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丸川珠代五輪相は5月11日の記者会見で、五輪開催の意義について問われ、「コロナ禍で分断された人々の間に絆を取り戻す大きな意義がある」と述べたところ、「意味不明」「精神論はやめろ」などの批判が殺到しました。
そのため丸川五輪相は14日に「絆」の意味を補足して、「特別な努力をした人たちの輝きが勇気を与えてくれる。と同時に、私たちが勇気を持って一歩進み、社会の活動を進めていく具体的な後押しになるという思いです」と述べましたが、ますます意味不明と批判されました。

「安全安心な大会」などと言っていますが、実際はコロナ下で危険を冒して開催するのですから、それに匹敵する意義が必要です。

五輪招致の時点では「復興五輪」といって、東日本大震災から復興した日本の姿を見せるという意義が示されました。
新型コロナウイルスのために一年延期になった時点では、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」ということが言われました。

現在では、「新型コロナウイルスに打ち勝った証」とは言えないので、「努力したアスリートのために」とか「池江璃花子選手のために」などと各自が勝手なことを言っています。
丸川五輪相が「絆」と言ったのは、「自助・共助・公助、そして絆」が政治信条の菅首相にこびたのでしょうか。


東京五輪は別にして、オリンピックそのものには意義があります。
ただ、時代とともにそれは変遷してきました。

昔はオリンピックの理念というと、「より速く、より高く、より強く」ということが必ず言われたものですが、最近はまったく言われません。今もオリンピック憲章には書かれているのですが。
この言葉の背後にある進歩主義思想が今は評価されないからでしょう。

「オリンピックは参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の言葉も最近はあまり言われません。
勝利至上主義を戒めた言葉と思われますが、最近は勝利至上主義、メダル至上主義が横行しているからでしょう。

アマチュアリズムも昔はオリンピックの重要な理念でしたが、1974年にオリンピック憲章からアマチュア規定が削除されました。
以来、商業主義がしだいに強まり、今ではオリンピックは巨額マネーの動く商業主義のイベントになりました。
日本が開催地に立候補したのも、要は利権のためです。


オリンピックは商業主義のイベントとして大成功しましたが、大成功したのは意義があったからです。
それはどんな意義かというと、案外認識されていないかもしれません。

ビッグなスポーツイベントは世界陸上、世界水泳、サッカーワールドカップ、アジア大会などいくつもありますが、オリンピックがそれらと違うのは、ほとんどすべての種目を網羅する総合スポーツ大会であることです。
そして、世界のほとんどの国が参加します。
そのために、各国の総合スポーツ力が順位づけられます。

国の総合スポーツ力というのは国力の有力なバロメーターです。
国力を見るにはGDPのほうが正確ですが、GDPは無味乾燥な数字です。
スポーツは闘争や競争であり、勝ち負けがあるので、人々は興奮します。
個々の勝ち負けがメダルになり、最終的にメダルの数の多さで国の優劣が決まります。

ですから、オリンピックほどナショナリズムや愛国心の高揚するイベントはほかにありません。
戦争はもっともナショナリズムの高揚するイベントですが、オリンピックはその次ぐらいの位置づけになります。

古代ギリシャでは、戦争をしていても、オリンピックが開催されるときは休戦する習わしでした。
そのために「平和の祭典」と呼ばれますが、古代オリンピックの種目は、短距離走、長距離走のほか、戦車競走、円盤投げ、やり投げ、レスリング、ボクシングなど、戦争に関わるものがほとんどなので、当時の人々は戦争もオリンピックも同じ感覚でやっていたのではないでしょうか。
そういう意味では、「平和の祭典」というより「疑似戦争」といったほうがいいかもしれません。

近代オリンピックも、表彰式には必ず国旗掲揚と国歌演奏を行い、各国のメダル獲得数を明示して、ナショナリズムを高揚させる演出になっています。
ほとんどの人は、自国の選手がメダルを獲得するか否かに関心があって、メダルを獲得すると熱狂しますが、スポーツの中身にはあまり関心がありません。


このように近代オリンピックは「疑似戦争」として各国の国民のナショナリズムを刺激することで商業主義的な成功を収めたわけです。


私は「疑似戦争」という言葉を使いましたが、これは決して悪い意味ではありません。「疑似戦争」では人も死にませんし、家も壊れません。「本物の戦争」とは天と地ほども違います。
ですから、「疑似戦争」を「平和の祭典」と呼んで楽しむのは悪くありません。
ナショナリズムの部分を嫌う人もいますが、多くの人はナショナリズムの高揚感が好きなものです(ナショナリズムは「拡張された利己主義」だからです)。


ともかく、オリンピックは多くの人が興奮できる楽しいお祭りなのですが、今回はコロナとの戦いの真っ最中です。
オリンピックを開催したからといって、コロナとの戦いは休戦になりません。

現在、スポーツ大会は無観客や観客制限で開催されつつありますが、各地のお祭りはほとんどが中止になっています。
コロナ下では、お祭りをやってもお祭り本来の楽しさがないからです。

オリンピックが純然たるスポーツ大会なら、厳密な感染防止対策のもとで開催する意味はありますが、実際のところは、オリンピックの意義は、ナショナリズムの高揚感を味わうお祭りだということにあります。

コロナ下でお祭りを強行開催するということはありえません。