村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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今年のノーベル平和賞がパキスタンのマララ・ユスフザイさんとインドのカイラシュ・サティヤルティさんに授与されました。マララさんは17歳という若さなのでとくに話題になっています。
受賞発表の記者会見では、若さについてかなりきびしい声が出たようです。
 
ノーベル平和賞、最年少受賞に驚き 「若すぎる」と質問も
 
しかし、「ノーベル賞に値する実績がない」といって反対するならわかりますが、「ノーベル賞には若すぎる」といって反対するのは理由になりません。もともと年齢制限などないからです。
若くして大きな賞を受賞すると舞い上がって天狗になるという懸念はありますが、舞い上がったり落ち込んだりという経験を積むことでさらに大きな人間になるという可能性もあります。
 
それにしても、この若さで世界的に注目される存在になるというのはたいしたものです。私は昨年7月にマララさんが国連総会で演説したときに驚いて、どうしてこの若さでこんな大きなことができるようになったのかについてブログの記事を書いたことがあります。
 
マララさん演説と“国際人”教育
 
「ローマは1日にして成らず」というように、マララさんは私立学校を経営する父親の影響を受け、11歳のときにすでにメディアに登場して、世界に自分の意見を発信するということをしていました。もちろん生まれつきの能力はあったにしても、それなりの経験をひとつひとつ積んで成長してきたのです。今回のノーベル平和賞受賞もひとつのステップになることでしょう。
 
ただ、タリバンはあくまでマララさんを敵視しています。
 
マララさん、今後も襲撃対象…タリバンが声明
 【イスラマバード=丸山修】パキスタンの武装勢力「パキスタン・タリバン運動」(TTP)の分派組織は10日、ツイッターで声明を出し、ノーベル平和賞受賞が決まったマララ・ユスフザイさん(17)を「イスラムの敵」と批判し、今後も襲撃の対象とする考えを示した。
  
 TTPは、マララさんを敵視し、2012年10月に襲撃した。声明では「異教徒から与えられた賞を誇ることに価値はない。マララは、我々が異教徒のプロパガンダに屈しないことを知るべきだ」と警告した。
 
私はこのニュースを読んだとき、もしかしてマララさんはキリスト教徒なのだろうかと思いました。
この疑問は前のブログ記事を書いたときにもちょっと感じていたことです。
 
そこでマララさんのノーベル平和賞受賞を伝える記事を検索していくつも読んでみましたが、マララさんはキリスト教徒だともイスラム教徒だとも書いてありません。
ノーベル賞を授与する側の人たちは明らかにキリスト教徒かキリスト教文化に染まった人たちです。もしマララさんもキリスト教徒だとしたら、イスラム教徒が不快に思うのもある程度理解できます。
 
しかし、この疑問はマララさんの受賞スピーチを読むと氷解しました。本人がちゃんと「イスラム教をあつく信仰しています」と語っています。
考えてみれば、マララさんはいつもスカーフを巻いていますから、当然のことでした。
 
マララさんは教育を受ける権利のたいせつさを訴えていますが、同時に宗教についても多くのことを訴えています。
昨年7月の国連総会のスピーチから2カ所を引用します。
 
 
私は、自分を撃ったタリバン兵士さえも憎んではいません。私が銃を手にして、彼が私の前に立っていたとしても、私は彼を撃たないでしょう。
これは、私が預言者モハメッド、キリスト、ブッダから学んだ慈悲の心です。
これは、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、そしてムハンマド・アリー・ジンナーから受け継がれた変革という財産なのです。
これは、私がガンディー、バシャ・カーン、そしてマザー・テレサから学んだ非暴力という哲学なのです。
そして、これは私の父と母から学んだ「許しの心」です。
まさに、私の魂が私に訴えてきます。「穏やかでいなさい、すべての人を愛しなさい」と。
 
 
パキスタンは平和を愛する民主的な国です。パシュトゥン人は自分たちの娘や息子に教育を与えたいと思っています。イスラムは平和、慈悲、兄弟愛の宗教です。すべての子どもに教育を与えることは義務であり責任である、と言っています。
 
マララさんの思想は宗教と切っても切り離せません。
この思想はガンジーと似ています。ガンジーはヒンドゥー教徒でしたが、キリスト教や仏教やイスラム教も尊敬して、宗教を信じる者同士は理解し合えると思っていました。
 
マララさんがイスラム教徒であることは、イスラム教のイメージアップにもなるはずです。
しかし、日本のマスコミはそのことにまったくふれません。一方、タリバンや「イスラム国」などの過激な勢力がイスラム教と結びついていることはしっかりと報道します。
これはイスラム教に対する露骨なイメージ操作ではないでしょうか。
 
私のような年代の者は、ノーベル平和賞というとアルベルト・シュバイツァーを真っ先に思い浮かべます。「シュバイツァー伝」は子どもの読む偉人伝の定番でした。シュバイツァーはアフリカでの医療活動に身を捧げた人ですが、その博愛主義がキリスト教精神に基づくものであることは「シュバイツァー伝」にも書かれていますし、常識でもあります。
マララさんだけ宗教にふれられないのはおかしな話です。
 
日本のマスコミは、マララさんがイスラム教徒であることを踏まえてその思想や業績を報道するべきです。

日本におけるキリスト教徒の数はひじょうに少なく、人口の1%を越えることがありません。これを“1%の壁”と言うそうです。世界の主要先進国の中ではもちろん最低です。
アジアにおいても日本のキリスト教徒の少なさは際立っています。韓国ではキリスト教人口が29.2%で最大勢力、仏教は22.8%で2位です。台湾は道教が1位で、キリスト教は2位で4.5%、3位が仏教です。中国のキリスト教人口は把握しにくいのですが、ウィキペディアの「中国のキリスト教」という項によると、人口の10%を越える段階に達しているということです。
 
なぜ日本ではキリスト教人口が極端に少ないのかについてはいろいろな議論があります。たとえば「教えてgoo」の「なぜ日本ではキリスト教の普及率が悪いのか?」という質問に寄せられた答えのいくつかを挙げると、もともと日本人は無宗教に近い、一神教は日本人に合わない、国家神道と衝突した、江戸時代に邪教とされた、植民地化されてキリスト教を強制されたことがないから、といったことがあります。
 
しかし、日本人がもともとキリスト教と合わなかったということはありません。なぜならフランシスコ・ザビエルらが布教した戦国時代、キリスト教は日本で急速に信者をふやしたからです。何人ものキリシタン大名が生まれ、キリスト教信者が仏教徒や神道徒を迫害する事例がふえたために秀吉はバテレン追放令を発するほどでした。江戸幕府ももちろんキリスト教を禁止しましたが、キリスト教徒を中心とした大規模な一揆、島原の乱が起き、また、隠れキリシタンとして信仰を続けた人たちがいたことを見ても、その信仰心が篤かったことがわかります。
戦国時代や江戸時代初期にどれくらいのキリスト教人口があったのかはわかりませんが、少なくとも布教が行われた地域においては“1%の壁”があったなどということはないはずです。
 
明治時代にはキリスト教禁制は解かれましたから、戦国時代のように布教が進んでもよかったはずですが、そうはなりませんでした。これがなぜかということを誰も説明できていないようです。
 
そこで、私の考えですが、私はキリスト教が明治維新と一体となってしまったために、日本人はキリスト教を拒否するようになったのだと考えています。
つまり日本人は明治維新が嫌いで、明治時代が嫌いなのです(これは前回のエントリー「踊らされる橋下氏」でも書きました)。
 
考えてみれば、勤皇の志士たちは「攘夷」をスローガンにしながら、自分たちが政権を取ると開国政策に転じてしまったのですから、庶民にしたらこれほどの裏切りはありません。そして、明治政府の三大改革といわれる新学制、徴兵制、地租改正も庶民にとってはなにもよいことがありませんでした。
もっとも、明治政府としてはこうしたことをしなければ日本が植民地化されてしまいかねなかったので、しかたがなかったのですが、庶民としては納得がいきません。結局、この納得いかない感が現在にいたるまで尾を引いていて、そのため日本人は今も国際社会でどうふるまっていいのかわからないのです。
 
もちろん明治維新による欧化政策によって鉄道や電信ができ、それは便利なものとして受け入れましたが、精神的な面、たとえばキリスト教などは受け入れる気にならないのです。
日本の庶民にとって明治時代とは、伊藤博文や東郷平八郎や夏目漱石のような「ヒゲをはやして不機嫌な顔をした男たち」の時代です。
ところが、日本のエリートである知識人はそのことを認めようとせず、明治時代を持ち上げるので、そのためたとえば日本のキリスト教“1%の壁”も説明することができないというわけです。
 
明治維新の評価をめぐるエリート層と庶民の対立葛藤は、西洋近代文明をどう評価するかという問題であり、さらには文明と自然をどうとらえるかという大きな問題にもつながっていきます。

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