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源五郎さんによる写真ACからの写真 

「表現の不自由展・その後」に寄せられた抗議は、慰安婦像に対するものと天皇の写真を燃やしたとされるものに集中しました。

「天皇の写真は神聖である」という国家神道の立場から、天皇の写真を燃やすことに抗議する人がいるのは、理屈としては理解できます。もちろんそんな宗教的な主張を押しつけることは許されませんが。

では、慰安婦像の展示に抗議する人はどういう理屈なのでしょうか。

ある種の暴力描写や性描写は“有害”なので公開を制限するべきだという考え方がありますが、そういう類ではないでしょう。抗議する人たちも「慰安婦像は見る人に有害だ」という主張はしていないと思います。

そもそも慰安婦像が問題になったのは、2011年12月、ソウル市の日本大使館前に、慰安婦問題で日本政府に謝罪と賠償を求めるデモの1000回目を記念してブロンズの慰安婦像が設置されたことがきっかけです。
ウィキペディアには、『ボン大学のラインハルト・ツェルナー教授も「像自体は平和的に見えるが、基本的に日本を道徳的に非難する物」であると述べている』と書かれていて、これが妥当な評価でしょう。
人間は非難されると、かりに自分が悪い場合でも、自己防衛のために反発するものです。
そのため多くの日本人が反発しました。

その時点では、「慰安婦像」への反発ではなく、日本大使館前に像を設置するという「韓国側の行為」への反発でした。

そして、2015年に日韓合意が結ばれ、安倍首相は元慰安婦に対して「心からおわびと反省の気持ちを表明」し、慰安婦問題は終結しました。
もっとも、日韓ともに不満は残りました。
日本大使館前の慰安婦像もそのままでした。

ここが分岐点だったと思います。
安倍首相が「おわびと反省の気持ちを表明」しているのですから、日本の大使館員たちは慰安婦像の前を通るときに、一礼するなり手を合わせるなり、ときに花を供えるなりすればよかったのです。その姿は韓国民の気持ちを動かし、慰安婦像は日韓友好の象徴にもなったでしょう。

実際は逆の方向に行きます。
日本側は韓国側に対して大使館前の慰安婦像を「適切に解決されるよう努力する」ことを要求し続けました。
これは理屈としてはおかしなことです。慰安婦問題が片付けば、慰安婦像は日本にとっても不愉快な存在ではなくなるからです。
そして、プサンの日本総領事館前に新たに慰安婦像が設置されたことをきっかけに、日本は大使を召還するなどの強硬措置をとりました(このいきさつについては「日韓炎上の黒幕は誰か」に書きました)。
こうして「慰安婦像」問題が始まったのです。

「慰安婦像」問題は日本にとって圧倒的に不利です。
日本がいくら反対しても、韓国側は慰安婦像をどこにでも設置することができるからです。現に韓国に多数あるだけでなく、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツなどにも設置されています。
それに、慰安婦像は正しくは「平和の少女像」といい、作者が「少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴である」と語っているように、いかにも清純そうな少女の姿です。そういう像の設置に反対する日本は、誰が見ても変な国だということになります。
日本が慰安婦像に反対することは、反日的韓国人の思うつぼです。

日本としては「慰安婦像」問題を早く終わらせなければなりません。
その方法は簡単です。
安倍首相が元慰安婦に対して「心からおわびと反省の気持ちを表明」したのですから、日本人は慰安婦像に頭を下げて、「おわびと反省の気持ち」を示せばいいのです。

もっとも、私は像などに頭を下げるのは宗教的ないし呪術的行為と思うので、したくはありません。
今、慰安婦像に反対している人は慰安婦像を呪物と見なしているわけですから、考え方を転換すれば、頭を下げることに抵抗はないはずです。
安倍支持者は率先して慰安婦像に頭を下げて、日韓友好に貢献するべきです。