村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:家庭環境

アルバイト店員が悪ふざけ行為の写真をネットにアップして炎上する事件は、さまざまな問題をあぶりだしましたが、そのひとつは、日本人の過剰な潔癖性です。
バイト店員が冷蔵庫に入ったというだけで、その店を閉鎖してしまったところもありました。これはそのチェーン店本部の判断ですが、そう判断させるような世間の反応があったともいえます。つまり、少しでも不潔なイメージのある店には行きたくないという人が多いのでしょう。
 
清潔であることは快適ですし、感染症の予防にもなりますから、人類は文明の進歩とともに清潔さを求めてきたといえるでしょうが、いつの間にか一線を越えて、今では清潔さを求めるためにかえって不幸になっているような気がします。
 
たとえば、「発言小町」に次のような投稿がありました。
 
 
便器の中で換気扇フィルターを洗う彼  おりみなと 2013911 21:18
 
 30代、独身です。
お付き合いしている彼氏がうちに遊びにきた時のことです。
マンションで一人暮らしの私。浴室の換気扇フィルターなんて高くて手が届かないし面倒だしで、掃除したことがなかったのですが、高身長の彼氏が「掃除してあげる」と言い出しました。
「ありがとう!」と大感謝しながらお任せして、私は夕食の準備にとりかかっていると、
 
トイレの方から物音が、、
 
彼、水洗トイレの中で換気扇フィルターを洗っていたのです。
じゃぶじゃぶと、、
 
正気を失う私、
キョトンとする彼。
 
彼曰く、「きちんと掃除してるんだから別に綺麗だ。排水口とかの方がよっぽど不潔」と。
「大腸菌とか嫌じゃん!」と私が主張しても「気にしすぎだ」と言って取り合ってくれませんでした。
 
 
彼は優しくて大好きなのですが、あまりにも違う感覚に、今後同棲や結婚など視野に入れていくことに自信を失っています。
彼は私の方が非常識だと言わんばかりの勢いです。
 
私のほうがずれていますか?
皆さん、どう思われますか??
 
 
水洗トイレの便器で換気扇フィルターを洗うという発想にインパクトがあります。コンビニのアイスクリームの冷凍ケースに入るというのに似ている気がしました。どちらもなかなか思いつきません。
 
便器で換気扇フィルターを洗うというのはなかなかいい方法のように思えましたが、この投稿者は今後つきあっていく気をなくしそうですし、この投稿に対するコメントは、95%ぐらいが「ありえない」というものです。5%ぐらいが「だめなことを論理的に説明できない」とか「豪快だ」ということを書いていますが、それでも結論は「自分にはむり」というものです。
つまり100%近くが否定的なのです。
 
私がこのことで思い出したのは、小学生のころ、「便所の水はきたない」と言われていたことです。
小学生ですから、喉が渇くと、学校や公園のトイレの手洗い場の水道の水を飲む子がよくいました(昔はあまり水飲み場もなかったので)。それに対しておとなは、「便所の水はきたない」と言って、やめさせようとしました。
「便所の水」といっても水道の水です。私は子どもながらに、水飲み場の水も台所の水も便所の水も同じではないかと思いました。父親が理系の人間で理屈っぽかったことの影響もあったかもしれません。
 
厳密に言うと、トイレの空気には大腸菌がトイレの外よりも多く漂っているかもしれませんが、蛇口のすぐ下に口を持ってきて水を飲むのですから、ほとんど関係はないはずです。
 
換気扇フィルターを便器の中で洗うのも似たようなものです。きたない気がするだけです。大腸菌は多少多いかもしれませんが、気になるなら、仕上げに風呂場か台所の水道の水ですすげばいいのです。
 
とはいえ、「便所の水はきたない」という心理は十分に理解できます。他人の排泄物というのはつねに伝染病の可能性があるので、接触したくないというのはおそらく本能的なものです。そこから便所にまつわるものすべてを避けたいという心理が出てくるのでしょう。
 
私も大きくなってからは便所の水を飲んだりはしません(高校の部活で水飲み禁止だったときに隠れて飲んだぐらいです)。上履きと下履きを区別するのと同じような感覚で、飲む水と飲まない水を区別しています。
 
ですから、投稿者が彼氏の換気扇フィルターを便器の中で洗うという行動に引いてしまったのも理解できます。
しかし、彼の行動も理解できます。
汚れた換気扇フィルターを、たとえば風呂場で洗えば、風呂場の床が汚れてしまい、その後始末がたいへんです。便器で洗うというのはうまいやり方です。さっきも言いましたが、気になるなら最後に風呂場か台所ですすげばいいのです。
 
彼は進んで換気扇の掃除をしてくれる人間です。たぶんトイレ掃除もいとわずにしてくれるでしょう。少なくともこの点に関しては、明らかに好ましい人間だと思われます。
 
男女の相性に衛生感覚は大きな要素です。彼が週に1度しか風呂に入らないのでがまんできないというのであれば、別れてもしかたないでしょう。しかし、換気扇フィルターの掃除なんて年に1回か2回でしょうから、そんなことで別れていては、せっかくのいい男を取り逃がしてしまいます。
 
清潔さを求めるのは、感染症を防ぐために進化の過程で形成された本能からきていると思われますが、性行為というのはその本能に反しています。性行為は感染症の危険を伴うからです(それに、性器と尿道はほとんど一体ですし、肛門もすぐ近くだし)。ですから、恋愛感情が生じるとともに、その相手には清潔を求める本能が消滅します。また、赤ん坊に対する母親も清潔を求める本能が消滅します。だからこそ人類は子孫を残すことができてきたのです。
 
ですから、この投稿者も、もう少しつきあって恋愛感情が高まっていれば、彼の同じ行動が「不潔」ではなく「たくましい」とか「かわいい」とかのプラスの評価に変わっていたかもしれません。
今からでも、そのままつきあって愛情が高まれば気にならなくなる可能性があります。少なくとも、彼のたったひとつの行動を理由に別れるのは愚かなことだといえます。
 
ともかく、不潔を気にしていたらセックスもできないし子育てもできません。
ですから、「潔癖と愛情は反比例する」という法則があるといえます。
「愛は不潔を乗り越える」といってもいいでしょう。
 
夫の下着は分けて洗濯機に入れるという妻がいます。夫の下着は箸でつまむという話もあります。これはもちろん夫への愛情のなさを意味しています。夫を愛していればこんなことはありません。
 
愛情がないから潔癖になるということがある一方で、潔癖だから愛情がなくなるということもあるはずです。彼の換気扇フィルターを便器で洗うという行動に愛情が冷めてしまうというのもその一例です。
 
ですから、潔癖な母親というのはあまり子どもを愛していないのではないかということになります。少なくとも、子どもの側はそうとってしまってもおかしくありません。
そうして育てられた子どもは、異性関係に消極的な“草食系”になりがちだと思います。
また、子どものアトピーは、幼児期にあまりにも清潔な環境で育てたために発症するのだという説もあります。
 
あまりにも潔癖な人は、下の世話を伴う老人の介護もできないということになります。
 
ですから、これからは潔癖ではなくむしろ“不潔への耐性”を育んでいく必要があります。
 
“不潔への耐性”がない人は、なにかの災害が起こったときの被災生活でも困ってしまうでしょう。
 
冷蔵庫にバイト店員が入ったというだけで店を閉めてしまうというのは、どう考えても過剰反応です。
これを機会に、潔癖よりも“不潔への耐性”を育てる方向に転換したいものです。 

私が中学生のころ、一歳年上の兄の友人であるN君がよく家に遊びにきました。それも、そのきかたが半端ではありません。週に何日もきて、しばしばご飯も食べていきます。休日などは一日わが家に入り浸っています。私の両親は子どもの友だちがくるのを歓迎するほうでしたから、N君もきやすかったのでしょう。
N君の両親も「息子がご迷惑をおかけしています」ということであいさつにこられましたし、うちの両親と多少の交流がありました。N君の両親は2人とも高校教師です。お母さんはかなりきつい性格で、いつも1人っ子のN君に口うるさく指図したり叱ったりしています。お父さんは物静かな人で、N君には冷淡です。お父さんはある古典芸能の研究家で、著書も何冊かあり、亡くなったときは全国紙に訃報が載りました。
N君は家にいるのがいやで、うちにきていたのでしょう。うちの両親を親代わりに思っていた面もあったようです。N君のお父さんは「母親があまりにも口うるさくて」と、そのへんの事情は感じていたようです。
 
N君は高校に入ってからはほとんど遊びにこなくなりました。そして、あまり学校に行かず、しばしば家出しているという話を聞きました。
さらに何年かすると、まったく家に帰らなくなって、大阪でチンピラみたいになっているという話を聞きました(N君の家も私の家も京都です)
 
その後のことはわかりませんが、家に居場所のなかった人間は社会にもまともな居場所がなく(高校も中退だったかもしれません)、裏社会に落ちていったということのようです。
家出同然なので、たとえばアパートを借りるときの保証人にも不自由するはずですが、裏社会にはそれなりに助けてくれる人もいるのでしょう。
しかし、N君がヤクザになったということはないはずです。N君は色白で、しばしば女の子に間違えられるような子だったからです。
 
N君の家庭は、当然経済的に豊かで、両親とも知的で教育熱心で、外から見ると恵まれた家庭でしょう。しかし、そういう家庭からも裏社会に落ちていく人間がいます。
崩壊家庭の子どもも、社会でまともに生きていくのは困難で、多くは裏社会に落ちていきます。
一見まともな家庭でも、子どもを見捨てる親もいます。
 
こうして裏社会が生まれ、犯罪者や暴力団が生まれます。
こうしたメカニズムがわかれば、今の犯罪対策や暴力団対策が根本的に間違っていることもわかります。原因をそのままにして結果だけなくそうとするようなものだからです。

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