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「アナと雪の女王2」(字幕版)を観ました。

前作の「アナと雪の女王」では、エルサがなぜすべてのものを凍らせる魔法の力を持っているかの説明がまったくなく、両親が突然船の難破で死んでしまうのも不可解でした。そうした疑問に答える作品です。

前作は2014年の公開で、「王子さまのキスでお姫さまが救われる」という伝統的な物語の枠組みを壊し、お姫さまが自力で問題解決をするという点が画期的でしたが、もうひとつ画期的だったのは、親子関係の描き方です。
エルサは生まれつき魔法の力を持っていましたが、両親はその力を抑え込もうとし、手袋をつけさせ、部屋に閉じ込めます。エルサにとって両親は、自分の個性を否定する毒親です。その毒親が死んで、エルサは妹のアナの助けを得て、自己肯定に至るという物語になっています。
私は物語の最後で、「ご両親はエルサのためを思ってきびしくなさったのよ」みたいな展開になるのかと思いましたが、そういうのはいっさいなく、両親は最後まで無視されたままでした。
子ども向けの物語で、継母を否定的に描くのはありましたが、実の親を否定的に描いたのは初めてではないでしょうか。

そういうことから、続編で親はどう描かれるのかが気になりました。


全体的な印象を言うと、絵がひじょうに進歩しました。技術的なことだけでなく、芸術的というか、見て楽しいものになっています。
音楽も、まあいいのではないでしょうか。
前作の主な登場人物がそろって出てくるのも、前作のファンにはうれしいでしょう。

ストーリーに少し難点があります。いろんな要素を詰め込みすぎて、ストーリーの軸が見えにくくなっているのです。
レビューを見ても、よくわかっていない人が多いようです。
そこで、テーマがよくわかるように説明したいと思います。
いくらかネタバレになりますが、あらかじめ知っておいたほうが作品を楽しめるかもしれません。


アレンデール王国で、アナやエルサは平穏に暮らしていましたが、エルサは謎の歌声を聞くようになります。歌声が聞こえてくるのは、ノーサルドラの森からです。
この森ではかつて王国の軍隊と先住民とが戦ったことがありましたが、今は不思議な霧におおわれて、人間が入れなくなっています。
アナ、エルサ、山男のクリストフ、トナカイのスヴェン、雪だるまのオラフは、歌声のもとをたずねて旅に出て、エルサの力によって霧に閉ざされた森の中に入っていきます。
そうすると、森の中では王国の軍隊と先住民とがいまだに戦っていました。
つまり過去がそのまま封じ込められているのです。
また、森の中には王国がつくった大きなダムがあります。一応石造りですが、近代的なダムの形をしています。
こういうファンタジーの中にダムが出てくるのはかなり違和感があります。
さらに、火の精霊や風の精霊や地の精霊も出てきます。

アナたちは森の中で難破船を発見します。両親が乗っていた船です。船の中に地図があり、アナたちはそれを頼りに過去の秘密にたどり着きます。
詳しくは書きませんが、「罪もない者を殺した」という言葉が出てきます。

そして、「過去の過ちを正さなければ未来はない」という言葉も出てきます。これがこの映画の重要なポイントです。
つまり歴史修正主義との戦いです。


アレンデール王国は先住民の土地を奪い、ダムをつくって自然破壊をします。
一方、先住民は水の精霊、火の精霊などのいるアニミズムの世界に生きています。
アメリカ人は、この物語にインディアンを殺して土地を奪ったアメリカの歴史を見るでしょう。

これはケビン・コスナー監督・主演の「ダンス・ウィズ・ウルブズ」やジェームズ・キャメロン監督の「アバター」と同系列の映画です。
文明人が先住民や自然と触れ合うことで文明の悪に気づく物語です。

結局、アナたちの両親はまったく正当化されません。むしろその罪があばかれます(正確には祖父の罪です)。
こういう親子関係の描き方は、前作に続いてやはり画期的なものです。


前作は雪と氷の物語でした。
ですから、今作は水と火と風と地の物語にしようと制作陣は考えたのではないでしょうか。そのため焦点が定まらなくなってしまいました。
文明対自然、文明人対先住民というのが中心のテーマだと見なすと、わかりやすくなります。
そこに歴史修正主義との戦いも盛り込まれています。

最近のディズニー映画は実に挑戦的です。