村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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佐川宣寿前国税庁長官が3月27日に証人喚問されることになりましたが、これが不発に終われば、次は昭恵夫人の招致が問題になりそうです。
 
改ざんされる前の決裁文書には、「いい土地ですから、前に進めてください」と昭恵夫人が言ったという籠池理事長の言葉が記されています。これに対して安倍首相は国会で、「妻に確認した。『そのようなことは申し上げていない』とのことだった」と答弁しました。
安倍首相のこの答弁に対して誰も疑問をはさまないのは不思議です。
 
夫婦といえども別人格ですから、なぜ安倍首相が代弁するのかという問題がありますし、その代弁の信ぴょう性という問題もあります。
安倍首相が嘘をついている可能性は否定できないので、昭恵夫人本人の口から語ってもらわなければなりません。
代弁が許されるのは、本人が病床にあって公の場で語れないというような事情のあるときだけです。
 
ただ、昭恵夫人は一般人とは違うところがあります。
昭恵夫人は公人か私人かという議論がありましたが、公務員の秘書が何人もついていれば公人でしょう。
いや、ただの公人ではありません。
 
アメリカのまねをして日本でも首相夫人のことをファーストレディということがあります。
これについて菅直人首相夫人だった菅伸子さんは、「日本には皇后陛下がいらっしゃるので、首相夫人をファーストレディというのはおかしい」と言ったことがあって、なるほどと思いました。
ただ、ファーストレディでなくてもセカンドレディぐらいのステータスはあるのではないでしょうか。
首相夫人は外国訪問にも同行し、相手国の元首と晩餐会などで同席します。
これはいわば“貴人”の役割です。
そういうことから、国民もマスメディアも昭恵夫人には敬意を払い、遠慮もしてきました。
 
しかし、貴人というのは御簾の奥に隠れているものです。
ところが、昭恵夫人は居酒屋を経営し、大麻解禁論者と交際したり、沖縄のヘリパッド建設工事現場を訪問したり、さらにはミュージシャンの布袋寅泰氏とキスをしている写真を週刊誌に報じられたりと、首相夫人にはふさわしくない行動もいっぱいしています。
つまり貴人と俗人のふたつの顔を持っているのです。
証人喚問にせよ参考人招致にせよ、国会に引き出して質問を浴びせかけるというのは、貴人に対してはふさわしくありません。そのためこれまで昭恵夫人を招致しろという声はそれほど大きくならなかったと思います。
 
しかし最近、昭恵夫人がフェイスブックで「野党のバカげた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変ですね」という投稿に「いいね」を押したということがニュースになり、俗人の面がクローズアップされました。
こうしたことが続くと昭恵夫人を招致しろという声が高まります。
 
先日、産経新聞が昭恵夫人に行動の自粛を求める記事を載せて、安倍応援団だった産経新聞が“昭恵夫人切り”に動いたのではないかと話題になりました。
 
ついに産経新聞が... 昭恵夫人に「今は行動自粛されては」
 
しかし、これは昭恵夫人は御簾の奥に隠れていろという忠告と見るべきでしょう。なにしろ安倍首相は国有地不正払下げに妻が関係していれば自分は首相も議員も辞めると言っているのですから、昭恵夫人が開き直ったら安倍首相はおしまいです。“昭恵夫人切り”ができるはずありません。
 
今後、昭恵夫人を国会招致するか否かが議論になるとき、夫人はファーストレディという貴人か、ただの俗人かという認識が議論を左右するでしょう。
 
 
しかし、ほんとうのところは、昭恵夫人を国会招致する必要などありません。夫人が記者会見を開いて質問に答えればいいだけの話です。
昭恵夫人は講演会に出たり、雑誌のインタビューに応えたりしていますから、記者会見で記者の質問に答えることなどなんでもないはずです。

昭恵夫人はこれまで森友関係についてはなにもしゃべりません。森友学園への100万円の寄付金についても、フェイスブックで否定したきりです。そういうことだから昭恵夫人を国会招致しろという声が出るのです。
 
安倍首相は、昭恵夫人が国会で質問責めにあうところを見たくないなら、昭恵夫人の記者会見をセッティングすればいいのです。
それをしないなら、昭恵夫人も安倍首相も“有罪”と見なされて当然です。

共謀罪が必要な理由として、国際組織犯罪防止条約締結のためとか、テロ対策のためという説明がされてきましたが、まったく説得力がありません。
私は、犯罪減少に対応して警察司法組織の利権を守るためだと主張してきました。
しかし、それだけではなかったようです。刑法学の高山佳奈子京大教授がもうひとつの理由を朝日新聞に書いておられました。
 
 
「共謀罪」 監視拡大、民主主義の危機 高山佳奈子
(前略)
では、テロ対策にも条約締結にも必要のない立法がなぜ、国会で十分な議論もないままに押し通されようとしているのか。
 背景には、02年以降、犯罪の件数が半数未満に減少した一方で、人員が2万人増員されて仕事のない警察が権限拡大を強く求めていることと、米国の圧力とがあるとみられる。
 エドワード・スノーデンほか著『スノーデン 日本への警告』(集英社新書・778円)の指摘どおり、米国の諜報(ちょうほう)機関では日本語を十分に扱えないため、日本の警察が市民を監視して得た情報を入手できれば好都合である。すでに、米国は日本にそのための技術システムを提供したとされる。
 米国の利益が本法案の背景にあることは、平岡秀夫・海渡雄一『新共謀罪の恐怖』にも詳述されている。本来、日本の刑法体系からすれば、国連条約締結のためには、ドイツなどと同様に、共謀罪ではなく結集罪の処罰を(破壊活動防止法や暴力団対策法などを改正し)狭い範囲で設ければ足りた。それなのに犯罪の計画・準備段階にまで極端に捜査権限を拡大する法案が出されたのは、監視を広げるためにほかならない。元警察職員執筆の原田宏二『警察捜査の正体』は、自身の経験から、現在でも人々の通信記録が収集され、社会の至るところに公安警察が密(ひそ)かに入り込んでいるとしている。
 法案が設ける277の犯罪類型は、国連条約の趣旨に反し、警察の職権濫用(らんよう)・暴行陵虐罪や商業賄賂罪を除外している。あらゆる問題を国民に秘匿したままの立法は民主主義への挑戦である。
 
 
やっぱり“アメリカの要請”なのでした。
日本で激しい政治的対立が起きるときには、必ず背後にアメリカの要請あります。安保法制にしても、米軍基地の辺野古移設にしてもそうです。
 
金田法相も理解できないようなむずかしい法案を法務官僚が必死でつくったのも、安倍政権がゴリ押ししてまで国会を通そうとするのも、アメリカの要請があったからだとすると納得がいきます。

共謀罪は治安維持法の復活だという反対論は、そういう意味では的外れです。結果的にそうなるかもしれませんが。

 
では、アメリカがなぜ共謀法の成立を求めたのかというと、やはりテロ対策でしょう。
 
アメリカの対テロ戦争は、軍事力で勝利できないのは明らかです。
自爆テロ犯には厳罰化も効果がありません。
ローンウルフ型のテロリストには警察もお手上げでしょう。
 
かといって、アメリカは対テロ戦争の勝利を諦めるわけがありません。
では、どうするかというと、全世界のすべての個人を監視する究極の監視社会の実現しかないと思われます。
メールやインターネット閲覧履歴などすべてがわかれば、その個人の思想傾向がわかり、テロをしそうな人間もわかるというわけです。
 
スノーデン氏の持ち出した機密文書によると、アメリカの情報機関は日本に対して、ネット上の電子メールなどのほぼすべての利用者の情報を収集・検索する監視システムをひそかに提供したということです。
アメリカとしては、日本だけ監視できないというのは具合が悪いので、こうしたシステムや共謀罪で監視することを求めているのでしょう。
 
ですから、安倍政権が共謀罪はテロ対策だというのは、あながち嘘ではありません。
ただし、そのテロ対策はアメリカのためのテロ対策です。日本のためではありません。
 
日本はすでに世界でもっともテロの少ない国になっていて、テロ対策は必要ありません。このことは次の記事に書きました。
 
「テロはへっているという事実」
 
アメリカがテロリストに狙われるのは、アメリカの覇権主義と反イスラム主義のせいであり、自業自得です。
アメリカがテロ対策をする必要があるからといって、日本が協力する必要はまったくありません。
共謀法成立をゴリ押しする安倍政権は売国政権です。

いわゆる「共謀罪」法案が5月19日、衆院法務委員会で強行採決されました。
反対運動はそれほど盛り上がりません。反対運動のあり方にも問題があるのではないでしょうか。
 
金田勝年法相の答弁はきわめてお粗末で、「私の頭脳が対応できない」とか「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っている」など言ったことが話題になりました。しかし、それほど“炎上”はしません。
 
もともと金田法相はお飾りみたいなもので、共謀罪法案を提出した主謀者でもありませんから、彼を責めるのは筋違いでもあります。
 
では、共謀罪法案を提出した主謀者は安倍首相かというと、そうとも言えません。最初に共謀罪が国会に提出されたのは2004年、小泉内閣のときです。
つまり法務省や警察はずっとこのような法律をつくりたくて、やっと今回実現しそうになったわけです。
 
なぜ法務省や警察がこのような法律をつくりたいかというと、みずからの権限を拡大したいからです。これは役人の本能みたいなものです。
それに最近は刑法犯もテロ事件も減少する一方なので、予算をへらされないためにも犯罪の範囲を拡大したいという動機もあると思われます。
 
私は前からこのことを主張してきましたが、刑法学の高山佳奈子京大教授も同じことを書いておられたので、その記事の一部を引用しておきます。
 
 
もし「共謀罪」が成立したら、私たちはどうなるか【全国民必読】
知らなかったと後悔する前に

高山佳奈子

 
なぜ、このように無用な処罰規定を広範に導入する法改正が急がれているのか。
「政府に批判的な勢力を弾圧するため」、「米国に情報を提供するため」という見方にも説得性があるが、筆者は特に、「犯罪のないところに犯罪を創り出し、取締権限を保持するため」という動機が1つの背景をなしていると見ている。
近年の犯罪統計によれば、犯罪認知件数は激減しており、戦後最低新記録を更新中である。暴力団関係者の数とそれによる犯罪も大きく落ち込んでいる。仕事のなくなった警察が摘発対象を求めているかのように見える。
筆者がそのように考えるのは単なる憶測によるものではない。近年、何の違法性も帯びていない行為の冤罪事件や、極めて軽微な違法行為を口実とした大幅な人権剥奪が現に起こっていることが根拠である。
 
筆者が直接関与した事件の例として、大阪のクラブが改正前風営法のダンス営業規制により訴追されたNOON裁判がある。
クラブNOONは単にフロアで音楽を流していただけで、深夜営業もしていなければ未成年者もおらず、騒音やごみ、いわんや暴行・傷害や違法薬物の問題も全く生じていなかった。
最高裁は、クラブには表現の自由と営業の自由が及んでおり、社会に対する実質的な危険がなければ無許可営業罪の処罰対象にはならないとして、無罪の判断を下した。
しかし、最高裁まで争って無罪を勝ち取った金光正年氏以外は、同様の事案で多くのクラブ関係者が略式手続によって冤罪の状態のままに置かれてる。
しかも、改正風営法ではダンス営業の罪が廃止されたものの、これよりもさらに広範で違憲の疑いの強い「遊興」処罰規定が新設され、多数の飲食店に対し、警察が嫌がらせともとれる立入りなどを実施している。
警察には仕事がないらしい。クラブ関係者の政治的立場は多様であり、反政府的であるから摘発されたとは考えがたい店も多い。
最近では、女性タレント2名が電車の線路に立ち入った行為が鉄道営業法違反で書類送検の対象になっている。この行為はクラブ営業と異なり違法は違法だが、極めて軽微な違法性しかない。この程度の行為であれば、刑事罰の対象とはされない国も多い。彼女たちは何の政治的立場もとっていない。
また、昨年5月には、右翼団体「草莽崛起(そうもうくっき)の会」メンバー20名が、道路交通法上の共同危険行為を理由に、運転免許の取消処分を受けることになったと報道された。
こうした摘発の現状を見ると、対象にされる者が政府に対してどのような立場をとっているかは、警察の実績づくりのためにはもはや関係がなくなっていると考えられる。
現行法の下でもこの状態であるから、いわんや、共謀罪処罰が導入されれば、取締権限がどのように用いられるかは、一般人の予測しうるところではないことが明らかである。
 
 
つまり共謀罪法案提出の主謀者は法務・警察官僚です。
ここを標的にして反対運動をするが正しいやり方です。
 
金田法相の答弁があまりにも不安定なので、与党は林真琴刑事局長を政府参考人として出席させて代わりに答弁させることにしました。
野党としては金田法相のバカな答弁を引き出したいところですから、このことに反対するのはわかります。しかし、林刑事局長が出席することに決まったら、法務官僚の考え方をただすチャンスです。
 
しかし、今のところそういう展開にはなっていません。
ひとつには、共謀罪法案があまりにも複雑で、野党議員の力不足ということもあるでしょう。
しかし、根本的には、金田法相のような政治家は批判しても、官僚は批判しないという習慣があるからではないかと思われます。
この習慣はマスコミも同じです。
森友学園問題で財務省の佐川宣寿理財局長が「すべての記録書類を廃棄した」などとふざけたことを答弁しても、ほとんど批判されません。
 
政治家もマスコミも「官僚依存」です。
民主党政権が失敗したのも「官僚依存」を崩せなかったからです。
森友学園問題や加計学園問題の真相追及がうまくいかないのも、官僚の妨害に打つ手がないからです。
 
マスコミが林真琴刑事局長や佐川宣寿理財局長のことをどんどん報道して、国民の怒りがそちらに向くようになると、この国のあり方も大きく変わるのではないかと思います。

安倍政権は「共謀罪」の名前を変えた「テロ等準備罪」の法案を今国会に提出し、成立させる方針です。
テロの定義は存在しないのに、テロという言葉を使った法律ができるのは不思議だなと思っていたら、「テロ等準備罪」は法案を説明するための呼称で、条文にテロの言葉は出てこない見込みだということです。
「共謀罪」はイメージが悪く、テロ対策を前面に打ち出せば賛同が得やすいということで適当な名前をつけたようです。
 
しかし、今の日本でわざわざテロ対策の新法をつくる必要があるとは思えません。というのは、日本では年々テロの発生件数がへっているからです。
世界でのテロはふえていますし、日本人がテロの被害にあうケースもふえていますが、日本国内で発生するテロ件数はへっています。
 
テロは定義がないので公式の統計もありませんが、件数そのものが少ないので、ウィキペディアの「テロ事件の一覧」を見れば十分でしょう。
 
テロ事件の一覧
 
昔は浅沼稲次郎暗殺事件、三島由紀夫事件、あさま山荘事件、三菱重工爆破事件、連続企業爆破事件、赤報隊事件、オウム真理教事件など世間を震撼させる事件がいくつもありましたが、2000年以降は、目ぼしいものとしては、実弾入りの脅迫状を送ったり施設への発砲をしたりした建国義勇軍事件があるぐらいです。あとは新しい歴史教科書をつくる会事務所放火事件、加藤紘一宅放火事件、防衛省火炎瓶投擲事件、それから中核派による金属弾発射事件がいくつかありますが、テロ事件はきわめて少なくなっているといえます。
 
当然、日本は世界でテロ事件の少ない国です。
 
 
「世界テロ指数」日本は124カ国で最も安全 インド、タイ、英国への出張は要注意
 豪シンクタンクの経済平和研究所(IEP)が発表した2015年度版の「世界テロ指数(GTI)」で、日本は最下位の124位となったことが分かった。気になる上位の順位は1位イラク、2位アフガニスタン、3位ナイジェリア、4位パキスタン、5位シリアと中東・アフリカが並んだ。
(後略)
 
 
ところが、マスコミも政府もこうした事実には触れないので、なんとなくテロは怖いとか、テロ対策をやらねばというムードが醸成されていて、それに乗じて「テロ等準備罪」が出されるわけです。
 
テロ対策の成功している日本がテロ対策に失敗した外国のまねをするのは間違っています。むしろ外国に対して、日本を見習えと言うべきです。
 
では、日本のテロ対策のどこがよかったかというと、なにも対策をしなかったところです。
たとえば、中核派に対して破防法を適用するべきだという議論がありましたが、結局見送られました。その結果、中核派は金属弾発射というまるで伝統芸能みたいなことをするだけの組織になりました。
また、オウム真理教に対しては、破防法適用寸前まで行きましたが、結局適用されませんでした。その結果、オウム真理教の後継組織はなにも事件を起こしていません。もし破防法を適用していたら、なにか事件を起こしていた可能性があります。
 
逆に、かつて全共闘運動が盛り上がって多くの大学でバリケード封鎖がされたことに対して、政府は「大学の運営に関する臨時措置法(大管法)」を制定して、大学に機動隊を導入してバリケード封鎖を実力で解除するという対策を取りました。その結果、日本赤軍など大量のテロリストが出現し、よど号ハイジャック事件、テルアビブ空港乱射事件、三菱重工爆破事件、連続企業爆破事件などが起きました(三島由紀夫事件もこの流れにあるといえます)
 
アメリカは9.11テロに対して対テロ戦争を始めましたが、その結果、世界中でテロがふえました。
 
つまり、テロ対策はやればやるほどテロがふえるのです。
これは子どもが反抗期だからといって反抗をやめさせようとすると、ますます反抗するのに似ています。放っておけば、そのうち反抗は収まるのです。
 
日本はテロがどんどんへっているのに、なぜ外国と同じテロ対策をやろうとしているかというと、表向きの説明は国際組織犯罪防止条約批准に必要だからということですが、実際は警察司法組織の利権のために違いありません。
日本では刑法犯も13年連続でへり続けていて、今では最盛期の4割弱になっています。このままでは予算も組織も縮小されてしまうため、刑法改正で厳罰化を進めてきました。「共謀罪」新設もその流れにあるわけです。
とりわけ公安警察は、破防法が無意味になって組織の存在価値が問われる状況ですから、「共謀罪」がどうしても必要なのでしょう。
 
安倍首相は2020年の東京オリンピックのテロ対策まで「共謀罪」新設の理由に挙げていますが、日本がアメリカの対テロ戦争に協力しなければ、日本がテロの標的になることはありません。
 
国民は法務省や警察司法組織のたくらみをしっかり監視していく必要があります。
 

安倍首相はなかなかやります。表情を見るとお腹の調子もいいようです。私は彼を見くびっていました。反省します。
しかし、歴史認識は相変わらずお粗末です。安っぽい右翼雑誌で読んだことを鵜呑みにしているからでしょうか。
 
安倍首相は国会答弁で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べました。「言葉の定義」を持ち出すのは、「証拠がない」と並んで、真実を認めたくないときの常套手段です。
 
これについては朝日新聞の読者投稿欄「声」(4月30日朝刊)にこんな意見が載っていました。
 
安倍首相は侵略解釈を改めよ 無職 三浦永光(埼玉県志木市 74)
 
 安倍晋三首相は22日、先の日本のアジア諸国に対する侵略と植民地支配の責任を認めた村山談話を「そのまま継承しているわけではない」と述べ、また23日、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」と語った。
 
 しかしこれは事実に反する。国連総会は1974年に「侵略の定義に関する決議」を採択しており、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対する……武力の行使であって……」など、8条にわたって規定している。これは諸国間で「侵略した」「いや、侵略していない」の争いが生ずるのを防ぐために、統一的な定義を定めたものだ。
 
 また、日本は51年のサンフランシスコ講和条約でアジア太平洋戦争での日本の侵略を裁いた極東国際軍事裁判の判決を受け入れることを明言した。安倍首相の発言はこれらの事実を無視するものだ。中国・韓国が、安倍首相が日本の侵略を否認した発言として反発したのも無理はない。安倍首相は日頃、各国が「国際社会のルール」や「国際法」にのっとって行動すべきことを内外に語っている以上、今回の発言を訂正すべきではないだろうか。
 
国連の「侵略の定義に関する決議」については簡単に検索できます。
 
「侵略の定義に関する決議」
 
また、この決議があるのだから安倍首相の言っていることは間違っていると指摘するブログもいくつもあります。
しかし、マスメディアはこのことを指摘していないのではないでしょうか。おかしな話です。
 
 
安倍首相はまた、こんなふうにも語りました。
「韓国では、靖国について抗議をし始めたのは、いったい、いつなんですか。盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代が顕著になったわけでございまして。金大中(キム・デジュン)時代にも、少しありました。それ以前には、ほとんどないんですから。中国においても、そうです。いわゆるA級戦犯が合祀された時も、彼らは、その時の総理の参拝について、抗議はしていなかった。ある日突然、抗議をし始めたわけであります」
 
しかし、これについては韓国の「中央日報」がすぐさま反論する内容の記事を書きました。
 
しかし安倍首相の主張は事実に反する。日本首相の靖国参拝は、初めて公式参拝を宣言した1985年8月15日の中曽根康弘首相から01年の小泉純一郎首相までの16年間、96年の橋本龍太郎首相の1回を除いて一度もなかった。それも自分の誕生日(7月29日)に私的に参拝した。副総理と外相がこの期間に参拝した例も2回にすぎない。
 
  韓国政府も85年の中曽根首相の靖国参拝を、当時の李源京(イ・ウォンギョン)外交部長官が正式に問題に取り上げた。96年の橋本首相の参拝当時は、外務部が公式的に遺憾論評まで出した。
 韓国政府のある当局者は「行かない時は(問題提起)せず、行くから問題提起したが、『以前は抗議せず最近になって抗議を始めた』というのは話にならない」と述べた。
 
安倍首相はなぜ事実を確かめもしないで国会で答弁したのでしょうか。
私の記憶でも、中国や韓国が「ある日突然、抗議をし始めた」などということはありません。すべては中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝から始まったのです。
 
それ以前にも三木武夫首相が「私人として」参拝したり、福田赳夫首相が「私人として」と断りながら公用車を使って「内閣総理大臣」と記帳して参拝したりして、多少は問題になっていましたが、その後、靖国神社がA級戦犯14人を合祀し、自民党が1980年の参院選の公約に「公式参拝」「国家護持」を掲げたことで政治の争点となり、1985年8月15日、中曽根康弘首相が「公式参拝」を公言して玉串料を公費から支出して参拝したことで大問題になりました。
(「靖国神社をめぐる出来事についての年表」を参照しました)
 
つまり、そもそもは自民党の仕掛けで日本で問題になったので、それを見て中国、韓国も問題にするようになったのです。
 
中には「日本のマスコミが騒ぐので、中国、韓国が抗議するのだ」ということを言う人もいますが、「首相が公式参拝をしたために、日本のマスコミが騒ぐので、中国、韓国が抗議するのだ」というのが正しい表現です。
 
安倍首相の間違った認識について、韓国の「中央日報」はすぐにそれを指摘しましたが、日本のマスコミは、私の知る範囲ですが、指摘していないように見えます。
 
「選択」5月号に『安倍とメディアの醜悪な「蜜月」』と題する記事があり、今既存メディアは、安倍内閣が驚異的な支持率を維持していることと、「安倍批判」をしてアベノミクス効果で上昇に転じた景気を悪化させたら「戦犯」と批判されかねないという不安があるために「安倍批判」がしにくくなっていると書かれていました。
 
むりに「安倍批判」をすることはありませんが、安倍首相が間違ったことを言ったら、それを指摘するのは当然です。そして、安倍首相も間違った発言を訂正するべきです。そうでないと、国民は間違ったことを正しいと思い込んでしまいます。

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