村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:中学校

9月1日は「子どもの自殺の特異日」です。
夏休み明けの最初の登校日に自殺が多いというわけです。
これはある意味当然ではありますが、もちろん自殺はなくしたほうがいいに決まっています。
菅官房長官も記者会見で異例の呼びかけをしました。
 
 
菅官房長官、悩みを持つ子どもに自殺を思いとどまるよう呼び掛け
 
自殺を思いとどまるよう呼び掛けた。
菅官房長官は、「大切なことは、決して1人でなく、そうした悩みや苦しみを、誰でもいいから打ち明けてほしいと思いますし、そうすることによって、きっと誰かが助けてくれる」と語った。
菅官房長官は1日、夏休み明けに、児童・生徒の自殺が増える傾向にあることに関し、悩みを持つ子どもに対し、誰かに相談するよう呼び掛けた。
政府の自殺対策白書によると、18歳以下の子どもの自殺は、91日が突出している。
菅長官は、「休み明けは、児童・生徒にとって生活環境が大きく変わり、プレッシャーが生じやすい」と指摘し、「学校、地域、家庭が連携して、児童・生徒の変化を適切に把握していくことが重要」との認識を示した。
 
 
呼びかける対象が違います。
親に対して、新学期が始まるに際して子どもの様子をよく見るように呼びかけるべきです。
 
菅官房長官は、悩みを打ち明ければ「きっと誰かが助けてくれる」と言いましたが、なんの根拠もない無責任な言葉です。
助けてくれる人がいたら、きっとすでに相談して助かっています。誰も助けてくれない状況にいる子が自殺するのです。
 
 
ロンブーの淳さんも自殺特異日に合わせて、次のようなツイートをして、話題になりました。
 
 
  田村淳
 ‎@atsushilonboo 
気持ちが乗らないなら
学校なんて
無理して行くことない
その代わり
他の場所を探す努力を
学校以外にも
学ぶ場所は沢山ある。
 
201691 00:44
 
 
これも子どもに呼びかけています。
「学校なんて無理して行くことない」と言いますが、子どもが学校に行きたくないと言えば、ほとんどの親は必死で子どもを学校に行かせようとしますから、親子で深刻なバトルが生じます。
ですから、むしろ親に「子どもを無理して学校に行かせないでください」と言うべきです。
 
子どもはほとんど自己決定権のない状況に置かれているのですから、子どもに呼びかけて問題が解決するはずありません。
 
とくに菅官房長官は、子どもや親に呼びかけるよりも、その立場からして学校に呼びかけるべきでしょう(一応「学校、地域、家庭が連携して、児童・生徒の変化を適切に把握して」とは言っていますが、具体性がありません)
 
イジメ問題についても、「イジメはよくないことだとわからせる」とか「命のたいせつさを教える」など、もっぱら子どもへの働きかけが行われています。
これは、学校や家庭はそのままで、子どもを変えることでイジメを解決しようという横着な発想です。
 
おとながみんなこうした発想でいる限り、子どもの自殺もイジメもなくせるわけがありません。 

教育のやり方を決めるのはすべておとなです。そうすると、そのやり方はおとなにとって都合のいいものになりがちです。
ただ、おとなはそういうことには気づかないものです。
 
スクール水着というと、セーラー服、ブルマーと並んで、AVではスケベ男の妄想をかき立てるアイテムですが、それにニュータイプのものがお目見えしたということです。
 
 
スクール水着、中学生と開発 「肌の露出イヤ」の声反映
 水泳用品メーカーのフットマーク(東京)は、中学生4人と共同開発したスクール水着「イデアルスイミング」を24日に売り出す。「素早く着替えたい」「肌が見えるのはイヤ」など、4人の意見や中学生360人へのアンケートで集めた声を盛り込んだ。
 
 開発に加わったのは、東京都立両国高校付属中3年の薄井美佳さん、太田梨々香さん、北畠和哉さん、齊藤昌弘さん。昨年11月、職場体験でフットマークを訪れたのがきっかけだ。デザイナーが要望を聞き、試作を繰り返した。
 
 女子からは「短い休憩時間で素早く着替えたい」「肌が見えないワンピース型がいい」という相反する願いが多かったため、脱ぎ着しやすく上下に分けた水着を腰のボタンで留める形に。上着の後ろ側を長くして、体育座りでも背中が露出しない工夫もした。
朝日新聞デジタル 417()2326分配信
 
 
この記事はリンク切れになっています。水着の写真は、次のメーカーのサイトで見ることができます。
 
スーパー中学生ものづくりプロジェクト
 
この女子用水着は、太ももまで覆う形で、上下が別れています。太ももの露出がなくて、上下に別れているので着替えるときも肌の露出が避けられるというわけです。
 
スクール水着というのは、もっともセクシーさを排したデザインになっていると思っていましたが、考えてみると、太ももは露出しますし、シンプルなデザインだけに体型も際立ちます。
男が妄想をかき立てるだけのことはあります。
 
ブルマーもそうでした。あれも太ももを露出します。
しかし、本来のブルマーはそういうものではなかったということです。
 
ニコニコ大百科 単語記事:ブルマー
ブルマーとは、下半身に着用する女性用の衣類の一種である。ブルマとも呼ぶ。
 
起源は諸説あるが、最も有力な説とされているのが19世紀アメリカの女性解放運動家のアメリア・ジェンクス・ブルーマーが発案したという説である。当時の女性の衣服にはヨーロッパ式のコルセットで無理に肉体を絞めつけたりするスカートやズボンが多く、そうした衣服の発想から転換した衣服として画期的なものであった。なお写真や画像で見る限り、丈は膝あたりまであるだぶつきのある物であった。
 
ブルマーは日本でも女子の体操着として導入されたが、導入初期はプリーツがつけられていてだぶつきのある形状のものが多く、その形状から「ちょうちんブルマー」という俗称もつけられた。
 
昭和中期頃にだぶつきが無い物に変更、太もも部を露出し体型にフィットした「ショーツ型」とも称されるタイプの動きやすいブルマーが一般的となり普及した。色は濃紺が多かったが、えんじ色や緑色をはじめ様々なカラーバリエーションも存在した。
 
こうして多くの学校で使用されていたブルマーだったが、太もも部を露出し、かつ殆ど下着と変わらない事や激しく動くとパンツがはみ出るなど抵抗を感じる人も多かった。また、ジェンダーフリーの視点からも体操着が男女別である必要は無いという意見が出された。更には運動会での盗撮行為や写真集の販売といった、ブルマーを性的好奇心の対象として見るケースが広く知れ渡り、廃止運動に拍車をかけた。その結果、19972001年あたりまでに殆どの小中高の学校で女子の体操着はクォーターパンツ等に切り替わり、体操着としてのブルマーは終焉を迎えた。
 
あのような太ももを露出するブルマーを考案して普及させたのは、どうやら日本の教育関係者であるようです。
 
スクール水着も、ブルマーと同じ運命をたどってもおかしくありません。
 
なお、中学校の健康診断でも、昔は女子は上半身裸を強制されることが普通でした。若い男性の医者は、学校の健康診断というと競って行きたがったという話を聞いたことがあります。
 
要するにスケベ男の考えが学校の常識となっていたのです。
 
ところで、新しいスクール水着は中学生の意見を取り入れてつくられたものです。
中学生が意見表明することで、これまでの常識が打ち壊されました。
 
これまで教育改革についてさまざまな議論が行われてきましたが、驚くことに、教育される側の小学生、中学生、高校生にアンケート調査が行われたことは1度もありません。教育改革はすべておとなの考えで行われているのです。
 
教育の世界には、ブルマーやスクール水着みたいなことがいっぱいあるはずです。

中学時代、「四ちゃん」というあだ名の国語の女性教師がいました。あだ名の由来は、八頭身美人という言葉がありますが、その女性教師は背が低く、頭が大きいので、四頭身だということでした。
年齢は40歳ぐらいだったでしょうか。独身でしたから、当時の言葉でいえばオールドミスです。ハイミスという言葉ができたのはそのあとです(今はそんなことをいうこと自体が失礼ですが)
四ちゃんは背も低いのですが、気も小さくて、生徒に対する威圧感がまったくありませんでした。そして、泣き虫でもありました。ですから、生徒たちはなにかきっかけを見つけては騒いで授業を妨害し、そのうち四ちゃんが泣き出すのを楽しみにするようになりました。どこそこのクラスが四ちゃんを泣かしたという情報はすぐに学年中に広がり、今度は自分のクラスで泣かそうと競い合うような感じでした。
 
当時の四ちゃんの心境を思うと、今でもつらくなります。毎日生徒にバカにされて、教師をやめたかったでしょうが、当時女性がほかに職を見つけるのは容易なことではなく、やめるにやめられなかったのでしょう。
 
四ちゃんをイジメるのはよくないという生徒もいましたが、多くは喜んでイジメていました。私もそんなに悪いことをしているという感覚はなかったように思います。
 
中学生というのは残酷なものだということになるかもしれませんが、残酷になるにはそれなりの理由があると思います。
四ちゃん以外のほとんどの教師は、生徒に対して威圧的で、体罰も日常的でした(体罰ではなく教師暴力というべきですが)。つまり生徒は教師につねに圧迫されており、いわば包囲網の中にいるようなものですが、唯一四ちゃんが包囲網の弱点であったわけです。圧迫された分、その弱点に反発力が集中することになります。
つまり、イジメる側にもそれなりの理由があるわけです。
いや、イジメだけではなく、すべてのことには理由があります。
ですから、ほかの教師が生徒を威圧するのも理由があります。それが教師の役割だと信じているのでしょうし、教師にそう信じさせるのが学校制度というものであり、そして学校制度もそれなりの理由があって生まれてきたわけです。
 
大げさにいうと、ビッグバン以来、すべての物事は原因と結果の連鎖の中で変化し、生成してきたわけで、人間の行動もその連鎖の中にあります。
いうまでもなく、原因なくして結果はありません。
 
ところが、イジメについて考えるとき、人はまずイジメる人間は悪いと考えます。それに対して、イジメられる人間も悪いところがあるという考えもあります。このふたつのどちらが正しいかでもう結論が出ませんし、自分なりに結論を出す人も、そこで思考停止してしまって、たとえばイジメる人間が悪いとして、その人間はなぜ悪くなったのかということを考えません。
 
これが道徳的思考というものです。善か悪かという問題に直面すると、そこで思考停止してしまうのです。
イジメる人間が悪と決まると、その周りの人間は自動的に免罪されます。
たとえば裁判で被告に有罪の判決が下ると、その被告の周りの人間への責任追及も終わるので、みんな安心できます。これが刑事裁判の最大の効用です。
 
善や悪といった道徳を頭から追い出して現実を見ると、人間は原因と結果の連鎖の中で生きていることがわかります。この連鎖は広範にわたっており、いわゆる複雑系となっています。この複雑系を研究することが人間を科学的に研究するということであり、これからの人文科学・社会科学のあるべき姿です。

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