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世の中の変わる速度よりも教育の変わる速度は遅い――というのは私が考えた法則ですが、十分に成立すると思います。
したがって、教育の世界はどんどん世の中から取り残されていきます。

都立高校の83%に頭髪に関する規則があり、そのうちの約10%の高校には「ツーブロックを禁止する」という旨が明記されているそうです。
共産党の池川友一都議が都議会で、なぜツーブロック禁止なのかと質問したところ、藤田裕司教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と回答し、池川都議がツイッターにその質疑の動画を投稿したところ、「意味不明の理由だ」などと反響を呼んで、ネットニュースになりました(その代表的なニュースはこちら)。

私はツーブロックという言葉を初めて知って、調べてみると、「ああ、あれか」と納得しました。よく見る髪型です。私の中では“部分刈り上げ”と認識していました。
オシャレに敏感な若い人がする髪型――ということは言えるかもしれません。

ツーブロックが禁止される理由は、要するにオシャレだからです。
昔から日本の学校は生徒のオシャレを目の敵にしてきました。

私が小中学生のころ、「華美な服装はいけない」ということを耳にタコができるほど聞かされました。
「華美」を文字通りに解釈すれば「華やかで美しいこと」ですから、むしろいい意味です。ですから私は頭の中で「過美」と変換していました。

中学で江戸時代の三大改革を学び、贅沢禁止令が繰り返し出されたことを知ると、「華美な服装はいけない」というのは江戸時代の改革を真似ているのかと思いました。
封建時代の道徳が学校の中に生き残っているのだと思ったのです。
根拠はありませんが、そうとでも考えなければ説明がつきません。

ついでに言えば、戦時中も「ぜいたくは敵だ」とか「パーマネントはやめましょう」というスローガンがありました。
学校は「ロストワールド」みたいに昔のものが生き残っているところです。


最近はさすがに見なくなりましたが、少し前まで坊主頭と詰襟の学生服を強制する学校が多くありました。
もちろんこれは軍国教育の名残りです。戦後は平和教育に転換したといっても、中身はなかなか変わりません(セーラー服も水兵の服です)。
校庭に生徒を整列させて、気をつけ、休め、前にならえなどをさせるのも軍国教育の名残りです。こんなことは社会に出たらなんの役にも立ちません(自衛隊や警察に就職すれば別ですが)。

校則に頭髪と服装に関する規制が多いのも、軍国教育の名残りと考えられます。

運動部で練習中に水飲みを禁止することが長らく行われてきたのも、軍隊で水の補給が少なくても対応できる体にするためです。
戦後にはもちろん意味がなく、科学的に水分補給がたいせつだということが言われるようになっても、なかなか改まりませんでした。

教科書の内容は時代に合わせて変わりますが、学校文化はなかなか変わりません。

オシャレ禁止には保護者の支持もあります。
子どもが華美な服装などのオシャレをすると金がかかり、親の負担になるからです。


ブラック校則などの学校文化がなかなか変わらないのは、インプリンティングとトラウマで説明できます。
幼児期に体験したことは強い思い込みとなって、なかなか訂正できません。つまりインプリンティングです。
そして、その体験に苦痛が伴うとトラウマとなり、トラウマは記憶の中に封印されるので、やはりなかなか訂正できません。

ブラック校則に従わされた生徒が教師になると、また同じようなブラック校則をつくって生徒を従わせます。いわば「ブラック校則の連鎖」です。
親から虐待された子どもが親になると自分の子どもを虐待するという「虐待の連鎖」と同じことです。


学校文化がこのように時代遅れであることは、学校内だけの問題ではなく、社会にも影響します
たとえば、ツーブロック禁止の校則について杉村太蔵氏はテレビでこのように語りました。

 「校則って確かに、大人から見ても『なんだこれ』っていうの結構ありますよ。僕は北海道出身で、マフラーの巻き方の校則もありました」と自身の経験を振り返り「校則はなぜ存在するのかというと、子供たちがルールを守る練習。世の中に出たときに『これ変なルールだな』と思うことがありながらも、ルールである以上それを守らなければいけない。それを守る訓練というのもどこか教育的にあるのかなと理解しています。世の中の法律でも納得できないものって結構あると思いますから」とあくまで教育に必要なものであると強調。

 「生徒が納得できないと」という意見に対しては「僕はそこが訓練だと思っている。世の中に出たときに、全てにおいて納得できないこともあるでしょう。納得できないことも受け入れるという訓練が未成年のときに必要なんじゃないかなと思う。こういう意味不明な校則もあっていいんじゃないかな」と持論を展開した。


杉村太蔵氏といえば、26歳で衆議院議員になり、「早く料亭に行ってみたい」などの型破りな発言で注目されただけに、柔軟な考えの持主かと思いましたが、こと校則に関しては完全に硬直した考えです。

この杉村氏の意見に対してはネットで批判の声が上がりました。

「不条理なルールに従い続ける社会ではなく、不条理なルールに声を上げて変える社会にしなければ」
「『ルールを守る練習』が必要なら、『ルールを変える練習』も必要。ルール従うだけでは、考える人は育たない」
「そんな無意味な練習は必要ない。子どもたちに納得出来る説明をするのが大人の仕事」

とはいえ、杉村氏のような考えの人は日本にたくさんいるでしょう。
こういう人は、自分自身の考えが硬直しているだけでなく、若い人の新しい考えも否定するので、社会の進歩を妨げます。

最近、日本から斬新で創造的な製品が生まれなくなって、日本経済がすっかり停滞してしまったのは、少子高齢化のせいだけではなく、ブラック校則などが蔓延する学校文化の影響が大きいのではないでしょうか。


ブラック校則をなくすには、当然ですが、校則づくりに生徒も参加することです。
そうすれば今の時代に合った校則になります。

そもそも自分たちが守るルールを自分たちでつくるのは民主主義の基本です。