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前橋刑務所(syujiさんによる写真ACからの写真 )

無期懲役の判決を言い渡された被告が法廷で万歳三唱をしたというのは前代未聞でしょう。

昨年6月、小島一朗被告(当時22歳)は新幹線車内で女性2人にナタで切り付けて負傷させ、止めに入った男性会社員をナタとナイフで殺害するという事件を起こし、裁判の中で「無期懲役囚になりたい。3人殺せば死刑になるので、2人までにしておこうと思った」と語りました。
ですから、期待通りの判決を得て万歳三唱をしたというわけです。

最近、「死刑になりたい」という動機で通り魔のような事件を起こす例がよくあります。「死刑になりたい」で検索すると、そういう事件がずらずらと出てきます。
小島被告の場合は、死刑にはなりたくないわけです。「保釈されたらまた人を殺す」とも言っていて、無期懲役でずっと刑務所の中にいるのが望みです。
なぜこんなおかしな考えを持つようになったのでしょうか。


こういう異常な犯罪が起こると、マスコミは“心の闇”という言葉でごまかしてきましたが、最近は異常な犯罪者は異常な家庭環境で育ったということがわかってきて、犯罪者の家庭環境について突っ込んだ報道がされるようになりました。
小島被告についても週刊誌などが報道し、私はそれらをもとにこのブログでふたつの記事を書きました。


小島被告の父親は「男は子どもを谷底に突き落として育てるもんだ」という教育方針できびしく育て、小島被告の世話をしていた祖母は「姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん」と言って、実質的に育児放棄していました。小島被告が事件を起こして逮捕されたとき、父親はマスコミの前で「私は生物学上のお父さん」と名乗り、小島被告のことを赤の他人のように「一朗君」と呼び、ゆがんだ家族関係があらわになりました。


今回、判決に合わせて週刊新潮12月26日号が「『小島一朗』独占手記 私が法廷でも明かさなかった動機」という記事を掲載しました。これを読むと、小島被告が刑務所にこだわった理由が見えてきます。

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この記事によると、小島被告はホームレス生活をしていて、家族に迷惑をかけないために餓死しようとしますが、祖母との最後の電話で「養子縁組を解消する」「小島家の墓に入れない」と言われ、もう家族に迷惑がかかるということはどうでもよくなって、事件を起こして刑務所に入ろうとします。
彼は手記で「刑務所に入るのは子供の頃からの夢である。これを叶えずにどうして死ねようか」と書いています。

小島被告と接見を重ね手記を託されたノンフィクションライターのインベカヲリ★氏は、小島被告の生い立ちを詳しく書いているので、その部分を引用します。


小島被告は愛知県生まれ。犯行当時は22歳、元の名は鈴木一朗だ。同県出身の野球選手イチローにちなんだ同姓同名である。小島姓なのは、事件の前年に母方の祖母と養子縁組をしたからである。
一朗が生まれると母方の祖父は、岡崎市にある自宅の敷地内の一角に「一朗が生まれた記念」の家(以下、「岡崎の家」)を建てた。共働きの両親の都合で、一朗は3歳までをそこで過ごした。一方、年子の姉は、生まれたときから一宮市にある父方の実家で育った。
母親は両家を行き来していたが、一朗が3歳になると転居し、一家全員が一宮の家に揃う。しかしそれを快く思わなかったのが、同居する父方の祖母だった。「お前は岡崎の子だ、岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」、それら祖母からの言葉が一朗にとって物心ついてからの最初の記憶だ。
母親はホームレス支援の仕事で夜遅く帰宅するため、祖母が食事をつくり、一朗は「嫁いびり」のように躾けられたという。中学生になり反抗するようになると、祖母は包丁を振り回し、一朗の食事や入浴を禁じた。これに関し母親は調書で、「食事を与えないということはない。虐待はしていない」と供述しており、意見が食い違っている。
しかしこの頃、父親にトンカチを投げ包丁を向ける事件を起こしており、その目的は「ご飯が食べられないから国に食わせてもらう」、つまりは少年院に入るためだった。これを機に父と離れ、母親の勤め先である“貧困者シェルター”へ入所するのだ。
その後、定時制高校を卒業し、県外で就職したものの、出血性大腸炎で入院し10か月で退社。「岡崎の家」に住むことになったが、同じ敷地内の別宅に住む伯父が猛反対し、暴力によってわずか10日で追い出されたという。
以降、家出してのホームレス生活と精神病院への入退院を繰り返してきた。
彼にはすでに中学時代、家庭よりは「少年院」という発想があった。
「刑務所の素晴らしいところは、衣食住と仕事があって、人権が法律で守られているところ」
と、彼は心底思っている。しかも、「(刑務所からは)出ていけとはいわれない」とも語る。彼は閉ざされた空間で、決まりきった日常を送ることが苦痛ではない。模範囚として真面目に働くことを望んでいる。拘置所に何冊も本を差し入れたが、彼はたぶん読書ができればいのではないかと思う。
やりとりを重ねてわかったのは、彼が幼い頃より「岡崎の家」を「私が生まれたときに建てられた、私が育つはずだった家」と考え、それに強い執着を見せていることだ。刑務所は「岡崎」の代償で「家庭を求めている」と彼は言う。


小島被告が刑務所に入りたがった理由がわかります。
彼は家族の誰とも“絆”というものを感じることができなくて、どの家にいてもいつ「出ていけ」と言われるかわからないという不安があったのでしょう。無期懲役で入った刑務所ならその不安がありません。
それに、彼はかなり意図的にホームレス生活をしていますが、母親はホームレス支援の仕事で帰宅が遅かったということで、彼はホームレスになることで母親に近づけた気がしていたのかもしれません。

もちろん刑務所に入るために人を殺すなどということは許されません。
しかし、自分がたいせつにされた経験がない人間に、人をたいせつしろと求めるのも不条理なことです。
彼には犯罪をして世間を騒がせることで家族に対して復讐している気分もあるでしょう。

私たちは、こうした犯罪をする人間は異常者だと決めつけがちですが、その人間のことをよく知れば、私たちと同じ人間であることがわかります。
その認識を出発点に犯罪対策を立てなければいけません。