村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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ACジャパンがテレビで「イイトコメガネ」というCMをやっています。
 
ACジャパンといえば、大震災後のCMラッシュでうんざりさせられたことを思い出します。
「ポポポポ~~ン」という言葉が印象的な「あいさつの魔法」というCMは、音楽とアニメが楽しく、説教くささがないので比較的ましなほうでしたが、それでも「あいさつするたびともだちふえるね」は明らかな誇大広告だから、JAROに通報したいと当時書いた覚えがあります。
 
「イイトコメガネ」は着眼点がよく、まさにいいとこに目をつけたなあと思いましたが、やはり根本的なところで間違っています。
 
 
ぼくももってるイイトコメガネ
人のいいところが見えるのだ
イイトコメガネ
ゆう君のあいさつは元気いっぱいだ
イイトコメガネ
のりちゃんは一人でいる子によく声をかけている
しんちゃんはおもしろいことをいってみんなを笑顔にしている
イイトコメガネ
ちかちゃんはなんでも一生懸命だ
みんないいとこいっぱい
イイトコメガネはみんなの心の中にあるよ!
パパのいいところは……
ACジャパン
 
「イイトコメガネ」という発想はとてもたいせつです。
世の中には「いい人」と「悪い人」がいるとされていますが、実は私たちが「イイトコメガネ」と「ワルイトコメガネ」で見ているからだということもいえます。
「悪い人」をなくそうとするより、みんなで「ワルイトコメガネ」をなくそうとしたほうがうまくいくかもしれません。
 
しかし、このCMは根本的なところで間違っています。
それは子どもに訴えかけているところです。
 
おとなは偏見の動物ですが、子どもはまだ偏見がありません。つまりまだほとんど「ワルイトコメガネ」はかけていないはずなのです。
 
しかも、周りの子どもにも悪い子はほとんどいないはずです。
「よい赤ん坊」と「悪い赤ん坊」がいないのと同じで、小さいうちは「よい子」も「悪い子」もいないのです。
 
しかし、人間はさまざまな経験を積むうちに「悪い人間」になり、「ワルイトコメガネ」をかけるようになります。
 
子どもを対象に「先生に望むこと」というアンケートをすると、たいてい「えこひいきしないでほしい」と「体罰をしないでほしい」という回答が1位、2位になります。
えこひいきする先生とは、「ワルイトコメガネ」をかけた先生です。
 
親が「ワルイトコメガネ」をかけていると、子どもがたいへんです。
子どもを見て、乱暴だ、わがままだ、素直でない、親のいうことを聞かない、嘘をつくなどといって年中叱ります。
 
ですから、このCMはおとなを対象にしてつくるべきなのです。
親や教師に対して、「イイトコメガネ」で子どもを見ようと呼びかけるものなら、価値あるものになったし、より多くの人の共感を得るものになったでしょう。
 
 
ACジャパンは、「おとなに甘く、子どもにきびしい」という傾向があるようです。
大震災直後のCMで、「心は誰にも見えないけれど、心づかいは見える」というのがありました。
 
 
 
これも高校生に訴えかけるCMになっています。
しかし、電車の中で妊婦さんに席を譲るのは、高校生に限らず、20代、30代、40代、50代と、元気な人なら誰でもいいわけです。
このCMを見ると、ACジャパンは妊婦や老人を助けるよりも、高校生に義務感を植えつけることのほうを重視しているのかと思ってしまいます。
 
 
子どもがパパを「イイトコメガネ」で見たら、「いいパパ」なら問題はありませんが、「悪いパパ」たとえば子どもを虐待するパパだったら、事態をさらに悪化させてしまいます。
 
「イイトコメガネ」のたいせつさを訴えるのは、あくまで子どもではなくおとなに対してでなければいけません。

ヱビスビールのCMで役所広司さんが「召し上がろう」と言っているのが気になります。「召し上がれ」ならいいですが、「召し上がろう」では自分も「召し上がる」ことになって、自分に敬語を使っていることになります。これはどう考えても間違った日本語でしょう。
しかし、CMをつくっているスタッフや関係者が誰もこの言葉のおかしさに気づかないとはなかなか考えにくいことです。普通の言葉づかいでは聞き流されてしまうので、印象に残るように、わざと耳ざわりの悪い言葉を使っているのでしょうか。もしそうだとしても、それは日本語の乱れにつながることですから、やめてほしいものです。
 
「日本語の乱れ」なんていう常套句を使ってしまいましたが、私はいわゆる日本語の乱れはぜんぜん気になりません。というのは、日本語の乱れというのは、主に若い世代の、草の根から生じる変化であって、それは自然なものだと思うからです。
 
そもそも「乱れ」というのはバラバラになって混乱することをいうのですが、たとえば「見れる」「食べれる」などの“ら抜き言葉”がふえているのは一方向への整然とした変化ですから、これを「乱れ」というのは、そちらのほうが日本語を乱していることになります。
 
もっとも、言葉が通じないのでは困ったことです。たとえば「空気が読めない」を「KY」というのは、知らないと通じません。しかし、若い人も相手を見て話すでしょうから、話が通じなくて困るということは現実にはほとんどないのではないでしょうか。
それに、「KY」という言葉を知ると、若い人は空気を読むということを気にしていることがわかり、少しは世の中の変化がわかることになります。
 
また、このごろの若い女性は、やたらと「かわいい」を連発します。赤ちゃんを見て「かわいい」だけではなく、服を見ても「かわいい」、アクセサリーを見ても「かわいい」、お菓子を見ても「かわいい」です。それに、「チョー」という強調の形容詞もよく使われます。ですから、なにを見ても「チョーかわいい」ということになるわけです。あまりにも単純な言葉づかいだと怒る人もいるかもしれませんが、昔はなにを見ても「いとおかし」と書いていた随筆家がいたわけで、それと同じようなものです。
自分の気持ちを表現するのに複雑な言葉が必要なのは屈折した人です。単純な言葉で間に合うのは人間がまともだということで、けっこうなことです。
 
世の中の変化をおもしろがっていると、「日本語の乱れ」という言葉は使わなくていいものだと思います。
 
もっとも、ヱビスビールのCMの「召し上がろう」は、世の中の変化によって出てきた表現ではないはずです。こういうのは「日本語の乱れ」につながるだけですから、やめてほしいものです。

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