースに男性が寝そべっている写真を見たとき、ひじょうに驚きました。自分にはとても思いつかないことだったからです。
おそらく多くの人にとってもインパクトがあったのでしょう。だから、類似のケースが連続して騒がれることになったのだと思います。
 
人が思いつかないことを思いつくというのは、それだけですばらしいことです。こうしたことには素直な賛辞を贈るべきです。
 
ところが、ほとんどの人が彼ら若者にきびしい意見をいっています。
最近の日本の企業がイノベーションや魅力的な新製品を生み出せなくなったのは、こうした若者のバカを許せない人たちのせいだと思います。

2ちゃんねるに危機が迫っています。警察が明らかに2ちゃんねるないしは元管理人の西村博之氏を狙っているのです。いったいどういう罪状になるのかはわかりません。それはこれから警察が考えるのでしょう。
警察が2ちゃんねるを狙っていることは、こんなニュースを見てもわかります。
 
「2ちゃんねる」で客募集、覚醒剤販売 大阪の男ら5人逮捕
2012.5.31 10:34
 九州厚生局麻薬取締部は31日までに、インターネット掲示板「2ちゃんねる」で客を募り、覚醒剤を販売するなどしたとして、覚せい剤取締法違反(営利目的譲渡など)の疑いで無職、城尾学然容疑者(37)=千葉県船橋市駿河台=や、無職、村山拓司容疑者(25)=大阪市平野区瓜破=ら男女計5人を逮捕した。
 福岡地検は、全員を同罪で起訴した。
 関係者によると、城尾被告ら船橋市の3被告は1月6日、覚醒剤約1グラムを宮崎県の男性に3万円で販売、村山被告ら大阪市の2被告は4月11日、営利目的で覚醒剤約3グラムを自宅で所持していた、としている。
 
これが単に覚醒剤販売事件を摘発したというニュースなら、「2ちゃんねる」と書かずに「インターネットの匿名掲示板」と書けばいいわけです。従来ならそうなっていたでしょう。しかし、このニュースでは「2ちゃんねる」という言葉が見出しの頭にきています。
同様のニュースはいくつも報じられていますし、西村氏が2ちゃんねるを譲渡したとされるシンガポールの会社を警視庁がシンガポールの警察に捜査するように依頼したというニュースもありましたし、西村氏の自宅や関係事務所など約10カ所が家宅捜索されたというニュースもありました。
西村氏の自宅などが家宅捜索されたというニュースがあったのは3月です。それからなにも動きがなかったので、めぼしい証拠は得られなかったのかと思っていたら、冒頭に掲げたニュースによって警察はまだ2ちゃんねるを狙っていることがわかりました。
こういうニュースによって2ちゃんねるのイメージダウンをはかっておき、西村氏が逮捕されたとき、逮捕は当然だという世の中の空気をつくりだす狙いと思われます。
 
私自身は、むしろ今まで2ちゃんねるに官憲の手が伸びなかったのを不思議に思っていました。とはいえ、今のタイミングで警察が手を伸ばしてきたのも不思議です。
この不思議を解明するために、過去の出来事から警察の習性について考えてみましょう。
 
1970年代末から1980年代にかけて、戸塚ヨットスクールにおいて生徒が何人も死亡したり行方不明になる事件が起き、戸塚ヨットスクールを非難する声がわき上がりました。しかし、警察はまったく動こうとしませんでした。これも当時は不思議なことでした。私自身は、戸塚ヨットスクールの支援者に石原慎太郎氏など有力者がいたことと、警察には体罰肯定論者が多いことがあるからではないかと推測していました。
しかし、83年にヨットスクールのコーチらが暴走族を捕まえてリンチするという事件を起こし、これをきっかけに警察は一気に戸塚宏校長以下関係者を大量逮捕し、“戸塚ヨットスクールつぶし”を行いました。警察の豹変ぶりに私は唖然としました。
 
暴走族をリンチした事件によって警察が豹変したということは、戸塚ヨットスクール側の弁護人も「意見陳述書」で指摘しています。
 
昭和58526日、戸塚ヨットスクールの可児コーチ外5名が、暴走族に対する傷害不法逮捕罪等で愛知県警察本部の指揮のもと半田警察署に逮捕された。この時をもって嵐とも言うべき一連の捜査が始まった。
(中略)
警察は、延べ1万3千人にのぼる捜査員を動員し、捜査範囲も33都道府県に広げ、事情聴取した参考人や被害者は合計約300人に達し、証拠物件など570点、供述調書や捜査報告書を積みあげると約7mの高さになるほどの大捜査を行ない、最終段階で検察庁は境野コーチを逮捕し、戸塚ヨットスクールを壊滅させ、警察において同年1114日、検察庁において1214日、約半年に渡った一連の戸塚ヨットスクール関係事件の捜査を終えた。暑い夏を経て捜査の嵐は去った。
 
なぜ暴走族リンチ事件によって警察は豹変したのか。その理由は容易に想像がつきます。
暴走族の取り締まりは警察の領域です。コーチらが暴走族をリンチしたのは警察の領域を冒す行為と見なされたのです。
 
在特会(在日特権を許さない市民の会)についても、最初は警察はまったく手を出そうとしませんでしたが、ある事件をきっかけに明らかに警察の方針は変わりました。
 
200912月、在特会は京都朝鮮第一初等学校前に押しかけ、朝鮮学校は隣接している公園を不法占拠しているとして抗議し、その際、公園に置いてあった朝礼台を撤去しようとし、スピーカーのコードを切断するなどしました。これについて朝鮮学校側は在特会を威力業務妨害で告訴し、在特会側は朝鮮学校を都市公園法違反であるとして告訴しました。
もし朝礼台などの設置が不法占拠であるなら、その撤去は行政の領域です。在特会は行政の領域を冒したことになります。そのため、警察は在特会にきびしく臨みました。
ウィキペディアの「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の項目から引用します。
 
2010810日、京都府警は在特会の傘下グループ・チーム関西メンバー4人を威力業務妨害容疑などで逮捕し、同会会長・桜井誠宅の家宅捜索もおこなった。827日には、他のメンバー7人についても組織犯罪処罰法違反(組織的威力業務妨害)などの疑いで書類送検した。また、朝鮮学校が無許可で公園を占用していたとして、初級学校の前校長も都市公園法違反容疑で書類送検した。なお、朝鮮学校関係者からは逮捕者は出ていない。
2011421日、京都地裁は西村に対し威力業務妨害で懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。他の3人も執行猶予付の有罪判決。
 
要するに警察は自分たちの領域が冒されたと感じると、きびしい態度で出てくるのです。
となると、今警察が2ちゃんねるにきびしく出てくる理由も推測できます。
 
そもそも2ちゃんねる内の論調は、官僚組織にきわめてつごうのいいものです(主に「ニュー速+」を見ての感想です)。官僚の天下りやむだな公共事業などが2ちゃんねるできびしく非難されることはあまりありません。日教組批判はあっても、文部科学省批判はありません。普天間基地問題で辺野古に新滑走路を建設するという日米合意が批判されることはなく、逆に“沖縄のわがまま”が非難されます。最近の生活保護に関する騒ぎも、支給する行政側よりも受給する側がもっぱら非難されます。
ですから、警察や検察は2ちゃんねるを放置してきたのでしょう。
 
しかし、パチンコは圧倒的に非難されます(競輪、競馬などは非難されません。前回の「ギャンブルの倫理」というエントリーで指摘したように、不当なテラ銭を取るこちらのほうがむしろ非難されるべきなのですが)。パチンコはもちろん警察にとってはきわめて重要な利権です。
これまでは、2ちゃんねる内の論調はあくまで2ちゃんねる内だけのものでした。しかし、在特会がリアルでの活動を拡大し、韓流推し批判を名目にフジテレビや花王を批判するデモが行われるようになりました。つまり、2ちゃんねる内の論調がリアルの世界に進出してきたのです。
となると、次にパチンコを非難するリアルの運動が起きるのではないかと警察が恐れても不思議ではありません。警察が今2ちゃんねるつぶしに動き出した理由はそれではないでしょうか。
検察ではなく警察が動いていることもそれで理解できます。
 
警察や検察が一定の方向性を持って動き出したとき、それを止めるものはありません。
ほんとうならマスコミがその役割を担うべきですが、わが国のマスコミは逆に警察や検察に協力するのが通例です。2ちゃんねるが対象とあればなおさらでしょう。
 
「西村博之逮捕」のニュースを待つしかないのが現状です。

お笑い芸人河本準一さんの生活保護費不正受給の話題が盛り上がっています。
といって、河本さんが生活保護費を不正受給したわけではありません。生活保護費を受給しているのは母親だからです。
では、母親が不正受給したかというと、そうともいえません。河本さんが十分な仕送りをしていないなら、母親が生活保護費を受給するのは正当です(ほかの条件は無視しての話ですが)
ですから問題は、河本さんが十分な収入があって母親を扶養することができるのに扶養していなかったという「扶養義務違反」があったのかなかったのかということです。
これについて私は、親子関係というのは外部からはうかがい知れないことがあるので、単純には判断できないと主張しています。
 
そもそも「扶養義務」の基準が明確でないという問題もあります。
これに関しては法令で基準を明確化するべきだという意見も出てきています。しかし、親子、兄弟の関係にそうした法的義務を持ち込まれるのは、誰にとってもうれしいことではないはずです。
そもそも人類の歴史は大家族から核家族へと、家族関係や親族関係が希薄化する方向へと進歩()してきました。今では結婚して家族をつくることすら困難になり、孤独死がふえています。ですから、親族だから扶養しろという発想が時代に合わなくなってきているのです。福祉制度もそれに合わせることが必要だと思います(私は家族関係の希薄化がいいことだとは思いませんが、家族関係に法的義務を持ち込んでも家族関係がよくなるとは思えません)
 
河本さんにも問題はあったかもしれませんが、そこに片山さつき議員が出てきて話がこじれてしまいました。政治家という権力者が芸能人とはいえ個人を攻撃したからです。
 
私は物事の判断基準として、「弱きを助け、強きをくじく」という原則を持っています。強者と弱者が戦っていたら、とりあえず弱者に味方することにしています。例外がないとはいえませんが、それでたいていは正しいはずです。
 
ということで、私はとりあえず河本さんの味方をしたわけですが、世の中には片山議員より河本さんのほうを非難する人もたくさんいます。こういう人の心理はどうなっているのでしょうか。
 
何年か前、タレントのあびる優さんが万引きしたことをテレビで告白し、そのためとくに2ちゃんねるで大バッシングを受けるということがありました。私は芸能界の末席にいる弱い立場の若い女性タレントを攻撃してなにが楽しいのだろうと思っていましたが、あるとき考え直しました。私は彼女を弱い立場の人間と思っていましたが、多くの2ちゃんねらーにとっては、彼女は自分よりも人気も収入もある強い立場の人間なのです。ですから、弱い者いじめをしているという意識はまったくなかったのでしょう。むしろ自分たち弱い者が力を合わせて強い者と戦っているぐらいの意識だったかもしれません。
 
しかし、これは“自分基準”です。自分より強いか弱いかで判断しているわけです。
 
河本さんは私より間違いなく人気も収入もある人間です。しかし、私はそんなことで物事を判断したりしません(たいていの人もそのはずです)。片山議員が出てきたら、片山議員対河本さんではどちらが強いかで判断します。
 
“自分基準”の人にとっては、片山議員も河本さんもどちらも自分より強い人です。そうなると、より攻撃しがいのある(人気稼業なので)河本さんを攻撃するという判断になるのでしょう。
 
あと、河本さんのほうには「不正」というレッテルが張られているということもあります。片山議員の行動にはいろいろ批判がありますが、「不正」というレッテルは張られていないようです。
ちなみに私は、「不正」だの「正義」だの「善悪」だので物事を判断することはありません。「正義」や「善悪」というのは権力者につごうよくつくられているものだからです。
 
2ちゃんねるでフジテレビ批判というのも一時盛り上がりましたが、これもフジテレビの社会的位置や役割など関係なしに、“自分基準”で攻撃しがいのあるところを攻撃したのでしょう。右寄りの人がフジサンケイグループを攻撃するなどおかしいのですが、テレビ局は視聴率とスポンサーを気にするだろうから攻撃しがいがあると判断したわけです(実際はぜんぜん攻撃しがいがなかったわけですが)
 
世の中は権力、権威、貧富、差別などが入り組んだ複雑な階層社会になっており、それを見抜いて物事を判断しなければなりません。しかし、“自分基準”の人たちは、社会のあり方とはかけ離れた行動をしてしまい、社会から浮き上がってしまいます。
最近、こうしたことがはっきりと見えてきているのではないでしょうか。

このところ2ちゃんねるについて書いているので、その続きです。
2ちゃんねるの特徴として、つねに論争が行われているということが挙げられます。これは、テーマの細分化されたスレッドがあり、スレッドは一覧性があって、アンカーをつけることで誰に対する発言かを明確にできるといった2ちゃんねるの特性からきているものかと思われますが、2ちゃんねるで行われている論争はリアルで行われている論争とは根本的に違います。
リアルでは、「そんなことを言ってるお前はどうなのだ」という反論がつねに可能なので、ある程度の言行一致が求められます。しかし、匿名掲示板では、発言者がどんな人間なのかはまったくわからないので、純粋な論理だけの論争になる傾向があります。論理というのは、もちろん論理学的な論理という意味もありますが、そうした場合は矛盾や間違いを指摘されたほうが負けですから、論争は割と早く決着します。しかし、それ以外に、“道徳の論理”というべきものがあり、これはいくら議論しても決着しないので、2ちゃんねるで行われている論争の大部分はこの“道徳の論理”を用いたものです。
 
政治問題や犯罪に関する論争は、基本的に善悪や正義に関することですから、“道徳の論理”によって行われます。そして、この論争を続けていると、現実離れをした極論に行きついてしまいます。
リアルの論争では、「正義の追求はほどほどにしておいたほうがよい」とか「悪を徹底的に排除しようとしてもうまくいくものではない」といった主張が一定の説得力を持ちます。しかし、これは“生活の知恵”ともいうべき経験則ですから、純粋な論理で行われる論争では力を持ちません。そのため極論に行きついてしまうのです。
 
一例を挙げれば、2008年、女子大生がイタリアのフィレンツェの大聖堂に落書きをしたことが問題となり、議論が暴走した挙句に、落書きをした女子大生が学長に伴われてフィレンツェを訪問し、大聖堂の関係者や市長に謝罪し、泣きながら謝る女子学生を逆に向こうがなだめることになってしまいました。日本人はへんな国民だと思われたに違いありません。
こうした事態になったのは、2ちゃんねるでの議論が女子大生をバッシングする方向に過熱したからではないかと思われます。常識的な判断としては、「落書きはよくないが、それほどのことではない」とか「謝りに行っても落書きが消えるわけでもないし」といったところでしょうか。
 
2ちゃんねるは、原始的な道徳が暴れ回るサファリパークのようなところです。そこには人類が長年かけて学んできた「正義の追求はほどほどにしておいたほうがよい」という抑制装置がありません。
2ちゃんねるを見ていると、私が主張する「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」ということがよくわかるでしょう。

インターネットは世界につながっているといっても、各国のネット事情はさまざまで、とくに日本語という壁に守られた日本のネット事情は特殊なようです。そして、その特殊さのかなりの部分は、2ちゃんねるの存在によっているのではないでしょうか。
今でこそ2ちゃんねるは相対的にその存在感を低下させていますが、一時期は2ちゃんねるがインターネットを代表するような存在……と、ここまで書いて、なんだか気分が変わってしまいました。
今はもう想像以上に2ちゃんねるは存在感を低下させているのではないでしょうか。わざわざ論じてもしょうがないような気分です。2ちゃんねるの嫌韓派がフジテレビ・花王を攻撃した戦いも、嫌韓派の一方的な敗北に終わったようですし。
私もネットでいろいろ論争した経験からいうと、論争というのは始まった時点で勝敗が決まっています。もちろん正しいほうが勝つのです。途中で間違ったことを言って、それにこだわると負けますが、間違ったことはすぐ訂正するか放っておいて、議論を本筋に戻せば、必ず勝てます。
嫌韓派の攻撃は、最初から不当な言いがかりでしたから、フジテレビ・花王はなにもしなければ、自然に勝利が転がり込んでくる理屈です。
 
とはいえ、2ちゃんねるがきわめて特殊な掲示板であることは確かで、この特殊さはどうして形成されたかは、論じる価値があるでしょう。
私が考えるに、2ちゃんねるの特殊さは、2ちゃんねるの実質的創始者で前管理人の、ひろゆきこと西村博之氏の特殊な性格によって形成されました。ですから、2ちゃんねるとは「ひろゆきの脳内ワールド」なのです。
 
2ちゃんねるの初期、名誉棄損やプライバシーの暴露や犯罪予告などの書き込みが社会的な問題となり、掲示板の管理責任が問われました。しかし、これは刑事法の対象外だったようです。それでも、社会的道義的責任は問われますから、普通は社会の圧力に負けるか社会の要請に応えるものです。2ちゃんねる以外の掲示板は、問題のある書き込みをできるだけ削除するようになりました。しかし、2ちゃんねるでは、削除は行われていますが、ひろゆき氏なりの独特の基準によるもので、ほとんど社会の要請に応えるものではありません。たとえば、現時点のウィキペディアの「2ちゃんねる」の項によると、法務省は未成年犯罪者の実名掲載などの削除要請を行っていますが、ひろゆき氏はそれに反論して、要請に応えていないということです。
ですから、2ちゃんねるは一種の無法地帯となったのですが、ひろゆき氏なりの削除は行われているので、まったくの無法というわけではなく、正確には「ひろゆき法」地帯というべきものになっているわけです。
 
では、「ひろゆき法」とはなにかというと、これがよくわかりません。ひろゆき氏は民事でいっぱい訴えられていますが、ことごとく裁判は欠席し、判決は無視しています。ひろゆき氏の財産は差し押さえられない状態になっているので、これでなんの実害もないようです。
普通に社会人として生きている人間は、裁判所の決定を無視するということはなかなかできません。とくにひろゆき氏はそれなりの有名人で、実業家です。
こういうことができる人間は、私の知る限り1種類しかいません。それはヤクザです。ヤクザは法の裏をかいてシノギをしています。
ひろゆき氏は「ネットヤクザ」とでもいうべき存在かもしれません。
なぜ司法当局はこれまでなにも手を打たなかったのか、また政治家はなぜ立法処置を講じなかったのか不思議です(いろいろ推測できますが)
 
ともかく、2ちゃんねるというのはひろゆき氏の独特な基準によって運営されてきたため、その基準に合った人間が集まることになりました。そうして独特な2ちゃんねるの世界が形成されたのです。
 
今、2ちゃんねるをやっている人は、2ちゃんねるを通して世界を知ろうと思っているかもしれません。しかし、それは不可能です。そこはあくまで「ひろゆきの脳内ワールド」ですから。

このページのトップヘ