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「地球にやさしい」という言葉があります。
エコマークにも「ちきゅうにやさしい」という文字が入っています。

これは地球を擬人化した言葉ですが、この発想は広く見られます。
環境スローガン・標語をまとめたサイトから、そうした擬人化の言葉を拾ってみました。

助けよう 地球が今も 泣いている

守ろう、地球。創ろう、未来。

川や海 魚がぼくらを 見つめてる

青空ときれいな海は地球の笑顔

分別で 地球に返す 思いやり
https://matome.naver.jp/odai/2149906986349000101

人にやさしくするのはよいこととされます。それは人を幸せにするからです。
しかし、地球にやさしくしても、地球は幸せになりません。

この銀河系には2千億個以上の星があるとされ、宇宙には約2兆個の銀河があるとされるので、地球がどうなろうと宇宙にとってはどうでもいいことです。

ただ、人間にとっては話は別です。
地球が人間の住めないような星になっては困ります。
地球環境をよくするのは、あくまで人間のためです。
大気汚染や海洋汚染があっては、人間が住みにくくなります。

それから、いろいろな動物がいるのも、人間にとってはたいせつなことです。
公園にリスがいたり、庭にいろいろな野鳥がきたりするのを見ると、人間は豊かな気持ちになります。野山でキツネやウサギやシカを見たときも同じです。
おそらくいろいろな動物が棲める環境というのは、人間にとっても棲みやすい環境だからでしょう。
それと、餓えたときには獲って食べられるという安心感もあるかもしれません(人間は狩りをするサルなので)。

ニュージーランドにはかつてモアという巨大な鳥がいて、私は博物館でモアの剥製を見たとき、この鳥が生きて動いているところを見たかったとつくづく思いました。
ニホンカワウソはほぼ絶滅したようですが、日本の川にカワウソがいると楽しいだろうなと思います。

そういうことからWWF(世界自然保護基金)は生物多様性を守る活動をしています。

しかし、沖縄のハブが絶滅すると、ほとんどの人は喜ぶでしょう。
ヌートリア(南米原産の大きなネズミ)はカワウソと同じく水辺に棲みますが、農作物を食べ、堤防に穴を空けるというので、農水省は駆除を進めています。
ハムスターやモルモットはみんなかわいいと言いますが、ドブネズミやクマネズミは嫌われて駆除の対象です。

つまり生物多様性といっても、要するに動物の数の少ない動物園より動物の数の多い動物園のほうがいいというのと同じで、まったく人間本位のものなのです。


地球環境をよくしようとするのは、「人間のため」であって、それ以外の理由はありません。
ところが、「地球にやさしい」とか「地球のため」とか「環境のため」と言うのが普通になっています。

利己的な人間は周りからいやがられます。
そのため、商人は「お客さまに喜んでいただくために赤字覚悟でやっています」と言い、企業は「社会貢献」をうたい、政治家は「国家国民のために身命を賭す」と言います。
これは建て前やきれいごとなのですが、いつも言っていると、自分でもそれが本心と錯覚したりします。

同じことが地球環境問題でも起こっているのではないでしょうか。
そのため混乱が起きている気がします。


地球環境問題の目的は「人間が住みよい地球にする」ということだと認識すると、人間は全員一致できるはずです。
異星人から「地球人は地球のことばかり考えて利己的だ」と非難されることもありません。

対立が起きるとすれば、たとえば石油産業で生活している人と再生エネルギー産業で生活している人の間とか、自分の子ども世代のことを考える人と考えない人の間といったことで、原因が明快になります。

そして、地球温暖化問題がちょっと異質だということもわかるはずです。
大気汚染や海洋汚染は、人間にとってよいことはありません。しかし、地球温暖化にそうしたマイナスはありません。
人類は中央アフリカに発祥したとされるので、むしろ地球が温暖化したほうが住みやすくなるということも考えられます。
ですから最近は、温暖化そのものよりも、温暖化の過程で生じる異常気象などの気候変動を問題視する傾向が出てきています。

それから気になるのは、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが、なにか崇高な目標のために活動しているかのような激しい口調で語ることです。
地球環境問題を、人類を超越した宗教的な問題のようにとらえているのではないかと心配です。
それではかえって人類の分断を招いてしまいます。
「みんながいっしょに住んでいる家をみんなできれいにしよう」ぐらいの感覚でやっていきたいものです。