村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:バンクシー

バンクシー
「Banksy (@banksy) • Instagram photos and videos」より

上の絵は覆面アーチストのバンクシーによる新作です。
イギリス南部のサウサンプトン総合病院に届けられ、救急病棟近くのロビーに飾られました。
バンクシーの「あなた方のご尽力に感謝します。白黒ではありますが、この作品で少しでも現場が明るくなることを願っています」というメモが添えられています。
今秋まで同病院に飾られ、その後はNHS(国民保健サービス)の資金を調達するためにオークションにかけられるということです。

マスコミは、新型コロナウイルスの感染拡大で過酷な仕事を強いられている医療従事者への感謝を表現した絵というふうに報じています。
看護師の人形のほかにバットマンやスパイダーマンの人形もあるので、「看護師はヒーローである」ということを表現しているという解釈です。

しかし、バンクシーのことですから、そんな単純なことではなく、なにかの皮肉や寓意があるはずです。

バットマンやスパイダーマンの人形が入っているカゴは、どう見てもごみ箱です。
子どもはバットマンやスパイダーマンに飽きて、ごみ箱に捨て、今は看護師人形で遊んでいますが、いずれ看護師人形にも飽きて、ごみ箱に捨てることを暗示しています。


イギリスの看護師には外国からきた非白人の人が多いそうです(たいていのヨーロッパの国はそのようですが)。
日本でも医者と看護師は差別的関係にありますが、イギリスではそこに人種差別も加わるわけです。

「note」でそのことを指摘している人がいました。

今日はフランスのニュースで、バンクシーが新しく描いた絵が病院に飾られたという話をしていました。これを見た人たちは絶賛しているんです。
この絵は白人の男の子が、今までのヒーローはカゴに捨てられているように置かれている中、黒人の看護師が新たなヒーローとして遊ばれている絵です。
皮肉すぎませんか。それを白人の病院関係者の方が絶賛している姿がものすごく違和感です。この絵を見た時に私はいろんな感情が自分の中で渦巻きました。
https://note.com/momusplay/n/nf2c1cead3a6e

バンクシーのメモに「白黒ではありますが」という言葉が入っているのは、人種問題を暗示していそうです。
つまりこの絵は、過酷な現場で奮闘する看護師をヒーローとしてたたえつつも、看護師の多くが非白人であるという差別構造を皮肉っていると解釈できます。


ただ、私はそれだけではないと思います。

まずひとつは、捨てられたバットマンやスパイダーマンは、悪と戦うヒーローだということです。
というか、ヒーローというのは悪と戦うと決まったものです。
しかし、看護師のヒーローは悪とは戦いませんし、おそらくなにとも戦いません。
そういうヒーロー像の転換ということもバンクシーは言いたかったのではないかと思います(この絵のタイトルは「ゲームチェンジャー」というようです)。


そして、いちばん肝心なのは、子どもは看護師のヒーロー人形で遊ぶことにいずれ飽きるだろうということです。

現在、多くの人が医療従事者を持ち上げ、つまりヒーロー扱いして、感謝の言葉を述べています。
本気で言っているかどうかは誰にもわかりません。

たとえば、安倍首相は5月4日の記者会見でこのように語りました。
 各地の病院で集団感染が発生している状況を大変憂慮しています。しかし、医師、看護師、看護助手、そして病院スタッフの皆さんは、そのような感染リスクと背中合わせの厳しい環境の下で、強い使命感を持って、今この瞬間も頑張ってくださっています。全ては私たちの命を救うためであります。医療従事者やその家族の皆さんへの差別など、決してあってはならない。共に心からの敬意を表したいと思います。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0504kaiken.html
「心からの敬意」という言葉で医療従事者を持ち上げていますが、本気でそう思うなら、医療従事者に特別手当を支給すればいいのです。
現に大阪府では、基金を設けて寄付を募り、吉村知事は早ければ5月中にも、府内の病院で新型コロナ感染症の入院患者の治療にあたる医師など医療従事者に一律20万円を支給する考えを表明しています。

言うのはタダですから、いい人に見られたいために、うわべだけで医療従事者をヒーローとしてほめたたえる人もいます。
そういう人は、コロナ禍が過ぎ去れば、子どもがオモチャに飽きるように、医療従事者のことなどすっかり忘れてしまうだろう――バンクシーはあの絵にそういう皮肉を込めたのだと思います。

S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像
S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像


バンクシーの「退化した議会」という絵画が13億円で落札されたというニュースがありました。
イギリス議会とおぼしいところに人間の議員ではなくチンパンジーがずらりといるという絵画です。
政治風刺の意図がわかりやすすぎてどうかという気もしますが、チンパンジーの姿がリアルでおもしろいので、高額で落札されたのは納得です。

その絵をこのブログに張るわけにはいかないので、代わりにバンクシーのストリートアートの写真を張っておきました。
「退化した議会」を見たい人は次で見てください。

バンクシー 退化した議会の画像

この絵を見て、不愉快に思う人もいるでしょう。バンクシーは政治や社会を批判する意図で芸術活動をしているので、当然です。
しかし、「バンクシーの絵は不愉快だから公開するな」と主張する人がいても、そんな人を相手にする必要がないのも当然です。


ピカソというと、「あんな絵のどこがいいかわからない」という人がいます。
今はピカソの評価が定着したので、そういう人は少なくなりましたが、昔はいっぱいいました。
抽象画についても、「わからない」という人がいっぱいいます。

「わからない」という人をわからせようと説得するのは無意味です。
芸術は、理屈で理解するものではないからです。

「ピカソの絵はわけがわからんから、ピカソの展覧会なんかやめろ」と主張する人はまずいないでしょうが、「バンクシーの『退化した議会』は英国議会への冒涜だから、公開するな」と主張する人は、もしかしているかもしれません。
そんな人を説得しようとするのもむだというものです。


展示中止になっていた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が10月8日にも再開されそうですが、それについて「コールセンター」がつくられるそうです。

【あいちトリエンナーレ】アーティストの「コールセンター」が誕生。電凸抗議を作家が直接聞く。

コールセンターをつくる高山明氏は、演劇とパフォーマンスのアーチストなので、コールセンター自体がアーチストとしての活動になるのかもしれませんが、基本的にこういうことで話し合っても無意味ではないかと思います。

「表現の不自由展」に文句をつけてきた人は、芸術に意見が言いたいということではなく、単に政治的主張をぶつけてきただけでしょう。
これに対応すると政治論議になってしまいます。
また、芸術作品として、「作者の意図はこうです」などと説明しても説得できないでしょうし、鑑賞の自由を制限して、芸術のあり方に反します。


そんなむだなことをしなくてもいいように、「表現の自由」があります。「表現の自由」を盾にすれば、議論する必要はありません。

そもそも「表現の不自由展」開催に反対する人の論理はあまりにもお粗末です。

たとえば、ヤフーニュースにも載った『「表現の不自由展」は税金を使った“日本ヘイト” 「昭和天皇の写真が焼かれる動画に国民は傷付いた」竹田恒泰氏が緊急寄稿』という記事で、竹田氏は「国民は傷ついた」と言いますが、国民の心はひとつではありませんし、見て傷つくような人は展覧会に行きません。
竹田氏は「昭和天皇の写真が焼かれる動画は『日本ヘイト』だ」とも言っていますが、勝手な決めつけです。それに、「ヘイト」という言葉を「ヘイトスピーチ」と混同させる形で使うのも不適切です。

「あいちトリエンナーレ2019」に国の補助金が出ていることから、「公金をもらう以上制限を受けるのは当然だ」という意見もありますが、公金というのは恩恵として下されるものではありません。文化芸術基本法と文化芸術推進基本計画には、「文化芸術の多様な価値」を発展させ、「文化芸術立国」を目指すことがうたわれていて、それを実現するための補助金です。自由な環境がないと文化芸術は発展しません。

「表現の不自由展」開催に反対する人は、政治を芸術の上に置いている人です。
政治が芸術を支配すると、社会主義リアリズムやプロレタリア文学やナチスの退廃芸術批判や日本の戦意高揚芸術のように、ろくなことになりません。

政治を芸術の上に置いている人も、広い意味で「芸術のわからない人」です。

私もすべての芸術がわかるわけではありませんが、自分のわからないものを否定したり公開するなと主張したりはしません。

バンクシーの「退化した議会」を見て「これは英国議会への冒涜だ」という人や、ピカソの「泣く女」を見て「こんなものは芸術ではない」という人や、「『表現の不自由展』は日本ヘイトだ」という人の声が世の中を支配するようになると、芸術の進歩もなくなるので、そんな声は無視するしかありません。

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