村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:バラエティ番組

強姦致傷の容疑で逮捕された高畑裕太容疑者ですが、その犯行がどれだけ悪質なものであったかについては疑問があります。
といって、ハニートラップにあったとかいうのではありません。警察がことを大げさにしている可能性があると思うのです。
 
みのもんたさんの次男が窃盗未遂容疑で逮捕されたときがそうです。あれだけ大騒ぎしたのに、結局不起訴(起訴猶予処分)になりました。もともと現行犯でもないのに窃盗未遂で逮捕したのが不自然でした。このごろの警察は有名人がターゲットだと妙に張り切るようです。
 
高畑容疑者の場合、被害女性は指をケガして全治1週間の診断書を提出し、これにより強姦致傷の容疑になりました。
高畑容疑者は8月23日の午前2時すぎにホテル従業員の女性に歯ブラシを持ってくるように言い、午前3時32分に女性の知人男性から警察に110番通報があり、午後1時40分に高畑裕太容疑者が逮捕されています。
 
診断書の提出が早すぎるのではないかということからハニートラップ説が出てきたようです。
確かにわずかのケガで病院の夜間救急外来に行って診断書を取ったとすれば不自然な感じがします。しかし、私が思うに、被害女性は警察の指示か助言で病院に行って診断書をもらったのではないでしょうか(実際にケガをしたのですから、警察は間違ったことをしているわけではありませんが)
テレビでコメンテーターが強姦致傷がいかに重い罪であるかを解説しているのを見ると、それは警察によって“かさ上げ”された部分かもしれないのになあと思ってしまいます。
 
 
ともかく、高畑容疑者を徹底的に批判するのはためらってしまいます。
しかし、芸能界の人は昨日までいっしょに仕事をしていた仲間を、警察が逮捕したとたんに手の平を返したように批判しています。
 
たとえば高畑容疑者と共演したことのある中尾彬氏は、「人の話は聞かない、あいさつはできない。私は50年仕事してきてるけど、初めて怒鳴ったね」と激怒したそうです。
坂上忍氏も、タメ口、下ネタを連発した高畑容疑者について、「オレ、親だったら絶対ブン殴ってる」「ガチで怒った」と語りました。
 
しかし、高畑容疑者がバラエティ番組で人気になったのは、そういうタメ口のキャラだったからではないかと思われます。そもそもバラエティ番組というのはそういうものです。先輩にきちんとした口を利いていたらおもしろくありません。ローラさんなんか黒柳徹子さんにもタメ口でしたが、逆に評判になりました。
中尾彬氏や坂上忍氏もそういうバラエティ番組の論理をわかっているはずなのに、逮捕されたとたんに批判するのはどうかと思われます。
 
それに、先輩にタメ口というのは、それほど悪いことではありません。ほんとうに悪いのは、弱い立場の者に偉そうにしたり、傷つけるようなことを言ったりすることです(礼儀正しいといい人間だと思われますが、いい人間になれるわけではありません。日本でいちばん礼儀にうるさいのはヤクザ社会で、その次が芸能界です)
 
 
松本人志氏は母親の高畑淳子さんについて、「もうちょっと息子に怒らないといといけないと思います」とコメントしています。
ほかにも、甘やかしたのがよくない、もっと叱るべきだという意見はよくあります。
高畑親子で共演したことが何度もあるようで、そのときにタメ口の息子を叱らなかったということを言っているのかもしれません。
 
しかし、テレビカメラがあってもなくても、人前で親が成人した子どもを叱れるものではありません。もし叱ったら、その場の雰囲気をぶち壊してしまいます。
 
高畑淳子さんの記者会見の言葉から判断すると、淳子さんは子どものころの裕太容疑者の素行にずっと悩んでいて、逆に叱りすぎていたのではないかと思われます。
 
「もっと叱るべきだ」というのは、実態に合わない無責任なコメントです。
 
 
ところで、いろいろ検索していると、高畑容疑者が今年6月に日本テレビの「24時間テレビ」の番組パーソナリティに決定したときの記事を見つけました。そのときから高畑容疑者のキャラはみんなわかっていたわけです。
 
 
キャラかぶった!?高畑裕太に小山慶一郎「手越が2人いる」
 
 俳優の高畑裕太(22)が8月27、28日に放送される日本テレビ「24時間テレビ39」で番組パーソナリティーとして初参加することになり、23日に東京・汐留の同局で行われた会見に、メーンパーソナリティーの「NEWS」、スペシャルサポーターのタレント今田耕司(50)らと出席。
 
 番組への初参加に高畑は「本当嬉しいんですよね、マジで。めちゃめちゃ光栄。純粋にパッションです」とハイテンション。会見では高畑に「生放送怖い」(今田)、「怖いなぁ。途中からいなくなっている可能性がある」(羽鳥アナ)、「発言だけ気をつけていただければ」と口々に心配の声が上がった。小山慶一郎(32)も「心配なやつが1人いる…発言だけ気をつけて」と続けた。高畑自身でもその自覚はあるようで「僕という存在が生の公共の電波に映っていい存在なのかという葛藤(はある)。やっぱ緊張する」と本音をもらし、「マジで心配です。母親(高畑淳子)に話したら『やめさない』って言われた」と母から止められたことを告白した。
 
 そんな高畑の姿に小山は「手越が2人いる、ジャンルは一緒」とハイテンションキャラのメンバー、手越祐也(28)と重ね合わせしみじみ。「オレ、あんな感じ?」と首をひねる手越をよそに、高畑は「ちょっとだけ下宿した感じ」と独特の表現で受け、笑わせた。番組パーソナリティーはお笑いコンビ「オリエンタルラジオ」とともに務めることになる。  
 

[2016623 14:21 ]

 
 
どういうキャラかわかっていたのに、いざ警察に逮捕されるとみんな手の平返しです。
マスコミや世間が警察の判断に完全依存しているのも情けないですが、芸能界ぐらいは仲間をかばうところがあってもいいのではないでしょうか。

芸能界を引退した島田紳助さんは、考えてみれば偉大な人でした。世の中の価値観にコペルニクス的転回をもたらしたからです。それは「おバカ」の発見です。
 
「クイズ!ヘキサゴン!!」で、バカな回答をするタレントが笑いをとっているのを見た紳助さんは、それらのタレントをおバカタレントとしてフィーチャーし、売り出しました。紳助さんがプロデュースした音楽ユニット「羞恥心」(つるの剛士、野久保直樹、上地雄輔)及び「Pabo」(里田まい、スザンヌ、木下優樹菜)は大人気となり、「おバカ」は価値あるものとなったのです。
 
それまでバカとは軽蔑されるものであり、私たちはバカにならないよう勉強し、またバカと見られないよう知ったかぶりなどをしてきたわけですが、そうした価値観が揺らぐことになったわけです。
 
もっとも、多くの人はそのことを認めたくないようです。当時、「日経ビジネスオンライン」に誰かがおバカタレントブームについて文章を書いていたのですが、それにつけられたコメントは圧倒的におバカブームを否定的に見ていて、まじめに勉強することのたいせつさを訴えるものでした。また今、「おバカタレント」で検索してみても、否定的な評価をする意見のほうが多く見られます。
 
もちろんバカか賢いか、知識があるかないかといったら、賢くて知識があるほうがいいのですが、それは人間を評価する物差しのひとつにすぎません。
おバカタレントはたいてい美男美女です。それに歌などの才能を持っています。性格も明るくて、好感度が高いです。おバカタレントはバカであっても、総合評価で高ポイントをあげているわけです。
 
さらに、おバカタレントは自己肯定感が強いのではないかと私は思っています。
人がおバカを好むのは、バカな発言などを聞いたときに優越感を味わえるということもひとつの理由です。人が優越感を味わうということは、その対象となる人のほうは劣等感を味わうことになるのが普通ですが、おバカタレントはそういうことがないようです。人に笑われても平気でいられるのです。この自己肯定感の強さに私たちは自分にないものを感じ、憧れを持つのではないでしょうか。おバカタレントの人気はそこにもあるのだと思います。
ちなみにオネエタレントも、オネエというのは社会的に低く見られますが、それをはね返すだけの強い自己肯定感を持っている人たちのような気がします。
 
私たちのほとんどは、学校において勉強ができるか否かという単一の物差しで測られ、そのことをずっと引きずり、劣等感を持たされてしまっています。しかし、その物差しは実社会ではそれほど役に立つものではありません。
たとえば、ダウンタウンの松本人志さんは、島田紳助さんとのトーク番組「松本紳助」において、自分は九九ができないということを語っていました。どうしても掛け算をしなければならないときは、足し算を繰り返すそうです。九九ができないというのは、学校の物差しではバカということになりますが、そんな評価にはほとんど意味がないということがわかります。
 
おバカタレントの活躍は、私たちの人を評価する物差しのつまらなさを教えてくれます。
 
最近テレビで目立っているおバカタレントは、鈴木奈々、坂口杏里といったところです。ローラもおバカのうちでしょうか。みんなおもしろくて、番組を盛り上げています。

私はテレビ番組の中ではお笑い番組が好きです。それもゴールデンアワーのものではなく、もっぱら深夜のものを見ます。お気に入りの番組は録画しておき、原稿を書き終わって寝るまでの間に見ます。気楽に見られるので、クールダウンするのにぴったりです。
よく録画する番組は、「アメトーーク!」「タモリ倶楽部」「芸人報道」「にけつッ!!」「ざっくりハイボール」「志村軒」「さまぁ~ず×さまぁ~ず」「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」「東京都さまぁ~ZOO」などです(東京ローカルでのことです)
明石家さんまさんのゴールデンの番組もおもしろいのですが、さんまさんやスタッフの力が入りすぎていて、なかなか気楽に見られません。その点、深夜番組はゆるくつくられていて、万人向けでないので適度に毒もあり、私に向いています。
 
今、お笑い芸人の世界は底辺がきわめて広いので、テレビに出ているお笑い芸人は激烈な競争を勝ち上がってきた人たちです。ですから、いろんな意味でレベルが高く、芸人の書いた本がいくつもベストセラーになっていますし、映画監督をする人も何人もいます。
おそらく日本のお笑いのレベルは世界でも抜きん出ているのではないでしょうか。たとえば2人でかけ合いをする漫才という形式は外国にはないのではないかと思います。アメリカなどでは、スタンダップコメディという漫談の形式が主流ですし、それもほとんどが差別ネタです。“言葉の壁”があるために日本のお笑いが世界に出ていくということはありませんが、もしなんらかの手段で“言葉の壁”を乗り越えることができれば、日本のお笑いはマンガやアニメ以上に世界で評価されるのではないかと思います。
 
私は京都生まれなので、子どものころから関西のお笑いに親しんでいました。中でも好きだったのが吉本新喜劇です。もちろん今の吉本新喜劇とメンバーがぜんぜん違います。当時は岡八郎、平三平、花紀京、ルーキー新一などが人気メンバーでした。
ワンパターンのストーリーに加えて毎回同じギャグ、どうしてこんなものがおもしろいのかと自分でも思うのですが、それでもおもしろい。たとえば、ボコボコに殴られてフラフラになりながら「今日はこれぐらいにしといたるわ!」とか、「俺は空手を習うてるんやど!……通信教育やけどな」とか、毎回笑ってしまいます。
 
当時は松竹新喜劇も人気がありました。こちらは藤山寛美という天才的な役者がいて、きっちりつくり込まれた芝居で、レベルはぜんぜん高かったと思います。母親などはこちらを好んで見ていましたが、私は低レベルでバカバカしい吉本新喜劇のほうが好きでした。
 
ところが、父親はお笑いというものをまったく理解しない人でした。私が吉本新喜劇やその他のお笑い番組を見ていると、ひたすらバカにします。お笑い番組を見ることが父親とのバトルでもあったわけです。
 
父親は旧帝国大学出のインテリでした。昔のインテリがお笑いをバカにするのはきわめて一般的なことだったでしょう。
私の世代になって初めて、学生になってもマンガを読むといったことが一般化したのです。
 
父親と私とのバトルは、メインカルチャーとサブカルチャーのバトルでもありました。そして、私はサブカルチャーのほうに自分の原点を見いだしたわけです。
 
 
ところで、先日亡くなった吉本隆明は「大衆の原像」ということをよく言っていました。吉本隆明の世代においては「知識人対大衆」という認識が当たり前のことでしたが、吉本隆明は、知識人は大衆から遊離してはいけない、だから「大衆の原像」をいつも心に持つようにするべきだという考えだったのでしょう。
その意味では、吉本隆明は自分を知識人と規定して、自分と大衆とは別だと思っていたわけです。
しかし、私は基本的に自分は大衆(の1人)だと思っています。ですから、自分の考えは大衆の考えであり、大衆の考えは自分の考えであるので、「大衆の原像」などというものは必要ありません。
そして、「知識人対大衆」という図式でいえば、私は大衆の側から知識人を批判的に見ることになります。そうした視点が思想や学問の総体を批判する今の考えにつながったといえます。
 
「吉本隆明対吉本新喜劇」という図式でいえば、吉本新喜劇こそが私の原点です(このダジャレはまったくの偶然です)
 
思想的なことはいっさい抜きにしても、お笑いが好きな私と、お笑いを軽蔑していた父親と、どちらが幸せかといえば間違いなく私のほうだといえます。

最近の芸能界で活躍が目立つのはマツコ・デラックスさんでしょう。あれだけ毒のあることをいって受け入れられているのはたいしたものです。
ところで、私はマツコさんを見ると、故・ナンシー関さんを思い出します。ナンシー関さんもマツコさん並みの体型で、いつも同じようにゆったりした服を着ていました。ナンシー関さんは消しゴム版画家で、コラムニストですが、有名人を批評するその文章にはかなりの毒があって、それもマツコさんに似ています。
 
私は、ナンシー関さんはこんなことばかり書いていると、相当な反論や反撃を受けるのではないかと心配しましたが、実際のところはそれほどのこともなかったようです。
なぜナンシー関さんはそれほど反論や反撃にあわなかったのかというと、やはりあの体型に理由があると思います。あそこまで太っていると、なにか人間離れした感じがしてきます。たいていの人は、人間離れした存在に対してまともに反論する気にならないのではないでしょうか。
 
それから、毒舌といえば、おすぎとピーコさんのことが思い出されます。おすぎとピーコさんもまたつねに毒舌を吐き続けて、たいした反撃を受けることもなく芸能界を渡ってきました。なぜそれが可能だったのかというと、やはり2人がオカマだったからでしょう。オカマという性の境界を越えた存在に、多くの人はどう対応したらいいのか困惑したのではないでしょうか。
 
マツコ・デラックスさんは女装家で、やはり性の境界を越えた存在です。
つまりマツコさんは、人間離れした体型と、性の越境者というふたつの強力な防御装置を持っているので、毒舌をまき散らすことが可能となっているのです。
 
私は決して毒舌家ではありませんが、世の中の常識に真っ向から逆らうことをこのブログで書き続けていますので、そのうち反撃を受けるかもしれません。
まともな反論ならいくらでも対応できますが、世の中なにがあるかわかりません。
マツコさんをうらやましく思う毎日です。
かといって、今から太って、女装するという気ももちろんありませんが。

このページのトップヘ