ピンクシャツデー


2月26日はピンクシャツデーです。

ピンクシャツデーというのは、ピンクのシャツやピンク色のものを身につけることで「いじめ反対」の意思表示をする日で、毎年2月の最終水曜日に行われます。
カナダから始まり、今は世界数十か国に広がっているそうです。

ある実際の出来事がきっかけとなってこの運動は始まりました。どんな出来事だったのか、「日本ピンクシャツデー公式サイト」から引用します。


舞台は2007年、カナダ・ノバスコシア州のハイスクールです。9年生(中学3年生)の男子生徒がピンク色のポロシャツを着て登校したことをきっかけに、ホモセクシャルだとからかわれ暴行を受け、たえきれずに帰宅してしまいました。その出来事を聞いた上級生のデイヴィッド氏とトラヴィス氏。12年生(高校3年生)の彼らにとっては、その学校で過ごす最後の年でした。

「いじめなんて、もう、うんざりだ!」「アクションを起こそう!」

そう思ったふたりは、その日の放課後、ディスカウントストアへ行き75枚(∗)のピンク色のシャツやタンクトップを買いこみました。そしてその夜、学校のBBS掲示板やメール等を通じてクラスメートたちに呼びかけました。

「明日、一緒に学校でピンクシャツを着よう」と。

翌朝、ふたりはピンク色のシャツやタンクトップを入れたビニール袋を手に登校しました。学校について校門で配りはじめようとしたふたりの目に映った光景・・・

それはピンクシャツを着た生徒たちが次々と登校してくる姿でした。ピンクシャツが用意できなかった生徒たちは、リストバンドやリボンなど、ピンク色の小物を身につけて登校してきました。頭から爪先まで、全身にピンク色をまとった生徒もいました。

ふたりの意思は一夜のうちに広まっていたのです。

ふたりが呼びかけた人数より遥か多く、数百人もの生徒たちがピンクシャツやピンク色のものを身につけ登校してきたことで、その日、学校中がピンク色に染まりました。いじめられた生徒は、ピンク色を身につけた生徒たちであふれる学校の様子を見て、肩の荷がおりたような安堵の表情を浮かべていたそうです。以来、その学校でいじめを聞くことはなくなりました。

このことが地元メディアで取り上げられると、またたくまにカナダ全土に広がり、さらに世界に広がったというわけです。

いい話です。ちょっと感動的です。

しかし、疑問も感じます。
ピンク色のポロシャツを着た男子生徒をいじめた生徒たちはどうなったのでしょうか。なにも書いてありません。
いじめっ子へのケアがなければ、いじめ防止は成功しないのではないかと思います(あるいは罰するとか排除するとかいう考え方もあるでしょう)。

それから思ったのは、学校でのいじめは日本だけでなく世界的な問題なのだなということです。
ということは、教育制度や学校制度と深く結びついているわけです。
ピンクシャツデーのようなことで防止できるとは思えません。


日本で学校のいじめが問題になるとよく「いじめは社会のどこにでもある」という声が出ます。
確かにいじめは社会のどこにでもあるでしょうが、学校のいじめと社会のいじめでは件数や深刻さがまったく違います。

学校でのいじめ件数は調査されてわかりますが(2018年度の小中高のいじめ件数は約54万件)、社会でのいじめ件数は調査しようがないので、比較はできません。
しかし、学校を卒業して何年もたっているのにいまだにいじめられたことがトラウマになっているとか、同窓会に行くと昔のいじめっ子と会うので行きたくないとかいう人がよくいます。こういう人は、社会ではいじめにあっていないでしょう。
テレビで若いタレントが自分のことを語るとき、学校でいじめにあっていたと語る人もひじょうに多いです。芸能人になるぐらいだから個性的な人が多いということを割り引いても、今の学校にいかにいじめが蔓延しているかがわかります。
つまり学校といじめは切っても切り離せないのです。

これはもう、学校の構造的な問題と見るしかありません。
日本では6歳の子と7歳の子を同じ教室に入れて教えますが、この年での1年の違いは大きく、ここからすでにむりがあります。
また、椅子にじっと座って先生の話を聞くというのも、小さい子どもにとっては拷問みたいなものです。
子どもには好奇心があり、学びたい意欲がありますが、学校はおとなの都合で教えるので、お腹の空いていない子どもにむりやり食べさせるような教え方をしています。
学ぶというのは本来楽しいことですが、学校での勉強は苦行です。

学校教育が子どもにとってはいじめみたいなものなので、子ども同士がいじめをするのは当然です。
学校制度はどの国も同じようなものなので、世界中の学校でいじめが発生することになります。

いじめは子どもの問題ではなく学校の問題ととらえなければなりません。
いじめ防止をしたいなら、「子どもが楽しく通える学校」をつくるしかありません。
それ以外のやり方はすべて対症療法です。

ピンクシャツデーは、対症療法の効果すらなさそうです。
ピンクシャツデーに参加する人は善意からでしょうが、自己満足と言われてもしかたありません。
ピンクシャツデーをするなら、単なるデモンストレーションに終わらせるのではなく、いじめの根本原因を考える日にするべきです。