村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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人間は30歳ごろまでに音楽の好みが固まって、新しい音楽を探すのをやめるそうです。また、60%の人は普段聴いている同じ曲を何度も聴いているだけだそうです。フランス発のストリーミング・サービス「ディーザー」がイギリスのリスナー1000人を対象にした調査から明らかになりました。
https://shugix.hatenablog.com/entry/人は30歳で新しい音楽の探求をやめる…音楽的無気力
 
このことは自分自身を振り返っても納得がいきます。好奇心は年をとってもあまり変わりませんが、新しい音楽を聴いてもそれほど感動することはなくなります。ただ、懐かしい音楽を聴くと昔と変わらない感動が甦ってきます。
そして、イベントの感動も音楽の感動と似ているのかもしれません。
 
2025年の万博の開催地が大阪に決まりました。55年ぶりの大阪万博です。
2020年には56年ぶりの東京オリンピックが開催されます。
 
1回の東京オリンピックのとき、私は中学2年生でした。当時の日本人は、これを成功させれば日本は一流国の仲間入りができるのだということで大いに盛り上がりました。それは感動的な体験だったと思います。
大阪万博については、私自身は東京オリンピックの二番煎じだと思いましたが、ほとんどの日本人は盛り上がっていました。
「万博世代」という言葉があって、当時中学生ぐらいだった世代を指す言葉です。中学生のころにああした大きなイベントがあると、とりわけ鮮烈な体験になるようです。
東京オリンピックと大阪万博は、青年期であった戦後日本にとって、とりわけ感動的な成功体験でした。
 
現在の日本は明らかに老年期です。新聞には介護や認知症や安楽死などの記事が目立ち、若い世代は片隅に追いやられています。
そして、社会の中心にいる老人たちがかつての感動を再現しようとして企画したのが、2度目の東京オリンピックと大阪万博です。
これは年寄りにとっての“懐メロ”です。
 
問題は、若い世代が東京オリンピックと大阪万博に感動できるかということです。
今のオリンピックは完全に商業主義のイベントになっています。万博はなんのためにやるのかわからない時代遅れのイベントです。
 
いや、年寄り世代にとっても、思惑通りの“懐メロ”になるとは限りません。東京オリンピックも大阪万博も、成功するかどうかわからない初めてのことに挑戦したから感動があったのです。
2度目の東京オリンピックと大阪万博については、挑戦の要素はまったくありません。もはやルーティンワークの範疇です。
 
東京オリンピックも大阪万博も、企画する側のタテマエとしては、日本を盛り上げようということでしょう。
そのとき、新しいことに挑戦するのではなく、“懐メロ”のほうに行ってしまったわけです。
感動よりも利権が目的なので、それでいいのでしょう。
これが今の日本の限界です。

2020年夏季オリンピック開催地が東京に決まりました。
私はイスタンブールがいいと思っていたので、残念です。トルコでのオリンピック開催は初めてですし、イスラム圏初、中東初でもあるので、歴史的な意義があったはずです。
また、経済効果をいうなら、失業率の高いスペインのマドリードのほうが東京より効果的なはずです。
 
私が東京開催を歓迎しない理由はほかにもあります。私は64年の東京オリンピックと70年の大阪万博を経験していますが、その経験からいやな予感がしているのです。
そして、その予感は早くも現実のものになろうとしています。
 
滝川クリステルさんはブエノスアイレスのIOC総会で行った最終プレゼンで、「おもてなし」という言葉で東京のよさをアピールしました。「おもてなし」を発声する部分はニュースでよく取り上げられましたが、その全文を紹介します。
 
 
東京招致委最終プレゼン全文 滝川クリステル
 
 東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語ではそれを「おもてなし」という一語で表現できます。
 
 それは見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています。「おもてなし」という言葉は、なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客さまのことを大切にするかを示しています。
 
 ひとつ簡単な例をご紹介しましょう。もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。例え現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました。世界を旅する7万5000人の旅行者を対象としておこなった最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市です。
 
 この調査ではまた、東京は次の項目においても第1位の評価を受けました。公共交通機関。街中の清潔さ。そして、タクシーの運転手の親切さにおいてもです。あらゆる界隈(かいわい)で、これらの資産を目にするでしょう。東洋の伝統的な文化。そして最高級の西洋的なショッピングやレストランが、世界で最もミシュランの星が多い街にあり、全てが、未来的な都市の景観に組み込まれています。
 
 私が働いているお台場は、史上初の“ダウンタウン”ゲームズを目指すわれわれのビジョンの中心地でもあります。それは都心に完全に融合し、文化、生活、スポーツがユニークに一体化します。ファントレイル、ライブサイト、チケットを必要としないイベントが、共有スペースにおいて多くの競技会場を結び、素晴らしい雰囲気を創り出します。
 
 来訪者全てに生涯忘れ得ぬ思い出をお約束します。
 
 
私はこのプレゼンにひじょうに違和感を覚えます。気恥ずかしいといったほうがいいでしょうか。
 
プレゼンですから、日本のよさをアピールするのは当然ですが、事実をゆがめるのはよくありません。たとえば、「もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます」というのは表現が大げさです。また、「最近の調査」を根拠としているとはいえ、「タクシーの運転手の親切さ」についても疑問が残ります。東京のタクシーの運転手には無愛想な人が多く、あまり道路を知らないし、しばしばカーナビに打ち込むのが下手です。それに、「おもてなし」とはいっても、どこの国や民族にも客人を歓待する文化があるもので、日本にだけ特別なものがあるように言うのは思い上がりです。
 
つまり、ここに表現された日本は、日本人にとっても違和感があると思うのです。
 
ちなみに、安倍首相のプレゼンにも同じ問題があります。原発事故について、「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は港湾内で完全にブロックされている」というのは、明らかに事実をゆがめています。
 
もともと日本人は日本のよさを世界にアピールするのが苦手です。よくいえば謙虚、悪くいえば自信不足からきているのでしょう。それでもアピールしなければならないとなると、へんに大げさになったり、的外れになったり、さらには相手に合わせすぎたりして、日本人自身が違和感を覚えることになってしまうのだと思うのです。
 
この違和感の例としては、イタリアのインテルに所属するサッカーの長友佑都選手がゴールしたときにするお辞儀と合掌のパフォーマンスを挙げるとわかりやすいでしょう。
Jリーグの選手は、ゴールしたときにお辞儀なんかしません。なぜ長友選手はあんなことをするのか。それは相手に合わせすぎなのでしょう(ほかの日本人サッカー選手や大リーグの日本人選手にもお辞儀パフォーマンスをする人がいます)
つまり、「外国人が日本人とはこのようなものだと思う日本人」を演じているのです。
イタリアでプレーするスペイン人選手は、ゴールをしたときに闘牛士のパフォーマンスをすることはないはずです。
 
とにかく、日本人は世界にアピールするのが下手なので、オリンピックのような国際的な大事業をするとなると舞い上がってしまって、妙に恥ずかしいことをする可能性が大なのです。
 
たとえば、前の東京オリンピックのときには「東京五輪音頭」、大阪万博のときには「世界の国からこんにちは」という曲が大ヒットしました(どちらも三波春夫の歌で知られていますが、「東京五輪音頭」は何人かの歌手の競作)
どちらの歌もひじょうに恥ずかしい歌です。当時の私はこれらの歌を何度も聞かされてうんざりしました。
もっとも、ヒットしたのですから、恥ずかしいと感じない人も多いのでしょう。
恥ずかしいか否か、それぞれで判断してください。
どちらの歌も1番の歌詞だけ引用しておきます。
 
「東京五輪音頭」
作詞:宮田隆 作曲:古賀政男
 
ハァー
あの日ローマで ながめた月が
ソレ トトントネ
きょうは都の 空照らす
ア チョイトネ
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショコーリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトントトトント 顔と顔
 
 
「世界の国からこんにちは」
 作詞:島田陽子 作曲:中村八大
 
こんにちはこんにちは 西のくにから
 こんにちは こんにちは 東のくにから
 こんにちは こんにちは 世界のひとが
 こんにちは こんにちは さくらの国で
一九七〇年のこんにちは
 こんにちは こんにちは 握手をしよう
 
 
ちなみに、映画「20世紀少年」三部作(堤幸彦監督)で春波夫という歌手が「ハロハロ音頭」という歌を歌うシーンがあります。これは明らかに「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」のパロディですが、あの恥ずかしい感じをうまく表現しているので、これも1番だけ引用しておきます。
 
 
「ハロハロ音頭」
 
よいしょ!
 
ハロー ハロー
えぶりばでぃ
世界中の
 
ハロー ハロー
えぶりばでぃ
皆々様よ
 
2015年の ハロハロで
踊れ皆の衆
 
ハロー ハロー
えぶりばでぃ
皆々様よ
 
こんにちは こんばんは
こんにちは こんばんは
こんにちは こんばんは
こんにちは こんばんは
 
 
なぜこれらの歌が恥ずかしいかというと、あまりにも軽薄で能天気だからということでしょうか。
来たるべき2度目の東京オリンピックでも、同じような軽薄な歌が巷に流れるかと思うと、それだけでうんざりしてしまうのです。
 
また、これから「おもてなしニッポンキャンペーン」のようなものが大々的に行われて、外国人客が来たらこのようにお迎えしましょうみたいなことを連日言われるに違いなく、それもうんざりすることです。
 
外国人客に東京名物としてもんじゃ焼きをアピールしようという動きがすでにあって、これにも困惑してしまいます。東京はおそらく世界でいちばんおいしいものが揃っている都市です。なぜもんじゃ焼きを外国人に勧めないといけないのでしょうか。
ここで思い出したのが、95年にアジア太平洋経済協力会議(APEC)が大阪で開かれたとき、当時の横山ノック知事がやたらにタコ焼きをアピールしたことです。大阪もおいしいものがいっぱいあるのに、なぜタコ焼きなのでしょう。
もんじゃ焼きやタコ焼きを勧めることが「おもてなし」であるとはとうてい思えません。
もしかして「おらたち日本人はもんじゃ焼きやタコ焼きレベルの国民でごぜえますだ」という卑下した気持ちからでしょうか。
 
とにかく、日本人が日本を外国にアピールしようとすると、なぜか妙なことになって、私は気恥ずかしくなってしまうのです。
 
これは「国際性のない日本人がむりをして国際性を出そうとする姿」がみっともないということではないかと思います。
 
こういうと私が国際性のある人間のようですが、そうではありません。自分に国際性がないので、そういう自分の姿を見てしまうのが恥ずかしいのです。
 
しかし、考えてみると、私に国際性がないために、たとえばクリステルさんのプレゼンを恥ずかしく感じてしまうのかもしれません。国際性のある人にとっては、クリステルさんのプレゼンは当然のことで、「東京五輪音頭」も「世界の国からこんにちは」も少しも恥ずかしくない歌なのかもしれません。
 
いずれにせよ、7年後の東京オリンピックは、日本国民全員があまり大騒ぎせず、できるだけ平常心で迎えてほしいものだと思っています。

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