村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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今年のノーベル文学賞は中国の小説家、莫言氏に授与されることに決まりました。期待された村上春樹氏は残念な結果となりました。
莫言氏は映画「赤いコーリャン」の原作者だということですが、私の認識の網にひっかかるのはそこだけで、あとはなにも知りません。
それにしても、中国人作家が受賞したとなると、村上氏の受賞は遠くのかもしれません。授賞する側は地域的な偏りを嫌うからです。
 
私は最初のころは村上氏の作品のよい読者でしたが、「ノルウェイの森」があれよあれよとミリオンセラーになっていくのを見ているうちに読みそこない、そこからあまり読まなくなりました。みんなが読むものは読まなくてもいいかという心理がありますし、私は「科学的倫理学」を理論づける作業をしなければならないので、楽しみのための読書をしている場合ではないということもあります。
 
もちろん村上氏はたいへん優れた作家です。力の入った長編だけでなく、いかにも力を抜いて書いたようなエッセイがおもしろいというところにその力量が表れています。
 
しかし、村上氏の思想的な側面はというと、正直あまり評価できません。
たとえば村上氏は2009年、エルサレム賞を受賞し、エルサレムでの授賞式の記念講演において、「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と語りました。これは当時、イスラエル軍がパレスチナのガザ地区に侵攻して国際的な非難を浴びていたので、それを踏まえたものであることは明らかです。
しかし、私は「壁と卵」の比喩にひじょうな違和感を覚えました。今、ウィキペディアで調べてみると、いろいろな人が批判しています。文芸評論家の斎藤美奈子氏は「こういう場合に『自分は壁の側に立つ』と表明する人がいるだろうか」と書き、作家の田中康夫氏は「壁の側にだって一分の理はあるのでは」と語り、フランス現代思想の浅田彰氏は「壁と卵の比喩は曖昧すぎる」と語ったそうです。
ただ、ペレス大統領などイスラエルの政府要人が集まった場所での発言ということで評価できるという見方もあります。
 
私が「壁と卵」の比喩に違和感を覚えたのは、この比喩ではイスラエルとパレスチナの関係が永遠に変わらないことになってしまうからです。
確かに今はイスラエルの軍事力が圧倒的なので、「壁と卵」の比喩でいいですが、歴史を振り返ると、無敵の軍隊や無敵の国家というのはありません。いつかは必ず敗れるときがくるものです。
ですから、私なら、軍事力で保たれている国というのはいつかは滅びる、今は壁でもいずれ卵の側になることを忘れるな、というふうに言います。このほうがイスラエルの要人にもこたえるのではないでしょうか。
 
それから村上氏は9月28日、日中が尖閣問題で対立していることについて朝日新聞に寄稿しました。今や村上氏は大作家ですから、この文章は朝日新聞の一面(と三面)に掲載され、かなり注目されました。
 
村上春樹さん寄稿 「魂の道筋、塞いではならない」
(現在全文は読めなくなっているようです。読みたい人はどこかのサイトで探してください)
 
しかし、読んでもあまりピンときませんでした。ただひとつだけ印象に残ったのは、領土を巡る熱狂は「安酒の酔いに似ている」と表現したところだけです。
要するに愛国的熱狂は「安酒の酔い」だと言ったわけで、これは比喩としてはそんなに悪くありません。しかし、現在愛国的熱狂にとりつかれている人は、「なぜこれが安酒の酔いなのだ。高級酒の酔いとどこが違うのだ」と思うでしょう。そして、そう思う人を説得する論理がありません。
つまり「壁と卵」もそうなのですが、「安酒の酔い」も文学的表現なのです。
村上氏は文学者ですから、それでいいと言ってしまえばそれまでですが、やはり政治的問題について発言するときは、ある間違った考え方があるとして、その考え方がどう間違っているかを明らかにするものでなければならないのではないでしょうか。
 
尖閣問題で日中間が揺れるこの時期に村上氏が寄稿した文章だけに、多くの人がその内容に期待したのではないかと思われますが、正直期待外れと言わざるをえませんでした。
もっとも、このことが村上氏の作家としての評価を下げるようなことにはなりませんが。
 
 
ちなみに私は、ナショナリズムや愛国主義は「国家規模の利己主義」だと言っています。
領土を巡る愛国的熱狂は「国家的利己主義の熱狂」ということになります。
利己主義の熱狂は、自己満足ですから、必ずあとでむなしくなります。
これが「安酒の酔い」ということだと思います。
私流の表現だと「オナニーのあとのむなしさ」ということになります。
 
安倍晋三自民党総裁の著書の題名は「美しい国へ」で、麻生太郎元首相の著書の題名は「とてつもない日本」です。題名からしてオナニー臭が漂っています。
 
愛国主義が実は「国家規模の利己主義」だとわかれば、愛国主義に熱狂することのむなしさもわかるはずです。

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で乃木将軍のことを見ていて、文芸評論家の江藤淳のことを思い出しました。江藤淳も殉死ではありませんが後追い自殺をし、NHKのドキュメンタリードラマ「明治の群像 海に火輪を」(10)の原作者でもありました。この「明治の群像」は維新直後から日露講和までを描いたもので、江藤における「坂の上の雲」ともいえる作品です。
 
私は江藤淳の思想についてはまったく興味がなかったのですが、自殺したときの世の中の反応にひじょうな違和感を覚え、それでいろいろなことを考えさせられました。
 
江藤淳は1999721日、享年66歳で自殺しました。その前年に妻をガンで亡くし、自身も脳梗塞になり、その後遺症に苦しんでいた中での自殺です。その遺書は名文と讃えられたので引用しておきます。
「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」
 
私は自殺そのものについては、「まあ、そういうこともあるだろう」程度の感慨しかありませんでしたが(なにしろ一冊も著作を読んだことがないので)、世の中の反応に驚きました。その死を絶賛する人がたくさんいたのです。
たとえばこんな具合です。
 
「自殺サイトなぜ死んではいけないのですか?」より
・奥さんの後を追って死んだんだね。とっても美しい・
 ・美しい限りで、それは、我々が失ったものの大きさをまったく違う次元で十分に贖ってくれるはずではないか。彼から、『諸君よ、これを諒とせられよ』と請われて、彼を愛した者たちとして、何を拒むことが出来るだろうか(石原慎太郎)
 
・奥さまへのいたわりや、やさしさも生涯、深く貫かれ、本当に後を追うように逝かれたのですね(瀬戸内寂聴)
 
・彼の強さが、単なる自殺ではなく、矜持を保ったままの"自決"を選ばせたが、その本質は、限りない優しさによる、"妻への殉死"だと思う。(浅利慶太)
 
 
とりわけ浅利慶太氏のように、「これは自殺ではなく自決だ」という声が多く聞かれました。
 
これに対して、有名人やマスコミが自殺を美化すると自殺を誘発するとの反対の声が上がりました。また、病気になって苦しい中でも生きようとしている人はいけないのかとか、とりわけ脳梗塞になった人は「形骸」にすぎないのかという声も上がりました。
当然でしょう。自殺を美化するのは間違っています。
 
とはいえ、私は自殺を批判しようとも思いません。
 
江藤淳の場合、前年に奥さんを亡くしたということが精神的に大きかったようです。江藤淳は奥さんを看取った過程を「妻と私」という文章にして「文藝春秋」に発表します。単行本版「妻と私」の「あとがき」にこう書かれています。
「『妻と私』は『文藝春秋』平成十一年五月号に掲載された。私がこれまでに書いて来た文章のなかで、これほど短期間にこれほど大きな反響を生んだものは、ほかに一つもない。友人知己のみならず、多くの未知の読者から次々と読後感が寄せられたからである」
 
「妻と私」を読むと、奥さんの存在がいかに江藤淳にとって大きかったかがわかります。ですから、夫婦愛の物語として大きな反響を呼んだわけです。ただ、私の印象としては、かなり江藤淳が奥さんに依存的であったような気がします。
ですから、奥さんが亡くなったことの精神的なショックはきわめて大きかったでしょう。そこに自身が脳梗塞という病に襲われました。このふたつの出来事で江藤淳は死を選んだものと思われます。
最愛の奥さんを亡くし、自身も病気で不自由な身になる。それゆえに自殺したということを私は少しも批判する気にはなりません。
 
ただ、問題は江藤淳が思想家であったということです。その思想と自殺の関係はどうなのかということが問われます。
江藤淳が日ごろから家族のたいせつさを訴え、健康のたいせつさを訴える思想家だったら、それをなくして自殺したのはある意味当然です。しかし、江藤淳はそうではありませんでした。
江藤淳の業績は多方面にわたり、その思想をひと言でいうのはむずかしいのですが、少なくとも保守主義者であって、日本という国家にこだわり続けたことは間違いありません(戦後の日本よりも明治の日本に本来の国家の姿を見ていたようです)
そういう思想家が、妻を亡くし、体を害したからといって自殺するのでは、その思想はなんだったのかということになります。
ほんとうに日本という国家のことを思うのであれば、妻を亡くし、体が不自由になっても、文章が書ける限り国家のために書き続けるはずです(彼の脳梗塞はそれほど重いものではなかったようで、少なくとも名文とされる遺書を書くだけの文章力はあったわけです)
 
ですから、江藤淳の自殺は、江藤淳の思想の敗北でもあったのです。
江藤淳の信奉者が江藤淳の自殺を美化しようとしたのは、それをごまかしたかったからではないでしょうか。

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