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「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったのは、テロ予告の脅迫などがあった以上やむをえないかと思いますが、今後同じようなことがある場合に備えて、理論武装をしておくにしくはありません。

芸術祭の事務所や愛知県庁に寄せられた抗議のメールや電話は、半数が慰安婦像に関するもので、4割が天皇の写真に関するものだったそうです。
慰安婦像については前回の「いまだに慰安婦像にこだわる愚」という記事で書いたので、今回は天皇写真について書きます。


「表現の不自由展」の内容は、次の記事が紹介していました。

「表現の不自由展」は、どんな内容だったのか? 昭和天皇モチーフ作品の前には人だかりも《現地詳細ルポ》


大浦信行氏の「遠近を抱えて」という作品があって、昭和天皇の写真がコラージュされています。これが富山県立近代美術館に展示されたとき、抗議によって公開中止となり、美術館は作品を売却、図録を全部焼却するという事件がありました。その後、大浦氏は映像作品の中で「遠近を抱えて」の図像を繰り返し用い、「表現の不自由展」のために制作された映像作品には「作品を燃やすシーンが戦争の記憶にまつわる物語のなかに挿入され」ているということで、それが今回問題になりました。

私はその映像作品を見ていないのでなんとも言えませんが、「表現の不自由展」に抗議した人もほとんどは見ていないはずです。「天皇の写真が燃やされる」という情報だけネットで見ているのです。小説でも映画でも自分が鑑賞せずに批判するというのは、してはいけないことです。

慰安婦像に抗議する人も、ニュース番組などで慰安婦像を見ているだけでしょう。一度本物を自分の目で見ることには価値があります。

ともかく、「天皇の写真が燃やされる」ということに抗議する人はどういう論理なのでしょう。
どこかの未開人は写真を撮られると魂を抜かれると信じているという話がありますが、同じ論理で写真には魂が宿っていると信じているのでしょうか。


帝国憲法では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」でしたし、ご真影も同様に神聖とされていました。ですから、「天皇の写真は神聖である」という理屈が成り立ちます。

しかし、日本国憲法では、天皇は「象徴」であり、「神聖」という言葉はありません。昭和天皇は人間宣言をして、現人神でなくなりました。
しかし、天皇家は神道の儀式を行い、世襲制という特別な地位もあります。
つまり現在の日本においては、天皇は神聖とは言えないが、神聖でないとも言えないというグレーゾーンの存在です。

天皇が神聖であるとも神聖でないとも言えないグレーゾーンの存在であることが、天皇制を巡る議論をむずかしくしています。

保守派は「天皇は神聖である」と言いたいのですが、はっきり言うと反発を招くので、言えません。
リベラルも「天皇はただの人間である」と言うと反発されるので、なかなか言えません。


そういう状況で「天皇の写真を燃やす」作品が問題になりました。
抗議する側は、「天皇の写真は神聖である」と考えています。しかし、そう口に出すと反発されるので、理由を言わずにひたすら「けしからん」と主張します。
ですから、「天皇の写真を燃やすのはなぜいけないのですか」と聞けばいいのです。そうすると彼らは答えに窮するはずです。
「天皇の写真を燃やすと傷つく人がいる」と言うかもしれませんが、作品を見るのは美術展に行く人だけですから、傷つく人はいません。


「天皇の写真は神聖である」という考え方は呪術的思考です。
「慰安婦像はけしからん」というのも呪術的思考です。
最近の日本の右翼は、天皇の写真、慰安婦像、徴用工像、旭日旗などの“呪物”にばかりこだわっています。

こうした呪術的思考を打ち破るのは合理主義精神です。
その具体的な手段のひとつは、「国益追求」を掲げることです。
本来「国益追求」というのは右翼の専売特許なのですが、今は逆です。

たとえば「れいわ新選組」の山本太郎代表は、最近の日韓関係について、「 日本から韓国への輸出総額は6兆円(2.8兆円の貿易黒字)ですよ。この6兆円がなくなってもいいと思うなら、好きなことを言ってください」「ホワイト国除外をすることによって、日韓の間柄における輸出入に大きな障害が出来たことは間違いない。『それによって得られるものは何なのか』と言ったら私はマイナスの部分しか見えない」と言って、安倍政権のやり方を批判しました。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4893.html

相手が呪術的思考だとわかれば、おのずと対処の方法もわかってきます。