村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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10月18日、小室圭氏は赤坂御用地を訪れ、秋篠宮夫妻に結婚のあいさつをするとともに、眞子さまと3年ぶりに再会しました。
松野博一官房長官はこの件について「末永いご多幸と皇室の一層の繁栄をお祈り申し上げたい」と語りました。
眞子さまと小室氏の両人はもちろん、両家、宮内庁、政府のすべてが二人の結婚を認めたことになります。

もともと結婚は「両性の合意のみ」に基づくものですが、皇族の場合はそうではないという説がありました。しかし、ここに至ると制約はありません。
小室氏については、なんだかチャラい感じだとか、弁護士でなくてパラリーガルとはなんじゃとか、ちゃんと稼いでいけるのかとか、いろいろ言われてきましたが、眞子さまが小室氏を選んだ以上、もはやなにも言うべきではありません。

ところが、いまだに二人の結婚を祝福せず、逆に反対し、妨害しようとしている人がいます。
それも、ネット上ではやけに声が大きく、多数派です。

小室圭氏と眞子さまの結婚はどうしてこれほど評判が悪いのでしょうか。
私は前回の「眞子さま・小室圭氏への異様な攻撃の背景」という記事で、皇室と一般国民の格差婚であることから下の立場の小室氏は差別され、皇族もまた神聖であるがゆえに「上への差別」を受けているのだというふうに説明しました。
「下への差別」と「上への差別」ということで、うまい説明かと思ったのですが、あまり説得力がなかったかもしれません。
そこで、今度は別の角度から説明したいと思います。


小室家はごく普通の庶民の家庭です。もしかすると年収は日本の平均よりも低かったかもしれません。
天皇家と比べると「家柄が悪い」ということになり、そのためこの結婚をよく思わない人がいます。
小室氏の父親が元皇族、元華族、大企業の重役、高級官僚、学者などであれば問題はなかったはずです。

しかし、「家柄」にこだわる人はそんなに多くないかもしれません。
逆に、自分たちと同じ庶民が“お姫さま”を射止めたということで喜んでいいはずです。
台所で灰をかぶっていた女性がお城の舞踏会に行ったことで王子さまの心を射止めて結婚したというシンデレラの物語といっしょです。
つまり小室氏は男版シンデレラです。

もっとも、シンデレラは物語の中の存在ですが、小室氏は現実の、しかも自分と同じような存在です。
自分と同じような存在が“お姫さま”をゲットしたわけです。

日本は同調圧力のきわめて強い社会です。
先日、ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏が「日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。彼らはとても調和的な関係を作っています」「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです」と語ったことから、改めて日本社会の同調圧力に注目が集まりました。

同調圧力とは「出る杭は打たれる」ということでもあります。

小室氏は眞子さまと婚約したことで「出る杭」になりました。
「出る杭」でも、たとえば将棋の藤井聡太三冠のように才能があって出たのならたたかれません。賞賛されます。
小室氏はとくになにかの才能があったわけではなく、たまたま身近に眞子さまがいて、イケメンであることを利用してうまく立ち回って(と思われています)、眞子さまをゲットしたわけです。
その結果、小室氏は将来の天皇陛下である悠仁さまの義兄という立場を手に入れました。
これは「出る杭」の中でも飛び切り出た杭なので、集中的にたたかれたわけです。

小室氏はニューヨークでは髪型をポニーテールにしていて、この姿が報じられると猛烈にたたかれました。結果、赤坂御用地を訪れるときは髪を切っていました。これなど日本社会の同調圧力の強さを見せつけた例です。

小室氏がたたかれたのは、天皇家と比べて「家柄が悪い」ということもありますが、それよりも飛び切りの「出る杭」になったためだと理解したほうがよさそうです。


ヤフーニュースでは小室氏関係のニュースには異様に多くのコメントがつき、そのほとんどすべてが誹謗中傷です。
アメリカ大統領選挙でトランプ大統領が「選挙が盗まれた」と言っていたころ、陰謀論に乗せられた愚かなコメントがあふれましたが、そのころとなんとなく似ています。ただ、今回のほうがコメント数ははるかに多くなっています。
そして、たたかれるのは小室氏だけでなく、眞子さま、秋篠宮家、さらには天皇家にまで及ぶようになりました。

「小室さん、秋篠宮ご夫妻にあいさつ 眞子さまと3年ぶり再会」という記事についたコメントをいくつか引用してみます。

秋篠宮家はこの結婚を止めることは出来ず、多くの国民から皇室を敬う気持ちを奪った。皇族の者としての危機感が余りにも無さすぎる。これが皇室の終わりの始まりになるかもしれないと言うのに···
   ※
日本の皇族は終わりましたね。
これからも皇族必要ですか?
時代は変わっていきます。
今、考える必要があると思います。
必死に働いても給料が安く結婚出来ない、子どもを持てない、自分1人生きるのも大変。そんな時代に皇族に多額の税金を使うのはおかしい気がします。
   ※
一般民間人と同格化した価値観や品格で「国の象徴」として諸外国と交流されては国益を損ねます。
事実、秋篠宮家の言う自主性や皇族としての自覚の無さはすでに国益を損ねています。
国民はそれを憂慮し皇室の存続を懇願し声を上げ続けてきましたが結局は無視されました。
国民の総意の上に基づかない天皇は憲法第一条を完全に崩壊させます。
   ※
あと1週間ちょっとしかない。敬愛される皇室終了のカウントダウンが始まった…

国民の意見は丸無視のご一家。
何度でも言いますが、ロイヤル特権でズルしまくりの男との結婚は今でも反対です。
今後もずっとそうやってズルするんでしょ? 税金原資で。
我々国民はそんなことのために皇室制度を支えているのではない。
そんなに皇族の在り方が分かってないなら、本当に一家もろともお辞めください。
   ※
なんだか「秋篠宮家」自体が、皇室のお荷物になっていく感じですね。国民の象徴として、老若男女問わず、殆どの国民から祝福された、今の令和天皇・皇后のご成婚の時を、懐かしく思い出します。宮内庁の人員が 1,000名以上と聞いて、驚かされました。何をやってるのか解からんし、大した仕事もしないのに「国家公務員」扱いで、悠々自適の生活。まずは、この騒動を引き起こした大元である、彼らの大幅人員削減からでも着手しないと駄目でしょうね。あと、警備費など、この先も無駄に税金を垂れ流しするのではなく、国民に対して「お金の流れ」をきっちりと説明して頂きたいです。

もとは小室氏への敵意からだとはいえ、秋篠宮家や天皇制への敵意も相当なものです。
昔は反天皇制を主張するのは左翼と決まったものですが、こうしたコメントをするのは左翼でもなく、右翼でもないはずで、ごく普通の人なのでしょう。

「税金が使われている」ということにひじょうにこだわっているのは、生活保護バッシングに共通したものを感じます。
こうしたコメントをする人たちにとっては、天皇家は「税金で生活する人たち」であって、生活保護受給者と同じようなものなのかもしれません。
生活保護といっても「最上級生活保護」ですが。

小室氏を「出る杭」としてたたいていた人たちには、天皇家も「出る杭」と見えたのでしょう。


このように天皇家を攻撃していると、どうなるでしょうか。
佳子さま、悠仁さま、愛子さまは、恋愛結婚ができなくなります。見合い結婚も困難になるでしょう。
そして、佳子さま、悠仁さま、愛子さまらは、国民に対して不信感ないし恐怖感を持つようになるに違いありません。
これは天皇制の実質的な崩壊です。
今、結婚に反対している人たちはそこまで考えているでしょうか。

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10月22日、「即位礼正殿の儀」が行われ、新天皇が即位を宣言されました。

テレビのニュースで見ていたら、安倍首相が万歳三唱をしましたが、その万歳の手の動きがちょっと気になりました。
手の平を前に向けるのではなく、内側に向けたからです。
そうすると、ツイッターなどで「あれが正しい万歳三唱の作法だ」という説が拡散しました。安倍首相は正しい作法にのっとったというわけです。

しかし、これについては「BuzzFeed News」が『正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?』という詳しい記事を書きました。ある公務員のグループが遊びで「万歳三唱令」という公文書を模した偽文書をつくり、それが1990年代に保守派を中心に広まっていったというのです。
保守派はフェイクニュースを好むというデータがありますが、これも一例です。
安倍首相もフェイクニュースを真に受けたのでしょうか。

ただ、「BuzzFeed News」の記事に東條英機首相の万歳の写真が載っていて、東條首相も手の平を内側にしています。
もしかすると安倍首相は東條首相をまねたのかもしれません。
東条首相の万歳


保守派は頭の中が戦前のままなので困ります。
天皇についてはいまだに「天皇は神聖にして侵すべからず」という考え方です。
といっても、自分が「天皇は神聖だ」と思っているわけではありません。「天皇は神聖だ」という考え方を広めて天皇を利用しようと思っているのです。

自民党の中の保守派議員は即位の日に合わせて次の提言をしました。

「旧宮家の皇籍復帰」「婿・養子」案を想定 自民有志“特例法”提言
自民党保守系の有志議員らは23日、安定的な皇位継承に向けて、男系の伝統を維持するため、旧宮家の皇籍復帰を可能とする特例法の制定が望ましいという提言をまとめた。

自民党・青山繁晴参院議員「男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である」

提言では、旧宮家の男子が、本人の同意を前提として、「皇籍に復帰する」案と、「皇族の養子や、女性皇族の婿養子に入る」案を想定し、いずれも特例法で可能としている。

「女系天皇」の容認や「女性宮家」の創設は、日本の伝統や皇室の終焉(しゅうえん)につながると指摘している。

提言は、安倍首相に手渡される予定。
https://www.fnn.jp/posts/00426049CX/201910231219_CX_CX

男女平等の世の中では、「男性天皇」も「女性天皇」もあって当然です。
9月末に行われたNHKの世論調査でも『女性が天皇になるのを認めることについて賛否を尋ねたところ、「賛成」と答えた人が74%と、「反対」の12%を大きく上回り、特に18歳から29歳の若い世代で「賛成」が90%に上りました』ということです。

この提言をまとめた保守系議員は、男系による皇位継承が日本の伝統だと言いますが、昔は「男尊女卑」だからそうだったというだけです。
男女平等の世の中になれば、天皇制も男女平等になるのが当然です。

今どき「男尊女卑」を叫んでも誰も相手にしてくれません。
しかし、「神聖」という旗があれば別です。男女平等は俗世界のことで、神聖な天皇の世界は「男尊女卑」であるべきだと主張されると、論理的な反論ができません。


似たことが行われているが大相撲の世界です。
相撲は神事と結びついていたこともあって、「土俵は神聖である」という考え方が今もあって、土俵に女性が上がることは許されません。土俵だけではなく、相撲協会の理事も全員男性で、今でも「男尊女卑」の世界です。
相撲界が暴力、八百長、内紛などの問題をなかなか解決できないのも、「神聖」を盾に改革を阻んでいるからでしょう。

大相撲の世界が「男尊女卑」でも、一般社会にはあまり関係ありません。
しかし、天皇は「日本国の象徴」ですから、皇室が「男尊女卑」であると、一般社会もそれにならうべきだということになりかねません。
それが保守派の狙いです。


明治憲法では天皇は「神聖にして侵すべからず」でしたが、戦後憲法では天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となりました。
神聖天皇から象徴天皇へと変化したわけです。

しかし、神聖天皇は戦前までそうだったのでわかりますが、象徴天皇というのはよくわかりません。
象徴天皇の意味をいちばん深く考えてこられたのは上皇陛下です。
天皇の地位は「日本国民の総意に基く」とあります。「総意」とはなにかと考えて、流動的な世論に合わせるのではなく、恵まれない人に寄り添い、平和を願うことが象徴天皇の役割だと結論されたのでしょう。新天皇もそれを受け継いでおられると思います。


神聖天皇対象徴天皇というのが、今の政治の争点のひとつです。
神聖天皇派は、政教分離を無視し、大嘗祭にも国費を出して大々的に行い、天皇の神聖性を高めようとします(これには秋篠宮殿下も苦言を呈しました)。
また、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」において、天皇陛下の写真が燃えるシーンのある作品に対して執拗に抗議する人たちがいましたが、これも「天皇陛下の写真を燃やす」ということをタブー化して、天皇の神聖性を高める狙いです。

そして、即位礼に関してもそうしたことがありました。
22日は朝から雨でしたが、即位礼が始まる13時ごろに雨は上がり、晴れ間も見えるようになりました。
するとツイッターに「儀式が始まったとたんに雨がやんで虹がかかった」「天皇のパワーがすごい」「日本は間違いなく神の国」などの声があふれました。
一般の人が言うだけではなく、NHK中継で解説役を務めた京都産業大学准教授・久禮旦雄氏までが、昭和天皇も「晴れ男」だったとして「エンペラーウェザー」と言われた、などと発言し、「エンペラーウエザー」という言葉が検索トレンドランキング入りしました。

「雨男」だの「晴れ女」だのという言葉は日常的に使われ、新海誠監督のアニメ「天気の子」の発想のもとにもなっていますが、まじめに信じる人はまずいません。
しかし、神聖天皇派はこんな機会も利用しようとします。「リテラ」の記事によると、作家の百田尚樹氏はツイッターに「これほど美しい虹が偶然に起こるはずもない。天が新天皇の即位を寿ぎ、日本を祝福しているのだ」と投稿し、TBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」ではコメンテーターの竹田恒泰氏が「上皇陛下も天皇陛下も晴れ男」などと発言したそうです。
天皇に天気を変える力があるのなら、なぜ台風や大雨による災害が起こるのかということになり、ばかばかしいというしかありません。


憲法改正というと、九条のことが真っ先に思い浮かびますが、改憲派がほんとうに変えたいのは、一条の「天皇の地位と主権在民」のほうかもしれません。
もっとも、今では象徴天皇が国民の間にすっかり定着して、その改憲はまったく不可能です。

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