村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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アメリカの社会病理はますます進行し、銃犯罪、麻薬汚染、人種差別などが深刻化しています。リベラルと保守の分断もとどまるところを知らず、内戦の危機までささやかれています。
こうした社会病理の根底にあるのは、人間関係のゆがみです。
そして、人間関係のゆがみの根底にあるのは、おとなと子どもの関係のゆがみです。

「子どもの権利条約」の締約国・地域の数は196で、国連加盟国で締約していないのはアメリカだけです。
つまりアメリカは国家の方針として子どもの人権を尊重しない世界で唯一の国です。
こういう重要なことがほとんど知られていないのは不思議なことです。
子どもの人権を尊重しないことがさまざまな問題を生んでいます。


幼児虐待で死ぬ子どもの数は、日本では多くても年間100人を越えることはありませんが、アメリカでは毎年1700人程度になります。
もちろん死亡する子どもの数は氷山の一角で、はるかに多数の子どもが虐待されています。
西洋の伝統的な考え方として、理性のない子どもは動物と同様と見なして、きびしくしつけするということがあります。子どもの人権という概念がないために、それが改まっていないと思われます。

日本では不登校の子どもをむりやり学校に行かせるのはよくないという考えが広まってきましたが、アメリカでは義務教育期間は子どもは学校に通う義務があり(日本では親に子どもに教育を受けさせる義務がある)、不登校は許されません。しかし、むりやり子どもを学校に行かせようとしてもうまくいかないものです。
そんなときどうするかというと、子どもを矯正キャンプに入れます。これは日本の戸塚ヨットスクールや引きこもりの「引き出し屋」みたいなものです。
『問題児に「苦痛」を与え更生せよ 「地獄のキャンプ」から見る非行更生プログラム 米』という記事にはこう書かれています。
アメリカの非行少年更正業界は、軍隊式訓練や治療センター、大自然プログラム、宗教系の学校で構成される1億ドル規模の市場だ――州法と連邦法が統一されていないがゆえに、規制が緩く、監視も行き届いていない。こうした施設の目的は単純明快だ。子どもが問題を抱えている? 夜更かし? ドラッグ? よからぬ連中との付き合い? 口答え? 引きこもり? だったら更正プログラムへどうぞ。規律の下で根性を叩き直します。たいていはまず子どもたちを夜中に自宅から連れ去って、好きなものから無理矢理引き離し、ありがたみを感じさせるまで怖がらせる。だが、組織的虐待の被害者救済を目的としたNPO「全米青少年の権利協会」によると、懲罰や体罰での行動矯正にもとづく規律訓練プログラムの場合、非行を繰り返す確率が8%も高いという。一方で、認可を受けたカウンセリングでは常習性が13%減少することが分かっている。
大金持ちのお騒がせ令嬢であるハリス・ヒルトンもキャンプに入れられたことがあり、議会でこのように証言しました。
「ユタ州プロヴォキャニオン・スクールでは、番号札のついたユニフォームを渡されました。もはや私は私ではなくなり、127番という番号でしかありませんでした。太陽の光も新鮮な空気もない屋内に、11カ月連続で閉じ込められました。それでもましな方でした」とヒルトンは証言した。「首を絞められ、顔を平手打ちされ、シャワーの時には男性職員から監視されました。侮蔑的な言葉を浴びせられたり、処方箋もないのに無理やり薬を与えられたり、適切な教育も受けられず、ひっかいた痕や血痕のしみだらけの部屋に監禁されたり。まだ他にもあります」
普通の学校はどうなっているかというと、「ゼロ・トレランス方式」といわれるものが広がっています。
これはクリントン政権が全米に導入を呼びかけ、連邦議会も各州に同方式の法案化を義務づけたものです。
細かく罰則を定め、小さな違反も見逃さず必ず罰を与えます。小さな違反を見逃すと、次の大きな違反につながるという考え方です。違反が三度続くと停学、さらに違反が続くと退学というように、生徒個人の事情を考慮せず機械的に罰則を当てはめるわけで、これでは教師と生徒の人間的な交流もなくなってしまいます。

これは私個人の考えですが、昔のアメリカ映画には高校生を主人公にした楽しい青春映画がいっぱいありましたが、最近そういう映画は少ない気がします。子どもにとって学校が楽しいところではなくなってきているからではないかと思います。

学校で銃乱射事件がよく起こるのも、学校への恨みが強いからではないでしょうか。


幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの四つに分類されますが、中でも性的虐待は「魂の殺人」といわれるぐらい子どもにダメージを与えます。
アメリカでは1980年代に父親から子どものころに性的虐待を受けたとして娘が父親を裁判に訴える事例が相次ぎました。いかにも訴訟大国アメリカらしいことですが、昔の家庭内のことですから、当事者の証言くらいしか証拠がありません。
ある心理学者が成人の被験者に、5歳のころにショッピングセンターで迷子になって親切な老婦人に助けられたという虚偽の記憶を植えつける実験をしたところ、24人の被験者のうち6人に虚偽の記憶を植えつけることに成功しました。この実験結果をもとに、セラピストが患者に性的虐待をされたという虚偽の記憶をうえつけたのだという主張が法廷で展開され、それをあと押しするための財団が組織されて、金銭面と理論面で父親を援助しました。
この法廷闘争は父親対娘だけでなく、保守派対リベラルの闘争として大規模に展開されましたが、最終的に父親と保守派が勝利し、逆に父親が娘とセラピストに対して損害賠償請求の訴えを起こして、高額の賠償金を得るという例が相次ぎました。
この顛末を「記憶の戦争(メモリー・ウォー)」といいます。
結局、家庭内の性的虐待は隠蔽されてしまったのです。

アメリカでは#MeToo運動が起こって、性加害がきびしく糾弾されているイメージがありますが、あれはみな社会的なケースであって、もっとも深刻な家庭内の性的虐待はまったくスルーされています。


ADHDの子どもは本来2~3%だとされますが、アメリカではADHDと診断される子どもが急増して、15%にも達するといわれます。親が扱いにくい子どもに医師の診断を得て向精神薬を投与しており、製薬会社もそれを後押ししているからです。


アメリカにおいては、家庭内における親と子の関係、学校や社会におけるおとなと子どもの関係がゆがんでいて、子どもは暴力的なしつけや教育を受けることでメンタルがゆがんでしまいます。それが暴力、犯罪、麻薬などアメリカ社会の病理の大きな原因になるのです(犯罪は経済格差も大きな原因ですが)。
そして、その根本には子どもの権利が認められていないということがあるのですが、そのことがあまり認識されていません。

たとえば、こんなニュースがありました。
「ダビデ像はポルノ」で論争 保護者が苦情、校長辞職―米
2023年03月28日20時32分配信
 【ワシントン時事】米南部フロリダ州の学校で、教師がイタリア・ルネサンス期の巨匠ミケランジェロの彫刻作品「ダビデ像」の写真を生徒に見せたところ、保護者から「子供がポルノを見せられた」と苦情が寄せられ、校長が辞職を余儀なくされる事態となった。イタリアから「芸術とポルノを混同している」と批判の声が上がるなど、国際的な論争に発展している。

 地元メディアによると、この学校はタラハシー・クラシカル・スクール。主に11~12歳の生徒を対象とした美術史の授業で、ダビデ像のほかミケランジェロの「アダムの創造」、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を取り上げた。

 ところが、授業後に3人の保護者から「子供がポルノを見ることを強制された」などと苦情が入った。教育委員会は事前に授業内容を保護者に知らせなかったことを問題視。ホープ・カラスキヤ校長に辞職を迫ったという。

この決定はミケランジェロを生んだイタリアで反響を呼んだ。ダビデ像を展示するフィレンツェのアカデミア美術館のセシリエ・ホルベルグ館長は、AFP通信に「美術史に対する大いなる無知だ」と批判。フィレンツェのダリオ・ナルデラ市長もツイッターで「芸術をポルノと勘違いするのは、ばかげている以外の何物でもない」と非難し、「芸術を教える人は尊敬に値する」として、この学校の教師を招待する意向を示した。

 フロリダ州では保守的な価値観を重視する共和党のデサンティス知事の主導で、一定年齢以下の生徒が性的指向を話題とすることを禁止する州法を成立させるなどの教育改革が強行されている。今回の措置には、米作家のジョディ・ピコー氏が「これがフロリダの教育の惨状だ」と指摘するなど、米国内でも波紋が広がっている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023032800665&g=int
これは「芸術かポルノか」という問題のようですが、実は子どもの「見る権利」が侵害されているという問題です。「芸術かポルノか」ということをおとなが一方的に決めようとするからおかしなことになるのです。

アメリカではSNSが子どもにとって有害だという議論があって、1月末に米議会上院がSNS大手5社の最高経営責任者を招いて、つるし上げに近いような公聴会を行いました。
米保健福祉省は勧告書で子どものSNS利用は鬱や不安などの悪化リスクに相関性があるという研究結果を発表していて、そうしたことが根拠になっているようです。

しかし、SNS利用が「子どもに有害」だとすれば、「おとなに無害」ということはないはずです。程度は違ってもおとなにも有害であるはずです。
子どものSNS利用だけ規制する議論は不合理で、ここにも「子どもの権利」が認められていないことが影響しています。

アメリカの保守派とリベラルの分断は、おとなと子どもの分断からきていると理解することもできます。


文科省は2005年に「問題行動対策重点プログラム」にゼロ・トレランス方式を盛り込みました。
また、日本でも「子どもに有害」という観点からSNS利用規制が議論されています。
しかし、アメリカのやり方を真似るのは愚かなことです。
アメリカは唯一「子どもの人権」を認めないおかしな国だからです。

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日本維新の会が参院選向けの公約を発表した中に「0歳児から投票権」というのがありました。
維新も思い切った政策を出すなあと感心したら、私が思ったのとはぜんぜん違っていました。

今の日本の選挙制度は「普通選挙」といわれていますが、正しくありません。18歳未満には選挙権がないので、「制限選挙」です。
1925年、加藤高明内閣は「普通選挙法」を制定しましたが、実際のところは選挙権は男性のみで、女性には選挙権がない「制限選挙」でした。それと同じごまかしを今もやっているのです。

18歳未満でも政治に関心があって投票したい若者はいます。
では、何歳まで下げたらいいかというと、簡単には決められません。小学生でも投票したい子はいるでしょう。
何歳と決められないなら、年齢制限そのものをなくせばいいというのが私の考えです。
0歳から選挙権があることにして、投票したくなればいつでもできるようにすればいいのです。
これがほんとうの「普通選挙」です。

認知症や知的障害の人だからといって選挙権が制限されることはありません。年が若いからといって制限されるのは不当です。

もちろんこれは子どもの意志で投票するのが前提です。
親が子どもの投票を左右するようなことがあってはなりません。


維新の会の「0歳児から投票権」というのは、私の考えたものとは違って、「ドメイン投票制度」というものでした。

維新の会の藤田文武幹事長はインタビュー記事の中でこう語っています。


藤田:(略)ドメイン投票制度は何かというと「0歳から未成年の人にも投票権を与えましょう」というものです。ただし、たとえば0歳児は意思表示ができないので、保護者の方に一票を代行する権利があります。
そうすると、(政治家の)景色が結構変わって、子育て世代や若い人の声をもっと聞いたらいいんじゃないかというインセンティブが自然に働きますよね。子育て世代や若い人の票の強さを制度として高めるのは、僕は今の時代に合っていると思います。

能條:ふと一つ気になったのが、子どもの一票を保護者である両親が代行するとなったとき、父親と母親のどちらが投票するのでしょうか。

藤田:それは喧嘩になりますよね。家庭の事なのでじゃんけんで決めてもらいましょう。

能條:私の周りのカップルで、政党に関する意見が合わないというのは結構聞くんですよ。なので、どういう議論をされているのかなと思って。

藤田:そこまで議論を細かく詰めてはいないですね。https://www.huffingtonpost.jp/entry/ishin_jp_62a69bdfe4b06169ca8d32d1


要するに子育て中の親の投票数を増やす制度で、それによって政治が子育て世帯への支援を強化することが期待できるというわけです。

私の「0歳児投票権」の考えは、政治に子どもや若者の意見が反映させようというものですが、これは政治に親の意見をより反映させようというもので、まったく違います。

さらにいうと、この制度の根本的な問題は、子どもを独立した人格と見なしていないことです。
インタビュアーは夫婦喧嘩が起こることを心配していますが、子どもが自分の意志で投票したくなったとき、親子喧嘩も起こりそうです。
親と子が別人格であることを無視するような制度ですから、子どもの私物化や幼児虐待にもつながりかねません。

ウイキペディアによると、「ドメイン投票制度」というのはアメリカの人口統計学者のポール・ドメインが発案したものですが、まだどの国でも採用されたことがありません。
維新の会は目新しさと子育て支援になりそうなところに引かれて飛びついたのでしょうが、実際は「子どもの人権」をまったく無視する制度です。
維新の会の人権感覚が知られます。



「子どもの人権」を無視するといえば、アメリカの政治はもっと深刻です。

TBS NEWSの「バイデン政権失速の裏で・・・ 急拡大する母親団体に迫る」というニュースによると、去年1月にフロリダ州で3人の母親によって結成された「MOMS for LIBERTY」という団体が今では全米33州に拡大し、会員が7万人を超えたということです。

この団体は「母親の自由(権利)」を掲げて、地元の教育委員会などに「パフォーマンスの悪い教師はクビにするべきだ」「肌の色だけで弾圧者と被害者を決めつける教育には反対」「若い人たちにアメリカの価値観をきちんと学ばせるのがだいじ」などと要求する活動を行っています。
創立者の1人は、「アメリカでは親の権利が踏みにじられているんです。それを変えるのがこの団体の目的です」と語り、支持者である共和党議員は「学校のすばらしさを取り戻す」と語りました。

トランプ元大統領の言い分と似ていることからわかるように、これは保守系の団体です。
「子どものため」ということを大義名分にしていますが、実際のところは「母親の自由」や「母親の権利」を主張するほど「子どもの自由」や「子どもの権利」が失われるという関係になっています。


実はアメリカには「子どもの権利」という概念がありません(ドメイン投票制度の発案者もアメリカ人です)。
子どもの権利条約を締約(批准・加入・継承)している国・地域は世界に196あり、未締約国は1か国ですが、その1か国がアメリカです。
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ユニセフHPより


さらにいうと、女性差別撤廃条約を締約している国・地域は189で、未締約国は数か国ですが、アメリカも未締約国のひとつです。

なぜそうなるかというと、要するにアメリカは家父長制が根強い国だからです。父親が母親と子どもを強権的に支配していて、女性の権利も子どもの権利もないがしろにされています。
このような家庭が保守派の支持基盤になっています。

アメリカでは女性差別と子ども差別が家庭の中で再生産され続けているので、人種差別などもなくすことができず、ポリティカル・コレクトネスという言葉狩りをするしかないのが現状です。


アメリカは子どもの権利条約も女性差別撤廃条約も締約していないという事実はほとんど知られていないのではないでしょうか。
アメリカは奴隷制を廃止したのが世界でいちばん遅く、黒人に選挙権が認められたのも1965年ですから、世界に冠たる差別主義国家です。
その国がウイグル族の人権問題で中国を非難するなど、人権で世界をリードするようなふりをしているのは滑稽なことです(ウイグル族の人権問題はもちろん重要です)。


子どもは社会の最弱者です。
「子どもの人権」さえ理解すれば、強者と弱者の関係で成り立っている社会の仕組みが全部見えてきます。
ポイントは、親すらも「子どもの人権」を踏みにじることがあるということです。

日本は子どもの権利条約締約国なのに、まるでアメリカと同じように「子どもの権利」がほとんど無視されているのはおかしなことです。

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子どもの家庭でのゲームは1日60分以内とする――こんな条例が香川県で制定されそうで、物議をかもしています。

この条例は「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)」といい、子どもをネット・ゲーム依存症から守ろうという趣旨で、18歳未満を対象に、「コンピュータゲームの利用は1日、平日60分、休日90分までとする」「義務教育修了前は午後9時まで、それ以外は午後10時までに利用を終える」などとしますが、努力義務で、罰則はありません。

「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい」と親がいくら言っても、子どもはなかなか言うことを聞かないので、条例の助太刀があればいいという発想でしょう。
WHOが2018年にゲーム依存症を疾病と認定したことで条例がつくりやすくなったと思われます。
しかし、ゲーム依存症はおとなも子どももなります。子どもだけを対象にした条例は理不尽です。

この条例案に対して「家庭のことに行政が介入するな」とか「ゲームをするのは悪くない」という反対の声が上がっています。


私が子どものころは、「テレビばっかり見てないで勉強しなさい」と言われ、おとなたちは子どものテレビ視聴時間を制限しようと躍起でした。
今も昔もおとなのやることは同じです。
実はこの条例案も、最初は「スマートフォン等」の使用を制限するものでした。つまりスマホでネットを見ることも制限しようとしたのです。
これに反発の声が強かったことから「スマートフォン等」から「コンピュータゲーム」に変更されたという経緯があります。

今になって思えば、子どもがテレビを見てどこが悪いのかということになります。
テレビを見なければ、その分勉強時間がふえるというものでもありません。
だらだらすごすよりテレビを見たほうがためになります。
今の子どもがスマホを見たりゲームをしたりするのも同じことです。
ネットを見ると知識が得られますし、ゲームをすると集中力が身につきます。

アルコール依存症や薬物依存症は体に悪く、ギャンブル依存症は財産をなくしますが、ゲーム依存症にはそういう問題はありません(ゲーム課金を抑えればですが)。
ゲームなどは、やる以上は中途半端にやらずにとことんやるべきです。そうすると、やがて飽きがきて、興味が次のことに移っていきます。そのときにとことんやった体験は財産になります。

興味がほかのことに移らず、同じことをやり続けると、それはそれで道が開けます。
藤井聡太七段は5歳で将棋を覚えてはまり、それからやり続けているわけです。

2018年のゲーム市場の規模は1兆6700億円で、出版市場は紙と電子を合わせて1兆5400億円です。
作家はステータスは高いですが、少数の人しかなれません。
ゲーム制作には物語、ビジュアル、音楽などの才能が必要で、クリエイティブな仕事をしたい人は、ゲーム業界を目指すのが現実的です。

2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化されます。
eスポーツは世界的に盛り上がっています。
スマホやゲームを規制しようというのは、完全に時代遅れな発想です。


おとなの発想が時代遅れになるのは、ある程度しかたがありません。
ですから、子どもの発想も同時に入れることです。

子どもの権利条約は子どもの意見表明権を規定しています。

第12条
締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。 
このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。 

子どもの意見を聞かずに子どもの行動を規制する条例をつくるのは、子どもの権利条約違反です。

日本では、子どもの意見を聞かずにおとなが勝手に子どものことを決めることが横行しています。
大学入学共通テストに英語民間試験を利用する制度の導入で混乱が生じたのも、受験生の意見をまったく聞かずに制度をつくったからです。
学校では子どもの意見を聞かずに校則をつくるので、おかしなブラック校則がいっぱいできています。

香川県のゲーム規制条例は“ブラック条例”です。

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2020年度から実施される「大学入学共通テスト」は問題がありすぎると、反対の声が上がっています。

なにが問題かというと、英語の試験に英検やTOEFL、ケンブリッジ英検といった民間試験が活用されるのですが、異なる試験の成績を公平に比べられるのかとか、受験料が高くつくとか、試験会場が都市部に偏っているとか、替え玉受験などの対策は十分かといった疑問点や難点があるのです(なお、TOEFLは7月に「責任をもって対応することが困難」として不参加を表明)。

また、入試問題に記述式問題が用いられます。2020年度にまず国語と数学で導入され、2024年度以降は地理歴史・公民や理科分野にも広げる予定となっています。ただ、数学の記述式問題は初年度は見送り、文章ではなく数式だけ書かせる方式に変更すると7月に発表されました。
文章力を見るのなら国語の問題ですればいいことで、数学でするのは意味がわかりません。
それに、記述式問題は人が採点する必要があり、学生バイトにも採点をさせるということです。採点の基準は、キーワードが含まれるか否かということなら明快ですが、たとえば文法の間違いはどれだけ減点するかなどは主観が入りそうです。


反対や実施延期を求める声が上がっていますが、そうした声を上げるのは受験生と保護者と高校教師などが中心です。一般の人はあまり関心がありません。
正直、私もそれほど真剣に考えているわけではありません。入試に記述式問題を使うというのは愚かなことだと思いますが、英語の民間試験を使うことの問題点は、当事者ではないだけにピンときません。

一般の人の関心があまり高くないのをいいことに、柴山昌彦前文科相は8月16日、ツイッターで「サイレントマジョリティは賛成です」と主張しました。

そのあとのことを日刊ゲンダイが「柴山文科相に批判の嵐 英語民間試験に異議の学生を即排除」という記事で書いています。

 そこで、聞く耳を持たない大臣にシビレを切らした慶大生が24日、埼玉県知事選の応援に来た柴山氏の演説中、大宮駅前西口で、「若者の声を聞け」などと記したプラカードを掲げ「柴山辞めろ」「入試改革を白紙撤回しろ」と発言した。すると、スーツ姿の警察官に3人がかりで引っ張られ、排除された。ベルトがちぎれたという。
 警官が学生を強引に排除するだけでも大問題だが、柴山文科相はこの強制排除に対して、〈少なくともわめき散らす声は鮮明にその場にいた誰の耳にも届きましたけどね〉(26日付)とまるで騒音扱い。怒った高校生が、ツイッターで公開されている文科省の電話番号を記し、抗議を呼びかけると、柴山氏は高校生相手に〈業務妨害罪にならないよう気をつけて下さいね〉(26日付)と半ば脅す始末だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260896/2

さらに、柴山前文科相は9月8日、高校生の「昼食の時間に政治の話をする」などのツイートに「こうした行為は適切でしょうか?」と返信し、非難の声が上がるということもありました。

どうやら柴山前文科相は、若者が意見を言うことが許せないようです。
これは柴山前文科相だけのことではなく、文科省とか教育行政における根本的な問題です。

日本も批准している子どもの権利条約の第12条は、「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と規定しています。
ですから、受験生は受験制度について意見を言う権利があり、文科省はその権利を確保しなければなりません。
ところが、文科省は受験生が意見を言う機会をまったく封じています。
とりわけ若者の意見を封じようとする柴山前文科相の行動など、明らかに子どもの権利条約違反です。

文科省は昔からそういう体質です。中教審やら教育再生会議やらが何度も教育改革案を出してきましたが、生徒にアンケート調査をしたことは一度もありません(確か保護者にアンケート調査をしたことが一度あるだけです)。


そうした中で、朝日新聞と河合塾が共同で英語の民間試験を活用することについて調査を行いました。

大学6割、高校9割が「問題ある」 入試の英語民間試験
 2020年度から始まる大学入学共通テストで英語の民間試験を活用することについて、「問題がある」と考える大学が3分の2近くにのぼることが、朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」でわかった。昨年の調査よりも2割近く増えた。同時に実施した高校への調査でも、9割近くが「問題がある」と回答。仕組みが複雑なことや、指摘される課題が解決される道筋が見えないため、大学・高校ともに不安が高まっているようだ。
調査は今年6~7月、大学は761校、高校は全日制課程がある国公私立高校4686校を対象に実施した。大学は90%に当たる683校が回答し、高校は20%に当たる959校が回答した。
(後略)
https://www.asahi.com/articles/ASM984GQQM98UTIL009.html?iref=pc_ss_date

大学と高校を対象に調査しただけで、高校生は対象になっていません。河合塾は現役高校生向けの講座もやっていますから、高校生に調査することは容易だったはずです。
朝日新聞は進歩派とされますが、このように子どもの権利を平気で無視するので、エセ進歩派とか偽善と言われます。

朝日新聞は、大学入試に採用される新聞記事の中で朝日新聞が圧倒的に多いということがよりどころらしく、購読勧誘にもこのことを大いに利用しています。
そのため、入試をするほうに顔が向いていて、入試を受けるほうはどうでもいいのかもしれません。

入試制度や学校のあり方について子どもが意見を言うようになると、パンドラの箱を開けたみたいになることをおとなたちは恐れているのでしょう。

しかし、当事者の切実な声というのは世の中を動かす力があるものです。
たとえば、幼児虐待で死亡した子どもがノートに「おねがいゆるして」などと書き残していたという事実が報道されると、世論は大きく動きました。
入試制度問題をいちばん真剣に考えている受験生の声がどんどん報道されるようになれば、世論も動いて、前文科相のように「サイレントマジョリティは賛成」などと言っていられなくなるはずです。

文科省もマスコミも子どもの権利条約に従って、子どもの意見を尊重するという当たり前のことをしなければなりません。
それによってパンドラの箱が開いたら、おおいにけっこうなことです。「希望」も飛び出てくるからです。

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