村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会公式サイトより

東京オリンピックが終わりました。

閉会式は開会式以上にひどいものでした。
開会式にはドローンの編隊飛行とかピクトグラムのパントマイムとか、少しは見どころがありましたが、閉会式にはなにもありません。
光の細かい粒が川のように流れて五輪マークをつくる場面があって、これはいったいどういう仕掛けだろうかと思ったら、ただのCGによる映像で、会場の人にはなにも見えていないのでした。

「ろくな内容がないので音楽の力に頼ろう」という意図からか、音楽が多用されました。
もっとも音楽の間、ダンスやパフォーマンスが繰り広げられるのですが、これが「にぎやかし」としか思えない無意味なものです(「東京の休日の昼下がりの公園」を再現し、東京観光ができなかった海外選手たちに東京体験の場をつくりだそうという意図だったそうです)。

「東京音頭」の盆踊り、アオイヤマダさんの鎮魂のダンス、大竹しのぶさんと子どもたちによる宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」などもあるのですが、全体が無意味で退屈と、酷評の嵐です。


開会式がだめだった理由については、このブログで「東京五輪開会式はなにがだめか」という記事に書きました。
閉会式がだめなのも同じ理由です。安倍晋三前首相や森喜朗前東京五輪組織委会長が「ニッポンすごい」というナショナリズムの枠をはめていたからです。

閉会式でも国旗掲揚と「君が代」がありました。
開会式で国旗掲揚があったので(夜中に国旗掲揚はおかしいと思うのですが)、閉会式ではその国旗を降ろすのかと思ったら、また掲揚です。
大きな日の丸が日本人メダリストなど6人に運ばれて入場し、自衛官にバトンタッチされ、宝塚歌劇団の「君が代」斉唱とともに掲揚されるのですが、この一連の動作に5分間かかっています。
「君が代」斉唱は無意味ではありませんが、日の丸の入場行進は時間のむだで、こんなものを世界の人に見せようとする思想が間違っています。
日本の右翼の自己満足です。

安倍氏や森氏から制作チームに対して「日本の素晴らしさを表現しろ」という指示があったに違いありません。
そのため、各地の民謡の紹介や盆踊りや宮沢賢治の歌が盛り込まれました。
しかし、民謡というのは、日本人にもあまり人気がないからローカルな存在なので、世界の人が素晴らしいと思うわけがありません。
盆踊りは、踊っている人が楽しいので、人に見せるための踊りではありません。
宮沢賢治の詩は素晴らしいといっても日本語です。宮沢賢治の曲だけでは世界の人にはなにも伝わらないでしょう。

なお、宮沢賢治の歌を使ったことについて、開閉会式のエグゼクティブプロデューサーである日置貴之氏は、宮沢賢治が岩手県出身であることから、「東日本大震災からの復興の思いを込めた」と意図を説明しました。
しかし、それは世界の人に理解されませんし、日本人にもまず理解されません。

電通が編成した制作チームは(日置氏は博報堂出身)、日ごろからスポンサーの要望を受け入れることに長けているので、「国旗掲揚をやってくれ」「日本文化を入れてくれ」「復興も入れてくれ」と要望されると、すぐさまそれを実現したのでしょう。
そのため統一性がなく、意味不明になってしまいました。

ちなみに開会式で大工の棟梁のパフォーマンスと木遣り唄があったのは、週刊文春によると、都知事選で火消し団体の支援を受けた小池百合子都知事の強い要望があったからだということですし、聖火ランナーに長嶋茂雄氏と王貞治氏とともに松井秀喜氏が登場したのは、森氏が同郷(石川県)の松井氏を推したからだといわれています。

本来なら政治家など組織のトップは、才能あるクリエーターを選んだら、その人間が自由に仕事ができるようにささえるのが仕事ですが、今の政治家はやたら口を出すようです。
そのためまともなクリエーターは逃げ出して、政治家の口利きを受け入れるクリエーターばかりが残ります。


安倍氏と森氏は、税金を出す立場なのでスポンサーみたいなものです(安倍氏は今も東京五輪組織委の名誉最高顧問ですし、森氏を名誉最高顧問に復帰させる案があるとの報道が先月ありました)。
開閉会式は、基本的に安倍氏と森氏の望んだものになったはずです。
彼らは「大きな日の丸が会場に掲揚されるのを見て感激した」とか「日本文化を世界に発信できて誇らしかった」という反応を期待したのでしょう。
しかし、私はその手の反応をひとつも目にしませんでした。

これは考えてみれば当然のことで、開閉会式は世界の人が見るので、日本人も世界の人の視点で見たからです。
そうすると、国旗掲揚はただの時間のむだと思えますし、宮沢賢治の歌ではなにも伝わらないこともわかります。
安倍氏と森氏らの偏狭なナショナリズムは国際的イベントと相容れません。


多額の税金をつぎ込んだ開閉会式で、日本は世界に恥をさらしました。
そのために日置氏らの制作チームが批判されています。
確かに日置氏らにも責任はありますが、やはりいちばん責めを負うべきは安倍氏と森氏です。

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東京五輪開閉会式の演出の責任者であるCMクリエーターの佐々木宏氏が、タレントの渡辺直美さんにブタを演じさせるプランをスタッフにLINEで提示し、スタッフの反対にあって撤回していたと週刊文春が報じました。
渡辺直美さんは宇宙人家族に飼われているブタという設定で、その名も“オリンピッグ”というのだそうです。
女性をブタにたとえる侮辱とダジャレのくだらなさなどもあって非難が集中し、佐々木氏は開閉会式演出の「総合統括」を辞任しました。
開会式まであと4か月というときに演出の中心人物が辞めてしまったわけです。

ただ、このプランが提示されたのは昨年3月のことで、アイデアの原型みたいなものを仲間内に提示しただけで、すぐに撤回しています。辞任するほどのことかという声もあります。
しかし、文春の記事を読むと、「渡辺直美ブタ演出」は記事の“つかみ”の部分です。記事の中心は開閉会式演出チームの主導権争いという構造的な問題を扱っています。
文春の記事から主導権争いの部分を簡単に紹介します。


五輪開閉会式演出チームは最初8人でした。
肩書を書くのが面倒なので、ある記事から引用します。
2018年に発表した演出企画チームは、チーフエグゼクティブクリエイティブディレクターを狂言師の野村萬斎が担当。歌手の椎名林檎や振付師のMIKIKO、映画プロデューサーで小説家の川村元気、クリエイティブプロデューサーの栗栖良依、クリエイティブディレクターの佐々木宏と菅野薫、映画監督の山崎貴ら計8人のメンバーで構成される。
https://www.fashionsnap.com/article/2020-12-23/tokyo2020-hiroshisasaki/

最初は映画監督の山崎貴氏が中心となって企画を考えたもののうまくいかず、次に野村萬斎氏が責任者に選ばれたもののこれもうまくいかなかったということです。
文春の記事にはこう書かれています。

「野村氏は伝統芸能の人だからか、提案も観念的。森氏もプレゼンのたびに、野村氏に『意味が分からん』『具現化しろ』と批判し続けていた。最後は森氏主導で、野村氏は責任者を降ろされます」(同前)

 開幕まで残り1年に迫った段階で、企画案は白紙状態。組織委は19年6月3日、野村氏を肩書きはそのままに、管理側に“棚上げ”に踏み切る。〈演出チーム〉の一員だったMIKIKO氏(43)を“3人目の責任者”として、五輪開閉会式演出の「執行責任者」に起用するのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7199b3bd0d68c0253397dc43ac4aa4534ef4e4bd

MIKIKO氏はPerfumeや「恋ダンス」を手掛けてきた振付師で、MIKIKO氏のまとめ上げた企画案はIOCからも絶賛されたということで、方針が固まったかに見えました。
しかし、そこに森喜朗前会長の後ろ盾のある佐々木宏氏が加わります。
佐々木氏は電通の出身で、電通代表取締役社長補佐・髙田佳夫氏の後ろ盾もあります。
佐々木氏は五輪が1年延期になったことをきっかけに“クーデター”を起こして主導権を奪い、栗栖良依氏、椎名林檎氏ら女性スタッフを排除し、最終的にMIKIKO氏も辞任に追い込みます。
そして、佐々木氏は「一人で式典をイチから決めたい」と言って、MIKIKO氏の案を反故にして自分の案を出しますが、佐々木氏の企画はIOCに不評で、結局MIKIKO氏の企画を切り貼りしたものを使うことになったそうです。

 MIKIKO氏、栗栖氏、椎名氏。自らの考えを主張する女性たちを“排除”し、森氏や髙田氏を味方に五輪開会式の“乗っ取り”に成功した佐々木氏。彼は今、どんな式典を思い描いているのか。今年2月時点の案を見たスタッフが明かす。

「問題なのは、顔写真入りで紹介されている主要スタッフの殆どが男性ということ。ヘアメイクや衣装も軒並み男性。キャストもブッキング済みなのは主に男性で、申し訳程度に『アクトレス』の枠が設けられ、配役は未定。こうしたバランスが世界にどう映るか。不安を覚える人は少なくない。ただ、佐々木氏の後ろ盾である森氏や髙田氏らの意向に、誰も逆らえなかったのが現実です」
森氏・佐々木氏・高田氏(電通)という女性差別勢力が開会式の企画を乗っ取り、その中から出てきたのが「ブタ演出」だというわけです。

しかし、マスコミは「ブタ演出」のところにだけ食いついて、その背後にある問題にはほとんど触れません。
これは“電通タブー”のせいであるようです(森氏のことも批判しにくいのかもしれません)。



ただ、問題は開会式がよいものになるかどうかです。佐々木氏がよい企画を出しているのであれば、たかが「ブタ演出」のために辞任に追いやったのは間違いということになります。
ただ、これについては渡辺直美さん自身が企画の評価を語っています。

「採用されてたら断る」 渡辺直美さん、演出問題語る
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括していた佐々木宏氏が、お笑い芸人の渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージを演出チーム内に送っていた問題について、渡辺さんは19日夜に行ったYouTubeのライブ配信で言及した。
 開会式への出演依頼を受け、振付師・演出家のMIKIKO氏らが手がける開会式の演出案を聞いたときは「最高の演出だった。それに参加できるのはうれしかった」と振り返り、「(周囲からの助言で佐々木氏の案が却下されたのは)一つの救い」「もしもその演出プランが採用されて私の所に来た場合は、私は絶対断ってますし、その演出を批判すると思う。芸人だったらやるか、って言ったら違う」「これが日本の全てと思われたくない。(元々の演出案を)皆に見てもらいたかったし、私も頑張ってやりたかった。その悔しさが大きい」などと語った。

 また他人の容姿を揶揄(やゆ)する言動について「自分の髪色、着たい服、体のことは自分で決めたい。決めるのは自分自身」などと呼びかけ、「これ以上これが報道されないことを祈る。これを見て傷つく人がいるから」と語った。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14839674.html?_requesturl=articles%2FDA3S14839674.html&pn=2

渡辺直美さんはMIKIKO氏の案を高く評価して、佐々木氏の案はそうでもありません。
おそらく渡辺さんだけではなく、多くの人がそう思っていて、だからLINEの流出も起きて、佐々木氏は辞任に追い込まれたのでしょう。
つまり最大の問題は、「ブタ演出」問題ではなくて、よい案が採用されず、悪い案が採用されたことです。
「ブタ演出」を前面に押し立てて佐々木氏を辞任に追い込んだのはうまいやり方だったかもしれません。



ここまでは文春の記事に乗っかっただけなので、私の考えもつけ加えておきます。

文春は、森氏の女性差別がすべての元凶であるかのような書き方をしていますが、私はそこは違うのではないかと思います。
安倍前首相の名前は文春の記事に一か所しか出てきませんが、安倍前首相こそが黒幕です。

最初に責任者になった映画監督の山崎貴氏は、「永遠の0」と「海賊とよばれた男」を撮っていますが、どちらの原作も百田尚樹氏です。百田氏は安倍前首相のお友だちで、「日本国紀」という「日本すごい」本を書いています。
安倍前首相は「美しい国」や「新しい国」と称して「日本すごい」を主張しています(森氏も「神の国」発言をしています)。
つまり安倍前首相と森氏は「日本すごい」という開会式の演出を望んでいて、それで山崎監督に託したものと思われます。

実はこれが間違いです。
自国優越思想を打ち出したのでは感動的にはなりませんし、そもそも日本はそれほどすごい国ではありません。

具体的には1998年の長野冬季五輪の開会式の演出で「日本すごい」を打ち出したものの、大失敗しました。
開会式の総合演出を担当した劇団四季の浅利慶太氏は、日本文化のすばらしさをアピールしようとして、大相撲の土俵入りと長野県諏訪地方で行われる御柱祭を会場内で実演させました。
大相撲は世界にアピールできるコンテンツだと思いますが、土俵入り自体は見ていておもしろいものではありません。
御柱祭は宗教的行事としての意味がありますが、世界の観客にはなにもわかりません。
結局、世界の観客はわけのわからない退屈なものを延々と見せつけられたのです。

「日本すごい」と思っているのは日本人だけです。「日本国紀」も読まれるのは日本だけで、海外には翻訳されません。

もっとも、北京五輪の開会式では「中国すごい」を打ち出して大成功し、ロンドン五輪の開会式では「イギリスすごい」を打ち出して大成功しました。これは実際に中国とイギリスの歴史が人類史に大きな貢献をしていて、それをビジュアルで表現する演出がみごとだったからです。
北京とロンドンがあまりにもすばらしかったので、そのあとはなにをやっても見劣りしてしまいます。

ところが、安倍前首相と森前会長は、そのむりなことをやろうとしたのです。
山崎監督は期待に応えることができず、野村萬斎氏は伝統芸能の立場から「日本すごい」を打ち出せると期待されたのでしょうが、やはり期待に応えることができませんでした。
3人目のMIKIKO氏は、女性だということもあって「日本すごい」にこだわらない案を出して、IOCから高く評価されました。
案の内容は公表されませんが、佐々木氏のLINEからその一端がうかがえます。

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文春オンラインの記事より

どうやらMIKIKO氏の案は「オリンピックすごい」ないし「スポーツすごい」という内容のようです。
オリンピックが苦難の道を歩みながら発展してきて、多くの人がスポーツを楽しむ世の中を実現するのに貢献してきたという歴史は感動的なものになりえます。

世界の人を感動させるには、「日本すごい」ではなく、なんらかの普遍的な価値観が必要です。
リオデジャネイロ大会は、ブラジルの歴史を描く中でアマゾンの森林資源と地球環境の問題を打ち出して、成功していました。
長野冬季五輪では、パラリンピックの開会式は作曲家の久石譲氏が総合演出をし、自然と文明の共生というテーマがあったようですが、愛と勇気の物語になっていて、すばらしく感動的でした。

しかし、安倍前首相と森氏の頭には「日本すごい」しかなく、それが混乱を招いた元凶でしょう。


佐々木氏が辞任して、そもそも東京五輪が行われるかどうかもわかりませんし、開会式がどんな規模になるかもわかりませんが、もし行われるなら、世界の人を感動させる開会式になってほしいものです。

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9月16日、菅新内閣が発足しました。
安倍首相が辞任表明をしたのは8月28日です。その時点で、菅義偉氏が首相になると予想していた人がどれだけいたでしょうか。

自民党総裁選が菅候補の圧勝だったのは、派閥力学だけでは説明できません。地方票もかなり菅候補に流れました。
国民の人気も、それまでは石破茂候補がトップでしたが、あっという間に菅候補が上回りました。
共同通信社が8、9両日に実施した世論調査では、次期首相に「誰がふさわしいか」と尋ねたところ、菅義偉官房長官が50・2%でトップ。石破茂元幹事長が30・9%、岸田文雄政調会長が8・0%となりました。

これはやはり安倍首相が菅氏を後継指名したからでしょう。
安倍人気が菅人気にシフトしたのです。

今、私は「安倍首相が後継指名した」と書きましたが、安倍首相は公では後継指名はしていません。
そのためマスコミも「安倍首相が後継指名した」とは書きません。
代わりに「二階幹事長の手腕で菅支持の流れをつくった」とか「五派閥の結束で菅氏が当選した」などと書いています。
しかし、二階幹事長が手腕を発揮したのも、五派閥が結束したのも、すべて安倍首相の意向を受けたものに決まっています。


これまで安倍首相と菅官房長官は一心同体で政権運営に当たってきました。
今回、裏の顔だった菅官房長官が表の顔になり、安倍首相は裏に回りました。
菅政権はいわば二人羽織りで、菅氏が顔で、安倍首相が裏から手を動かすという分担です。

国民もそのことをわかっています。菅氏個人を支持する国民がそんなにいるとは思えません。裏に安倍首相がいるから菅氏を支持しているのです。


8年間という史上最長の政権は、国民の意識を大きく変えたようです。
国民は安倍首相を“個人崇拝”するようになったのです。

個人崇拝においては、政策はどうでもいいことです。
安倍応援団はみな反中国ですが、安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めても安倍支持に変化はありませんでした。

石破氏は正統な保守で、安倍首相以上のタカ派です。しかし、安倍応援団は石破氏が反安倍の態度をとってきたというだけで、「後ろから鉄砲を撃った」と言って石破氏を非難しました。
そして、国民もけっこうそれに同調して、石破氏の人気は低下しました。


国家指導者の個人崇拝は今や世界的傾向です。
どこの国と言うまでもなく、世界の主要国のほとんどがそうです。

昔は、国家指導者のあり方というのは、新聞記事を通してしか知ることができませんでした。
それが今やテレビとインターネットを通して、国民は指導者を身近に感じることができます。
そうすると、国民は指導者に対して家族のような親しみを感じます。
国家指導者個人と国民一人一人が対峙すると、圧倒的な力の差があります。
人間がこのような力の差を体験するのは、子どもが親に対峙したときだけです。
ですから、国民は指導者を身近に感じると、自分の親(とくに父親)を想起し、イメージを重ね合わせます。

親子関係が社会関係に反映されることはパターナリズムと呼ばれます。
ウィキペディアにはこう説明されています。
パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。

日本語では家族主義、温情主義、父権主義、家父長制、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。同じ語源をもつ英語の「ペイトロナイズ(patronize )」では「子供扱いをする・子供だまし(転じて「見下す・馬鹿にする」とも)」という意味になる。

温情主義と父権主義ではずいぶん意味が違いますが、それは実際の父親がさまざまだからです。強権的な父親もいましすし、温情のある父親もいます。

パターナリズムは上から見た言葉ですが、国民一人一人の心理に注目すると、社会の権力関係に親子関係が投影されることになります。
早い話が、テレビで安倍首相の顔をいつも見ていると、無意識のうちに自分の父親の顔が重なってきて、父親に対する愛憎が安倍首相に向けられるというようなことです。
愛憎といっても、愛が向けられるか、憎しみが向けられるかでぜんぜん違ってきます。
そういうことから安倍応援団と反安倍派に分かれるということも言えます。

少しでも心理学をかじったことのある人なら、親に対する感情が他人や社会にも向けられるということは理解できるでしょう。
こういうことは政治心理学としてもっと研究されていいはずです。


この心理をもっとも巧みに利用したのがヒトラーです。
ヒトラーは激しい調子の演説で父親のような強さを示し、一方で、笑顔で子どもの頭をなでたり赤ん坊を抱き上げたりするパフォーマンスでやさしい父親を演じました。

レーガン大統領は包容力のある父親像を演じて人気になりました。
トランプ大統領は、暴力と暴言の父親像を演じています。
アメリカの家庭にDVが蔓延している反映でしょうか。

安倍首相は野党を攻撃したり、スキャンダルを強引に封印したりすることで強い父親像を演じたのかなと思います。


国民が国家指導者を父親のように見なすと、指導者は超法規的存在になります。
誰も自分の家族が犯罪をしても警察に売ろうとしないのと同じことです。

トランプ大統領は山ほど嘘をつき、公私混同をし、疑惑の行為も山ほどしていますが、支持者はまったく気にしません。
安倍首相も、モリカケ問題、桜を見る会問題などで追及され、公文書改ざん、記録廃棄などが明白になっても、支持者は気にしません。

知識人はこういう事態を理解できていないようです。
知識人は「法の支配」を適用すべきだと思っているのですが、支持者は家族関係に「法の支配」を持ち込むべきでないと思っているのです。

今後は国民のこうした「政治心理」に光を当てていく必要があります。



ところで、菅首相の就任記者会見を見ました。


言葉に力がなく、権力者らしいところがまったくありません。
むしろ弱々しく見えて、心配になるほどです。
もっとも、これまで裏では権力をふるってきたわけです。

裏の顔が表の顔になって、今後どうなるのか、見ていきたいと思います。

菅長官
首相官邸HPより

菅義偉官房長官が総裁選出馬表明をしたのは、自民党内の派閥のほとんどが菅長官支持で固まったあとでした。
すべてが水面下で決まる、いかにも自民党らしい展開です。

菅長官は出馬表明の記者会見で「安倍路線の継承」を言明しました。
ということは、首相の顔が変わるだけで、なにも変わらないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。この8年間で「安倍路線」そのものが変化しているからです。


安倍路線を簡単にまとめると、経済はアベノミクス、外交は対米従属、内政は保守イデオロギーです。
この中でいちばん大きく変化したのは内政の保守イデオロギーの部分です。

安倍首相は表向き憲法改正を最大の目標にしていましたが、ついに果たせませんでした。長期安定政権においてもできなかったのですから、改憲は不可能という決論が出たと見ていいでしょう。

靖国参拝も重要な目標で、安倍首相は第一次安倍政権のときに靖国参拝ができなかったことを「痛恨の極み」として、第二次政権では靖国参拝を公約として掲げていました。そして、2013年12月26日に電撃的に参拝しましたが、内外から大きな反発が起きて、それ以降は一度も参拝していません。

慰安婦問題についても、安倍首相は「強制連行はなかった」と主張して韓国への謝罪を拒否していましたが、2015年の日韓合意で「おわびと反省の気持ち」を表明しました。

安倍首相が肩入れした森友学園は、子どもが教育勅語を暗唱し、軍服のような制服を着て整列行進するという軍国時代のような小学校をつくるはずでしたが、スキャンダルとともに幼稚園での軍国的教育が明るみに出て、国民の反発を買い、軍国教育の復活もとうてい不可能になりました。

つまり日本会議に代表される保守派が目標としてきたことは、ことごとく失敗に終わったのです。
もちろん国民の支持がないからでもあります。
安倍政権を評価する国民も、もっぱらアベノミクスと対米従属の部分を評価しています。

つまり保守イデオロギーは「安倍とともに去りぬ」です。


ですから、菅政権が受け継ぐのは、アベノミクスと対米従属だけということになります。
菅氏自身も、ウィキペディアを見ると日本会議国会議員懇談会や神道政治連盟国会議員懇談会などに参加していますが、保守イデオロギーを表に出すような発言は聞いたことがありません(韓国に対してはやたらきびしいことを言いますが)。

出馬表明の記者会見でも、菅氏がとくに強調したのは、洪水対策のためのダムの水量調節のことと、携帯料金の値下げのことでした。
自分の過去の業績として挙げたのも、ふるさと納税の成立、外国人観光客の誘致、農産品の輸出促進です(本人は言いませんでしたが「Go Toトラベル」前倒しもあります)。
つまり菅氏に関心があるのは内政であり、とくに地方のことです。
安倍首相の「美しい国」や「新しい国」のような国家ビジョンはありません。

劣化コピーという言葉がありますが、菅政権は安倍政権から保守イデオロギー色を抜いた“脱色コピー”です。


そうすると、これは国民の望む政権のようですが、そうはなりません。
安倍政権の大罪に「権力の私物化」がありますが、菅官房長官はその部分を中心になって担ってきたからです。
たとえば安倍首相は自分の保守イデオロギーから森友学園に不正に肩入れし、不正が明るみに出ると主に菅長官が隠ぺい工作をするという役割分担になっていました。
菅長官はまた、テレビ局に圧力をかけるのも平気ですし、記者会見のときに気に入らない記者を選別したりもします。

権力は、暴走しないように法令に従って行使するものと定められていますが、菅氏は法令の枠いっぱいに使ったり、恣意的に解釈したりして、権力を乱用したり私物化したりします。
このように超法規的にふるまう権力者は、いかにも権力者らしい権力者としてかえって国民の人気を博します。
世界の権力者の大勢はそうなっています。トランプ大統領、プーチン大統領、習近平主席、イギリスのジョンソン首相、ブラジルのボルソナロ大統領などがそうです。

安倍首相もその一人といえます。政策が評価されたというより、国会でヤジを飛ばすようなわがままなふるまいが支持されたのでしょう。

日本維新の会の松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事、橋下徹氏らを見ていると、なにか思想や目標があるわけではなく、権力者としてふるまうことが最大の目的であるように思えますし、そうした姿勢をけっこう支持する人たちがいます。


超法規的なふるまいをする権力者、わがままな権力者が国民に支持されるという現実を、今の知識人は受け止められないでしょう。

DV男が妻や子どもを支配している家庭で育った人間は、わがままにふるまう権力者を見ると父親のような親しみを感じます。
少し前までアンケート調査で体罰に反対より賛成のほうが多かったことを見てもわかるように、日本でもたいていの家庭で暴力はありますし、暴力とまではいかなくても、親は子どもに対してわがままにふるまっているので、権力者がわがままにふるまうことへの支持は広く存在します。
トランプ大統領は典型的なDV男のイメージなので、熱狂的に支持する人が多くいます。


左右対立というイデオロギーは無意味になって、今では権力への態度で政治的立場が分かれます。
DV男や強権的な権力者に依存するか、対等で民主的な関係を求めるかという違いが政治的対立の主軸になるのです。


今後、菅政権が発足すると、菅首相の強権的なふるまいゆえに支持する国民が出てくるでしょう。
政権批判と同時に、そういう国民も批判しなければいけません。

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山本太郎代表率いる「れいわ新選組」がネットで人気です。
政見放送の再生回数が自民党や立憲民主党よりも圧倒的に多いというので、どんな政見放送か見てみました。



主張が単純明快で、説得力があります。

政策を一言でいえば、「消費税を廃止して累進課税を強化せよ」ということです。“日本のバニー・サンダース”というところです。

昔の日本は累進課税の率がすごく高くて、松下幸之助などは9割以上を税金に取られて、「私は国に税金を納めた手数料をもらっている」と言っていました。本田宗一郎もソニーの井深や盛田も、「税金が高いからやる気がしない」などと言ったことはありません。累進課税の率を低くして、ストックオプションなどで経営者が大金を手にするようになってから、日本の経営者は劣化しました。
この政策では金持ちが海外に逃げていくのではないかという疑問はありますが、今の日本にこういう主張が出てきて、貧困層の支持を得るのは理解できます。

政策については人によって賛否があるでしょうが、山本代表の訴える力の強さは誰もが認めるでしょう。

たとえば、れいわ新選組は比例区に9人の候補を立てていますが、山本代表は重度障碍者の舩後靖彦候補と木村英子候補の2人と自分の名前を挙げただけです。ほかに拉致被害者家族会関係者で安倍首相批判をしている蓮池透候補とか、女装家で東大教授の安冨歩候補といった話題性のある人もいます。こういう人は、山本代表が説得して候補になってもらったはずです。そういう人を全部無視して、「重度障碍者を国会に送り込む」という一点に絞ったのはたいしたものです。

それは演説のテクニックかもしれませんが、それだけではなく、思想も徹底しています。

「重度障碍者が国会で仕事ができるのか」という疑問に対して、山本代表は、障碍者運動の有名なスローガンの「私たち抜きで私たちのことを決めないで」という言葉を挙げます。
これは本質をついた言葉で、すべてのことに応用できます。

たとえば、ハイヒールやパンプスの強制に反対する「 KuToo」運動が話題ですが、これも要するに男性が女性のことを決めているからだめなのです。
ブラック校則も、教師が生徒のことを決めているので、むちゃくちゃな校則をつくってしまいます。
今の学校は、生徒は学校のことについてなんの決定権もありません。教育改革もすべておとなが決めます。これではいじめや不登校はなくなりません。

それから、「生きているだけであなたには価値がある。そう感じられる社会をつくりたい」と語ります。これが山本代表の根本思想のようです。
新自由主義的価値観の逆をこう表現しているわけで、いい表現だと思います。

「れいわ新選組」というネーミングも、思想的に意味があります。
「日本維新の会」というのがあり、それに対抗するなら「新選組」になるのは当然です。
自民党も明治維新以降の日本にだけ価値を見ている政党です。
「れいわ」も、私などは令和には安倍色がついているような気がして好感が持てませんが、若い人は「れいわ」に新しさを感じるでしょう。


山本代表には戦う姿勢が感じられます。
これはたいせつなことです。
古い考え方だと、政治は政策本位で争うもので、理性的に政策を判断することがたいせつだとされました。
しかし、進化倫理学では、人間は基本的に互いに生存闘争をしていると見なすので、政治の世界も闘争の場ということになります。
ですから、どんな立派な政策があっても、強くなければ話になりません。
トランプ大統領は、政策はむちゃくちゃですが、強さがあるので実行力があり、国民の支持もある程度あります。

れいわ新選組は弱小政党ですが(現時点では政党要件も満たしていません)、山本代表の闘志や迫力に可能性が感じられます。


野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表の政見放送はどうでしょうか。



枝野代表は政治家として優秀な人だと思いますが、山本代表の政見放送と比べると、いかにも普通の政治家のしゃべり方に見えてしまいます。はっきり言って、聞いているのが退屈ないし苦痛です。

枝野代表は外交安保について、「私たちはまず日米同盟を堅持します」と言ったあと、辺野古移設について「アメリカと再度交渉します」と言いますが、これでは民主党政権の失敗に対する反省が見えません。
民主党政権のときは、アメリカさらには日本の外務省と防衛省に力負けして、辺野古見直しができなかったわけで、そのときとどう違うかを語らないといけません。

「れいわ」の山本代表は、政見放送では外交についてなにも語りませんでしたが、日本の対米従属外交には明確な批判をしています。
2015年8月の参院特別委で山本太郎議員は、安倍政権の政策はアーミテージ・ナイレポートそのままではないかと追及しました。


この質疑応答は、新聞テレビにはほとんど取り上げられませんでした。「属国タブー」の深刻さがわかります。
ともかく、山本代表は対米従属の問題をとらえているのに対し、枝野代表はまったく認識していないようです。
立憲民主党の人気がイマイチなのは、このへんに原因があるのではないでしょうか。


自民党の安倍晋三総裁は、属国のほうに振り切っています。
政見放送では、トランプ大統領と「深い関係にあるからこそ、率直になんでも言い合える仲なんです」とアピール。アメリカファーストのトランプ大統領と仲良くなるとは、売国をアピールしているのと同じです。
アメリカに従属していると独自の外交はできません。安倍首相が強く出られる外国は韓国だけになりました。

三原じゅん子議員のヨイショぶりが北朝鮮みたいで気持ち悪いと評判になった安倍総裁の政見放送も張っておきます。





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