村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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農水省元事務次官の熊沢英昭容疑者が長男の熊沢英一郎を殺害した事件について、殺人を擁護する声が広がっています。
橋下徹氏がツイートで「自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか」「僕は熊沢氏を責められない」などと擁護したことは前に書きましたが、「リテラ」の記事によると、ほかにもいっぱいいるそうです。
 

農水省元事務次官の「子ども殺害」正当化は橋下徹だけじゃない!竹田恒泰、坂上忍、ヒロミも…「子は親の所有物」の価値観

 
元事務次官という“上級国民”なので、殺人も許されるという理屈でしょうか。
 
もちろん背景には川崎市20人殺傷事件の連想があると思われます。
しかし、川崎市殺傷事件の犯人の岩崎隆一(51)と、元事務次官の父親に殺害された熊沢英一郎氏(44)には、なんのつながりもありません。
「引きこもり」というキーワードでつながっているようですが、引きこもりの人はいっぱいいます。
しかも、熊沢英一郎氏は「引きこもり」といえるかどうか疑問です。
 
文春オンラインの次の記事が熊沢家のことを割と詳しく書いています。
 
元農水次官を追い詰めた 長男の「真っ先に愚母を殺す」【全文公開】
 
この記事から一部を引用します。
 
 事件前の約10年間、英一郎氏は実家ではなく、都内の別の場所で一人暮らしを続けていたが、ゴミ出しなどを巡り、近隣住民とトラブルが絶えなかった。昨年5月には〈323,729円 これが今月の私のクレカの支払額だ。君達の両親が必死で働いて稼ぐ給料より多いんだよ〉とツイッターに書き込んでいるが、こうしたゲーム代や生活費もすべて親持ちだった。英昭はしばしば息子の様子を見に行っていたようだ。
 
 コミックマーケットを通じ、10年間にわたって交流があったという男性が打ち明ける。
 
「私は0405年頃、同人誌を作っていたのですが、英一郎氏にコミックマーケットで作品を購入してもらったことがきっかけで彼と知り合った。その後、都内で開催された同人誌の即売会で会うたびに談笑するといった交流を続けてきました。当時、彼は『(アニメなどの)専門学校を中退した』と話していた。また、一時期パン職人をやっていたそうで、彼が作ったというシュトーレン(ドイツ発祥の菓子パン)をもらったこともあります。女性関係については『かつては彼女がいた。今はいないが童貞ではない』と。彼は好きなものには妄信的で、そうでないものは蛇蝎(だかつ)の如く嫌う性格。特に母親への憎悪は根深いと感じました」
 
 次官まで務めた父親は自慢の種だったようだ。
 
12年頃のある日、彼がコミケに年配の男を連れてきたことがあった。彼はその人を指して『父です』と紹介してきました」(同前)
 
 
10年間、実家を出て一人暮らしをしていて、コミケで出会った人と交流もしているので、「引きこもり」の定義にはまったく当てはまりません。
「アニメ・ゲームおたくのニート」というところです。父親は天下りしてたっぷりと資産を持っているので、両親が死んでからも一生ニートを続けることができたでしょう。
 
川崎事件の岩崎隆一は、親代わりの伯父夫婦が高齢化して介護が現実問題になり、将来を悲観して事件を起こしたと想像されますが、英一郎氏がそうした事件を起こす理由はありません。
 
英一郎氏は英昭容疑者に「家に戻りたい」と電話して、事件の10日ほど前から実家に戻っていました。
そして、英一郎氏は両親に暴力をふるいました。警察は英昭容疑者と妻の体にアザがあると認めているので、家庭内暴力は確かなようです。
事件の6日前にも暴力があって、英昭容疑者は妻に「今度暴力を受けた時は危害を加える」とほのめかしていたということです(これは川崎事件の前のことです)
 
英一郎氏が中学2年生のころから家庭内暴力は始まっていたという報道があります。それなのになぜ英昭容疑者は家に戻ることを認めたのでしょうか。
コミックマーケットに親子でいっしょに行くというのもあまり聞かない話ですし、かなりの金銭的援助もしていました。
父親が子どもの自立を妨げていた面もあると思われます。
 
そして、川崎事件の4日後、英昭容疑者は凶行に及びます。
その日、家の隣の小学校で運動会が行われていて、英一郎氏が「運動会の音がうるせえ。子供らをぶっ殺すぞ!」と叫んだそうです。
「川崎の事件が頭をよぎり、周囲に迷惑が掛かると思った。怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と英昭容疑者は犯行の動機を説明しているということです。
英昭容疑者は包丁で英一郎氏を刺し殺し、その傷は数十か所もありました。
 
英一郎氏が「子供らをぶっ殺すぞ!」と叫んだというのは英昭容疑者の供述で、実際に叫んだかどうかわかりません。
実際に叫んだとしても、そのことから川崎事件のようなことが実際に起きると考えるのは飛躍のしすぎです。
 
実際のところは、英昭容疑者は前から殺意を固めていて、そこにちょうど川崎事件が起きたので、殺害を正当化する理由に使ったのではないでしょうか。
 
ところが、ネットには「容疑者は長男の凶行を防ぎ、罪のない小学生を守った」「親としての責任を果たして立派」などの声があり、テレビのコメンテーターなども容疑者を擁護しています。
 
 
なぜ殺人事件の犯人を擁護する人がいるのでしょうか。
これは「引きこもり」の問題とされていますが、実際は「家庭内暴力」の問題です。
家庭内暴力の子どもを親が殺したという事件です。
 
親が子どもに体罰をするのは肯定して、子どもが親に暴力をふるうのは異様に嫌う人がいます。権力者体質、パワハラ体質の人です。熊沢容疑者を擁護しているのはそういう人ばかりです。
 
子どもが親に反抗したら殺してもいい――これは幼児虐待をする親の論理でもあります。
親の言うことを聞かない子どもをそのままにすると、子どもはモンスターになるので、徹底的にしつけしなければならないと思ってやっているうちに子どもが死んでしまう。そのときになっても反省せず、「しつけのためにやった」と言って、自分を正当化する。これが幼児虐待をする親の典型です。
 
そもそも子どもが家庭内暴力をふるうようになるのは、親の育て方に問題があるからです。
熊沢容疑者は高級官僚という仕事柄、おそらく家庭のことはほとんど顧みなかったでしょう。父親不在の家庭で母親が子どもの教育を生きがいにするのはありがちなことです。
文春の記事にもこう書かれています。
 
「とにかく奥さんが教育熱心だった。官舎中で『熊沢氏の奥さんは教育ママだ』と話題になるくらいだった」(当時を知る元官僚)
 
勉強や習いごとを過剰にさせられ、進路も一方的に決められる。体罰があったかどうかはわかりませんが、過干渉の幼児期をすごし、中学生になって体力がつくと暴力をふるいだしたということでしょう。
そのときに親が専門家に相談するなどして養育態度を反省すればよかったのですが、自分の体面を保つことを優先させ、問題を隠しました。周りにはいつもにこやかで愛想のいい夫婦と見られていたようです。
 
この事件は基本的に、親が子どもを殺した幼児虐待事件です。
幼児虐待を、子どもが中年になってから完了させただけです。
 

川崎市登戸のスクールバス襲撃事件の影響か、このところ引きこもりにまつわる事件が連続して発生し、話題をさらっています。
2、3か月前は千葉県野田市の栗原心愛さんが虐待死した事件を中心に、幼児虐待が話題になっていました。
家族関係の問題というのは、論じるほうも感情的になり、極論や暴論が出がちなので、議論が盛り上がります。
 
暴論の代表的なのは、松本人志氏がフジテレビ系「ワイドナショー」において川崎市登戸事件の犯人を「不良品」呼ばわりしたことです。
 
 
番組では、528日に川崎市で小学生ら20人が殺傷された事件を特集。自殺した容疑者に対する「死にたいなら1人で死ぬべき」という意見の是非に触れた。その際、松本は以下のように持論を展開した。
「僕は、人間が生まれてくる中でどうしても不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがないと思うんですよね」
東野幸治(51)が「なんか先天的、とかいう、犯罪者になるという……」と口を挟むと、松本は続けて「それを何十万個、何百万個に1つぐらいに減らすことは、できるのかなあって、みんなの努力で。正直、こういう人たちはいますから絶対数。もうその人たち同士でやりあってほしいですけどね」と語った。
 
 
人間を「不良品」と呼ぶことも問題ですが、「不良品」になる理由をなにも示していないのがいちばんの問題です。工場から不良品が出る場合も、調べれば不良品になった理由はわかります。
最低限、遺伝か環境かということを議論しなければ話になりません。
「不良品」という言葉を思いついて、自分で気に入って使っただけでしょう。
 
 
一方、橋下徹氏は、元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者が長男英一郎を殺害した事件について、殺人を肯定するという暴論を述べています。
 
 
橋下徹氏、長男殺害容疑の元農水次官に「同じ選択をしたかも」「責められない」
 前大阪市長の橋下徹氏(49)が3日、自身のツイッターを更新。元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京・練馬区の自宅で長男(44)を殺害したとされる事件に私見をつづった。
 
 橋下氏は、熊沢容疑者が川崎の20人殺傷事件を踏まえて「長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」などと供述したとする報道に関し「何の罪もない子供の命を奪い身勝手に自殺した川崎殺傷事件の犯人に、生きるための支援が必要だったと主張する者が多いが、それよりももっと支援が必要なのはこの親御さんのような人だ。自分の子供を殺めるのにどれだけ苦悩しただろうか」とツイート。
 
 さらに「自分の子供が他人様の子供を殺める危険があると察知し、それを止めることがどうしてもできないと分かったときに、親としてどうすべきか?今の日本の刑法では危険性だけで処罰などはできない。自殺で悩む人へのサポート体制はたくさんあるが、このような親へのサポート体制は皆無」とした。
 
 続けて「他人様の子供を犠牲にすることは絶対にあってはならない。何の支援体制もないまま、僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。本当に熊沢氏の息子に他人様の子供を殺める危険性があったのであれば、刑に服するのは当然としても、僕は熊沢氏を責められない」とつづっていた。
 
 
橋下氏の論は、松本氏の論と一見違うようです。
しかし、根は同じです。どちらも引きこもりを「不良品」と見ています。
橋下氏は「不良品」を出荷する前に処分したのはよかったと言っているのです。
 
引きこもりを犯罪者予備軍のように見るのはまったくの偏見です。内閣府は40歳から64歳までの中高年の引きこもりを61万人と発表しています。犯罪発生率で見ると、きわめて低いといえます。ほとんど家のなかにいるのですから当然です。
 
川崎殺傷事件の岩崎隆一容疑者は、一般的な引きこもりとは区別したほうがいいと思います。
岩崎容疑者は、幼くして両親が離婚、伯父夫婦のもとで育てられ、伯父夫婦の子どもはカリタス学園に通っていたということです。「まま子いじめ」があって、その恨みをカリタス学園のスクールバスに向けたのかと想像されます。「虐待の連鎖」があらぬ方向へ飛び火した格好です。
 
とはいえ、一般的な引きこもりも、家の外に出て働くという普通のことができないのですから、人間的に問題があり、その表現はともかくとして、「欠陥品」といえなくもありません。
しかし、「欠陥品」が「欠陥品」になったのは、当人の責任ではありません。
世の中には「製造物責任」という概念があり、製品の欠陥は製造者が負うことになっています。
子どもが「欠陥品」になったら、教育やしつけをした親の責任であり、さらには学校や社会の責任です。
 
「欠陥品」を排除するのではなく、同じ人間として抱合していくことは、共生社会実現の第一歩です。

凶悪犯罪が起きると、テレビのコメンテーターは口をきわめて犯人を非難します。
ところが、川崎市登戸でスクールバスが襲われ、2人が死亡、17人が負傷した事件は事情が異なります。犯人がその場で自殺して、非難の対象がいなくなってしまったのです。
そこで考え出されたコメントが「死にたいなら一人で死ね」でした。
 
このコメントは誰に向けられているのでしょう。
気分としては自殺した犯人に向けて言いたいのでしょうが、死んだ人間に向かって言っても無意味です。
ですから、これは、これから人を殺して自殺するかもしれない人間に向けたものということになります。
 
人を殺して自殺しようかとまで思い詰めている人間に対して、これはあまりにも冷たい言葉です。自殺や殺人を後押ししかねません。
 
ですから、生活困窮者支援のNPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏が、こうしたコメントは控えるべきだと緊急に発信したのは誠に適切でした。
 
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい
 
もっとも、これに対しては反対の声のほうが大きいようです。
とりわけテレビのコメンテーターはほとんどが反対ないし納得いかないという反応です。
 
たとえば梅沢富美男氏は、「(犯罪者への非難は)控えなくていい。巻き添えになった子がいるんだよ」「被害者の気持ちになってみろ」とコメントしています。
 
被害者や被害者遺族が犯人に激しい怒りや憎しみを感じるのはわかります。
しかし、梅沢富美男氏などのコメンテーターは、自分が被害にあったわけでも肉親を失ったわけでもないのに、激しい怒りのコメントをします。
テレビに合わせた“職業的怒り”です。
 
また、メディアは「なんの罪もない人が犠牲になった」という悲劇性を強調するため、死亡した小山智史さんはミャンマー語担当の外交官で、「ミャンマーが好きなのでやりがいをもって働いていた」とか、死亡した小学校6年生の栗林華子さんはチェロ教室に通っていて、「周囲にお菓子を配るやさしさもあった」といった報道をしています。
こうした報道は犯罪への怒りをあおりますが、やはり犯人はすでに死んでいるため、その怒りが間違った方向に行く可能性があります。
たとえば、犯人の岩崎隆一はひきこもりだったため、ひきこもりをみな危険視する偏見がすでに生まれているようです。
 
 
こうした凶悪な犯罪に触れると、触れた人の心にも凶悪な感情が芽生えます。
その感情が「厳罰にしろ」「死刑にしろ」という声を生み出します。
これは「悪の連鎖」です。
「悪の連鎖」は断ち切らなければなりません。
ところが、メディアは逆に「悪の連鎖」を増幅しています。
 
今回、犯人はすでに自殺し、藤田孝典氏の冷静な指摘があったことで、「怒りをあおるメディア」の異様さが浮き彫りになりました。
ここは冷静になって、犯罪を抑止する具体的方法を考えるべきときです。

このところ性暴力事件に関するトンデモ判決が相次いだことを受けて、東京、大阪、福岡の3都市で5月11日、性暴力被害の実態を訴える「フラワーデモ」が行われ、さらに13日には性暴力被害者の団体「Spring」が刑法の見直しや裁判官の研修を行うよう法務省と最高裁判所に要望書を提出しました。
これらのニュースのキーワードは「性暴力」です。
しかし、この言葉では問題の核心を外しています。
 
トンデモ判決でもっとも騒がれたのは、名古屋地方裁判所岡崎支部が出した無罪判決です。
NHKニュースから引用します。
 
 
今回のケースでは、父親が当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われました。
裁判では、娘が同意していたかどうかや、娘が抵抗できない状態につけこんだかどうかが争われました。
 
ことし3月26日の判決で、名古屋地方裁判所岡崎支部の鵜飼祐充裁判長は娘が同意していなかったと認めました。
また、娘が中学2年生の頃から父親が性行為を繰り返し、拒んだら暴力を振るうなど立場を利用して性的虐待を続けていたことも認め「娘は抵抗する意思を奪われ、専門学校の学費の返済を求められていた負い目から精神的にも支配されていた」と指摘しました。
 
一方で、刑法の要件に基づいて「相手が抵抗できない状態につけこんだかどうか」を検討した結果、「娘と父親が強い支配による従属関係にあったとは言い難く、娘が、一時、弟らに相談して性的暴行を受けないような対策もしていたことなどから、心理的に著しく抵抗できない状態だったとは認められない」として無罪を言い渡しました。
 
 
父親は娘が中学2年生のころから暴力をふるって性行為をしていたのですから、どこをどうやっても無罪判決が出るわけありません。
ただ、検察が19歳以前のことについて起訴しなかったのは不可解です(18歳未満だと、監護者の影響力に乗じて性交等を行った場合、暴行脅迫がなくても罪になります)。検察も本気で罪を問う気はなかったのかもしれません。
 
この件を「性暴力」と表現すると、問題がぼけてしまいます。
性暴力というと、成人の男女におけるレイプというイメージだからです。
 
この件は、なによりも「近親相姦」です。
近親相姦は人類にとって最大級のタブーです。
法律上は近親相姦罪というのはありませんし、成人同士なら「被害者なき犯罪」だから許されるという考え方もありますが、親子間の近親相姦には強いタブー意識があって、誰もが許せないと思うはずです。
 
それから、この件は「性的虐待」です。
親が自分の子どもを虐待する「幼児虐待」は、あまりに悲惨なので誰もが目をそむけたくなります。
幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトに分類されますが、中でも性的虐待はもっとも認識しにくいとされます。
つまり「幼児虐待」に「近親相姦」がドッキングしたものが「性的虐待」ですから、認識しにくいのは当然です。
 
認識しにくいため、昔は「性的虐待」のことを「いたずら」と言っていました。言葉でごまかしていたのです。
「性暴力」という言葉も、それに近いものがあります。
子どもへの「性的虐待」という言葉を使うべきです。
 
 
ところで、千葉県野田市の小学4年生の栗原心愛さんが親から虐待を受けて1月に死亡した事件で、父親から性的虐待を受けていた疑いがあったことが14日になって初めて報道されました。この事件は心愛さんがノートに「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと書いていたことで世間の同情を集め、すさまじい量の報道がされましたが、それでも性的虐待のことは今まで隠されていたのです。性的虐待がいかに認識しにくいかがわかります。
 
 
性暴力被害者の団体は刑法の見直しを行うよう要望していますが、これも的外れな気がします。
そもそも性犯罪に関する刑法は2017年7月に改正施行されています。
これは法律の問題ではなく、裁判官の人格(パーソナリティ)の問題です(それと検察官の人格も)
裁判官の人格が変わらなければ、いくら刑法を変えても無意味です。
 
では、どうすればいいかというと、裁判官への個人攻撃、人格攻撃をすればいいのです。
 
普通、個人攻撃、人格攻撃はよくないこととされ、問題解決につながらないとされますが、裁判官の場合は別です。
裁判官は権威に守られて、これまでいくらトンデモ判決を出しても裁判官個人が批判されることはまったくといっていいほどありませんでした。そのため世の中とずれた価値観を持った裁判官が放置されてきたのです。
 
それに、裁判官は憲法第七十六条3「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるので、法律が変わっても対応しない頭の固い裁判官は、世論の批判で変えていくしかありません。
 
個人攻撃、人格攻撃というと、弱い者いじめのイメージがありますが、裁判官は強者であり権威です。
裁判官への個人攻撃、人格攻撃は、誰でもできるわかりやすい世直しです。

新井浩文容疑者、ピエール瀧容疑者と、似たような“個性派俳優”のスキャンダルが続いて、マスコミは大騒ぎですが、その報道にうんざりです。
報道には多少でも「世のため人のため」という要素が必要ですが、この場合、本人はすでに法の裁きを受けることが決まっていて、その上マスコミが裁いてもたいした意味はありません。
まだ裁かれていない政治家の疑惑などを追及することこそマスコミの役割です。
 
芸能人の不倫スキャンダルもマスコミの“好物”です。一般人ののぞき見欲求に応えるのはある程度しかたがないとしても、道徳的非難を浴びせるのは余計です。
 
人々には日ごろたまったうっぷんをどこかで晴らしたいという欲求があり、それを背景にマスコミが芸能人を攻撃するという構図です。
このような芸能人を攻撃する報道は、“メディアリンチ”というとわかりやすいのではないかと思います。
 
リンチというのは「法によらずに集団で暴力的制裁を加えること」ですが、現実には弱い者いじめになります。
 
 
“バイトテロ”といわれるものもリンチととらえるとよくわかります。
 
もそもそバイトテロというのは、バイト店員の若者が悪ふざけの動画を撮って、仲間内で楽しんでいるだけのことです。テロをしてやろうという意図はありません。その動画が拡散して店に損害を与えるので、結果的にテロみたいなことになります。
 
悪ふざけ動画はたいていインスタグラムやフェイスブックに「ストーリー」という24時間で消える形で投稿されますが、消える前にそれを保存して、拡散するやつがいるわけです。
ちなみにインスタグラムのストーリーは公式アプリでは保存できず、別のアプリを使わなければなりません。かなり意図的な行動です。
テロという言葉を使うなら、動画を拡散する行為こそテロです。
 
ただ、動画を拡散する者は、店に損害を与えてやろうというより、悪ふざけするバイト店員をさらし者にして攻撃してやろうという意図でしょう。ですから、これはテロというよりリンチです。
“ネットリンチ”と呼ぶのがいいでしょう。
 
ネットリンチは個人攻撃なので、「世のため人のため」とは違います。
これは中国のホテルで不衛生清掃の動画が拡散したのと比較すれば、よくわかります。
 
中国の一流ホテルで従業員が客室清掃をするとき、便器を掃除するブラシでコップを洗ったり、同じ雑巾で便器や床やコップを拭いたりしている動画が拡散し、大きな問題になりました。
これは普通の従業員が日常的にやっているから問題になったのです。これによってヒルトン、ハイアット、シャングリラなどの一流ホテルが謝罪に追い込まれました。
こうしたケースは、動画拡散によってホテル清掃の不衛生な実態が知られ、ある程度改善されたはずで、まさに「世のため人のため」になりました。
 
しかし、バイト店員の悪ふざけは、個人の特殊な行為ですから、それを攻撃したところでなにも変わりません。
逆にそのチェーン店のイメージが悪くなり、損害が出るだけです。
 
ですから、チェーン店によってはバイト店員を訴えるような動きをしていますが、訴えるなら動画を拡散させたほう、つまりネットリンチをしたほうを訴えるのが筋です。
 
若者が悪ふざけをするのは当たり前のことで、若者はそれによって経験値を上げることができます。
若者に悪ふざけをさせないと、社会から多様性が失われ、創造性も失われます。
 
メディアリンチやネットリンチは、一時的なうっぷん晴らしになっても、結局住みにくい社会をつくるだけです。

千葉県野田市の栗原心愛さん(10歳)が虐待死した事件で、千葉地検は3月6日、父親の栗原勇一郎容疑者を傷害致死と傷害の罪で起訴しました。殺人罪は適用されませんでした。
 
これまで親が子どもを虐待して死亡させた事件は数多くありますが、私の印象では、一般の殺人事件より概して刑が軽いです。「子どもは親の所有物」という考え方があるからでしょうか。尊属殺人罪が廃止されても、いまだに尊属・卑属という考え方が残っているともいえます。
 
心愛さんの事件でも、殺人罪でなかったので、少なくとも死刑になるということはありません。これに対して、ネットでは死刑にするべきだという声があふれています。
 
自分の子どもを殺した場合は刑が軽いというのはおかしなことなので、是正されるべきだと思いますが、殺人事件が起こるたびに死刑にするべきだと声高に叫ぶ人にも困ったものです。
 
死刑を叫ぶ人というのは、「被害者遺族の感情」ということをつねに理由に挙げます。ところが、心愛さんの被害者遺族は栗原勇一郎容疑者と栗原なぎさ容疑者です。「被害者遺族の感情」は理由になりません。
 
さらに、心愛さんには1歳の妹(次女)がいます。両親が逮捕されてしまったので、今は施設にいるか、かつて心愛さんもいた沖縄の親戚の家にいると思われますが、死刑を叫ぶ人は次女のことを考えているでしょうか。
 
こういう状況で死刑を叫ぶ人というのは、要するに「虐待の連鎖」や「憎悪の連鎖」に巻き込まれているのです。
勇一郎容疑者が心愛さんを虐待した様子はかなり具体的に報道されました。その報道に接した人は、勇一郎容疑者に影響され、同じような心理になったのです。
 
人間が他人に影響されるのは当然のことです。人に親切にしている人を見かけると、自分も人に親切にしなければいけないなあという気持ちになるものです。同様に、人に暴力をふるっている人を見かけると、自分も暴力をふるいたくなります。「死刑にしろ」と叫ぶのはそういう心理です。
勇一郎容疑者は「しつけのため」と自分を正当化していました。
「死刑にしろ」と叫ぶ人も「正義のため」と自分を正当化しています。
 
 
勇一郎容疑者を死刑にしても、喜ぶ人や得する人は誰もいません。
次女のためにも、勇一郎容疑者となぎさ容疑者には更生してもらわなければなりません。
そんなことができるのかと思うかもしれませんが、「虐待する親への支援」で検索すると、虐待防止のプログラムがいろいろあることがわかります。
 
犯罪者の更生よりも処罰を優先させてきたこれまでの司法が間違っているのです。
「厳罰から更生へ」というのは世界的な流れで、なぜか日本だけ逆行しています。
 

世の中には経済合理的な犯罪があります。贈収賄、インサイダー取引、詐欺商法などです。これらには厳罰化で対処するのがある程度有効です。
 
一方、通り魔事件のような不合理な犯罪もあります。
こうした犯罪はショッキングなため、厳罰にしろという声が高まりますが、犯人は「長く刑務所に入るのはいやだから、こんな犯罪はやめよう」などという合理的な思考はしないので、厳罰化は無意味です。
 
こうした不合理な犯罪は、快楽殺人とか愉快犯などと言われたり、“心の闇”と言われたりしてきました。
しかし、世の中に存在しているものにはすべて理由があります。
そう考えたとき、これは「感情合理的」な犯罪といえばいいのではないかと気づきました。
 
ハリウッド映画などで、妻子を殺された男が“復讐の鬼”と化して、悪人を次々と殺していくという物語があります。これなど表面だけ見れば、悪人を殺してもなんの利益もなく、「不合理な犯罪」ですが、主人公の感情を考えれば「合理的」であり、「正義」でもあります。
 
映画の主人公はちゃんと悪人を殺すのであって、「誰でもよかった」という犯罪者とは違うという意見があるかもしれませんが、人間には「当たる」ということがあります。つまり「八つ当たり」です。
会社で上司に理不尽に叱られたサラリーマンが家に帰ると妻子に当たるということは普通にあります。プロ野球の監督は選手がヘマをするとベンチやロッカーに当たっています。
怒りの感情を本来の相手にぶつけることができないときに、ほかのものに「当たる」という行為に出るわけです。
たまった不快な感情はどこでもいいから放出して楽になりたいというのは、「ガス抜き」という言葉があるように、誰にでもあることです。
「誰でもよかった」というのは「感情合理的」なわけです。
 
 
2月25日、渋谷区の児童養護施設で施設長が殺されるという事件がありました。
これまで野田市の小学4年生の栗原心愛さんが父親に虐待され死亡した事件が注目されてきましたが、それとの関連を考えざるをえません。
 
 
家賃トラブルで逆恨みしたか 施設長殺害事件の容疑者
 東京都渋谷区の児童養護施設「若草寮」の施設長、大森信也さん(46)が刺殺された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された元入所者の田原仁容疑者(22)が施設の保証で入居していたアパートでトラブルを起こし、施設職員の通報で警察官が出動していたことが警視庁への取材でわかった。田原容疑者は「施設に恨みがあった」と述べているが、同庁はこうしたトラブルで逆恨みした可能性もあるとみて慎重に調べている。
 代々木署によると、司法解剖で大森さんの首や腹などに計10カ所以上の傷が確認された。死因は失血死とみられるという。
 田原容疑者は2015年3月に都内の高校を卒業するまでの3年間、この施設で暮らしていた。退所後は施設側が紹介し、保証人にもなっていた東京都東村山市内のアパートで生活。卒業後に就職したが、1カ月半ほどで退職したという。
 田原容疑者は昨年9月中旬、1カ月分の家賃を滞納して大家とトラブルになった。大家からの連絡を受けて施設職員がアパートを訪ねたところ、壁に複数の穴が開き、田原容疑者が錯乱した様子だったため、危険を感じた職員が110番通報。東村山署員が一時、田原容疑者を保護したという。この職員は大森さんではなく、この件で田原容疑者と話し合いの場を持ったという。田原容疑者はこのアパートを退去している。
 施設側は田原容疑者が勤務先を退職した後も、仕事に関する相談に乗っていたという。田原容疑者は「施設職員にストーカーをされていた。職員なら誰でもよかった」とも述べているが、代々木署が事実関係を含めて詳しく調べている。
 田原容疑者はアパート退去後は「ネットカフェを転々としていた」と供述。事件の2~3週間前にはさいたま市のJR大宮駅近くのネットカフェに滞在していたという。凶器の包丁は「大宮のネットカフェ近くの100円ショップで買った」と述べている。
 事件を受けて東京都は26日、都内にある64の全児童養護施設に対し、入所している子どもらのケアを行うよう注意喚起をした。
 
 
ほかの報道によると、田原仁容疑者は母親との折り合いが悪くて15歳のときに児童養護施設に入ったということです。アパートを借りるときは施設が保証人になっているので、母親との縁は切れたようです。父親に関する情報はありません。想像するに、田原容疑者の家庭内暴力がひどくて、母親が見離したというところでしょうか。
 
人間は親から十分な愛情を受けないと一人前の人間に育ちません。田原容疑者の家庭環境は、一人前になるには十分なものではなかったでしょう。
 
ここで思い出されるのが父親から虐待された栗原心愛さんの事件です。心愛さんは亡くなってしまいましたが、虐待されて亡くなるのはごく少数で、ほとんどは虐待されておとなになります。
どんなおとなになるでしょうか。
 
田原容疑者が入った児童養護施設「若草寮」はちゃんとしたところのようで、殺された施設長の大森信也さんは児童養護についての著作もある、見識のある人だったようですが、虐待された子どもを十分に養育できたかというと、そうはいかなかったでしょう。
 
施設は田原容疑者が出てからも就職先やアパートの世話をしていますが、田原容疑者は就職先もすぐにやめ、家賃を滞納してアパートを追い出され、ネットカフェを転々とし、最後は数百円の所持金しかなかったということです。
ネットカフェにいるときも施設の職員と接触がありましたが、どうやら滞納した家賃や壊したアパートの修理費の話などもしていたようです。
 
施設に世話してもらっていたのに施設を恨むのですから、世間的には「逆恨み」ということになります。
しかし、田原容疑者の感情としては、「一人前の人間に育てられてないのに、一人前の人間としてのふるまいを要求されるのは不当だ」というものでしょう。
 
本来ならこの感情は親に向けられるべきですが、子どもにとって親は絶対的な存在なので、それは困難です。そのため施設に「当たる」ということになったのでしょう。
 
田原容疑者は許しがたい殺人者ですが、かつては栗原心愛さんのようなかわいそうな子どもだったに違いありません。
 
ともかく、表面的には不合理に見える犯罪も、感情に着目すると合理的に見えてくるものです。
“逆恨み”や“心の闇”ばかり言っていては、なんの進歩もありません。
「経済合理的」な犯罪には罰金を増額するなどの対策が有効であるように、「感情合理的」な犯罪には加害者の感情に配慮した対策が有効です。
 

バイト店員の悪ふざけ動画の炎上があまりに多発するので、「日本人のモラルの崩壊だ」という声まであります。
バイトの若者のモラルが崩壊したという意味ですが、経営者のモラルの崩壊のほうがひどいのではないでしょうか。
 
バイト店員が炎上事件を起こしたら、経営者は世の中に謝罪しつつ店員をかばうべきです。バイトとはいえ会社のために働いてきた人間で、身内です。
かつて山一證券の社長は「社員は悪くありませんから」と言って泣きました。
 
あれから時代は変わって、経営者にとって非正規雇用の従業員は身内ではなく、ただの労働力になったようです。
つまり経営者のモラルが崩壊したのです。
 
テレビのコメンテーターや有識者もバイト店員を非難していますが、彼らも若いころはいろんなバカなことをしたはずです。自分と同じことをしている若者を非難しているとすれば、これもモラルの崩壊です。
 
若者は昔からバカなことをしていたのですが、なぜ今こんな騒ぎになっているのかをわかりやすく説明した記事がありました。
 
くら寿司動画炎上で考える、バイトテロが繰り返されてしまう理由
 
この記事から要点だけ引用します。
 
1.元々、「バカな行為」は目に見えないレベルであった
2.ネット投稿により「バカな行為」が可視化された
3.一部の人は「バカな行為」投稿を友達しか見ないと思い込んでいる
4.一方で「バカな行為」は瞬時に拡散するようになった
5.「バカな行為」を大きく取り上げるメディアも増えた
6.「バカな行為」が話題になると過去のものも遡られるようになった
 
若者のバカな行為は昔から同じようにあって、インターネットなどの環境と、おとなたちの対応の仕方のほうが変わったのです。
 
「近ごろの若い者はなっていない」ということを、おとなは昔から言っていました。
しかし、「近ごろの赤ん坊はなっていない」とは言いません。昔も今も生まれたばかりの赤ん坊は同じだからです。
若者も実は昔と同じようなものです。おとなのほうが変わっているのです。
 
 
バイト店員の悪ふざけ動画がこれほど炎上するのは、今のおとなが若者にきびしくなっているからです。
十数年前から成人式で騒ぐ若者をマスコミが盛んに取り上げ、騒ぐ若者への非難が高まり、市長が騒いだ若者を刑事告訴するということもありました。
去年のハロウィンでは渋谷で大騒ぎとなり、軽トラックが横転させられるということがありましたが、警察の執念深い捜査で横転させた4人が逮捕され、11人が書類送検されました(全員不起訴)
青森県のねぶた祭ではカラスハネトといわれる若者集団が多いときは延べ3000人も集まって騒いだということですが、条例改正などにより排除され、今はほとんどいなくなりました。
 
今のおとなは元気な若者が嫌いなようです。
迷惑行為はいけませんが、それをきびしく取り締まると、迷惑でない行為もできなくなります。
たとえば刑務所で受刑者が塀から5メートル以内に近づくと監視塔から射殺するというルールをつくったとします。5メートルだから少し行動が制限されるだけかというと、そんなことはありません。間違って撃たれるかもしれないので10メートルにも近づけないし、ボール遊びもできません。
 
活発に行動していると、逸脱することもあります。絶対逸脱してはいけないとなると、活発な行動を抑えなければなりません。
 
昔のおとなは若者が多少バカな行為をしても大目に見たものです。
今のおとなは若者の少しの迷惑行為も徹底糾弾します。
おそらく少子高齢化でおとなと若者の力関係が変化し、さらに時代の閉塞感もあって、おとなが若者を批判することでうっぷん晴らしをするようになったからでしょう。
 
保育園の子どもの声がうるさいとか、児童相談所が近所にできるのが迷惑だとかいう声が強まっているのも同じ構図と思われます。
 
少子高齢化で社会の活気が失われるのはある程度しかたのないことですが、おとなの間違った態度のためにますます活気が失われています。

すし店、牛丼店、コンビニなどのバイト店員がおバカなことをやった動画をSNSにアップしたことがもとで次々と炎上が起きています。
バイト店員もおバカですが、それを炎上させるほうがもっとおバカです。一人や二人のバイト店員を血祭りに上げたところで世の中がよくなるわけではありません。いや、むしろ悪くなります。
 
芸人のたむらけんじさんのツイートがもとでラーメン店が炎上したのも、似たようなものです。
 
たむけんさんがプライベートであるラーメン店を訪れ、お店の人に頼まれていっしょに写真を撮ったら、店のツイッターに写真とともに「マイク、カメラなかったらおもろ無い奴でした」と書かれました。
それに対してたむけんさんが「えっ?うそでしょ? 気持ち良く写真も撮らせていただいたお店にこんな事言われる事あんの? ちょっとびっくりなんやけど」と不快感を表明しました。
 
ここから騒ぎが始まったのですが、このやり取りはどう見ても、たむけんさんのほうに問題があります。
芸人がマイク、カメラがなかったらおもろないのは当たり前のことですから、怒るようなことではありません(「奴」という言葉づかいは失礼ですが、本人に読まれることは想定していなかったのでしょう)
ラーメン店主としては、芸人との写真をアップするのだから、なにかおもしろいことを言おうと思って、スベッてしまったというところでしょう。
ですから、たむけんさんは無視するべきでしたし、もしツイートするなら「カメラなかったらおもろないのは当たり前や。ギャラ出したらおもろいこと言うたるわ」ぐらいのところでしょう。
つまり店主のボケにツッコミをするところです。
一般人に対して芸能人がむきになってはいけません。
たむけんさんは自分で焼き肉店を経営していますから、ラーメン店主と対等という意識だったのか、それとも「おもろない」と言われることを特別に気にしているのでしょうか。
 
いずれにしても、たむけんさんはお笑い芸人としてのセンスのない対応をしてしまいました。
ところが、ツイッター民の攻撃はもっぱらラーメン店に向かいました。
店主のツイートも原因です。「最低」と言われて「氏ねブス」と返したり、「理解できないの?おばかちゃんでちゅね」と言わてれ「そうでちゅね」と返したりしたからです。
ネットの炎上だけでなく、1日1000件以上の迷惑電話がかかってくるようになったということです。
 
こういうネット民の意識を「正義感の暴走」と見る向きもありますが、ラーメン店を非難することが「正義」とも思えません。要するに騒ぎが起こって野次馬が集まってきて、攻撃しやすいほうを攻撃したということでしょう。状況によっては「おもろない芸人が一般人を非難するな」とたむけんさんに矛先が向いてもおかしくありません。
 
問題は、炎上させるネット民の無責任です。
 
 
くら寿司の守口店のアルバイト店員がまな板の上で魚をさばき、その切り身をゴミ箱に投げ入れ、すぐに拾い出して、またまな板に載せるという動画が拡散して、炎上しました。
世の中にこういうおバカな若者がいるのは当然のことで、それほど騒ぐことかと思います。
 
これを「バイトテロ」と呼ぶ向きがありますが、不適切な表現です。このバイト店員が会社に恨みを持って、会社に損害を与えるためにやったというなら「テロ」と言えますが、おそらくたいした意図はなく、ただおもしろがってやっているだけです。
 
ネットで炎上させている人間も同じで、ただおもしろがってやっているだけです。
ただ、騒ぎが大きくなって、くら寿司の信用にも響く事態となったようです。
くら寿司は、動画投稿に関わったバイト店員2人に対して法的措置を取る準備を始めたと公式サイトで告知しました。
 
くら寿司はバイト店員を指導監督する責任があるのに、自分の責任は棚上げにしてバイト店員の責任を追及するとはとんでもない話です(もし実際に訴えたら、バイトを募集しても人が集まらなくなるでしょう)。
 
本来ならくら寿司は店員に対して、1人の店員の行為が全店舗の信用に響くことを教え、責任を自覚させる教育をしなければなりません。
バイト店員にいちいちそんなことはしていられないというのなら、こういうことが起こるリスクは覚悟しているべきです。

とはいえ、このことが客足に響き、損害が出たかもしれません。
その損害は誰のせいでしょうか。
 
2人のバイト店員はすぐに解雇されました。
あんなおかしなことをする人間がほかにもいるとは普通は考えません。
それでも客足が落ちたなら、それは“風評被害”というべきです。
 
福島県で一部に放射能に汚染された農産物が発見され、そのために福島県の農産物全体の信用がなくなったり売上が落ちたりすれば、それは風評被害と言います。
くら寿司で起こったこともそれと同じです。
 
風評を立てたのは誰かというと、ネットで炎上させた人たちです。あと、動画を放映したテレビ局です。
くら寿司は法的措置を取るなら、そちらを訴えるべきです。
 
 
もともとこういう愚かなことをする人間は一定数いるものです。
とくに若者には多くいます。彼らはそれをすることで経験値を上げ、それが将来役立つ可能性があります。
最近は動画や写真が証拠として残ることで表面化しただけです。
 
こういうことをなくそうとするのは、ゴキブリを一匹見ただけで家中に殺虫剤をまくみたいなものです。
 
社会に逸脱者が一定数いるのは自然な姿で、それをなくそうとするのは全体主義と変わりません。

ネットの議論というのは、「マスメディアが報じない隠された真実を発見した」という場合に盛り上がる傾向があります。
そのため、小さな「真実」が膨れ上がって陰謀論になったりします。
 
たとえば都立町田総合高校で教師が男子生徒を殴るという動画が拡散し、教師による体罰事件としてメディアが取り上げニュースとなりました。ところが、この動画は“切り取られた”もので、その前の場面では撮影者の生徒のものと思われる「ツイッターで炎上させようぜ」という声が入っていたことがわかると、今度は一転して生徒が教師をハメたということで、生徒に批判が向かいました。この動きはテレビのワイドショーにも波及して、体罰教師を擁護する声まで出たそうです。
 
しかし、この教師はもともと体罰をしない教師だったようで、その教師を怒らせて体罰をさせるには、一流俳優なみの演技力で挑発的な暴言を吐かなければなりません。
それに、「ツイッターで炎上させようぜ」という言葉も、その争いの現場を見て言ったわけで、前から仕組んでいたなら現場でそんな言葉は発しません。
ちょっと考えれば、生徒が教師をハメたなどということはありえないとわかります。
 
町田総合高校の校長は事件にいたる背景をこのように説明しています。
 
 真相をつかむべく情報収集中の信岡新吾校長(54)に話を聞いた。
「この事件はピアスの指導うんぬんはまったく関係なく、直接の原因をつくったのは教諭です。事件の数日前、教諭がほかの生徒に“Aくんは○○なんだよ”などと教師としては不適切なことを言った。
 大ざっぱでフランクで、そこが生徒から慕われるところでもあるんですが、いわゆる軽口だった。その発言を事件直前の休み時間にほかの生徒から知らされたAくんが怒ったんです」(校長)
 Aくんが怒ったのは、自分のいないところでそう言われた悔しさからとみられる。3時間目が始まり、教諭が教室に入ってきたとき、Aくんはこの件を持ち出して「なんでオレには言わないんだよ」などと詰め寄り、廊下に出たという経緯だった。
「教諭に非があるのだから、“それは悪かった”と率直に謝ればよかったんです。しかし、Aくんの言葉遣いに感情的になってしまった。先生として示しがつかないというか、先生の中には威厳、プライドを持っている先生がいるんですよ。そういうタイプの先生だったので、カッとなって体罰に及んだ。原因をつくり、結果も含めて、やはり先生が悪い」(同校長)
 
ところが、生徒の「脳みそねぇのかよ。小さい脳みそでよく考えろよ」という暴言だけが切り取られ、一方、「お前、こんだけ言われて俺がキレると思わねぇのかよ」という部分は切り捨てられ、生徒が悪い教師は悪くないという主張が行われています。
要するに体罰肯定論者が都合のいい切り取りを行っているのです。
 
 
 
明石市の泉房穂市長は、建物の立ち退き交渉担当の市職員に対して「立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火つけてこい。燃やしてしまえ」などと暴言を吐き、その音声がマスメディアに取り上げられたために、記者会見で謝罪しました。
 
この暴言があったのは2年前のことです。なぜこの時期にその音声が流出したかというと、今年の4月に市長選があるからだと想像されます。しかし、背後にどういう政治的事情があろうとも、「火つけてこい」などという暴言はいけません。
 
ただ、「火つけてこい」発言は“切り取られた”ものでもあります。地元の神戸新聞がその前後も含めた書き起こし文を記事にしました。少し長いですが、引用します。
 
 
部下に「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」 明石市長の暴言詳報

 職員「(立ち退き対象だった建物の)オーナーの所に行ってきた。概算で提示したが、金額が不満」
 市長「そんなもん6年前から分かっていること。時間は戻らんけど、この間何をしとったん。遊んでたん。意味分からんけど」
 職員「金額の提示はしていない」
 市長「7年間、何しとってん。ふざけんな。何もしてへんやないか7年間。平成22(2010)年から何しとってん7年間。金の提示もせんと。楽な商売じゃお前ら。あほちゃうか」
 職員「すいません」
 市長「すまんですむか。立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火付けてこい。燃やしてしまえ。ふざけんな。今から建物壊してこい。損害賠償を個人で負え。安全対策でしょうが。はよせーよ。誰や、現場の責任者は」
 職員「担当はおります。課長が待機していますが」
 市長「上は意識もしてなかったやろ。分かって放置したわけやないでしょ。任せとっただけでしょ。何考えて仕事しとんねん。ごめんですむか、こんなもん。7年間放置して、たった1軒残ってもうて。どうする気やったん」
 市長「無理に決まっとんだろ、そんなもん。お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ。すぐ出て行ってもらえ。あほちゃうか、そんなもん。ほんま許さんから。辞表出しても許さんぞ。なめやがって。早くやっとけばとっくに終わってた話を。どないすんねん。悠長な話して。たった1軒にあと2年も3年もかけんのか。何をさぼってんねん、7年も。自分の家売れ。その金払え。現場に任せきりか。担当は何人いるの」
 職員「1人しかいません」
 市長「とりあえずそいつに辞めてもらえ。辞表とってこい。当たり前じゃ。7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
 職員「担当は今は係長。この間係長は3回替わった」
 市長「何やっとったん、みんな。何で値段の提示もしてないねん」
 職員「値段は概算を年度末に提示している」
 市長「概算なんか意味ない。手続きにのらへんやないか」
 職員「市長申し訳ありませんが、(の分は)予算は今年度でつんでいる。前年度は予算ついていないんで、概算しか」
 市長「ついてないってどういうことよ」
 職員「他の地権者の分、とってますから。丸ごと全事業費は1年間でどーんと付けられない」
 市長「見通しわかっとったやろ。ややこしいの後回しにして、楽な商売しやがって」
 市長「ずっと座り込んで頭下げて1週間以内に取ってこい。おまえら全員で通って取ってこい、判子。おまえら自腹切って判子押してもらえ。とにかく判子ついてもらってこい。とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は」
 
泉市長の暴言は「火つけてこい」だけではありませんでした。
「お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ」
「辞表出しても許さんぞ。なめやがって」
「自分の家売れ。その金払え」
「7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
暴言のオンパレードです。
 
神戸新聞がどういう意図でこの記事を載せたのかわかりませんが、「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」という言葉が見出しになっているように、市長がこんなに暴言を吐いているという記事になっています。
 
ところが、まったく逆の結論に持っていくための“切り取り”をする人がいます。
「金額の提示はしていない」「何もしてへんやないか7年間」という部分を切り取って、職員はなにもしていなかったのだから市長が怒るのは当然だという主張がネットにはいっぱいあります。

しかし、職員がなにもしていないわけがありません。「ちゃんとやっています」と言えば市長の怒りの火に油を注ぐだけなので、言わなかったのです。
現にそのあと職員は「値段は概算を年度末に提示している」と言っています。
 
なお、元鳥取県知事の片山善博氏は1月30日のTBSの「ひるおび!」で、「金額の提示をするには予算の裏付けが必要で、たぶん予算がなかったのではないか。その責任は市長にある」と述べていました。
 
この神戸新聞の記事は「詳報」となっていますが、実はまだ要約です。正確な全文起こしは「アエラ」が報じているので、その部分を引用します。
 
 
市長「何もしてないの?」
幹部「いや……」
市長「何をしとったん逆に?」
幹部「してるんですけど、ずっと追いこん……」
市長「じゃなくて一緒にやるのは当たり前やねんから」
幹部「並行してたんです」
市長「並行なんかしてへんやん、何言うてんねん」
幹部「はい」
市長「してないやないか、全然。してないんでしょ? してたんですか? してないんでしょ、全然!」
幹部「提示はしていなかった」
市長「してないじゃないですか。してないやろ、お前!」
幹部「その通りです」
市長「7年間何しとってん。ふざけんな」
幹部「はい」
市長「なんもしてないやないか、7年間! 平成22年から何してんねん、7年間! お金の提示もせんと、楽な商売じゃほんまお前ら! アホちゃうかほんまに」
幹部「すみません」
市長「すまんですむかアホ! すまんですまん! そんなもん。立ち退きさせてこい、お前らで。今日火付けてこい!(後略)
 
職員は最初は「(ほかの立ち退き交渉と)並行してたんです」と主張していますが、「してないやないか」と決めつけられて主張を引っ込めています。
パワハラの実態がよくわかります。
 
パワハラ肯定論者は、泉市長のパワハラを正当化するためにいろんな“切り取り”をします。
たとえば、作家で投資家の山本一郎氏はこんな記事を書いています。
 
明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件
 
山本氏は、市長が怒るのは女性が亡くなる交通事故があったからで、市民の安全のためだと主張しています。
確かに市長は「市民の安全のため」と言っていますが、それは自分の暴言を正当化するための理屈です。立ち退きしない土地の地主も市民のはずで、そこに火をつけろとは、市民の安全などなにも考えていない証拠です。
 
また、山本氏は市長の「2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ」という発言を切り取って、「良い上司じゃないですか」と言っています。
しかし、土下座して解決するものなら、担当職員がすでにしているでしょう。
もしほんとうに自分が乗り出して解決しようとする気があるのなら、どんな段取りで自分が登場すればいいかを担当者と打ち合わせするはずです。
暴言の一部だけ切り取って、いいように解釈しているだけです。
 
 
世の中には体罰肯定論者、パワハラ肯定論者がいて、そういう人は事実を都合よく切り取って主張を通そうとするので、注意が必要です。

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