スクリーンショット 2021-03-08 171009
ユニバーサル ミュージック「うっせぇわ」特設ページより

子どもの間で「うっせえ」という言葉が流行し、眉をひそめる親がふえているそうです。
Adoという18歳の女子高生の歌う「うっせぇわ」という歌がヒットして、その中の「うっせえ、うっせえ、うっせぇわ」というフレーズを子どもがよく口にするというわけです。

昔、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ」という替え歌を歌ったら、子どもたちがことあるごとに「カラスの勝手でしょ」と言うようになって親を困らせ、「8時だョ!全員集合」が「ワースト番組」としてやり玉に上がったことが思い出されます(「ワースト番組」というのはのちの「子どもに見せたくない番組」です)。
また、小島よしお氏の「そんなの関係ねえ!」というギャグが流行したときも、子どもが「そんなの関係ねえ!」とよく言うので、問題になりました。そのため小島よしお氏は、悪い言葉づかいと言われないように「そんなの関係ない!」と言うようにしたそうです。

「子どもに悪影響がある」と言ってテレビ番組や歌などを批判する人は昔からいますが、こういう人こそ世の中に悪影響を与えています。
子どもは好きな番組を見て、好きな歌を聞き、気に入った言葉を口にしているだけです。それをいけないと言うのは、子どもの人格の否定です。
こういう人はさらにテレビ番組を変えようとして、テレビ局にクレームをつけます。これは独裁国がメディアを操作して国民を支配しようとするのと同じやり方です。

「うっせえ」「カラスの勝手でしょ」「そんなの関係ねえ」はみな同じような言葉で、親が「勉強しなさい」「きちんとしなさい」「早くしなさい」などとうるさく言ってくるときに言い返す言葉です。
親は子どもに「うっせえ」と言われたら、歌のせいにするのではなく、自分がうるさいのではないかと反省するべきです。


そういうことで、「子どもに悪影響がある」と言って歌を批判するのは、昔からよくあることで、くだらないなと思っていましたが、「うっせぇわ」という歌をよく聞いてみると、いろいろなことを考えさせられました。



歌詞の全文は次のサイトで読めます。

Ado うっせぇわ 歌詞 - 歌ネット - UTA-NET


Adoはニコニコ動画などに歌を投稿するうちに歌唱力が評判になり、2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした18歳の女子高生だということです。

「うっせぇわ」の作詞作曲はsyudouという人で、年齢不詳の男性アーチスト、音楽プロデューサーです。大卒後、会社勤めをし、2020年に会社を辞めて音楽専業になったということです。
歌手が18歳の女子高生だということが注目されますが、歌詞に「経済の動向も通勤時チェック/純情な精神で入社しワーク」とか「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい/皆がつまみ易いように串外しなさい」とあるように、これはサラリーマンの歌です。
ただ、Adoの個性に合わせて提供された楽曲だということはあるでしょう。


歌詞の最初のほうに「ちっちゃな頃から優等生」とあるので、これはチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」の「ちっちゃな頃から悪ガキで」を踏まえたものだと指摘されています。

ふたつの歌詞を比べてみました。
「ギザギザハートの子守唄」
ちっちゃな頃から悪ガキで
15で不良と呼ばれたよ
ナイフみたいにとがっては
触わるものみな傷つけた
「うっせぇわ」
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

「ナイフ」という言葉も共通しているので、「うっせぇわ」が「ギザギザハートの子守唄」を意識していることは明らかです。
しかし、「不良」と「優等生」ですから、そこは真逆です。


ちっちゃな頃から優等生で、今はちゃんと就職して、経済の動向を通勤時にチェックするような生活をしていれば、十分に満足のいく人生ではないかと思われます。
ところが、この男(たぶん男)にはものすごい不満がたまっていて、周りに罵詈雑言をまき散らします。

「クソだりぃな」
「くせぇ口塞げや限界です」
「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」
「もう見飽きたわ二番煎じの言い換えのパロディ」
「丸々と肉付いたその顔面にバツ」
「嗚呼つまらねぇ何回聞かせるんだそのメモリー」

そして、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」が激しく繰り返されます。


なぜこんなに不満がたまっているのかというと、優等生の人生を歩んできたからでしょう。

先ほど冒頭部分の4行を引用しましたが、そのあとの3行も続けてみます。
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
「エイデイ」というのはエブリデイ、つまり日常という意味のようです。

ちっちゃな頃から優等生なら遊び足りないのは当然です。
遊びだけではありません。

「ギザギザハートの子守唄」にはこんな歌詞があります。
恋したあの娘と2人して
街を出ようと決めたのさ
駅のホームでつかまって
力まかせになぐられた
   *
仲間がバイクで死んだのさ
とってもいい奴だったのに
ガードレールに花そえて
青春アバヨと泣いたのさ
この不良は恋をして、喧嘩もして、バイクで暴走して、いい仲間もいました。
まさに「青春」をしていたわけです。

親や教師の望むように生きてきた優等生に「青春」はありません。
優等生は「うっせえ」と言いたいときもがまんするので、不満がどんどんたまっていきます(つまり子どもが「うっせえ」と言うのをやめさせようという親は子どもの心に不満をためています)。
その代わり高学歴を身につけて、高収入と高い社会的地位を得られれば引き合うかもしれませんが、そういう人は少数です。
そして、就職してしまえば「青春」を取り戻すことはできません。

「うっせぇわ」という歌は、優等生の“遅すぎた反抗”の歌です。


「ギザギザハートの子守唄」は1983年の歌です。
当時の若者は不良の歌に共感しましたが、今の若者は優等生の歌に共感するのでしょうか。