村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:やまゆり園事件

植松聖
移送中の植松聖被告

植松聖被告が障害者19人を殺害したやまゆり園事件の裁判員裁判が進行中です。
マスコミは植松被告の言い分を「身勝手な主張」と切り捨てていますが、そう単純なものではありません。植松被告は「国のため、社会のため」ということを主張しているからです。

1月24日の公判では、こんなことを述べていました。

弁護人から「意思疎通が出来ない方にも親や兄弟がいる。家族のことを、どう考える?」と聞かれると、植松被告は「子どもが重度障害を持っていても、守りたい気持ちは分かるが、受け入れることは出来ない」と主張。その上で「自分のお金と時間で面倒を見ることが出来ないから。お金を国から支給されているからです。お金と時間がかかる以上は、愛して守ってはいけないと思います」と声を大にした。

植松被告は、弁護人から「安楽死で世の中はどうなる?」と聞かれると「生き生きと暮らすじゃなく、働ける社会になると思います」と主張。働くことが重要かと聞かれると「そうです。仕事をしないから動けなくなってしまう。ボケてしまうんだと思います」と答えた。若い人で仕事をしていない人もいるが? と聞かれると「働けない人を守るから、働けない人が生まれると思う。支給されたお金で生活するのは間違っていると思う。日本は借金だらけ。(障がい者を殺せば)借金を減らすことは出来ると思います」などと主張。国が障がい者に支給する手当が、国の財政を圧迫しているという趣旨の持論を展開し、自己正当化した。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202001240000212.html

自分が犯罪者になっても国の財政を救おうとは、まさに“滅私奉公”で、愛国者の鑑です。

2月5日の公判では、植松被告は障害者を殺したのは「社会の役に立つと思ったから」と主張しました。

「やまゆり園」植松被告「趣味は大麻です」繰り返す
45人が殺傷された「津久井やまゆり園」事件の裁判員裁判第10回公判が5日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれ、遺族らが元職員の植松聖被告(30)に対する被告人質問を行った。

姉(当時60)を殺害された男性が「なぜ殺さなければならなかったのか」と尋ねると、植松被告は「社会の役に立つと思ったから」と答えた。植松被告は「ご遺族の方とこうして話すのは心苦しい」と述べ、謝罪も口にしたが、「重度障害者を育てるのは間違い」と言い切り、「趣味は大麻です」と2回繰り返した。

長男一矢さん(46)が重傷を負った尾野剛志さん(76)が「家族は悩みながら、小さな喜びを感じて生活している。あなたはそれを奪った」と謝罪の言葉を求めると、ひときわ大きな声で「誠に申し訳ありませんでした」と答えた。尾野さんが「今、幸せですか」と問うと、「幸せではありません。いや、どうだろう」と首元に触れた。

被害者参加制度に基づくこの日の質問は、被害者からの直接の問いかけに植松被告がどう答えるか注目されていた。尾野さんは生い立ちから探るために、。初公判で指をかんだ意味に関する質問も制止されたという。質問を終えて法廷を出た尾野さんは「残念です」と話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-02050870-nksports-soci

植松被告は「国のため、社会のため」という大義名分を押し出して、殺人を正当化しています。

人の命よりも国家を上位に置くのは、よくある考え方です。特攻隊でなくても、若者が兵隊になって戦争に行くこと自体、命より上に国家を置いていることになります。
「障害者は殺していい」というところに着目すると、植松被告の考え方は優生思想になりますが、「国のため」というところに着目すると、ナショナリズムや右翼思想になります。
植松被告は2016年2月、衆院議長公邸を訪れて「障害者が安楽死できる世界を」という手紙を渡しました。自分のやろうとすることは「国のため」なので、理解してもらえると思ったようです。


右翼政治家の石原慎太郎氏も植松被告と同じような考えの持ち主です。
石原氏が都知事になった1999年、重度障害者が治療を受けている病院を視察したとき問題発言をし、さらにやまゆり園事件にも言及しました。

 重度障害者たちが治療を受けている病院を視察した石原氏は、会見にて「ああいう人ってのは、人格があるのかね」と語ったのだ。その後も「絶対よくならない、自分が誰だかわからない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障害で、ああいう状況になって」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと発言した。
 ちなみに昨年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が死亡し、20人が重傷を負った殺傷事件ついても石原氏は言及しており、「文學界」(文藝春秋/16年10月号)の対談で「あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と心境を吐露してみせた。
https://biz-journal.jp/2017/03/post_18396.html

優生思想とナショナリズム、右翼思想は表裏一体であることがわかります。

ネトウヨが跋扈するような右翼的な世相と、人権を軽視する風潮がこの事件を生んだともいえます。


ところで、植松被告がこうした犯行に及んだのは、親から人としての愛を受けられなかったからだというのが私の考えです。
『「やまゆり園」植松被告「趣味は大麻です」繰り返す』という記事で、被害者側は『被告と両親に関する質問を用意したが、「事件と関係ない」と弁護側に止められた』ということです。
弁護側に止められたということは、裁判長もそれを認めたのでしょう。
日本の司法はいつまで親子関係をブラックボックスに入れておくのでしょうか。

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障害者施設で19人が殺害された「やまゆり園事件」の裁判が1月8日から始まりました。
この事件は、植松聖被告が「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている。安楽死させるべきだ」などと語り、その優生思想とも言える考え方に注目が集まっていました。
判決は3月16日が予定され、26回の公判が行われるということです。

裁判でも被害者の名前は公表されていません。
京アニ事件でも被害者の名前はなかなか公表されませんでしたから、最近の傾向ではありますが、やはり障害者への差別があるからでしょう。

そうした中で、殺害された女性(19歳)の母親が被害者の「美帆」という下の名前を公表しました。
公表したのは「裁判の時に『甲さん』『乙さん』と呼ばれるのは嫌だったから」「美帆の名を覚えていてほしい」という思いからだそうです。
母親は美帆さんの4枚の写真とともに手記を公表しました。

【美帆さんの母の手記】
大好きだった娘に会えなくなって3年が経ちました。時間が経つほどに会いたい思いは強くなるばかりです。会いたくて会いたくて仕方ありません。
 本当に笑顔が素敵でかわいくてしかたがない自慢の娘でした。アンパンマン、トーマス、ミッフィー、ピングー等(など)のキャラクターが大好きでした。
 音楽も好きでよく「いきものがかり」を聞いていました。特に「じょいふる」が好きでポッキーのCMで流れるとリビングの決まった場所でノリノリで踊っていたのが今でも目に浮かびます。
 電車が好きで電車の絵本を持ってきては、指さして「名前を言って」という要求をしていました。よく指さしていたのは、特急スペーシアと京浜東北線でした。
 ジブリのビデオを見るのも好きでした。特にお気に入りは、「魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」。他のビデオも並べて、順番に見ていました。
 自閉症の人は社会性がないといいますが、娘はきちんと外と家の区別をしていて、大きな音が苦手でしたが、学校ではお姉さん顔をしてがんばっていたようでした。
 外では、大人のお姉さん風でしたが、家では甘ったれの末娘でした。児童寮に入っていた時、一時帰宅すると最初のうちは「帰らない、家にいる」と帰るのを拒否していました。
 写真を見せて「寮に帰るよ」と声かけすると、一応車に乗り寮の駐車場に着くものの車からは出てきません。
 「帰らない」と強く態度で表していました。パニックをおこして大変だったけれどうれしい気持ちもありました。2年くらいは続いていましたが、それ以降は自分で寮で生活するということがわかってきたようで、リュックをしょって泣かずに帰っていくようになりました。親としてはさびしい気持ちもありましたが、お姉さんになったなあといつも思っていました。
 月1くらいで会いに行き、コンビニでおやつと飲み物を買い一緒にお庭で食べるのですが、食べおわると部屋にもどることがわかっていて、食べている間中「歌をうたって」のお願いをされ、よくアンパンマンの「ゆうきりんりん」とちびまる子ちゃんのうた、犬のおまわりさん等、うたっていました。私のうたをBGMにしておやつをおいしそうに食べていました。
 自分の部屋にもどる時も「またね」と手を振ると自分の腰あたりでバイバイと手を振ってくれていました。
 泣きもせず、後おいもせず部屋に戻っていく後ろ姿を見ているとずいぶん大人になったなと思っていました。
 美帆はこうして私がいなくなっても寮でこんなふうに生きていくんだなと思っていました。
 人と仲よくなるのが上手で、人に頼ることも上手でしたので職員さんたちに見守られながら生きていくのだなと思っていました。
(後略)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/news_jp_5e156ecbc5b66361cb5c9f65


愛情の感じられる文章です。
美帆さんは、たぶん“生産性”がなく、社会には役に立たない人間でしょう。
植松被告に言わせると、生きる価値のない人間です。
しかし、母親にとっては価値のある人間です。


優生思想の問題は、人間の価値はなにかという問題でもあります。
売り上げの多いセールスマンは、売り上げの少ないセールスマンより価値があり、早く走る陸上選手は遅く走る陸上選手より価値があり、勉強のできる生徒は勉強のできない生徒よりも価値があるというように、人間はさまざまなモノサシで測られます。
美帆さんは、そういう社会で用いられるモノサシで測ると、なにも価値がないということになるかもしれません。
しかし、母親にとっては価値ある存在です。
母親は「愛」というモノサシで測っているからです。

また、配偶者や恋人が余命3カ月と診断され、ベッドから起き上がれなくなったら、植松被告の思想では、価値のない人間なので、さっさと捨てたほうがいいということになるでしょうが、現実にそんな判断はありえません。配偶者や恋人への愛があるからです。

そういう意味では、愛は人間の価値を測る最後のモノサシです。


人間には「人権」という価値があります。これは誰にも等しくあるとされるので、人間の究極の価値と言えます。
しかし、人権は近代になってからできた概念で、抽象的で、理解しにくい面があります。
これは愛と結びつけると理解しやすくなります。
たとえば、ナチス支配下でユダヤ人を助けた人は、「ユダヤ人にも人権があるから」と思って助けたわけではないでしょう。「あの人がかわいそうだ」という愛情、共感、思いやりなどの感情から助けたはずです。

優生思想は人権思想によって否定されますが、人権思想は愛の裏付けがあって初めて力を持ちます。
「仏つくって魂入れず」という言葉にならって言うと、「人権つくって愛を入れず」になってはいけません。


しかし、今の時代、親の愛も平等にあるわけではありません。親から虐待されて死ぬ子どももいます。
やまゆり園で被害にあった人たちも、誰もが美帆さんのように親から愛されていたとは限らないでしょう。

そうすると、植松被告はどうでしょうか。
社会の役に立たない人間は生きている価値がないという思想を身につけたのは、自分が社会のモノサシでばかり測られて、一度も愛のモノサシで測られたことがなかったからではないでしょうか。

植松被告の父親は小学校の教師で、母親は一時ホラーマンガを描いていたという情報はありますが、それ以外のことはなにもわかりません。

美帆さんの母親は姿を見せましたが、植松被告の両親はまったく姿を見せないところに、この事件のいちばんの闇があります。

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