小さい事件であっても、その背後にいろいろなことを想像させる事件があります。たとえば、私にとってはこの新聞記事の事件もそうです。
 
<団地トラブル>騒ぐ少年に包丁、女性逮捕 福岡・早良
毎日新聞1021()1525分配信
 福岡県警早良署は20日、福岡市早良区の団地で騒いでいた少年たちを注意するため包丁を持ち出した団地に住む女性(31)を銃刀法違反容疑で現行犯逮捕した。団地は少年たちのたまり場で、いら立ちを募らせた住民の注意の仕方がエスカレートした形となった。

 逮捕容疑は、20日午後10時50分ごろ、同区星の原団地近くの路上で、包丁(刃渡り約15センチ)を所持したとしている。

 同署によると、女性は包丁を手に騒いでいた男女9人の中学生らに対して帰宅するように注意したという。中学生らの警察への通報で発覚した。女性の1歳8カ月の子供が、発熱のため眠れなかったことも背景にあるらしい。女性は容疑については認めているが「なんで私が悪いのか。悪いのは子供たちだ」と話しているという。

 星の原団地では、「少年たちが騒いでいてうるさい」などの住民からの110番が、多い時で1日5回はあるという。署員が駆けつけて少年たちを解散させ、見回りもしているが、いたちごっこの状態が続いている。【関谷俊介】
 
 
中学生が騒いでいるだけで包丁を持ち出すというのはもちろんへんですが、この団地では子どもが騒いでいるだけで1日5回も住民からの110番通報があるというのにも驚いてしまいます。そんなことで110番通報するでしょうか。
 
この団地は少年たちのたまり場になっていたということですが、まさか大声大会をやっていたわけではないでしょう。喧嘩やトラブルの声というのは気になるものですが、子どもが遊んでいる声というのは、一般的には気にならないものです。むしろ過疎地などでは子どもの遊ぶ声が聞かれなくなって寂しいということがよくいわれます。
 
とはいえ、子どもの騒ぐ声を気にする人がいるのも事実です。マンションでは、上の階で子どもの立てる音が気になるということでよくトラブルになります。この場合、おとなもそれなりに音を立てているはずなのですが、子どもの立てる音はとくに気になって、感情的に反応してしまうようです。
なぜ子どもの立てる音に感情的に反応してしまうのかというと、おそらく自分が子ども時代に音を立てると「静かにしなさい」とよく叱られていて、それがトラウマになっているからでしょう。自分ががまんして静かにしていたのに、がまんせずにやりたい放題に騒いでいる子どもがいるということで、許せなくなってしまうのです。
 
包丁を持ち出した女性も、おそらくそういうことで感情的になってしまったのでしょう(新聞記事には1歳8カ月の子どもが眠れなかったことも理由のように書いてありますが、その年齢の子どもが戸外の物音をそんなに気にするとも思えません)
 
子ども時代に騒ぐと叱られていたおとなは、自分の子どもや周りの子どもが騒ぐと叱り、叱られた子は自分がおとなになるとまた叱り、そうして“叱りの連鎖”が拡大していっているようです。
 
ところで、警察は通報があると駆けつけて少年たちを解散させ、見回りもしているということですが、これは法律的にはどうなのでしょうか。子どもには結社の自由ならぬ“たまる自由”があるはずです。
子どもはたまり場で仲間と遊んで、人間関係の能力を向上させます。たまり場をなくしてしまうと、対人能力が向上せず、引きこもりの一因になったり、友だちがつくれなくなったり、草食系になったり、会社に入ってうまくやっていけなくなったりします。
勉強偏重で遊びを軽視していることが、若い世代にさまざまな問題を生んでいると思います。