子どもが自分の意見を言うようになると、「口答えするな」とか「屁理屈を言うな」とか言う親がいます。子どもの意見をちゃんと受け止めれば、子どもも親も成長することができるのですが。
これは家庭内のことですが、社会でも同じようなことが起きています。
たとえば、“少年革命家ゆたぼん”を名乗る10歳のユーチューバーが「不登校は不幸じゃない」「同級生がロボットに見える」といったことを発信し、メディアに取り上げられたこともあって、賛否両論が巻き起こっています。
「不登校は自由」10歳のYouTuberゆたぼんをめぐり、有名人からも賛否両論が大噴出
賛否両論といっても、実際は否定の声のほうが圧倒的です。
不登校を肯定する意見に反対が多いのは不思議ではありませんが、議論はそういう方向へはいきません。「ゆたぼんは父親のあやつり人形ではないか」という形で批判が起きています。
ゆたぼんの父親は元暴走族、中卒、高卒認定試験に合格して現在は心理カウンセラー、著書もあるという人で、ゆたぼんは父親の主張を言わされているだけではないかというわけです。
似たことはほかにもあります。
東京新聞の望月衣塑子記者が菅官房長官の記者会見において質問を制限されるなどしているのを「いじめ」と感じた女子中学生(14歳)が今年2月、インターネット上で「特定の記者の質問を制限する言論統制をしないで下さい」などとする署名活動を始めると、やはり炎上しました。
東京新聞の望月衣塑子記者を支援する署名をネットで集めた中2、誹謗中傷に「子どもが何か意見しちゃいけないんだと感じた」
この場合は、「母親にあやつられている」さらには「女子生徒は実在しない」という批判がありました。
はるかぜちゃんこと春名風花さんは、子役だった2010年、9歳のときにツイッターを始め、いじめ、不登校、義務教育などについて発信し、数々の炎上が起きましたが、最初のころは「自分の意見のはずがない。親に言わされているのだろう」という批判がもっぱらでした。
つまり、子どもが自分の意見を発信すると、必ずといっていいほど「親に言わされている」とか「親にあやつられている」という批判が起きるわけです。
しかし、そもそも人間は「純然たる自分の意見」など持ちようがありません。必ず周りの影響を受けて意見を形成します。子どもであれば親の強い影響を受けるのは当然です。
「親にあやつられている」ということでは、たとえば小学生のときから父親に野球を教えられてきたイチローさんもそうだということになります。
いや、そもそも学校に行って勉強している子どもはみな親にあやつられています。
「親にあやつられている」ということで批判するなら、学校に行っているほとんどの子どもを批判しなければなりません。
したがって、「親にあやつられている」か否かということを論じても意味はありません。
世の中には、子どもが自分の意見を社会に発信することに反対するおとなが多数いて、そういうおとなは、ほんとうは「子どもが生意気なことを言うな」と言いたいのですが、それでは反発を買うので、代わりに「親にあやつられている」と言っているだけなのです。
子どもとおとなは、体の大きさではハンデがありますが、頭の働きではほとんどハンデはないと思います。たとえば将棋の藤井聡太七段とか、10歳でプロ入りして話題になった囲碁の仲邑菫初段とかを見てもわかります。
小さいころから自分の意見を言って、人と議論していると、その能力もどんどん進歩していきます。
17歳でノーベル平和賞を受けたパキスタンのマララ・ユスフザイさんは、11歳のときにタリバーンの女子校破壊活動に反対する意見をインターネットに投稿して注目を浴びましたが、マララさんの父親は私立女子校の経営者ですから、その影響があるのは明らかです。「父親にあやつられている」という批判も当然あったでしょう。しかし、15歳のときに銃撃を受けて重傷を負い、世界的に注目され、16歳の誕生日に国連本部で演説し、高く評価されました。もちろん今、「父親にあやつられている」と言う人はいません。
なにか意見を言えば、賛否があるのは当然ですが、「意見を言うな」と言うのは間違いです。
子どもがどんどん意見を言うようになれば、学校教育の問題点などもはっきりしますし、政治、経済、クリエイティブな分野で活躍する子どもも出てきて、社会が活性化するでしょう。
今はむしろ、ゆたぼんのような子どもがあまりにも少ないのが問題です。